村の広場で地べたに座り込み、ヴァールが地面を殴る。
「だから、これでも世界一速いくらいのペースで狩りまくってきたってんだよ!」
「えー、本当? 隣の森のオーガ十三体でしょう? もうちょっと早く帰れたんじゃない?」
「ふざけんなよ、お前! 俺じゃなかったら二日ぐらい掛かるわ!」
言い合いをする二人を見て、村人達は顔を見合わせる。
「お、オーガ十三体だとよ」
「危なかったな、この村……」
「というか、普通なら騎士団で対応する規模じゃねぇか」
ヒソヒソと会話する村人達と、それを横目に春馬に頭を下げるジイダン。
「すまない……私達を助けたばかりに、公爵家と……」
ジイダンが謝ると、隣に座っていた娘のリースと婚約者のディルも頭を下げた。
「いや、はは……多分どちらにしても敵対する結果になってたと思いますよ。まぁ、気になさらないでください。むしろ、畑を燃やしてしまったことが……」
「いやいや、そんな謝らんでください。幸いにも収穫が終わった畑だ。次の種蒔きまで二ヶ月ある。何とかなるさ」
「そうですよ。それよりも、皆さんがこれからどうされるのか……」
良い人村の住人達は自分達の生活基盤よりも春馬達の心配をした。
「いや、本当に申し訳ない限りで……とりあえずで恐縮ですが、これを畑の再興費用に……」
そう言って春馬が小さな革袋を置くと、リースが手を合わせて頭を下げる。
「良いんですか!? ありがとうございます!」
と、嬉しそうに手を伸ばすリースの手をジイダンがパシンと叩いた。
「馬鹿、もらえるわけないだろう! 命を助けてもらって更に村まで……!」
「で、でも、村の財政はギリギリだし、助かるじゃない!」
ジイダンとリースが言い合うと、ディルが項垂れる。
「貧乏な村ですまない」
「あ、いや、そういう意味じゃないよ? その、お金が無いのは仕方ないけど、畑を元に戻す間は内職できないでしょう? だから……」
「すまない……内職させないと食べていけない村で……」
「ど、どの村も同じだってば! 大丈夫だから、落ち込まないで!」
どんどん凹んでいくディルに、リースが慌てふためく。その様子にジイダンは溜め息を吐き、春馬を見た。
「申し訳ない。ご厚意に甘えさせていただく。まぁ、本当に少しで大丈夫だ。何とか次の収穫まで乗り切れれば……」
「そうですか。これで何とかなると良いのですが……」
申し訳なさそうにそう言う春馬に、ジイダンは笑って革袋を拾い上げた。
「なに、我々も何度も厳しい冬を乗り切ってきたのです。大丈夫ですよ」
そう言って快活に笑い、ジイダンは自らの手のひらの上に革袋をひっくり返した。
直後、金貨が溢れ出す。
ジャラジャラと良い音を立てて革袋の中から金貨が湯水の如く溢れ出すのを見て、ジイダンやリース、ディルは呆然とした。
「あ、危ない危ない」
慌てて春馬が革袋の口を塞ぐと、金貨の洪水は止まる。それでも数百枚はあるだろうか。
山となった金貨を見て、ジイダン達のみならず他の村人達も唖然としている。
「私の全財産です。良かったら……」
「いやいやいや……っ! え、ちょ、ちょっとこれは……!?」
「む、村をそのまま買えそう……」
「う、受け取れません! 金貨なら二枚か三枚で十分です! 辛抱すれば十分食料は買うことが出来ますから!」
ジイダン達が慌てた様子で受け取り拒否の言葉を発する。
「いや、そう言わず……せめて二、三十枚くらいは……」
「あ、それくらいなら……」
「こら、リース!」
目を輝かせるリースをジイダンが怒鳴った。しかし、村人達もざわざわと浮かれてしまっている。
「い、いいのか?」
「いや、駄目だろ! 限度がある!」
「金貨なんてまずお目にかかれないぞ」
「一枚あったら服でも新しい農具でも何でも買える……」
戸惑いの声が無数に上がる中、ヴァールとソフィアが春馬の方に顔を向けた。
「金貨ぶちまけるからこんなことになるんだよ」
「もう金貨全部置いて帰っちゃったら?」
「何でだよ!」
物欲皆無のソフィアの言葉にヴァールが怒鳴る。それから二人はまた言い合いを始めた。
その様子を苦笑交じりに眺め、春馬はジイダンとディルを見る。
「では、三十枚だけ置いていきます。使わなくとも一応持っておいてください。何かあった時にあると便利ですよ」
「それはそうでしょうが……」
ディルが恐縮しつつ同意すると、リースは嬉しそうに金貨を拾う。
「わぁ、ありがとうございますー! 三十枚も貰えるなんて、畑が焼けて得してしまいました」
「こ、このバカ娘……!」
ジイダンがリースに説教をし始めて、ヴァールとソフィアも言い合いを終えた。
「セコール」
「分からず屋エルフめ」
二人は睨み合いながらも春馬に顔を向ける。
「ハルマ、まだ公爵領第一都市に行く? 危ないかもしれないわ」
「間違いなく危ないだろうよ。さすがに三人揃っても大規模な騎士団相手にすりゃあ負けるぞ?」
そう言われ、春馬は困ったように笑った。
「王都に負けない、巨大な城塞都市。公爵の居城は大きさも機能性もさることながら、公爵自らデザインした見事な城であるという……こんな噂を聞くと、やっぱり一度見てみたいなぁ」
