怪異探偵№99の都市伝説事件簿

 この物語の主人公、九十九卯魅花(つくもうみか)は、怪異専門の探偵である。

 年は三十歳。
 身長が高く、背中まで髪を伸ばしている。
 
 彼女は、怪異が関係していると思われる事件を、彼女自身の特異能力によって解決していた。
 
 九十九卯魅花は鼻が効く。
 怪異の原因となる人外を臭いで感じ取れるのだ。
 だから、ある程度の距離なら大体の居場所もわかる。
 
 九十九卯魅花は物に魂を宿すことが出来る。
 どんな物体でも、付喪神(つくもがみ)にして、自分の頼れる仲間に出来るのだ。
 
 そして、九十九卯魅花は、過去に神隠しにあっている。
 翌日発見されたが、恐怖で彼女の髪は白く染まっていた。
 その時から、ずっと彼女の髪は白髪である。

 東京都杉並区高円寺。
 とある小説で有名になった賑やかな商店街のいっかくにある九十九探偵事務所が、彼女の仕事場である。
 ここで彼女は助手の鷹野サキとともに、怪異の事件に巻き込まれた依頼人を待ち受けているのだ。
 
 サキは童顔で身体が小さい。
 ショートボブの髪型も相まって、よく中学生と間違えられているが、年は二十七歳、アラサーである。

◇◇◇

 ある日、九十九探偵事務所に一人の女性が依頼を持ちかけてきた。
 彼女は、二宮春花(にのみやはるか)と名乗った。

 春花は年はまだ二十歳だというが、落ち着いていて、年齢以上に大人びた雰囲気をしていた。
 
「どうぞ、おかけになってください」
 
 探偵で所長の九十九卯魅花は、依頼人の春花を応接室のソファへと座らせた。
 
「失礼します。お飲み物をお持ちしました」

 九十九の助手の鷹野サキが、二人の前にコーヒーを置いた。

「ありがとうございます」

 春花はサキに軽く頭を下げた。
 
「それでは、今回ご依頼の件についてを詳しくお話を伺いたいのですが……」

「ええ、電話でお話ししたとおり、私には十六歳の、高校生の妹がいます。ですが、妹は今、この東京のどこかの駅から出られなくなってしまって、私に助けを求めてきているんです。でも、どの駅にいるのかがわからなくて、私その、助けようがなくて、困ってしまいまして……」
 
 春花は、妹の二宮百華(にのみやももか)が駅から出られなくなっているのは、怪異の仕業ではないかと考えた。
 そこで彼女は、インターネットで怪異を専門に担当しているという九十九探偵事務所を探し当て、妹の救出を依頼しにきたのだった。

「妹さんとは、電話やメールなどでやりとりをされているのですか?」

「いいえ、信じられないかもしれませんが、私と妹の百華には、二人だけの特別な連絡手段があるんです」
 
 春花と百華には特異能力がある。
 鏡を使うことで、お互いの姿を鏡に映し出し、スマートフォンのビデオ通話のように交信することが出来るのだ。
 
 百華は春花にSOSのメッセージを送り、必死に助けを求めていた。

「なるほど、鏡を使って交信ができるというわけですね」
 
「はい、どういう原理かはわかりませんが、小さな頃から私たちにだけできる能力なんです」
 
 春花は、九十九たちに小さな手鏡を見せた。

「私たちには、何かが映っているようには見えません。春花さんには、妹さんの姿が見えているんですね?」

「はい、私には今も……妹の百華の姿がはっきりと見えます」

 そう話すと、春花は不安そうな表情をしながら俯いてしまった。

「春花さん。あなたの能力は、我々が特異能力と呼んでいるものだと思います。実は私にも、特異能力がありましてね。怪異の臭いを感じ取ることができるんです。この仕事にも大分役に立っています」

「九十九さんにもそんな能力が……。私たちだけではなかったのですね」

「ええ。そして私の助手のサキにも、特異能力があります」

「サキ君、あれを」
 
 九十九はサキにチラリと目を送って合図をした。

「はーい」
 
 サキは頷くと、大きな東京都の地図を持ち出してきて、応接テーブルの上に広げた。
 そして、鎖に繋がれた宝石を取り出すと、地図の上にかかげた。

「私の助手のサキはダウジングという占いが得意なんです。私が知る限り、彼女が占いの結果を外したことがありません。これが彼女の特異能力です。ですので、今から彼女にこの地図を使って、妹さんに関係がありそうな駅を調べてもらいます」

 それまでのおっとりとした雰囲気から、急に真剣な表情へと変わったサキは、地図上の駅の上に、このダウジングペンデュラムと呼ばれている特殊な振り子をかざしていった。
 そして、ダウジングペンデュラムがU駅の上に来た時、振り子の先端の宝石がくるくると回転した。

「U駅で反応がありますね。春花さん、鏡で妹さんにそこがU駅かどうか、確認していただけますか?」

「わかりました。聞いてみます」
 
 春花は手鏡を取り出して、百華と交信を始めた。

「……妹は、ここはU駅ではないと話しています。私たちはU駅を何度も訪れたことがありますから、間違いありません」

「しかし、サキ君の占いは外れないはず。となると……そういうことか」

 九十九は、しばらく考え込んでから、春花に話しかけた。

「春花さん、今、妹さんがいるのは現実の駅ではなくて、幻の駅かもしれませんよ」

「幻の駅……、ですか?」

「ええ。春花さんは、インターネット上で有名になった、きさらぎ駅という話をご存じですか?」

「あの都市伝説のきさらぎ駅ですか?」

「そうです。私は、あなたの妹さんは現在きさらぎ駅のような幻の駅……、いや、異次元に存在する駅にいる可能性があると考えています」
 
 九十九は、この駅が都市伝説のきさらぎ駅のようなものではないかと考え、興味をひかれていた。

 きさらぎ駅とは、インターネット上の都市伝説となっている、謎の駅だ。
 場所は不明。
 異次元空間にあるとも言われており、一度迷い込むと二度と出ることは出来ないと言われている。
 何故か携帯電話の電波はつながるため、ここに迷い込んだ女性が、インターネット掲示板にこの駅の情報を書き込んだことで有名となった。

「ですが、私にはそのような駅が本当に存在するとは思えませんが……」

 春花は、不安そうな表情を崩さないまま、九十九に問いかけた。

「ダウジングでU駅に反応があったというのが気になるんです。実は最近、インターネット上で、とある噂を目にしましてね。U駅には、幻の十三番ホームがあって、そこからきさらぎ駅へと向かう電車が出ているというものです。あくまで噂かもしれませんが、私は怪異の調査も仕事にしていますので、そのうち調査に向かおうと思っていたんですよ」

 ここまで話してから、九十九はコーヒーに口をつけた。

 十三番ホームは、本来なら存在しないはずの停車口である。
 インターネットの情報では、U駅で、とある手順を踏むことで、この幻の十三番ホームに到達出来るとのことだった。

「では、私が責任を持ってこの依頼をお受けいたします。今、助手が契約書を持ってきますので、よく内容をお読みになってから、サインをお願いしますね」
 
 契約書にサインを終えた春花は、九十九たちに丁寧に頭を下げると、事務所から出て行った。

「さて、サキ君。面白そうな依頼が来たよ。早速調査に入ろうじゃないか」

「でも先生。きさらぎ駅に行く方法って、本当にあるんですか?」

「さあね? でも、何事も試してみないとわからないだろう? それじゃ、U駅に行ってみようか」

 九十九は、サキのお尻を叩いた。

「もう、先生は思い立ったらすぐ行動しないと気が済まないんですから。少しは休憩しましょうよー」

◇◇◇
 
 十四時を少し過ぎた頃、二人はU駅に到着した。

「先生、お昼のレディースランチ、おいしかったですねー」
 
「少しは機嫌が直ったみたいね」

「ふふ、お腹が減ってはなんとやらといいますからね。それで、きさらぎ駅に行く方法ってどうやるんですか?」

「私が調べてみたら、SNSでこの書き込みが拡散されていたんだ。見てごらん」

 九十九はサキにスマートフォンの画面を見せた。

 U駅の十三番ホームに行く方法
 1.十二番ホームに行く
 2.電車が来たら先頭にある銀色のドアに触れる
 3.四番ホーム、六番ホーム、二番ホーム、十番ホーム、八番ホームの順にホームに行く
 4.十二番ホームに戻り、一番近い場所にある多目的トイレに入る
 5.十三分後に多目的トイレから出ると、黒い山高帽を被った男が歩いてくるので、その男の後をついていく
 6.いつの間にか男がいなくなる。その場所が目的の十三番ホームである

「へえー。U駅の十三番ホーム、結構バズってますねー」

「これだけ閲覧回数があるってことは、実際に試した人も結構いると思うんだけど、何故か成功したって書き込みは見かけないんだよねえ。ま、でもやってみる価値はあるよ」

「私、先生と二人で多目的トイレに入るのは、ちょっと恥ずかしいんですけど……」

「ん? 何か問題あるの?」

「い、いえ……、なんでもありませーん」
 
(先生は昔から、周りの目とか、そういうの気にしないからなあ……。ま、それなら……)

 サキは九十九の手を握りしめた。

「うん? 急にどうした、サキ君?」
 
「えへへ、なんでもありませんよー」

 サキはニコニコしながら九十九の横を歩いていった。
 
 二人は手を繋いだまま、十二番ホームについた。
 そこから、きさらぎ駅にいく方法として書かれている手順をこなしていった。
 二人が多目的トイレから出てきた時、ホームの奥から黒い山高帽を被った男が歩いてきた。

「来ましたよ、先生……」

「静かに、まだ成功したと決まったわけじゃないよ」

 二人は、山高帽の男に気づかれないように、距離を取りながらゆっくりと後をつけていった。
 男は駅の構内を歩き回った後、階段を上ったり下りたりを繰り返していた。
 二人も、男を追って、階段の上り下りを繰り返した。

 そして、男は十二番ホームの方へ戻っていった……はずだった。

「あっ。先生、ここ、十二番ホームじゃありませんよー」

「ああ、それにいつの間にかあの男もいなくなっているね」

「ていうことは、ここが幻の十三番ホームですかー。やったー。先生、成功しましたよ。がんばって何度も階段上ったかいがありましたね」

「ああ、どうやらそのようだな」

 九十九の口元から自然と笑みがこぼれた。

 賑やかだった十二番ホームとは打って変わって、十三番ホームは人が一人もおらず、不気味なほどに静寂に包まれていた。

「先生、見てください。私のスマホが圏外になってます。さっきまでアンテナバッチリ立ってたのにー」

「うんうん。ここが異空間である証拠だね」

「そんなー。私、スマホ使えないのはちょっと困りますー」

「サキ君。君のスマホ依存症を治すにはちょうどいい機会じゃないか。我慢しなさい」

「そんなー」

「文句を言わないの。それじゃあ、電車が来るのを待とうか」

「はーい……」

 二人は静かに電車が来るのを待った。

 しばらくすると、電車が向かってくる音が聞こえた。

「電車が来るのにアナウンスも何も流れませんねー。やっぱり変です」

「だから、怪異なんだろう? ここが本物の十三番ホームだって証さ」

「なるほどー。それじゃあ、これから来るのは怪異の電車というわけですね」
 
 十両編成の電車が駅に到着した。
 相変わらずアナウンスは流れなかったが、ゆっくりとドアが開いた。

「緊張しますねー」

「サキ君、警戒を怠らないようにね」

「はーい」

 二人は、周囲を警戒しながら、静かに電車に乗り込んだ。

 電車内には乗客は十人ほどいた。
 だが、何故か全ての乗客が眠っていた。

「へー、思ったより空いてますねー」

「怪異の電車が満員電車だったら、大変なことになるだろう?」

「確かにー」

 九十九たちは静かに笑いあった。

 しばらくすると、車掌がゆっくりと、車内を確認しながら歩いてきた。
 
 その時、車内にアナウンスが流れた。
 
「お客様にご連絡します。次の停車駅はささぎ。ささぎとなります」

「ささぎ? 聞いたことない駅です。けど、きさらぎ駅じゃないんですねー」

「ああ、だが次の駅で間違いなさそうだよ。そんな予感がするんだ」

「先生の予感はよく当たりますからねー。それなら、間違いないですよー」

「ああ。とりあえず、この駅で降りてみようか」
 
 二人は、ささぎ駅で電車から降りた。

「先生、思ったより大きい駅ですねー」

「都市伝説では、きさらぎ駅は無人の小さな駅らしいが……やはりここはきさらぎ駅とは少し違うようだね」

「うーん、これだけ広いと、百華さんを探すのが大変そうですー」

「そうだねえ。ま、その分、調査のしがいがあるってもんさ」

(あとは、ここからどうやって脱出するか……、だけど)

 九十九は胸ポケットから手帳を取り出すと、駅構内の簡単な見取図を描き出した。

「あ、先生、今回は珍しく地図を描くんですねー」

「うん、ここは思ったよりずっと広そうだから、迷子にならないようにと思ってね。サキ君、君も何か気づいたことがあったらすぐに私に教えてくれ」

「はーい先生。わかりましたー」

 ささぎ駅は、地方都市にある駅と同じぐらいの大きさがあるようで、駅ビルの中に存在しているようだった。

 十三番ホームとは違い、ホームにも乗客がいた。
 駅ビルの中にも人がいるのが見える。

「へー、意外と人がいるんですねー」

「これでは依頼人を探すのに時間がかかりそうだ。サキ君、少しだけ急ごうか……」

 ふいに、線路に目をやった九十九は、少し沈黙した後、サキに声をかけた。

「……サキ君、線路は見るな。決して見るなよ」

「わかりました先生……見てはいけないものがあるのですね?」

「ああ……」

 線路には、電車に轢かれてバラバラになった男性の死体があった。

(普通に見えてもここはやはり、怪異の駅だ。そうこなくっちゃね……)

 九十九は心の中から湧き出る興奮を抑えきれずに、くすくすと笑った。

「どうやらホームにはいなそうだよ。サキ君、駅ビルの方へと行ってみようか?」

「はーい。駅ビルだと、一度改札を通るようですねー」

 二人はホームから階段を上って改札へと向かった。
 その途中にも、百華と思わしき人物はいなかった。

 改札口へと着いた二人。
 だが、何故か改札に駅員は見当たらなかった。

「あれー、駅員さんいませんねえー」

「切符を持っていない私たちには好都合だよ。このまま通らせてもらおう」

 二人はそのまま改札のゲートを乗り越えて、駅ビルに入った。

「駅ビルも広いですねー。先生どうします? 私のダウジングでサクッと見つけちゃいますか?」

「いや、それは最後の最後までとっておこう。怪異の正体がわからない段階で、こちらの手の内を晒すのは得策じゃないよ。時間はかかっても、一階から順に探していこう」

「それもそうですね。わかりましたー」

 駅ビルの中に多くの人がいた。

 しかし、その中の誰もが、二人を認識していないかのように、二人が存在しないかのように振る舞っていた。

「なんか私たち、無視されてますねー」

「というより、彼らに認識されていないみたいだ」

「ちょっと嫌な感じですねー。私、無視されるの嫌いなんですよー」

「まあまあ。むしろ好都合じゃないか。自分たちに反応しない人間は除外して、百華さんを探すことに集中できる」

 一階のフロアを探し終えた二人が、二階へ上がろうとしたその時……。

「九十九さんですね? 私、二宮百華です」

 突然後ろから声をかけられ、二人が振り返ると、そこに、学生服を着たミディアムボブの髪型の若い女性が立っていた。
 
「あなたが二宮百華さん、ですね? 私は九十九卯魅花。怪異専門の探偵をしています。こちらは助手の鷹野サキです。お姉さんからの依頼で、あなたを救出にきました」

「私が鷹野サキです。よろしくです」

「姉からお話は聞いています。助けにきてくださったのですね。本当にありがとうございます」

「ええ。ここは危険です。早くこの駅から外へ出ましょう。……といいたいところですが、何か問題があるのですね?」

「はい。私は何度もこの駅から外に出ようとしたんです。でも、どうしても外に出ることが出来なくて……」

「そういうことだったんですね。わかりました。おそらく外に出られない何らかの原因が何かあるはずです。まずはそれが何か調べてみましょう」

 九十九たちは、駅ビルの出口へと向かった。
 しかし、駅ビルの出口の外は、真っ黒な闇が広がっていた。

「なるほど、闇がおおいつくしていて外が見えない。これでは外に出ることは出来ませんね……」

「そうなんです。なので、他の出口を探していたんですが、どこもここと同じように、闇におおわれていて、出ることが出来なかったんです」

 百華は、俯きながら九十九に話した。

「私たちと一緒にもう一度この駅を探索してみましょう。まずはこの駅がどうなっているのかを知りたい。黒い闇の正体もね」

「何らかの怪異が悪さをしている可能性もありますからねー。その場合は、先生が怪異をやっつけてくれますから、安心してくださいね」

 サキが微笑みながら答えた。

「こう見えて私、怪異専門の探偵なので、怪異には詳しいんです。もちろん、怪異の倒し方なども知っていますよ」

「それは頼もしいです。よろしくお願いします」

 九十九たちは駅ビルの中を探索していった。

 そして、駅ビルの北側にある従業員用の出入口が、闇に包まれていないことを発見した。

「外の景色が見える。ということは、ここはまだ、闇に包まれていないね。ここからなら外に出られそうだけど……サキ君、どう思う?」

「先生、同じフロアでここだけ闇に覆われていないのはおかしいと思います」

「そうだね。私もそう思っていたよ」

「つまり、罠の可能性があるということですか?」

 百華が不安そうに質問した。

「その可能性は否定できないです。ただ、この駅には、他に出口は見つからなかった……」

「ならば、行くしかないということですね」

「そうですね。例えこれが罠だとしても、私が何とかします。怪異探偵の名前は伊達じゃないので安心してください」

(そうだよね。ゼロ)

 九十九たちは、意を決して、従業員用の出入口から外へと出た。

◇◇◇

 次の瞬間、九十九とサキは電車の中にいた。

 電車内には乗客は十人ほどいたが、全員静かに座っていた。

「よかった。空いてますよ、先生。とりあえずあそこの席に座りましょう」

「ああ」

 九十九とサキはボックス席に腰掛けた。

「サキ君、なんで私の横に座ったの? せっかくのボックス席なんだから、対面で座った方がいいんじゃない?」

「私、先生の横に座った方が落ち着くんです。ダメですか?」

「いや、まあ、別にいいけど……」

「正直にいうと、私、怪異の電車だから、もっと怖いのかと思ってました。けど、意外に普通で安心しました」

「確かにね。でも、安心しても、気は抜かないようにね」

「はーい」

 サキは横にいる九十九を見つめながら、小さく手を上げた。

「ん?」

「先生、どうしました?」

「いや、なんでもないよ」

 九十九はかすかに違和感を感じた。

 しばらくすると、車掌がゆっくりと、車内を確認しながら歩いてきた。
 
 その時、車内にアナウンスが流れた。
 
「お客様にご連絡します。次の停車駅はささぎ。ささぎとなります」

「ささぎ? ささぎ駅なんて、私、聞いたことないです。先生は知ってますか?」

「いや、私もそんな駅は知らないよ。でも、きさらぎ駅ではないけど、そのささぎ駅で間違いなさそうだよ。そんな予感がするんだ」

「それなら、間違いないですね。先生の予感はよく当たりますから」

「ふふ。それじゃ、とりあえず、この駅で降りてみようか」

「はい」
 
 二人は、ささぎ駅で電車から降りた。

(なんだろう……、私は以前にもここに来たような気がする……。これって、デジャヴってやつ?)
 
 九十九たちが駅から外へ出た瞬間に、九十九とサキが電車へ乗った時点まで、時間が巻き戻ってしまっていた。
 サキには、それまでの記憶が無く、時間が巻き戻ったことが認識できなかった。 
 しかし、九十九はなんとなくではあるが、電車に乗ってから少しずつ違和感を感じていた。
 そして、九十九の中にいる、ゼロと呼ばれる怪異は、時間が巻き戻ったことを正しく認識することが出来た。
 
『うみか、お前も気づいたようだな。さすが俺のパートナーだ。この駅は思ったよりヤバいぞ。さっき、俺たちがこの駅を出た瞬間に時間が巻き戻ったんだ。おそらく、この駅全体の時間がループしているのかもな』

『なんとなくおかしいと感じたんだが、そういうことか。ありがとう、ゼロ。君のおかげで原因がわかったよ』

 ゼロは九十九の中にいる怪異である。
 彼はかつて、ある事件に九十九が巻き込まれた時に彼女が助けた怪異だ。
 その際に、お互いが死にかけていたため、仕方なくゼロと九十九は融合している。
 そのため、九十九の体内には、ゼロの意識が存在している。
 ゼロはこのことで九十九に恩義を感じているため、九十九の怪異探偵としての活動に協力していた。

『一つハッキリしたのは、ここにはかなり強力な怪異がいるってことだ。この空間の時間を操ってループさせている程の力を持った怪異だ。うみか、お前の仕事とはいえ、こいつは厄介だな。そうそう、お前、怪異のことになると、周りが見えなくなるから、気をつけろよ』

『わかってるよゼロ。これから、この現象を引き起こしている元凶の怪異を探し出す。協力してくれるね?』
 
『もちろん。だが、どうやら俺たちの周りにいる乗客たちは、すでに人外化しているようだ。この駅の中は、すでに怪異だらけのようだな。これでは、この駅のどこかにいる元凶様を臭いだけで判断するのは難しいな』

『それは困ったね。とりあえず、まずは百華さんを見つけないと……』

『ああ、その子なら、駅ビルの方にいたぜ』

『なるほど、私たちはループする前に一度彼女に会っているんだな。であれば、怪異の探索を優先しよう。百華さんはサキに任せて、私たちは怪異を探しにいこうか』

『サキに任せて大丈夫なのか?』

『彼女がただの助手じゃないのは知ってるだろう? それに、私の能力を使って付喪神に二人を守らせるよ』

『なるほど、お前の能力で付喪神を作り出して二人を守るのか。サキ一人よりは安心か』
 
 九十九は、ゼロと協力して、元凶となっている怪異を探し出すことにした。

「サキ君、ここに百華さんはいないみたいだ。駅ビルの方を探してみよう」

「はーい」

 駅ビルの中に多くの人がいた。

 しかし、その中の誰もが、二人を認識していないかのように、二人が存在しないかのように振る舞っていた。

「ちょっと、この人たち、私たちのこと、見えてないの?」

「どうやら、私たちは彼らに認識されていないみたいだね」

「なんか無視されてる感じがして、正直ムカつきますー」

「まあまあ。私たちは、百華さんを探すことに集中しよう」

『うみか、気づいているか? やはり、駅ビルの中の人間は、怪異に取り込まれたヤツらばかりだ』

『見ればわかるよ。誰も私に目を合わせようとしないからね』

『やっぱり怪異が多すぎて、どいつがこの怪異の元凶か、臭いで見分けるのは難しいな。根気よく、一人づつ当たっていくしかない。場合によっては何度か時間をループすることになるかもな』

「九十九さんですね? 私、二宮百華です」

 突然後ろから声をかけられ、二人が振り返ると、そこに、学生服を着たミディアムボブの髪型の若い女性が立っていた。
 
「あなたが二宮百華さん、ですね? 私は九十九卯魅花。怪異専門の探偵をしています。こちらは助手の鷹野サキです。妹さんからの依頼で、あなたを救出にきました」

「私が鷹野サキです。よろしくです」

「妹からお話は聞いています。助けにきてくださったのですね。本当にありがとうございます」

「ええ。ここは危険です。早くこの駅から外へ出ましょう。……といいたいところですが、何か問題があるのですね?」

「はい。私は何度もこの駅から外に出ようとしたんです。でも、どうしても外に出ることが出来なくて……」

「そういうことだったんですね。わかりました。おそらく外に出られない何らかの原因が何かあるはずです。まずはそれが何か調べてみようと思います」

 九十九は、そこまで話すと、何かを決意したように表情を変えて、話を続けた。

「ですが、原因が怪異の場合、最悪、あなたにも危険が及んでしまうかもしれません。そこで、あなたには助手のサキとホームで待っていてもらいたいのです」

「ええー、先生本気ですか? 私、置いてきぼりですか?」

 サキが不満そうな顔で九十九を見つめる。

「百華さんの安全を第一に考えないとね。だから、用心するに越したことはないだろう?」

「でも、先生に何かあったら、私……」

「大丈夫だ。私は必ず君のもとに帰るよ。いつもそうだっただろう? 今回、百華さんのことは君に任せたよ。念のため、付喪神を作っておくからね」

 サキの手を握りしめながら、九十九が答えた。

「わかりました。百華さんのことは私が責任を持って守りますので、先生は怪異の対処に集中してくださいね」

『相変わらず、サキには優しいねえ。おじさん、嫉妬しちゃうかもよ?』

『いつも一緒にいるのに、ふざけたこと言わないでくれるかな?』

『はは、冗談だよ。俺もサキのことは気に入ってるからな。何かあったら困るし、置いてきて正解だよ』

『さて、ちょうど駅ビルの中にいるし、とりあえずここから調査していこうか』

『なあ、うみか。その前に確認したい場所があるんだ』

『うん?』

『最初にここへ来た時、俺たちはこの駅ビルの従業員用の出入口から外に出たんだ。それ以外の出入口は闇に包まれていて外に出られなかったからな。そして、俺たちがその出入口から外に出た瞬間、時間が巻き戻って電車の中に戻っていたんだ』

