早朝は肌寒い。ちょっと早く来すぎたかな。ま、いっか。波多野は早くに学校に来るイメージだし。
一旦、自分の教室に行って荷物を置いてから、波多野の教室に向かう。波多野はD組だったっけ。懐かしい一年生のフロアをゆっくりと歩く。もちろん、どの部屋も教室には誰もいなかった。一年生の廊下の壁には、美術の授業で描いたのであろう、自分の筆箱を描いた絵が飾ってあった。
D組の人たちの絵が飾られている所へ行く。波多野の絵はどんなだろう。案外、下手だったりして。少しだけ見るのを楽しみにしながら探す。
しばらく波多野の絵を探したけど、波多野のだけ見つからない。……何回見てもない。なくない?波多野の絵。D組のところを何周も見たのに。……あ。名前順になってる。波多野があるであろう場所を探す。中川、中村、野山、……早中。え?波多野の場所だけ、絵が貼られていない。波多野がぬかされてる……?なんでだろう。一瞬忘れられてるのかと思ったけれど、それはないと思う。もしかして、休んでた?いや、それもない。でも、先生に貼られるのを忘れられてるか、休んでて絵が描けなかったとかのどっちかだよね。
そう思ったところで、ガヤガヤと話す声や歩いてくる音がした。あ、もうすぐ波多野くるかも。D組の廊下の端に寄る。
——しばらく経っても波多野は来ない。……なんでだろう。もしかして、学校来てない?休み?昨日わたしが強く言っちゃったから?もしそうだったら……。
今日の実行委員に波多野はいなかった。波多野と同じクラスの実行委員の男子に聞くと、波多野は休みらしい。
……今日の実行委員は正直、いつもより楽しくなかった。気がした。波多野がいなかったからだと一瞬思ってしまう。……でも、違う、それはない。わたしは楽しく思うことのない人間だ。波多野といた時間は楽しかったとかそういうのじゃない。
じゃあ、波多野といる時間はどんな存在なんだろう。
波多野が学校に来なかったら日から、三日経つ。三日間ずっと学校に来ていない。さすがにそんなに休まれると、心配になってくる。風邪?病気?今は季節の変わり目だし、風邪ひいたのかな?
今日もわたしは一人で登校して、自分の席に座る。窓側の席だから、風が当たって涼しい。そうしていながらぼうっとしていると、なぜか山口さんから声をかけられた。クラスメイトから声をかけられたのは久しぶりな気がする。
「文化祭の準備は順調そう?」
山口さんの後ろには、山口さんとよく一緒にいる女子メンバーが揃っている。
「まあ、順調ですけど……」
なんでそんな事を聞くんだろう。前のわたしの推薦といい、山口さんは変わった人だ。
「実行委員、うちと変わってくれない?」
……え?なんで変わらないといけないの?
「……どうして?」
「塩野さん、実行委員やりたくなかったでしょ?前は推薦しちゃったけど、やっぱり私の方が塩野さんより向いてると思って。」
意味がわからない。自分勝手にも程がある。わたしを推薦したのはあなたなのに。溢れる感情を抑え込みながらわたしは、
「それなら心配しないで。大丈夫。この係、それなりに楽しいの。」
自分が言ったとは思えないような丁寧で綺麗なセリフを、さらりと口に出してしまった。 意識的に言ったわけではないのに、心がすっきりした気がする。山口さんは断られると思ってなかったのか、気に入らない顔をしてる。
「いや、でも塩野さん、こういう係嫌いでしょ?」
まだ諦めないのか、食い下がってくれない。
「嫌いだったけど、嫌いじゃなくなったの。」
またもや、思っていないような言葉が溢れ出す。
「……山口さんは実行委員になりたかったの?なら、わたしを推薦しないで、自分がやりたいって言えば良かったんじゃない?今更そんなこと言うのやめてくれる?そんな事今言っても遅いわけ。わかったのならさっさと向こうへ行って。」
言葉が溢れて、溢れて、止まらなくなる。いつも、特に山口さんたちには、口が悪くならないように気をつけていたのに口悪く言ってしまった。
山口さんとそのグループの子たちは、いきなり口が悪くなったわたしをみて、驚いている。山口さんが眉根を寄せて何かを言おうとしたところでチャイムが鳴って、先生が教室に入ってきた。山口さんたちは眉をしかめながらもそれぞれの席に戻って行った。
