大きなベッドに寝たその人物を見て、ソフィアが難しい顔で唸る。
豊かな髭を生やした背の高い老人だ。痩せ細っていて年齢以上に歳に見えるが、実際には六十歳ほどである。
「父、バルトロメウス公爵は武芸に秀で、剣を握れば国一の剣士と謳われるほどだった。だが、ここ数年、稽古をすれば眩暈を覚え、力強く剣を握れば指先が痺れて剣を取り落すようになったのだ。やがて、普段の生活にも影響が出てきた。体が震え、筋肉が硬くなった。そのせいで動きは鈍くなり、文字が書きづらくなったという。声が震えて出しづらくなり、途中で痞えることもあった」
「それで、大衆の前に出なくなったのか」
スプランヘルの台詞にヴァールが無遠慮に呟く。そんなヴァールをお付きのメイド達と豪華な鎧を着た数名の兵士が睨んだ。
スプランヘルは浅く頷くと、バルトロメウスを見下ろす。
「最近は、徐々に眠る時間が長くなり、睡眠が深くなった。あれだけ自信に満ち溢れていた父がすっかり小さくなってしまった……それが最も寂しく、悲しい。例え寝たきりになろうと、父には自信を持っていてもらいたいのだ」
スプランヘルが寂しそうにそう口にするのを見て、メイドの一部が鼻をすする。
その様子に、ソフィアが春馬に顔を寄せてそっと呟く。
「……このスプランヘルって人は、良い人みたい。本当に悲しんでいるわ」
ソフィアの感想に、春馬は頷いて同意する。
「私もそう思う。見舞いに来る人は相当見てきたけど、スプランヘル様は本心を口にしてるね」
「見舞い?」
二人がひそひそと話していると、スプランヘルが振り向いた。
「どうだろうか。何か、分かるか?」
そう聞かれて、ソフィアは困ったような顔で前に出る。至近距離でバルトロメウスの顔色や呼吸の様子を確認し、腕を組んで悩む。
「……毒でも呪いでもありませんね。かといって、発熱も無いし、呼吸も安定している。病気のような感じも……」
「軍功で今の地位を築いたんだろう? なら、古傷が原因じゃないか? よく歴戦の剣士とかがなる症状に似てるぞ」
悩むソフィアにヴァールがそう助言した。すると、スプランヘルが何処か誇らしげに否定する。
「父は歴戦の勇士ではある。しかし、体に傷を負ったことは殆ど無い。それも全て軽傷だ」
「ふぅん。まぁ、指揮官になってからも自身が戦わずに勝利し続けたということか。軍神ってのも頷ける」
ヴァールが感嘆の息を吐くと、スプランヘルは満足そうに首肯した。
そこに、春馬が口を開く。
「脳に関する症状な気がするね。脳梗塞の後遺症……もしかして、回復魔術で脳梗塞を治療したのかな? いや、パーキンソン病とかも有り得るか……?」
小さく呟かれた言葉だったが、ソフィア達はしっかりと聞き取った。
「ハルマ、分かるの? 何の病気か」
「脳の病ってことか?」
二人に言われ、春馬は眉根を寄せて首を傾げる。
「いや、知っている症状というだけで、公爵がそうだとは断定出来ないよ」
そう言う春馬だが、スプランヘルが食い下がった。
「待ってくれ。これまでは治療の取っ掛かりすら無かったのだ。なんとか、治療を試みてくれないか」
スプランヘルは頭を下げてそう頼み込んできたので、春馬はソフィアに顔を向ける。
「脳の状態を過去に戻せないかな? もしくは、異常を正常に戻す、とか」
春馬がそう尋ねると、ソフィアは数秒顎を引いて悩み、顔を上げた。
「……過去に戻すのは無理だけど、正常な状態になら可能かもしれない。エルフの秘薬、エリクシールなら」
ソフィアの口にした言葉に、スプランヘルが目を剥く。
「エリクシール!? 我が国でも代々の国王にのみ引き継がれる秘薬ではないか! そのような物を持っているというのか!?」
驚愕するスプランヘルに、ソフィアは複雑な顔で首を左右に振る。
「今は持っていません。しかし、作り方は知っています。なので、材料を揃えていただきたいのですが」
「分かった、すぐに用意しよう! 何が必要だ?」
「六色石とドラゴンの牙もしくは骨、後は大きな銀の容れ物が必要です」
「どれも貴重だが、宝物庫にあるだろう。他にはないのか?」
スプランヘルは言われた瞬間に近くのメイドに指示を出し、次の指示を仰ぐ。
「他は全て我々が持っている材料です。それでは、陽の差さない一室をお貸しください。そちらで薬の調合を行います」
「わ、分かった。では、地下の魔術研究所を使うが良い」
ソフィアの言葉にバタバタと周りは動き出した。すぐさま地下の準備をしようと立ち去るメイド。その状況を確認しようと地下に向かうスプランヘルと側仕えの兵士達。
春馬とヴァールはそんな面々を見ながら顔を見合わせる。
「おい、いつ傭兵どもについて言うんだ?」
「もうちょっと待った方が良くないかな? ほら、公爵様が治った後とか……」
「治らなかったら?」
ひそひそと小声で話す二人に、ソフィアが浅く息を吐く。
「はぁ……これから私は丸一日薬作りよ。石を磨り潰して粉にしたり、牙に魔力を蓄積させたり、薬草乾燥させたり色々と時間が掛かるわ。その間に、何とかスプランヘル様にお願いしておいて」
そう言い残して、ソフィアも地下へと向かって部屋を後にした。
残された二人は顔を見合わせた後寝入ったままの公爵の顔を見て、部屋の守護をしている兵士四人を見た。
「……あの、スプランヘル様は……」
「地下に赴かれたかと思われます。どうぞ、我々はこちらに残らなければなりませんので、お二人は外にいるメイドにお声掛けください」
「あ、ありがとうございます」
ヴァールは片手を上げるだけに留めたが、春馬は丁寧に一礼して部屋を出た。
通路に出るとすぐに若いメイドを見つけ、春馬は地下室への案内を頼んだのだった。
一方、街には私兵三十を連れた豪華な馬車が到着していた。
「まったく、スラヴァの領主代行から外されるとはな。地方がここまで腐敗しているとは……早く対処せねばなるまい」