『そこをもう一度調べようというわけね?』

『ああ、何故かあそこだけ出られるようになっていたからな。何かあるのかもしれないと思ってね』

 九十九は駅ビルの北側にある従業員用の出入口へと向かった。
 しかし、前回と違って、出入口の外は闇に包まれていた。
 
『ちっ、どうやら塞がれてしまったようだな……』

『怪異の元凶は、どうしても私たちのことを外に出したくないみたいだね……』

『仕方がない。元凶を探すとするか。九十九、前も話したが、怪異の数が多くて俺の鼻は当てにならないと思う』

『しらみ潰しに当たっていくしかないか。ゼロ、私がさりげなく彼らの身体に触れていくから、君が元凶かどうかを確認してくれ』

『ああ、時間をループさせるほどの力を持った怪異だ。潜在エネルギーを探ればすぐにわかる。そして、見つけ出したら絶対に俺が喰らってやるよ』

 九十九はゼロとともに駅ビルの中を探索しながら、元凶となる怪異を探していった。

『そういや、お前、男子トイレの中とかどうするんだ? 強行突入するのか?』

『さすがにそこは付喪神を使うよ。私がずけずけと入っていくのは色々とまずいだろう』

 そう話すと、九十九は持ってきたカバンから白い紙を人型に切って作った依代を取り出した。

『この国におわします八百万の神々よ、我が依代(よりしろ)に宿り、我に力を貸したまえ』

 紙で出来た依代は空中に上がり、九十九の周囲をくるくると周り始めた。

『ほんと、お前のその能力、便利だよなぁ。どんな物にでも魂を宿して、付喪神に出来るんだろう?』

『魂が寄り付く物を依代っていうんだけど、私はただ、その依代に魂を吹き込んでいるだけさ。まあ、便利な反面、制限時間とか、デメリットもあるんだけどね』

『でもよ、なんで今回は紙にしたんだ?』

『これはヒトガタといってね。紙で出来たもっとも単純な依代なんだ。紙だから出来ることは多くないが、こんな偵察みたいな調査には有効な依代なんだ』

『なるほどねえ。お前の能力も奥が深いんだな』

『まあね。さて、この付喪神に、男子トイレの中に人がいないか確認してきてもらおう』

 九十九がそう話した瞬間、館内放送のアナウンスが流れてきた。

「まもなく、一番線に電車がまいります。黄色い線の内側までお下がりください」

 アナウンスが流れ終わると、九十九たちの周囲に黒い闇が流れ込んできた。

「これはやばい。逃げ場が無いぞ!」

 九十九は思わず声を出して叫んでしまった。

 漆黒の闇は、すぐに九十九の身体を包み込んだ。

◇◇◇

 次の瞬間、九十九とサキは電車の中にいた。
 
 電車内には乗客は十人ほどいた。

「先生、とりあえず空いてる席に座りませんか?」

「…………」

「先生? どうかしたんですか?」

「ああ、ごめん。なんでもない。よし、ここに座ろうか。でも、電車が空いていてよかった。もし、この電車が満員電車だったら、大変なことになってただろう?」

「満員電車で乗れなかったなんてなったら、洒落にならないですよ。でも、座れてよかった。こうやって、先生の横に座ってると、私、落ち着くんです」

 しばらくすると、車掌がゆっくりと、車内を確認しながら歩いてきた。
 
 その時、車内にアナウンスが流れた。
 
「お客様にご連絡します。次の停車駅はささぎ。ささぎとなります」

「ささぎ? 先生、ささぎ駅って知ってます?」

「ささぎ……?」

「あ、先生、知ってるんですか?」
 
「いや、私もそんな駅は知らないよ。ただ、何故か百華さんがいるのは、その駅で間違いない気がしたんだ」

「先生の予感はよく当たりますからね。それなら、間違いないです」

「とりあえず、次のささぎ駅で降りてみよう」
 
 二人は、ささぎ駅で電車から降りた。

(なんだこの感覚は……。私は間違いなく……、何度もここに来ている。これがデジャヴ? いや、この感覚は本物だ!)
 
 九十九が闇に包まれた瞬間に、九十九とサキが電車へ乗った時点まで、また時間が巻き戻っていた。

『なあ、ゼロ。お前、何か気づいているか?』
 
『はは、今回は前回よりもはっきりと気づいたようだな。うみか、お前はすでに二回、この駅を訪れている。実は、時間が巻き戻っているんだ。おそらく、強力な怪異がこの駅全体の時間をループさせている』

『やはりそうか、ゼロ。怪異の能力に抵抗できる君がいうのなら間違いないな』

『お前は俺と身体を共有しているからな。だから、この怪異の能力にある程度抵抗できるんだろう。俺みたいに完全ではないみたいだけどな』

『なるほど、だから私も違和感を感じたんだな。それで、時間はいつ巻き戻るのか、大体の見当はついたの?』
 
『一回目はこの駅から外に出ようとした時、そして二回目は、突然アナウンスが流れて黒い闇に包まれた時に、時間が巻き戻ったんだ。どうやら、誰かがこの駅から外に出ようとしたり、一定の時間が経つと、この駅のある空間がループするようになっているみたいだな』

『なるほど、過去二回のループでそんなことがあったんだね。時間制限というのは厄介だな。それまでにループの原因を作り出している怪異を倒さないといけなくなった』

『ああ、それにこの駅の中にいる人間はすでにほとんどが怪異になっていた。その中から元凶の怪異を探し出すだけでも一苦労だぜ』

『闇雲に探しても大変そうだな。何かいい方法を考えてみよう。それまでに、何度もループする羽目になりそうだけどね』

『とりあえず、俺はこの駅ビルの全容が知りたいんだ。まだ、全ての場所を見たわけじゃないからな。怪異を探す手段を考えるのは、それからにしないか?』

『時間制限もあるみたいだしね。対策を考えるためにも、まずはそうしようか』

 九十九たちは駅ビルの中を探索することにした。

 一階から順に探索をしていった九十九は、二階のフロアを探索し終えたところで、黒い闇に飲み込まれて、時間切れとなった。

◇◇◇

 次の瞬間、九十九とサキは電車の中にいた。
 
 電車内には乗客が十人ほどいた。

「よかった。電車の中、空いてますよ先生」

「…………」

「先生? 何か気になることがあるんですか?」

「……いや、なんでもないよ。とりあえず座ろうか」

 しばらくすると、車掌がゆっくりと、車内を確認しながら歩いてきた。
 
 その時、車内にアナウンスが流れた。
 
「お客様にご連絡します。次の停車駅はささぎ。ささぎとなります」

「ささぎ? きさらぎ駅じゃないの? ささぎ駅なんて私、聞いたことないです。先生は知ってますか?」

「…………」

「先生……、先生? やっぱり変です。何か考えてるんですか?」
 
「あ……、ああ。私は以前にもささぎ駅に行ったことがある気がしてね。思い出してみたんだが、どうやら私の勘違いだったみたいだ。でも、次の駅で間違いなさそうだよ。そんな予感がするんだ」

「なるほど。そういうことだったんですね。まあ、先生の予感はよく当たりますからね。ささぎ駅で間違いないですよ」

「ああ。とりあえず、この駅で降りてみようか」
 
 二人は、ささぎ駅で電車から降りた。

(この感覚、間違いなく私はここを訪れている……。それも何度もだ。まさか、時間がループしているとでもいうのか?)

『おい、ゼロ。まさかとは思うが、この世界の時間はループしているのか?』

『おお、うみかもそこまで感知できるようになったのか。ああ、その通りだよ。信じられないかもしれないが、この駅は時間がループしているんだ。すでに三回、時間が巻き戻っている』

『すでに三回もループしているだって!? 私にはそこまでは感じられない。けど、君が言うなら間違いないな』

『ああ、時間がループしてるのに、お前とサキは、毎回話すことが少しずつ変わってるんだぜ。面白いよな。まあ、それはおいていて、ここには、この空間の時間を操って、ループさせている怪異がいる。そして、ある程度時間が経過すると、時間が巻き戻されてしまうんだ』

『なるほど。つまり、この空間の時間は怪異の能力でループしていて、制限時間を超えると、最初まで巻き戻されてしまうってことか?』
 
『ああ、さすが九十九だ。理解が早くて助かるぜ。それで俺たちはこの駅の中を探索していたんだが、とにかく広い駅でな。駅ビルの二階を探索し終えたところで時間切れとなってしまったんだ』

『なるほど、それは厄介だな。それで、私たちはこれから駅ビルの三階から探索していけばいいわけだね?』

『話が早くてほっんとに助かるぜ。それじゃ、早速探索に入ろう。そうそう、百華って子なら、駅ビルの一階にいるから心配するな』

『なるほど、三回目だから完全に居場所も把握しているんだな。よし、それじゃあ駅の探索を優先しよう。三階からでいいんだね?』

『ああ、とにかく広くて、あまり時間もないから急ごう』

 九十九は、ゼロと協力しながら、三階部分の探索を始めた。

◇◇◇

『しかし、デカい駅だったな。駅ビルの十二階まで全部確認するのに、時間切れで六回もループする羽目になった』

『でも、やったかいはあったよ。怪異がループさせている空間の大体の大きさがわかったし』

 九十九は手帳に書いた駅の見取図を見ながらゼロに話しかけた。

『ゼロ、君が記憶を保持してくれているおかげで、この駅の全ての地図が書けた。本当にありがとう』

『とりあえず地図が出来たのは良かったぜ。そして元凶の怪異がいそうな場所も大体絞れてきた。この空間を維持するために、空間のちょうど真ん中あたりにいる可能性が高いからな』

『そうだね。だが、気をつけようゼロ。こいつの能力がループだけとは限らないから。それに、怪異のループ能力に抗っている君の力も大分落ちてきているだろう?』

『気づいていたのか? まったく、九十九には敵わないな』

『何年同じ身体でいると思ってるんだ。それくらいわかるに決まっているよ。それで、この駅の中央管理室、あそこには確か警備員がいて、ビル内の管理をやっていたな』

 二人は、駅ビルの中央管理室にいた警備員があやしいと睨んでいた。
 その場所がちょうどループしている空間の中央付近となっていたからだ。

 九十九は中央管理室の入口のドアを開けた。
 しかし、部屋の中は漆黒の闇で包まれていた。

「やられた。こちらの動きを読まれていたか!」

 部屋の中から溢れ出てきた闇が、九十九の身体を包み込んだ。

◇◇◇

『ゼロ、大丈夫か。大分消耗しているな』
 
『ああ、この空間は時間がループしているんだ。もう何回もループしているからな』

『確かに、私にも何度もこの駅に来た感覚がある。これは怪異のしわざだね。なんらかの理由で、時間をループさせているのか。それで、君はその怪異の能力に抗っていたから、消耗しているんだね?』

『ああ、そのとおりだよ。しかし、敵さんも大したもんだ。なかなか尻尾を掴ませてくれない。すでに駅の中は全て探索したんだがな』

『なるほど、厄介な敵だ。でも、君はもう限界だろう? あとは私がなんとかするよ』

 ループするたびに、怪異の能力に抗っていたゼロは、明らかに弱っていった。
 おそらく、あと数回ループすると、怪異の能力に抗えなくなり、九十九にこれまでの記憶を伝えることも出来なくなってしまうだろう。

『さっき、私がなんとかすると言っていたが、何か勝算があるのか?』

『いや、ゼロもそろそろ限界だからね。だからもう、出し惜しみはしない。私も本気でいかせてもらうよ』

『付喪神の能力を使うんだな? 確かに、怪異を探すなら、人手は多い方がいいからな』

『ああ。付喪神たちを使って、一気に駅の中の人々を調べる。もう怪異を逃しはしないよ』

(今回は調査に数がいる。やはりヒトガタを使うのが一番だろう)

 九十九は依代となる人型の紙を大量に取り出すと、魂を込めて付喪神にした。

『私と感覚を共有できるヒトガタを大量に飛ばした。あやしいやつがいればゼロに教えるよ』

 九十九は目を閉じて、神経を集中させた。

 しばらくして、ヒトガタを飛ばしていた九十九が何も喋らないことに痺れを切らしたゼロが九十九に話しかけた。

『どうだ? 何か掴んだか?』
 
『いや。だが一つ、わかったことがある。私たちの前にいた人間がいなくなっているってことがね』

『それは誰なんだ? もしかして、線路でくたばっていたあの男か?』

『いや、あの電車に乗っていた車掌だよ。ヒトガタでこれだけ駅の中を探しているんだが、どこにも見当たらないんだ』
 
 九十九は電車の中にいた車掌がいなくなっていることに気づいたのだ。

『なるほど。どこかに隠れているのかもな。だが、制限時間までに見つけ出さないと、また時間がループしてしまうぞ』

『君も大分弱ってきているからな。それは避けたい。ここは、サキにダウジングをお願いして、車掌の居場所を見つけよう』

 九十九は、駅のホームにいるサキと百華の元へ向かった。

「なるほど、さっきまで電車にいた車掌さんの現在の居場所を探ればいいんですねー」

「ああ、頼むよサキ。君だけが頼りなんだ」

「まかせてくださーい」

 サキは、九十九が手帳に書いた見取図の上に、ダウジングペンデュラムをかざした。
 ダウジングペンデュラムの先端の宝石は、駅の東側にあるポンプ室の上でくるくると回転した。
 
「なるほど、ポンプ室に隠れていたのか」

「ポンプ室ってなんですか?」

「これくらいの規模の駅ビルにはスプリンクラーといって、火事になると自動で水が出てくる消火設備があるんだ。そのスプリンクラーに水を送るポンプがある部屋がポンプ室だよ。普通の人はまず入らないから、隠れるにはうってつけの場所だ」

「なるほどー。そんな場所に隠れていたんですね」
 
 九十九は、サキのダウジングの能力で、隠れていた車掌の居場所を突き止めることが出来た。
 
「君たちはここで待っていてくれ。私が行って決着をつけてくるよ」

「先生、無理はしないでくださいね」

 サキは心配そうに九十九を見つめている。

「わかっている。必ず戻ってくるよ。百華さんを頼む」

「はい」
 
 九十九はポンプ室へと向かった。
 ポンプ室は通常人が立ち入らないように施錠されている。
 だが、九十九がポンプ室の入口に着いた時、何故かドアが開いていた。

「車掌さん、ここにいるんだろう? 出てきなよ」

 ポンプ室の奥から車掌が顔を出した。

「お前、どうして私がここにいるとわかった?」

「私ももうなりふり構っていられないのでね。悪いが、少しだけズルをさせてもらったよ」
 
「なるほどな。だが、私は時間をループさせることで、彼女を守っているんだ。悪いが、邪魔をしないでもらいたい!」

「お前が彼女を守っているだと? 何を言っているんだ?」

「もうお前も気づいてるだろう? 彼女はすでに……、亡くなっていることに」

 怪異は、九十九たちに何故この空間をループさせているのかを語り始めた。

 車掌だった私は、恋をしていた。
 毎日、電車に乗ってくる、制服姿の少女に。

 彼女が電車に乗ってくる時間が、私にとっての幸せだった。
 彼女をみているだけで、幸せだった。

 だが、ある時彼女はホームから線路に転落して、帰らぬ人となった。
 とある男にホームから突き落とされたからだ。

 私は、悲しかった。
 彼女のいない世界など、考えられなかった。
 
 だから、彼女の魂が消滅する前に、駅と、その場にいた人間を、私の作った空間に全て取り込んだ。

 そして、ささぎ駅は、この私の支配下となった。

 私は、彼女を突き落とした男が憎かった。
 だから、時間を巻き戻すたびに、この男に復讐した。
 毎回、私の支配下にある人間に、こいつを線路に突き落とさせて、電車に引かせたのだ。
 
 私は、この空間の時間をループさせることで、永遠に彼女と一緒にいることを望んだ。

 そして、新たに駅に入り込んだ人間たちも、永遠に私の作り出した時間のループから抜け出せなくなった。
 
「私はね、彼女を見ているだけで幸せなんだよ。だから、時間をループさせた。これからもずっと彼女を見守るためにね。そして、お前たちもここからは出られない。永遠にな……」

「……彼女をここに閉じ込めて、それで本当に彼女が幸せになれると思うのか?」

「何がいいたい?」

「お前は自分自身を満足させているだけだ。そして、それが彼女を苦しめていることに、なぜ気づかない?」

「だまれ! お前に私の何がわかる?」

「わかるさ。私の身体も半分、お前と同じ怪異なんだから!」

 九十九は自分の服の袖をめくり、ゼロと混じり合っている自分の腕を怪異に見せながら叫んだ。

(ここで時間を巻き戻されては困るからな。ここは少し頭に血を上らせて、私を攻撃するように仕向けるのが得策だね)

「やはりお前、ただの人間ではなかったか。だが、ここは私の世界だ。この意味がわかるよな? ここでは私が絶対的な支配者なんだよ!」

(ゼロはもう限界だ。もう一度時間をループされてしまったら次は記憶を思い出せないかもしれない……)

『だからこそ、奥の手を使わせてもらう』
 
「お前だけを新しい時間のループに閉じ込めてやる。永遠の時の中で私に逆らったことを悔やむんだな!」

『この国におわします八百万の神々よ、我が身体に宿り、我に力を与えたまえ』

 九十九は、自分自身に魂を憑依させて、自らが付喪神となった。

「急に雰囲気が変わった……? お前、今何をした!!!」

 神と一体化した九十九は、車掌の怪異が認識できない速さで動き、怪異の首をもぎ取った。

「あっ……」

 それが怪異の最後の言葉になった。

『自分自身の身体を依代にして、神を憑依させる。そうして自分を付喪神にするのが、お前の奥の手だったな。相変わらず、とんでもない強さだぜ』

『でも、その間は私自身の記憶が飛ぶし、私の限界以上に身体を使われるから、全身が痛くなってしまってね。正直、あまりやりたくはないんだ』

『なるほど、だから奥の手なんだな。さあて、食事の時間だ。消耗させられた分、たっぷりと味合わせてもらうぞ』

 九十九の身体からゼロの本体が浮き出てきて、怪異を貪り食うように食べ始めた。

『ずっと疑問に思っていたんだが、怪異を食べることで力を回復できるのは君固有の能力なのか?』

『さあな。だが、こうやって同族を喰ってるのは俺ぐらいだろう。ほとんどの怪異は人間を喰らうからな。お、だいぶ力が戻ってきた。思ったより上物だったな。でも、まだまだ足りない。俺とお前が分離出来るまで回復するには、もっとたくさん怪異を食う必要がありそうだ』
 
『ああ、だから私は怪異専門の探偵をやってるんだ。君が力を取り戻して、元の大口真神に戻れるようにね』

 大口真神は狼の神である。
 かつて、ヤマトタケルの東征の際に、彼を助けたことで、大口真神の名をもらったという。
 しかし、時代が下るに連れて、この狼への信仰は薄れて、次第に彼は忘れ去られていった。
 そして、狼の怪異となって、九十九と出会ったのだ。

 ◇◇◇

 九十九たちは駅ビルの出入口から外に出ようとしたが、黒い闇に覆われていて、外に出ることが出来なかった。

「こいつは想定外だった。やつを倒しても、やつの能力が解除されないとは」

 九十九が珍しく、焦りの表情を浮かべながら話した。
 
「そんな、私たち、ここから一生出れないってことですか?」

「いや、私たちは外の世界からここにきたんだ。必ず外と繋がっている出入口があるはずだ」

「先生、駅の見取図を見せてください。私のダウジングで出口を探してみます」

 だが、サキのダウジングペンデュラムは、駅のどの場所でも反応を示さなかった。

「そんな……。この駅の中には出入口が無いってことですか?」

「あの怪異が時間をループさせるためにこの駅を私たちの世界から切り離したのだとしたら、元の世界では、この駅は最初から存在しなかったことになっているのかもしれないね。でも、諦めるのはまだ早いよサキ君。私たちはどうやってここに来たのか、よく思い出してごらん?」

 少し落ち着きを取り戻した九十九がサキに質問した。

「どうやってって……。あっ!」

 サキは何かに気づいたように声をあげた。

「電車です。私たちは電車に乗ってここまで来ました」

「そう、私たちは電車でここまで来たんだ。ということは、線路を辿っていけば、元の世界に戻れるはずだ」

「確かに」

「一か八かだ。もう他に選択肢もない。この線路を歩いて脱出しよう」

 三人は線路の上を歩いていった。

◇◇◇

 三人が駅を去った後、黒い山高帽を被った男が、駅のホームに佇んでいた。

「コードナンバー99、九十九卯魅花。死にかけのコードナンバー0を吸収したとは聞いていたが……。アノマリーサブジェクトのラストナンバーだった彼女が、ここまで出来るようになるとはな」

 そう呟くと、男は静かに駅から立ち去っていった。

◇◇◇

「ずいぶん遠くまで歩いてきましたねー」

「本来なら電車で進む道だからね。でも、こうやって何事もなく進めているということは、この道が正解だという証拠でもあるよ。だから、がんばって進んで行こう」
 
 三人がそのまましばらく進むと、目の前に大きなトンネルが現れた。

「トンネルか……」

「どうしたんです、先生」

「きさらぎ駅の都市伝説では、何故か脱出の時にトンネルを抜けるのはタブーとされているんだ」

 きさらぎ駅から元の世界に戻る方法として、やってはいけない行為に、線路を歩いてトンネルを抜けるというものがある。

 都市伝説では、きさらぎ駅から線路を歩いて脱出しようとすると、伊佐貫というトンネルが出てくる。
 このトンネルを抜けた先に、謎の男が立っていて、その男に連れ去られてしまうのだ。

「なるほど、元のお話からすると、トンネルを抜けるのは危険だということなんですね」

「そういうことだね。だが私たちには他に選択肢が無い。このトンネルを進んでいくしかないよ」

 外は明るかったが、トンネルの内部はまるで常闇の世界のように、漆黒の闇が続いていた。

 九十九は持っていた懐中電灯のスイッチをつけると、トンネルの奥を照らした。

「トンネルの奥から光が見えないね。かなり長いトンネルみたいだ。サキ君、百華さん。離れ離れにならないように、ここからは手を繋いで進んでいこう」

 三人はトンネルの中をゆっくりと進んでいった。

 どんどんと線路の上を歩いていったが、その間、九十九たちには気が遠くなるような時間が経過しているように感じた。

 そして、長時間歩いていたため、九十九たちが疲れ果てて倒れそうになったちょうどその時、目の前に微かに明かりが見えた。

「ようやく、トンネルの出口が見えたね」

「あそこが、外の世界の入口だといいんですけど……」

 三人がトンネルから出ると、外は夜になっていた。

 不意に三人は後ろから声をかけられた。
 
「線路に入ってはダメです! 線路から離れてください!」

 振り返ると、線路の点検作業をしている男性が怒っていた。

「線路の点検作業中でしたか。邪魔をしてすいません、今出ます」

 線路を点検していた作業員の男性から注意された三人は、線路から離脱した。

「先生、見てください。私のスマホが、圏外じゃ無くなってますー!」

 サキは喜びを爆発させて、九十九に抱きついた。

「どうやら、元の世界に戻ってこれたようだな。本当によかった」

 こうして、九十九は、二宮百華をささぎ駅から救い出すことが出来た。

◇◇◇

「この鏡を姉に渡してもらえますか?」
 
 百華の霊は、最後に小さな手鏡を九十九に手渡した。
 
「探偵さん、春花姉さんにありがとうと、そして、この鏡がある限り、私たちはずっと一緒にいられると伝えてください」

「ああ、必ず伝えるよ」

「探偵さん、助手さん。助けていただいて、本当にありがとうございました」
 
 百華は二人に一礼すると、微笑みながら空へと昇っていった。
 
◇◇◇
 
 九十九は事務所で依頼人の春花に今回の件を報告していた。

「そうですか。妹はもうすでにこの世から……」

 春花は涙をこらえながら話した。

「残念ながら……これが最後に百華さんからあなたに渡すよう頼まれた鏡です」

「ありがとうございます。この鏡があれば、いつでも妹と話せるような、そんな気がします」

「きっと妹さんは、これからもずっとあなたのそばにいる。それが伝えたくて、私にその鏡を託したんだと思います」
 
 春花は九十九とサキに一礼をしてから、事務所を後にした。

◇◇◇

「ねえ先生。最初から私がダウジングをすれば、もっと早く事件を解決できたんじゃないですか?」

 九十九に淹れたてのコーヒーを渡しながら、サキが質問した。

「あの時点では怪異の情報がほとんど無かったからね。君を危険な目にあわせたくなかったんだ」

「うれしいです。先生ったら、そんなに私のこと、心配してくれてたんですねー」

 どさくさにまぎれて、サキが後ろから九十九をハグした。

『本当は怪異との対決をもっと楽しみたかっただけだろ?』

『ふふ、どうだろうね?』

 サキにハグされながら、九十九はコーヒーを口につけた。
 高円寺の賑やかな商店街のいっかくにある九十九探偵事務所。
 ここは完全予約制で、所長の九十九卯魅花の気に入った案件しか受けないため、賑やかな商店街とは裏腹に、訪れる人は少なかった。