春馬がそう言うと、ソフィアが頬を赤くして頷く。
「それなら仕方ないわね。私がハルマを守ってあげるから、安心してね? ハルマ」
「……どう考えても面倒くさい展開しか想像できない。くそ、二人がおとなしくなんか出来ないだろうし……」
葛藤するヴァールだったが、村人達からは良い風に映ったのか、微笑みをもって眺められていた。
「なんか、ヴァールさんが保護者みたいです」
「確かにな。口は悪いが、ヴァール殿は面倒見が良さそうだ」
そんな声が聞こえてきて、ヴァールは顔を真っ赤にしながら怒鳴った。
「うるせぇ! 俺は金はやらんぞ!」
その叫びに、ソフィアが凍てつくような目を向ける。
「この、セコールが」
村を出て、春馬達はそのまま公爵領第一都市、クランティスに向かった。
「公爵家って言ったんだろ? しかし、実際に来たのは傭兵団だ。じゃあ、少なくとも公爵家で私兵を持ってる奴の命令じゃない」
「まぁ、ダレムみたいに公爵家の息子、娘、もしくはその部下や懇意にしてる商会とか?」
「商会ならAランク冒険者と敵対しないだろうな。高ランク冒険者が納品する素材は桁が違う。どちらかというと公爵家の裏で情報を流し、代わりに今後取引を、という感じで話を持ち掛けるだろう」
「じゃあ、公爵と直接会話してみて、上手くいけば全部解決かな」
春馬が結論を出し、ヴァールとソフィアが目を瞬かせる。
「ハルマ、逆に言えば下手したら戦いだぞ」
「公爵の居城を見学したら、早めに避難したほうが良いんじゃないかしら?」
そう言われ、春馬は難しい顔で唸った。
「でも、話はつけておかないと、ライサの村の人達に被害が出るかもしれないしね。それに、スラヴァの冒険者ギルドも心配だよ」
と、春馬の主張に二人は似たような顔になって口を開く。
「まぁ、そりゃそうだが」
「公爵は体調を悪くしてると聞くわよ?」
「公爵が長く病に臥せっているなら、代理で公爵領を管理している人がいる筈でしょ? じゃあ、その人に会えば良いさ」
春馬がそう言って笑うと、ソフィアは「そうね」と笑い返し、ヴァールは面倒くさそうに肩をすくめた。
「普通は会えないんだよ、簡単には」
二週間ほどの旅路を終え、春馬達は平野からそれを見上げた。街道は徐々に下がっていくようななだらかな坂道で、その先には丘があり、ぐるりと巨大な城壁がそれを取り囲んでいる。
城壁は赤茶けているが、古さは無く、力強さと荘厳さが満ちている。城壁の上には渡り廊下と物見小屋があり、そこには弓矢を手にした兵士が巡回していた。
街道の正面には観音開きの巨大な城門があり、人や馬車が並んでいるのが見える。
その列を遠目に見てヴァールが嫌そうな顔をした。
「これだから城塞都市とか王都ってのは嫌なんだ。城門は厳しく取り調べをするから時間かかるってのに、馬鹿みたいに人が集まるから更に混雑する……あれは二時間コースだな」
「二時間ならまだ良いじゃない。私の国は入ろうと思ったら一年以上かかるかもしれないわ」
「エルフの国なんか絶対行かないぞ、面倒くさい」
二人のやり取りに微笑み、ハルマは口を開く。
「悪いね、ヴァール。あの城壁を見ちゃったらもっと中が見たくなっちゃって……あ、もし良かったらエルフの国に行くときは私が案内するよ?」
「行かない。興味が無い。エルフは人間を見下してるからな」
「ヴァール? 喧嘩売ってるのかしら?」
ポロリと漏らした言葉にソフィアが敏感に反応した。二人が睨み合っていると、春馬が困ったように笑う。
「まぁまぁ、とりあえず列に並ぼう。ほら、二人とも仲良くね。仲良くしたらヴァールにはお肉とソフィアには甘いもの買ってあげるから」
「俺は子供じゃないぞ」
「一緒に食べてくれるなら仲良くするわよ?」
春馬が間に入ると、二人の空気はふわりと軽くなる。良くも悪くも、春馬が入って初めて機能する三人であった。
ようやく門を超えて中に入ると、ヴァールは思い切り背伸びをする。
「……やっと入れた」
あくび混じりにそう呟くと、今度はソフィアが声を上げる。
「大きな街ね。露店がいっぱいあるのが良いわ」
様々な屋台料理を眺め、ソフィアは嬉しそうにしていた。一方、春馬は目を輝かせて街並みを見ている。
建物は赤茶けた石造りでどれも三階建てや四階建ての大きな建物ばかりである。建物と建物の間には紐が何本も繋がれており、そこには真っ白な布が干されている。
片側の建物の窓部分から一人の女性が顔を出し、その紐を引く。すると、紐は離れた建物と輪を作るように往復しているらしく、スルスルと干された布が回収された。
「へぇ……こんなに広い都市なのに、平屋じゃ住居が確保出来ないくらい人口が多いのかな。でも、十分スペースを有効活用してるね。面白いなぁ。丘の上だから風が強いのかな? どこも窓には戸板があるし、扉も頑丈そうだね。国や領主の旗とかはあんまり見当たらないな」
キョロキョロと景色を見ながら感想を呟く春馬に、ヴァールが眉根を寄せる。
「恥ずかしいからキョロキョロするな」
