「加瀬と長谷サンって、超仲良しだったんだな」
「え?」
教室に着いた途端、僕は前田に声を掛けられて驚いた。前田は、ちょいちょいと僕に耳を貸すよう手招きする。
「今日、一緒に登校してただろ?」
「一緒に登校……」
まさか「待ち伏せ」みたいなことをされていたなんて言えない。僕は曖昧に頷いて席に着いた。前田もそれに続き、声のボリュームを落として言う。
「気を付けろよ。奴に関わると危険だ」
「危険って……」
別に僕は長谷にパシリにされたりカツアゲされているわけではない。友達……なんだと思う。なんか変な感じはするけど、お昼友達とでも言うのかな。
「平気だよ。別に長谷は怖い奴じゃないし」
「馬鹿。そうじゃない」
前田は息を吐く。
「お前は話し掛けやすい雰囲気だから……女子にきっかけ作りに利用されるぞ?」
「きっかけ作り?」
「たとえば……ラブレターを長谷サンに渡してー、とか。手作りのお菓子を渡してー、とか」
「まさか」
僕は吹き出す。
「そんなの、自分で渡せば良いじゃないか」
「それが出来ない、淡い乙女心ってのがあるんだよ」
「乙女心」
僕はその言葉を口の中で転がした。良く分からないな。自分が書いたり作ったりしたものなら、堂々と本人に渡せば良いのに。
「なんで前田は乙女心に詳しいのさ?」
「それはお前……俺の人生のバイブルは少女漫画だから」
「少女漫画?」
意外だった。確か前田は野球部だと言っていた。髪を短く刈った、スポーツをしています、といった見た目の前田が少女漫画を読んでいるなんて驚きだ。
僕の考えが顔に出ていたのだろう。前田が慌てて「違う、違う!」と大声で言う。
「妹の漫画を借りて読んでるだけ! 自分では、恥ずかしくて買えんよ」
「妹さんが居るんだね」
「そう。モテない俺を心配して、乙女心を知れば良いと漫画を貸してくれるような優しい妹だ。誰にも嫁にやらんぞ」
「あはは……」
仲良しの兄妹って良いな。なんだか微笑ましい気持ちになる。ひとりっ子の僕は、誰に乙女心を教えてもらえば良いのだろう。たとえば……長谷とか? なんとなく。詳しそうだと思った。モテそうだし。
「……長谷って、人気なんでしょ?」
「うん?」
「あ、いや……」
僕はもごもごと言葉を紡ぐ。
「前に言ってだでしょ? 年上ブームがどうのこうのって……」
「ああ、モテている! 奴は我々の敵だ!」
「敵って、大袈裟な……」
「てか、お前ら仲良しじゃん? 紹介とかしてもらえないの?」
「紹介?」
「そう。女子の紹介」
ずきん、と何故だか胸が痛んだ。
別に、女子を長谷から紹介してなんか欲しくない。それに……長谷の知り合いの女子なんて、知りたくない。
——なんだか、もやもやする……。
どうして、こんな気持ちになるのだろう。分からない。自分の心のことなのに、まったく理解出来ない……。
ホームルームを告げるチャイムが教室に響き渡る。僕はふう、と息を吐いた。あ、進路のプリント、書かなきゃ……。
そういえば、長谷は高校を卒業したら、どんな進路を進むのだろう。変なの。出会ってまだ間も無いのに、こんなことが気になるなんて。ああ、変なの……。
「起立!」
日直の声。
いつもの朝。
長谷に会えるのは昼休み……。
さっき話したばかりなのに、何故だか長谷の声が聞きたくなった。
早く、昼休みにならないかな。
ホームルームの内容が頭にまったく入らないまま、朝の時間はのろのろと過ぎていった。
***
昼休みを告げるチャイムが鳴ったのと同時に、僕はランチトートを片手に教室を飛び出した。
午前中の授業は散々だった。
内容が頭に入らず、答えを先生に求められても、ちゃんと反応が出来なかった……もう最悪。でも、きっと長谷に会えば全部解決する。そんな思いを胸に僕は隣の教室を覗く。前田の情報によると、長谷とはなんと教室が隣同士だとのことだ。世界は狭い。
——長谷……。
僕は遠慮がちに窓に近付く。長谷は、すぐに見つかった。目立つ金髪が気怠そうに揺れている。
「なが……」
僕が声を出そうとした瞬間、長谷の前の席の女子が「長谷君!」と声を掛けたので、僕は思わず口を噤んだ。長い髪の、可愛い子だ。彼女は手に、ピンク色の袋を持っている。
「なーに?」
のんびりと長谷が答える。すると、女子は震える声で「これ!」と手の中の袋を長谷に差し出した。
プレゼント……?
