ヴァールは着くなり、心配そうに春馬の顔や体を確かめるソフィアを見て呆れた顔になり、壁を背もたれにして座り込む。

「俺が悪いわけでも無いのに、首を掴むは振り回すわ……挙句にハルマが戦ったと聞けば突き倒されるわ……」

 ヴァールが愚痴を漏らすようにぶつぶつと呟くと、ソフィアが目を細めて小首を傾げた。

「まぁ、ヴァールったら……そんな嘘ばかり言わないで? 確かに気が動転したのは本当だけど、そんな酷いことするわけないじゃない」

 ソフィアが見た目通りの優しげな声でそう訂正すると、ヴァールの眉間に皺が寄った。

「そうだよ、ヴァール。ソフィアがそんなことするわけないじゃないか。こんなに細いのにヴァールを投げるなんて無理だよ」
「そうよ。ねぇ、ハルマ?」

 と、春馬がフォローするとソフィアが嬉しそうに同意する。それにヴァールはこの世の終わりのような顔で項垂れた。

「……ハルマ。まさか、ソフィアーナと結婚して……? いや、まさか、そんなことは……」

 一方、いまだ混乱中のエステルヘルが確認するように聞くと、ハルマが照れながら片手で頭をかいた。

「いや、まぁ……私には過ぎた妻ですが……」

 と、春馬が答えた直後、ソフィアが奇声を上げて顔を両手で覆った。可愛らしい反応を示すソフィアを春馬はホンワカした様子で眺めて、ヴァールはうんざりした様子で鼻を鳴らした。
 そして、エステルヘルはギルド長の顔を覗かせる。

「……Aランク冒険者二人とBランク冒険者……いや、ハルマはあの黒髪の災害だ。被害さえ出さなければ間違いなくAランクと呼ばれている。実質Aランク冒険者三人が揃っているのか……」

 色々と考えたエステルヘルは、鋭い視線を春馬に向け、口を開く。

「良かったら、この街に住まないか。今、この街には高ランクの冒険者が足りない。もし拠点にしてくれるなら、最大限の優遇措置を行うぞ」

 そう言われ、春馬達は顔を見合わせた。だが、すぐに春馬が首を左右に振る。

「……申し訳ありません。今はまだ何処かに定住する気はなくて……」

 心から申し訳なさそうに断られ、エステルヘルは唸りながら腕を組む。
 数秒間近く悩み、ちらりと春馬の顔を見るエステルヘルに、ヴァールが口を開いた。

「もしかして、街が受けた被害を盾にもう一度交渉しようなんて考えてないか?」

 ヴァールがそう口にすると、エステルヘルはギョッとした目で顔を上げたが、やがて俯く。

「む……いや、確かに一瞬よぎった考えだが、あの戦いの原因は誰かと言えばダレムだろう。そして、これまでダレムを放置していた力のある者達だ。その中には私も含まれる。お前達に責任を問うつもりは無い」

 エステルヘルがそう断言すると、ヴァールが口の端を上げた。

「男気があるな。流石は珍しい狼の獣人だ。じゃあ、俺達はこの辺で……」

 そう言って立ち上がるヴァールだったが、春馬はソファーに座ったまま首を左右に振る。

「いえ、ギルド長。街を水浸しにしたのは私です。せめて、出来るだけの慰謝料を払います。建物に住めなくなってしまった方がいたら、その人達を優先的に助けてあげてください」

 春馬はそう言うと、ビジネスコートの内ポケットに手を入れ、革の小袋を取り出した。
 金属の擦れ合う軽い音がして、テーブルの上に置かれる。

「……良いのかね? 領主が代行を含めて完全に不在の今、即金は確かに助かるが……」

 エステルヘルは悩みつつ、春馬の顔を見た。すると、春馬は困ったように笑い、ソフィアを見る。

「……良いかな?」

 聞かれたソフィアは満面の笑みで首肯した。

「当たり前じゃない。ハルマが望むなら私とヴァールの分も払うわよ」
「なんで俺の金まで払わないといけないんだ」

 思わずといった様子で文句を言うと、ソフィアの目が細くなる。殺人鬼のような目で睨まれ、ヴァールは視線を逸らす。
 ちょうど良い角度で春馬からはソフィアの顔が見えなかったが、二人のじゃれ合いに笑い、感謝する。