アルブレヒトが怒りの滲む声でそう呟くと、ダレムが馬車の内壁を殴って同意する。
「その通りだよ、兄上! 領主代行として街の風紀を守っていた俺を、あのクソ野郎! 公爵家を馬鹿にしてるんだよ!」
「なんだと! 公爵家を馬鹿にするとは許せん男だ! その旨もしっかりと伝えて極刑に処さねばならん! さぁ、我が城に行くぞ!」
アルブレヒトがそう怒鳴り、窓から見える城を指差す。しかし、ダレムは不服そうな顔で溜め息を吐いた。
「でも、スプランヘル兄様は臆病だからね。もしかしたら、地方領主ごときでも何も言えないかもね」
「馬鹿な。たかが男爵だぞ? いくらスプランヘル兄でも断固とした態度を示すはずだ」
「それが出来ないから困ってるんじゃないか。まったく……長子だからって副領主の任につくのは実力不足も甚だしいね。領主が病に伏せて副領主が何も言えないような臆病者なんだから、将来が心配だよ」
肩を竦めるダレムに、アルブレヒトは腕を組んで唸った。
「次兄もそうだが、地方領主になって街をわずかに発展させて満足する器の小さな者が多過ぎる。次兄はせいぜい第二都市の一領主で限界だ。他のも各地の領主代行をする程度で根を上げている……やはり、偉大なる父上の血を濃く継いだのは俺達だけのようだな」
アルブレヒトが遺憾そうに首を振りながらそう言うと、ダレムは大きく頷いた。
「まったくだよ。俺達は地方都市の領主くらい難しくも何ともないからね。まぁ、今は先にあの反逆者達をどうにかしないと。あんな危険人物を放置するわけにはいけない」
二人はそんな会話をしながら、城へと向かったのだった。
剣を持ち、仁王立ちするスプランヘルに、ダレムが口を開く。
「ということで、あの反逆者と冒険者ギルドの長が反乱を先導したというわけです。アルブレヒト兄様のお陰で何とか追い払うことに成功しましたが、まだ行方を追っている最中で……」
ダレムが自分の都合の良いように言い訳をしていると、スプランヘルが目を鋭く細めた。
「それで、領主代行の任を放り出してここへ帰ってきたのか」
スプランヘルが低い声でそう告げると、ダレムが跪いた状態のまま慌てて口を開く。
「いや、しかし、反乱が……」
「反乱を鎮圧したのなら、その後街が通常の状態に戻るまで治安維持を行え。反逆者を追跡しているのなら報告を待ち、同時に使者をこちらに派遣すれば良い。何故、お前自らが街を放り出して此処に来る必要がある?」
スプランヘルがそう言うと、ダレムはグッと顎を引いた。アルブレヒトは笑いながら片手をあげると、スプランヘルに対して口を開く。
「まぁ、待たれよ、兄上。ダレムは領主不在の中、よく街中を見て回り、街を治めていたのだ。問題は公爵家に剣を向けた冒険者とその味方をした冒険者ギルドであろう。咎を受けさせる相手を見誤ってはならない」
諭すようなことを言うアルブレヒトに、スプランヘルは溜め息を一つして顔を向ける。
「それも些か疑問が残る。何故、冒険者が突然公爵家に剣を向ける? 何も得は無い。これが他所の貴族から多くの褒賞が出る仕事ならば兎も角、そのような案件でも無いではないか」
「な、何を言っているのだ、兄上! 公爵家の実子が狙われているというのに、些細な案件であると!?」
「熱くなるな、アルブレヒト。客観的に見ればいくら公爵家の人間とはいえ、まだ小さな町の領主代行と騎士団の士官見習い。狙ったところで旨味は無いのだ。それよりは、公爵家とことを構える危険性の方が上だろう。それに、わざわざ公爵家と敵対する道を選ぶ冒険者に、ギルドが簡単に味方をするわけがない」
「な、な、な……! あ、兄上は、この俺やダレムに価値が無いと仰るか!? それに、俺は上級士官を任される騎士である! 将来は騎士団長となり、やがて父上のように軍功をあげて新たな公爵家を興すのだぞ! 心外な! 即時撤回を求める!」
アルブレヒトが顔を真っ赤にして吠えると、スプランヘルは再び溜め息を吐いた。
「引っかかるべきところはそこでは無い。ダレムよ。冒険者ギルドの長は何と言ってその反逆者に加担したのだ。何か口上を述べたであろう?」
アルブレヒトが上級士官の補佐であるという事実にはわざと触れず、ダレムに対して問う。そう聞かれ、ダレムは言葉に詰まった。冷や汗を一筋流して、視線を彷徨わせる。
「え、あ……そ、そうですね。何か言っていましたが……あ、た、確か、バルトロメウス公爵にこの地を治める力は無い、とか何とか……」
「確かか」
ダレムの言葉に眉間に皺を寄せ、スプランヘルが聞き返す。すると、ダレムは顔を上げて何度も小刻みに頷いた。
「た、確か、そんなことを言っていたと……」
答えたダレムを見下ろしながら、スプランヘルは口を開く。
「おかしいな。スラヴァはそれぞれの重要拠点から離れた地にある。故に、父上の配下の中で最も忠誠心の厚い男を領主とした。さらに、各ギルドの支店を誘致する際、ギルド長の経歴や人柄も確認している。片田舎に支店を出してもらうんだ。通常ならば碌な人間が来ない。しかし、父上のことを良く知る人物ばかりがわざわざ来てくれた」
そう口にして、スプランヘルは冷たい視線をダレムに向ける。
「ダレム。お前をあの町の領主代行の任に就かせたのは、公爵家へ反感を持つ者が少ない地だからだ。特に町の権力者達は皆、公爵家へ協力的な者ばかりだっただろう。その地で反乱が起きるなど、貴様のやり方がおかしかったとしか思えない」
スプランヘルがそう告げると、ダレムの顔色は一気に青くなった。
はっきりと、スプランヘルはダレムの領主代行としての能力を疑う発言を口にした。これは、ダレムの出世の道が閉ざされたことに等しい。程なくして領主代行の任も解かれることになる。
