開演のアナウンスとともに、照明が少しずつ消えていき、体育館は静寂と暗闇に包まれる。下ろされた幕の裏側では、教室を模した小道具たちがセットされている。俺が初めて部員の方々の前で演技をした、あのシーン。
俺は用意された椅子に座り、机に突っ伏す。この状態からのスタートでいいのかとかなり悩んだが、一番特徴を掴みやすそうだったのでこうした。
少しずつ幕が上がっていくのが、音を聞いてわかる。静かな舞台上、ほぼ暗闇に近い今、心臓の音がいつもより大きく聞こえる。まるで耳元にあるかのように。緊張に飲まれた俺に、僅かな光が届く。ちょうど舞台の照明が灯されたのだ。そしてこれは、演劇の開始を意味する。
『お、おはよ』
田辺さんのセリフから、俺に挨拶するところから始まる。どこか気まずそうな彼の声に対し、顔をあげて平然を装いながら挨拶を返すも、どこかぎこちない笑顔を見せるように演技する。
短い沈黙の後、とぼとぼと鈴さんと高華さんが現れる。どこか浮かない表情を浮かべる四人。場の雰囲気は少し悪い方へと向かっているのを肌で感じる。でもこれは成功で、こうなることを目指し演じている。
『おっはよー! どうした、なんか元気ないぞー?』
高華さんの空元気のようなセリフで、より観客の違和感を増大させる。棒読みのような演技も、それを後押しする。
彼女には誰も答えず、ただ下を見つめ続けている。沈黙を破ったのは鈴さんだった。
『回避、できないみたい、だね。あの、隕石』
言葉が途切れ、心が少し乱れていることを強調させる。突然の隕石衝突という告白が、観客を唖然とさせているはずだ。
『あと一週間なんて、信じられない……』
目に少しの涙を浮かべて、声を震わせながら鈴さんは言う。彼女と高華さんは真逆の役。意地でも明るい方に持っていこうとした高華さんのセリフが、より鈴さんの性格を際立たせ、現実の辛さに重みを加える。
開幕から急展開すぎる物語。賑やかであるはずなのに、喧騒もなく、ましては四人しかいない、静まり返った教室。今回はそんな、隕石衝突までの一週間を描く素敵な原作小説を、六十分以内にまとめている。人によっては物足りないと感じてしまうだろう。だがこうして、音を少なくして序盤から臨場感を作り、彼らの心境をより演劇に反映させる。
田辺さんは自嘲するように、鼻で笑って言う。
『もう、今日で最後なんだな。この教室に来るのも』
俺は苦笑いしながら、ぎこちなく答える。
『臨時休校だしね。こんな終わり方って、あるんだね』
それを聞くと、さらに口角を上げて微笑み、背中を向け早足で舞台裏へと去っていく。その間、制服の袖で涙をぬぐう姿を見せる彼は、何度見ても心に響く。
高華さんも続けて去っていき、俺と鈴さんだけが舞台上に残される。
お互い何も喋らず、ただ唇を噛み締めている。たちまち鈴さんが、涙を堪えるように言葉を紡いでいく。
『私たち、まだ付き合った、ばっかりだよね。もっと、ずっと一緒に、居たかったなぁ』
何も言えない俺を見つめながら、一滴の涙を零すとともに、走り去っていく。一人取り残された俺も、去ろうと席を立ったが、足から力が抜け落ちたように、膝から崩れ落ちる。
そして、嗚咽を我慢できずに、その場で泣き始める。静まり返った体育館には、俺の嗚咽のみが響く。
舞台上の照明が消え、体育館はまた暗闇に包まれる。その間に、場面を変えるために小道具を移動させたりなどの細かな準備をする。ここはわずか数秒で済ませなければならないので、舞台裏は大忙し。俺も急いで立ち上がり、舞台裏にはけていく。
次のシーンは高華さんと田辺さんのみのため、そのまま待機する。背中をツンツンとされ振り返ると、鈴さんが満足そうな顔をして、「良い演技だったよ」と囁く。俺はただ「ありがとう」と返した。この普通のやりとりが緊張に支配された心を軽くしてくれる。