「良いじゃない。ケチール。新しい街だから誰でも興味が湧くでしょう?」
二人の声を半ば聞き流しながら、春馬は更に街の作りに注目する。
「大通りは真っ直ぐだけど、左右には大きな通りが無いね。もし敵の軍か何かが攻めてきた時にルートを固定する為かな? 延々と坂道だから守りやすそうだね。多分、建物の上から攻撃も出来るようになってるんだろうな。あ、脇道の上には連絡通路とアーチもある。槍持ってたり馬乗ってたりしたら脇道は入れないね」
などと言いながら大通りをふらふら歩く春馬に、二人は慌てて後を追った。
「ねぇ、あれは何?」
「あれは蜂蜜漬けの焼いた果物よ。色んな種類があって楽しいわよね。懐かしい味だし」
「それより串焼きの肉が良いぞ。この辺は甘辛い味付けが主流みたいだ。なかなかイケる」
「あ、良いな。もう食べてるのか」
「あれが一番旨かったな」
「いつの間に三本も買ってるのよ!?」
「先に注文だけしとくんだよ。そうすりゃ待たずにすぐ買える」
「慣れてるねぇ」
「そういう問題かしら……」
三人はなんだかんだと観光気分で街を散策しつつ、城へと向かった。
見上げるような城の前まで行くと、門番の兵士達にジロジロと見られながら春馬は観察する。
「ゴシックよりはロマネスク建築に近いかなぁ……モダンな感じで良いね。それにしても頑丈そうな造りだなぁ。あ、窓がステンドグラスみたいになってる! これは、ちょっと珍しいんじゃないかな? あんな大きな一枚窓で更にステンドグラスなんて」
と、春馬がぶつぶつ言いながらウロウロしていると、兵士達の目が怪しく光った。春馬を不審者としてロックオンしたようである。
「悪いが、何を言ってるのか全然わからん」
ヴァールが春馬の呟きをそう断ずると、ソフィアが失笑を返す。
「ハルマは芸術派なのよ。色々なもので感情を動かされるの。感受性が豊かなのは良いこと。ガサツなヴァールとは違うんだからね?」
「一言余計だ。まぁ、確かにこんな城見ても何とも思わんが」
「そうねぇ。残念ながら、私も見たことのある城の中では平均的としか評価しないわ。一番凄いのはやっぱりエルフの国よね」
「自画自賛してんじゃねぇ」
と、気付けば二人も批判的な意見を発しており、門番の目つきはどんどん鋭くなっていく。
ようやくそれに気が付いた春馬は慌てて二人の背中を手で押し、その場を離れる。
「よし。今日はとりあえず宿に泊まろうか。野宿が多かったから屋根のあるとこで休みたいし」
「お、そりゃ良いな。公爵とモメたりしたらすぐ街を出ないといけないんだ。一番良い宿に泊まってゆっくりしてからモメるぞ」
「い、いや、まだモメると決まったわけじゃ……」
「どの口が言ってるんだ?」
そんな会話をしながら、三人はふらふらと適当に良さそうな宿を探し、一泊した。
最後まで騒がしく、三人はクランティス最初の一日を終えたのだった。
「良い宿だったなぁ……まさか大浴場があるなんて。しかも、食事も美味しかったし……」
「またいつか泊まろうね」
「そうだね。公爵家とモメなかったら今日も泊まれるかな?」
「大丈夫だよ、多分」
すっかり新婚夫婦のような甘ったるい雰囲気で会話する二人に、ヴァールは舌を出しながら眉根を寄せる。
「楽しい宿の話も良いが、本題は公爵家だぞ。馬鹿みたいな会話してたら謁見もできないと思え」
「大丈夫じゃない?」
「なんでそんなに緩いんだよ。公爵だぞ、公爵」
「ヴァールが珍しく緊張してる」
「うるせえ!」
ヴァールの心配もよそに、結局三人はいつものノリで城の前に行き、ソフィアが代表して胸元から金色の板を出す。
「Aランク冒険者のソフィアーナ・ネル・ラ・フィルリアス。領主殿に用があって参りました。謁見を賜りたく存じます」
これまでとは打って変わってソフィアが凛とした態度でそう告げると、門番達は慌てて背筋を伸ばした。そして、こちらから見て左側に立つ鼻髭を生やした男が咳払いをする。
「む、ソフィアーナ殿。大変申し訳ないが、今閣下は体調を崩されている。火急の用以外は誰も面会させるなと命を受けているのだ」
悪いが、と言葉を続けようとし門番に手のひらを見せ、ソフィアが口を開く。
「私はソフィアーナ。Aランクパーティーである聖弓の一人であり、癒しのソフィアーナと呼ばれていました。もし公爵殿が私の力の及ぶ病であったなら、会わせなかった貴方には咎を受けることになりましょう。せめて、その判断を下せる地位の者に話をなさい」
訥々とソフィアが言って聞かせ、話を聞いた男はウッと息を呑んだ。後ろでは他の兵士達も顔を見合わせて何か言っている。
懐疑的な視線を向けられても、ソフィアは一切動じない。それどころか、無言で見つめるソフィアからは神々しさすら発せられている。
「……わ、わかった。少し、こちらでお待ち頂きたい」
そう言って鼻髭の兵士は城内へと入っていった。一連の流れを見ていた春馬は感心して頷き、ヴァールは片方の眉を上げて鼻を鳴らす。
「はっ。詐術もAランクか……っ!?」
一言口にした瞬間、澄ました顔のままのソフィアが肘をヴァールの腹部に打ち込んだ。息が出来ずに悶絶するヴァールを放置して、ソフィアが春馬を見る。