さっき前田は、僕が伝達係になるだろうって言っていたけど、この子はちゃんと自分で渡す勇気があるんだ。すごいなぁ。
「クッキー! 焼いたの! 良かったら食べてくれない? 私、クッキング部で……」
「……あー。ごめんね?」
立ち上がりながら長谷が言う。
「俺、手作りのものって食べないから……佐野ちゃんの気持ちだけ受け取っても良いかな?」
「あ……そうなんだ。えっと……」
「可愛いクッキーありがとう。ご馳走さま」
そう言って長谷はこっち——教室の外に向かって歩いてくる。
ばちん。
目が合った。
瞬間、長谷は「加瀬!」と僕に向かって、ぶんぶんと手を振って来た。
僕は——屋上に向かって走った。とにかく、走った!
「え? 加瀬!?」
後ろから長谷の声がする。それに構わず、僕はダッシュで屋上に向かう。
だって、長谷は今、言った。
——俺、手作りのものって食べないから。
「……っ!」
なら、なんで、僕の作った弁当を食べたの!?
意味が分からない。無理してたってことなのか!? そんな思いしてまで、食べて欲しくない……!
屋上の扉のノブに手をかけた瞬間、僕は後ろから抱き締められた——長谷に。
彼はぜえぜえと息を吐きながら、僕の腰に回した手に力を入れる。
「待って! なんで逃げるの!?」
「……逃げてない」
そう言った僕に、長谷は呆れたように返してくる。
「逃げてるって……俺、なんかした?」
「してない」
「なら、なんで……」
「だって、さっき……」
僕は震える声で長谷に言った。
「手作りのものは食べないって言ってたから……」
「な……」
「ごめん。気が付かなくて。嫌だったでしょ? もう作らないから。もう、迷惑はかけないから……」
「待って加瀬! 迷惑だんて思って無い!」
「なら、なんでさっきクッキーを受け取らなかったの? おかしいよ……」
「あー……」
ぎゅう。
長谷の腕の力が益々強くなる。
「詳しいことは、外で話しても良い?」
「……」
僕は黙って頷いた。
ありがとう、と言った長谷の声は、少しだけ震えて聞こえた。
「え?」
教室に着いた途端、僕は前田に声を掛けられて驚いた。前田は、ちょいちょいと僕に耳を貸すよう手招きする。
「今日、一緒に登校してただろ?」
「一緒に登校……」
まさか「待ち伏せ」みたいなことをされていたなんて言えない。僕は曖昧に頷いて席に着いた。前田もそれに続き、声のボリュームを落として言う。
「気を付けろよ。奴に関わると危険だ」
「危険って……」
別に僕は長谷にパシリにされたりカツアゲされているわけではない。友達……なんだと思う。なんか変な感じはするけど、お昼友達とでも言うのかな。
「平気だよ。別に長谷は怖い奴じゃないし」
「馬鹿。そうじゃない」
前田は息を吐く。
「お前は話し掛けやすい雰囲気だから……女子にきっかけ作りに利用されるぞ?」
「きっかけ作り?」
「たとえば……ラブレターを長谷サンに渡してー、とか。手作りのお菓子を渡してー、とか」
「まさか」
僕は吹き出す。
「そんなの、自分で渡せば良いじゃないか」
「それが出来ない、淡い乙女心ってのがあるんだよ」
「乙女心」
僕はその言葉を口の中で転がした。良く分からないな。自分が書いたり作ったりしたものなら、堂々と本人に渡せば良いのに。
「なんで前田は乙女心に詳しいのさ?」
「それはお前……俺の人生のバイブルは少女漫画だから」
「少女漫画?」
意外だった。確か前田は野球部だと言っていた。髪を短く刈った、スポーツをしています、といった見た目の前田が少女漫画を読んでいるなんて驚きだ。
僕の考えが顔に出ていたのだろう。前田が慌てて「違う、違う!」と大声で言う。
「妹の漫画を借りて読んでるだけ! 自分では、恥ずかしくて買えんよ」
「妹さんが居るんだね」
「そう。モテない俺を心配して、乙女心を知れば良いと漫画を貸してくれるような優しい妹だ。誰にも嫁にやらんぞ」
「あはは……」
仲良しの兄妹って良いな。なんだか微笑ましい気持ちになる。ひとりっ子の僕は、誰に乙女心を教えてもらえば良いのだろう。たとえば……長谷とか? なんとなく。詳しそうだと思った。モテそうだし。
「……長谷って、人気なんでしょ?」
「うん?」