現在、公爵家の当主を代行しているスプランヘルの言葉である。これを撤回するには当主であるバルトロメウス公爵がダレムの能力を認めるか、改めて大きな手柄を立てて自ら評価を上げるしかない。
だが、領主代行の任を解かれたダレムがこれから何をして手柄を立てるのか。剣も魔術も使えず、サボっていた為に政務の役に立つことも出来ない。行動を起こすとするならばそれこそ馬鹿にしていた冒険者になるか、融資を受けて商売を始めるなどしか無い。
ダレムがそれを思い絶望に項垂れると、アルブレヒトが立ち上がって吠えた。
「不当だ! 兄上はダレムの能力を知りもせずに処罰しようとしているではないか! それは何故か!? ダレムが自らの地位を脅かすかもしれないと怯えているからだ!」
と、的外れな推測を口にする。
それにスプランヘルは頭痛に耐えるように頭を抱え、口を開く。
「今、能力不足を認識したところであるというのに、何を知らないと言うのか。ならば、スラヴァの町の権力者達に意見を求めることにする。それならば不服はあるまい」
スプランヘルが仕方なくそう言うと、ダレムが息を飲んだ。ダレムとて自らが犯罪まがいのことをしてきたことは認知しており、もし町の者達にそのことを口にされれば、出世どころか投獄されることは間違いないのだ。
今やダレムの顔には滝のような冷や汗が流れていた。だが、ダレムから都合の良い情報しか聞かされていないアルブレヒトは気にしていない。
「権力者だけでなく、市民の話も聞いておいてもらおう。それが公平というものだ」
アルブレヒトはそう言うと、満足そうに自ら頷く。スプランヘルが折れたことを、自分が正しいと証明できたと誤解しているのだ。
故に、次の話が自分に来るとは思いもしなかった。
「ところで、アルブレヒト。お前も、騎士団から勝手に離れてダレムの下へ行ったようだな? 騎士団の責務をなんだと思っている?」
怒りの滲む声で尋ねると、アルブレヒトは悪ぶれもせずに頷き、答えた。
「うむ。盗賊団が出たと聞いてな。すぐさま傭兵団を雇い、地方へと出陣したのだ。この俺が来たと知り、盗賊どもは逃げてしまったが、安心されよ。公爵家の威光を存分に見せつけたのだ。もう盗賊は出るまい」
自信満々な様子でそう口にすると、アルブレヒトは高笑いをした。
スプランヘルはまた額に手のひらを当てて項垂れると、深い溜め息を吐く。
「……その盗賊団は、東部の騎士団に討伐を依頼していたのだ。騎士団長から聞いている筈だろう」
「いや、聞いていない。む、そうだ。聞いてくれ、兄上。あの無礼な騎士団長は一向に俺に指揮をさせんのだ。あのような地味な訓練ばかり、それも毎日同じ内容だ。あんなものをしたところで俺の力は磨かれん。俺は兵を率いてこそ能力を発揮するのだ」
「指揮をしたことも無いのに、何故そんな自信がある」
「何を言う。父上の子として、誰よりも才能を持ち合わせているのは間違いないではないか。なにせ、俺が最も父上に似ているからな」
と、根拠にもならないことを口にして、アルブレヒトは笑いだした。
スプランヘルは冷めた目つきで二人を眺めた後、手を振る。
「……もう良い。ダレムの件はこちらで調査する。アルブレヒトは傭兵団に支払った金銭を返還するように。二人とも城内で大人しくしていろ」
「ちょ、ちょっと待て! 傭兵団を雇ったのは必要な経費だ! まさか、盗賊団を相手に一人で行けと言うのか!?」
「勝手に討伐に出た者が何を言うか! 騎士団に属しているのだから、騎士団長の言う事を聞かねばならん! 爵位など無関係だ!」
憤慨するアルブレヒトに怒鳴り返し、スプランヘルは二人を兵士に連れ出させた。
広間の喧騒が収束して、一人溜め息を吐く。
「……まったく、今はあんな馬鹿者共に構っている状況ではないというのに……」
薬を調合したソフィアは疲労困憊で椅子の背もたれにもたれかかった。
「……つ、疲れた……混ぜ続けないと、固まっちゃうからね。魔力の調整もあるし、大変だったよぅ」
甘えたような態度と声でソフィアがそう言うと、春馬は苦笑しながらソフィアの頭を優しく撫でる。
「お疲れ様。頑張ったね。ありがとう」
「うぅん、ハルマの為だもの」
「バルトロメウス公爵の為じゃないのか」
「黙ってなさい、セコール」
三人が淡く発光する白い液体の前で和やかに会話していると、周りの兵士達が焦れた様子で口を開いた。
「で、出来ましたか?」
「まだ完成ではないのですか?」
確認してくる兵士に、ソフィアは笑いかける。
「出来たわよ。さぁ、公爵様の下へ行きましょう」
そう答えると、兵士たちは慌てて動き出した。液体の入ったガラス瓶を手にして立ち上がるソフィアだったが、ふらりとバランスを崩す。春馬は無言で側に行き、身体を支えた。
「あ、ハルマ……」
ソフィアが照れながら名を呼ぶと、春馬は笑顔で肩を貸した。
「本当なら休んでてと言いたいけど、地下に一人で残しては行けないから……あ、背負って歩こうか?」
「だ、だ、大丈夫。ありがとう」
耳まで真っ赤にしたソフィアが礼を言うと、二人は不恰好に歩き出した。
ヴァールは肩を竦めて鼻を鳴らしつつ、二人がバランスを崩しても良いように後ろを付いてくる。
階段を登って一階まで上がり、通路へと出る。奥に行けば厨房や近衛兵用の部屋、一部住み込みのメイドの部屋などがある。手前に行けば正面ホールへと出て、そこから階段を上がれば謁見の間や貴賓室、会議室などがあった。
一先ず、ホールに出ようとする春馬達だったが、ホール側から出てきた人影を見て足を止めた。
「……あ?」
固まる面々の中で、ヴァールが最初に声を発する。すると、ホールに突如として現れた二人の内の細い方、ダレムが目を見開いて叫んだ。
「あぁ!? き、き、貴様ら……!?」
「な、何だ、ダレム! 何者だ!?」
