「申し訳なかった。奴には厳しい罰を与えると約束する」

 三階に上がったスプランヘルは共に上がってきた春馬たちを振り返り、頭を下げてそう言った。謝罪するスプランヘルに、ヴァールが鼻を鳴らす。

「頼むぜ、本当に。大体、スラヴァの本当の領主は何処にいたんだよ」

 思わずといった様子でヴァールが普段の言葉遣いで話すと、スプランヘルが目を細めて視線を向けた。慌てて口を片手で塞ぐヴァールだったが、スプランヘルは言及せずに溜め息を吐く。

「……スラヴァの領主、ウェルペン男爵は父上の部下として長い間尽力してくれていた人物だ。その忠誠心は並みじゃ無い。だからこそ、父上も信頼して地方の領主を任せたのだ。だが、父上が病に伏せってからは領主としての仕事をまともに出来ていない。暇を見てはこの城に来て父上の容態を聞き、薬を探して回っていた。残念だが、男爵にも厳罰を約束しよう。本来ならダレムが代行として任務を遂行しておればこんな話にはならなかったのだが……」

 口惜しそうにそう言ったスプランヘルに、春馬が口を開く。

「いえいえ、男爵はダレムさんを信頼していたのでしょう。敬愛する公爵様の実子と思えば多少の贔屓目で見てしまうこともあると思います。それほどの忠臣を要職から外してしまえば大きな損失ですよ」

 と、春馬が言うと、スプランヘルはホッとした様子で息を吐いた。

「ありがたい。素直に厚意に甘えさせてもらおう。さぁ、父上の元へ、薬を頼む」

 そう言ってスプランヘルはバルトロメウスが眠る私室へと向かった。



 バルトロメウスは規則正しく呼吸はしていたが、息は妙に細く長過ぎた。豊かな髭や長い髪で分かりづらいが、顔色は白く、生気が弱い。
 心配そうに様子を見るスプランヘルだったが、ソフィアが薬を手にして近づくのを見て、一歩下がる。
 ソフィアはバルトロメウスの容態を軽く診て、眉根を寄せた。

「ハルマ」

 呼ばれて春馬が隣に立つと、ソフィアは縋るような目で見上げる。

「やっぱり、私には判断ができないわ。何処が病の原因と思う?」

 聞かれて、春馬は浅く頷く。

「もし、正常な状態に戻せるなら、脳、脊髄の二箇を治せば大丈夫なはずだよ。複雑な部位だけど、いけるかな?」

 確認すると、ソフィアは一度深く深呼吸し、覚悟を決めた。

「任せて」

 そう口にすると、バルトロメウスの頭の下に右手を置き、僅かに持ち上げる。左の手に持ったガラス瓶を傾けながら口元へ運び、そっとバルトロメウスに飲ませた。
 口に触れさせると、いつから起きていたのか、バルトロメウスは静かに、少しずつ液体を口に含み飲み込んでいく。
 淡い光はバルトロメウスの体の中に入ってもなお、僅かに発光して居場所を外へ知らせた。

「さぁ、いくわよ」

 ソフィアは呟き、目を閉じる。すると、ソフィアの両手の手のひらが液体と似た色で発光した。
 喉元から腹部へ流れつつあった淡い光は、ソフィアの手に誘われるようにじわりと動き出す。
 腹部から上半身へと徐々に広がっていった光は、少しずつまた小さくなっていき、ソフィアが手を触れるバルトロメウスの額と首筋に集中し始める。
 光は集まると少しずつ光量を増していき、神秘的な光景にヴァールやスプランヘルが息を飲む。

「……こんな治療、見たこともない」

 スプランヘルがそう口にする中、ソフィアの手は少しずつバルトロメウスの頭の頭頂部へと向かった。
 そして、光は徐々に弱まっていく。

「……終わりました」

 光が消えて、ソフィアがそう告げた。

「お、おぉ……! ど、どうだろうか……! 父は、治ったのか?」

 スプランヘルが無意識に副領主としての態度を崩しつつ尋ねると、ソフィアは額から一筋の汗を流しながら首を軽く左右に振る。

「まだ、分かりません。この病自体を私がもっと知っていたら良いのですが、知識はハルマから聞いたもので全てなので……」

 そう言ってバルトロメウスから離れると、代わりにスプランヘルが側へ歩み寄った。

「……父上」

 声をかけるが、バルトロメウスは熟睡しているのか、全く反応しない。しかし、呼吸は先ほどまでよりも平常なものとなっていた。
「……侍医に確認させ、明日また容態を診るとしよう。君達もこの城に泊まると良い。食事を用意しよう」