「あ、いや……」
僕はもごもごと言葉を紡ぐ。
「前に言ってだでしょ? 年上ブームがどうのこうのって……」
「ああ、モテている! 奴は我々の敵だ!」
「敵って、大袈裟な……」
「てか、お前ら仲良しじゃん? 紹介とかしてもらえないの?」
「紹介?」
「そう。女子の紹介」
ずきん、と何故だか胸が痛んだ。
別に、女子を長谷から紹介してなんか欲しくない。それに……長谷の知り合いの女子なんて、知りたくない。
——なんだか、もやもやする……。
どうして、こんな気持ちになるのだろう。分からない。自分の心のことなのに、まったく理解出来ない……。
ホームルームを告げるチャイムが教室に響き渡る。僕はふう、と息を吐いた。あ、進路のプリント、書かなきゃ……。
そういえば、長谷は高校を卒業したら、どんな進路を進むのだろう。変なの。出会ってまだ間も無いのに、こんなことが気になるなんて。ああ、変なの……。
「起立!」
日直の声。
いつもの朝。
長谷に会えるのは昼休み……。
さっき話したばかりなのに、何故だか長谷の声が聞きたくなった。
早く、昼休みにならないかな。
ホームルームの内容が頭にまったく入らないまま、朝の時間はのろのろと過ぎていった。
***
昼休みを告げるチャイムが鳴ったのと同時に、僕はランチトートを片手に教室を飛び出した。
午前中の授業は散々だった。
内容が頭に入らず、答えを先生に求められても、ちゃんと反応が出来なかった……もう最悪。でも、きっと長谷に会えば全部解決する。そんな思いを胸に僕は隣の教室を覗く。前田の情報によると、長谷とはなんと教室が隣同士だとのことだ。世界は狭い。
——長谷……。
僕は遠慮がちに窓に近付く。長谷は、すぐに見つかった。目立つ金髪が気怠そうに揺れている。
「なが……」
僕が声を出そうとした瞬間、長谷の前の席の女子が「長谷君!」と声を掛けたので、僕は思わず口を噤んだ。長い髪の、可愛い子だ。彼女は手に、ピンク色の袋を持っている。
「なーに?」
のんびりと長谷が答える。すると、女子は震える声で「これ!」と手の中の袋を長谷に差し出した。
プレゼント……?
さっき前田は、僕が伝達係になるだろうって言っていたけど、この子はちゃんと自分で渡す勇気があるんだ。すごいなぁ。
「クッキー! 焼いたの! 良かったら食べてくれない? 私、クッキング部で……」
「……あー。ごめんね?」
立ち上がりながら長谷が言う。
「俺、手作りのものって食べないから……佐野ちゃんの気持ちだけ受け取っても良いかな?」
「あ……そうなんだ。えっと……」
「可愛いクッキーありがとう。ご馳走さま」
そう言って長谷はこっち——教室の外に向かって歩いてくる。
ばちん。
目が合った。
瞬間、長谷は「加瀬!」と僕に向かって、ぶんぶんと手を振って来た。
僕は——屋上に向かって走った。とにかく、走った!
「え? 加瀬!?」
後ろから長谷の声がする。それに構わず、僕はダッシュで屋上に向かう。
だって、長谷は今、言った。
——俺、手作りのものって食べないから。
「……っ!」
なら、なんで、僕の作った弁当を食べたの!?
意味が分からない。無理してたってことなのか!? そんな思いしてまで、食べて欲しくない……!
屋上の扉のノブに手をかけた瞬間、僕は後ろから抱き締められた——長谷に。
彼はぜえぜえと息を吐きながら、僕の腰に回した手に力を入れる。
「待って! なんで逃げるの!?」
「……逃げてない」
そう言った僕に、長谷は呆れたように返してくる。
「逃げてるって……俺、なんかした?」
「してない」
「なら、なんで……」
「だって、さっき……」
僕は震える声で長谷に言った。
「手作りのものは食べないって言ってたから……」
「な……」
「ごめん。気が付かなくて。嫌だったでしょ? もう作らないから。もう、迷惑はかけないから……」
「待って加瀬! 迷惑だんて思って無い!」
「なら、なんでさっきクッキーを受け取らなかったの? おかしいよ……」
「あー……」
ぎゅう。
長谷の腕の力が益々強くなる。
「詳しいことは、外で話しても良い?」
「……」
僕は黙って頷いた。
ありがとう、と言った長谷の声は、少しだけ震えて聞こえた。