「兄上! あれがこの俺に歯向かった屑どもです!」
「なんだと!? では、差し向けた傭兵団から逃げ切ったというのか!? そうか、それでこの城に! この城ならば傭兵達が入れないと踏んで侵入したか! 悪知恵だけは働くようだな! だが、このアルブレヒト・フォン・クランツに見つかったのが運の尽きだ!」
怒鳴り、アルブレヒトが剣を抜く。それに相対しようとヴァールが剣を抜き掛かるが、すぐに場所と相手が誰かを思い出して眉間に皺を作る。
「……ハルマ!」
どうにかしてくれ、と顔に書いたような表情のヴァールを見て、春馬は口を開く。
「待ってください! 今、我々はスプランヘル様の命により、公爵閣下に飲んでいただく薬を作りました! これを持っていかねば、公爵様は……!」
そう訴えると、ダレムがソフィアの顔を見て、次に両手で抱えられたガラス瓶の中で光る液体を見た。
にやり、と口の端が上がる。
「それは毒であろう?」
ダレムがポツリとそう呟くと、アルブレヒトの目が鋭く尖った。
「……成る程な。父上を暗殺する気であったか。ならば、俺は命を賭して止めてみせようぞ!」
アルブレヒトが宣言をして殺気を膨らませると、ソフィアが怒りの滲む目で睨んだ。
「意味が分からないわ! 何故、私達が公爵を暗殺する必要があるの!?」
「大方近隣の木っ端貴族や、中央の保守派貴族が雇ったに違いない。なにせ、公爵家は力を持ち過ぎたからな。王国で並ぶ者が無い軍功は広大な領地と軍事力だけでなく、名声を聞いて移住してきた多くの民や商人達によって経済力まで上げる結果となった。その力をやっかむ者は幾らでもいる!」
ダレムは得意げになってそんなことを言うと、発光する液体を指差した。
「他の者は騙せてもこの俺は騙せんぞ! その怪しい液体を渡せ!」
決め台詞でも言うように芝居掛かった口調でそう言うと、ダレムも剣を抜いて構える。
「皆の者! 暗殺者だ! ひっ捕らえよ!」
ダレムが指示を出すと、背後から兵士たちが集まり出す。そして、春馬達の後を付いてきていた兵士達も剣を抜いた。
「……お前らもこれが毒だと思ってんのか」
ヴァールが地の底から響くような低い声で兵士達に問いかけると、兵士達は俯くが答えることは出来なかった。
「そりゃ、ダレム達がひっ捕らえよと言えば無視は出来ないさ」
春馬がポツリと呟くと、兵士達は苦々しく顎を引き、剣の先を春馬に向ける。そのことにソフィアは激しい嫌悪感を示した。
「恥知らずの人間らしい行動ね。仕えるべき主人の命を救うことより、保身を選ぶなんて……あ、ハルマは違うわよ?」
慌ててフォローを入れるソフィアに苦笑し、春馬は右手の手のひらを上に向け、ダレム達へと振り返る。
「ひ、ひぃああっ!? は、早く捕まえ、いや、殺せ! すぐさま殺せ! あの男が魔術を使う前に!」
怒鳴るダレムの指示に応じて、ダレムの後ろから数人の兵士が剣を振りかぶって迫る。それをヴァールが瞬く間に叩き伏せた。
その様子を横目に、春馬は口を開く。
「私達を罪人と決めつけるのは良いですが、この薬を調べもせず毒と判断して良いのですか? ソフィアが言ったように、その一つの決断に掛かっているのは公爵様の命ですよ?」
諭すようにそう言った春馬に、ダレムは半狂乱で叫ぶ。
「戯言を! それが毒なのは明白であろう! 貴様らが作ったものなど、口にする方がどうかしている!」
ダレムがそう断言すると、アルブレヒトが頷いて前に進み出た。
「観念しろ、暗殺者どもよ! 直ちに首を切り落としてくれる!」
アルブレヒトがそう言った直後、ダレムとアルブレヒトの背後からスプランヘルが姿を現した。
「何事だ!?」
スプランヘルは近衛兵達を引き連れて現れると、状況を目で確認する。
「何をしているのだ、ダレム、アルブレヒト! 彼らは客人であり、父上の容態を診てもらっているのだ!」
スプランヘルがダレムを睨むと、ダレムは慌てて口を開く。
「あ、兄上! 奴らが俺の言っていた反逆者です! 兄上は騙されています! あの薬も、恐らく毒に違いありません!」
ハッキリとそう答えると、聞いたスプランヘルが眉根を寄せた。
「毒……まさか、そんなことは……」
一瞬、スプランヘルは悩んだような素振りを見せ、すぐにダレムを睨む。
「口からでまかせであろう。何故、Aランク冒険者が公爵の命を狙う」
「な、兄上!? 俺よりもこんな冒険者なんぞを信じるというのか!」
本当に傷付いたといった顔でそう訴えるダレムの姿に、アルブレヒトだけでなく一部の兵士達も春馬達に敵意の目を向けた。
だが、スプランヘルは険しい顔で息を吐く。
「ならば問う。はっきり言って、父の命はもう長くない。その父を何故わざわざ毒殺するのだ」
スプランヘルが問うと、ダレムは上手く答えられずに呻いた。
「そもそも、彼らは高位ランクの冒険者だ。何故わざわざ公爵領に留まる。違う国でも問題なく生活していける力を持っているのだ。故に、わざわざ金を貰って公爵を殺す必要も無いはずだ」
それから、スプランヘルは更に質問を重ねていき、全ての疑問にしどろもどろとなるダレムは、やがて折れた。
地面に崩れ落ちるダレムを悲しそうに見下ろし、口を開く。
「失態を取り返そうと、無理やり彼らを暗殺者に仕立て上げようとしたのだろう。あまりにも強引だ」
スプランヘルがそう推測すると、アルブレヒトが目を見開いてダレムを見た。
「まさか、ダレムがそんな……」
アルブレヒトは愕然と呟く。スプランヘルはその横顔を一瞥し、ダレムに向き直る。
「……貴様は実の弟だ。本来であれば、兄弟には主要な都市の領主や騎士団長になってもらい、公爵領を皆で強く、豊かにしていきたかった。しかし、身内だからこそ厳罰に処さねばならん。後に沙汰は言い渡す。ダレムを地下牢に繋げ! アルブレヒト、お前は騎士見習いまで格下げする! 今一度心身共に鍛え直せ!」
