村人達の声がする。悲鳴では無いが、切羽詰まった声だ。それに合わせ、段々と声は連鎖して増えていく。その喧騒は普段の村の様子を知らぬ二人であっても、通常の状態では無いと知れた。
「ハルマ」
「あぁ」
厳しい表情で名を呼ぶソフィアに返事を返して、春馬達は家から出る。なにが起きたのかと周りを確認すると、必死に走り回る村人達の姿があった。
「何かありましたか?」
一人の男性に声を掛けて尋ねると、切羽詰まった表情で春馬達を見て、目を見開いた。
「あ、あんた達……! ここに居たのか!」
「どういうことですか?」
春馬が冷静になるようにわざと低い声で確認すると、男は何度か呼吸し、顔を上げる。
「複数の旗を掲げた傭兵団が現れたんだ。最低でも四つの傭兵団が絡んでいる筈だ。数も四百か五百か……それ以上かもしれない……奴らの要求は、冒険者の身柄だ」
男が早口にそう言い、春馬達の反応を見る。すると、春馬の顔から笑みが消え、目が鋭く細められた。
「つまり、その傭兵団の目的は、私達ですか」
そう答えると、男は頷いた。
「間違いない。だから、村の年寄りに話をさせて時間を稼いでいる。下手をしたら村は焼かれる。今のうちに女子供を逃がさないと……!」
男がそう言い、ソフィアが眉根を寄せた。
「私達が行くから、貴方も避難なさい。迷惑は掛けないわ」
「いや、どちらにしろ、こんな状態では村は狙われる。叛逆したとでも言えば、村を潰したところで証拠は無い。辺鄙な村だからな。傭兵どもからすればご褒美みたいなもんだ。見逃すはずがない」
ソフィアの言葉に、男は肩を震わせながらそう告げる。怯えてはいるが、その表情には明確な覚悟が現れている。自らも時間を稼ぐ為に残る気なのだ。
それを見て、ソフィアは怒りを露わにする。
「馬鹿なことを言わないで。私達がなんとしてでも傭兵団を撃退するわ」
と、ソフィアの力強い言葉に男はおし黙る。どう答えて良いのかわからないといった様子で、何も言えない。そこへ、村長がふらふらと近付いてくる。
「お二人とも、無理はだめですじゃ。いくらAランク冒険者といえど、数の力には勝てますまい。それに場所が悪い。これが大きな街ならば何とかなりますが、残念ながら我が村に防衛する為の力は殆どありませんのじゃ。火矢を放たれるだけですぐさま潰されます。さぁ、死ぬのは我ら年寄りだけで良い。行ってくだされ」
村長は寂しそうに笑い、そう言った。その表情と声に春馬は歯噛みし、前に出る。
「いえ、私達のせいでこの村に危機が訪れたのです。ならば、私一人で食い止めます。私なら……」
春馬の言葉を聞き、村長は笑った。
「貴方達は良い人達ですじゃ。我が村には何もありませんが、恩を忘れるような者もおりません。ジイダンとリースを助けてくださった恩を返させてくだされ」
村長はそう言うと、白い髭を撫でながら口の端を上げる。
「……そんな良い村を、見捨てられるはずがありませんよ」
春馬が苦笑しながらそう答えると、村長は目を瞬かせた。
村の出入り口は閉ざされており、向こう側では傭兵団が列を作って武器を構えていた。目の前にあるのは本当に小さな村であり、戦の拠点になる価値も無い為、防衛設備もない。
挙句、知名度もない只の集落である。地図から消えたとしても、気にする者は少ない。
「女はいるんだろうな?」
「馬鹿か、お前。いても十何人だろうよ。全然足りねぇだろうが」
「おい、もう交渉は良いだろ」
「すぐに開けなかった時点で叛逆の兆しありだな。へっへっへ」
粗野な声がいたるところから聞こえてくる。それらに村人達は怯えながら、声を上げた。
「今、その冒険者とやらのことを調べている! 頼むから、もう少し待ってくれ!」
ジイダンがそう叫ぶと、指揮官らしき茶色髪の男が怒鳴り返す。
