僕の大好きな人が、今日も笑えますように


「あ、星……」

 私は、空を見上げて、ぽつりと呟く。東京とは違って、随分と星の見える数が多かった。周囲には誰もおらず、湯気だけが立ち上っている。
 夕食前の微妙なタイミングだったからか、露天風呂を貸切という贅沢な時間だった。

「はぁ…………。『そういうことだから!』はないよねぇ」

 そして、一人を良いことに、私は独り言をぼやく。
 透明度が比較的高い、乳白色のお湯の中で手を広げて、ぷくぷくと泡を出してみながら、湯面にぼんやりと映る私の顔は赤いままだろうとわかった。

 温泉にのぼせているのか、状況にのぼせているのか、わからないことにしておきたい。

「はぁ…………」

 そう、再び先ほどの会話を思い出しては、私は顔に血が上ってくるのを感じて、頬に手を当てる。
 元々、並んで会話をしながらぼんやりと、自分が気持ちに気づいた場所に戻ってきたなと考えていたのもあったのだ。

 何気ない会話の中で、直人くんが照れているのが可愛くて。
 あぁ、好きだなぁと思って、どうやって伝えようと思っていたところに、いつも真っ直ぐなくせに構えていないところに気持ちをぶつけてくるのは、直人くんの特性なのだろうか。

 もしかすると、恋愛に慣れている相手であれば、好きだと伝え返したら、その時点で恋人の状態に発展していたかもしれなかったが――。

「ライク? って聞き方……あれ、絶対誘導的なやつだと思うんですけど! うう、でも人生一くらいに恥ずかしかった割に、関係はまだはっきりしてないような……」

 私は顔を覆いながら、足をお湯の中でじたばたした。
 大人なのに、一人広い露天風呂で子どものように振る舞ってみても、状況は残念なことに変わらない。

(でもまぁ、はっきり伝えないと、何気なく恋人関係になる感じにはならないだろうなぁ)

 そうわかっていた上で、直人くんが何度か様子を伺うようにしているのから、逃げるように温泉に来た。
 少しだけ落ち着く時間が欲しかったからだが、そろそろ夕食の時間もある。

「よーし……!」

 何に向けてかわからない気合を入れて、私はザブンとお湯から立ち上がった。


 ――そして十分後。
 髪を乾かした私が部屋に戻ると、何故か部屋の真ん中で正座をして、足がしびれて動けなくなっている直人くんがいた。


 ◇◆


 時間があっという間に過ぎて、僕は火照った身体で部屋に一人座っている。
 時計の示す時間と、自分の服装と、かすかに脳裏に残る記憶から判断すると、僕は温泉にいって、身体を洗い、髪を乾かし、部屋に戻ってきたようだった。

(…………え?)

 だけど、今の僕は完全にぼーっとしていて。
 のぞみさんのある声がずっと脳内にリフレインしていた。

『私もさ、直人くん、好きよ』

 ここである。そして、何度再生しても、僕は、自分の耳が信じられないのだった。
 でも、どうやら、のぞみさんの照れ具合が、真実味を保証してくれているようで。

 同時に考える。言葉にすると、『好き』という二文字だけのことだ。
 でも、この二文字が今、僕の全てを波立たせている。

 初めて恋をして、こんなにも自分の心は揺れ動くのかと知った。
 大事な人が辛そうにしている時に、何も出来ないことが嫌なことも。
 何かを返してもらおうと思うよりも、たくさん、たくさんを渡したいと思うことも。
 好きだなぁと思う気持ちには、色んな種類があるということも知って。

 今、好きな人から、好きだと言われる事が、こんなにも奇跡のように嬉しいことだということを、知った。

(そっかぁ――)

 ほう、と僕は息を吐く。
 人はこんなにも、嬉しいを感じられるのか。
 そう思った。


 ◇◆


「で……それを私に言おうと思って、正座で待っていたら足が痛くなって、立ち上がれなくなったところに私が帰ってきたと」

 色々考えながら帰ってきたところに、「何で正座して待ってるんですか」とツッコミを入れるところから始まった会話に、私は言った。

「正座はなんか自然と……いやぁ、ようやく痺れ取れてきました」

 それに、そう足を擦りながらあはは、と笑う直人くんが答えて。
 ふう、と私は息を吐いた。それは嘆息ではなくて、笑いを堪えるようなもので。

 こんな状態を見て、元々の私であれば感じていたであろう呆れや疑問よりも、どこか愛おしさを感じてしまうあたりで、もう私は、やられてしまっているのだろう。

「……夕食の時間の前なので、その……もっと話をするのはその後でとは思うのだけど。もう一度だけ……その、恥ずかしいからこんな改めては、もう一度だけしか言わないですからね?」

「えっと、はい」

 私がお風呂から戻ってくるまでにかき集めていた、恥ずかしさを上回るための勇気を霧散させた直人くんが、こちらを見ていた。

「私は、直人くんが好きです。告白からずっと待たせちゃいましたけれど、私と、恋人になってくれますか?」

 直人くんの目が驚きにぱっと見開いて、続いて、顔が弾けるようにくしゃりと笑う。そして次の瞬間、ふわっと、先程まで感じていた温泉とボディソープの匂いを感じて。
 続いて、ぎゅっと抱きしめられる感触があった。

「……僕も、ずっとずっと、のぞみさんが大好きです。こんな僕ですけれど、よろしくお願いします」

 耳元で、直人くんが、そう言った声が少し震えていて。
 その抱擁からは、驚くほど、心臓の音がが伝わった。

 そんな直人くんの肩に、私はこつん、と頭を預けて、そっと腰に手を回す。
 そして、目の前の素直で一生懸命で、時々抜けている。でもどこまでも優しい人のことを好きになれて良かったと。
 心からそう、思ったのだった。