言いすぎて少しドキッとしたけど、先生の来るタイミングが良くてよかった。あのままだったら、たぶん少し大変なことになってただろうし。山口さんたちが今言ってしまったことを忘れてくれればいいけど。
土日を挟んで、月曜日になった。月曜日が一番憂鬱な曜日。これから五日間が始まると思うと気が重くなる。
——その日から日常は変わった。
「塩野さん、そこじゃまだからどいてくんない?」
朝二年C組の教室へ行く途中。廊下で山口さんたちに言われる。じゃまとか言われることはなかったから驚きながらも、少し体をずらす。山口さんたちは何も言わずに通り過ぎて行った。
山口さんたちに何かをしてしまったか、思い返す。やっぱり一つしか思い当たることがない。金曜の朝。実行委員を変わることを断ったことだ。言わなきゃ良かったと後悔もしたけど、わたしは間違ったことは言ってない。
——さすがにおかしいと思ったのはその日の昼休み。わたしはいつも通り窓側の席に座って、一人で持ってきたお弁当を食べる。忙しく働いているお母さんが、欠かさずに毎朝作ってくれているもの。いつもそのお弁当は美味しくて、残したことは一度もない。少し前まで、お母さんがうざくて仕方がなかったけれど、最近では働いてくれていることに感謝してる。そんな感謝を抱きながら、わたしはお弁当の中でも特に好きな卵焼きを口に入れる。うん、美味しい。お母さんの卵焼きは甘口派。甘い砂糖の味が口の中に広がる。そんな気持ちになっていると、右肩に強い衝撃が走った。
「……っ」
ガシャン!左手に持っていたお弁当箱が衝撃で机の上に落ちる。右手に持っていた箸と卵焼きは……床の上。地面に落ちた卵焼きを唖然として見つめていると、
「あれ塩野さん、卵焼き落ちたよ?拾わないの?」
山口さんが目の前に立ってわたしを冷たく見下ろしていた。
「……山口さんがわたしの肩を押したの?」
「え?うちそんなことしてないよ?ねぇ?」
そう言って山口さん後ろにいたがグループの人たちを振り返ると、その人たちは頷く。
「ほら、押してないってみんなも言ってるよ。勘違いじゃない?」
「……」
「てゆうか、そんなことより塩野さんの卵焼き美味しそう」
山口さんはそう言うなり、わたしのお弁当箱に残っていた一つの卵焼きを手でつまんで口に入れた。
「は⁉︎それわたしの!」
思考がついていかない。さすがに、ぶつかったのは気のせいだったとしても、人の食べ物を許可なしに食べるなんて……。
「……え、甘っ。これ、うち苦手だわ。甘すぎる」
そう言って顔を顰めながら、わたしの卵焼きを食べてしまった。勝手に食べておいて、文句言わないでよ……!
「美味しくないなら、食べないでよ!なんで勝手に食べるの!お母さんが……わたしのために作ってくれたのに……!」
毎朝お弁当を作ってくれているお母さんの姿が目に浮かぶ。
「フッ……まだお母さんに作ってもらってるわけ?うちは自分で作ってるし。自分で作ってみたら?うちを見習って!」
……なに、この人。いきなりわたしに関わってきたと思ったら、こんなに言われるなんて。わたしのことをどうこう山口さんに言われる筋合いはないのに。
「てゆうかさぁ、卵焼き甘かったの?塩野さんって名前が塩のくせに、卵焼き甘いのめっちゃウケる!」
後ろにいた山口さんのグループの人たちも、山口さんと同じように笑い出す。
「ほんとだ!塩野のくせに卵焼き甘いの面白すぎるんだけど!」
アハハハ、アハハハ……
たくさんの笑い声がわたしの机の周りを囲む。
「……た、卵焼き、返してよ……!」
喉がつっかえて上手く言えなく、弱々しい声になった。
「ワハハハ……、ん?卵焼き?あるじゃん!そこ!あんたの椅子の下!」
山口さんが指さしたのはさっき落ちた、わたしの卵焼き。もう、地面に落ちたから食べられない卵焼き。お母さんが作ってくれたのに……。涙が溢れそうになって、慌てて瞬きをして堪える。ここにいるのは耐えきれない……。お弁当箱の中に急いで床に落ちた卵焼きを入れて、それを持って教室を出る。一瞬自分の席を振り返ったが、まだ山口さんたちはわたしの机に囲まって笑っていた。
「はぁ……」
走って教室を出た後、階段の踊り場にしゃがみ込む。あまり人が来ない方の階段だから、誰も来ないだろう。