「こんな小さな村で調べる時間なぞあるものか! あと百秒以内に開けなければ咎人を庇い立てたものとし、この村も叛逆したと判断する!」
芝居掛かった言い様でそう叫ぶ男を見て、傭兵の何人かは笑いを堪えた。
「矢を無駄に使いたくないだけだろうにな」
「ケチな癖にプライド高いからな」
そんな会話もあり、各所で笑いも起こる。傭兵団はたった二、三人の冒険者を捕えるだけということもあり、完全に油断して緩みきっていた。
公爵家の依頼で金になるし実績にもなる。更には公爵家の者と親密になる機会であり、こんな丁度良い村まで特別報酬として貰えるのだ。
一年に一度あるかないかの美味しい仕事である。
彼らの大半はその程度の認識だった。中には、もう村を襲った後の簒奪する資産や若い女、後は子供を奴隷に売ったら幾らになるかなどと計算を始めている者までいる始末。
まだか、まだか。気が急いてきた傭兵団の前で、村側に動きがあった。
村を囲む石垣のような塀の上に、ヒラリと黒い影が現れたのだ。
一部が警戒しながら影を見上げると、黒い人影は傭兵団を見回しながら口を開いた。
「私は神明春馬。冒険者です。どうやら傭兵の方々とお見受けしましたが、用件を聞かせてください」
春馬はまるで緊張した風でも無くそう言った。大した声量ではなかったが、風に乗り春馬の声は良く響いた。
しかし、その内容に傭兵団からは笑いが溢れる。
「は、はひははは! おい、聞いたか!?」
「頭おかしいんじゃねぇか、あいつ」
「用はなんですかー、だってよ!」
場違い感のある春馬の丁寧な台詞に、傭兵達は嘲るような笑いが起きていた。ゲラゲラと笑う集団の正面に立つ男が、片手を横に広げて黙るように無言の指示を出す。
静かになると、男は春馬を睨み上げた。
「我らは公爵家より命を受けて参った、黒曜翼、赤い牙、ガルーダの爪、蛇と劔の混合軍である! おれ、いや、私がこの軍を指揮するランダルだ! 公爵家に仇をなす不逞の輩め! 貴様らを捕え、連れて来いとの命令である!」
と、口上を述べる。それに春馬は目を細めて口を開く。
「では、我々が反抗せずに捕らえられたなら、村には手を出さずにいただけますか?」
春馬がそう言うと、後方、塀の下で聞いていたソフィアが頭に片手を当てて項垂れる。横ではジイダンが真剣な顔で「ダメだ」と叫ぶ。
再び嘲笑が上がる中、ランダルと名乗る男は笑みを浮かべ、剣を抜いた。
「もう遅い! 我らが要請してすぐに協力しなかった村人達も同罪である! 公爵家の命令に逆らった事実は許し難い! 貴様らが素直に捕縛されるなら無傷で連れて行ってやろう! 村人も逆らわなければ命まではとらん!」
ランダルが笑いを噛み殺しながらそう宣言すると、ほかの傭兵達も一斉に剣を抜いた。
「奴隷として売っぱらってやるぜ!」
「良い女はうちの団でもらうからな!」
「早い者勝ちだ、馬鹿野郎!」
興奮しながら叫びだす傭兵団の声を聞き、村人達は顔色を変えてなけなしの武器を握りしめた。錆びた剣を持つ村人は震えていたが、命を賭して女子供を逃すという気概に溢れている。
そして、それまで無言で聞いていたソフィアがフワリと舞い上がり、塀の上に立った。
「聞きなさい、貴方達」
いささか低い声で傭兵団に声を掛けた瞬間、怒号のような歓声が上がる。
「うぉー!? なんだ、あの良い女!」
「た、たまらねぇ!」
「俺のだ! いいか!? あれは俺がもらう!」
「おい、エルフだぞ! 良く見ろ! 奴隷にして売りゃあ一生遊んで暮らせる!」
数百人の剥き出しの欲望が噴き出した。それを一身に浴びて、ソフィアの顔色が変わる。春馬が心配して隣を見ると、怒りと羞恥に顔を真っ赤にした般若の面がそこにあった。