話は順調に進み、訪れたのはオーディションのシーン。最初は俺と高華さん、田辺さんの三人のみの出演。約束された死を前に、友人、及び恋人の関係について言い争いになってしまう。普段はあまり意見を通さない俺も、ここでは別人のように変貌する。
『お前は、これでいいのかよ! 最後ぐらい、一緒に居てやれよ!』
『そうだよ。鈴と、本当に別れたいわけじゃないんでしょ?』
これより前の場面で、ほぼ喧嘩別れをした俺と鈴さん。それを知って飛ぶように駆けつけてきた二人は、怒ったような声色で問いただす。その言葉に俺は、悩み溜め込んでいた想いを爆発させる。
『こうするしかないんだよ! 鈴とも、お前たちとも離れるなんて絶対嫌だ! だからこうしないと……、余計悲しくなるだろ?』
怒りと、諦めと、悲しみと、複雑に重なった感情を表現しきるのは本当に難しかった。鈴さんと練習したときにいろいろと教えてもらったが、それを用いても定まりにくかった。オーディションを終えても熟考を重ねたこの演技は、なかなかのものではないだろうか。
『一緒に最期を過ごす勇気がない……。だから、一人で死なせて』
込み上げてくる涙を見られないように、すぐさま体の向きを変え、去ろうとする。
『待って!』
突如として姿を現した鈴さんは、背後から俺に抱きつく。身長差によって背中に顔を埋める形になった彼女は、啜り泣きながら懸命に言葉を繋いでいく。
『やっぱり、君と一緒がいい。……お願いだから、離れないで……。最期まで、一緒に居て』
俺はその場で立ちつくし、少し悩んだように見せた後、無理やり彼女の手を振り解く。その間彼女は、『嫌だ、嫌だ』と駄々をこねる子供のように抵抗する。
やっとのことで離れることができた俺は、彼女に向き直り、そのまま優しく抱きしめる。涙ぐみながらも、酷く傷つけてしまったことに精一杯の謝罪を伝えていく。俺たち二人をただ黙って見守っていた高華さんと田辺さんは、満足そうな、寂しそうな顔をして姿を消してしまった。
二人を残したまま、照明も次第に消えていく。そして、隕石衝突当日を迎える。
事前に予告していた通り、突如として体育館には警告音が鳴り響く。いわゆる「Jアラート」を、音響担当の方たちが少しアレンジを加えたらしい。でもそれは、緊迫感や恐怖心を生む本物と、同等のものを感じさせられた。
このシーンがこの演劇のラスト。隕石衝突までの僅か五分を描く。
『もう、終わっちゃうね』
時間が止まってほしいと願う俺たちを差し置いて、刻一刻と進み続ける。
『君と生きれて、本当に良かった』
俺の精一杯の笑顔と言葉で、お互いに向き合う。瞳の奥を、一心に見つめ合う。涙で視界がぼやけても、ただ一点を見つめ続ける。
『生まれ変わっても、一緒がいいな』
一雫の涙と共に、ぽつりと呟く。実際に涙を流しても観えるわけないと思うかもしれないが、感情移入をしてより正確な演技に近づけるらしい。
『鈴……』
最期の俺のセリフで、この演劇は幕を閉じる。
今までの練習もそうだが、彼女と過ごした日々がありありと浮かんでくる。怒った顔も、泣いた顔も、輝く綺麗な笑顔も、どれも愛おしい。
彼女に出会って生まれ、関わることで大きくなり、何度も蓋をしたこの感情。演技を通して、痛みを覚えるほど苦しかった感情。
変わっても、変わらなくても、ずっと好きでいてくれた彼女に、今だからこそ、蓋を開けて伝えられる。
『僕は……』
違う。『僕』じゃない。
「俺は、鈴が、」
僕なんかじゃない。役でもない。決して、演技なんかじゃない。
これは、本当の想い。
弱くて、卑劣で、最低な、俺の想い。
蓋をしても、溢れかえってしまった想い。
「大好きです」
紡がれた言葉共に、轟音とカメラのフラッシュを用いた閃光が炸裂し、体育館には瞬く間に暗闇と静寂が戻る。