豊かな髭を生やした背の高い老人だ。痩せ細っていて年齢以上に歳に見えるが、実際には六十歳ほどである。
「父、バルトロメウス公爵は武芸に秀で、剣を握れば国一の剣士と謳われるほどだった。だが、ここ数年、稽古をすれば眩暈を覚え、力強く剣を握れば指先が痺れて剣を取り落すようになったのだ。やがて、普段の生活にも影響が出てきた。体が震え、筋肉が硬くなった。そのせいで動きは鈍くなり、文字が書きづらくなったという。声が震えて出しづらくなり、途中で痞えることもあった」
「それで、大衆の前に出なくなったのか」
スプランヘルの台詞にヴァールが無遠慮に呟く。そんなヴァールをお付きのメイド達と豪華な鎧を着た数名の兵士が睨んだ。
スプランヘルは浅く頷くと、バルトロメウスを見下ろす。
「最近は、徐々に眠る時間が長くなり、睡眠が深くなった。あれだけ自信に満ち溢れていた父がすっかり小さくなってしまった……それが最も寂しく、悲しい。例え寝たきりになろうと、父には自信を持っていてもらいたいのだ」
スプランヘルが寂しそうにそう口にするのを見て、メイドの一部が鼻をすする。
その様子に、ソフィアが春馬に顔を寄せてそっと呟く。
「……このスプランヘルって人は、良い人みたい。本当に悲しんでいるわ」
ソフィアの感想に、春馬は頷いて同意する。
「私もそう思う。見舞いに来る人は相当見てきたけど、スプランヘル様は本心を口にしてるね」
「見舞い?」
二人がひそひそと話していると、スプランヘルが振り向いた。
「どうだろうか。何か、分かるか?」
そう聞かれて、ソフィアは困ったような顔で前に出る。至近距離でバルトロメウスの顔色や呼吸の様子を確認し、腕を組んで悩む。
「……毒でも呪いでもありませんね。かといって、発熱も無いし、呼吸も安定している。病気のような感じも……」
「軍功で今の地位を築いたんだろう? なら、古傷が原因じゃないか? よく歴戦の剣士とかがなる症状に似てるぞ」
悩むソフィアにヴァールがそう助言した。すると、スプランヘルが何処か誇らしげに否定する。
「父は歴戦の勇士ではある。しかし、体に傷を負ったことは殆ど無い。それも全て軽傷だ」
「ふぅん。まぁ、指揮官になってからも自身が戦わずに勝利し続けたということか。軍神ってのも頷ける」
ヴァールが感嘆の息を吐くと、スプランヘルは満足そうに首肯した。
そこに、春馬が口を開く。
「脳に関する症状な気がするね。脳梗塞の後遺症……もしかして、回復魔術で脳梗塞を治療したのかな? いや、パーキンソン病とかも有り得るか……?」
小さく呟かれた言葉だったが、ソフィア達はしっかりと聞き取った。
「ハルマ、分かるの? 何の病気か」
「脳の病ってことか?」
二人に言われ、春馬は眉根を寄せて首を傾げる。
「いや、知っている症状というだけで、公爵がそうだとは断定出来ないよ」
そう言う春馬だが、スプランヘルが食い下がった。
「待ってくれ。これまでは治療の取っ掛かりすら無かったのだ。なんとか、治療を試みてくれないか」
スプランヘルは頭を下げてそう頼み込んできたので、春馬はソフィアに顔を向ける。
「脳の状態を過去に戻せないかな? もしくは、異常を正常に戻す、とか」
春馬がそう尋ねると、ソフィアは数秒顎を引いて悩み、顔を上げた。
「……過去に戻すのは無理だけど、正常な状態になら可能かもしれない。エルフの秘薬、エリクシールなら」
ソフィアの口にした言葉に、スプランヘルが目を剥く。
「エリクシール!? 我が国でも代々の国王にのみ引き継がれる秘薬ではないか! そのような物を持っているというのか!?」
驚愕するスプランヘルに、ソフィアは複雑な顔で首を左右に振る。
「今は持っていません。しかし、作り方は知っています。なので、材料を揃えていただきたいのですが」
「分かった、すぐに用意しよう! 何が必要だ?」
「六色石とドラゴンの牙もしくは骨、後は大きな銀の容れ物が必要です」
「どれも貴重だが、宝物庫にあるだろう。他にはないのか?」
スプランヘルは言われた瞬間に近くのメイドに指示を出し、次の指示を仰ぐ。
「他は全て我々が持っている材料です。それでは、陽の差さない一室をお貸しください。そちらで薬の調合を行います」
「わ、分かった。では、地下の魔術研究所を使うが良い」
ソフィアの言葉にバタバタと周りは動き出した。すぐさま地下の準備をしようと立ち去るメイド。その状況を確認しようと地下に向かうスプランヘルと側仕えの兵士達。
春馬とヴァールはそんな面々を見ながら顔を見合わせる。
「おい、いつ傭兵どもについて言うんだ?」
「もうちょっと待った方が良くないかな? ほら、公爵様が治った後とか……」
「治らなかったら?」
ひそひそと小声で話す二人に、ソフィアが浅く息を吐く。
「はぁ……これから私は丸一日薬作りよ。石を磨り潰して粉にしたり、牙に魔力を蓄積させたり、薬草乾燥させたり色々と時間が掛かるわ。その間に、何とかスプランヘル様にお願いしておいて」
そう言い残して、ソフィアも地下へと向かって部屋を後にした。
残された二人は顔を見合わせた後寝入ったままの公爵の顔を見て、部屋の守護をしている兵士四人を見た。
「……あの、スプランヘル様は……」
「地下に赴かれたかと思われます。どうぞ、我々はこちらに残らなければなりませんので、お二人は外にいるメイドにお声掛けください」
「あ、ありがとうございます」
ヴァールは片手を上げるだけに留めたが、春馬は丁寧に一礼して部屋を出た。
通路に出るとすぐに若いメイドを見つけ、春馬は地下室への案内を頼んだのだった。
一方、街には私兵三十を連れた豪華な馬車が到着していた。
「まったく、スラヴァの領主代行から外されるとはな。地方がここまで腐敗しているとは……早く対処せねばなるまい」