「思わず、公爵の診断をすることになりそう。ごめんね、ハルマ」
可愛らしく小首を傾げてそう言うソフィアに、春馬は眉をハの字にして笑った。
「大丈夫。もし病を治せたら万々歳だよ。普通に話をするより良いことかもしれないよ?」
「もう。ハルマったら優しいんだから」
フフフと笑い合う二人に、ヴァールは頬を引攣らせて唸る。
「あのエルフ、二重人格じゃねぇだろうな……」
ヴァールが小さくそんなことを言っていると、門番が城の中から戻ってきた。
「ソフィア殿、スプランヘル副領主様が会ってくださるとのことだ。中に参られよ。場所はこちらの者が案内する」
鼻髭の兵士がそう言うと、二十代ほどの若い兵士が一歩前に出てきた。
「どうぞ、こちらへ! ご案内致します!」
三人を先導し、兵士は城内へと歩き出し、三人も後に続く。それまでは大人しくソフィアに任せていた春馬だったが、城内に入った途端好奇心を抑えられなくなってしまった。
「すごい絨毯ですね。通路にずっと敷いてあるんですか?」
「いえ、正門から謁見の間、貴賓室の間までのみ敷いてあります。客人が通る通路です」
「凄い窓ですよね。この街で加工を?」
「いえ、確か材料の関係でとある港町で作っていると聞いたことがあります。申し訳ありませんが、仔細は分かりません」
「お、調度品も……先程は壺でしたが、こちらは甲冑ですね。途中には絵画がいっぱいありましたが、どれも公爵様の趣味ですか?」
「い、いや、申し訳ありませんが……」
歩きながら質問責めにする春馬に、兵士の方が段々と追い詰められていき、見かねたヴァールがストップをかける。
「ほら、困らせるな。どうでも良いだろうが」
「えー? この絵画だって不思議だよ。写実的な絵が多いのに、この城には抽象的な絵が多い。珍しいじゃないか。公爵様の趣味なら是非絵画について話してみたいなぁ」
「あー、もう。いいから黙ってろ。後でソフィアとたっぷり絵画について話し合え」
公爵の居城でも三人はいつも通り騒がしかった。通り過ぎるメイドや兵士が眉をひそめるのも気にせず、ワイワイ言いながら奥へ奥へ進んでいく。
やがて、通路は行き止まりとなり、正面には一際豪華な両開き扉が現れる。
「こちらでスプランヘル様がお待ちである。扉を開けたら脇目を振らずに歩き、広間の真ん中ほどで立ち止まりください。閣下の代行でもありますので、皆様は一度跪き、こうべを垂れてもらいます。その後、スプランヘル様が楽にするよう指示をくださいますので、楽にして結構です」
礼儀作法を簡易的に学び、三人はそれぞれ頷いた。 それを確認して兵士が扉を拳で軽くノックすると、扉を中から開いていった。
光が扉の切れ目から広がっていき、三人の姿を照らし出す。扉の向こうは光にあふれていた。地面には真っ赤な絨毯が敷かれており、左右に並ぶ柱や天井からは細部までこだわった装飾のシャンデリアが吊るされていた。シャンデリアは火ではない別の光で発光している。
無数の光に照らされた広間はきらきらと輝いており、三人は思わず息を漏らす。
「……客人は前へ」
そう言われてようやく三人はハッとした顔になり、前へと歩き出す。
左右には柱を挟むようにして一列に並ぶ兵士達がおり、正面には豪華な椅子と、その前に立つマントを付けた男の姿があった。
髪を後ろ手に流した三十代ほどの男だ。服は貴族の着込むようなものではなく、簡易的な鎧である。手には鞘に入った長い剣を持っており、杖のように自身の正面で地面に立てている。
その男を見つつ、三人は跪き頭を下げる。
「Aランク冒険者、ソフィアーナ・ネル・ラ・フィルリアス。同じくAランク冒険者、ヴァール。そしてBランク冒険者のシンメイ・ハルマ」
家臣の誰かが名を呼び、男は浅く顎を引いた。
「……楽にするが良い」
男がそう言うと三人はゆっくりと顔を上げる。
「私はスプランヘル・フォン・クランツ。この公爵領領主であるバルトロメウス公爵の嫡男であり、副領主の任についている。そちらの二人は名を聞いたことがあるな。もう一人は知らぬが、Bランクなれば相応の実力者であろう」
スプランヘルはそう切り出すと、目を細めてソフィアを見た。
「……して、ソフィアーナ殿。貴女が父を病から救っていただけると耳にした。誠か?」
聞かれ、ソフィアは真っ直ぐに見返し、首を左右に振る。
「いいえ。私は公爵閣下を癒すことが出来るかもしれないと申しました。閣下の病の詳細は聞かされておりませんので、治せるかは不明です」
正直にそう告げるソフィアに、周りの兵士の一部から怒りの視線が向いた。
スプランヘルは諦めの表情で溜め息を吐き、遠くを見るような目でソフィアを見つめる。
「……これまで、多くの医者や神官に父の容態を聞き、商人には異国の薬はないか尋ねた。だが、どれも全くの無駄である。様々な治療をして僅かだが効果があると残ったのは、回復ポーションを少量ずつ飲ませることだけだ」
スプランヘルはそう呟き、深く息を吐く。
「駄目でも良い。父を診てくれ、ソフィアーナ殿」
スプランヘルは縋るような目でソフィアを見て、そう口にした。