一瞬だけ見えた鈴の表情は、もう演技なんか忘れていた。口をポカンと開けて、信じられないというような目をして立っていた。
俺は用意された椅子に座り、机に突っ伏す。この状態からのスタートでいいのかとかなり悩んだが、一番特徴を掴みやすそうだったのでこうした。
少しずつ幕が上がっていくのが、音を聞いてわかる。静かな舞台上、ほぼ暗闇に近い今、心臓の音がいつもより大きく聞こえる。まるで耳元にあるかのように。緊張に飲まれた俺に、僅かな光が届く。ちょうど舞台の照明が灯されたのだ。そしてこれは、演劇の開始を意味する。
『お、おはよ』
田辺さんのセリフから、俺に挨拶するところから始まる。どこか気まずそうな彼の声に対し、顔をあげて平然を装いながら挨拶を返すも、どこかぎこちない笑顔を見せるように演技する。
短い沈黙の後、とぼとぼと鈴さんと高華さんが現れる。どこか浮かない表情を浮かべる四人。場の雰囲気は少し悪い方へと向かっているのを肌で感じる。でもこれは成功で、こうなることを目指し演じている。
『おっはよー! どうした、なんか元気ないぞー?』
高華さんの空元気のようなセリフで、より観客の違和感を増大させる。棒読みのような演技も、それを後押しする。
彼女には誰も答えず、ただ下を見つめ続けている。沈黙を破ったのは鈴さんだった。
『回避、できないみたい、だね。あの、隕石』
言葉が途切れ、心が少し乱れていることを強調させる。突然の隕石衝突という告白が、観客を唖然とさせているはずだ。
『あと一週間なんて、信じられない……』
目に少しの涙を浮かべて、声を震わせながら鈴さんは言う。彼女と高華さんは真逆の役。意地でも明るい方に持っていこうとした高華さんのセリフが、より鈴さんの性格を際立たせ、現実の辛さに重みを加える。
開幕から急展開すぎる物語。賑やかであるはずなのに、喧騒もなく、ましては四人しかいない、静まり返った教室。今回はそんな、隕石衝突までの一週間を描く素敵な原作小説を、六十分以内にまとめている。人によっては物足りないと感じてしまうだろう。だがこうして、音を少なくして序盤から臨場感を作り、彼らの心境をより演劇に反映させる。
田辺さんは自嘲するように、鼻で笑って言う。
『もう、今日で最後なんだな。この教室に来るのも』
俺は苦笑いしながら、ぎこちなく答える。
『臨時休校だしね。こんな終わり方って、あるんだね』
それを聞くと、さらに口角を上げて微笑み、背中を向け早足で舞台裏へと去っていく。その間、制服の袖で涙をぬぐう姿を見せる彼は、何度見ても心に響く。
高華さんも続けて去っていき、俺と鈴さんだけが舞台上に残される。
お互い何も喋らず、ただ唇を噛み締めている。たちまち鈴さんが、涙を堪えるように言葉を紡いでいく。
『私たち、まだ付き合った、ばっかりだよね。もっと、ずっと一緒に、居たかったなぁ』
何も言えない俺を見つめながら、一滴の涙を零すとともに、走り去っていく。一人取り残された俺も、去ろうと席を立ったが、足から力が抜け落ちたように、膝から崩れ落ちる。
そして、嗚咽を我慢できずに、その場で泣き始める。静まり返った体育館には、俺の嗚咽のみが響く。
舞台上の照明が消え、体育館はまた暗闇に包まれる。その間に、場面を変えるために小道具を移動させたりなどの細かな準備をする。ここはわずか数秒で済ませなければならないので、舞台裏は大忙し。俺も急いで立ち上がり、舞台裏にはけていく。
次のシーンは高華さんと田辺さんのみのため、そのまま待機する。背中をツンツンとされ振り返ると、鈴さんが満足そうな顔をして、「良い演技だったよ」と囁く。俺はただ「ありがとう」と返した。この普通のやりとりが緊張に支配された心を軽くしてくれる。