「この、屑共め……! 私は元聖弓メンバー、ソフィアーナ・ネル・ラ・フィルリアス! 命を捨てる気で掛かって来るが良い! 血の海を見せてやる!」
野生の獣のように牙を剥いて怒鳴るソフィアに、村人達は恐怖を覚えた。
「厳かな雰囲気出そうとしてただろうに、台無しだね」
春馬はそう言って笑うと、雰囲気が豹変したソフィアにたじろぐ傭兵団に向き直ったのだった。
「先に謝っておきます! 村の方々!」
ソフィアが背中越しにそう告げると、ジイダンを中心とした中年以上の村人達は苦笑する。
「気にしないでくれ! あんた達は善意で俺達を助けた! 悪いのは奴らだ! 後悔なぞせんでくれ!」
「ああ! むしろ、ジイダン達を助けた為に、トップクラスの冒険者であるあんた達がこんな事に……!」
どこまでも善良な村人達の言葉に、ソフィアは歯噛みをして首を左右に振った。
「違います! 目の前には傭兵団に踏み荒らされてはいますが、大切な貴方達の畑もあります! それが失われることについてです!」
ソフィアがそう否定すると、それを聞いていた村人達だけでなく、正面で武器を構える傭兵団も目を丸くした。
そして、誰ともなく自分達の足元を確認し、半数近くが畑を踏み荒らしていることを認識する。
「……あの女も馬鹿か?」
「勝てる気か、まさか」
「いや、でもAランクらしいぞ、あのエルフ」
「騎士団長だろうがこの人数にゃ勝てねぇよ、馬鹿野郎」
ソフィアの発言をどう捉えたものか分からない面々は、各々呆れたり怒ったりと反応を示した。
そんな中、焦れてきたランダルが剣の先をソフィアに向けて怒鳴り声を発する。
「図に乗るなよ、亜人! 貴様がAランクの冒険者だろうがなんだろうが、この人数を相手にすれば絶対に勝てん! 挑発して活路を見出すつもりだろうが、当てが外れたな! このランダルは常に冷静沈着で知られる男! 貴様のような亜人の戯言など最初から聞く気は無い! まぁ、見た目だけは中々だからな! 殺さずに有効活用してやる!」
そう言って豪快に笑い出すランダルに、傭兵達から下卑た歓声と口笛が鳴り響く。
「ハルマ、殺って」
凍てつくような冷たい声がして、春馬は頬を引きつらせた。
「まさか、ファイアボールかい? 流石にそれは……」
春馬が躊躇う素振りを見せると、ソフィアは輝くような笑顔で振り向いた。
「殺って?」
「りょ、了解しました」
ソフィアの声と笑顔に身震いし、ハルマは片手を傭兵団の頭上に向けて、魔術を行使する。
「ファイアボール」
そう口にした直後、ハルマの手のひらの先から小さな炎の球が現れ、射出される。炎は傭兵団のすぐ上を通り過ぎ、後方の丘に向かって飛んで行った。
それを見て、傭兵達は噴き出して笑う。
「ぶ、ぶはははっ! なんだ、今の火花は……!」
誰かがそう口にした瞬間、爆音と共に地面が揺れた。地響きは一瞬で、すぐさま空は赤く染まる。
傭兵達は背後に感じる熱気に思わず振り向き、固まった。
轟々と音を立てて丘が燃えていたからだ。決して小さくは無い丘が火柱を上げて燃え盛っている。その火は地獄の炎とでも言わんばかりの激しさであり、傭兵団の士気を急激に下げるほどであった。
だが、そんな戦意がガタガタになった傭兵団に、春馬は笑顔で警告する。
「こんな感じで攻撃しますから、絶対に防御してくださいねー? 本気で攻撃を防がないと即死ですからねー」
春馬がそう言って手のひらを上に向け、魔術の準備をすると、傭兵達は息を呑んで盾を構えた。
「ば、ば、馬鹿言ってんじゃねぇ!」
「あんな魔術防げるわけねぇだろうが!」
「止めろ! 人殺し!」
一転、傭兵団は春馬の一発で腰が引けた。盾を構えながら怒鳴る男達にソフィアの目が更に冷たくなる。
「ハルマ、早く」
「はいはい」