 スプランヘルがそう告げて振り向くと、春馬は傍目からも分かるほど嬉しそうに口を開いた。

「城に泊まれる……すごい。夢みたいだ」
「昨日もある意味泊まっただろうが」
「あれは地下室で一夜明かしただけだよ。食べ物だって美味しかったけど出前みたいな感じになってたし」
「同じようなもんだ」
「全然違うってば」

 春馬が一人でワクワクしていると、スプランヘルがフッと息を吐くように笑う。

「それほど楽しみにされたのでは半端な歓待はできんな。少々凝った料理を準備させよう。それまで、湯浴みでもしておいてくれ」
「本当ですか! うわぁ、それは楽しみです!」

 湯浴みについてか、食事についてか、春馬は大喜びで返事をした。それに、スプランヘルは笑いながら頷く。

「ふふ、ハルマ殿は邪気が無いな。立場上、悪意には敏感なのだが、君からは一切それを感じない。これで父上の容態が快方に向かわずとも、君とは良い関係でありたいものだ」

 スプランヘルがそう言うと、春馬は素直に首肯するが、ヴァールは目を丸くして二人を見た。
 スプランヘルがいずれバルトロメウス公爵の跡を継ぎ、当主となるのは間違いない。その人物に気に入られ、今後の関係も示唆された。
 これは、言ってみれば公爵を味方につけたようなものである。公で発されたものではないが、スプランヘルは極めて誠実たる貴族である為、単なる言葉では収まらない内容であった。
 故に、ヴァールは素直に驚嘆する。

「権力者や年上に好かれる奴だな、本当に。あ、後エルフにもか」

 腕を組んでたヴァールが呟くと、ソフィアが嬉しそうに否定する。

「ハルマは良い人に好まれるのよ」

 ソフィアの言葉にヴァールが面白くなさそうに目を細めたが、ふと思い出したように自分を指差す。

「俺もか」
「たまに性格の悪い人にも好かれるのよ」
「どういう意味だ」

 睨み合う二人に、当の春馬が近づいて声を掛ける。

「まぁまぁ……さぁ、湯浴みを勧めてもらったんだから、早速行こう。楽しみだなぁ」

 と、春馬に言われて二人は矛を収めたのだった。



 次の日、大浴場と豪勢な食事を堪能した春馬達はスッキリとした朝を迎え、三階へ足を運んだ。
 三階に行くと、ちょうど近衛兵を連れたスプランヘルが歩いてくるところだった。
 隣には白いローブをきた初老の男がいる。

「おはようございます」

 春馬が一礼して挨拶をすると、スプランヘルが頷いて挨拶を返し、隣の男を紹介する。

「彼は長く父上の侍医を担当してきた医師、エスタライヒだ。昨日、父上の診断をしたが、はっきりとは診断出来なかった。その為、今日から一週間、一日三回の診察を行い、病状の経過を見ていく。さぁ、まずは父上の下へ行こうか。そこで、ハルマ殿の知る病について詳しく教えてもらいたい」
「宜しくお願いします。エスタライヒ医師」
「……こちらこそ、宜しくお願いする」

 エスタライヒは明らかに疑いの眼差しを持って春馬に挨拶を返した。
 春馬の後ろにはソフィアがおり、エルフの秘薬を使ったと聞いていた為に直接疑念の言葉は口にしていないが、内心では冒険者なぞに病が治せるものかと思い込んでいる。
 故に、昨日は公爵の容態が僅かに良い方に向かっている診断結果が出たが、調子の波があるだけに違いないと断じていた。
 しかし、スプランヘルがバルトロメウスの居室のドアを開けて、窓のそばに立って城下を見下ろすバルトロメウスを見た時、腰を抜かしそうになるほど驚いた。