ついさっきあったことが夢みたいに思われる。一瞬自分が自分じゃなくなったみたいだった。一人でいたことはあるけれど、こんなふうにされたことは一度もなかったから、ショックというか、衝撃だった。なんで、山口さんたちはこんな事をしてきたの?悪気があってやったわけじゃないのか?いや、悪気はあったと思う。たぶん。なんか、たまに小説とかで見かける、いじめみたいだった。もし、いじめのつもりでやってるとしたら。これで、終わりだよね?放課後とか、明日とか、もうこうゆうことされないよね?いつもの強気な自分じゃなくなってきているのが、自分でもわかる。……ううん、それじゃだめ。弱気でいたら、相手の思うツボだ。いつもの、強気な自分でいよう。そう、強気でいれば大丈夫。
キーンコーンカーンコーン。もう、教室に戻らないと。教室に戻ると山口さんたちは、わたしの机にはいなず、自分たちの席にいた。ホッとして肩の力が無意識に抜ける。うん、もう大丈夫だ。
梅雨はとっくに終わったのに、土砂降りの雨だった。最悪すぎる。雨はテンションがいつも以上に下がる。自転車で学校に行けないから歩いて行かないといけないし。
しかも、そのせいでいつもは外でやっていた体育の授業を体育館でやることになった。体育の授業はあまり得意じゃないけど、好き。わたしが嫌いな科目が多い中で、祐逸好きな科目だ。本当は今日サッカーだったけど、中でするからバスケに変わった。バスケはただネットにボールを入れれば良いと思っていたけど、全然上手くできない。バスケの選手ってやっぱすごいな。
ダンダン!キュッキュッ!ドン!シュッ!
バスケの音が体育館に響く。この音が意外と良い音。わたしはドリブルが走りながらできないから一人で何回か練習をする。これで相手に取られないようにすればいいんだよね。
よし。結構出来るようになってきたかも!
体育館の端で一人で集中してた甲斐があったかも。ずっとやっていたから疲れてきた。少し休憩を取ろうと、体育館にある小さいベンチに座る。すると、目の前から速い勢いでバスケットボールが飛んできた。ぶつかる!?急いで顔を下げる。後ろにあった壁にボールがドンッ!と音でぶつかって、跳ねながら床に転がった。危なかった……。ギリギリセーフ。……もし、あれが顔に当たってたらどんな事になっていたんだろう。ほんとに危なかった。汗がおさまっていたのに、今度は冷や汗が止まらなくなる。……これって、山口さんたちの仕業だよね?そう思い、このボールの主だと思われる山口さんを探すと、少し離れた場所で何事もなかったかのように、グループの人たちとバスケをしていた。あれ?違う?山口さんじゃない?……もう、誰でも良いや。とりあえず、当たらなくて良かった。このボールは床に置いておこう。誰かが見つけて片付けるでしょ。
「はい、今日のバスケの授業は終わり!あ、ボールの片付け、お願いしたいんだけど、誰かやってくれる人いる?」
授業が終わり先生がそう言うと、誰も手をあげない。そりゃそうだ。体育館に転がったボールを、全部きれいに片付けしたい人なんていない。クラスのみんなが黙ってしまうと、
「うーん、誰もいないか、じゃあ山口さんたちやってくれる?」
先生はなぜか、山口さんたちを指名する。もちろん、その本人たちはやりたくなさそう。やる気なしだ。
「じゃあ、よろしくね。はい、解散!次の授業に間に合うように早く着替えて!」
先生のその声と同時にみんなは更衣室に向かう。先生も次の授業に向けて、職員室に。わたしも更衣室に向かおうとすると、
「塩野さん」
山口さんたちに呼び止められた。やっぱり。何となく想像はしていた。わたしも片付けを手伝えって言うんでしょ?でも、わたしは指名されてないから、関係ない。振り返らないで無視して、体育館を出ようとすると、ゴンッ!と音がした。それと同時にわたしの頭に、激痛がはしる。
「いった……」
頭がいたい。つい手を頭に乗せてうずくまってしまう。
「無視しないでよ?」
後ろから足音がする。なんか殺気を感じる。いや、さすがにそれはないか。
「わかるよね?今から言おうとしてること。」
「……」
顔が上げられない。
「片付けて。ここにあるバスケのボール。塩野さんならできるよね?」
少し顔を上げると、山口さんの笑っているのか笑っていないのか分からない、感情が読めない顔が見えた。
「……」
痛みが治らなくて、何も答えられない。
「また無視?もう一個ボール投げてあげよっか?」
まるで教科書を貸してあげるみたいな、軽い口調だった。そんなに軽々しく使って良い言葉ではない。
「やめて」
「じゃあ、早く片付けなさいよ」