「ありがとう、二人とも」

 そんな様子に笑い、エステルヘルは春馬が出した小袋を持ち上げ、手のひらの上に中身を出した。
 口の小さな小袋を逆さにした状態で一振り二振りした瞬間、雪崩のような勢いで金貨が溢れたのだ。
 エステルヘルが驚愕して対応が遅れた間に、床が見えなくなるほどの金貨が出てきている。

「おっと」

 ちょっと驚いた顔を見せ、春馬が逆さにしたままのエステルヘルの手を握り、革袋の口を無理矢理閉じた。

「危ない危ない、床が抜けますよ。ギルド長?」

 笑いながらそう言った春馬に、エステルヘルは間の抜けた顔で室内を見回し、ようやく驚きの声をあげる。

「な、なんじゃああっ!?」

 吃驚して頭の上に獣の耳が出るエステルヘルに、ヴァールが嫌な顔をした。

「足りるよな、ギルド長? まさか、俺の分も出せなんて言わないよな、ギルド長?」

 威圧するように言うヴァールだったが、エステルヘルは唖然とした様子で山のようになった金貨を見た。

「いや、もう、じゅ、充分だ……むしろ、多いぐらい……」

 掠れた声でそう答えた直後、金貨の重みでテーブルが真ん中からへし折れ、床で音を立てた。
 目を剥くエステルヘルに、ヴァールが苦笑いで口を開く。

「……そのテーブル代はギルド長持ちだからな。俺たちのせいじゃ無いぞ、断じて」
「セコいわ、ヴァール。優しいハルマを見習いなさい」
「せっかくの稼ぎが右から左に流れてくのが一番嫌なんだよ」
「今日から貴方はセコールね。セコールと名乗りなさい」
「じゃあお前は腹黒エルフだ、この野郎」
「ハルマ! ヴァールが虐める……!」
「なんてことをするんだ、ヴァール。か弱い女性には優しく……」
「そいつ、Aランク冒険者だぞ。オーガの方がか弱いくらいだろ」

 ギャアギャアと子供のような言い合いが始まり、それまでただ混乱していたエステルヘルは背中を丸めて笑いだす。

「は、はっはははは! 本当に規格外な連中だのう! よし、分かった。無理は言わないでおこう。金貨もこの半分もいらん。後はこちらが処理するから、面倒になる前に街を出るのも許可しよう。恐らく、門番に街から出るのを止められるだろうが、その時はワシの名を出すが良い」

 楽しそうに笑い、エステルヘルはそんなことを言った。それに苦笑し、春馬が頭を下げる。

「ご配慮、ありがとうございます。ただ、この街を出てもどうせ公爵領の中心に行く予定でしたからね。ちょっと変装でもしてみましょう。この街を出るときバレなければ大丈夫そうですね」
「ギルドプレートがあるだろうが」

 春馬の台詞にヴァールが半眼で突っ込む。

「隠して入れば良いんじゃないか?」

 春馬が首を傾げると、ヴァールは溜め息混じりに春馬を指差す。

「俺もそうだが、冒険者以外に身分の証明が出来るのか?」

 そう言われ、春馬は肩を落とす。

「あ、そうか……門とか関所ではギルドプレートが無いと通れないんだったね……」

 がっかりした様子でそう言う春馬に、ソフィアが悲しそうに眉根を寄せた。

「私のを貸せたら良いのに」

 ソフィアが残念そうに言うと、エステルヘルは成る程と三人を眺める。
 国と国とが隣接する国境の街道は勿論、それぞれの街にも重要度に応じてそれぞれに兵士がおり、身分の確認をして取り締まっていた。
 貴族なら家紋の入った剣や盾が証明になり、その使用人や部下も家紋入りの腕輪などの品が証明となる。
 一般の民であれば商会所属の商人、鍛治ギルド、魔術師ギルド、冒険者ギルドなどのギルド員。後は町や村の長を務めている者などにもそれぞれ証明となる品があった。
 つまり、証明出来る何かが無い者は国を出るどころか、他の町や村にも行くことが出来ない。
 しかし、それにも例外はあった。