「ち、父上……!」

 それはスプランヘルも同様である。父を呼び、その立ち姿に驚愕している。
 ここ数ヶ月、バルトロメウスは殆どをベッドの上で過ごした。移動したとしても介助を得ながら居室の中の椅子に座る程度である。
 それがまるで嘘のように力強く、二本の足だけで立っていた。
 名を呼ばれたバルトロメウスは振り向き、スプランヘルやエスタライヒの顔を確認し、最後に春馬達を見た。

「……苦労を掛けたな。体力と筋肉は失われたが、もう大丈夫だ。悪い夢の中にいるような気分はすっかり晴れた。立って歩くのも精一杯の体だというのに、我が街を見て回りたいくらいだ」

 柔らかな笑みを浮かべて、バルトロメウスはそう言った。
 スプランヘルの目には涙が浮かび、バルトロメウスはそれを見て笑う。

「泣くな、馬鹿者。当主になり損ねたのだぞ?」
「そんなものより、父上が元気でいてくれる方が大事です」
「……ふん。貴族に向かん奴だ。だが、ありがとう」

 バルトロメウスが不器用に感謝を伝えると、スプランヘルはついに涙を零したのだった。



「君達が私を助けてくれたのか。改めて、礼をさせてもらおう」

 そう言うバルトロメウスに、春馬達は頭を下げる。場所を貴賓室に移した面々は、テーブルを囲んで座っていた。普通ならあまり無いことだが、上級貴族であるバルトロメウスと春馬達が同等の席で座っている。
 なお、エスタライヒは兵士やメイド達と同じく立って話に加わっていた。

「何か褒美は渡したのか」

 バルトロメウスがそう口にすると、スプランヘルは苦笑する。

「今日の結果次第で褒美の内容を考えるつもりでした。まさか、これほど劇的な変化をもたらすとは予想だにしていませんでしたが……」
「馬鹿者。望む物を聞き出し準備せよ。公爵家の威信にかけて情けない真似はするな。分かったな?」
「分かってますよ。家宝すら出す所存ですから」
「いや、家宝は陛下から授かった宝剣だぞ。それ以外なら良いが……」

 二人がそんな会話をする中、先程まで懐疑的な目を向けていたエスタライヒが春馬とソフィアに喋りかけ続けていた。

「いや、流石はエルフ秘伝の霊薬とでもいうべきか。作り方は教えてもらえんのだろうな? いや、良いのだ。出来たら別の薬でも良いからエルフの薬学の一端を……あ、いや、申し訳ない。そうだ。ハルマ殿の知識も素晴らしいものであった。一体あの知識はどこから……」

 と、質問責めに合う二人は顔が若干引きつっていたが、一応丁寧に答えていく。
 そこへ、いい加減限界が来たヴァールが口を開く。

「何でも良いが、褒美を貰ってさっさと行くぞ。次は水の国に行きたいとか言ってただろうが」

 その台詞に、バルトロメウスは「ほう」と声を上げて興味深そうに目を向ける。

「水の国、アウターフランダルか。何故そんな場所を目指す? あの地は内陸部で周りは平野であり、湖こそ広いが大型の魔獣もおらぬ。はっきり言って、トップランクの冒険者である君達には無用の地と言えよう」

 そう告げるバルトロメウスに、春馬が嬉々として答える。

「行商人の方に聞きましたが、水の国の湖は透明度が高くそれはそれは美しいと……それに、湖の上に建てられた街は見事の一言とも」
「む、まぁ、そうだな……確かに、湖面に浮かぶ街並みと中央に位置する城は見事である。湖はその透明度により鏡のようでな。夕焼けの中も美しいが、何より雲一つない晴天の景色は絶景であろう」

 バルトロメウスが過去を振り返りながら語ると、春馬の目が更に輝いていく。ソフィアはその横顔を見て優しく微笑んだ。

「良いですね、湖上の街と城! モンサンミッシェル行ってみたかったんですよ! 出来たらその街に泊まってオムレツも……」

 ぶつぶつと何か呟く春馬に、バルトロメウスとスプランヘルは揃って首を傾げる。

「モンサン……?」
「オムレツ……?」

 戸惑う二人だったが、すぐに気を取り直し、スプランヘルが口を開く。

「とりあえずは旅をする為の物が良さそうですね。では、旅の軍資金として金銭が良いでしょうか」
「ふむ。後は、旅を楽にする為に武具や便利な道具を与えよう。空間魔術を使って作った鞄はどうだ? この部屋二つ分ほどはゆっくり入るだろう。後は魔剣や魔槍、ミスリルの鎧とかか」