アルブレヒトが怒りの滲む声でそう呟くと、ダレムが馬車の内壁を殴って同意する。
「その通りだよ、兄上! 領主代行として街の風紀を守っていた俺を、あのクソ野郎! 公爵家を馬鹿にしてるんだよ!」
「なんだと! 公爵家を馬鹿にするとは許せん男だ! その旨もしっかりと伝えて極刑に処さねばならん! さぁ、我が城に行くぞ!」
アルブレヒトがそう怒鳴り、窓から見える城を指差す。しかし、ダレムは不服そうな顔で溜め息を吐いた。
「でも、スプランヘル兄様は臆病だからね。もしかしたら、地方領主ごときでも何も言えないかもね」
「馬鹿な。たかが男爵だぞ? いくらスプランヘル兄でも断固とした態度を示すはずだ」
「それが出来ないから困ってるんじゃないか。まったく……長子だからって副領主の任につくのは実力不足も甚だしいね。領主が病に伏せて副領主が何も言えないような臆病者なんだから、将来が心配だよ」
肩を竦めるダレムに、アルブレヒトは腕を組んで唸った。
「次兄もそうだが、地方領主になって街をわずかに発展させて満足する器の小さな者が多過ぎる。次兄はせいぜい第二都市の一領主で限界だ。他のも各地の領主代行をする程度で根を上げている……やはり、偉大なる父上の血を濃く継いだのは俺達だけのようだな」
アルブレヒトが遺憾そうに首を振りながらそう言うと、ダレムは大きく頷いた。
「まったくだよ。俺達は地方都市の領主くらい難しくも何ともないからね。まぁ、今は先にあの反逆者達をどうにかしないと。あんな危険人物を放置するわけにはいけない」
二人はそんな会話をしながら、城へと向かったのだった。
剣を持ち、仁王立ちするスプランヘルに、ダレムが口を開く。
「ということで、あの反逆者と冒険者ギルドの長が反乱を先導したというわけです。アルブレヒト兄様のお陰で何とか追い払うことに成功しましたが、まだ行方を追っている最中で……」
ダレムが自分の都合の良いように言い訳をしていると、スプランヘルが目を鋭く細めた。
「それで、領主代行の任を放り出してここへ帰ってきたのか」
スプランヘルが低い声でそう告げると、ダレムが跪いた状態のまま慌てて口を開く。
「いや、しかし、反乱が……」
「反乱を鎮圧したのなら、その後街が通常の状態に戻るまで治安維持を行え。反逆者を追跡しているのなら報告を待ち、同時に使者をこちらに派遣すれば良い。何故、お前自らが街を放り出して此処に来る必要がある?」
スプランヘルがそう言うと、ダレムはグッと顎を引いた。アルブレヒトは笑いながら片手をあげると、スプランヘルに対して口を開く。
「まぁ、待たれよ、兄上。ダレムは領主不在の中、よく街中を見て回り、街を治めていたのだ。問題は公爵家に剣を向けた冒険者とその味方をした冒険者ギルドであろう。咎を受けさせる相手を見誤ってはならない」
諭すようなことを言うアルブレヒトに、スプランヘルは溜め息を一つして顔を向ける。
「それも些か疑問が残る。何故、冒険者が突然公爵家に剣を向ける? 何も得は無い。これが他所の貴族から多くの褒賞が出る仕事ならば兎も角、そのような案件でも無いではないか」
「な、何を言っているのだ、兄上! 公爵家の実子が狙われているというのに、些細な案件であると!?」
「熱くなるな、アルブレヒト。客観的に見ればいくら公爵家の人間とはいえ、まだ小さな町の領主代行と騎士団の士官見習い。狙ったところで旨味は無いのだ。それよりは、公爵家とことを構える危険性の方が上だろう。それに、わざわざ公爵家と敵対する道を選ぶ冒険者に、ギルドが簡単に味方をするわけがない」
「な、な、な……! あ、兄上は、この俺やダレムに価値が無いと仰るか!? それに、俺は上級士官を任される騎士である! 将来は騎士団長となり、やがて父上のように軍功をあげて新たな公爵家を興すのだぞ! 心外な! 即時撤回を求める!」
アルブレヒトが顔を真っ赤にして吠えると、スプランヘルは再び溜め息を吐いた。
「引っかかるべきところはそこでは無い。ダレムよ。冒険者ギルドの長は何と言ってその反逆者に加担したのだ。何か口上を述べたであろう?」
アルブレヒトが上級士官の補佐であるという事実にはわざと触れず、ダレムに対して問う。そう聞かれ、ダレムは言葉に詰まった。冷や汗を一筋流して、視線を彷徨わせる。
「え、あ……そ、そうですね。何か言っていましたが……あ、た、確か、バルトロメウス公爵にこの地を治める力は無い、とか何とか……」
「確かか」
ダレムの言葉に眉間に皺を寄せ、スプランヘルが聞き返す。すると、ダレムは顔を上げて何度も小刻みに頷いた。
「た、確か、そんなことを言っていたと……」
答えたダレムを見下ろしながら、スプランヘルは口を開く。
「おかしいな。スラヴァはそれぞれの重要拠点から離れた地にある。故に、父上の配下の中で最も忠誠心の厚い男を領主とした。さらに、各ギルドの支店を誘致する際、ギルド長の経歴や人柄も確認している。片田舎に支店を出してもらうんだ。通常ならば碌な人間が来ない。しかし、父上のことを良く知る人物ばかりがわざわざ来てくれた」
そう口にして、スプランヘルは冷たい視線をダレムに向ける。
「ダレム。お前をあの町の領主代行の任に就かせたのは、公爵家へ反感を持つ者が少ない地だからだ。特に町の権力者達は皆、公爵家へ協力的な者ばかりだっただろう。その地で反乱が起きるなど、貴様のやり方がおかしかったとしか思えない」
スプランヘルがそう告げると、ダレムの顔色は一気に青くなった。
はっきりと、スプランヘルはダレムの領主代行としての能力を疑う発言を口にした。これは、ダレムの出世の道が閉ざされたことに等しい。程なくして領主代行の任も解かれることになる。