苦笑しつつ、春馬はそっと魔術を切り替え、発動した。一陣の風が吹き、盾を構えていた傭兵達が風に押されて仰け反る。
「ブラストウィンド」
そこへ、突如として竜巻のような暴風が吹き荒れた。弧を描くように風が巻き上がり、傭兵達は堪らずその場でたたらを踏み、地面に薙ぎ倒されていく。
数百人が身動き一つとれないような巨大な質量の風だ。その吹き荒れる風を見ながら、ソフィアが詠唱を始めた。
十秒ほどで詠唱を終えたソフィアは、両手を前に突き出して口を開く。
「ファイアストーム!」
風上級魔術と火の魔術を組み合わせた合成魔術を発動させたソフィアに、ハルマがウッと声を出して冷や汗を流した。
春馬が作り上げた暴風の中を火炎放射のように荒れ狂う炎の帯。通常なら霧散してしまうような風の中で、その炎は何故か威力を増しながら燃え広がっていく。
瞬く間に数百といた傭兵達が絶叫とともにその数を減らしていき、数分で僅かな者しか立っていない状況となる。
「ば、馬鹿な……っ!? たった、二人に……」
ランダルの声が風と火の音に掻き消される。
炎は弱まるどころか力を増していく一方で、春馬は慌てて水の魔術を発動させる。
村人達は壁の向こうで鳴り響く炎と嵐の轟音、そして傭兵達の悲鳴を聞いて体を震わせた。石垣の上まで燃え上がる炎の渦に、恐怖によって一歩下がる。
その時、春馬が放った水の魔術が空へと舞い上がり、空中で弾けた。
途端、バケツをひっくり返したような大量の水が空から降り注ぎ、炎を急速に消し去っていく。
しばらくして村の前で燃え盛っていた炎が鎮火し、春馬は複雑な表情で辺りを見た。
傭兵達は皆倒れ伏しており、全滅は間違いない。
「や、やり過ぎじゃない?」
そう言う春馬に、ソフィアは否定の言葉を口にする。
「逃すわけにはいかないでしょう? 逃せば、公爵家の手がこの村にも伸びてしまう可能性もあるし、私達がいない時に村に害を為すこともあり得るもの」
「そ、そうか。たしかにね」
ソフィアの言葉に納得し、腕を組んで頷く春馬。ソフィアはその横顔に微笑み、村人達を振り返った。
「さぁ、我らの勝利です! 祝おうではありませんか! あ、焼け野原になってしまった畑は私達が弁償します! 申し訳ありませんでした!」
と、ソフィアが村人達に叫び、頭を下げる。
よく分からないまま、村人達は歓声を上げてみたり顔を見合わせてみたりと、それぞれ生返事を返した。
そこへ、音もなく影が降り立つ。灰色の髪を揺らし、その人物はソフィアと春馬を順に見た。
「……何がどうなって俺がいない三時間だか四時間程度の間に死屍累々の現場になってやがる」
その人物、ヴァールが低い声でそう呟くと、春馬は目を逸らし、ソフィアは怒り顔で文句を返した。
「貴方が遅いのが悪いのよ! 仕方なかったの!」
「なんでだよ!?」
ヴァールの怒鳴り声は虚しく空へと響き渡っていった。石垣の上から村の前面に広がる景色を眺め、頬を引きつらせる。
「……大規模な盗賊には見えないな。鎧も剣も揃い過ぎている。まさかとは思うが、公爵の息子が雇った傭兵団とかじゃあるまいな?」
ヴァールが低い声でそう言うと、春馬が苦笑いで頷いた。
「あ、はは……見てたみたいに当てるね。まさにその通りです、はい」
春馬が答え、ヴァールのこめかみに血管が浮かぶ。
「何でお前らはその土地の権力者と敵対する道を選ぶんだ……打ち倒そうが逃げようが、結局その土地には近付き辛くなるだろうが……!」
怒りの滲む声を聞き、春馬は苦笑いを深めたがソフィアは胸を張ってヴァールに答える。
「だって、来た奴らが屑だったから」
「世渡りってのは我慢も大事なんだよ、おい!」
ソフィアの回答にヴァールが頭を掻きむしりながら怒鳴った。