「だから、これでも世界一速いくらいのペースで狩りまくってきたってんだよ!」
「えー、本当? 隣の森のオーガ十三体でしょう? もうちょっと早く帰れたんじゃない?」
「ふざけんなよ、お前! 俺じゃなかったら二日ぐらい掛かるわ!」
言い合いをする二人を見て、村人達は顔を見合わせる。
「お、オーガ十三体だとよ」
「危なかったな、この村……」
「というか、普通なら騎士団で対応する規模じゃねぇか」
ヒソヒソと会話する村人達と、それを横目に春馬に頭を下げるジイダン。
「すまない……私達を助けたばかりに、公爵家と……」
ジイダンが謝ると、隣に座っていた娘のリースと婚約者のディルも頭を下げた。
「いや、はは……多分どちらにしても敵対する結果になってたと思いますよ。まぁ、気になさらないでください。むしろ、畑を燃やしてしまったことが……」
「いやいや、そんな謝らんでください。幸いにも収穫が終わった畑だ。次の種蒔きまで二ヶ月ある。何とかなるさ」
「そうですよ。それよりも、皆さんがこれからどうされるのか……」
良い人村の住人達は自分達の生活基盤よりも春馬達の心配をした。
「いや、本当に申し訳ない限りで……とりあえずで恐縮ですが、これを畑の再興費用に……」
そう言って春馬が小さな革袋を置くと、リースが手を合わせて頭を下げる。
「良いんですか!? ありがとうございます!」
と、嬉しそうに手を伸ばすリースの手をジイダンがパシンと叩いた。
「馬鹿、もらえるわけないだろう! 命を助けてもらって更に村まで……!」
「で、でも、村の財政はギリギリだし、助かるじゃない!」
ジイダンとリースが言い合うと、ディルが項垂れる。
「貧乏な村ですまない」
「あ、いや、そういう意味じゃないよ? その、お金が無いのは仕方ないけど、畑を元に戻す間は内職できないでしょう? だから……」
「すまない……内職させないと食べていけない村で……」
「ど、どの村も同じだってば! 大丈夫だから、落ち込まないで!」
どんどん凹んでいくディルに、リースが慌てふためく。その様子にジイダンは溜め息を吐き、春馬を見た。
「申し訳ない。ご厚意に甘えさせていただく。まぁ、本当に少しで大丈夫だ。何とか次の収穫まで乗り切れれば……」
「そうですか。これで何とかなると良いのですが……」
申し訳なさそうにそう言う春馬に、ジイダンは笑って革袋を拾い上げた。
「なに、我々も何度も厳しい冬を乗り切ってきたのです。大丈夫ですよ」
そう言って快活に笑い、ジイダンは自らの手のひらの上に革袋をひっくり返した。
直後、金貨が溢れ出す。
ジャラジャラと良い音を立てて革袋の中から金貨が湯水の如く溢れ出すのを見て、ジイダンやリース、ディルは呆然とした。
「あ、危ない危ない」
慌てて春馬が革袋の口を塞ぐと、金貨の洪水は止まる。それでも数百枚はあるだろうか。
山となった金貨を見て、ジイダン達のみならず他の村人達も唖然としている。
「私の全財産です。良かったら……」
「いやいやいや……っ! え、ちょ、ちょっとこれは……!?」
「む、村をそのまま買えそう……」
「う、受け取れません! 金貨なら二枚か三枚で十分です! 辛抱すれば十分食料は買うことが出来ますから!」
ジイダン達が慌てた様子で受け取り拒否の言葉を発する。
「いや、そう言わず……せめて二、三十枚くらいは……」
「あ、それくらいなら……」
「こら、リース!」
目を輝かせるリースをジイダンが怒鳴った。しかし、村人達もざわざわと浮かれてしまっている。
「い、いいのか?」
「いや、駄目だろ! 限度がある!」
「金貨なんてまずお目にかかれないぞ」
「一枚あったら服でも新しい農具でも何でも買える……」
戸惑いの声が無数に上がる中、ヴァールとソフィアが春馬の方に顔を向けた。
「金貨ぶちまけるからこんなことになるんだよ」
「もう金貨全部置いて帰っちゃったら?」
「何でだよ!」
物欲皆無のソフィアの言葉にヴァールが怒鳴る。それから二人はまた言い合いを始めた。
その様子を苦笑交じりに眺め、春馬はジイダンとディルを見る。
「では、三十枚だけ置いていきます。使わなくとも一応持っておいてください。何かあった時にあると便利ですよ」
「それはそうでしょうが……」
ディルが恐縮しつつ同意すると、リースは嬉しそうに金貨を拾う。
「わぁ、ありがとうございますー! 三十枚も貰えるなんて、畑が焼けて得してしまいました」
「こ、このバカ娘……!」
ジイダンがリースに説教をし始めて、ヴァールとソフィアも言い合いを終えた。
「セコール」
「分からず屋エルフめ」
二人は睨み合いながらも春馬に顔を向ける。
「ハルマ、まだ公爵領第一都市に行く? 危ないかもしれないわ」
「間違いなく危ないだろうよ。さすがに三人揃っても大規模な騎士団相手にすりゃあ負けるぞ?」
そう言われ、春馬は困ったように笑った。
「王都に負けない、巨大な城塞都市。公爵の居城は大きさも機能性もさることながら、公爵自らデザインした見事な城であるという……こんな噂を聞くと、やっぱり一度見てみたいなぁ」
