オーディションが終了して最初の月曜日の昼休み。七月中旬となり、雨の降らない日が続いていたことから梅雨明け間近と考えられていたが、今日は嘘かのように悪天候。今年は梅雨はとことんおかしいな……。
 天気も相まって不安が倍増しているのは、明日がテストだからでも、勉強したのに何も身についていなかったからでもない。
 そう、まもなくオーディションの結果が発表されるのだ。総勢二十三名からたった一人、審査員の心を掴んだものだけが選ばれる。俺はいつものことながら、心臓がバクバクと音を立てる。今日までの間、ずっとビクビク怯えていたが、もうそんな日々とはお別れとなることを素直に喜べない。
 あれだけ練習したんだし大丈夫だと何度言い聞かせても、やっぱり不安が勝ってしまう。演技に自信はあるし、鈴さんも大丈夫と言ってくれた。演劇部の方々にも支えてもらった。大丈夫、大丈夫。……なんか最近はずっとこんなことを言ってる気がする。
 一人で馬鹿みたいにそわそわしている俺を見た鈴さんは、最初こそ笑っていたものの、優しく励ましてくれる。
「大丈夫だって。もう張り出されたみたいだし、一緒に見に行こ?」
 先頭を切る彼女について行きながら掲示板へと向かう。
 人が多すぎて目当ての記事がどこにあるのかわからない。探していると、「うわぁー、落ちたかー」と嘆く声が聞こえた。それは意外と近くだったので、人混みさえ抜けてしまえばすぐに見つかる位置にあるのだろう。
 だんだんと人が減っていき、スペースも空いてくる。探すなら今だと思い掲示板と睨めっこしていると、鈴さんが、「あったよ!」と少し大きな声で言い放ち、俺の腕を引っ張り連れていく。
 オーディション結果、という白地に黒字で淡々と書かれている記事。もはや張り紙同然のそれを、俺は上から目で追って行く。合格者の発表と同時に、主要キャストも公開されるらしい。
 隣で見ている鈴さんが息を呑む音がする。ギュッと掴まれた俺の腕は、本来なら痛みを覚えるのだが、そんなことを感じないぐらい驚き、嬉しかった。
 思わず俺は、『主要キャスト一覧』と書かれている部分を、声に出して読んでしまう。
「主演——鷹波、暁斗」
 一瞬にして、視界がぼやけていく。我慢したいけど、できそうにない。同じ部分を何度も目で追ってしまう。
「やった……、やったー! 暁斗くん、合格だよ!」
 そう言いながらがっしり掴んだ腕をブンブン上下に振る。あまりに大きく振るので、周りの人に当たってしまわないように一度人混みを抜ける。
 まるで自分のことのように喜んでいる彼女は、目に涙を浮かべている。俺は人混みを抜けてやっと、合格したという事実を認識する。
 今までの辛かったことや楽しかったことが何個も蘇ってくる。それが報われたことが本当に嬉しくて、もう何も言葉が出てこない。それは彼女も同じみたいで、なかなか腕を離さずに号泣している。
「ありがとう、鈴さん。おかげで受かったよ」
「……私は、何もしていないよ。全部、暁斗くんの力だよ」
 俺の腕を掴んでいない方の手で何度も涙を拭う彼女は、嗚咽を堪えて言葉を繋ぐ。自分のためにこんなに泣いてくれてくれるなんて思ってもなくて、少しビックリしている。
 辛かった。苦しかった。でもやっと、ありのままの自分を、誰かに認めてもらえた。本当にやりたかったことを実現する機会が巡ってきた。
 ありのままの自分でも、何かを成し遂げられることを肌で感じた。

 もっと落ち着ける場所に行きたくて中庭に移動する間、ずっと泣き続けている鈴さんにはたくさんの視線が集まり、まるで俺が泣かせたみたいだった。その恐怖心が伝わっていたのか、ベンチに腰を下ろしたときには「ご、ごめん」と言いながら落ち着いた素ぶりを見せた。
「改めて、おめでとう。暁斗くん」
 満面の笑みで祝福してくれる彼女の目は、擦りすぎてしまったのか赤く腫れていた。泣きすぎて前髪の一部が目元に張り付いてしまっている。
 流れで中庭に来てしまったが、気づけば雨は止み、太陽が俺たちを照らしている。神様からも祝福されているみたいで、またちょっと嬉しくなる。これで虹も見れたら良かったのに。
 右腕に突然痛みが走り、彼女の手が離れていることに気づく。相当強く掴まれていたのか結構痛い。
「暁斗くんはこれから、演劇部の部員として、短い間だけど生活してね。部活にも毎回出席してほしい」
 オーディションに熱中するあまり、彼女に言われるまで忘れていたが、これはあくまでただの通過点にすぎないのだ。最終目標は九月中旬の文化祭だ。
 また正式な部員ともなれば、練習がより厳しくなる。最後まで耐え抜く覚悟を決めなければならない。
「まぁでも、明日からテストで部活もないし、あまり重く受け止めなくていいと思うよ。それに、夏休みだし!」
 考え込んでいるように見えたのか、不安を和らげるように明るい声で言った。
 今回のテストを終えると終業式を迎える。今年はすごく特殊な日程で、生徒も教師も振り回されている。
「お互い、最高の演技にしようね!」
 喜びのあまり、彼女の言葉に頷くことしかできない俺に見えない手を差し出す。
 太陽に照らされ、輝きを放つ彼女の笑顔は、とても綺麗だった。