それを下から眺めていた村人達が顔を見合わせ、長老が代表して口を開く。
「ひとまず、降りて話さんかの?」
「ハルマ」
「あぁ」
厳しい表情で名を呼ぶソフィアに返事を返して、春馬達は家から出る。なにが起きたのかと周りを確認すると、必死に走り回る村人達の姿があった。
「何かありましたか?」
一人の男性に声を掛けて尋ねると、切羽詰まった表情で春馬達を見て、目を見開いた。
「あ、あんた達……! ここに居たのか!」
「どういうことですか?」
春馬が冷静になるようにわざと低い声で確認すると、男は何度か呼吸し、顔を上げる。
「複数の旗を掲げた傭兵団が現れたんだ。最低でも四つの傭兵団が絡んでいる筈だ。数も四百か五百か……それ以上かもしれない……奴らの要求は、冒険者の身柄だ」
男が早口にそう言い、春馬達の反応を見る。すると、春馬の顔から笑みが消え、目が鋭く細められた。
「つまり、その傭兵団の目的は、私達ですか」
そう答えると、男は頷いた。
「間違いない。だから、村の年寄りに話をさせて時間を稼いでいる。下手をしたら村は焼かれる。今のうちに女子供を逃がさないと……!」
男がそう言い、ソフィアが眉根を寄せた。
「私達が行くから、貴方も避難なさい。迷惑は掛けないわ」
「いや、どちらにしろ、こんな状態では村は狙われる。叛逆したとでも言えば、村を潰したところで証拠は無い。辺鄙な村だからな。傭兵どもからすればご褒美みたいなもんだ。見逃すはずがない」
ソフィアの言葉に、男は肩を震わせながらそう告げる。怯えてはいるが、その表情には明確な覚悟が現れている。自らも時間を稼ぐ為に残る気なのだ。
それを見て、ソフィアは怒りを露わにする。
「馬鹿なことを言わないで。私達がなんとしてでも傭兵団を撃退するわ」
と、ソフィアの力強い言葉に男はおし黙る。どう答えて良いのかわからないといった様子で、何も言えない。そこへ、村長がふらふらと近付いてくる。
「お二人とも、無理はだめですじゃ。いくらAランク冒険者といえど、数の力には勝てますまい。それに場所が悪い。これが大きな街ならば何とかなりますが、残念ながら我が村に防衛する為の力は殆どありませんのじゃ。火矢を放たれるだけですぐさま潰されます。さぁ、死ぬのは我ら年寄りだけで良い。行ってくだされ」
村長は寂しそうに笑い、そう言った。その表情と声に春馬は歯噛みし、前に出る。
「いえ、私達のせいでこの村に危機が訪れたのです。ならば、私一人で食い止めます。私なら……」
春馬の言葉を聞き、村長は笑った。
「貴方達は良い人達ですじゃ。我が村には何もありませんが、恩を忘れるような者もおりません。ジイダンとリースを助けてくださった恩を返させてくだされ」
村長はそう言うと、白い髭を撫でながら口の端を上げる。
「……そんな良い村を、見捨てられるはずがありませんよ」
春馬が苦笑しながらそう答えると、村長は目を瞬かせた。
村の出入り口は閉ざされており、向こう側では傭兵団が列を作って武器を構えていた。目の前にあるのは本当に小さな村であり、戦の拠点になる価値も無い為、防衛設備もない。
挙句、知名度もない只の集落である。地図から消えたとしても、気にする者は少ない。
「女はいるんだろうな?」
「馬鹿か、お前。いても十何人だろうよ。全然足りねぇだろうが」
「おい、もう交渉は良いだろ」
「すぐに開けなかった時点で叛逆の兆しありだな。へっへっへ」
粗野な声がいたるところから聞こえてくる。それらに村人達は怯えながら、声を上げた。
「今、その冒険者とやらのことを調べている! 頼むから、もう少し待ってくれ!」
ジイダンがそう叫ぶと、指揮官らしき茶色髪の男が怒鳴り返す。
「こんな小さな村で調べる時間なぞあるものか! あと百秒以内に開けなければ咎人を庇い立てたものとし、この村も叛逆したと判断する!」