何それ。面倒だからって人に押し付けないでよ。
「……自分で、片付けられないの?」
「なに、あんたこそ片付けられないわけ?口答えしてないで、さっさと片付けな!」
「ほんと!口答えすんな!」
山口さんだけではなく、他の人たちも加わってきた。ほんとに、やめてほしい。これ以上ボールを投げられたり怒鳴られたりするのが嫌だから、嫌々少しずつボールを片付ける。
わたしがそうしていると、山口さんたちはわたしの悪口を言っているのか、チラチラこっちを見ては笑い合っていた。
ボールをやっと全部一人で片付けてしまった。最悪。あの人たちの思い通りだ。頭の痛みはさっきより和らいでいた。
「……終わったよ」
「よし!みんな帰ろー!こいつが遅かったせいで、ちょっと時間やばいね」
「それな!遅すぎるー!早く着替えちゃお!」
さっきよりもテンション高めな人たち。わたしは今どんな気持ちなのかわからない。怒り?悔しさ?悲しさ?全部当てはまる気もする。気持ちがぐちゃぐちゃ。早く着替えて教室に戻りたい。
——それからその日が終わるまでわたしはずっと暗い気持ちのままいた。
朝の天気はわたしの気持ちとは正反対。晴天で、雲は一つもなかった。
「はぁ……」
山口さんたちのああいう嫌がらせは、これで終わったと思うとやってきた。今日もされるんだろうな。そう思うと今まで嫌だった学校だけど、もっと嫌になってきて、今日の朝なんかは起きたらお腹がとても痛かった。
お母さんに心配かけてはいけないし、実行委員の係もあるし、しょうがなく学校に来なければいけない。校門の横には、寒々しくなってきた木が一本ぽつんと立っている。わたしと一緒だねと言ってあげたくなる。
二年C組の教室に続く廊下を歩いていると、その教室の前に見たことがある後ろ姿が見えた。もしかして、波多野?
「先輩、久しぶりです」
懐かしい声。やっぱり波多野だ。懐かしい顔が目の前にある。すごい会うのが久しぶりな気がする。もっと波多野と話したい、もっと波多野と話していたい。そんな気持ちが溢れ出てくる。安心して瞳から涙が溢れそうになる。でも……だめだ。波多野はわたしとは関わってはいけない。わたしとは関わらないほうがいい。波多野まで山口さんたちにいじめられてしまう。
「……もう話しかけないで」
グッと気持ちを堪えて出した声は、掠れていた。
「あ、もしかして前のことまだ気にしてるんですか?」
「ちがう、そう言う事じゃなくて……。」
「そのことなら、これからは先輩と無理に一緒に帰ろうとしないんで、安心してください。」
波多野は病み上がりだからか、少し顔を曇らせながら言う。
「……。」
本当に違う。わたしは波多野にこんな顔をさせたいんじゃない。
「じゃあ、また放課後」
そう言うと波多野はわたしに背を向けて、自分の教室に戻って行った。
その日も六限目の最後の授業時間に体育はあった。今日は晴れていたからサッカーを校庭でやった。サッカーボールを体に当てられ、一人でボールを片付けなければいけないのかも、と予想していろいろ考えていたが、何もされなかった。拍子抜けしてしまったが、されなくてよかったと思っていた。けど、今度は授業の終わりにわたしが先生に指名されて、一人で片付けをする羽目になった。自分でも惨めな気分になりながらボールを片付ける。さすがに運が悪すぎない。2回連続でボール片付けをしなくてはいけないなんてり体育館より校庭は広いから、前より大変。でも、山口さんたちがいないからボールを投げられたり悪口を言っている所をみたりしないですんだ。そもそも、先生は気づかないわけ?わたしがこんな事をされてるの。ようやく終わって更衣室に戻ると、誰も居ない。そりゃそうか、みんな教室に戻ってるよね。そう思いながら、自分の服を置いておいたと思われる棚に行くと、わたしの服がなかった。周りを見たけど、ない。更衣室全部の棚を見渡したが、やっぱりわたしの服がなかった。他の人の忘れ物は置いてあるのに。また、山口さんたちか。ここまでくると、面倒くさくなってくる。……どうしよう。もう体育着のまま教室戻るしかないよね。絶対目立つし、先生になにか言われる。でも、時間的にももう戻らないといけない。もういいや!このまま行こう。ダッシュで二年C組まで向かう。ガラッ。ドアを開けると、まだ帰りの挨拶はしていなかった。周りの目線を感じながらも急いで席に着く。それと同時に、
