ふたりの勉強会は、夏休みが終わるまでずっと続いていた。

ずっと喫茶店で勉強するわけにはいかないから、吉良先輩の家に行ったり、図書館に行ったりして勉強した。

それに、勉強会の回数を重ねる度に、ぼんやりとしていた吉良先輩の人物像が輪郭を伴ってくるような感覚があった。

苦いコーヒーが飲めないこと。

連絡を返すのが遅いと、メッセージとかスタンプが追加で送ってくること。

たぶん、先輩の方が寝るのが早くて、いつも朝に『おはよう』と言ってくること。

雷が怖いわけじゃないけど、大きな音で驚いてしまうから嫌いなこと。

会う度に更新される吉良先輩の情報は、どれも俺と同じ人間だなと感じさせるものばかりだった。

それに、まったりとクイズを楽しむかのように勉強をする先輩の余裕さに憧れた。

 
 2学期になり、久しぶりに学校へ登校すると制服姿の吉良先輩が俺のクラスの下駄箱にいた。

3年生が2年の下駄箱の前に立っていたからか、チラチラと通りすぎる人たちが不思議そうに見ていた。

「あ、千秋ちゃんやっと来たぁ。おはよ〜」

のんびりというか、まったりとした挨拶をしてくる先輩は、俺のクラスの下駄箱の前に立っていた。

制服姿の吉良先輩を見るとずっと私服というか、スウェット姿で会っていたから不思議な気持ちになる。

「おはようございます。……なんで、俺のクラスの下駄箱にいるんですか?」

「ん?それは2学期最初の登校日なんやから、かわいい千秋ちゃんの制服姿拝んどきたいやん?」

吉良先輩が俺の質問に疑問符をつけた喋り方で返事をした。

「ふっ。どんな理由ですか、それ」

「ついでに、これ。飴ちゃんあげるわぁ」

どうぞ、と差し出された飴玉を見ると、ミント味だった。

「いや、いらないですよ。俺、ミント味あんまり得意じゃないんで」

そう言って先輩の手をグイッと押し戻した。

「なんでよ。僕せっかく、眠気覚ましになるかと思って千秋ちゃんに買ってきたのに」

吉良先輩が俺に押し戻された手を、さらに強く押し返してくる。

「力強すぎでしょ」

「そんなことないでっ」

「はぁ。もういいや。もらっときます」

「お、えらいえらい。これ、誰からもろたんって言われたら吉良先輩からって、ちゃんと言うんやで」

またいつものように頭をぐしゃぐしゃと撫でてくる。

「はいはい。わかりましたよ。先輩も寝ないようにね」

「はぁい。じゃあ、また放課後になぁ〜」

バイバイ、と手を振りながら、吉良先輩は歩いていった。

「はぁ。また髪の毛ぐしゃぐしゃにして行ったな、あの人」

文句を言いながら、もらったミント味の飴をズボンのポケットに入れて、ボサボサになった髪の毛を直す。

「千秋!」

教室に向かって歩き出した瞬間に、後ろから名前を呼ばれた。

「あ、おはよ」

俺に声をかけたのはクラスメイトの森田だった。

バスケ部の森田とは去年から同じクラスで、運動部と帰宅部だけど結構話が合う。

「おはよ、じゃないだろ。お前いつの間に吉良先輩と仲良くなってんだよ」

森田が俺の肩をがしっと掴んで、早口で喋りかけてくる。

「え、いつって。……1学期の終わり?」

「終わりって。お前……。もしかして、吉良先輩とそういう仲だったりする?」

森田が恐る恐る尋ねてきた。

「そういう仲?そんなんじゃないけど。んー、なんだろ?」

俺と吉良先輩の関係は何と説明すれば良いのだろうか。

一応、先輩と後輩であり、頼もしい友人のような居心地の良い存在でもある。

夏休み前に告白めいたこともされたけど、あれからぐいぐい好きとか付き合ってと言われないから、その辺りはわからない。

「えっ、悩む関係?付き合ってんのか?」

「は?そんなわけないだろ」

「いや、だってさ。普通、あんなナチュラルに可愛いって言われて頭撫でられることあるか?」

森田の言葉にハッとした。

吉良先輩は会う度に可愛いと言って、何かあればすぐに頭をぐしゃぐしゃと撫でてくるから、俺は先輩のその行動にすっかり慣れてしまっていた。

「でも、そんな深い意味はないって」

自分に言い聞かせるように森田に返す。

「ほんと、あの先輩に遊ばれて終わらないように気をつけろよ」

「わかってるよ。大丈夫だって!」

「どうだかなぁ。なんか千秋、チョロそうだしなぁ」

森田が、はぁ、とため息をつく。

「部活の先輩がさ、吉良先輩と同じクラスでさ。あの人っていろいろ噂されるじゃん。その中のさ、『いろんな人をとっかえひっかえして付き合ってる』って噂は本当らしいよ」

森田が、吉良先輩の噂話を話し始める。

「別れても1週間くらいで誰かと付き合ってる。だから、もし千秋が本気で吉良先輩のことが好きになったら、感覚が合わねーんじゃないかなって……思う。千秋が遊びのつもりならいいけど、本気で仲良くならない方がいいんじゃないかって」

俺を真っ直ぐ見て話す森田を見ていると、本当に俺のことを心配で言ってくれているのだと伝わってくる。

「ありがとな。でも、大丈夫だって」

「でもっ、吉良先輩と前に付き合ってた人は『吉良のことを好きになっても、同じ好きが返ってくることはない』って言ってたよ」

森田が珍しく食い下がってくる。

「吉良先輩ってさ、勉強もできるし、かっこいいし、みんな憧れるじゃん。でもさ、そんな噂聞いてたら千秋が仲良くなるの大丈夫かなって思うだろ。吉良先輩は絶対おもしろがって、千秋にちょっかいかけてるだけだって」

「大丈夫だって。俺は吉良先輩と一緒にいて、そんな噂話の人みたいには感じたことないよ。それに、先輩のことは好きだけど、お前のことも十分好きだよ」

「もう、なんだよ。人がせっかく心配してやってるのにさぁ」

俺の返事を聞いた森田が、廊下の天井を見上げてげんなりしている。

俺は、森田のことも吉良先輩のことも人間として好きだ。

だけど、吉良先輩に特別惹かれる人の気持ちもわかる。

俺も吉良先輩と話したり、勉強をしたりしていると、ワクワクして自然と笑顔になってくる。

ずっとくだらない冗談を言い合っていたいと思えるし、もっと先輩のことを知りたいって気持ちにもなる。

でも、吉良先輩に感じるちょっと特別な好きは、勉強ができる先輩に対する憧れが含まれているからだと思う。

「まぁ、いいや。お子ちゃまの千秋にはまだ早い話題だったな。朝からごめんな、千秋坊ちゃん」

森田が茶化すように謝った。

「誰が坊ちゃんだよ」

「ははっ。でも、まぁなんかあったら言えよ!相談乗るから」

「はいはい。ありがとな」

俺は感謝の言葉を述べ、ふたりで夏休み明けの教室へ入った。