現在、公爵家の当主を代行しているスプランヘルの言葉である。これを撤回するには当主であるバルトロメウス公爵がダレムの能力を認めるか、改めて大きな手柄を立てて自ら評価を上げるしかない。
だが、領主代行の任を解かれたダレムがこれから何をして手柄を立てるのか。剣も魔術も使えず、サボっていた為に政務の役に立つことも出来ない。行動を起こすとするならばそれこそ馬鹿にしていた冒険者になるか、融資を受けて商売を始めるなどしか無い。
ダレムがそれを思い絶望に項垂れると、アルブレヒトが立ち上がって吠えた。
「不当だ! 兄上はダレムの能力を知りもせずに処罰しようとしているではないか! それは何故か!? ダレムが自らの地位を脅かすかもしれないと怯えているからだ!」
と、的外れな推測を口にする。
それにスプランヘルは頭痛に耐えるように頭を抱え、口を開く。
「今、能力不足を認識したところであるというのに、何を知らないと言うのか。ならば、スラヴァの町の権力者達に意見を求めることにする。それならば不服はあるまい」
スプランヘルが仕方なくそう言うと、ダレムが息を飲んだ。ダレムとて自らが犯罪まがいのことをしてきたことは認知しており、もし町の者達にそのことを口にされれば、出世どころか投獄されることは間違いないのだ。
今やダレムの顔には滝のような冷や汗が流れていた。だが、ダレムから都合の良い情報しか聞かされていないアルブレヒトは気にしていない。
「権力者だけでなく、市民の話も聞いておいてもらおう。それが公平というものだ」
アルブレヒトはそう言うと、満足そうに自ら頷く。スプランヘルが折れたことを、自分が正しいと証明できたと誤解しているのだ。
故に、次の話が自分に来るとは思いもしなかった。
「ところで、アルブレヒト。お前も、騎士団から勝手に離れてダレムの下へ行ったようだな? 騎士団の責務をなんだと思っている?」
怒りの滲む声で尋ねると、アルブレヒトは悪ぶれもせずに頷き、答えた。
「うむ。盗賊団が出たと聞いてな。すぐさま傭兵団を雇い、地方へと出陣したのだ。この俺が来たと知り、盗賊どもは逃げてしまったが、安心されよ。公爵家の威光を存分に見せつけたのだ。もう盗賊は出るまい」
自信満々な様子でそう口にすると、アルブレヒトは高笑いをした。
スプランヘルはまた額に手のひらを当てて項垂れると、深い溜め息を吐く。
「……その盗賊団は、東部の騎士団に討伐を依頼していたのだ。騎士団長から聞いている筈だろう」
「いや、聞いていない。む、そうだ。聞いてくれ、兄上。あの無礼な騎士団長は一向に俺に指揮をさせんのだ。あのような地味な訓練ばかり、それも毎日同じ内容だ。あんなものをしたところで俺の力は磨かれん。俺は兵を率いてこそ能力を発揮するのだ」
「指揮をしたことも無いのに、何故そんな自信がある」
「何を言う。父上の子として、誰よりも才能を持ち合わせているのは間違いないではないか。なにせ、俺が最も父上に似ているからな」
と、根拠にもならないことを口にして、アルブレヒトは笑いだした。
スプランヘルは冷めた目つきで二人を眺めた後、手を振る。
「……もう良い。ダレムの件はこちらで調査する。アルブレヒトは傭兵団に支払った金銭を返還するように。二人とも城内で大人しくしていろ」
「ちょ、ちょっと待て! 傭兵団を雇ったのは必要な経費だ! まさか、盗賊団を相手に一人で行けと言うのか!?」
「勝手に討伐に出た者が何を言うか! 騎士団に属しているのだから、騎士団長の言う事を聞かねばならん! 爵位など無関係だ!」
憤慨するアルブレヒトに怒鳴り返し、スプランヘルは二人を兵士に連れ出させた。
広間の喧騒が収束して、一人溜め息を吐く。
「……まったく、今はあんな馬鹿者共に構っている状況ではないというのに……」
薬を調合したソフィアは疲労困憊で椅子の背もたれにもたれかかった。
「……つ、疲れた……混ぜ続けないと、固まっちゃうからね。魔力の調整もあるし、大変だったよぅ」
甘えたような態度と声でソフィアがそう言うと、春馬は苦笑しながらソフィアの頭を優しく撫でる。
「お疲れ様。頑張ったね。ありがとう」
「うぅん、ハルマの為だもの」
「バルトロメウス公爵の為じゃないのか」
「黙ってなさい、セコール」
三人が淡く発光する白い液体の前で和やかに会話していると、周りの兵士達が焦れた様子で口を開いた。
「で、出来ましたか?」
「まだ完成ではないのですか?」
確認してくる兵士に、ソフィアは笑いかける。
「出来たわよ。さぁ、公爵様の下へ行きましょう」
そう答えると、兵士たちは慌てて動き出した。液体の入ったガラス瓶を手にして立ち上がるソフィアだったが、ふらりとバランスを崩す。春馬は無言で側に行き、身体を支えた。
「あ、ハルマ……」
ソフィアが照れながら名を呼ぶと、春馬は笑顔で肩を貸した。
「本当なら休んでてと言いたいけど、地下に一人で残しては行けないから……あ、背負って歩こうか?」
「だ、だ、大丈夫。ありがとう」
耳まで真っ赤にしたソフィアが礼を言うと、二人は不恰好に歩き出した。
ヴァールは肩を竦めて鼻を鳴らしつつ、二人がバランスを崩しても良いように後ろを付いてくる。
階段を登って一階まで上がり、通路へと出る。奥に行けば厨房や近衛兵用の部屋、一部住み込みのメイドの部屋などがある。手前に行けば正面ホールへと出て、そこから階段を上がれば謁見の間や貴賓室、会議室などがあった。
一先ず、ホールに出ようとする春馬達だったが、ホール側から出てきた人影を見て足を止めた。
「……あ?」
固まる面々の中で、ヴァールが最初に声を発する。すると、ホールに突如として現れた二人の内の細い方、ダレムが目を見開いて叫んだ。
「あぁ!? き、き、貴様ら……!?」
「な、何だ、ダレム! 何者だ!?」
「兄上! あれがこの俺に歯向かった屑どもです!」