 事務所で働いている助手の鷹野サキは、テレビでワイドショーを観ながら電話を待っていた。

「はぁ……。なかなか仕事が来ませんねえ」

 ちりりりりりりん。
 
 突然、事務室にあるアンティークの黒電話が鳴り出した。

「お、久しぶりの仕事ですかねえ」

 退屈していたサキが、ワクワクしながら電話をとった。

「はい、こちら、九十九探偵事務所です」

「もしもし、あ、サキちゃん、久しぶりー。伊藤まりえでーす」

「あ、まりえさーん。お久しぶりですー」

「サキちゃん、九十九先生、いるかな?」

「はいはい、今代わりますねー。先生、まりえさんから電話ですよー」

「お、懐かしい人物から電話だね、今代わるよ」

 事務室の奥の部屋から、昼寝から起きたばかりでまだ眠そうな顔をした九十九がやってきた。

(ふふ、寝起きの先生もかわいいですねー)

 サキがニヤニヤしながら受話器を九十九に手渡した。

「もしもし、九十九です」

「あ、うみちゃん、久しぶりー。まりえでーす」

「まりえは元気そうでなによりだよ。それで、今回はどんな用事なの?」

「実は、うみちゃんに仕事を頼みたくてね」

「ふふ、私にわざわざ依頼するってことは、怪異絡みだね?」

「もちろんそうだよ。実はね……」
 
 九十九の友人で怪異絡みのネタを追っているフリーライターの伊藤まりえから、取材を手伝ってほしいと依頼が入った。

 伊藤まりえは、九十九たちの協力者でもである。
 とある怪異が引き起こした事件に巻き込まれたまりえを、偶然九十九が助け出したのが最初の出会いだった。
 お互いに怪異関係の仕事をしていた九十九とまりえは意気投合し、それから二人は定期的に、お互いの仕事の手助けをしていたのだ。
 
 次の日、まりえは九十九の事務所を訪れた。

 伊藤まりえは九十九と同い年の三十歳。
 背が高くスラっとした体型の素敵なお姉さんで、艶のある黒髪でミディアムボブの髪型をしている。
 まりえは、普段は別の仕事をしながら、怪異や超常現象専門のライターとして、月刊ヌーという怪異の専門雑誌に記事を連載していた。
 
「久しぶりだね、サキちゃん」
 
「あ、まりえさん。お久しぶりですねえ」
 
「まりえ、あなたから仕事を依頼してくるなんて珍しいじゃない」

 事務所の奥から眠そうな顔をした九十九が出てきて、挨拶代わりに手を軽く上げた。
 
「あ、うみちゃん。お久しぶりー。今度、私、I県の山奥にある村の取材に行く予定なんだけどさ。まあ、私、フリーのライターだから、女一人だけでは取材に限界があるのよ。それで、いつも同行を頼んでる霊媒師の人がいるんだけど、彼女、急に体調が悪くなっちゃったみたいでさ。それで、うみちゃんに取材に同行してもらいたいんだよね。I県なら同じ関東だし、東京からもそこまで離れてないから、いいでしょ?」
 
「I県かあ。山奥の方だと、それなりに時間がかかりそうねえ。まあいいわ。とりあえず、今回はどんな内容を追ってるのか、教えてくれる?」

 椅子に座った九十九が足を組みながらまりえに話しかけた。

「実はね、信じられないと思うんだけど、今も神隠しが起きている村があってね。そこに取材に行こうと思ってるのよ」

「へえ、この令和の時代に神隠しとはねえ。実に興味深いわ」

「でしょう? 都市伝説を追ってる私としては、絶対に記事にしたいのよ。だから、協力してくれると嬉しいわ。もちろん、報酬はちゃんと払うよ」

『間違い無く怪異が関係しているな。これは面白そうだぜ、うみか。上物の怪異が食えそうだ』

『お前は食べることばかりだな、ゼロ。だが、確かに上位の怪異が関係してそうだね。実に興味深いよ』

「よし、引き受けるよ。一応契約書にサインしてくれるかな? 親しき中にもなんとやらって言うだろう? サキ君、準備してくれるかな?」

「はいはーい、ただいま印刷して渡しますねー」
 
 まりえによると、現在も神隠しが起きている村があるという。
 九十九は助手のサキを連れてまりえの取材に同行することにした。
 
 今回、三人が取材に向かうのは、I県の山奥にある神逢瀬村。
 東京からは直線距離で100km以上も離れている。
 この地域を通る電車が廃線になってしまったため、この村にいくには車を使わなくてはならなかった。

 九十九たちは、まりえの運転する四角いフォルムのSUVに乗っていた。

「まりえが車を出してくれて本当によかったよ。私の車は軽だし、二人乗りだからね。遠出するには色々と厳しいからさ」

「こちらこそ、新しい車じゃなくてごめんね。お金が無くて、中々新車も買えなくてさ」

「いや、十分すごいですよ。中もキレイですし。この車なら、山道だってスイスイ進めるんじゃないですか?」

「まあねえ。そのために買ったようなもんだし。取材する場所によっては、舗装されてない道もあるからねー」

「思ったより、お店とかあるんですね。もっと田舎かと思ってました」

「この辺りはね。もう少し山の方へ行くと何も無くなるから。あ、次、コンビニあったら寄って行こうか?」

「うん、お願いするよ。朝早かったから、少し眠くなってきてね。コーヒーが飲みたいんだ」

「了解でーす。でも、うみちゃんは相変わらずコーヒーが好きなのねえ。でも、山の方に行くと、村まではトイレが無いから気をつけてよ」

「ああ、わかってるよ」

 今、三人が向かっている神逢瀬村は、山奥にあるが、昔は炭鉱があり、そこそこ栄えていたようで大きな村だった。
 炭鉱が栄えていた頃には、炭鉱の周辺だけでも五千人を超える人々が住んでいて、当時の東京を超えると言われるほどの人口密度を誇っていた。
 しかし、石炭から石油へとエネルギーか移り変わっていくと、この村も一気に寂れてしまった。

 三人を乗せたSUVは山道を登っていった。
 まりえの話したとおり、周りには何も無かった。

「この道、街灯も無いんですね。夜に来たら怖そうです」

「昔はお店もあったみたいだけどね。人が少なくなってからは、ご覧のとおりだよ。バスも廃線してしまったから、本当に車が無いと生活が出来ないんだ」

「田舎では車は必需品っていいますからねー」

「東京に住んでると考えられないけどな」

「さあ着いたよ。ここが神逢瀬村だ」

 三人は車から降りた。

「思ったより大きい村ですね。もっと小さな集落かと思っていました」

「昔、ここには炭鉱があって、その頃に開発されていたから、思ったよりも開けているのよ。そして、今は観光でここを訪れる人が結構いる。村には温泉もあるしね」

「へえ、温泉もあるんだー」

「うん。ここの温泉は意外と評判がよくて、遠くからも入りにくる人がいるみたい。けど、炭鉱跡の方は人が住んでいないから、ゴーストタウンみたいになっているよ。心霊スポットとして、よく心霊系の動画配信者なんかが取り上げてるくらいにね。今は、そっちの方が有名かもしれないよ」

「なるほど。そっちも面白そうだな。サキ君。後で見に行ってみよう」

「ふふ、先生は遺跡が好きですからねー。炭鉱跡とか大好きですものね。あ、まりえさん。私も好きなんですよ。ゲームのダンジョンみたいでワクワクするんですー」

「ふふ、二人とも、本当に遺跡が好きなのね。後で案内してあげるわ」

「それより、さっき、ここの人たちに挨拶したのに、知らんぷりされました。なんか感じ悪かったですー」

「ま、私たちはよそ者だからな。仕方ないよ」

 九十九たちの言うとおり、この村の住人は、よそ者には冷たい対応をしている。
 なので、基本的には向こうから話しかけてくるどころか、目を合わせることすら無い。

 しかし、何故かまりえを見ると態度が変わり、向こうから挨拶をしてくれるようになった。

「まりえ、あの人知り合いなの?」

「以前にもここに取材に来たことがあるからね。それで私の顔を知ってるのよ」

「なるほどねえ。」

(しかし、田舎っていうのはよそ者に冷たいって聞くけど、ここまでとはね……)

「そして、この村の奥には、禁足地となっている森があってね。その森に入ると、二度と戻って来られないから、帰らずの森と呼ばれているの。だから、村人たちは小さな頃から、ここには絶対に近づくなと言われているらしいわ」

「その森と、この村で起きている神隠しって何か関係がありそうね」

「ええ、それを調べるために、今回ここに取材に来たのよ」

 サキの話では、この村の奥には帰らずの森と呼ばれている禁足地が存在するということだった。

『おい、うみか。森の方から怪異の臭いがプンプンするぜ』
 
『と、いうことは、やはり神隠しは怪異の仕業か。だが、まだ何かありそうだ。なんとなくだが、この村の人間は何かを隠している気がするんだ』

『カンってやつか?』

『ああ』

『なるほど。お前のカンはよく当たるからなあ。それで、何か対策を打つのか?』

『ああ、前に使った、紙の依代を使って付喪神を作る。これで村人たちの会話を聞き出してみようと思うんだ』

『盗み聞きかあ』

『嫌な言い方はよせ。あくまで調査のためだ。探偵にとって、盗聴は基本手技なんだよ、ゼロ君』

『わかってるって。うみかは、村人も怪異とグルかもってことを知りたいんだろ?』

『そうさ。村人たちが、神隠しの伝説を利用して、怪異に生贄を差し出している可能性も考えられるからね』

『人間の敵は人間ってわけだな。怖いねえ、人間って奴は』

 九十九が作り出した付喪神で村人たちを観察した結果、やはり、村人たちは何故か次に神隠しにあう人間を知っているらしかった。

『やはり、村人たちは何かを隠している。怪異のことをよく知っているようだ』

『村人たちにも気をつけた方がいいな。気づいたら、俺たちが生贄になってるかもしれないぜ』

『何が起こるかわからないからな。そうならないように気をつけるよ』
 
 三人は、まりえが事前に手配していた、この村で空家となっている建物に宿泊することにした。
 古くからある日本家屋の民家だが、きちんと手入れがされていて、年数を考えれば十分すぎる家だった。
 
「思ったより、綺麗な家でよかったです」
 
「少し前に民泊が流行った時に、いろいろと手入れしたみたいだよ。農家民泊として、観光客を宿泊させていたみたいね」

「確かにさっき、ここに観光に来る人がいるっていってたわね。温泉以外にも、何かいい場所があるの?」

「この村の近くに、太刀割岩という人気の観光スポットがあってね。崖の上にある大きな岩なんだけど、まるで刀で真っ二つに切ったように二つに割れた岩なの。何年か前に、鬼と戦う剣士のアニメで、大きな岩を剣で斬るシーンがあったでしょ? そのおかげで、そこがアニメの聖地として取り上げられて、観光客が多く訪れるようになったのよ」

「そんな場所があるのねえ。知らなかったわ」
 
「この家にはお風呂が無いんだけど、二人も温泉、入るでしょう? 村の中心に温泉施設があるから、みんなでそこに入りに行きましょう」

「はーい。温泉、楽しみでーす」

◇◇◇

 三人は村で唯一の温泉に入った。

 温泉は露天風呂となっていて、自然を満喫出来る空間となっている。
 温泉の湯は白く濁っていた。
 効能として、美肌効果があるらしい。
 三人はゆっくりと温泉に浸かって、疲れを癒していた。

「うーん、やっぱり温泉は最高ですねー」

「そういえば、サキは温泉が大好きだったな」

「東京には露天風呂はあんまり無いですからねー。やっぱり外で温泉につかるのは最高でーす」

「ふふ、サキちゃんがこんなに喜んでくれるなんて。二人を連れてきてよかったわ」

「まりえさーん。本当にありがとうございまーす」

◇◇◇
 
 九十九たちが温泉施設から古民家へ戻ってきた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
 三人は、食事をした後に、この村の神隠しについての話を始めた。
 
「そういえば、この村には、昔から神隠しの伝承があったんでしょう? それを詳しく教えてくれない?」
 
 まりえはうなづくと、村の神隠しの伝説について話し始めた。
 この村の奥にある森には、昔から大蛇の神様が住んでいる。
 そして、その大蛇が、村人を攫うため、神隠しが起きているというものだった。
 
「そして、信じられないけど、今もこの村では神隠しが起きているの。禁足地となっている森も健在だしね。もしかしたら、本当に大蛇がいるのかもしれない」
 
 九十九は、この話をしているまりえが、何故か思い詰めた表情をしていることに気づいた。

「深刻そうな顔してるけど、大丈夫?」

「え……。あ、ああ、大丈夫よ。ありがとう、うみちゃん」

「あのー、ずっと気になっていたんですけど、禁足地っていうのは何なんですか?」

「禁足地っていうのはね、様々な理由で、中に入ることを禁じられた場所のことをいうの」

「へえー、知らなかったです。立入禁止ってことなんですねー」

「そうだよ。だから、村人に怒られないように、こっそりと調査しようね」

 九十九とサキが寝込んだあと、まりえが二人を起こさないように静かに起き上がった。

(まあ、手を握り合って寝ているわ。本当に仲がいいのね。……やっぱりこの二人を巻き込むわけにはいかない。私一人でカタをつけるよ、ユキ。姉さんが、必ずあなたの仇をとるからね)

◇◇◇
 
 次の日の朝、九十九はサキに叩き起こされた。 

「先生、起きてください! まりえさんがいません!」

 まりえの掛け布団がめくれあがっていた。
 九十九は慌てて布団を触る。
 ──冷たい。
 ここを出てだいぶ時間が経っているようだ。

「嫌な予感がする。森の方へ向かったのかもしれない」

「一人でですか? どうして?」

「わからない。だが、そんな気がするんだ」

「先生の予感は当たりますからね。これは間違いなく森へ行ってますね」

「サキ君、すぐに準備してくれ。とりあえず、森の入口へいってみよう」
 
 九十九は、村人たちを観察させていた付喪神を解除した。

「先生、昨日から付喪神の能力をずっと使ってましたけど、何かわかったんですか?」

「ああ、ここの村人たちは、神隠しに協力していたのかもしれない」

「神隠しの真相を知っていて、怪異に協力していたってことですか?」

「ああ。だとすると、この村は、私たちが思ったよりずっとヤバそうだ。……まりえが心配だ。急ごうサキ君」

「はい!」
 
 九十九は付喪神の能力を使って、ずっと村人たちの様子を探っていた。
 それによって、村人が定期的に禁足地の森にいる怪異に生贄を差し出していること。
 それを隠すために、神隠しにあったということにしていることがわかった。
 そのため、村人たちは、次に神隠しにあう人間を選別していたのだ。

『まりえは禁足地の森へ行った可能性が高い。力を貸してくれ、ゼロ』

『もちろんだ。だが、森の奥の怪異は、臭いが強いぞ。正直、かなり手強そうだ。気をつけろよ、うみか』

『君がそう言うってことは、相当手強い怪異のようだな。用心するよ。ありがとう』

「サキ君、この森の怪異はかなり手強そうだ。気を引き締めていこうね」

「わかりました先生。警戒を怠るな、ですね?」

「ああ。周囲へ気を集中させながら進もう」

◇◇◇

 二人は森の入口に着いた。
 
 禁足地である帰らずの森は、一度入ったら二度と出られないと言われている。

「先生、思ったより薄暗い場所ですねー」

「木々が生い茂っているからな。太陽の光が遮られてしまうんだ」

 ちりん、ちりん。

 ふいに鈴の音が鳴った。

「え、何? 先生、なんでこんなところで鈴の音が聞こえるんですかー!?」

 驚いたサキは九十九の腕にしがみついた。

「サキ君、あれをみてごらん」

「なんなんです、あれはー」

 サキか九十九が指差す先の方を見ると、木と木の間に鈴がついたロープが張り巡らされていて、鈴が鳴っていた。
 
 ちりん、ちりん、ちりん、ちりん。

 二人がロープに近づくにつれて、鈴の音は大きくなり、ロープも激しく揺れだした。

「そんな、風も吹いてないのにどうして?」

「この鈴は私たちに警告しているんだ。ここから先へ進むのは危険だとね。おそらくここに作られた結界の一部なんだろう」

「結界……ですか?」

「ああ、この森が禁足地になっているのは、ここが結界として機能しているからなんだろう。この中にいる怪異をこの場所へ押し留めているのさ」

「なるほど、そういうことだったんですねー」
 
「サキ君。君も感じているだろうけど、ここに来てからずっと、誰かに見られているような感覚がある。気をつけて進もう」
 
 しばらく進むと、沢山の鉄柵が設置されており、柵の向こう側への進入を妨げていた。

「これも結界の一部なのかしら。ここから先へは進入するなってこと?」

「サキ君。おそらくまりえはここを乗り越えて中に進入しているよ。これを見てくれ」

「これは!」

 まりえの来ていた服についていたボタンが、鉄柵によし登った時に引っかかったのか、鉄柵のすぐ下に落ちていた。

「どうやら彼女がこの先に進んでいったのは間違いないようだね」
 
 二人は森の奥へと進んでいったが、まるで迷いの森のように、同じような場所を延々と歩いているような感覚に陥っていた。

「先生、さっきからずっと同じような場所をぐるぐる回っている気がしますー」

『どうやらこの森自体も怪異の影響を受けているようだな。進入者を惑わせようとしている。俺が怪異の臭いを辿って道を教えてやるよ』

『ああ、頼むよゼロ。まりえが心配だからな。一秒でも早く怪異と接触したい』

『任せてくれ。あ、そこにデカい木があるだろ。その木を右に進んでくれ』

「サキ君。私が怪異の臭いを辿ってみるよ。ついて来てくれ」

「はーい」

 九十九たちは怪異の臭いを辿ることで、森の最深部まで到達することができた。
 
 森の最深部には、六本の大木があった。
 その大木には、しめ縄がくくってあり、その中央には台座があり、不思議な模様の彫られた木箱が置かれていた。

「この大木と、木箱は、まさか……」

 九十九は、木箱に近づくと、裏側にあった引き戸を開けて、中を確認した。

 箱の中には複数の短い木の棒が、何かの模様を描くように置かれている。

「なるほど、これは姦姦蛇螺(かんかんだら)だな……」

「姦姦蛇螺ですか?」

「ああ、インターネット上の都市伝説で有名な怪異だ。その昔、大蛇に食べられた巫女がその大蛇と一体化して怪異となったものだ」

「待ってください先生。大蛇の怪異って、この村の神隠しにも関わってるって……」

「いいところに気がついたね。姦姦蛇螺も、元は大蛇だったんだ。昔、とある村を襲った大蛇が襲っていた。それを見かねたとある巫女が、自分が大蛇を倒すと申し出たんだ。巫女は善戦していたんだけど、徐々に大蛇に押されてしまう。そして、巫女が下半身を大蛇に食われて負けそうになった時、あろうことか、村人は巫女を裏切って大蛇側についてしまったんだ。村人に裏切られた巫女は大蛇に食べられてしまった。しかし、巫女の凄まじい怨念と執念によって、彼女はこの大蛇を逆に乗っ取ってしまったんだ。だから、この巫女が姦姦蛇螺の本体だとも言われているよ」

「ええー、姦姦蛇螺の本体って、大蛇じゃなくて、食べられた巫女さんだったんですかー!?」

「ああ、だから、巫女の姿で現れることもあるみたいだよ。そして、ギリシャ神話に登場するラミアーと見た目が似ているから、その関連性も指摘されている」

「あ、ラミアーなら私も知っていますよ。RPGで定番のモンスターですよね、上半身が裸の女性の。私の大好きなドラゴンファンタジーにも出てきますから。なるほど、姦姦蛇螺って、ああいう感じのちょっとえちえちな見た目なんですねー」

「えちえちは余計だよ、サキ君。それで、ここの村人たちは意図的に神隠しを起こしていたみたいなんだ。神隠しと称して、生贄を姦姦蛇螺に差し出していたようだね」

(姦姦蛇螺か……。こいつは厄介な怪異だぜうみか。力を失っている今の俺では敵わないかもしれないな)
 
 村人たちは、一年に一度、禁足地にいる怪異に生贄を差し出していた。
 生贄に出せる人間を用意出来なかった時は、村を偶然訪れた人間や、それでも手に入らない場合は、隣町まで人を攫いにいくこともあった。
 そうした人が失踪した理由として、神隠しの伝説は都合が良かった。

(まりえは、姦姦蛇螺のことを知っていたんだろう。そして、何らかの理由で、一人で怪異を倒しにいった。何かあった時のために、私たちを呼んでいたのだろうに……)

「姦姦蛇螺を呼び出すために、この木の棒を動かすよ。覚悟はいいね? サキ君」

「先生の助手ですから。危険なことにはもう慣れていますよ」

『ゼロ、警戒を頼むよ』

『わかっている。うみかも気をつけろよ』

 九十九たちは、箱の中の棒を動かした。

『うみか、後ろだ。後ろから来るぞ』

『ありがとう、ゼロ』

「サキ君、後ろだ! 来るぞ!」

 九十九たちの背後から、上半身が裸の女性で、下半身が蛇の姿をした怪異が、恐ろしい速さで近づいてきた。

「来たか。サキ君は私の後ろにいろ!」

「はい、先生!」

『ゼロ、君の力を解放するぞ!』

『ああ、任せろ!』

 九十九は、ゼロの力を解放した。
 九十九の身体に、ゼロの狼の特徴が出現して、白く輝くオーラが全身を覆った。

 九十九の爪が狼のように鋭くなり、素早く姦姦蛇螺の腕を切り裂いた。

 腕を切り裂かれた姦姦蛇螺は、すぐに別の腕を生やして、腕を増やした。

 そして……。

「うみちゃん、うみちゃん、助けて!」

「お前は……、まりえ!」

 姦姦蛇螺のお腹に、まりえの顔が出現した。

「ちっ、すでに取り込まれていたか!」

 姦姦蛇螺と戦う九十九だったが、まりえの顔を見た九十九は、明らかに動揺していた。

「人間よ、聞け。私は、私を裏切った人間たちの子孫を、簡単に許すわけにはいかなかった。だが、年月が流れて、私も丸くなったのさ。だから、今はあいつらが贄を差し出すことで、あいつらの罪を許してやっているのだ。そして、これはこの村の人間では無いお前には、関係のないことだ。お前が今すぐ手を引くなら、この場所に立ち入った罪を許して、見逃してやってもいい。どうする?」

「お前がどう思っていようが、私には関係ないよ。だが、少し前にお前が喰った女は私の親友でね。彼女は返してもらう」

「せっかくチャンスをやったのに、残念だ。だが、お前は交じっているな。お前も私と同じで、怪異を体内に宿しているのか。だが、沢山の人間を喰ってきた私の方が、お前の中の怪異より、だいぶ強いようだ。残念だが、今のお前に勝ち目はない。諦めろ」

 姦姦蛇螺の言葉のとおり、この怪異の強さは圧倒的で、ゼロの力を借りても、九十九が勝てるとは思えなかった。

『あいつの言うとおりだ。悔しいが、今の俺たちでは勝てそうにないぜ。お前の友達が取り込まれてるから、こないだみたいに、神を自分の身体に憑依させるわけにもいかないだろう? どうする?』

『確かに、自分を付喪神にしてしまうと、コントロールが効かなくなるからな。最悪の場合、まりえごと、あの怪異を倒してしまうかもしれない……。だが、私を誰だと思っている、ゼロ。この九十九が、怪異に負けることなど、ありえない』

