2学期になってからも吉良先輩と俺は、毎日連絡を取り合っていた。

吉良先輩が「おはよう」と朝に送ってきて、夜は先輩が先に寝落ちる。

連絡を取り始めて2か月ちょっと続いていると、吉良先輩が自分の日常の一部になり始めていた。

それに、吉良先輩は校内で俺を見つけると声をかけてくるし、放課後は一緒に帰るために下駄箱で俺を待っている。

記憶は定かじゃないけど、一緒に帰るようになったのは、帰り道に偶然会うことが多くて、何度も遭遇しているうちに帰る方向も一緒だし、時間が会う日は一緒に帰ろうって話になったからだったと思う。

俺もその日の授業で分からなかったことは先輩に聞いて解決できるし、帰り道も暇じゃなくなるし丁度いいかくらいに思っていた。

一緒に帰る日が増えていくうちに、電車を降りて1人になると、ほんのちょっとだけ寂しさを感じるようになった。


 そんな日々を続けているうちに、制服を夏服と冬服のどちらを着るか悩む季節になっていた。

「おーい!」

昼休み中に校舎の外を歩いていると、校舎の高いところから聞き慣れた声がした。

近くにいた女子たちが「吉良先輩だっ」とか「あ、先輩じゃん」と、驚きと淡い期待を含んだ声を出して上を向く。

「千秋ちゃーん?」

名前を呼ばれて見上げると、やはり吉良先輩で、先輩は2階の廊下の窓から手をひらひらと振っている。

「千秋ちゃん。僕なぁ、今日帰り寄りたいところあるからデートがてら一緒に行こな〜」

吉良先輩のデートという言葉に一瞬、心臓の音が大きく跳ねた。

「え……ちょっと……」

一斉に俺の方へ向いた女子たちの視線を感じて返事に詰まる。

そんな俺を見た吉良先輩は「あはは〜」と楽しそうに笑っている。

(なんでこんな所でデートなんて言ったんだよ!)

そう思っていると、なぜかバクバクと居心地の悪い胸の音がしてくる。

「ほな、また後で〜」

ケラケラと笑った先輩は、俺の返事も聞かずにどこかへ行ってしまった。

「ちょっと!!有元くん?」

辺りにいた女子たちが急に俺に大きな声で詰め寄ってきた。

「吉良先輩とデートってなに!付き合ってるの?」

「付き合ってない……です」

女子たちの勢いに押されて、ボソボソと返事をする。

たとえ付き合っていたとしても、正直に言える圧じゃない。

「ほんと?」

「本当です」

「はぁー、良かった」

俺の返事を聞いた女子たちは、急に安堵の声を上げた。

急いで「昼からの授業に行かないといけないから」と言って、その場を急いで離れたが、放課後になるまでの間、昼休みの出来事を知ったクラスの女子たちからも男子たちからも質問攻めにあった。