春馬がそう言うと、ソフィアが頬を赤くして頷く。
「それなら仕方ないわね。私がハルマを守ってあげるから、安心してね? ハルマ」
「……どう考えても面倒くさい展開しか想像できない。くそ、二人がおとなしくなんか出来ないだろうし……」
葛藤するヴァールだったが、村人達からは良い風に映ったのか、微笑みをもって眺められていた。
「なんか、ヴァールさんが保護者みたいです」
「確かにな。口は悪いが、ヴァール殿は面倒見が良さそうだ」
そんな声が聞こえてきて、ヴァールは顔を真っ赤にしながら怒鳴った。
「うるせぇ! 俺は金はやらんぞ!」
その叫びに、ソフィアが凍てつくような目を向ける。
「この、セコールが」
村を出て、春馬達はそのまま公爵領第一都市、クランティスに向かった。
「公爵家って言ったんだろ? しかし、実際に来たのは傭兵団だ。じゃあ、少なくとも公爵家で私兵を持ってる奴の命令じゃない」
「まぁ、ダレムみたいに公爵家の息子、娘、もしくはその部下や懇意にしてる商会とか?」
「商会ならAランク冒険者と敵対しないだろうな。高ランク冒険者が納品する素材は桁が違う。どちらかというと公爵家の裏で情報を流し、代わりに今後取引を、という感じで話を持ち掛けるだろう」
「じゃあ、公爵と直接会話してみて、上手くいけば全部解決かな」
春馬が結論を出し、ヴァールとソフィアが目を瞬かせる。
「ハルマ、逆に言えば下手したら戦いだぞ」
「公爵の居城を見学したら、早めに避難したほうが良いんじゃないかしら?」
そう言われ、春馬は難しい顔で唸った。
「でも、話はつけておかないと、ライサの村の人達に被害が出るかもしれないしね。それに、スラヴァの冒険者ギルドも心配だよ」
と、春馬の主張に二人は似たような顔になって口を開く。
「まぁ、そりゃそうだが」
「公爵は体調を悪くしてると聞くわよ?」
「公爵が長く病に臥せっているなら、代理で公爵領を管理している人がいる筈でしょ? じゃあ、その人に会えば良いさ」
春馬がそう言って笑うと、ソフィアは「そうね」と笑い返し、ヴァールは面倒くさそうに肩をすくめた。
「普通は会えないんだよ、簡単には」
二週間ほどの旅路を終え、春馬達は平野からそれを見上げた。街道は徐々に下がっていくようななだらかな坂道で、その先には丘があり、ぐるりと巨大な城壁がそれを取り囲んでいる。
城壁は赤茶けているが、古さは無く、力強さと荘厳さが満ちている。城壁の上には渡り廊下と物見小屋があり、そこには弓矢を手にした兵士が巡回していた。
街道の正面には観音開きの巨大な城門があり、人や馬車が並んでいるのが見える。
その列を遠目に見てヴァールが嫌そうな顔をした。
「これだから城塞都市とか王都ってのは嫌なんだ。城門は厳しく取り調べをするから時間かかるってのに、馬鹿みたいに人が集まるから更に混雑する……あれは二時間コースだな」
「二時間ならまだ良いじゃない。私の国は入ろうと思ったら一年以上かかるかもしれないわ」
「エルフの国なんか絶対行かないぞ、面倒くさい」
二人のやり取りに微笑み、ハルマは口を開く。
「悪いね、ヴァール。あの城壁を見ちゃったらもっと中が見たくなっちゃって……あ、もし良かったらエルフの国に行くときは私が案内するよ?」
「行かない。興味が無い。エルフは人間を見下してるからな」
「ヴァール? 喧嘩売ってるのかしら?」
ポロリと漏らした言葉にソフィアが敏感に反応した。二人が睨み合っていると、春馬が困ったように笑う。
「まぁまぁ、とりあえず列に並ぼう。ほら、二人とも仲良くね。仲良くしたらヴァールにはお肉とソフィアには甘いもの買ってあげるから」
「俺は子供じゃないぞ」
「一緒に食べてくれるなら仲良くするわよ?」
春馬が間に入ると、二人の空気はふわりと軽くなる。良くも悪くも、春馬が入って初めて機能する三人であった。
ようやく門を超えて中に入ると、ヴァールは思い切り背伸びをする。
「……やっと入れた」
あくび混じりにそう呟くと、今度はソフィアが声を上げる。
「大きな街ね。露店がいっぱいあるのが良いわ」
様々な屋台料理を眺め、ソフィアは嬉しそうにしていた。一方、春馬は目を輝かせて街並みを見ている。
建物は赤茶けた石造りでどれも三階建てや四階建ての大きな建物ばかりである。建物と建物の間には紐が何本も繋がれており、そこには真っ白な布が干されている。
片側の建物の窓部分から一人の女性が顔を出し、その紐を引く。すると、紐は離れた建物と輪を作るように往復しているらしく、スルスルと干された布が回収された。
「へぇ……こんなに広い都市なのに、平屋じゃ住居が確保出来ないくらい人口が多いのかな。でも、十分スペースを有効活用してるね。面白いなぁ。丘の上だから風が強いのかな? どこも窓には戸板があるし、扉も頑丈そうだね。国や領主の旗とかはあんまり見当たらないな」
キョロキョロと景色を見ながら感想を呟く春馬に、ヴァールが眉根を寄せる。
「恥ずかしいからキョロキョロするな」
「良いじゃない。ケチール。新しい街だから誰でも興味が湧くでしょう?」