「仕方ないのう。なら、ワシが手を貸そう」

 エステルヘルはそう言うと、すっかり気に入ってしまった三人を見て笑った。エステルヘルの言葉に春馬は首を傾げ、ヴァールは目を見開く。

「紹介状書いてくれるのか?」

 そう口にしたヴァールに、ソフィアが呆れる。

「馬鹿。もしギルド長が書いて私達が何か起こしたら、ギルド長にも咎が……」
「書こう。ワシが紹介状を書くぞ」

 ソフィアの言葉を遮り、エステルヘルがヴァールの言葉を肯定する。すると、ヴァールが口の端を上げ、ソフィアは驚愕に目を見開く。
 春馬は微笑を浮かべてヴァールと笑い合うが、エステルヘルの決断がどれほどのことか理解しているとは言えなかった。
 唯一、エステルヘルの厚意と覚悟を完全に理解していたソフィアは、居住まいを正して体の正面を向け、顔をあげる。

「エステルヘル殿……私、ソフィアーナ・ネル・ラ・フィルリアスは家名に誓い、貴方に害が及ばないように致します。感謝を」

 これまで可愛らしい声音だったソフィアの声が、凛と美しくなった。どこか威厳のある声で告げられた誓いに、ヴァールと春馬の方がキョトンと目を丸くする。
 エステルヘルは鷹揚に頷くと、近くにあった羊皮紙を手に取り、羽ペンを手にした。

「しょうかいじょ、う……と。ハル・ヴァル・ソフィーの三名の身分を、スラヴァの冒険者ギルド長、エステルヘルが、証明、する……と。ほい、出来たぞい」

 ものの二十秒ほどでサラサラと書いて紹介状を手渡され、春馬は苦笑しながら羊皮紙を見る。

「ありがとうございます。思ったより簡単ですね、紹介状」
「ギルドプレートみたいに魔術刻印がされると思ったかの? まぁ、実はそのインクが特別製でな。兵士に見せてみれば分かるわい」

 エステルヘルはそう言って笑うと、人の良さそうな顔で三人を見送ったのだった。




 街の出入り口、外に出ようとする三人の男女を見て、兵士達が歩み寄った。

「身分を示す物を出せ。無ければ通れんぞ」

 一人がそう告げると、三人は顔を見合わせる。
 そして、一人の男が噴き出した。

「……ぐ、ぶふっ」
「……なんだ、ハル。何故笑う」

 そう言って、黄色の長髪のカツラを付けたヴァールが睨んだ。服装も完全に田舎の村人といった格好であり、顔には泥まで付いている。

「言っておくが、お前も相当酷いからな」

 半眼でヴァールが言い、春馬は笑いを堪えながら頷いた。春馬は青い髪のカツラを被り、汚れた茶色のローブに木の枝のような安っぽい杖を持っている。
 かなり貧乏な村人に変装した二人の後ろには、ソフィアがいた。ソフィアは何故か男装しており、ボサボサ髪のカツラを被って馬車の御者に扮している。
 よく見れば、ソフィアも春馬とヴァールを見て微妙に笑いを堪えていた。

「お前ら、早く証明になるものを……」

 苛立ち始めた兵士の一人が一歩前に出てきた為、春馬が慌てて口を開き、紹介状を出す。

「あ、すみません。村の備蓄を買い足しに来たんです。でも、村長の紹介状を落としちゃって……途方に暮れてたら、事情を話したらじいちゃんがコレをくれたんです」

 ぶつぶつと言い訳らしきことを言う春馬から紹介状を奪い取り、兵士は鎖の付いた黒い石のようなものを取り出す。
 紹介状を開くと、それを押し当てて円を描くように羊皮紙の上を走らせる。すると、薄っすらと文字が発光した。緑色の光だ。文字の上の光は徐々に幅を広げていき、空中に薄っすらと羽の形になり、留まった。