『勝算があるんだな。やっぱりとんでもない奴だよお前は。最高のパートナーだ』

 森を逃げながら、道中で仕込んでおいた木の付喪神を使って姦姦蛇螺に攻撃する九十九。

『森の中の木に付喪神を仕込んでいたのか。流石だな、お前』

『戦いとは常に二手、三手先を読んで行うものだって昔誰かが言ってたからな。それに、段取り八分といって、準備をしっかりしておくのが、成功への一番の近道なんだ』

 バシーン。
 バシーン。

 付喪神となった木々が、枝をムチのようにしならせて姦姦蛇螺を攻撃していく。

「くっ、なんだこれは。まるで木が生きているかのように、私に攻撃している!?」

 姦姦蛇螺は上半身の腕を六本に増やして、自身に向かってくる木の枝を薙ぎ払っていった。

「ふんっ! こんなもので私に勝てるとでも思ったか」

 姦姦蛇螺は下半身の蛇の尻尾を伸ばして、地面を這わせた。
 そして、伸びた尻尾で、九十九たちの周りを取り囲んでしまった。

「しまった!」

 姦姦蛇螺はそのまま尻尾を九十九の身体に絡みつけて、きつく締め上げた。

「ぐうぅ!」
 
「くくく、お前たち、もう逃げられんぞ。このまま息の根を止めてから、私が食ってやる」

 しかし、苦しそうにしながらも、何故か九十九は落ち着きを払っていた。

「今だ、サキ君、酒瓶を投げろ!」

「はい、先生!」

 サキはカバンから酒瓶を取り出すと、そのまま姦姦蛇螺に投げつけた。

 パリーン。

 酒瓶は姦姦蛇螺の尻尾にぶつかって割れ、中身の酒が怪異の尻尾にかかった。

 続けてサキは、オイルライターに火をつけて、同じく姦姦蛇螺の尻尾に投げつけた。

「この酒は、スピリタスだ。アルコール度数が極めて高く、火を近づけると簡単に引火する」

 オイルライターの火がスピリタスに引火して、姦姦蛇螺の尻尾が激しく燃え上がった。

「お前、まさかわざと私に捕まって……。ぐああああああ!」

 一瞬締め付けが緩んだことで、九十九は姦姦蛇螺の尻尾から脱出することが出来た。

「サキ君。スピリタスの瓶をどんどん投げろ! 蛇は変温動物といって、熱には弱いんだ。だから、下半身が蛇のこいつも熱に弱いはず。これで大分弱るはずだ!」

「おりゃああああ! くらええええ!」

 サキはカバンからスピリタスの瓶を取り出すと、次々と燃え盛る姦姦蛇螺の尻尾へと投げつけていった。

「おのれ、人間ごときが、ふざけた真似を!」

 姦姦蛇螺は燃え盛る尻尾を地面に擦り付けながら、のたうち回っていた。

 九十九は、カバンから小さなナイフほどの大きさの古びた剣を取り出した。

「この国におわします八百万の神々よ、我が依代に宿り、この剣に秘めたる退魔の力を引き出したまえ」

 古びた剣に魂が宿ると、剣から青白いオーラが溢れ出して、片手剣ほどの大きさになった。

『お、ソハヤノツルギか。久しぶりに見たが、いつみてもかっこいいなあ』

 ソハヤノツルギ。
 毘沙門天の化身といわれ、日本各地の怪異を討伐し続けた伝説の英雄、坂上田村麻呂の愛刀である。

「この剣は、怪異と人間を切り分けることができる。これから、お前の身体からまりえを切り離す。彼女を返してもらうぞ。姦姦蛇螺」

 九十九は素早く剣で姦姦蛇螺の上半身と下半身を切断した。
 
「ぎゃああああああ」

 姦姦蛇螺の上半身が、悍ましい悲鳴をあげた。

 九十九は悲鳴を気にせず、姦姦蛇螺の上半身にソハヤノツルギを突き立てて、口上を述べる。

「ソハヤノツルギよ、この怪異に囚われた我が親友の魂を解放し、肉体を再生せよ」

 姦姦蛇螺の上半身が、徐々に女性の全身へと変化していき、まりえの身体へと戻った。

「まりえさん、元に戻ったのね。本当によかったです」

 サキが泣きながらまりえの身体に抱きついた。

『さて、俺もこいつをいただくとするか……』

 九十九がゼロを身体に出現させると、ゼロは姦姦蛇螺の下半身を捕食し始めた。

『ふふ、今回の怪異もなかなかの上物だったな。とても美味かったよ、うみか。おかげで俺の身体も大分再生出来た』

『良かったなゼロ。私たちが元に戻れる日が少しだけ近づいたな』

『ああ、そのためにも、もっともっと怪異を食べて、力を取り戻さないとな』

◇◇◇

「ここは……」

 まりえが目を覚ました。

「大丈夫か、まりえ」
 
「ええ、なんとか。うみちゃん、あなたが助け出してくれたのね。本当にありがとう」
 
「怪異とは切り離したけど、完全とはいかなかった。まだ少しだけ君の身体の中に怪異が交じっているが、許してくれ」

「大丈夫よ。おかげであいつの中にいた妹にも会うことができたから。今もわたしの中に、少しだけ妹のユキを感じることが出来るの。本当にありがとうね」

「とりあえず、私の上着を着ておいてくれ。そのままの姿で村に戻るわけにはいかないからね。森の入口に近づいたら、サキに着替えをとってきてもらうよ」

「あ……私、裸だったの!?」

 まりえは自分が服を着ていなかったことに気づいていなかったようで、顔を真っ赤にしながら九十九の白い上着を羽織った。

 森の奥から村の方へと歩いている途中、まりえは二人にまだ話していない彼女の秘密を話した。

 まりえは、この村の出身だった。
 そしてまりえには、三歳年下の妹のユキがいた。
 しかし、生まれつき、ユキは目に障害を持っていた。
 そのため、ユキは村人たちから生贄として選ばれた。
 後年、そのことを知ったまりえは、妹を救えなかった自責の念から、村から離れた。
 そして、怪異による事件を取材しながら、ずっと妹の復讐の機会を伺っていたのだ。

「ごめんなさいね。本当のことを言えなくて……。あなたたちを巻き込んでしまって……」

 まりえはうつむきながら、泣き出してしまった。

「気にするなよまりえ。こうしてなんとか帰還できたんだから、いいじゃないか」

 九十九は、後ろからまりえの肩に手を回して慰めた。

◇◇◇

 三人は宿泊していた古民家に戻ってきた。

「先生、コーヒーいれましたよー」

 まりえが車の準備をしている間、九十九とサキはコーヒーを飲みながら話していた。

「まりえさんにも怪異が残っちゃったんですね」

「怪異が交じっているのは、私と君も同じだけどな」

「でも先生、本当に姦姦蛇螺みたいな怪異が存在するんですね。私、今でも勝てたのが信じられないです」

「怪異の中でもトップクラスに有名だからねえ。今回倒せたのは本当に運がよかったからだよ」

「それにしても、スピリタス、用意してきて正解でしたね」

「生物系の怪異に対しては、炎は有効な武器となるからね。アルコール度数が高いから、傷口の消毒なんかにも使えるし。いずれにせよ、準備が大事ってわけさ」

「ゲームでいうところの炎の魔法みたいなもんですからね。そう考えると、魔法が使えるキャラってすごくないですか? だって、何も無いところから好きなだけ炎を出せるんですよ」

「うん。でも、魔法使いってさ、炎を出せるのがすごいんじゃなくて、それをコントロールして攻撃に使えることがすごいんだよ。炎を出すだけなら、今回みたいにライターがあれば簡単に出来るだろう? そして、スピリタスがあったから姦姦蛇螺を攻撃することが出来た。魔法使いは、今回のスピリタスと同じ効果を、魔力をコントロールするだけで行なえるのがすごいのさ」

「なるほど、確かにそうですよね」

「私たちも、特異能力を持っているけど、それだけじゃあまり意味が無いんだ。もっと能力をコントロール出来るようになれば、出来ることが増えて、怪異と今よりもずっと楽に戦えるってこと。だから、お互いにもっとがんばって能力を磨いていこう」

「そうですね。それじゃ先生、帰ったら早速修行しましょー」

「修行って。少年漫画じゃないんだから……」

 九十九は半分呆れながらも、サキの意識の高さに感心していた。
「あー、今月も赤字ですー」

 ノートパソコンの画面を見つめながら、サキは頭を抱えていた。

「どうした、サキ君?」

「先生、ここ最近仕事の依頼が来てないので、赤字なんですよー」

「確かに……」

「確かにじゃないですよー。このままじゃ、この事務所を借りるのに必要なお金も払えなくなるし、私のお給料も無くなっちゃうんですからねー。ここ最近、値上がりするものばかりで、食べ物買うのも大変なのにー」

「わかった、わかったよサキ君。うーん。仕方ない、あんまり乗り気じゃないが、まりえの知り合いから何か仕事をもらうか」

 九十九はメールでとある人物と連絡を取った。

 二時間後、黒いスーツを着た男性が九十九探偵事務所を訪れた。

 応接室で九十九はこのスーツの男性と打ち合わせをしていた。

「どうです、九十九さん。都市伝説を調査しているあなたにピッタリの仕事でしょう?」

「私にツチノコを見つけ出して、その報告記事を書けというわけですか?」

「ええ、日本のUMA、未確認生物の中でもツチノコは抜群の知名度ですし、うちの雑誌でも人気ですからね。計算出来るコンテンツなので、定期的に記事にしたいネタなんですよ」
 
「しかし、ツチノコの目撃情報はたくさんあるのに、この令和の時代になっても、一匹も見つかっていません。正直言って、私も発見できる自信はないですよ」

「まあまあ、心配しないでください。今回私がこの話を持ってきたのは、ちゃんと理由があるんです」
 
 月刊ヌーの編集長である望月良平は、記者である伊藤まりえから九十九の話を聞いていた。
 それから、望月編集長は定期的に九十九の事務所に顔を出すようになり、九十九たちと知り合いになった。
 この編集長はいつも真っ黒なサングラスをかけた、ちょいワルっぽい見た目のおじさんだ。
 しかし、見た目とは裏腹に、彼の話し方はとても穏やかで紳士的だった。
 
「読者から月刊ヌーの編集部に寄せられてくるツチノコの目撃情報が、ここ半年で急増してるんです。しかも、ある特定の地域に集中しているんですよ」

「なるほど、それは興味深いですね」
 
「それが、G県にある八十狩村(やそがりむら)なんですけど、目撃情報が多いからか、村が最近ツチノコに高額の懸賞金をかけたみたいで。それで、全国から人が殺到しているみたいなんですよ。そこで九十九さんには、その村の取材をお願いしたいんです」

「そんなことがあったとは。実に興味深いです。いいでしょう。その仕事、引き受けます」

「おお、行ってくださるんですね。ありがとうございます。交通費とか取材にかかる費用は全部うちの会社で持ちますから、後で領収書出してくださいね」

「その件なんですが、最近ウチもいろいろと厳しくてですね。その、望月さんがよろしければ、取材費を前借りできないかなと……」

 九十九は手を合わせて望月編集長に頼み込んだ。

「しょうがないですねー」
 
 望月は、自分の財布から十万円を取って、机に置いた。
 
「今回だけですよ、九十九さん。東京からG県まで往復で一人二万円ぐらいかかります。宿泊費を入れても、これだけあればなんとかなるでしょう。最終的にはうちで支払いますけど、前借り期間中は借用したということにします。なので、一応借用書を書いてもらいますけど、いいですね?」
 
「望月さん、ありがとうございます。もちろんそれで大丈夫です。サキ君、借用書を書くから、紙とペンを持ってきてくれ」

「はーい」

「あ、そうそう。うちの雑誌はツチノコに懸賞金をかけてるんです。生捕りにして編集部まで持ってきてくれたら、報酬にプラスして百万円支払いますよ」

 ぱしゃん。

 その言葉を聞いたサキは、思わず持っていた紙とペンを床に落としてしまった。

「ひゃ、ひゃくまんですってー!? そ、それ、本当なんですかー?」

「ええ。うちの社長は都市伝説が大好きですから。ツチノコを発見したら、相応のお金を出してもいいといっています」

「最高でーす。せんせー、すぐに準備して捕まえにいきましょー」

「まあまあ、落ち着いてください、鷹野さん。九十九さん、うちに寄せられた目撃情報とかの詳細は後からメールで送りますね」

「よろしくお願いします。では、借用書を書きますね」

 借用書を受け取った望月編集長は事務所を後にした。

「ふふ、ちょろい仕事が来ましたねー。私と先生の能力を使えば、あっという間に見つけられますよー」

「まあね。でも、そう上手くいくとは……」

「百万〜、百万〜」

 上機嫌になったサキは自然と歌を歌っていた。

 一週間後、二人はツチノコの目撃情報があったG県の八十狩村へと向かった。

「取材費を前借りしたおかげで、新幹線でこれましたねー」
 
「ああ、G県は東京からかなり離れているからね。新幹線に乗れたのは大きいよ。望月編集長様々だな」

 八十狩村ではツチノコの目撃情報が出てから、生きたツチノコに三百万円の懸賞金をかけている。
 そのため、ツチノコを捕まえると高額な賞金をもらえることを知った人々が、全国からこの村に殺到していた。

「ほんと、ツチノコって人気なんですねー。生捕りにすれば、村から懸賞金三百万ですって」
 
「ああ、三百万円あれば、大分楽になるからな。がんばって捕まえよう」

「ふふふ。三百万〜、三百まーん〜」

 村に着いた二人は、とりあえず村役場にいって話を聞くことにした。

「村役場でこの村全体の地図をもらってきました。これで私がダウジングして、さっさと居場所を見つけて捕獲しちゃいましょー」

 しかし、サキがダウジングしても、ツチノコの反応は無かった。

「おかしいですねー。私のダウジングが反応しないなんてこと、ありえないのにー」

「もしかして、この村にはツチノコ自体がいないんじゃないか?」

「そんなー。でも、こんなに目撃情報があるんですよー」

「ツチノコによく似た生物と見間違えたのかもしれない。例えば、餌を食べてお腹が膨れているヘビとか。以前にも妊娠していてお腹が膨らんでいるマムシをツチノコと勘違いしたことがあったって聞いたことがあるよ」

「そんなー」
 
「ま、せっかくだからもう少しだけ調査してみよう。似た生物でもなんとか誤魔化して、ツチノコってことにすれば、お金、もらえるかもしれないし」

「そうですよね。どうせ、何か言われても知らなかったってしらばっくれればいいだけですものねー。よーし、ツチノコモドキ、捕まえましょー」

 二人はツチノコの目撃情報がある丘に向かった。
 
「わあー、先生。青い花が咲いていますよー。綺麗ですねー」
 
「これはネモフィラだね。一面に咲いているとはねー」

「まるで、青い海原みたいで、本当に綺麗ですー」

 この丘は、至る所に青い花が咲き乱れていて、丘を埋め尽くす花が、まるで青い海のように見えることから、絶景ポイントとして、近年観光地として人気となっていた。

「それにしても、人が多いね」

「ほんとー、綺麗な景色が台無しですー」

 ネモフィラの咲き乱れた丘には、花の数に負けないくらいの人で溢れていた。

「みんなツチノコが目当てなんですかねー。せっかくの綺麗なお花が踏み荒らされてて、かわいそうです」

「ツチノコの賞金に目が眩んだ人間たちだ。花なんて眼中に無いよ」

「三百万ですからねー。仕方ないのかー」

 その時、誰かが叫んだ。

「あ、あれ、ツチノコじゃない?」

「え、ツチノコ? どこだよ!」

「おい待て、俺が捕まえるから!」

 その声が聞こえた途端、倒れるドミノのように人が殺到した。

「どいて、三百万円は私のものよ!」

「邪魔だ! どけよ!」

「どけえええええ!」

 やんちゃなお兄さんたちが、目の前にいた小さな女の子を突き飛ばした。

「きゃあああああ!」

 それを見たサキが女の子に駆け寄る。

「大丈夫ですか。ちょっと、あなたたち、危ないじゃないですか!」

「ああん? こいつがぼーと突っ立ってるのが悪いんだろうが! お前も邪魔するんじゃねえよ!」

 ガラの悪いお兄さんはサキを睨んできた。

「うう、怒られてしまいましたー。サキ、何も悪いことしてないのにー」

「お嬢さん、大丈夫かい?」

「うん、大丈夫。助けてくれてありがとう」

「それはよかったです。でも、ちょっと、危険な状態ですねー。いつ事故が起きてもおかしくないです」

「ツチノコのためなら、なんだってしそうな感じで、殺気立っているね。みんな、この物価高で生活が苦しいんだろうけど」

「大変なのは、私たちだけじゃないんですね」

「ま、仕方ない、別の場所を探そう。ツチノコも警戒しているだろうから、人がたくさんいる場所を探しても見つかる確率は低いだろうしね」

「なるほど。人が近づかないようなところにいるかもってことですねー」

「そうだね。例えばこの先に崖が見えるだろう? あの崖の下なんかはなかなか人がいけないだろうからね。そういうところに潜んでるんじゃないかな?」

「そうですよね。それじゃ先生、私たちは人がいないところを狙って探していきましょー」

 ツチノコを探しに村に集まってきた人々は狂乱状態となっていた。

「ふふ、バカどもが騒いでおるわ。偽物に踊らされているなんて、誰も気づいていないだろうよ」

 村役場の村長室で、窓から双眼鏡で彼らをのぞいていた村長がほくそ笑んでいる。

「何も無いこの山間の村にネモフィラを植えて五年。ようやくこの村の青い花も有名になり観光客も増えたが、所詮春だけしか咲かない花からな。継続して観光客を呼び込むには、他にも目玉が必要だった……」

 村長は、机の上に置かれた懸賞金三百万円と書かれたリーフレットに目をやった。
 
「やはりツチノコは知名度があるからな。そして、懸賞金に踊らされて、バカどもがたくさんやってくる。お前たちが探しているのが、偽物だとも知らずに」

 八十狩村では、昔からツチノコの目撃情報があった。
 村長は、それを利用して村おこしをしようと、ツチノコによく似た見た目のアオジタトカゲを村の山林に放した。
 そして、目撃情報が増えてから、ツチノコに高額の懸賞金をかけたのだ。
 
「仮にお前たちが生捕りにしても、ツチノコと違ってこのアオジタトカゲには手足が生えているから、偽物だと判定して懸賞金の支払いを突っぱねられる。まったく、我ながら、完璧な計画を思いついたものよ」

 ツチノコの偽物としてこの村に放たれたアオジタトカゲは、半年間、ずっと人間たちから追われていた。

『くそ、なんで俺がこんな目に……』

『ふふ。可哀想なトカゲさん。人間たちが憎いだろう。さあ、おいで。私が力を貸してあげるよ』

 この村にある小さな祠から、声が聞こえてきた。

『助けてくれるのか? あんたは……』

『ふふ、私は一応神様だよ。この地をずっと守ってきた神様さ。人間に追われている君が可哀想になってね。それに、最近は騒がしい人間が増えて、私も頭にきていたんだ』

 この地の守り神は、アオジタトカゲの身体を巨大化させた。

『ふふ、その姿なら、人間たちに負けはしないよ。思う存分、君をいじめてきた人間に復讐するといい』

『おお、力がみなぎってきた。神様、ありがとう。待っていろ人間たち。俺をいじめた罰を与えてやる』
 
『まったく、私は平穏に暮らしたいのに、人間たちは、騒がしくして。もう我慢の限界よ。少しお仕置きしないとねえ』

 巨大化して凶暴になったアオジタトカゲが、村の人間たちを襲う。

『お前たち、よくも俺をいじめてくれたな。復讐してやるー』

 やんちゃなお兄さんたちの前に巨大なトカゲが現れた。

「いたぞ、ツチノコだー! て、あれ!?」

「おい、なんだよ、あれ?」

「ツチノコがあんなにでかいなんて聞いてねえぞ? あれじゃあ、まるで大蛇じゃないか?」

「いや、よく見ろ。手足があるぞ。こいつ、トカゲだよ。こんなデカいトカゲ、俺初めてみたわ」

「まあいい、生捕りにすれば、金がもらえるんだからな。さっさと捕まえようぜー」

「おい、ちょっと待て。なんか様子がおかしくないか?」

「うるせー。早くお前も手伝えよ」

 トカゲを捕獲しようと不用意に近づいたやんちゃなお兄さんたちは、巨大になったトカゲの尻尾で弾き飛ばされた。

「うわああああ!」

「痛い……痛いよう」

「こいつ、やばい。早く逃げないと……」

 巨大トカゲを捕獲しようとしていた三人はパニックになって逃げ出した。

『すごい力だ。これなら人間たちに復讐できる。待っていろー。おおあばれしてやるからなー』

 巨大なアオジタトカゲは村の中心部へと移動し始めた。

「おい、なんだよあれ」

「ツチノコがあんなにデカいなんて聞いてないぞ」

「とりあえず、逃げないと」

 ツチノコを探していた観光客はようやく事態の深刻さに気づいて、トカゲから逃走を始めた。
 
 トカゲは、目についた車や建物に体当たりをして、次々と破壊していった。
 この村の重要な観光資源だった青い花も、ほとんど踏み潰されてしまった。

「なんだこれは……。あんなにデカくなるなんて、私は聞いてないぞ」

 村長は、村中で大暴れしているトカゲを見て、全身の血の気が引いていた。

 九十九とサキは、前方にツチノコらしい物体を見つけた。

「やっと見つけたわよツチノコモドキ! え、何これ? なんでなこんな大きさなのー!」

「サキ君、こいつには手足がある。どうやらツチノコによく似たトカゲのようだ。だが、まさかここまで大きいとはね。やはり怪異だったのか」

「先生! こいつ、こないだの姦姦蛇螺よりずっとデカくないですかあ!?」

「ああ、マズいね。戦ってどうこうできるような大きさじゃないよ」

「どうしましょー。今回、怪異と戦うつもりなんてなかったから、スピリタスは用意してませんよー」

『うみか、何か変だ。こいつからは、怪異特有の臭いがしないんだ』

『こいつはここにいたツチノコもどきが、何らかの理由で巨大化したんだろう。まだ臭いがしないのは、巨大化してからまだ時間が経っていないからだろうな』

「サキ君、下手に近づくのは危険だ。体格差があるから、間違いなくこちらがやられてしまう。ここは付喪神を使って、上手に対処しよう。お、ちょうどいいものがあった。これを使おう」
 
 九十九はカバンから熊よけの鈴を取り外した。

『この国におわします八百万の神々よ、我が依代に宿り、我に力を貸したまえ』
 
 魂の宿った鈴は付喪神となり、音を鳴らして巨大なトカゲを挑発した。

 ちりん。ちりん。

 鈴の付喪神は、トカゲの周囲を飛び回りながら、鈴の音を鳴らし続けた。

『よし、上手くいった。あとはこいつを上手く誘導すれば──』

 挑発されて怒ったトカゲは、鈴の付喪神を追いかけた。

『いいぞ。そのまま囮として、このトカゲの気を引いてくれ』
 
 囮となった付喪神は、巨大トカゲを崖のある場所までおびき寄せた。

 付喪神に気を取られていたトカゲは、崖があることに気づくのが遅れた。
 そのままトカゲは、崖下へと転落していった。

「身体が大きくなったのが仇となったな。この高さから落ちればただではすまないだろう?」

『ちょっと待って。彼を助けてあげて。彼に悪気はないのよ』
 
 突然、九十九とサキの頭の中に、女性の声が聞こえてきた。

『あなたは?』

『初めまして、私はこの土地を守ってきた神のカヤノヒメです。実は、あの子を巨大化させたのは私なの』

『えっ! あなたがあのトカゲを巨大化させたのですが?』

『ええ、そうよ。私はね、静かだったこの村が好きだったの。なのに、いつのまにか、大勢の人間がやってきて、村を荒らすようになった。それが許せなくて、私はあの子を大きくして、人間を追い払おうとしたの。それに、あの子もずっと人間から追われ続けて、人間を恨んでいたからね』

『なるほど。だから、トカゲを助けてほしいと』

『ええ。本当は、私だけでなんとかしたいんだけど。ごめんなさい。私はあなたたちに話しかけることはできるけど、動くことができないの。あなた、鈴に神様を宿していたわよね? その能力で、私をあの子のところまで移動できるようにしてくれるかしら?』

『わかりました。やってみましょう』

『ありがとう。私はこの先の森にある祠にいるの。案内するから、まずはそこまで来てもらってもいい?』

『わかりました』

 森の中で、九十九たちは小さな祠を見つけた。

『ここですね。では、これからあなたを人型の紙に憑依させます。すいません。紙の依代で申し訳ないですが、しかし、これは軽いので自由に移動できるはずです』

『了解したわ。それでは、よろしく頼みます』

『守り神カヤノヒメよ、我が依代に宿りまえ』

 九十九の能力で、カヤノヒメはヒトガタとなり、崖下にいるトカゲのもとへと向かった。

『私のせいで、大怪我をさせてしまったね。今、傷を治して、元に戻してあげるからね』

 カヤノヒメは、トカゲの傷を癒すと、元の大きさへと戻した。

『人間よ、ありがとう。おかげで我が友人を救うことができました』

 カヤノヒメは、祠へと戻っていった。

「カヤノヒメ……? カヤノヒメ……」

「先生、どうしたんですか?」

「いや、どこかで聞いたことがある名前だなと思って……」

「そうなんですか?」

「あ、思い出した! すごいよサキ君。彼女は本物のツチノコだったんだ!」

「え? 先生、何を言ってるんですか?」

「いいかいサキ君。カヤノヒメにはノヅチという別名が存在する。そして、このノヅチというのは、ツチノコの正体の一つだと考えられているんだ」

「ええ!? じゃあ、あの神様は、ツチノコの神様だったってことですかあー!」

「ああ、そういうことになるね。ここにいるツチノコの正体は神様だったんだ」

 二人は村役場に戻る途中、建物がめちゃくちゃに壊れているのを何回もみた。

「いやーあのトカゲさん。大暴れしたんですねー」

「それだけ、人間に鬱憤が溜まっていたんだろう。ずっと人間たちに追いかけ回されていたんだからな」

 村役場に着いた二人は、村の人々がテレビの前に集まっているのを見かけた。

「次のニュースをお伝えします。G県八十狩村に巨大なトカゲが出現して、観光客に次々と襲いかかりました。多数の負傷者が発生している模様です。このうち、重傷の三名にあっては、村の病院では治療が難しいということで、ドクターヘリで近隣の医療機関へと搬送されました。観光客を襲撃した巨大なトカゲは現在も逃走中で、警察が捜索していますが、今のところ発見には至っていないとことです」

「うわー、ニュースで報道されてますー。大事件になっちゃいましたねー」

「でもこれで、ツチノコ目当ての観光客はしばらくここにはこないだろう。ここまでニュースで報道されてしまってはね」

 事務所に帰った二人は、望月編集長に今回の件を報告していた。

「すいません編集長。ツチノコは捕獲できませんでした」
 
「いえいえ、今回の事件で、八十狩村が注目されてるから、結果的にいい取材になりましたよ。本当によかったです」
 
 結果的にツチノコは捕獲できなかったが、サキが書いた今回のレポートを編集長が気に入って、記事として採用された。
 
 サキは原稿料をもらいご満悦の様子だ。

「これから定期的に記事を寄稿してくれるなら、その分の原稿料もお支払いしますよ」

「うれしい申し出です。ですが、私、文章を書くのは苦手でして……」
 
「それなら、私が書きますよ、先生」

「サキ君が?」

「こう見えても私、文章書くの、嫌いじゃないんですよー」

「そこまでいうなら、君に任せようかな?」

「ふふ、任せてください。怪異ライターのサキとして、がんばりますよー」
「はーい、ということで、僕は今、とある病院の廃墟に来ています。ここでは、入院中に亡くなったと言われている女の人の幽霊がたくさん目撃されています。病院の前にあるバス停跡でも赤いワンピースを来た女の子の幽霊がよく目撃されてるみたいですねー。今も、後ろから誰かに見られている感じがして、非常に怖いですー」