話は順調に進み、訪れたのはオーディションのシーン。最初は俺と高華さん、田辺さんの三人のみの出演。約束された死を前に、友人、及び恋人の関係について言い争いになってしまう。普段はあまり意見を通さない俺も、ここでは別人のように変貌する。
『お前は、これでいいのかよ! 最後ぐらい、一緒に居てやれよ!』
『そうだよ。鈴と、本当に別れたいわけじゃないんでしょ?』
これより前の場面で、ほぼ喧嘩別れをした俺と鈴さん。それを知って飛ぶように駆けつけてきた二人は、怒ったような声色で問いただす。その言葉に俺は、悩み溜め込んでいた想いを爆発させる。
『こうするしかないんだよ! 鈴とも、お前たちとも離れるなんて絶対嫌だ! だからこうしないと……、余計悲しくなるだろ?』
怒りと、諦めと、悲しみと、複雑に重なった感情を表現しきるのは本当に難しかった。鈴さんと練習したときにいろいろと教えてもらったが、それを用いても定まりにくかった。オーディションを終えても熟考を重ねたこの演技は、なかなかのものではないだろうか。
『一緒に最期を過ごす勇気がない……。だから、一人で死なせて』
込み上げてくる涙を見られないように、すぐさま体の向きを変え、去ろうとする。
『待って!』
突如として姿を現した鈴さんは、背後から俺に抱きつく。身長差によって背中に顔を埋める形になった彼女は、啜り泣きながら懸命に言葉を繋いでいく。
『やっぱり、君と一緒がいい。……お願いだから、離れないで……。最期まで、一緒に居て』
俺はその場で立ちつくし、少し悩んだように見せた後、無理やり彼女の手を振り解く。その間彼女は、『嫌だ、嫌だ』と駄々をこねる子供のように抵抗する。
やっとのことで離れることができた俺は、彼女に向き直り、そのまま優しく抱きしめる。涙ぐみながらも、酷く傷つけてしまったことに精一杯の謝罪を伝えていく。俺たち二人をただ黙って見守っていた高華さんと田辺さんは、満足そうな、寂しそうな顔をして姿を消してしまった。
二人を残したまま、照明も次第に消えていく。そして、隕石衝突当日を迎える。
事前に予告していた通り、突如として体育館には警告音が鳴り響く。いわゆる「Jアラート」を、音響担当の方たちが少しアレンジを加えたらしい。でもそれは、緊迫感や恐怖心を生む本物と、同等のものを感じさせられた。
このシーンがこの演劇のラスト。隕石衝突までの僅か五分を描く。
『もう、終わっちゃうね』
時間が止まってほしいと願う俺たちを差し置いて、刻一刻と進み続ける。
『君と生きれて、本当に良かった』
俺の精一杯の笑顔と言葉で、お互いに向き合う。瞳の奥を、一心に見つめ合う。涙で視界がぼやけても、ただ一点を見つめ続ける。
『生まれ変わっても、一緒がいいな』
一雫の涙と共に、ぽつりと呟く。実際に涙を流しても観えるわけないと思うかもしれないが、感情移入をしてより正確な演技に近づけるらしい。
『鈴……』
最期の俺のセリフで、この演劇は幕を閉じる。
今までの練習もそうだが、彼女と過ごした日々がありありと浮かんでくる。怒った顔も、泣いた顔も、輝く綺麗な笑顔も、どれも愛おしい。
彼女に出会って生まれ、関わることで大きくなり、何度も蓋をしたこの感情。演技を通して、痛みを覚えるほど苦しかった感情。
変わっても、変わらなくても、ずっと好きでいてくれた彼女に、今だからこそ、蓋を開けて伝えられる。
『僕は……』
違う。『僕』じゃない。
「俺は、鈴が、」
僕なんかじゃない。役でもない。決して、演技なんかじゃない。
これは、本当の想い。
弱くて、卑劣で、最低な、俺の想い。
蓋をしても、溢れかえってしまった想い。
「大好きです」
紡がれた言葉共に、轟音とカメラのフラッシュを用いた閃光が炸裂し、体育館には瞬く間に暗闇と静寂が戻る。
一瞬だけ見えた鈴の表情は、もう演技なんか忘れていた。口をポカンと開けて、信じられないというような目をして立っていた。