「さようなら!」
学級委員の号令がかかってみんなが教室から出る。早く挨拶が終わったからか、先生からは何も言われずに済んだ。……山口さんに服の場所がどこか聞かないと。
「山口さん、わたしの服どこ?」
「え、塩野さんの服?そんなの知らないよ?」
嘘か本当かわからない。嘘だとしたら、これ以上深掘りしても、服は返してくれないだろう。
「そっか」
実行委員、行かないと。しょうがないから、体育着で行くか。周りが制服の中、体育着で目立ちながら会議室へ向かう。
そういえば、今日波多野来てたから、実行委員も来るよね。前みたいに話すのかな?話せるのかな?しかも、こんな格好で。少し笑いそうになる。会議室の前まで来ると、ちょうど波多野が立っていた。
「波多野!」
「あ、先輩。ん?なんで体育着なんですか?」
やっぱりそう言われるよね。
「ちょっと、服どっかやっちゃってね」
山口さんに隠されたかもってことは言わないでおく。
「え!やばくないですか?服無くしたとかそんな事あります?今すぐ探しにいきましょう!」
あ、波多野はこう言うやつだったっけ。思い出してちょっと笑っちゃう。
「あ!笑った!」
「え?」
いきなり大声で変な事をいうから驚く。
「先輩、朝会った時すごい険しい顔してたんですよ。だから、先輩の笑った顔が見れて良かったです。」
そう言って顔をほこらばせる。その顔と、言葉。なぜか波多野のそれでわたしに重くのしかかっていたものが軽くなった。同時に目からポロっと涙が溢れてしまう。
「……っ」
「え!?どうしたんですか!?」
やばい。涙が止まらない。早く止まって!、そう思ってるのに止まる気配がない。波多野を驚かせちゃってる。泣き止んで、わたし。
「一旦、体育館にいきましょう」
他の実行委員の人が来るかもしれないから、わたしを体育館まで連れて行ってくれる。
前のバスケの授業の時に座ったベンチに、二人して腰掛ける。
「…うっ……っ」
泣き止まないわたしの隣にいてくれる波多野。こんなわたしのせいで波多野に迷惑をかけてる。これ以上波多野に迷惑をかけちゃダメだ。そう思ってわたしが一番最初に発した言葉は
「ごめん」
だった。
「なにがですか?先輩が、謝ることはないです。俺がただここにいたくているだけですから。」
隣にいる頼もしい波多野。わたしが欲しかった言葉をどんどんくれる。自分のためにしてくれる事って貴重なことなんだと実感する。
たぶん、波多野は勘づいてる。わたしがなんで泣いてるのか、波多野が休んでる間なにがあったのか。そう思った瞬間、わたしの今までの事を波多野に話したい、そう思った。
「波多野。ちょっと話したい事があるんだけど言ってもいい?」
泣き止んだわたしがそう言うのを聞いて波多野は、
「はい、俺でよければ」
と言ってくれた。
わたしはその言葉に安心して、波多野が休んでいる間の、山口さんたちとの事を話した。途中、つっかえたところがあったけど、波多野はわたしの話に耳を傾けて聞いてくれた。
「つらかったよね」
服を隠されたかもしれないところまで話した後、波多野はそう言ってくれた。自分までもがわたしの経験をしたかのような表情だった。
「……」
「もし、それを俺がされてたら……、耐えられない。先輩はすごいよ。本当にすごい。ここまで我慢して、俺に言ってくれて、ありがとう。」
「……こっちこそ、ありがとう。」
わたしの話を聞いてくれて、そんな優しい言葉をくれて。
しばらくそこでわたしたちは、無言で座っていた。何かをしていたわけでもなく、ただ座っていた。その時間はわたしの今までの気持ちを浄化してくれた気がした。
「今日は実行委員、サボりましょう!」
「いいの?」
「はい、たぶん大丈夫ですよ。先輩、俺が休んでる間も行きましたか?」
波多野がベンチから立ち上がる。
「うん、行ったけど、波多野はダメじゃない?ずっと休んでたんだし」
「……俺を一人で行かせる気ですか?」
「いや、ずっと行ってないなら行った方が良いんじゃないかなって」
「俺は先輩と帰るんで。ほら帰りましょう」
波多野はそう言うと、まだ座っているわたしに手を差し伸べてくれる。せっかく手を貸してくれてるのに、断るのはいけないと思い、つい自分の手を波多野の手にのせて握ってしまった。でも、波多野の手は温かくて大きくて、……安心してしまう心地よさだった。