二人の声を半ば聞き流しながら、春馬は更に街の作りに注目する。
「大通りは真っ直ぐだけど、左右には大きな通りが無いね。もし敵の軍か何かが攻めてきた時にルートを固定する為かな? 延々と坂道だから守りやすそうだね。多分、建物の上から攻撃も出来るようになってるんだろうな。あ、脇道の上には連絡通路とアーチもある。槍持ってたり馬乗ってたりしたら脇道は入れないね」
などと言いながら大通りをふらふら歩く春馬に、二人は慌てて後を追った。
「ねぇ、あれは何?」
「あれは蜂蜜漬けの焼いた果物よ。色んな種類があって楽しいわよね。懐かしい味だし」
「それより串焼きの肉が良いぞ。この辺は甘辛い味付けが主流みたいだ。なかなかイケる」
「あ、良いな。もう食べてるのか」
「あれが一番旨かったな」
「いつの間に三本も買ってるのよ!?」
「先に注文だけしとくんだよ。そうすりゃ待たずにすぐ買える」
「慣れてるねぇ」
「そういう問題かしら……」
三人はなんだかんだと観光気分で街を散策しつつ、城へと向かった。
見上げるような城の前まで行くと、門番の兵士達にジロジロと見られながら春馬は観察する。
「ゴシックよりはロマネスク建築に近いかなぁ……モダンな感じで良いね。それにしても頑丈そうな造りだなぁ。あ、窓がステンドグラスみたいになってる! これは、ちょっと珍しいんじゃないかな? あんな大きな一枚窓で更にステンドグラスなんて」
と、春馬がぶつぶつ言いながらウロウロしていると、兵士達の目が怪しく光った。春馬を不審者としてロックオンしたようである。
「悪いが、何を言ってるのか全然わからん」
ヴァールが春馬の呟きをそう断ずると、ソフィアが失笑を返す。
「ハルマは芸術派なのよ。色々なもので感情を動かされるの。感受性が豊かなのは良いこと。ガサツなヴァールとは違うんだからね?」
「一言余計だ。まぁ、確かにこんな城見ても何とも思わんが」
「そうねぇ。残念ながら、私も見たことのある城の中では平均的としか評価しないわ。一番凄いのはやっぱりエルフの国よね」
「自画自賛してんじゃねぇ」
と、気付けば二人も批判的な意見を発しており、門番の目つきはどんどん鋭くなっていく。
ようやくそれに気が付いた春馬は慌てて二人の背中を手で押し、その場を離れる。
「よし。今日はとりあえず宿に泊まろうか。野宿が多かったから屋根のあるとこで休みたいし」
「お、そりゃ良いな。公爵とモメたりしたらすぐ街を出ないといけないんだ。一番良い宿に泊まってゆっくりしてからモメるぞ」
「い、いや、まだモメると決まったわけじゃ……」
「どの口が言ってるんだ?」
そんな会話をしながら、三人はふらふらと適当に良さそうな宿を探し、一泊した。
最後まで騒がしく、三人はクランティス最初の一日を終えたのだった。
「良い宿だったなぁ……まさか大浴場があるなんて。しかも、食事も美味しかったし……」
「またいつか泊まろうね」
「そうだね。公爵家とモメなかったら今日も泊まれるかな?」
「大丈夫だよ、多分」
すっかり新婚夫婦のような甘ったるい雰囲気で会話する二人に、ヴァールは舌を出しながら眉根を寄せる。
「楽しい宿の話も良いが、本題は公爵家だぞ。馬鹿みたいな会話してたら謁見もできないと思え」
「大丈夫じゃない?」
「なんでそんなに緩いんだよ。公爵だぞ、公爵」
「ヴァールが珍しく緊張してる」
「うるせえ!」
ヴァールの心配もよそに、結局三人はいつものノリで城の前に行き、ソフィアが代表して胸元から金色の板を出す。
「Aランク冒険者のソフィアーナ・ネル・ラ・フィルリアス。領主殿に用があって参りました。謁見を賜りたく存じます」
これまでとは打って変わってソフィアが凛とした態度でそう告げると、門番達は慌てて背筋を伸ばした。そして、こちらから見て左側に立つ鼻髭を生やした男が咳払いをする。
「む、ソフィアーナ殿。大変申し訳ないが、今閣下は体調を崩されている。火急の用以外は誰も面会させるなと命を受けているのだ」
悪いが、と言葉を続けようとし門番に手のひらを見せ、ソフィアが口を開く。
「私はソフィアーナ。Aランクパーティーである聖弓の一人であり、癒しのソフィアーナと呼ばれていました。もし公爵殿が私の力の及ぶ病であったなら、会わせなかった貴方には咎を受けることになりましょう。せめて、その判断を下せる地位の者に話をなさい」
訥々とソフィアが言って聞かせ、話を聞いた男はウッと息を呑んだ。後ろでは他の兵士達も顔を見合わせて何か言っている。
懐疑的な視線を向けられても、ソフィアは一切動じない。それどころか、無言で見つめるソフィアからは神々しさすら発せられている。
「……わ、わかった。少し、こちらでお待ち頂きたい」
そう言って鼻髭の兵士は城内へと入っていった。一連の流れを見ていた春馬は感心して頷き、ヴァールは片方の眉を上げて鼻を鳴らす。
「はっ。詐術もAランクか……っ!?」
一言口にした瞬間、澄ました顔のままのソフィアが肘をヴァールの腹部に打ち込んだ。息が出来ずに悶絶するヴァールを放置して、ソフィアが春馬を見る。