 心霊系の動画を配信していることで有名な若い男性が、とある廃墟で動画配信をしていた。

「はーい。じゃあここで新しいアイテムを使いまーす。じゃじゃん。これ、ラジオに似てるけど、ラジオよりずっとすごいアイテムです。心霊系の配信見てる視聴者さんなら知ってると思うけど、一応説明するねー。これは、スピリットボックスといって、幽霊の声を聞くことが出来る特殊な機械でーす。僕も頑張って買っちゃいましたー」

 男は無線機のようなアイテムを取り出すと電源を入れた。

「それじゃースイッチ入れて、幽霊とお話してみますねー。あーなんか機械の都合で、ラジオの放送とかノイズもひろっちゃうみたいだから、みんなも耳を澄まして幽霊の声を聞いてみてねー」

「ザザー……ザザー……明日の天気は……がお送りしました……ザザー」

 スピリットボックスと呼ばれている機械から音声が流れた。

「うーん、やっぱり、ラジオの音声とノイズが多いねー。もう少しだけ聞いてみますかー」

「ザザー……ザザー……逃げろ……今すぐ……ザザー……」

「え……。みなさん聞きました? 今、男の人の声ではっきりと聞こえましたね。逃げろって。すいませーん。ここが危険ってことですかー」

 突然、配信者の後ろから手が伸びてきて、配信者の腕を掴んだ。

「えっ! ちょっと、な、なんだよこれー! おい、やめろって!」

 配信者は、そのまま画面の奥に映っている闇へと引っ張られていった。

「誰かが今、ものすごい力で僕のこと、引っ張ってます! おい、やめろよー! やめ……。う、うわー! たくさんの手に掴まれてます! だ、誰か、助けてくれー!」

 そのまま、配信者は無数の手に掴まれて闇の中へと引き摺り込まれていった。
 その後、彼の姿は見えなくなった。

「ザザザザザザ……」

 残されたスピリットボックスは電源が入ったままだった。

「ザザー……次はお前の番だ……ザザザザザ……」

 プツン。

◇◇◇
 
 今、SNS上で噂になっている動画がある。
 内容は、とある怪異系の動画配信者が心霊スポットとなっている廃墟で動画配信中に何者かに襲われ行方不明になっているというもの。
 その動画をみた視聴者もまた、次々と行方不明となっているらしい。

 朝、コーヒーを飲んでいた九十九にサキが話しかけてきた。

「先生、最近SNSで話題になってる動画知ってますか?」

「呪いの動画って言われてるやつだろ? 観ると二週間以内に行方不明になってしまうっていう」

「先生、知ってたんですねー。実は私、その動画観ちゃったんですよー」

「は?」

 九十九は口に含んだコーヒーを吹き出しそうになるのを必死にこらえた。

「怪異ライターとして、記事のネタを探してたんです。そしたらー、あんな動画見ちゃったんですー。先生、助けてくださいー。動画の最後で、次はお前の番だって言われたんですよー」

「……まったく、しょうがないな。君は」
 
 九十九は月刊ヌーの望月編集長に連絡をとり、ビデオ通話で相談していた。

「と、いうわけで、助手のサキがその動画を見てしまったみたいなんです。望月さん、この動画について、何か情報はありませんか?」

「なるほど。実は、うちの編集部にも読者からその動画の情報がいくつか来ています。その中の一人の読者が、証拠として、動画から切り抜いた画像を送ってくれたんです。これが本物だとすると、この動画配信者はどこかの廃墟で撮影していたようです。その読者の方によると、動画内で配信者は、ここは廃病院だと語っていたようなのです。ですから、場所を特定するのはそれほど難しくないと思います。今から九十九さんにその画像を送りますので、確認してもらってもいいですか?」

 望月編集長から、配信者らしき男性の写った画像が送られてきた。

「ありがとうございます。こちらでも画像を確認できました。サキ君、この画像を見てくれ。これは君がみた動画と同じかな?」

「あ、私が見た動画と同じですー。この場所で間違いないです」

 サキがうなづいた。

「よし、先手必勝だ。とりあえず、この動画に映っているという廃墟を探そう。望月さん、この場所がどこかわかりますか?」
 
「いえ、さすがにこの画像だけでは私もわかりません。ですが、編集部のサーバーには、全国の廃墟のデータベースもあるので、私も調べてみましょう。廃病院であれば、案外早く場所は特定出来ると思いますよ」

「望月さん、ありがとうございます」

「困った時はお互い様ですよ。九十九さんにはお世話になってますしね。では、何かわかれば連絡しますよ」

 九十九は望月編集長にお礼を言うと通話を終了した。

「サキ君、とりあえず二人で廃墟を調べよう。日本中の廃墟になっている病院を調べるんだ」

「サキ君。サキ君。おい、サキ君……」

「いない。いつの間に? どこにいった?」

 九十九はサキがいなくなっていることに気づき、慌てて外に飛び出したが、サキはいなかった。
 そのまま、商店街をぐるりと回ったが、サキはどこにも見当たらなかった。

「商店街にもいないか。これはマズいな。だが、スマホ中毒のサキなら常にスマホを持ち歩いているはずだ。頼む、電話に出てくれ!」

「おかけになった電話は電源が入っていないか、 電波の届かない場所にあるため、かかりません……」

「電源が切られている? くそっ、遅かったか!」

 九十九は何度も電話をかけ直すが、結果は同じだった。

『例の動画に人を操るような効果があったようだな。これは間違い無く怪異が関係しているぞ。どうする、うみか?』

『決まってるだろう、ゼロ。サキは絶対に連れ戻す。どんな手を使ってもだ』

 九十九は、今まで誰にも見せたことのないような怖い顔をしていた。
 
『そうだよな、うみか。俺もサキを気に入っているからな。犯人には、俺たちを本気で怒らせたらどうなるか、思い知らせてやろうぜ』

 九十九は急いで望月編集長に電話をかけ直した。

「望月さん、事情が変わりました。動画を見たサキがいなくなってしまったんです」

「それは大変だ。心配ですね。こちらもがんばってなるべく早くデータベースから画像の廃墟を探し出してみます」

「ありがとうございます。私たちももっと探してみます」

『九十九、焦るなとは言わない。サキが心配だものな。でも、とりあえず捜索の準備をして望月って人の返答を待とうぜ』

『……そうだなゼロ。ありがとう。今回、間違いなく怪異との対決がある。確実に勝てるように入念に準備をしておこう』

 夕方になって、望月編集長から電話がかかってきた。

「九十九さん、遅くなってすいません。例の画像の場所がわかりましたよ」

「本当ですか!?」

「ええ。あの画像をうちの編集部で新しく導入したAIで詳しく調べてみたんです。そしたら、データベースの中に、あの画像とほとんど同じ場所が一箇所だけ出てきましてね」

「ありがとうございます、望月さん!」

「この画像の場所は、心霊スポットマニアの間で軍人病院と呼ばれている廃墟で間違いないです」

「軍人病院ですか?」

「はい。太平洋戦争が終わるまで、旧日本軍が研究所として利用していた建物なんです。戦後、そこを病院として利用していたため、軍人病院と呼ばれているようですね」

「そんな廃墟があるとは、知らなかったです」

「廃墟としては、病院としての方が有名ですが、閉ざされた入口から、昔研究所だった地下へと行けるとの噂もあります。ここは色々と事件があって、いわくつきになった廃墟でもありますから、現地に向かう時は気をつけてくださいね。今から詳しい場所を送りますよ」

「望月さん、ありがとう。早速向かってみます」

「九十九さんにこんなことをいうのも何ですが、お一人で探索するには、危険すぎる場所だと思いますよ」

「ご心配ありがとうございます。こう見えても、私は怪異探偵ですので。こういう場所の探索は慣れているのですよ」

(そう、私は一人じゃないからな……ゼロ)

「そうですか……。何かあれば、相談してくださいね。いつでも力になりますよ」

 九十九はサキを見つけるために、軍人病院と呼ばれる廃墟へと向かうことにした。

「望月さんの送ってきた情報によると……、この廃病院は八王子市にあるのか。そこまで遠くないのは不幸中の幸いだ。この場所なら電車よりも車の方が、歩かないで済む分早く到着できる。待っていてくれサキ。必ず助けるからな」

 九十九は久しぶりに事務所の近くの契約駐車場に停めてある黄色い軽自動車に乗って、八王子市にある廃病院へと向かった。
 彼女の愛車は軽自動車としては珍しい二人乗りのオープンカーで、クラシックな見た目に一目惚れして買ったものである。

 九十九の運転する車は中央自動車道を経由して、約一時間ほどで目的地の廃病院へと到着した。

「念のため、少し手前に停めておくか」

 九十九は廃病院から少し距離を置いて、道路の端に車を寄せて駐車した。
 
 その廃病院は、大きな洋館のような見た目をしており、とても美しい建築物だった。
 しかし、病院の入口は白いバリケードで封鎖されていて、外から中を確認することは出来なかった。
 バリケードの下部には、誰かが侵入するためにこじ開けたと思われる大きな穴が空いていた。

『すっかり暗くなってしまったなあ』

『サキが心配だからな。時間を惜しんではいられない。すぐに中を探索するよ』

『でも、本当にこの中にサキはいるのか?』

『ああ、私のカンが間違いないといっている。電車を乗り継げば、サキ一人でもなんとかここまでこれるからね』

『お前のカンはよく当たるからなあ。それなら、間違いなくこの中ににいるな。気をつけろ、建物の中から怪異の臭いがプンプンするぜ』

『ああ、わかっている。よし、かがめばなんとかこの穴から中に入れそうだ。いくよ、ゼロ』

 九十九は、バリケード下部の穴をくぐって、廃病院の中に潜入した。

 正面の入口から中に入ると、病院の受付になっていた広いロビーがあった。
 そこから左右に廊下がつながっていて、正面の奥に二階への階段がある。

『思ったよりヤバいな。怪異がウロウロしているぜ』

『サキを見つけるまでは、無駄な戦闘は避けたい。君が臭いを嗅げば大体の怪異の位置はわかるだろうが、念のため、ヒトガタも飛ばして敵の状況を確認しながら進もう』

 九十九はカバンから複数の小さな紙切れを取り出した。

『この国におわします八百万の神々よ、我が依代に宿り、我に力を貸したまえ』

『お、今回のはいつものよりずっと小さいなあ』

『敵に見つかりにくいように特別に作ったヒトガタだよ。色も目立たなくしてあるだろう?』

 小さな紙にはいつもと違い、くすんだ迷彩に近い模様がついていた。

『なるほど、これなら怪異も気づかないかもな』

『思ったよりずっと広そうな病院だからね。とりあえず、こいつを飛ばしながら気をつけて先に進もう。何も考えずに探すよりずっと効率的だ』

 九十九が作り出したヒトガタは、病院内を探索していった。

 この病院はコンクリートで造られた三階建の建物だった。
 建物内部は、外から見た時の印象よりもかなり広く、人間の面影のある怪異が、ヒタヒタと音をたてながら廊下を歩いていた。

『あの見た目、私たちのように人間と怪異が混じっているようだな』

『後で元に戻してやれ。あの剣、持ってきたんだろ?』

『ああ。だが、今はサキの救出が最優先だ。そっちに集中しよう』

 九十九たちは、うまく怪異をやり過ごしながら、探索を続けていた。

『一階にはサキはいなかった。このまま階段を上って二階にあがるよ』

『そういや、この病院の地下に研究所があるんだっけか? その入口も見つけないとな』

『ああ。ヒトガタを一体、一階に残して、探索を続けさせるよ』

 九十九は周囲を警戒しながら階段を上っていった。
 
 二階にも、一階と同じように怪異が動き回っていた。
 九十九たちは、怪異を上手くやり過ごしながら、二階を探索していった。

『ありがとう、ゼロの眼のおかげで暗闇でもバッチリと見えるよ。明かりをつけるとこちらの位置を相手に教えてしまうことになるから、懐中電灯は使えないからな』

『まあ、こういう場所を探索するのには九十九よりも俺の方が向いてるよな』

『本当に、君と融合してよかったよ、ゼロ。お、ヒトガタが通気口を見つけた。ここから地下に潜入させてみよう』

『それはよかった。うまく地下への入口を見つけられるといいな』
 
 ヒトガタは、地下にある研究所の内部を進んでいるうちに、多くの人間とすれ違った。

『どうやら、かなりの人間が連れてこられたようだな』

『そんなにいるのか?』

『ああ。そしてみんな怪異に操られているようだ。マズいな。怪異になりかけている人間もいる』

『サキはいるのか?』

『いや、まだ見つからない。とりあえず私たちは病院の方の探索を優先しよう』

『ああ。こっちにいる可能性もあるからな』

 九十九は二階の探索を終えて、三階へと向かった。
 三階にも、怪異と化した元人間がうろついていた。

『しかし、これで三体目だぞ。怪異になっている人間、多くないか? あの動画が出回ったのがいつからかは知らないが、人間がこんなに怪異化するものなのか?』

『ここがただの病院の廃墟じゃないってことさ。地下に研究所もあるしな。悪意を持った何かがいるってことは確実だ』

 九十九は、三階にいる怪異に見つからないように気をつけながら、探索を続けていった。

『うーん、ヒトガタに三階の部屋と屋上を確認させたが、サキはいないようだ。もう一度、一階に戻って地下の入口を探そう』

『そうか、やっぱり地下が怪しいんだな』

 九十九は動き回る怪異をやり過ごしながら、一階へと戻ってきた。

『今、ヒトガタで地下への入口を探している。やはり、地下に人間が多くいるな……。ちっ、地下のヒトガタとリンクが切れた』

『怪異にやられたのか?』

『おそらくね。そして、向こうにもこちらの存在がバレた。もう、戦うしかないな。この病院の受付だったホールは、見通しが良くて戦いやすそうだ。そこで敵を迎え撃とう』

 九十九は一階の中央にある、かつて受付だった大広間へと移動した。

 すぐに一階を動き回っていた怪異が、受付へとやってきた。
 怪異は九十九を見かけると、雄叫びのような声をあげた。

『まずはこいつをなんとかしないとな』

『ああ、二階と三階にいた奴らもすぐにここにくるだろうから、気をつけろよ』

『わかっている。ゼロ、力を借りるよ』

『ああ』

 九十九の爪が狼のように鋭くなって、身体能力が強化された。

 しゅるるるる。

 突然、怪異の腕が伸びて、九十九を捕まえようとしてきた。

「こいつ、腕を伸ばせるのか!」

 九十九は素早く反応して腕を回避した。

『九十九、腕が伸び切ったところを狙え!』

『そこだ!』

 九十九は、伸び切った怪異の腕を鋭い爪で切り裂いた。

「グアアアアア!」

 怪異は腕にかなりのダメージを負って苦しがっている。

 そのまま、九十九は怪異の手足を攻撃して動けなくした。

「とりあえず動けなくさせてもらったよ。後で元に戻してやるからな」
 
 二階と三階にいた怪異も受付にやってきた。

『次は二体だ。気をつけろよ』

『ああ、わかっているよ』

 この二体は、ほとんど人の面影が無くなっていて、ホラーゲームの敵であるクリーチャーのような見た目になっていた。

『こいつらはほぼ怪異化しているから、さっきのやつより手強そうだ』

『ここまで怪異化が進行していると、もう元に戻せないだろう。残念だが、この二体は倒すしかないな』

「グオオオオオオ」

 二体の怪異が同時に九十九に襲いかかってきた。

 九十九は背後を取られないように気をつけながら、冷静に二体の攻撃をかわした。
 次の瞬間、一体の怪異が、体内から緑色の液体を吐き出してきた。

「くっ!」

 九十九は、とっさに持っていたカバンで液体を防いだ。
 緑色の液体を受けた九十九のカバンが黒く焦げて、白い煙が上がっている。

『強酸性の液体だったか』

『よく反応したな。さすがうみかだ』

『次にアレを喰らったら流石にヤバい。本気でいくよ』

 九十九は、受け身を取りながら、心の中で口上をとなえた。
 
『この国におわします八百万の神々よ、我が身体に宿り、我に力を与えたまえ』

 自分自身に魂を憑依させて、付喪神となった九十九は、目にも止まらぬ速さで、二体の怪異の首を刈り取った。

 二体の怪異の返り血を浴びて、九十九の白いスーツは真っ赤に染まってしまった。

『あちゃー。うみかのトレードマークの白いスーツが台無しだなあ』

『カバンもだよ。だが、サキに比べれば、こんなことはささいなことだ』
 
 いつのまにか、人間たちが受付に集まってきていた。

『気をつけろうみか。こいつら、怪異に操られているぞ』

 怪異に操られていた人間の中の、一人の男性が九十九に喋りかけてきた。

「私はここで人間たちを改造して新しい怪異を作り出しているんだ。邪魔をされては困るなあ」

「新しい怪異を作り出しているだと? そのために人間を集めているのか?」

「ふん、お前には関係のないことだよ。ほう、見たことがある顔だと思ったら、お前は、被検体番号99だな。子供の頃に組織に連れてこられた時は、取るに足らない特異能力しか発現しなかったはずだが。確か、被検体番号0と同化したんだったな」

「一体、何の話をしているんだ」

「くくく、お前は忘れていても、お前の中にいるコードナンバーゼロは私をよく知っているよ」

『気をつけろうみか。この人間を操っている本体は組織の関係者だ』

「なるほど。だが、今は関係ない。サキを返してもらうぞ」

「サキ? ああ、この女か」

 受付の奥の部屋からナース服を来たサキが歩いてきた。

「サキ、サキ。大丈夫か?」

 しかし、サキも他の人間と同じように怪異に操られているようで、何も答えなかった。

「ふふ、コードナンバー99。この女はお前の大切な人間のようだな。こいつはすでに怪異が混じっていたから、私の助手をしてもらうことにしたんだ。これからこいつにお前を始末させる。お前は彼女には手が出せまい? 大人しく始末されるんだな」

 サキは突然九十九に襲いかかってきた。

「ちっ、サキと戦うことになるとは!」

 「ううううう……」

 サキは身に着けていたポシェットから手術用のメスを取り出して、九十九に投げつけてきた。

 九十九はサキの投げたメスを回避する。

 しかし、回避したはずのメスが向きを変えて、九十九の腕を切り裂いた。

「ぐっ! メスが方向を変えただと……」

「ふふ。私が操っているのは人間だけではないのさ。このまま私の操るメスに身体を切り刻まれて死ね」

 サキはたくさんのメスを上に放り投げた。

 無数のメスが九十九の方へと向かってくる。

『流石にこの数はかわしきれない。ゼロ、頼むよ』

『ああ、任せろ』

 九十九の身体が更に狼に近くなり、身体能力が強化された。
 ゼロに身体を預けて、狼人間のようになった九十九は、飛んできたメスを全て叩き落とした。

 そして、全てのメスを拾い上げると、手でぐにゃりと曲げて使い物にならなくした。

「ほほう。やはりゼロが混じっているだけのことはある。怪異化するとそれなりに強いな。だが、これならどうかな?」

 サキは、新たなメスを取り出すと、自身の首元にメスを当てた。

「この女の生死は、私にかかっている。大人しく、私の言うことを聞くなら、助けてやってもいいが、どうする?」

「……」

 九十九は、狼人間の姿から、普段の姿へと戻った。

「ふふ、それでいい。コードナンバー99、ゼロと一緒に私たちの組織に戻ってこい。それで、この女は解放してやる」

 九十九は、何故か冷静にサキを見つめていた。
 
「……お前がまだ、私の能力をよく知らなくて助かったよ」

「何を言っている?」

『この国におわします八百万の神々よ、我が友の身体に宿り、我が友を救いたまえ』

 九十九はサキに神を憑依させて付喪神にした。

「コントロールが効かないだと! お前、一体何をした!」

「そこにいるんだろ? 隠れてないで出てきな!」

 九十九はサキが出てきた受付の奥にある部屋を睨みながら叫んだ。

「ちっ、この女と私のリンクをたどって気づかれたか!」

「何度か私を操ろうとしたようだが、無駄だ。私の中にいる相棒は、特異能力に抵抗できるんだ。だから、お前の能力は、私には効かない。逆に、私がお前を付喪神にして操ってやる。そして、お前の知っていることを全て話してもらうよ」

『自分自身の姿を隠して、わざわざサキに戦わせたのは、おそらくこいつ自身は戦闘がそこまで得意ではないからだ。このまま一気にカタをつけるよ、ゼロ』

「なるほど、ゼロと交わったことで能力が大幅に強化されたようだな。だが、今、お前たちに捕まるわけにはいかないのでね……」

 組織の幹部の男は自身の周囲に闇を発生させた。
 そしてそのまま闇に包み込まれて、姿を消してしまった。

『気配が消えた!』

『ちっ、逃げられたか……』

『とりあえず、サキだ!』

 九十九は、サキのもとへと駆けよった。

「サキ君、サキ君、大丈夫か?」

 九十九が、倒れているサキを抱き上げながら呼びかける。

「あ、先生。助けに来てくれたんですね。サキ、とてもうれしいです」

「当たり前だろ。無事でよかった」

 九十九がサキを抱きしめる。
 
「先生、ごめんなさい。いっぱい迷惑かけてしまいました。サキは先生の助手失格ですね」

 サキは泣きながら九十九に頭を下げた。

「私は君が助手じゃないと、探偵ではいられないよ。だから、ずっと私の助手でいてくれ。サキ君」

「いいんですかあ? えーん。先生、やさしい。大好きですー」

 サキは九十九に抱かれながら泣きじゃくった。

「さて、ここを詳しく調べたい気もするが、嫌な予感がするんだ。すぐに離れよう。あ、その前に、ソハヤノツルギで怪異になりかけてる人間たちを元に戻してあげないとな」

 九十九たちは廃墟の病院から外へ脱出して、黄色い軽自動車を駐車した場所まで戻ってきた。

「あ、先生、黄色いミニカちゃんで来たんですねー。私、この車、大好きなんですよー」

「ふふ、そうだったね。あ、そういえば私、何も食べてなかったよ。サキ君、何か食べていこうか?」

「わあー。私も腹ペコだったんですよー。がっつり食べられる所がいいでーす」

 九十九は車のエンジンを始動させて、八王子インターチェンジへと向かった。

「あー、服が血まみれなのを忘れてた。着替えを持ってくればよかったなー」

「どこかで服を買えばいいじゃないですかー。私、先生の代わりに服、買ってきますよー」

「君もナース服姿だけど、大丈夫かい?」

「え? あー、何これー! これじゃあ私、コスプレしてる人見たいじゃないですかー! 確かにシートベルト着けたとき、なんか変だなとは思ったんですよー」

「ははははは。これじゃあドライブスルーも無理だねえ。事務所に戻るまで、食事はお預けかな?」

「そんなーー!」

◇◇◇

 次の日の夜、とあるニュースが流れた。
 
「次のニュースです。本日正午頃、東京都八王子市にある旧T病院跡の建物で爆発が起きました。警察の発表によると、地下から漏れていたメタンガスに何らかの理由で引火したのが原因とのことです。警察では引き続き原因を調査しています……」

 ニュースに映りだした映像では、廃病院が骨組みだけを残して吹き飛んでいた。

「いやー、跡形もなく吹き飛んでますねー」

「証拠を隠滅したってわけか……。私たちも危なそうだな。気をつけようね、サキ君」

「はい。でも、今度は私が先生を守りますからねー」

「ふふ、うれしいこと言ってくれるじゃないの、サキ君」

 コーヒーを飲みながら、九十九はサキの頭を優しくなでた。

◇◇◇

 今回の事件の動画を作ったのはとある組織の男だった。
 廃病院から逃げた、あの男である。
 彼は組織のために、人を操る動画を利用して人間を集めて、研究所で怪異化していたのだ。

 この組織は、怪異や怪異化した人間を使って、この国で事件を起こして国民の不安を煽るのが目的だった。
 そして、組織から、怪異を倒す救世主を出すことで、不安になった人々から支持を集めて、組織がこの国を乗っ取ろうとしていた。
 自作自演だが、人々の心を掴み支持を得るためには効果的な方法だと、組織のボスは考えていた。
 
 この組織の幹部は、ボスからコードネームが与えられている。
 ハーゲンティというコードネームを持つこの男は、組織のアジトで怒りを爆発させていた。

「まさか、研究所が爆破されてしまうとは。コードナンバー99。よくも私に恥をかかせてくれたな。絶対に許さんぞ。確かお前は九十九……」

「ずいぶんとお怒りですねえ、ハーゲンティ」

 黒い山高帽を被った男が、部下を引き連れてハーゲンティの前へとやってきた。

「おい、これは何の真似だ、ダンタリオン」

 組織の幹部たちはお互いをコードネームで呼び合っていた。

「ハーゲンティ、ボスはあなたに失望したとのことです。あなたが無作為に動画で人間を誘い出したりしなければ、研究所を爆破せずに済んだのですからね。よって、あなたには組織の掟に従ってもらいます」