「なんだと!? では、差し向けた傭兵団から逃げ切ったというのか!? そうか、それでこの城に! この城ならば傭兵達が入れないと踏んで侵入したか! 悪知恵だけは働くようだな! だが、このアルブレヒト・フォン・クランツに見つかったのが運の尽きだ!」
怒鳴り、アルブレヒトが剣を抜く。それに相対しようとヴァールが剣を抜き掛かるが、すぐに場所と相手が誰かを思い出して眉間に皺を作る。
「……ハルマ!」
どうにかしてくれ、と顔に書いたような表情のヴァールを見て、春馬は口を開く。
「待ってください! 今、我々はスプランヘル様の命により、公爵閣下に飲んでいただく薬を作りました! これを持っていかねば、公爵様は……!」
そう訴えると、ダレムがソフィアの顔を見て、次に両手で抱えられたガラス瓶の中で光る液体を見た。
にやり、と口の端が上がる。
「それは毒であろう?」
ダレムがポツリとそう呟くと、アルブレヒトの目が鋭く尖った。
「……成る程な。父上を暗殺する気であったか。ならば、俺は命を賭して止めてみせようぞ!」
アルブレヒトが宣言をして殺気を膨らませると、ソフィアが怒りの滲む目で睨んだ。
「意味が分からないわ! 何故、私達が公爵を暗殺する必要があるの!?」
「大方近隣の木っ端貴族や、中央の保守派貴族が雇ったに違いない。なにせ、公爵家は力を持ち過ぎたからな。王国で並ぶ者が無い軍功は広大な領地と軍事力だけでなく、名声を聞いて移住してきた多くの民や商人達によって経済力まで上げる結果となった。その力をやっかむ者は幾らでもいる!」
ダレムは得意げになってそんなことを言うと、発光する液体を指差した。
「他の者は騙せてもこの俺は騙せんぞ! その怪しい液体を渡せ!」
決め台詞でも言うように芝居掛かった口調でそう言うと、ダレムも剣を抜いて構える。
「皆の者! 暗殺者だ! ひっ捕らえよ!」
ダレムが指示を出すと、背後から兵士たちが集まり出す。そして、春馬達の後を付いてきていた兵士達も剣を抜いた。
「……お前らもこれが毒だと思ってんのか」
ヴァールが地の底から響くような低い声で兵士達に問いかけると、兵士達は俯くが答えることは出来なかった。
「そりゃ、ダレム達がひっ捕らえよと言えば無視は出来ないさ」
春馬がポツリと呟くと、兵士達は苦々しく顎を引き、剣の先を春馬に向ける。そのことにソフィアは激しい嫌悪感を示した。
「恥知らずの人間らしい行動ね。仕えるべき主人の命を救うことより、保身を選ぶなんて……あ、ハルマは違うわよ?」
慌ててフォローを入れるソフィアに苦笑し、春馬は右手の手のひらを上に向け、ダレム達へと振り返る。
「ひ、ひぃああっ!? は、早く捕まえ、いや、殺せ! すぐさま殺せ! あの男が魔術を使う前に!」
怒鳴るダレムの指示に応じて、ダレムの後ろから数人の兵士が剣を振りかぶって迫る。それをヴァールが瞬く間に叩き伏せた。
その様子を横目に、春馬は口を開く。
「私達を罪人と決めつけるのは良いですが、この薬を調べもせず毒と判断して良いのですか? ソフィアが言ったように、その一つの決断に掛かっているのは公爵様の命ですよ?」
諭すようにそう言った春馬に、ダレムは半狂乱で叫ぶ。
「戯言を! それが毒なのは明白であろう! 貴様らが作ったものなど、口にする方がどうかしている!」
ダレムがそう断言すると、アルブレヒトが頷いて前に進み出た。
「観念しろ、暗殺者どもよ! 直ちに首を切り落としてくれる!」
アルブレヒトがそう言った直後、ダレムとアルブレヒトの背後からスプランヘルが姿を現した。
「何事だ!?」
スプランヘルは近衛兵達を引き連れて現れると、状況を目で確認する。
「何をしているのだ、ダレム、アルブレヒト! 彼らは客人であり、父上の容態を診てもらっているのだ!」
スプランヘルがダレムを睨むと、ダレムは慌てて口を開く。
「あ、兄上! 奴らが俺の言っていた反逆者です! 兄上は騙されています! あの薬も、恐らく毒に違いありません!」
ハッキリとそう答えると、聞いたスプランヘルが眉根を寄せた。
「毒……まさか、そんなことは……」
一瞬、スプランヘルは悩んだような素振りを見せ、すぐにダレムを睨む。
「口からでまかせであろう。何故、Aランク冒険者が公爵の命を狙う」
「な、兄上!? 俺よりもこんな冒険者なんぞを信じるというのか!」
本当に傷付いたといった顔でそう訴えるダレムの姿に、アルブレヒトだけでなく一部の兵士達も春馬達に敵意の目を向けた。
だが、スプランヘルは険しい顔で息を吐く。
「ならば問う。はっきり言って、父の命はもう長くない。その父を何故わざわざ毒殺するのだ」
スプランヘルが問うと、ダレムは上手く答えられずに呻いた。
「そもそも、彼らは高位ランクの冒険者だ。何故わざわざ公爵領に留まる。違う国でも問題なく生活していける力を持っているのだ。故に、わざわざ金を貰って公爵を殺す必要も無いはずだ」
それから、スプランヘルは更に質問を重ねていき、全ての疑問にしどろもどろとなるダレムは、やがて折れた。
地面に崩れ落ちるダレムを悲しそうに見下ろし、口を開く。
「失態を取り返そうと、無理やり彼らを暗殺者に仕立て上げようとしたのだろう。あまりにも強引だ」
スプランヘルがそう推測すると、アルブレヒトが目を見開いてダレムを見た。
「まさか、ダレムがそんな……」
アルブレヒトは愕然と呟く。スプランヘルはその横顔を一瞥し、ダレムに向き直る。
「……貴様は実の弟だ。本来であれば、兄弟には主要な都市の領主や騎士団長になってもらい、公爵領を皆で強く、豊かにしていきたかった。しかし、身内だからこそ厳罰に処さねばならん。後に沙汰は言い渡す。ダレムを地下牢に繋げ! アルブレヒト、お前は騎士見習いまで格下げする! 今一度心身共に鍛え直せ!」