芝居掛かった言い様でそう叫ぶ男を見て、傭兵の何人かは笑いを堪えた。
「矢を無駄に使いたくないだけだろうにな」
「ケチな癖にプライド高いからな」
そんな会話もあり、各所で笑いも起こる。傭兵団はたった二、三人の冒険者を捕えるだけということもあり、完全に油断して緩みきっていた。
公爵家の依頼で金になるし実績にもなる。更には公爵家の者と親密になる機会であり、こんな丁度良い村まで特別報酬として貰えるのだ。
一年に一度あるかないかの美味しい仕事である。
彼らの大半はその程度の認識だった。中には、もう村を襲った後の簒奪する資産や若い女、後は子供を奴隷に売ったら幾らになるかなどと計算を始めている者までいる始末。
まだか、まだか。気が急いてきた傭兵団の前で、村側に動きがあった。
村を囲む石垣のような塀の上に、ヒラリと黒い影が現れたのだ。
一部が警戒しながら影を見上げると、黒い人影は傭兵団を見回しながら口を開いた。
「私は神明春馬。冒険者です。どうやら傭兵の方々とお見受けしましたが、用件を聞かせてください」
春馬はまるで緊張した風でも無くそう言った。大した声量ではなかったが、風に乗り春馬の声は良く響いた。
しかし、その内容に傭兵団からは笑いが溢れる。
「は、はひははは! おい、聞いたか!?」
「頭おかしいんじゃねぇか、あいつ」
「用はなんですかー、だってよ!」
場違い感のある春馬の丁寧な台詞に、傭兵達は嘲るような笑いが起きていた。ゲラゲラと笑う集団の正面に立つ男が、片手を横に広げて黙るように無言の指示を出す。
静かになると、男は春馬を睨み上げた。
「我らは公爵家より命を受けて参った、黒曜翼、赤い牙、ガルーダの爪、蛇と劔の混合軍である! おれ、いや、私がこの軍を指揮するランダルだ! 公爵家に仇をなす不逞の輩め! 貴様らを捕え、連れて来いとの命令である!」
と、口上を述べる。それに春馬は目を細めて口を開く。
「では、我々が反抗せずに捕らえられたなら、村には手を出さずにいただけますか?」
春馬がそう言うと、後方、塀の下で聞いていたソフィアが頭に片手を当てて項垂れる。横ではジイダンが真剣な顔で「ダメだ」と叫ぶ。
再び嘲笑が上がる中、ランダルと名乗る男は笑みを浮かべ、剣を抜いた。
「もう遅い! 我らが要請してすぐに協力しなかった村人達も同罪である! 公爵家の命令に逆らった事実は許し難い! 貴様らが素直に捕縛されるなら無傷で連れて行ってやろう! 村人も逆らわなければ命まではとらん!」
ランダルが笑いを噛み殺しながらそう宣言すると、ほかの傭兵達も一斉に剣を抜いた。
「奴隷として売っぱらってやるぜ!」
「良い女はうちの団でもらうからな!」
「早い者勝ちだ、馬鹿野郎!」
興奮しながら叫びだす傭兵団の声を聞き、村人達は顔色を変えてなけなしの武器を握りしめた。錆びた剣を持つ村人は震えていたが、命を賭して女子供を逃すという気概に溢れている。
そして、それまで無言で聞いていたソフィアがフワリと舞い上がり、塀の上に立った。
「聞きなさい、貴方達」
いささか低い声で傭兵団に声を掛けた瞬間、怒号のような歓声が上がる。
「うぉー!? なんだ、あの良い女!」
「た、たまらねぇ!」
「俺のだ! いいか!? あれは俺がもらう!」
「おい、エルフだぞ! 良く見ろ! 奴隷にして売りゃあ一生遊んで暮らせる!」
数百人の剥き出しの欲望が噴き出した。それを一身に浴びて、ソフィアの顔色が変わる。春馬が心配して隣を見ると、怒りと羞恥に顔を真っ赤にした般若の面がそこにあった。
「この、屑共め……! 私は元聖弓メンバー、ソフィアーナ・ネル・ラ・フィルリアス! 命を捨てる気で掛かって来るが良い! 血の海を見せてやる!」