仲良くなったきっかけは何か、どうやって吉良先輩との仲を深められるのか、みんな先輩への興味は尽きないようだった。

俺はそのとき改めて、吉良先輩は本当にいろんな意味で有名だなと感じた。


 その日の放課後、下駄箱に行くと吉良先輩は約束通り待っていた。

吉良先輩は誰かに喋りかけられていたのに、俺を見るとすぐに切り上げて俺の方へやってきた。

俺も急いで靴を履き替えて、隣に来た先輩に「お疲れさまです」と挨拶をした。

 校門を出て、いつもの帰り先輩が車道側、俺が歩道側を歩く。

「今日なぁ、本屋寄りたいから付き合ってなぁー」

「良いですよ。昼休みに言ってた寄りたいとこって本屋ですか?」

「そうそう。買いたい本あるねん」

今日は先輩の好きな小説家の新刊が発売される日らしい。

はよ帰って読みたいわぁ、と言う先輩は、いつもより歩くスピードがちょっとだけ速い。

しばらく歩いていると、学校の最寄り駅に着いた。

「あ、なんか電車遅延してますね」

せっかく、いつも乗る電車よりも1本早い電車に乗れそうなのに、電車が事故の影響で20分ほど遅れている。

「ほんまやなぁ。人、めっちゃおるやん」

人口密度の高い駅のホームを見て、先輩は眉間に皺を寄せる。

普段はそれほど混まない駅だから、こんなに人が多いのは珍しい。

並ぶ列が合っているかわからないけど、俺たちも電車を待つ行列に並んだ。

「あ、そうだ。昼休みの後、先輩のせいで大変だったんですけど」

「なにがぁ?」

隣に立つ吉良先輩が白々しく首を傾げている。

「昼間!先輩が『デートしよなぁ』とか言うからっ」

目を細めて、先輩をじろっと見上げる。

「そうやっけ?」

「そうですよ!先輩のせいで、いろんな人から質問攻めされたんだから。ほんとにもう」

ふんっと鼻から息を吐いて、口を尖らせる。

「まぁ、でも。こんな感じだったら先輩のクリスマスは色んな人から誘われて、誰かと過ごすんだろうなぁ」

ふと、クリスマスイベント前にいろんな人からデートの誘いやら、告白やらをされている先輩を想像した。

それと同時に、吉良先輩は誰と過ごすのだろうともぼんやり思った。

「え?……そんなわけないやろ?」

呆れたような、苛立ったような声色で返事をした吉良先輩が俺の方を向く。

なんだか急に吉良先輩の雰囲気が変わった気がした。

「……っ、いやいや、絶対そうですって。みんな目ギラギラさせますよ。ははっ」

猛獣にでも睨まれたかのような気分になったが、俺は気のせいかと思って、笑いながら言い返す。

「……ふーん。千秋ちゃんはそれでもええの?僕、千秋ちゃんと過ごしたいけどぉ?」

声は低いままだが、さっきよりは柔らかい声になった吉良先輩がそう言って、俺にもたれかかってくる。

「重っ。いや、俺も先輩と過ごしたら楽しそうだなとは思いますけど……あっ」

返事をしていると、20分遅れていた電車がやって来るのが見えた。

「あ、電車来ましたよ」

会話の内容に耐えられなくて、わざと話を逸らした。

デートとか、クリスマスとか、恋人っぽい言葉を吉良先輩に出されると、胸がドキっとして落ち着かない。

なんて返すのが合っているのか、自分の気持ちへの正解も、吉良先輩との会話への正解もわからなくなる。

そんな俺の様子を見ながら、吉良先輩は「ふーん」とわざとらしく不満そうな返事をした。

 到着した電車は、降りる人も少なくて、すでに人でギュウギュウだった。

吉良先輩と俺は、その満員電車に無理やり乗り込む。

先に電車に乗った先輩が、俺の腕をグイッと引っ張った。

「うわっ」

引っ張られ、吉良先輩のわずかな足元の隙間に足を入れ、体勢を保とうと先輩の制服を掴む。

(あぶなっ)

電車に乗れた瞬間、プシューっと電車のドアが閉まった。

背中側にあるドアにもたれて、ふぅ、と一息ついた。

「僕の制服ギュッとしてる千秋ちゃんもかわええなぁ」

先輩に言われて、先輩の制服に意識を向けると、片手を吉良先輩のブレザーの胸元を握っていた。

それに、よく見ると吉良先輩と真正面から抱き合うような体勢になっている。

「え、あ……すみません」

慌てて謝り、ブレザーから手を離そうとする。

「ええよ。そのまま握っててくれて。動けんやろうし」

密着した先輩の声が耳元で聞こえる。

声の大きさを抑えているからか、声がいつもより静かで低い。

「はい……」

俺は先輩の言う通り、制服を軽く握ったままにした。

とはいえ、吉良先輩に抱きしめられているような体勢でいると、どんどん緊張してくる。

「なぁ。千秋ちゃん」

俺の名前を呼ぶ先輩の声が近い。

こんな至近距離にいる先輩に慣れないからか、心臓の音が徐々に加速し、大きくなってくる。

「はい」

「僕、千秋ちゃんのこと好きやねんけど、知ってるやんなぁ?」

吉良先輩が俺の耳元で静かに、ゆっくりと喋る。

身体に侵入してくる先輩の声は、全身を駆けめぐる。

「えっ、あ……知ってます」

ボソボソっと顔を上げずに返事をした。

「じゃあ千秋ちゃんは?」

一瞬、首筋がゾワっとした。

「す、好きです。俺も」

吉良先輩の質問に急いで答える。

「でも、僕の好きってこういう好きやねんけど、わかってる?」

そう言った吉良先輩は俺の腰に手を回し、グイッと引き寄せた。

「う……わ……」

吉良先輩とペタリと身体がくっつくと、先輩の呼吸や体温、甘めの柔軟剤の匂いが伝わってくる。

「手ぇ、開いてみて」

言われた通りに先輩の胸元を握っていた片手を開く。

「僕の胸の音」

手のひらにじんわりと先輩の体温と先輩の心臓の音が伝わってくる。

(速くて、大きい音……)

自分と同じくらい速く、大きい鼓動を感じる。

手のひらと身体全体で吉良先輩を感じていると、先輩が俺の頭に頬を寄せた。

「なぁ。こうされんの嫌?」

先輩の質問にドキっとした。

この質問に答えると何かが変わってしまう気がした。

「嫌じゃ……ないです」

素直に答える。

むしろ、もっとこうしていたい、とさえ思っている。

(やばい……だめだ)

自分が吉良先輩に感じているちょっと特別な好きの正体に気づいてしまった。

森田やクラスメイトたちへの好きの中に、ちょっとだけ憧れが混じった好きだったはずなのに。

この特別な好きには憧れ以外のものも混ざっている。

(好きに……なりたくない)

好きだなんて気がつきたくなかった。

ただの成績が良い普通の男子高校生でなくなるのが怖い。

兄みたいに他人にどう思われても良いからと、堂々と彼氏との関係を伝える勇気は俺にはない。

「千秋ちゃん?」

俺が黙ったままだったからか、心配そうな先輩の声がする。

顔を上げたいけど、今の俺はとんでもなく締まりのない顔になってるだろうから上げられない。

『〜駅。〜駅。お降りの方は〜』

電車内にアナウンスが流れる。

「千秋ちゃんの降りる駅、着いたで」

「はい……」

先輩が俺を抱きしめていた腕の力を弱める。

「先輩。あのっ、また明日……です」

俺は開いたドアから降りる前に、先輩の目を見て挨拶をした。

俺の顔を見た先輩は、一瞬驚いた表情を見せてから、いつものように俺の頭をぐしゃぐしゃっと雑に撫でた。

「はははっ。ええ子やなぁ。ほな、また明日」

「はい……」

電車のドアが閉まり、窓からヒラヒラと手を振る先輩を見送る。

顔が熱くて、胸からドキドキと大きな音がする。

吉良先輩と離れたはずなのに、撫でられた頭も支えられていた腰も、先輩に囁かれた耳も、身体中に吉良先輩の痕跡が残っているようで、胸がキュっと甘く締め付けられるような苦しさを感じた。

 それから、家までの道も、夕食も、風呂の時間もずっと吉良先輩との電車での出来事が頭から離れなかった。

違うことを考えようとすればするほど頭に浮かぶ。

その度に、吉良先輩のことを好きになりたくないのに、と何度も何度も思った。