「む、冒険者ギルド長の紹介状か……ふむ、分かった。通るが良い」

 紹介状を読み終わり、兵士がそう言って春馬に羊皮紙を手渡すと、道を開けた。

「行け。問題ない」

 あっさりと許可がおり、春馬は戸惑いながら頷き外へと出る。門が小さくなるまで無言で三人は進み、春馬がホッと息を吐いた。

「……もう大丈夫そうだね。でも、驚いたな。あんな適当な紹介状でもいけるなんてね。やっぱり、内容よりもあの不思議なインクが大事なのか」

 春馬が言うと、ヴァールが顎に手を当てて推測する。

「インクに魔力が籠っていて、発動する為の術式はあの黒い石にされてたんだろう」
「なるほどね」

 と、二人がそんな会話をしているのを見て、ソフィアが笑いながらカツラを取った。

「ふふ。二人とも似合い過ぎてて笑いそうになっちゃったじゃない。ヴァールは自然に貧乏そうな感じが出てたし、ハルマはおどおどして可愛かったわ」
「お前もカツラして顔泥だらけだろうが」

 笑うソフィアにヴァールが口を尖らせると、春馬が微笑を浮かべて口を開く。

「でも、ソフィアはちょっと顔が整い過ぎてるからね。村人って感じは無理がありそうだよ。やっぱりお姫様とかの方が良いんじゃないかな。とても綺麗だと思うけど」

 春馬がすらすらとそんなことを言い、ソフィアは頬を赤く染めて奇声をあげた。そんな二人を、ヴァールは信じられないものを見るような目で見ている。
 三人は着替えると、改めて公爵の居城がある第一都市、クランティスを目指して進み始めた。



 一方、三人が無事に街を出たことをギルド員の報告により知ったエステルヘルは、愉快そうに頬を緩める。

「そうか。しかし、こんな状況で公爵領を離れずに、むしろ中心に向かうとは、余程の理由があるのだろう。何かあったらまた手伝ってやろうかの」

 そう言って笑った直後、ギルド長室のドアが外側から開かれた。

「ギルド長!」
「うぉ! なんじゃい!?」

 血相を変えて走り込んできた厳ついスキンヘッドの男に、エステルヘルは仰け反って驚く。
 スキンヘッドの男は目を剥くエステルヘルを見下ろし、カッと目を見開いた。

「驚いている場合ではありません!」
「お前が驚かしとるんじゃい! その目をやめんか! 怖いんじゃ!」

 怒るエステルヘルにスキンヘッドの男が少し傷付いた顔で顎を引く。だが、それでも引かずにまた一歩前に出た。

「俺の顔のことは放っておいてください! それより、街にアルブレヒト様が来ました!」
「……なに? 何故じゃ。まさか、ワシが走らせた使者の書状を?」
「分かりません。ですが、ダレム様に会いに来て、地下牢に繋がれていると知って激怒したそうです」
「……困ったぞ。まさか、こんな時に……領主はまだか?」
「まだ、連絡はありません」

 その報告を受け、エステルヘルは頭に片手を乗せて深く息を吐き、表情を引き締める。

「バルトロメウス公爵は戦の天才であり、領地を守り、強くすることは上手かった。だが、子供の教育は忙しさにかまけて何も出来ておらんかったからのう」

 溜め息を吐き、腕を組む。

「長男は後継として共に行動したお陰で真っ直ぐに成長したらしいが、残りの五人ははっきり言って問題児ばかりじゃ。特に、五男のダレムと四男のアルブレヒトはのう」

 そう呟き、目を瞑る。

「……こりゃ、一波乱起きるのう。間違いなく」

 エステルヘルは愚痴を漏らすようにそれだけ言うと、面倒くさそうにソファーから身を起こした。



「どういうことだ、ギルド長よ!」

 木製のドアが揺れるほどの大声で怒鳴り、アルブレヒトは冒険者ギルドの二階に上がってきた。
 訪ねてきたという報告だったが、その勢いはむしろ殴り込んできたといった方が正しい。エステルヘルは目を細めて、ゆっくりとソファーから身を起こす。

「これはアルブレヒト殿。ようこそ、冒険者ギルドへ」

 エステルヘルはそう答え、目の前の人物を見た。
 黒い衣服に白地に金色の刺繍が施された豪華なマントを羽織った長身の男だ。服を下から盛り上げるほどの分厚い筋肉を持ち、目の前にするとかなりの圧力である。
 アルブレヒトはエステルヘルを睨み、怒鳴る。