野生の獣のように牙を剥いて怒鳴るソフィアに、村人達は恐怖を覚えた。
「厳かな雰囲気出そうとしてただろうに、台無しだね」
春馬はそう言って笑うと、雰囲気が豹変したソフィアにたじろぐ傭兵団に向き直ったのだった。
「先に謝っておきます! 村の方々!」
ソフィアが背中越しにそう告げると、ジイダンを中心とした中年以上の村人達は苦笑する。
「気にしないでくれ! あんた達は善意で俺達を助けた! 悪いのは奴らだ! 後悔なぞせんでくれ!」
「ああ! むしろ、ジイダン達を助けた為に、トップクラスの冒険者であるあんた達がこんな事に……!」
どこまでも善良な村人達の言葉に、ソフィアは歯噛みをして首を左右に振った。
「違います! 目の前には傭兵団に踏み荒らされてはいますが、大切な貴方達の畑もあります! それが失われることについてです!」
ソフィアがそう否定すると、それを聞いていた村人達だけでなく、正面で武器を構える傭兵団も目を丸くした。
そして、誰ともなく自分達の足元を確認し、半数近くが畑を踏み荒らしていることを認識する。
「……あの女も馬鹿か?」
「勝てる気か、まさか」
「いや、でもAランクらしいぞ、あのエルフ」
「騎士団長だろうがこの人数にゃ勝てねぇよ、馬鹿野郎」
ソフィアの発言をどう捉えたものか分からない面々は、各々呆れたり怒ったりと反応を示した。
そんな中、焦れてきたランダルが剣の先をソフィアに向けて怒鳴り声を発する。
「図に乗るなよ、亜人! 貴様がAランクの冒険者だろうがなんだろうが、この人数を相手にすれば絶対に勝てん! 挑発して活路を見出すつもりだろうが、当てが外れたな! このランダルは常に冷静沈着で知られる男! 貴様のような亜人の戯言など最初から聞く気は無い! まぁ、見た目だけは中々だからな! 殺さずに有効活用してやる!」
そう言って豪快に笑い出すランダルに、傭兵達から下卑た歓声と口笛が鳴り響く。
「ハルマ、殺って」
凍てつくような冷たい声がして、春馬は頬を引きつらせた。
「まさか、ファイアボールかい? 流石にそれは……」
春馬が躊躇う素振りを見せると、ソフィアは輝くような笑顔で振り向いた。
「殺って?」
「りょ、了解しました」
ソフィアの声と笑顔に身震いし、ハルマは片手を傭兵団の頭上に向けて、魔術を行使する。
「ファイアボール」
そう口にした直後、ハルマの手のひらの先から小さな炎の球が現れ、射出される。炎は傭兵団のすぐ上を通り過ぎ、後方の丘に向かって飛んで行った。
それを見て、傭兵達は噴き出して笑う。
「ぶ、ぶはははっ! なんだ、今の火花は……!」
誰かがそう口にした瞬間、爆音と共に地面が揺れた。地響きは一瞬で、すぐさま空は赤く染まる。
傭兵達は背後に感じる熱気に思わず振り向き、固まった。
轟々と音を立てて丘が燃えていたからだ。決して小さくは無い丘が火柱を上げて燃え盛っている。その火は地獄の炎とでも言わんばかりの激しさであり、傭兵団の士気を急激に下げるほどであった。
だが、そんな戦意がガタガタになった傭兵団に、春馬は笑顔で警告する。
「こんな感じで攻撃しますから、絶対に防御してくださいねー? 本気で攻撃を防がないと即死ですからねー」
春馬がそう言って手のひらを上に向け、魔術の準備をすると、傭兵達は息を呑んで盾を構えた。
「ば、ば、馬鹿言ってんじゃねぇ!」
「あんな魔術防げるわけねぇだろうが!」
「止めろ! 人殺し!」
一転、傭兵団は春馬の一発で腰が引けた。盾を構えながら怒鳴る男達にソフィアの目が更に冷たくなる。
「ハルマ、早く」
「はいはい」
苦笑しつつ、春馬はそっと魔術を切り替え、発動した。一陣の風が吹き、盾を構えていた傭兵達が風に押されて仰け反る。