「おい、何をふざけたことを。お前ら、俺を誰だと思っている! やめろ! やめないと、ただでは……」

「往生際が悪いですよ、ハーゲンティ」

 黒い山高帽を被った男が、ハーゲンティをにらみつけると、彼は急に意識を失って倒れ込んだ。

 そのまま、ダンタリオンと呼ばれた男は、部下に命じてハーゲンティを連行させた。
 その後、幹部のハーゲンティは公開処刑され、その様子を収めた動画がダークウェブ上で公開された。

 黒い山高帽を被った男ダンタリオン。
 彼の正体は、月刊ヌーの望月編集長その人だった。

「九十九さん、あなたはまりえさんを助けてくれましたから、これぐらいは協力してあげないとね。これからもあなたの味方でいますよ。私の邪魔をしないなら、ですけどね。それに、あなたは失った記憶を取り戻せば、きっと我々の組織に戻ってくるでしょうから、その時を楽しみにしていますよ、コードナンバー99」
「九十九さん、突然お願いしに来てしてしまって、本当に申し訳ないねえ」

「いえ、理事長さんにはいつもお世話になっていますからね」

「お飲物です。どうぞ」

「ああ、鷹野さん。いつもありがとうね」

 九十九探偵事務所に、高円寺の商店街組合の理事長が仕事の依頼をしに来ていた。

「それで、今回の依頼というのは最近噂になっている、夜の商店街に現れる白いワンピースの女性の件ですか?」

「さすが九十九さんね。そうよ、私はその件であなたにお願いにきたの」

(お願いにきた、つまりいつものようにボランティアでってことね……)

 最近、九十九の事務所がある商店街に、夜に八尺様と呼ばれている怪異にそっくりな女性が現れるという噂が流れていた。
 それで、商店街組合の理事長から、お客が怖がっているからなんとかしてほしいと依頼されたのだ。

「なんでも、その女性がね、八尺様とかいう背がものすごく高い有名なオバケにそっくりなんだとか。今はまだ噂が流れているだけだけど、これが警察沙汰にでもなったら、色々と面倒だからねえ。その前に九十九さんになんとかしてもらいたいなと思って、今回来たの。ほら、これで風評被害が起きて人が寄り付かなくなってしまうと、うちの商店街としては死活問題になるでしょう?」

「確かにそうですね。わかりました。すぐに調査を始めましょう」

「九十九さん、よろしくね。組合の方でも自警団を結成して、夜に見回りをすることにします。商店街のことは、商店街でなんとかしないとね。それじゃ、何かあれば、私に連絡してね」

「はい。まかせてください」

 理事長が帰ると、サキがため息をついた。

「はあ、お金にならない仕事ですー」

「理事長からの直々の依頼だからな。断るわけにもいかないよ」

「商店街の理事長さん、ケチすぎじゃないですか? 普通仕事を依頼するならきちんとお金を払うべきなのに、いつもお願いだなんていってタダ働きさせてー。うちの探偵事務所はボランティア団体じゃないんですよー!」

「まあまあ、サキ君。こういう仕事も大事なんだよ。信用っていうのは、お金では買えないものだからね。だから、例えお金がもらえないボランティアの仕事だとしても、きちんとこなす事が大事なんだ」

「わかってはいますけど……、なんか納得がいかないんですー!」

「まあまあ。とりあえず、その女性は夜に出るみたいだから、夜に張り込みをしよう」

「……はーい。それじゃ、先生、今日は早く寝て、夜に備えましょー」

「そうだね。でも、その女性が本物の八尺様だったらかなり手強い怪異だから、寝るのは張り込みの準備をしてからね」

 九十九たちは夜に備えて事務所で仮眠を取ることにした。

 八尺様は、インターネット掲示板で有名になった怪異だ。
 身長が八尺(約2m40cm)もあるとされる女性の怪異で、白いワンピースを着て帽子を被っている姿で目撃されていることが多い。
 彼女は自身が気に入った若い男性や子供を狙い、取り憑いて殺してしまうという。

 夜中の二時。
 九十九のスマートフォンからアラームの音が鳴った。

「サキ君、起きてー。ちょうどいい時間になったよ」

「うーん。せんせー、私、もう少し寝たいですー」

「サキ君。これも仕事だから、きちんとこなさないといけないよ」

「……はーい」

「それじゃあ着替えて。張り込みに行くよ」

 九十九とサキは目立たないように全身を黒ずくめにして、商店街の角に身を隠して張り込みを開始した。

 しばらくたっても誰もこなかったので、九十九たちは商店街を見回りすることにした。
 二人は警戒しながら商店街を二周したので、少しだけ休憩することにした。
 
「長丁場になりそうだ。コーヒーを持ってきてよかったよ」

「私はエナジードリンクにします。カフェインで眠気が吹っ飛びますからねー」

 九十九とサキが休憩していると、商店街の裏道から、高身長の女性が歩いてきた。

「ぽぽぽぽぽぽぽ……」

「わー、先生、本当に出ましたよー。白い帽子に、白いワンピース着てますね。八尺様そのまんまだー。いやー、思ってたより、ずっと背が高いですねー」

 サキはうれしそうに小声でつぶやいた。

『こいつ、怪異の臭いがしないぞ。人間なのか?』

『いや、どうみても怪異だ。八尺様といえば有名な怪異だからな。怪異としての存在を消せる何らかの能力を持っているのかもしれない』

『なるほどねえ。いずれにせよ、臭いで追えないのは厄介だな』

「サキ君、静かに。とりあえず、気づかれないように跡をつけるよ」

「はい」

 しかし、二人が商店街を一周すると、八尺様らしき女性は姿を消してしまった。

「ええ、消えた? どこにもいないですー」

「そんなバカな!? もう少し辺りを探してみよう」

 しかし、八尺様らしき女性は見つからなかった。

「あちゃー、私たち、気づかれちゃったんですかねー」

「尾行は完璧だったと思うんだけどねえ」

 九十九は、自分たちの尾行が気づかれたかもしれないことに落胆して、肩を落とした。

「先生、八尺様って若い男や子供が好みなんですよねー。私たちは好みじゃなかったのかなー」

「でも、サキ君は見た目が子供っぽいから、八尺様の好みかもしれないよー」

「もう、先生、私怒りますよー」

「はは、ごめんごめん」

「突然目の前から八尺様らしき女性が消えたのは、彼女自身が何らかの能力を使ったのかもしれない。サキ君。明日理事長にお願いして、商店街の防犯カメラの映像を見せてもらおう。何か気がつくことがあるかもしれない」

「ふーんだ!」

 サキは顔を背けた。

「あれ、まだ怒ってるの?」

「ぷんぷんですよー!」

 (だって、先生ったら私のこと、いつまでも子供扱いするんですもの……)

 次の日の夜、なんと八尺様が九十九探偵事務所に相談に来た。

「こんばんは」

「はいはーい。って、えええええー!」

「どうしたサキ君。って、えええええー!」

 事務所の入口に八尺様らしき人物が立っていたので、二人は腰を抜かしそうになった。
 
「驚かせてしまってすいません。昨日お二人をお見かけした時に、二人とも怪異が混じっているように感じたので、私の仲間かなと思いまして」

「やっぱり、私たちに気づいていたんですねー」

「ええ。でもすいません、昨日は姿を消してしまって。私、後をつけられるの苦手なんです」

「それはすいませんでした。嫌な思いをさせてしまいましたね」

「大丈夫ですよ。実は大変困ってることがありまして、九十九さんに相談したいのです」

「わかりました。どうぞ中へお入りください。詳しくお話を聞かせてもらいますね」

 八尺様は九十九に、インターネット上で有名になりすぎたため、人々から警戒されてしまい、各地で結界を貼られて追い出されてしまって困っていると話した。

「なるほど、そういうことでしたか。それでは、私たちが、八尺様が気兼ねなく生活できるような場所を探してみましょう」

「何かあてがあるのですか?」

「ええ、知り合いに、こういうことに詳しい人物がいますので、相談してみます」

(ふふ、こういう時の望月様だ)
 
 九十九は望月編集長に電話をかけて相談した。

「……というわけなんです。望月さん」

「なるほど。まさか八尺様から依頼を受けるとは、さすが怪異探偵の九十九さんですね。九十九さんは、I県にあるT地区をご存知ですか?」
 
 望月は、日本で唯一、怪異と人間が共存しているT地区の存在を九十九に教える。
 
「I県のT地区ですか。噂は聞いていますが、東北ですから、東京からかなり遠いですねー」
 
 T地区は、明治時代にとある民俗学者が小説で取り上げてから、怪異の住む里として、全国的に有名になった場所である。
 
「ええ。八尺様と一緒にいくとなると、電車には乗れないでしょうから、車で移動することになると思います。東京からですと、高速道路を使って七時間といったところですかねえ」

「やはり車ですよねえ。でも私、二人乗りの軽自動車しか持っていないんです。これは、レンタカーを借りるしかないですね」

「ああ、よければ私の車を貸しますよ。ミニバンなので、八尺様との移動にもちょうどいいと思います」

「いいんですか、望月さん?」

「ええ、九十九さんにはいつもお世話になってますからね。車ぐらいならいくらでも貸しますよ。私の仕事が終わったら、編集部の人間と、車を事務所まで持っていきますね」

「そこまでしていただけるとは……。本当にありがとうございます」
 
「サキ君、望月さんがミニバンを貸してくれるそうだよ。八尺様、車が来たら早速その場所を見に行きましょう」

 望月編集長はミニバンを事務所まで届けてくれた。

「へえ、これ、ミニバンの中でも高級車なやつじゃないですかー。望月さん、さすが編集長なだけあって、いい車に乗ってますねー」
 
「ああ、いい車を貸してくれて、本当に助かるね。長い道中になるから、今回はゆっくりと休憩しながら行こうか。この車なら身体の大きな八尺様がいてもゆったりと仮眠出来るし、途中のサービスエリアにはシャワーを浴びられるところもあるらしいからね。このところ本当に暑いから、車の中にいてもシャワーを浴びたくなるだろうから」

「ふふ、サービスエリアで美味しいものを食べられそうですねえ」

「まったく、君は食べることには本当に目がないんだから」

「ぷうー、私の中の怪異はエネルギーをよく使う子だから、お腹が空くんですよー。私の身体が成長しないのもきっとこの子に栄養を取られてるからですよーだ」

(まだ怒ってたのか、サキ君)
 
 九十九たちは八尺様と望月編集長に教えてもらった理想の場所へと車で向かった。
 途中、サービスエリアで休憩しながら移動したので、目的地に到着するまでに半日かかった。

 T地区は自然が豊かな農村地区で、周囲を三つの山に囲まれている。

「八尺様、サキ君。着きましたよ。ここがT地区です」

「わあー。先生、のどかでいい所ですねえ」

「本当だねえ。八尺様、とりあえず一通りこの地区を巡ってみましょうか?」

「そうですね。いい所なので、いろいろと見てみたいです」

 九十九たちは八尺様と一緒にT地区の名所をまわることにした。

「本当に幻想的な風景ですねー。まるで異世界にいるみたいです。あ、野生の鹿が出てきましたよー。かわいいですねー」

 ここでは、怪異と人間が共存している。

「ここの人たちは、私を見ても、みんな驚かないで普通に接してくれる……」

 八尺様が驚いていた。

「本当に、人間と怪異が共存しているんですね」

(それに、何故だろう? 私はここが懐かしく感じる……)
 
 三人が森に囲まれた道を進むと、急に開けた場所に出た。

「八尺様、ここは昔、姥捨山だった場所です」

「先生、姥捨山ってなんですか?」

「今だと信じられないけど、昔はね、六十歳を過ぎた親は、山に置いてくるっていう風習があったんだよ。だから、ここはお年寄りが連れてこられて置き去りにされていた場所なんだね。この辺の人たちは、デンデラ野って呼んでるみたいだよ」

「えー、昔って、そんな怖い風習があったんですねー」

「それだけ、生活が苦しかったんだよ。お年寄りを養う余裕がなかったんだ。今とは違ってね」

『うみか、気をつけろ! ヤバい臭いだ。とんでもない怪異がくるぞ!』

突然、九十九たちの前に白い物体が現れた。 

「これは! サキ君、見るな!」
 
 九十九がサキをかばってサキの前に立って視界を遮るが、九十九はその白い物体を見てしまう。

「しまった!」

 しかし九十九は、とっさに怪異の能力に耐性のあるゼロが入れ替わってくれたおかげで助かった。

『危なかったな。俺が入れ替わるのがもう少し遅れていたら、お前はあいつに魂を連れていかれてたぞ』
 
『ありがとう、ゼロ』

「あれはくねくねですね。くねくねの姿を見てしまうと、大変なことになってしまうと言われています」

「なるほど。ですが、くねくねさんには、どうやら事情があるようです。ここは私が話を聞いてみましょう」

 八尺様はくねくねとしばらく話し合った。

「お待たせしました。くねくねさんは、さっきはすまなかったと謝っています。どうやら最近、怪異をいじめている悪い人間がいるみたいで、くねくねさんはこの辺りをパトロールをしていたみたいです。それで、私たちをその人間たちと勘違いしてしまったようですね」

「なるほど。ここの地区の住民はみな、怪異に敬意を持って接しているようですから、その人たちは私たちのように外部から来た人間でしょうね。もしその人間に出会ったら、悪いことはしないように注意しましょう」
 
 次に三人はカッパが出るという小川へと向かった。

「八尺様。このT地区はカッパが多いことでも有名なんですよ」

「ほう、カッパですか。珍しいですね」

「先ほどの姥捨山でも話しましたが、この地域では昔、飢饉などで生活が苦しかった時期に子供や高齢者を山などに置き去りにしていたようです。そうして家族から捨てられた人たちがカッパに転生したなどという話もあるようです」

「なるほど、カッパにはそんな悲しい話があったのですね」
 
 九十九たちが小さな橋を渡って小川へと向かうと、小川の中に三人の大人が入っているのが見えた。

 三人はこの地で活動している新興宗教団体に雇われた退魔師だった。
 この宗教団体はT地区に新しい教団施設を作るため、退魔師を雇って邪魔な怪異を排除しようとしていた。

 平安時代からこの国の怪異を狩ってきた退魔師たち。
 江戸時代から明治へと時代が変わると、近代化を推し進める明治新政府は退魔師たちに日本国内の怪異の討伐を依頼した。
 こうして、退魔師たちは明治政府の支援を受けて、日本のほとんどの地域で怪異を退治していった。
 この時、唯一怪異と人間が共存していたT地区だけは、退魔師が怪異を討伐することを拒んだのだ。
 
 三人の退魔師たちは川でカッパを襲撃していた。
 ホスト風の格好をした若い男性の退魔師と、ゴシックロリータの服を着た地雷系ファッションの若い女退魔師、そして黒髪でロングヘアーの黒ずくめの中年女性の退魔師が、退魔の銃という、特殊なギミックのついた拳銃をカッパに向けて構えていた。

 退魔師たちは、彼らの所属する退魔協会が独自に開発した強力な退魔のアイテムを持っていて、それで怪異を狩っていた。
 
「ほーら、聖水入りの銃弾だ。怪異ども、くらいやがれー」

 バーン。
 
 ホスト風の男が、銃でカッパを撃った。

 胸を撃たれたカッパは、倒れ込んで苦しそうにのたうち回っている。

 それをみた他のカッパは、三人から逃げ出し始めた。
 
「きゃははははー。こいつら、カッパのくせに、あんなに怯えちゃってー。マジウケるんですけどー」

「樹里亜さーん。その言い方、ちょっと下品よー。気をつけてねー」

「はいはーい、気をつけまーす」

 (ちっ、相変わらずうるせーババアだ。オキニの玲司には何も言わねーくせによー)

 カッパたちは三人の退魔師から逃げようと必死に川を泳いでいた。

 そのカッパを、中年の退魔師の女性が冷静に銃で撃った。

 撃たれたカッパは、もがきながら川に浮かんでいた。
 
「あらあら、逃げたって無駄ですよー。全員倒しますからねー」

「あー、紅蘭さん、女の怪異はやっつける前に俺にくださいよー。俺がトドメさしますからー」
 
「ははっ、相変わらずヘンタイだね玲司は。女のことしか頭にないのー?」
 
「うるせーぞ樹里亜。一応命懸けの仕事だから、これぐらいの楽しみがないとやってられねーのよ」

「ふふ、いいわよ玲司君。でも、やりすぎちゃダメよ?」

「へへ、わかってますって。ああ、そうだ。カッパは万能薬の原料になるらしくて、闇の業者が高く買い取ってくれるんですよ。あいつら金になりますから、絶対に逃がさないようにしましょー」

 三人は笑いながら逃げるカッパたちを撃ち抜いていった。
 
「おい、お前たち。バカな真似はやめろ。やめないなら、この私が相手になってやる」
 
 この様子を見かねた八尺様が退魔師とカッパの間に入る。

「おお、ラッキー。女の怪異じゃねーか。それも綺麗な顔してるぜ」
 
「あれー、他の二人も、見た目は人間だけど、怪異の臭いがするねえー。怪異が化けているのか、それとも怪異が混じっているのかなー?」

「はは、人間の見た目をしていようが関係ねえー。三人とも狩ってやるぜー」

「まったく……舐められたものだな」

 八尺様は三人を睨みつけた。

「あん? 何言っているんだお前。俺たちの強さがよくわかってねえようだなあ? 上等だ。俺がこの退魔の剣でお前に教えてやるよ」

 玲司は、腰から剣を引き抜くと、刃先を八尺様に向けた。

 退魔師の三人は八尺様と目が合った。
 次の瞬間、三人は恐ろしいまでの力の差と恐怖を感じ取って、身体が動かなくなった。

「え……」

「この地に来て、私はようやく本当の名前を思い出した。私の名は山姫。さあ、私の同胞を痛ぶった罪を償ってもらおうか」

 八尺様は地面につくほど髪を長く伸ばすと、そのまま髪を操作して三人に絡み付けた。

 絶望的な恐怖に支配されながら、三人は後悔した。
 彼女は、決してけんかを売ってはいけない相手だったと気づいたからだ。

「あ、あ……」

 鋼鉄のように硬くなった八尺様の髪が、三人の身体をギリギリと締め上げていく。

 全身に激痛が走るが、もはや三人は声を上げることすら出来なくなっていた。

 山姫として覚醒した八尺様は、動けない三人にゆっくりと近づくと、鋭い爪で首を切りつけ、そのまま首に口をつけて、吹き出した生き血をすすりだした。

 三人の血を吸い尽くした山姫は、九十九たちに振り返ると、にっこりと微笑んだ。

「二人とも、ありがとう。私は、ここが気に入りました。この地に残って、このような愚かな人間たちから、怪異たちを守ることにします」

『さすが伝説の怪異様だ。ハンパない強さだぜ』

『ああ、彼女がいれば、ここの怪異たちも安心して生活できるだろうね』

 その様子を物陰から、黒い山高帽を被った人物が見つめていた。

「なるほど、八尺様の正体は山姫でしたか。これは面白いものが見れました。ふふ、がんばって九十九さんたちを追ってきたかいがあったというものです」

「が、がんばってここまで運転したのはボクなんですけどー」

 山高帽の男の後ろから、ショートヘアで背の小さな女性が顔を出した。
 
「わかってますよ。どうもありがとう、ウェパル。さて、ボスへのみやげ話も出来ましたし、そろそろ私たちも帰りますかねえ。帰りも運転、よろしく頼みますよ」

 山高帽の男はウェパルの肩をポンポンと叩いた。

「えー、またボクが運転するのー。ずるいよダンタリオン」

「君の運転が上手だから、お願いしてるんですよ、ウェパル」

「ほんとー? それはうれしいなー。よーし、ボク、がんばって運転しちゃうぞー。おー」

(単純ですねえ……。ま、そこがあなたの魅力なんですけどね。さて、せっかくT地方に来てもらったので、九十九さんにも一つ、仕事の依頼をしますかねえ)

「あ、もしもし、九十九さん。望月です。そちらは順調ですか?」

「あ、望月さん。おかげさまで、八尺様がここを気に入ってくれました。本当にありがとうございます」

「それはよかった。ところで、九十九さんに余裕があれば、私からも仕事を依頼したいのですが……」

「仕事ですか。私たちは大丈夫です。どんな内容でしょう?」

「実は、T地方にはマヨイガがあると言われていましてね。せっかくの機会なので、ぜひ、マヨイガを見つけて、鷹野さんに記事を書いてもらいたいなと思いまして。ちょうど、月刊ヌーで特集しようと思っていたところなんですよ。あ、もちろん原稿料はお支払いしますよ。取材費も合わせてね」

◇◇◇

「ダンタリオン、お仕事の話終わった?」

「ええ、お待たせしてしまって申し訳ありませんでした」

「それじゃあ、東京へ帰ろー」

 ウェパルは赤いスポーツカーのエンジンをかけた。

「そういえば、ダンタリオン。ボスへのみやげ話って、八尺様の正体が山姫だったってことなの?」

「それもありますけど、一番はここのT地区で退魔師が活動していたってことですねえ。私たちの組織と退魔師が敵対しているのは、君も知ってるでしょう?」

「そうだね。ボクたちが利用している怪異たちを退治しようとしている奴らだからね。そいつらがここで活動していると、都合が悪いんだね?」

「ええ。今、組織が支援している宗教団体がここに大きな施設を作る計画があるんですけど、彼らが秘密裏に退魔師と繋がっているんじゃないかって情報があったんです。今回、実際に退魔師が活動していたので、かなりこの情報の信憑性があがりました。もし、組織を裏切るような行為をしているとしたら、早めに始末しないといけませんからね」

(この人こっわ。絶対に潰す気まんまんだよ。ダンタリオンだけは絶対に怒らせないようにしよっと)
 T地方に来ている九十九たちに、望月編集長から、マヨイガを見つけてくれないかと依頼が入った。

 ミニバンで移動しながら、九十九とサキは話をしていた。

「追加の仕事ができてよかったです。今回の仕事、報酬がなかったですからねー、願ったり叶ったりですよー」

「そうだねー。まあ、八尺様の依頼も終わったことだし、少しゆっくりしながらマヨイガを探しに行こうか」

「先生、私、また温泉に入りたいですー」

「あー、温泉もいいねえ。とりあえず、まずは疲れを癒そうか。近くに有名な温泉街があるから、そこに行ってみよう」

「やったー。それじゃ、早速いきましょー」

「ああ。今回、車で来て本当によかったよ」

 二人を載せたミニバンは、【歓迎 H温泉】と書かれたアーチ看板のゲート下をくぐった。

 H温泉は東北地方でも特に有名な温泉地で、たくさんの旅館が立ち並んでいた。

「いやー本当に温泉街なんですねー。すごい場所ですー」

「本当だねー」

 九十九たちは旅館の中から、日帰りで入浴が可能な場所を選んで車を走らせた。

「ちょうど、日帰りで入れるところがあってよかったね」

「先生、サキ、露天風呂に入りたいです。一緒に入りましょー」

 二人は旅館に着くとすぐに露天風呂へと向かった。

「うわあ、すごい景色ですー」

「大自然を満喫しながら温泉に入れるとは。さすが有名な温泉街だねえ」
 
 二人は温泉につかりながら、今回のマヨイガについて話し始めた。

「そういえば先生、マヨイガって何なんですか?」

「マヨイガは迷い家とも呼ばれていてね。この地区の山奥に突然現れるという立派な家のことなんだ。家の中は無人で誰もいないんだけど、直前まで人がそこにいたような痕跡があるんだ。そして、その家の中の物を何か一つだけ持ち帰れば、その人は幸運に恵まれると言われているよ」

「へえー、そんな家があるんですねー。幸福になれるなら、絶対に見つけたいです。仕事でお金がもらえるのに、幸せにもなれるなんて、最高じゃないですかー」

「本当だねえ。でも、T地方は広いからね。山も多いし、闇雲に探しても見つからないだろうね。とりあえず、SNSで目撃情報がある場所を巡ってみようか?」

「そうですねー。私がダウジングで探してもいいですけどー、それだとマヨイガを探す楽しみが無くなっちゃいますからねー」

「うん。今回、それは最後の手段にしようか。せっかくこんなにいい場所に来たんだから、いろんな所をまわってみたい。ここにはいろんな怪異が生息しているからね」

「わかりましたー。私、先生とこうやって旅行みたいにお出かけするの、久しぶりなので、とっても楽しいですー」

 サキはニコニコしながら九十九の手を握りしめた。

「後で取材費をもらえることだし、今日はこのままこの旅館へ泊まって、マヨイガは明日探索することにしよう。部屋が空いてればだけどね」

「やったー。温泉入り放題だー」

◇◇◇

 次の日、九十九たちはマヨイガがあるという集落を探すため、T地区の北部にある黒見山を探索していた。

「昨日調べた情報によると、この山の奥にマヨイガがあるらしいけど……」

「あ、先生。あそこに変な看板がありますよー」

 サキが、【巨頭オ】と書かれた看板を発見した。

「この看板は……、なるほど、ここは巨頭オの集落なのか。ふふ、こんなところで有名な巨頭オの看板を見つけられるとは思わなかったよ」

 九十九は興奮を抑えきれず、くすくすと笑った。
 
「先生、巨頭オって何なんですか?」

「巨頭、つまり巨大な頭の怪異のことだよ。こいつはインターネット掲示板で話題になった有名な怪異なんだ」

 巨頭オは、インターネット掲示板にとある投稿者が巨頭オと遭遇した体験を書き込んだことから有名になった怪異である。
 
 この書き込みによると、投稿者は数年前に一人旅で訪れた小さな旅館のある村を思い出し、車でその村まで向かった。
 しかし、村の近くには【巨頭オ】と書かれた、謎の看板があった。
 投稿者が村の場所までたどりつくと、その村はすでに廃村になっていた。
 