「思わず、公爵の診断をすることになりそう。ごめんね、ハルマ」
可愛らしく小首を傾げてそう言うソフィアに、春馬は眉をハの字にして笑った。
「大丈夫。もし病を治せたら万々歳だよ。普通に話をするより良いことかもしれないよ?」
「もう。ハルマったら優しいんだから」
フフフと笑い合う二人に、ヴァールは頬を引攣らせて唸る。
「あのエルフ、二重人格じゃねぇだろうな……」
ヴァールが小さくそんなことを言っていると、門番が城の中から戻ってきた。
「ソフィア殿、スプランヘル副領主様が会ってくださるとのことだ。中に参られよ。場所はこちらの者が案内する」
鼻髭の兵士がそう言うと、二十代ほどの若い兵士が一歩前に出てきた。
「どうぞ、こちらへ! ご案内致します!」
三人を先導し、兵士は城内へと歩き出し、三人も後に続く。それまでは大人しくソフィアに任せていた春馬だったが、城内に入った途端好奇心を抑えられなくなってしまった。
「すごい絨毯ですね。通路にずっと敷いてあるんですか?」
「いえ、正門から謁見の間、貴賓室の間までのみ敷いてあります。客人が通る通路です」
「凄い窓ですよね。この街で加工を?」
「いえ、確か材料の関係でとある港町で作っていると聞いたことがあります。申し訳ありませんが、仔細は分かりません」
「お、調度品も……先程は壺でしたが、こちらは甲冑ですね。途中には絵画がいっぱいありましたが、どれも公爵様の趣味ですか?」
「い、いや、申し訳ありませんが……」
歩きながら質問責めにする春馬に、兵士の方が段々と追い詰められていき、見かねたヴァールがストップをかける。
「ほら、困らせるな。どうでも良いだろうが」
「えー? この絵画だって不思議だよ。写実的な絵が多いのに、この城には抽象的な絵が多い。珍しいじゃないか。公爵様の趣味なら是非絵画について話してみたいなぁ」
「あー、もう。いいから黙ってろ。後でソフィアとたっぷり絵画について話し合え」
公爵の居城でも三人はいつも通り騒がしかった。通り過ぎるメイドや兵士が眉をひそめるのも気にせず、ワイワイ言いながら奥へ奥へ進んでいく。
やがて、通路は行き止まりとなり、正面には一際豪華な両開き扉が現れる。
「こちらでスプランヘル様がお待ちである。扉を開けたら脇目を振らずに歩き、広間の真ん中ほどで立ち止まりください。閣下の代行でもありますので、皆様は一度跪き、こうべを垂れてもらいます。その後、スプランヘル様が楽にするよう指示をくださいますので、楽にして結構です」
礼儀作法を簡易的に学び、三人はそれぞれ頷いた。 それを確認して兵士が扉を拳で軽くノックすると、扉を中から開いていった。
光が扉の切れ目から広がっていき、三人の姿を照らし出す。扉の向こうは光にあふれていた。地面には真っ赤な絨毯が敷かれており、左右に並ぶ柱や天井からは細部までこだわった装飾のシャンデリアが吊るされていた。シャンデリアは火ではない別の光で発光している。
無数の光に照らされた広間はきらきらと輝いており、三人は思わず息を漏らす。
「……客人は前へ」
そう言われてようやく三人はハッとした顔になり、前へと歩き出す。
左右には柱を挟むようにして一列に並ぶ兵士達がおり、正面には豪華な椅子と、その前に立つマントを付けた男の姿があった。
髪を後ろ手に流した三十代ほどの男だ。服は貴族の着込むようなものではなく、簡易的な鎧である。手には鞘に入った長い剣を持っており、杖のように自身の正面で地面に立てている。
その男を見つつ、三人は跪き頭を下げる。
「Aランク冒険者、ソフィアーナ・ネル・ラ・フィルリアス。同じくAランク冒険者、ヴァール。そしてBランク冒険者のシンメイ・ハルマ」
家臣の誰かが名を呼び、男は浅く顎を引いた。
「……楽にするが良い」
男がそう言うと三人はゆっくりと顔を上げる。
「私はスプランヘル・フォン・クランツ。この公爵領領主であるバルトロメウス公爵の嫡男であり、副領主の任についている。そちらの二人は名を聞いたことがあるな。もう一人は知らぬが、Bランクなれば相応の実力者であろう」
スプランヘルはそう切り出すと、目を細めてソフィアを見た。
「……して、ソフィアーナ殿。貴女が父を病から救っていただけると耳にした。誠か?」
聞かれ、ソフィアは真っ直ぐに見返し、首を左右に振る。
「いいえ。私は公爵閣下を癒すことが出来るかもしれないと申しました。閣下の病の詳細は聞かされておりませんので、治せるかは不明です」
正直にそう告げるソフィアに、周りの兵士の一部から怒りの視線が向いた。
スプランヘルは諦めの表情で溜め息を吐き、遠くを見るような目でソフィアを見つめる。
「……これまで、多くの医者や神官に父の容態を聞き、商人には異国の薬はないか尋ねた。だが、どれも全くの無駄である。様々な治療をして僅かだが効果があると残ったのは、回復ポーションを少量ずつ飲ませることだけだ」
スプランヘルはそう呟き、深く息を吐く。
「駄目でも良い。父を診てくれ、ソフィアーナ殿」
スプランヘルは縋るような目でソフィアを見て、そう口にした。