「ブラストウィンド」
そこへ、突如として竜巻のような暴風が吹き荒れた。弧を描くように風が巻き上がり、傭兵達は堪らずその場でたたらを踏み、地面に薙ぎ倒されていく。
数百人が身動き一つとれないような巨大な質量の風だ。その吹き荒れる風を見ながら、ソフィアが詠唱を始めた。
十秒ほどで詠唱を終えたソフィアは、両手を前に突き出して口を開く。
「ファイアストーム!」
風上級魔術と火の魔術を組み合わせた合成魔術を発動させたソフィアに、ハルマがウッと声を出して冷や汗を流した。
春馬が作り上げた暴風の中を火炎放射のように荒れ狂う炎の帯。通常なら霧散してしまうような風の中で、その炎は何故か威力を増しながら燃え広がっていく。
瞬く間に数百といた傭兵達が絶叫とともにその数を減らしていき、数分で僅かな者しか立っていない状況となる。
「ば、馬鹿な……っ!? たった、二人に……」
ランダルの声が風と火の音に掻き消される。
炎は弱まるどころか力を増していく一方で、春馬は慌てて水の魔術を発動させる。
村人達は壁の向こうで鳴り響く炎と嵐の轟音、そして傭兵達の悲鳴を聞いて体を震わせた。石垣の上まで燃え上がる炎の渦に、恐怖によって一歩下がる。
その時、春馬が放った水の魔術が空へと舞い上がり、空中で弾けた。
途端、バケツをひっくり返したような大量の水が空から降り注ぎ、炎を急速に消し去っていく。
しばらくして村の前で燃え盛っていた炎が鎮火し、春馬は複雑な表情で辺りを見た。
傭兵達は皆倒れ伏しており、全滅は間違いない。
「や、やり過ぎじゃない?」
そう言う春馬に、ソフィアは否定の言葉を口にする。
「逃すわけにはいかないでしょう? 逃せば、公爵家の手がこの村にも伸びてしまう可能性もあるし、私達がいない時に村に害を為すこともあり得るもの」
「そ、そうか。たしかにね」
ソフィアの言葉に納得し、腕を組んで頷く春馬。ソフィアはその横顔に微笑み、村人達を振り返った。
「さぁ、我らの勝利です! 祝おうではありませんか! あ、焼け野原になってしまった畑は私達が弁償します! 申し訳ありませんでした!」
と、ソフィアが村人達に叫び、頭を下げる。
よく分からないまま、村人達は歓声を上げてみたり顔を見合わせてみたりと、それぞれ生返事を返した。
そこへ、音もなく影が降り立つ。灰色の髪を揺らし、その人物はソフィアと春馬を順に見た。
「……何がどうなって俺がいない三時間だか四時間程度の間に死屍累々の現場になってやがる」
その人物、ヴァールが低い声でそう呟くと、春馬は目を逸らし、ソフィアは怒り顔で文句を返した。
「貴方が遅いのが悪いのよ! 仕方なかったの!」
「なんでだよ!?」
ヴァールの怒鳴り声は虚しく空へと響き渡っていった。石垣の上から村の前面に広がる景色を眺め、頬を引きつらせる。
「……大規模な盗賊には見えないな。鎧も剣も揃い過ぎている。まさかとは思うが、公爵の息子が雇った傭兵団とかじゃあるまいな?」
ヴァールが低い声でそう言うと、春馬が苦笑いで頷いた。
「あ、はは……見てたみたいに当てるね。まさにその通りです、はい」
春馬が答え、ヴァールのこめかみに血管が浮かぶ。
「何でお前らはその土地の権力者と敵対する道を選ぶんだ……打ち倒そうが逃げようが、結局その土地には近付き辛くなるだろうが……!」
怒りの滲む声を聞き、春馬は苦笑いを深めたがソフィアは胸を張ってヴァールに答える。
「だって、来た奴らが屑だったから」
「世渡りってのは我慢も大事なんだよ、おい!」
ソフィアの回答にヴァールが頭を掻きむしりながら怒鳴った。
それを下から眺めていた村人達が顔を見合わせ、長老が代表して口を開く。
「ひとまず、降りて話さんかの?」