 そして、投稿者の車の周囲を巨大な頭をした怪異たちが取り囲んだ。
 怪異たちは、頭を左右に振るという気味の悪い動きで車に向かってきた。
 驚いた投稿者は、車を急発進して、なんとか怪異たちから逃れることができた。

 その投稿からしばらくたって、とあるSNSに巨頭オの看板の写真が投稿されたことで、巨頭オは再び話題となった。
 
 投稿者はこの看板の場所を最後まで明かさなかったが、実際に看板が実在する可能性が高まったことで、都市伝説マニアは、今でもこの画像から巨頭オの集落を特定しようとしているという。

「いやあああああ、助けて誰かー!」

 突然、女性の悲鳴が聞こえてきた。

「女の人の悲鳴ですー」

「向こうからだ。サキ君、助けに行くよ!」

「はい!」
 
 二人は女性の声が聞こえた方へと向かった。
 廃村の近くにある林の中で、若い女性が巨頭オと思われる巨大な頭部をした怪異たちに襲われていた。

「先生、あの女の人、でっかい頭の怪異に囲まれてますよー」
 
「やはり巨頭オの集落だったか。サキくん、彼女を助けるよ!」

 巨頭オたちは九十九たちに気づくと、頭を左右に揺らしながら二人に近づいてきた。

「私が巨頭オたちの相手をする。サキ君は彼女を守ってくれ!」

「はい、先生!」

『ゼロ、力を借りるよ』

『ああ。こんな気持ち悪い奴ら、さっさと追い払おうぜ』
 
 九十九は身体を怪異化させると、狼化した腕で巨頭オたちを弾き飛ばしていった。
 九十九に弾き飛ばされた巨頭オたちは奇声をあげながら逃げていった。
 
 九十九は巨頭オを全て追い払うと、悲鳴をあげていた女性に近づいた。
 しかし、九十九は助けたはずの女性にも、鋭い爪を突きつけた。

「さて、君も怪異のようだな。この女性に取り憑いているんだろ?」

 爪を突きつけられた女性は急に笑い出した。

「ははは、バレたかあ。俺の演技、完璧だと思ったんだけどなあ。どうして気づいたんだ?」
 
「私は鼻が良くてね。臭いで怪異がわかるのさ」

「ははは、そーいうことかー。それじゃーしょーがねーなー」

 この女性はヤマノケという怪異に取り憑かれていた。
 
 ヤマノケもまた、インターネット掲示板の投稿によって有名になった怪異である。
 ヤマノケはその名のとおり、山に住む怪異で、女性を見かけると「テン……ソウ……メツ……」という謎の言葉を繰り返しつぶやきながら、ニタニタと不気味な笑顔で近づいてくる。
 
 そして、ヤマノケは女性にとり憑く力を持っており、取り憑かれてしまった女性は「はいれたはいれたはいれたはいれたあー」とつぶやいたあと、気味の悪い笑みを浮かべながら、「テン……ソウ……メツ……」の言葉を繰り返すようになるという。

「女性に取り憑いているところをみると、お前はヤマノケだな? なんでこんなことをしたんだ?」

「ふふ、そうだよ。俺はヤマノケさ。あんたのツレのサキって子、マジでかわいいだろ? こないだ見かけた時からずっと気になってたんだよ。だから、あんたらがここに来る前に巨頭オたちと一芝居打ったってわけさ」

 ヤマノケはサキを気に入って、後をつけていたのだ。

「なるほど、それで巨頭オに襲われているフリをして、隙をみてサキ君をさらうつもりだったんだな。サキ君は何故か怪異にモテるからなあ」

「……なんか複雑ですー」

 サキは困った顔をしながら、髪をくるくるといじっている。

「だが、彼女は私の助手だ。君に渡すわけにはいかないな」

 九十九はヤマノケを睨んだ。

「はいはい。わかった、わかったよ。さっきの戦いを見てたが、あんたは俺よりずっと強い。それくらい、俺にもわかるよ。ところで、あんたたちは何しにこの山に入ったんだ?」

 ヤマノケは、戦う意志がないことを示すように、両腕を横に広げながら九十九に話しかけた。

「私たちはマヨイガを探しにここに来たんだ」

「ああ、マヨイガを探しに来たのか。それなら俺が知ってるから、案内してやるよ」

「本当か?」

「ああ。その代わり、その、サキくんに……、ハグしてもらいたいんだけど……」

 ヤマノケは顔を恥ずかしそうに横に背けながら、もじもじし始めた。

「なんだー。ハグぐらいなら、全然してあげますよー」

「え、いいのか?」

 ヤマノケは驚いた顔でサキを見つめた。

「サキに変な気を起こしたり、取り憑こうとするんじゃないよ。そしたら、ただじゃおかないからね」

 九十九は再びヤマノケを睨みながら話しかけた。

「わかってるって」

「それじゃあ、いきますよー」

 ぎゅうう。

 サキは後ろからヤマノケが憑依している女性をハグしてあげた。

「うわあー。やわらかくてあったかいー」

「ふう、これで満足した?」

「ああ、どうもありがとう」

「ふふ、それじゃあ、マヨイガの場所まで案内してくださいねー」

「わかってるよ。それじゃあ、俺についてきなー」
 
 上機嫌になったヤマノケは二人をマヨイガがある場所まで案内した。
 そこには大きな一軒の古民家があった。

「立派なお屋敷ですねー」

 お屋敷の入口には立派な黒い門があった。
 
「マヨイガの入口には黒い門があると言われているんだ。ここは間違いなくマヨイガだね」

「へへ、よく知ってるなあんた。そう、ここが正真正銘本物のマヨイガだよ。さあ、中に入ろうぜ」

 三人が黒い門をくぐって中に入ると、大きな庭に紅白の花が一面に咲き乱れていた。
 九十九たちが玄関から家の中に入ると、中央に並べられた食膳の上に、赤と黒のお椀が準備してあった。
 その奥の座敷の間には火を起こした火鉢があって、鉄瓶のお湯が沸騰していた。

「本当に直前まで人がいたみたいになっているんですね」

「うん、これも伝承のとおりだ。とりあえず少し休憩してから、家の中を探索しよう」

「はい、私も少し疲れましたー」

 そう言うと、サキはその場に座り込んだ。

「そういえば、この家の中のもの、一つだけ持ち出せるんだよ。何にするんだ?」

 置いてあったお椀を手に取りながら、ヤマノケが話しかけてきた。

「……いや、私は何も取らずに帰るよ」
 
 何かを言いそうになったサキに目で合図してから、九十九が答えた。

「そうなのか? 何か一つ持ち帰ると幸せになれるのに。欲がねえやつだなー」

「私たちはマヨイガの取材に来ただけなんだ。中の様子が確認できればそれで十分だよ」

「……」

 サキは九十九に何か持ち帰りましょうよと言いたかったが、我慢した。
 
 しばらく休憩した後、九十九はマヨイガから外に出られなくなっていることに気づいた。

「なんだこれは? 戸が動かない。これでは外に出られないぞ」

 この家にある全ての出入口が閉じられていた。
 まるで家の内部が異次元の空間となっているように、外の様子もわからなくなっていた。

「サキ君。どうやら私たちはマヨイガの中に閉じ込められてしまったようだ。まるで、この家が私たちを外に出すのを拒んでいるみたいだ。まるで、マヨイガ自体に意思があるみたいにね」

「そんなー。なんとかして、脱出しないとマズいですー」

「マヨイガはあなたたちを外に出したくないようです」

 突然、屋敷の奥の部屋から赤い着物を着たおかっぱ頭の男の子が現れた。

「君は?」

「申し遅れました。私は座敷童子です。今、マヨイガであるこのお屋敷に居候させてもらっています」

 座敷童子は九十九たちに頭を下げてから自己紹介した。

「なるほど。座敷童子くん、私たちはなんとかここから出たいんだが、君からうまくマヨイガに交渉してくれないかな?」

「……いいでしょう。私がマヨイガと話し合ってみます」
 
 そう話すと、座敷童子は屋敷の奥の部屋へと戻っていった。

 「先生、交渉、上手くいくでしょうか?」

 「それは、マヨイガが私たちをここから出したくない理由が何なのかにもよるだろう。ヤマノケくん、君を面倒なことに巻き込んでしまった。すまないね」

 「なあに、気にするなよ。俺はこういうのには慣れてるからな」

 ヤマノケはケラケラと笑いながら答えた。

 しばらくして、座敷童子が戻ってきた。

「何故かはわかりませんが、どうやら、この屋敷の周囲を猿の怪異たちが取り囲んでいるみたいです。それで、マヨイガはあなた達を怪異から守るために、屋敷の出入口を閉じたようです」

「なるほど。マヨイガは怪異から私達を守ってくれているということなんだね」

 マヨイガとなっている屋敷の周囲を、無数の猿の怪異が取り囲んでいた。
 その中には、猿の経立(ふったち)と呼ばれる怪異がいた。
 経立とは、寿命をはるかに超えて生きた動物が、強力な力を持った特別な怪異へと変化したものである。
 猿の経立は他の猿の怪異とは異なり、何故か猿ではなくワイルドな人間の姿をしていた。

 マヨイガが出入口を閉じたのはこの猿の経立が原因だった。
 マヨイガは強力な力を持つ猿の経立から九十九たちを守るために、あえて外に出せないようにしていたのだ。

「猿の怪異に取り囲まれているのか。それは厄介だな。私たちは彼らに目をつけられるようなことをした覚えはないんだが?」

「もしかして、私たちが巨頭オたちを追い払ったのが面白くなかったんですかねえ?」

「マヨイガによると、猿たちの中に経立という強力な怪異がいるので危険だということです。とりあえず、三人はここにいてください。私が外に出て怪異たちと話をしてきましょう。マヨイガ、聞いていたでしょう? 玄関の戸を開けてください」

 マヨイガは座敷童子の呼びかけに答えるように、玄関の戸を開いた。
 
 座敷童子が玄関から外に出ると、マヨイガの話していたとおり、猿の怪異たちが屋敷を取り囲んでいた。
 その中にいた、人間の姿をした怪異が、座敷童子に話しかけてきた。

「お前は、座敷童子だな。この家の中に女がいるだろう。気に入ったんだ。一目惚れってやつさ。連れて帰って俺の嫁にするから出してもらおうか」

「それは出来ませんね。マヨイガも私と同じようです」

 座敷童子は毅然とした態度で猿の経立に返答した。

「そうか。俺の邪魔をするなら、力づくで行かせてもらう。後悔するなよ」

 猿の経立は玄関前に立っている座敷童子に体当たりをして、突き飛ばした。

「させませんよ!」
 
 しかし、突き飛ばされた座敷童子も自身の髪を伸ばして猿の経立の全身に絡みつけることで、彼の動きを封じた。

「へえ、中々やるじゃねえの。だが、この程度で俺は止まらねえよ!」

「ぐうう、すごい力だ」

 無理矢理座敷童子の髪を強引に振り解いた猿の経立はそのまま強引にマヨイガの玄関の戸をこじ開けて中に入った。

「よう、お嬢さん。俺は猿の経立っていうんだ。俺はお前を気に入ってな。今日から俺の嫁になってもらうぜ」

 猿の経立はサキの目の前に立つと、顔を近づけて挨拶した。
 彼もサキを気に入って後をつけてきたらしい。

「まったく、サキ君は怪異に好かれやすい体質なのは知ってたけど、これほどまでとはねえ」

「ううー、突然プロポーズされて、なんか複雑な気分ですー」

「猿の経立といったな。彼女は私の大切な助手だから、君に渡すわけにはいかないな」

 九十九が、サキと猿の経立の間に身体を入れて、サキを守りながら話しかけた。

「なら、力づくでも認めさせてやるよ」

 猿の経立はプロポーズを邪魔をした九十九に対して、腕を振り上げて威嚇するポーズを取った。

「お前は元々は猿そのものだったはずだ。その見た目も人間から奪ったんだろう?」

 猿の経立は九十九の問いかけを無視して突き飛ばし、サキに壁ドンをした。

「ふふ、かっこいいだろう? この顔と身体、結構気に入ってるんだぜ」

「うー、ノーコメントですー」

 サキは苦笑いしながら答えた。

『九十九、俺にこいつと戦わせてくれ』

『ゼロ、君はまだ完全じゃないが……』

『猿に負けるようじゃ、狼失格なんだよ。ま、ここは俺に任せてくれ』

「随分と調子に乗ってるじゃねーか、サル野郎。悪いが、俺も彼女を気に入っていてね。猿ごときには渡せねえな」

 突然、九十九の雰囲気と口調が変化したことに、猿の経立は驚きを隠せなかった。
 
「なるほど、こっちの女は犬と融合していたのか。それで、犬の方が表に出てきたようだな。ははっ、それじゃあ俺とは仲良くなれねーわな。犬猿の仲って言うしな。まあいい、大人しく嬢ちゃんを渡しな」

「俺が猿の言うことを聞くとでも?」

 九十九と入れ替わったゼロが猿の経立を睨みつける。
 
「ははは、それもそうだ。それじゃあ、力づくで奪わせてもらうぜ」

 猿の経立は仲間の猿の怪異から木製の棍棒を受け取ると、ゼロに襲いかかってきた。

「はは、お前ら四足歩行の犬と違って、俺たちは武器を自由に使えるんだよ!」

 猿の経立は棍棒をゼロに激しく叩きつけてきた。
 ゼロはその攻撃をスレスレのところで回避していくが、周りにいる猿の怪異たちがゼロに石を投げつけて追撃してきた。

「ちっ、厄介な猿どもだぜ。それなら……」

 ゼロは猿の怪異たちを睨みつけながら、雄叫びをあげた。

「わおおおおおおおおん」
 
 その声を聞いたとたん、猿の怪異たちは身体が金縛りにかかったように動かなくなった。

「ほう、雄叫びで俺の子分たちを全て気絶させるとは、犬にしてはやるじゃねえか。はは、面白え。ここからは俺とお前のタイマン勝負だ。どっちかがぶっ倒れるまでやり合おうぜ」

「いいだろう。狼と猿の格の違いを見せつけてやる。さあこい。俺の爪で切り刻んでやるよ」

 ゼロと猿の経立は睨み合いながら、次の攻撃の予備動作に入った。

「二人とも待ってください!」

 二人が飛び掛かろうとした次の瞬間、二人の間に背の高い女性が割って入った。

「あなたは、八尺様ー!?」

 なんと、八尺様が二人の戦いを止めに来たのだ。

「なんだお前。男同士の真剣勝負に水を差すんじゃねえよ!」

 怒った猿の経立が八尺様を睨みつける。

「二人とも、聞いて。森が大変なことになっているの。退魔師たちが、森に火を放ったのよ!」

「なんだって? 本当なのか?」

「確かに、何かが焦げたような臭いを感じる……」

 ゼロは鼻をひくつかせながら臭いを嗅いでいた。
 
「私に仲間を倒された報復のつもりなのかもしれません。とにかく森に火が燃え広がっていて危険なんです。お願いです。あなたたちも森の消火を手伝ってください」

 八尺様は丁寧にお辞儀をしながら、二人に頼み込んだ。

「確かに、この森を燃やされては困る。仕方ない、犬よ、一時休戦だ。いいな?」

「もちろん、緊急事態だからな。この森の火を消すのが最優先だ」

 ゼロたちは、八尺様に誘導してもらいながら森の奥へと進んでいった。

 森の奥からはたくさんの黒煙が立ち上がっていて、焦げ臭い臭いが漂ってきた。

「マズいな。そこら中で黒煙があがっているぞ。こりゃあ、森の奥深くまで火が入っているぜ」

「遠くの炎もはっきりと見える。お前たち、近くの湖にいって水を汲んでこい。少しでも炎を食い止めるぞ」

「キキー」

 猿の経立は仲間の猿の怪異に命令して森の消火にあたらせた。
 
『ゼロ、火が燃え移りそうな木をどんどん倒してくれ。少しでも森への延焼を阻止するんだ』

『わかったぜ九十九。燃えそうな木を倒せばいいんだな?』

 ゼロは火が燃え移りそうな木を爪で切り裂いて倒していった。

 ゼロたちは懸命に消火していったが、森の火の勢いはどんどんと増していって、炎が燃え広がっていった。

「火の勢いが強すぎる。これじゃあ俺たちがいくら火を消していってもキリがないぜ。どうしたらいいんだ」

「……龍神様なら、なんとかしてくださるかもしれないな」

 猿の経立がつぶやいた。

「龍神様だって? そいつなら火を消せそうなんだな?」

「ああ。水の神様だからな。あの方なら空から水を降らせることも可能なはずだ」

「それはすごいな。それで、その龍神様はどこにいるんだ?」

「あの方はこの先にある水鏡湖のほとりにいらっしゃる。だが、今は祠に施された結界に封印されてしまっているんだ。だから、身動きが取れないはずだ」

「なるほど、なら、その結界を解けばいいんだな?」

「そう簡単に結界が解ければ苦労はしねえよ。ものすごく強力な結界なんだ。昔、この土地は水害が多発していてな。当時、ここに来た名の知れた僧侶に封印されてしまったらしいぜ。どうやら、龍神様がその水害の元凶だと勘違いされてしまったようでな」

「とばっちりもいいとこだな。だが、俺の相方なら龍神様を解放できるかもしれないぞ」

「なんだって?」

「俺の相方は神様を物に宿す能力を持ってるんだよ。それで結界から解放できるはずだ」

『やれるだろ、九十九? 時間が無い、先を急ぐからな』

『ああ、私に任せてくれ』

 猿の経立に案内されたゼロたちが森を進んでいくと、目の前に大きな湖が現れた。

「ここが水鏡湖だ。そして、龍神様はそこの祠にいらっしゃる」

 猿の経立が指差す先には、お経のような文字が書かれた短冊が無数に貼り付けられた小さな石の祠があった。
 
 ゼロはその祠の前に到着すると、九十九に身体を返した。

『よし、あとは任せてくれ、ゼロ』

 九十九は、持っていたカバンから、黒檀という特殊な木で出来た小さな人形を取り出した。

『結界に捕らわれし水の神よ。我が依代に宿り、その力を解放したまえ』

 龍神様は九十九の用意した木の依代に移動して自由の身となった。

『我が依代に宿りし水の神よ。水の力を得て、本来の姿へと戻りたまえ』

 龍神様が宿った依代は湖に潜ると、水をたくさん体内に蓄えて上空へと舞い上がった。

 湖から出てきた龍神様は、本来の大きな白い龍の姿へと戻っていた。

 そして、上空から何度も水を森を焼く炎へ向かってかけ続けた。
 T地区の怪異たちも協力して森の火を消火していった。

 怪異たちによって、森の火災はほとんど消し止められて、鎮圧状態となった。

「八尺様。ここまで火が消えれば、後は森にいる怪異たちで対処できるはずです。龍神様を祠へお戻ししても構わないですね?」

「ええ、もう大丈夫でしょう。九十九さん。本当にありがとうございました」

 八尺様はにっこりと九十九に微笑んだ。

 その様子を見ていた猿の経立が、八尺様に声をかけた。

「すいません八尺様、挨拶が遅れました。俺は猿の経立です。あなたを一目見た瞬間、あなたに心を奪われました。よかったら、俺と付き合ってもらえませんか?」

「ええー!」

 驚いた九十九たちは思わず声を上げた。
 
 猿の経立は八尺様に惚れたようだ。

「ふふ、まさか経立様に告白されるとは思いませんでしたわ」

 八尺様もまんざらではないようだ。

「よかった。どうやら猿の経立は君から八尺様に気が移ったみたいだよ」

「うーん、なんか複雑ですー。まあ、どっちにしろ、浮気性な男は私、大嫌いですー」

「はは、私もだよ」

 九十九とサキはお互いの顔を見つめ合ってから、静かに笑い出した。

◇◇◇

 その日の夜、T地区の怪異たちが集まり、今後の対応について話し合っていた。

 そして、怪異たちは火を放った退魔師たちに報復することを決めた。

「九十九さん。私たちは百鬼夜行をすることに決めました」

 八尺様が猿の経立とともに九十九たちの前に現れて報告した。
 二人はかなり仲良くなったようで、お互いの手を握り合っていた。

「退魔師たちに報復することにしたんですね」

「ええ。このT地区のすべての怪異が参加して、退魔師たちに報復しに向かいます」

 百鬼夜行とは、大勢の怪異たちが行列を作って、目的の場所まで行進していくことをいう。

 だが、今回の百鬼夜行は、報復のために行われる。
 怪異たちが報復という目標を達成するまで、決して止まることが無い。
 これは、この地区の怪異と退魔師の全面戦争といってもいい事態になることを意味していた。

 怪異たちは、東北地方の退魔師たちの拠点である退魔協会の施設を目指して行進を始めた。

『これが本物の百鬼夜行か。俺も初めてみるよ』

『退魔師たちは一線を超えた。この地区の怪異たちを本気で怒らせてしまったんだ。彼らはもう、おしまいだね』

 しばらくの間、九十九とゼロは行進する怪異たちを見つめていた。

「ぷー」

 その横で、サキが頬を膨らませながら不満そうにしていた。

「どうした、サキ君?」

「マヨイガから、何か持ってくればよかったなって、今でも後悔してるんですー」

「まだ根に持ってたのか」

「だって、せっかく幸せになれるチャンスだったんですよー! それをみすみす逃すことになるなんてー」

 サキはマヨイガから何も持ち出せなかったことを怒っていた。

「ふふ、大丈夫だよ、サキ君」

「なんでですか?」

「マヨイガの伝承では、何も持たずに帰った女性のところに、後日、お米が絶対に無くならないお椀が届いたんだ。だから、私たちのところにも、後で幸運が訪れるはずだよ」

「そうだったんですねー。あー、先生、あの時、それ知ってて黙ってましたねー。ヒドイですー」

「ごめんごめん。だから、これからきっといいことが起こるよ。きっとね」

 そう言うと、九十九はサキの頭を優しくなでた。

◇◇◇

 組織のアジトに戻ったダンタリオンとウェパルは、部下からT地区で怪異たちが百鬼夜行を起こしたという報告を受けたあと、二人で話し合っていた。
 
「まさか、T地区の怪異たちが百鬼夜行を引き起こすとはねえ。まあ、これで東北地区の退魔協会も終わりでしょう。彼らでは、本気になったT地区の怪異たちには勝てないでしょうから」

「うーん、タイミングが悪かったねえダンタリオン。ボク、百鬼夜行をこの目で見たかったなあ。引き上げるのがもう少し遅かったら見れたのになあ」

 ウェパルは子供のように頬を膨らませながら悔しがっていた。
 
「悔やんでも仕方ないです、ウェパル。私たちは一度選んだ選択をやり直すことはできないんですから。人はみんな、運命ってやつには逆らえないんですよ」

 ダンタリオンはウェパルをなだめるように、落ち着いた口調で話しかけた。

「そうだよねえ。あ、でも、ささぎ駅にいた怪異、あいつは確か、時間をループすることができたんだよね? 彼ならやり直すことができたのかな?」

「どうでしょうねえ。ただ、あの怪異自身も自分の作った時間のループから抜け出せなくなっていましたよ。まあ、彼はそれを承知でその能力を使ったようですが。そういった意味では、彼は失敗作でしたねえ」

「なるほど。そういう感じになってしまうのか。強力な能力っていうのも、使うのが難しいんだねえ」

「ええ。だから能力のコントロールが必要になってくるんですよ、ウェパル。あなたの能力も素晴らしいんですから、その能力をコントロールできるように訓練しておいた方がいいと私は思います」

「そうだね、もっとコントロールできるように努力するよ」

 ダンタリオンに能力を褒められたウェパルは、ようやく機嫌を直した。
 
「組織の目標は、この日本をより優れた国家へと変えることです。そのためには、私たちのように特別な特異能力を持つ者が必要となります。だから、組織は新たな特異能力を持つ怪異や人間を作り出す研究をしているんです」

「ふふ、その研究で都市伝説のもととなる怪異たちが生まれているんだから、恐ろしいね」

「まあ、彼らは私たちが使いものにならないと判断して廃棄した怪異たちなんですけどね。しかし、その廃棄した怪異たちの中にも、特異能力を磨いて都市伝説となるほど力をつける者がいる。それが面白いところですねえ」
「ねえみんな、ホワイトキャット様がこの街に来てるってうわさ、聞いた?」

 放課後の教室で、四人の小学生たちが話をしていた。
 彼らは小学五年生で、少年探偵が活躍するテレビアニメ名探偵ポワンの大ファンだ。
 このアニメが好きすぎて、四人は少年探偵団を結成していた。
 探偵団のメンバーは、山本浩太、石川拓海、村上有紗、福本由衣。
 この四人が、今話題になっている怪盗ホワイトキャットの話をしていた。
 ホワイトキャットは名探偵ポワンに登場する怪盗である。
 少年探偵である玉川ポワンのライバルとして、作中で何度もポワンと名勝負を繰り広げてきた人気のキャラクターだ。
 