 バルトロメウスは気軽に言ったが、そのどれもがその辺の貴族程度では手にする事も出来ない品々である。それを聞いてヴァールはこれまでで最も嬉しそうな顔をしていたが、春馬があっさりと断ってしまい、意気消沈した。
 代わりにと、春馬は口を開く。

「私達がこの地から離れた後、スラヴァとライサの村にそれぞれ金銭の援助をお願いします。出来たら税金の免除とかもお願いしたいですが」
「スラヴァとライサ? 何故だ」

 聞かれて、春馬はこれまでの経緯を簡潔に答えた。
 すると、バルトロメウスの顔が見る見る間に怒りに染まっていく。そして、その怒りはスプランヘルに向かう。

「スプランヘル、どういうことだ。何故、あの馬鹿者共がそのような好き勝手をしている?」

 トーンの低い、重い声だ。それに身を震わし、スプランヘルが口を開いた。

「……申し訳ありません。私も詳細に関しては今聞きました。まさか、そのような……」
「そうでは無い。何故あいつらがそんな王のような振る舞いが出来るのか聞いている」
「す、すみません……父上が寝込んでからというもの、私一人では各地の要望や意見に対して十分に応えることが出来ず……早く兄弟達に要職に就いてもらおうと、領主代行や騎士団の士官補佐に……」

 スプランヘルが答えると、バルトロメウスは腕を組んで唸る。

「私がおらずとも、お前とアンドール二人でこの公爵領を維持することくらいは出来た筈だ。アンドールはどうした?」
「アンドールは、第二都市の領主代行に……」

 スプランヘルが青い顔でそう口にし、バルトロメウスは深く息を吐く。

「……スプランヘル。各地の領主は私が最も信を置く者を配置した。そして、皆が男爵か子爵の爵位を持っている。その者達の居場所を横から奪うような真似をしてはならん。彼らにはそれぞれ後継者がおり、任された地に関してなら私よりも詳しく、強固に支配しているのだ。普通の貴族ならば、私の子だからという理由で明け渡すような事はしない。彼らだから、お前の理不尽な命令にも二つ返事で聞いたのだ」

 バルトロメウスがそう言うと、スプランヘルは恥じ入るように俯いた。

「お前とアンドールを私の補佐としたのは、この公爵家の当主となるべく教育する為だ。二人の内、政治に向く者を当主でありこの街の領主に、もう一人は副領主となる。他の街や騎士団は全て私の家臣に任せるつもりだ」

「……はい。私が、浅慮でした」

 すっかり意気消沈してしまったスプランヘルを尻目に、バルトロメウスは春馬達に顔を向ける。

「迷惑を掛けた上に、命を助けられた。その上、将来の公爵領の行く末を良いものへと変えてもらったのかもしれぬ。改めて礼を言う。今後、公爵家はどんな助力も惜しまない。何でも言ってくれ」

 その言葉に、春馬は笑いながら口を開いた。

「そんな、気にしないでください。それよりも、元気になられて本当に良かった」



 その後、春馬達はバルトロメウス公爵から頑丈な二頭立ての馬車を貰い、多大な金銭と武具を貰い受けた。そして、友好の印として公爵家の家紋の入った腕輪を授けられた。これは同国だけでなく、隣国の貴族であっても決して無視は出来ない絶大な効力を持った代物である。
 春馬はそれを喜んで受け取った。これがまさか異世界版水戸黄門になろうとは、この時は知る由もなかった。

「なんか、最近貴族の人とかがこっち見たら逃げるんだよね」
「そう? 気のせいじゃないかしら」
「……まぁ、楽で良いがな。しかし、この前の横暴な貴族は涙と鼻水垂らしながら土下座してたからな……周りから化け物を見るような目で見られたぞ」

 と、三人はいつものノリで、街道を行く。様々な国で様々な出会いをし、春馬は異世界の旅を思い切り楽しむのだった。