「正義の怪盗、ホワイトキャット様がこの街に来ているってうわさ、聞いた?」

 名探偵ポワンが大好きな有紗がみんなに問いかけた。

「聞いたよー。由衣、アニメの中だけのキャラだと思ってた。本当にいるんだね」

 メガネっ子の由衣が有紗に答えた。

「本当にアニメと同じらしいよ。銀色の髪に、白いスーツを着ていて、トレードマークの黒い手袋もしてたって」

 有紗以上に名探偵ポワンが大好きな浩太も応じた。

「それって、ただのコスプレしてる痛いお姉さんなんじゃないですか? アニメの人物が本当にいるとは思えませんが?」

 大人びた雰囲気の拓海が疑問を投げかけた。

「いや、うちのパパも見たんだけど、あれは絶対に素人じゃないって言ってた。すごい人オーラが出てて、本物の怪盗にしか見えなかったって」

「へー、有紗のお父さんがそう言ってるなら、この街にそういう人がいるのは確かだね。ねえ、少年探偵団のみんなでホワイトキャットを探してみましょうよ」

「それいいね。僕もホワイトキャットに会いたいし」

「それじゃあ、とりあえず、街の人にホワイトキャットのことを聞き込みしてみましょう」

「さんせーい」

 少年探偵団のメンバーは街でホワイトキャットの聞き込みをすることにした。
 
 少年探偵団の四人が住む街はC県にある冥賀市(めいがし)の中にある。
 冥賀市には東京のベットタウンとして開発されたニュータウンがあり、大型のショッピングモールもあって活気のある街だ。
 彼らが住んでいるのは、このニュータウンのうちの一つであり、郊外の都市らしく落ち着いた雰囲気の街だった。
 
 四人は街の中でいろいろな人に聞き込みをしたが、目撃情報はあってもなかなか本人には辿り着けなかった。

「どうだった?」

 有紗がみんなにたずねる。

「ホワイトキャットと似た格好をした女の人が来ているのは間違いないかも。私が聞いたら見たよって人が結構いたわ」

「僕が聞いたのは、中学生くらいの女の子と一緒にいたって」

「……それで、どこにいるかはわかったの?」

「うーん、見たって人は結構いたんだけど、どこにいたのかまでは聞いてなかった……」

「それじゃあ、どこにいるかわからないじゃない」

 有紗は不満そうにうつむいた。

「まあまあ。とりあえずこれを見てください」

 拓海はこの地区の地図を広げた。

「みんながホワイトキャットを見たって聞いた人たちは、彼女の目撃者なんです。その人たちがいた場所を地図に書いていけば……」

「あ、目撃情報が多い場所に、ホワイトキャット様がいる可能性が高いってことね」

「そういうことです」

「さすが拓海くん。あったまいいー」

「僕たちは少年探偵団なんですから、これくらいは出来ないとね」

 有紗たちは目撃者がいた場所を地図に書き込んでいった。

「これを見ると、街の西側に目撃者が集中しています。 とりあえず西側を探してみましょう」

「うん。西側にいってもう一度聞き込みをしてみよう」

 街の西側についた四人は、もう一度ホワイトキャットの聞き込みを始めた。

 その中で、お花屋さんのお姉さんが有力な情報を話してくれた。
 
「お姉さん、ホワイトキャットを見たって本当ですか?」

「ええ。私も名探偵ポワンの大ファンだからね。あれは間違いなく怪盗ホワイトキャットそのものだったわ」

「コスプレしているお姉さんではなくて?」

「あの雰囲気はコスプレって感じではなかったわよ。スラっとしていて、本当に怪盗って感じのたたずまいをしてたの」

 お花屋さんのお姉さんは、うっとりしながら話していた。

「やっぱり、ホワイトキャット様って本当に存在していたのね」

「もしかしたら、アニメのモデルになった人なのかもしれないね。でね、私、お花の配達中に見ちゃったのよ。そのホワイトキャットが、この街の外れにある洋館の方へ向かっていくのを」

「ええー。それじゃ、その洋館はホワイトキャット様のアジトだったってこと!?」

「その可能性はあるわねえ。洋館へは、私が見かけた場所からしかいけないから、間違いないと思う。でも、危ないからみんなは洋館に近づいちゃダメよ。いろいろと怖いうわさがある場所だからね」

「はい、わかりました。お話聞かせてもらって、ありがとうございました」

「あら、きちんとお礼が出来て、えらいわねえ。私も名探偵ポワンの話大好きだから、いつでもお話に来てね」

「はーい。また来ます」

 お花屋さんと別れた四人は、作戦会議を始めた。

「有力な情報がきたね」

「でも、その洋館ってどこにあるんだ?」

「地図によると……、ここですね。ちょうど、この道をまっすぐ進んだところにあります」

「よし、早速行ってみよう」

 四人は街の外れにある洋館の前までやって来た。
 洋館は街の外れの森の中に、ひっそりとたたずんでいた。

「まさか、森の中にあるとは思わなかったな。それに、思ってたよりずっと古い洋館だね。私、ちょっと怖いなあ」

 怖がりの由衣が、独り言のように話し始めた。

「どうしよう。お姉さんは入るなって言ってたけど……」

「僕たちは普通の小学生じゃなくて、少年探偵団ですからね。お姉さんが話していたように怖いうわさが流れているなら、なおさら調査をしないといけません」

「安心して。私、スマホ持ってるから、何かあったら警察に通報できるよ」

 有紗が可愛らしい小悪魔のキャラクターの顔の形をしたポシェットからスマホを取り出して、みんなに見せた。

「よし、それじゃ、洋館を探索しよう」

 四人は洋館の玄関までやってきた。

「思ったより、大きな洋館だねえ」

「こんにちはー。お邪魔しまーす」

 ガチャガチャ。

 浩太が玄関のドアを開けようとするが、鍵がかかっていて開かなかった。

「どうしよう、やっぱり、鍵がかかってる」

「とりあえず、建物の外をぐるっと回って、中に入れるところを探してみましょう」

「私たちなら、窓からでも入れるかもしれないしね」

 四人は洋館の周囲を回って、入口になる場所がないか確認していった。

「うーん。窓も閉まってるね」

「あ、見て。あそこ、窓が開いてる」

 バルコニーの中にある大きな窓が開いているのが見えた。

「本当だ。でも二階だよ。僕らじゃ届かないじゃん」

「それじゃ、別の入口を探すしかないね」

「ねえ、見て。あそこに倉庫があるよ。ハシゴがあれば、二階まで登れるんじゃない?」

 洋館の庭にある洋風のガーデンの脇に、庭の手入れに使っていると思われる用具をしまっている小さな倉庫があった。

「よし、中を見てみよう。あー、薄暗くてよく見えないなあ」

「待って。私のスマホで照らすよ」

 有紗がスマホのライトをつけて、倉庫の中を照らした。

「あ、やった。奥にハシゴがあるよ」

「浩太くん。それはハシゴじゃなくて脚立っていうんですよ」

「へえ、拓海くんはなんでも知ってるねー」

「でも、これじゃ高さが足りないんじゃない? とても届かなそうだよ」

「大丈夫。脚立は広げるとハシゴとしても使えるんです。この大きさなら、広げてハシゴにすれば、なんとかバルコニーまで届くと思います」

「やったー。それじゃ、早速持っていって使おう」

 四人は倉庫から脚立を持ち出すと、バルコニーのある場所まで運んだ。

 脚立を広げてハシゴにすると、拓海の言うとおり、バルコニーまで届きそうな長さだった。

「浩太くん。ハシゴをかけるのを手伝ってください」

「わかった。僕が反対側を持つね」

「重いので、ゆっくり持ち上げましょう。危ないので有紗ちゃんたちは下がっていてください」

「はーい」

 浩太と拓海は、ゆっくりとハシゴを持ち上げてバルコニーにかけた。

「やっぱり重かったなあ。でも、うまくいったね」

「やるじゃない。さすが浩太と拓海ね」

 有紗が二人を褒めた。

「ハシゴを登るときはハシゴが揺れて危ないから、誰かが下でハシゴを押さえていないといけないんです。僕が押さえているから、浩太くんが先に登ってくれるかな?」

「いいよ。それじゃあ僕が一番先に登らせてもらうねー」

 拓海はハシゴの裏側に回り込んで、ハシゴをしっかりと手で押さえた。

「よし。浩太くん、登っていいよー」

「ありがとう拓海くん。それじゃあ登るよ」

 浩太はハシゴを一段ずつ登っていった。

「よし、とうちゃーく」

「浩太くん。今度は君も上からハシゴを持って押さえてください」

「わかったー」

「それじゃ、今度は私が登るねー」

 浩太に続いて、有紗と由衣も、ハシゴを登っていった。

「わーい、拓海くん、ついたよー」

「よし、最後は僕の番だね。浩太くん、揺れないように上でしっかりハシゴを押さえていてくださいねー」

「まかせて。バッチリ押さえてるから」

 最後に拓海がハシゴを登って、バルコニーに入った。

「よし、これで全員二階に上がれたね」

 大きな窓から中を覗き込むと、建物の中は明かりがついていないようで真っ暗だった。

「ちょっと怖いねー。どうする?」

 怖がりの由衣がみんなに確認する。

「ここまで来て、帰るわけにはいかないよ」

「私のスマホで照らせばなんとかなるよ。それに、窓がある明るいところを選んで進んでいけば、なんとかなりそうじゃない?」

「よし、僕が先頭でいくよ。有紗ちゃんと由衣ちゃんは真ん中にいて。浩太くんは一番後ろを見張ってください」

「わかった。後ろは任せてね」

 拓海が先頭に立って、中を探索することになった。

「ここからははぐれないように、手を繋いでいきましょう」

「うん。その方が安心だものね」

「とりあえず、ホワイトキャット様を探すのよね? その前に怖いオバケとかが出てきたらどうしよう?」

 怖がりな由衣は、みんなと手を繋いでいても怖い気持ちが抑えきれなかった。

「大丈夫です。この世界にオバケなんて非科学的な存在はいませんよ」

 拓海はオバケなど存在しないと考えて強がりを言っているが、内心は本当に存在したらどうしようと怖がっていた。

「それに、本当に出てきても、僕と拓海でやっつけてやるから。安心して」

 拓海と同じく強がりをいう浩太だったが、その手は汗でびっしょりと濡れていた。

 洋館は四人が考えていたよりもずっと綺麗で、隅々まで手入れがされていた。

「人が住んでない空家かと思ったけど、やっぱり誰かが住んでいるみたいだね」

「それなら、やっぱりホワイトキャット様のアジトなのかもね」

「でも、なんで明かりをつけないで真っ暗なんだろう?」

「明かりをつけると外に光が漏れて、ここに誰かがいるっていうのがバレてしまいますからね。ここが怪盗の隠れ家なら、人に知られたくないはずです」

「でも、ホワイトキャット様は大勢の人に姿を見られてるよ。それはおかしくない?」

「確かにそうですけど……」

「あなたたち、何しに来たの?」

 突然、後ろから声をかけられた。

「うわああああ!」

「きゃああああ!」

「みなさん落ち着いてください。女の子の声です」

 拓海がみんなを落ち着かせた。

 四人の背後から、彼らと同じくらいの年の少女が現れた。

 彼女は白いマスクをしていて、顔が半分隠れていたが、金髪の長い髪に、青い目をしていた。

「あなたは誰?」

「私はナージャ。この家に住んでいるの。あなたたちは何者なの?」

「僕たちは少年探偵団です。この家に怪盗のホワイトキャットがいると聞いて、会いに来たんです」

「ホワイトキャット? 名探偵ポワンの? ああ、ツクモに会いに来たのね」

 それまで四人を警戒していた金髪の少女の表情が、少しだけ穏やかになった。

「ツクモ? ホワイトキャット様じゃないの?」

「よく似てるけど違うわ。ツクモは探偵なの。私が仕事を依頼して、この屋敷に来てもらったのよ」

「なんだ。やっぱり本物のホワイトキャットじゃなかったんだ」

 浩太はがっかりして肩を落とした。

「ふふ、でも、ツクモはホワイトキャットと同じくらいかっこいいわよ。あ、自己紹介がまだだったわね。私はナージャ。この髪と目を見ればわかると思うけど、日本人じゃないわ。日本の隣の大陸から来たの」

「それって、ロシアのこと?」

「惜しい。私はまだロシアになる前のソビエトという国の出身なの」

「え? ソビエトって、僕たちが生まれるずっとずっと前に無くなった国じゃないですか?」

「そうよ。だから私、こんな見た目だけど、あなたたちより、ずっとずっと年上なの」

「えー、あなた、おばさんだったのー!?」

 驚いた有紗が大声をあげた。

「……おばさんって呼ばれると傷つくから、お姉さんって呼んでくれる?」

「ごめんなさい、ナージャさん」

 有紗は申し訳なさそうにナージャに頭を下げた。

「あ、それであなたたちは、ツクモに会いたかったのよね? 今、助手の子と下の階の応接間にいるから、会いにいきましょう」

「やったー。ホワイトキャットに会えるー」

 ナージャは大喜びの四人を応接間に案内した。

「わー、本当にホワイトキャット様だ。キャット様が目の前にいるー」

 有紗は目をキラキラさせながら叫んだ。

「ナージャさん、この子たちは?」

「ツクモさん、この子たち、あなたのファンみたいよ。あなたに会いたくて、この屋敷の中に入ってしまったみたいなの」

「なるほど。街で少し目立ちすぎたか」

◇◇◇

 話は一週間前にさかのぼる。

 とある少女から電話で依頼を受けた九十九とサキは、彼女に会うために洋館を訪れていた。
 
「ツクモさんはじめまして。私はナージャです。ソビエトから日本に来ました」

 ナージャは九十九たちに自分の生い立ちを語り始めた。

 ナージャは吸血鬼の少女だった。
 彼女の一族はかつてシベリアに住んでいた。
 そこへ吸血鬼と敵対している人狼たちがやってきて、彼女たちの集落を襲った。

 ナージャの一族は勇敢に狼たちと戦った。
 しかし、人として生活していく中で、知恵を身につけた狼たちは強く、ナージャたち吸血鬼の一族は彼らに敗れて故郷を追われた。
 生き残ったナージャたちは海を渡り、日本へと辿り着いた。
 その後、人狼たちも海を渡り日本へ来たことを知ったナージャはこの洋館を見つけて、狼たちに見つからないように身を隠していたのだ。

「それからずっと、私は狼たちに見つからぬよう身を隠してきました。ですが、最近仲間から、私の同胞が人狼に見つかったとの連絡があったのです」

「それで、私に護衛を頼んだわけですね」

「はい。信じたくはないのですが、私たちの中に、裏切り者がいたようで、仲間たちの居場所を狼たちに漏らしていたようなのです。それで、今回、あなたに連絡をしたのです。私の仲間からも、あなたの活躍はよく聞いていました。怪異探偵として、たくさんの事件を解決してきたとか。そして、あなたはとても強いと聞きました。ぜひ、力を貸してもらいたいのです」

「まかせてください。必ずあなたを守り切ります」

「私もがんばりますからねー」

(ふふ、ナージャさんには今回、前払いでいっぱいお金を振り込んでもらえましたからねー。こんな上客を逃すわけにはいかないのですー)

◇◇◇

「さて、君たちは私に会いにきたんだったね。サインを書いてあげるから、今日はもうお家に帰りなさい」

 子供たちに悪意が無いことを確認した九十九は子供たちを洋館から帰そうとした。

「サインもらえるんですね。やったー。あ、私のサインは、ホワイトキャットから有紗へって書いてください。あと、私スマホ持ってるんで、みんなで写真も撮らせてください」

「ああ、君は有紗さんなんだね。それじゃあここに書くよ」

(なんで私がホワイトキャットの名前でサインを書かなくちゃいけないんだ……)

「ふふ、人気者ですねー、先生」

 その時、ゼロが屋敷の周囲を狼の怪異たちが取り囲んでいることに気づいた。

『おいうみか。屋敷の外から怪異の臭いがプンプンするぜ。それもすごい数だ』

『ちっ。まさか、子供たちがいる時に来るとは』

 九十九が窓から外を確認すると、数えきれないほどの狼が、屋敷の入口に集まっているのが見えた。

『今日のお前、ついてないな。大丈夫か?』

『まあ、これも仕事だからね。どんな運勢だろうが、キッチリこなすしかないのさ』

「ナージャさん、屋敷の外に狼の怪異たちが来ています。残念ながら、すでに大勢の狼たちが屋敷の周囲を取り囲んでいるようです」

「やはり、私がこの場所にいることが狼たちに知られていたのですね」

「ナージャさん、あなたは中で待っていてください。私が外の狼たちと話をつけてきます。サキ君、ナージャさんと子供たちを頼むよ」

「はいはーい。ここはまかせてくださーい」

「君たち、私はこれから外にいる悪い狼たちをやっつけてくるから、大人しくここで待っているんだよ」

「わー、ホワイトキャット様の戦いが見れるなんて、有紗幸せです」

「ホワイトキャット、がんばってね」

「ホワイトキャット、応援してます。負けないでください」

「負けないよ。だってホワイトキャットは無敵だもん」

 九十九は右手を挙げて子供たちの声援に応えた。

 九十九は玄関から外に出ると、狼たちに話しかけた。

「やあ君たち。この屋敷に何か御用かな?」

「私たちはここにいる少女に用があってね。邪魔をするなら、お前もタダじゃおかないよ」

 狼たちは九十九を取り囲んだ。

「悪いが、私は彼女に雇われていてね。残念だが、君たちを倒すためにここにいるんだ」

「なるほど。ならば、我々の食事にするだけだ!」

 狼たちは一斉に九十九に襲いかかってきた。

『九十九、こいつらは俺にまかせてくれ』

『ああ、頼むよゼロ』

 九十九はゼロに身体を預けた。
 ゼロは飛びかかってきた狼たちを爪で弾き飛ばした。

「その姿は! お前、私たちと同族なのか?」

 ゼロの姿を見た狼たちは驚いて攻撃をやめた。

「ああ、お前たちと同じ狼の怪異だよ」

「同族なら、私たちの邪魔をするな!」

「ふん、俺に命令するんじゃねえ!」

 ゼロが狼たちを睨みつけると、狼の一人が前に出てきた。

「私たちにも事情があるんだ。ここで手を引くわけにはいかない。大人しく少女を渡してもらおうか」

「なるほど。だったら、ここで戦って決着をつけるしかねえな」

「同族同士で戦うのは気が進まないが、仕方あるまい。お前たち、こいつを始末するぞ」

「がるるるる……」

「わおおおおん」

 狼たちは、再び一斉にゼロに飛びかかってきた。
 ゼロは、襲いかかってくる狼たちを冷静に爪で仕留めていった。

『やるじゃないか、ゼロ』

『俺も大分力を取り戻してきたからな。この程度の怪異に負けはしないよ』

 ゼロは、その場にいた狼たちを全て倒した。
 そして、最後まで自分に向かってきたリーダーらしき狼に話しかけた。

「さて、なんであの娘を狙っているのか、教えてもらおうか?」

「そんなことをして、私になんのメリットがある?」

「俺は自分の身体を再生するために、怪異を喰っていてね。お前が何も話さないなら同族だろうが構わないで喰っちまうが、いいのか?」

「その目……本気のようだな。いいだろう。お前は同族だから、特別に話してやる」

 狼のリーダーは、自分たちが何故吸血鬼を追っているのかを語り出した。
 
「私たちは、ずっと吸血鬼の一族を追っているんだ。彼らを食べるために」

「お前たち、吸血鬼を食べてたのか」

「ああ。それが私たちが人間の姿を保つために必要なことなんだ」

「確か、お前たちは人狼だったな? だから、吸血鬼を襲っていたのか……」

「ん? ああ、お前は人狼じゃなくて、人間と融合しているだけか。だから、知らないんだな。なら、見せてやるよ。私たちは普段は狼だが、人間の姿にもなれるんだ。こんな風にね」

 そう言うと、狼は若い人間の女性の姿へと変化した。

「ボスは、私たちは定期的に吸血鬼の肉を食べないと、この人間の姿にはなれなくなると言っていた」

「なるほど、昔から人狼は吸血鬼と争っていると聞いていたが、そういう理由があったのか」

 人狼と吸血鬼。
 この二つの種族は長きに渡って敵対し、対立してきた。

 ソビエト連邦に住んでいた人狼たちは、国中から吸血鬼たちを探し出して、彼らのアジトまで連行していた。
 そして、狼たちは、シベリアまで吸血鬼を狩り尽くすと、逃れた吸血鬼を追って、海を渡り、日本まで来ていたのだ。
 その後、ソビエト連邦が崩壊してロシアとなってから、ロシア国内にいる吸血鬼の人数が急速に減ってしまったため、彼らは血眼になって日本に残っている吸血鬼を探していた。
 
「とにかく、もうあの娘に手を出すな。いいな?」

「悪いがそれはできない。ボスの命令は絶対だ。逆らうことはできない」

「それじゃあ、見逃すことは出来ねえな」

「ふん、好きにしろ」

「はいはい。ちょっと待ってねー」

 ゼロたちの前に、黒い山高帽を被った男が現れた。
 白い仮面をつけているので、顔はわからない。

「お前は確か、ささぎ駅に行く時にいた男だな。俺たちに何の用だ?」

「ふふ、コードナンバーゼロ。この人狼たちは、私たちの組織の大切なパートナーでね。申し訳ないが、彼らは私が連れて帰らせてもらうよ」

 男は変声器のようなもので声を変えているらしく、機械特有の甲高い声で話してきた。

「お前、組織の人間だったのか。なら、お前も一緒に倒してやるよ」

「やめておきなさい。まだ完全に力を取り戻してないあなたでは、私に勝てませんよ」

「何を言っている。おま……」

 突然、ゼロの身体が金縛りにあったように動けなくなった。

『なんだこれは……。身体が、動かない?』

「あなたには金縛りになってもらいました。ふふ、しばらくそのままでいてもらいますよ、ゼロくん。さて、この人狼たちを連れて帰りますか。ストラス、手を貸してください」

「……了解した」

 ストラスと呼ばれた男性は、彼の特異能力で、異次元へと繋がるゲートを作り出した。
 そして、ゲートの中に倒れている狼たちをどんどんと放り込んでいった。

「相変わらずあなたは手際がいいですねえ。それじゃあ、私たちも行きますか」

「……ああ」

「それじゃあ、ゼロくん。ナインティナインくん。私たちはこれで失礼しますよ。機会があったらまた会いましょう」

 山高帽を被った男とストラスもゲートの中に入っていき、すぐにゲートは閉じた。

『まさか、組織の人間が邪魔してくるとは……』

『くそっ、あの山高帽の男。とんでもなく強いぜ。この俺が一歩も動けなかった……』

『仕方ないよゼロ。君もまだ万全じゃないってことさ。がんばって力を取り戻していくしかないね』

『ああ、少しだけやる気が湧いてきたよ。もっとたくさん怪異を喰って、力を取り戻さないとな』

「先生、大丈夫ですか?」

「私は大丈夫だよ。でもすまないナージャさん。狼たちに逃げられてしまいました」

「ツクモさん、あなたたちががんばってくれたから、私たちは無事でいられるんです。それだけで十分です」

「小学生たちは、応接室に待機してもらっています。外の安全が確認できたら、彼らの家に帰しましょう」
 
「でも、どうします? きっと狼さんたちまた来ますよ?」
 
「そのことなんですが、ナージャさん、よかったら、私たちのところに来ませんか? ちょうどもう一人、助手が欲しいと思っていたところなんです。ね、サキくん」
 
「えへへ、ナージャさんが来てくれると、私もうれしいですー」

「あなたたちに迷惑をかけてしまいますよ? それでもいいんですか?」

「私は全然構わないですよ」

「私もですー」

「うれしい。私、ずっと一人だったから、そう言ってもらえるの、すごくうれしいです」

 ナージャは泣きながら九十九に頭を下げた。

「それじゃあ、よろしくお願いします。ナージャさん」

「こちらこそ、よろしくお願いします。本当にありがとう、ツクモさん」

 二人はがっちりと握手をした。
  
「そういえばナージャさん。一つ聞きたかったんですけど、どうやって今回私たちに依頼したお金を稼いだんですか?」
 
「ああ、私、動画サイトでアニメのキャラになりきって配信してるんです。ファンがスパチャっていう投げ銭でたくさんお金をくれるから、基本的にお金には困らないんです」

「えー、ナージャさん、ブイチューバーだったんですねー。どんなキャラなんですか?」

「わたし、いづなまいって名前で配信してます。サキさん知ってますか?」

「ええー、い、いづなまいですってー!」

「ど、どうしたの、サキくん」

「先生、いづなまいっていうのは、最近話題の超有名なブイチューバーですよー。日本だけじゃなくて、世界中にファンがいますー」

「ええ、ナージャさん、そんなにすごい人だったの?」

「ふふ、すごいかどうかはわからないですけど、配信するたびに視聴者さんからお金を結構もらえましたよ」
 
「わー、ブイチューバーって稼げるんですねー。先生、うちの事務所、金欠なんで、私たちもそれ、やりましょー。みんなで配信して、荒稼ぎしますよー」
 
「えー、私もやるの?」

「もちろんです。あ、そうだ。先生は名探偵ポワンのホワイトキャットにそっくりなんですから、顔出し配信で行きましょー。事務所の宣伝にもなりますからねー」

「宣伝ねえ。確かにそうだけど……」
 
 九十九は苦笑いした。