「馬鹿にしているのか! 俺は今、弟のところへ行ってきたところだ! 可哀想に、弟はすっかり気落ちしていたではないか!? 反逆者が現れ、それを討伐しようとしたら貴様らが裏切ったと聞いている! 何故だ、ギルド長! これだけ我ら公爵家に恩を受けておきながら、何故そのようなことが出来る!?」

 そう言って、エステルヘルの返答を待つ。それにエステルヘルは眉根を寄せ、首を左右に振った。

「何故も何も、そんな事実はありませんからのう」
「なにぃ!?」

 ギロリとアルブレヒトが睨み付ける。それを正面から見上げ、溜め息を吐いた。

「ダレム殿が最初に罪のない民に手を出したのが始まりじゃて。それを止めろと言われ、今度はギルド員に剣を向けたんじゃ」

 そう告げると、アルブレヒトは怒りに震えた。

「馬鹿な! 弟にも理由があったのだろう! それを確認もせずに領主に止めろなどと無礼な発言をする者にも問題がある! そこで素直に捕縛されておれば剣を向けられることも無かった筈ではないか!」
「理由も何も無い。ダレム殿はこれまでにも多くの問題を起こしておる。今回も同様じゃ。それに、ダレム殿は領主代行であり、領主ではありませんぞ」

 エステルヘルがそう言うと、アルブレヒトは空いたソファーを蹴り飛ばした。破片が舞い散ってソファーが粉砕する。

「貴様では話にならん! この俺の問いに正直に答えんなら貴様も捕縛するぞ!?」

 怒鳴るアルブレヒトに、エステルヘルはソファーに座ったまま低い声を発した。

「……おい、小僧。お前がバルトロメウス公爵の名を汚す行為をしておるのは理解しとるのか。この町ではお前は領主代行でも何でも無い。貴族はお前の父親で、お前にはまだ大した権力も無い。それでもワシを捕まえると言うなら、上等じゃ。相手になってやるわい。冒険者ギルド全体と戦うつもりでくるんじゃぞ?」

 ざわざわとエステルヘルの髪が波打ち、身体も僅かに膨張する。それに一歩引き、アルブレヒトは腰に差した剣の柄を握った。

「獣人か、貴様……! ちっ、頭の中まで獣だな。俺は騎士団の上級士官だぞ。必ず、貴様を後悔させてやる。覚えていろ!」

 アルブレヒトはそれだけ告げると、剣を鋭く一閃した。白銀の線が空中に軌跡を残し、エステルヘルの頭上を通り過ぎる。
 空気を切る音がして、数メートル離れた先にある壁に亀裂が入り、建物の外にまで衝撃が伝わった。
 エステルヘルが動じずに睨み上げると、アルブレヒトは鼻を鳴らして剣を仕舞い、部屋を出て行った。

「……ハルマ達に使いを出さなければならんの。あいつは、間違いなくハルマ達を追うだろう」

 そう呟き、エステルヘルはギルド員に声を掛けるのだった。




「ハルマ! そっちだ!」
「分かった!」

 ヴァールに言われて春馬が坂道を転がるように降りていく。
 三人は街道を外れ、木々の生えた山へと足を踏み入れていた。

「本当にこっち!? 道も無いじゃない!」

 ソフィアが邪魔な枝を手で払いながら付いてくる。ヴァールは横顔だけ向けて、坂の下を指差した。

「音が聞こえるだろうが」

 至極当たり前のことを言ったような顔だったが、二人は耳をすましても聞こえなかった。
 だが直後、僅かな金属音と振動が響いてくるのを感じた。

「あ、本当だ」
「凄いじゃない。後でお肉あげるわ」
「……褒められた気がしない」

 間の抜けたやり取りをしながら、三人は山を降りた先にあった街道へと出た。街道は馬車二台が離合出来るかどうかといった狭いものである。
 その街道の少し先に、馬車一台と五人の冒険者らしき人々。そして、大きな魔獣が三体いた。魔獣は人型であり、分厚い体は灰色の肌で覆われている。背の高さは五メートル近くあるだろう。

「トロールだ。馬車が狙われてる」

 そう春馬が言うが、ヴァールとソフィアは左右を確認するように見ていた。

「もう一つ街道があったのか」
「多分次の街のラコニアから別の街に行く街道ね」

 ヴァールとソフィアの悠長な会話に、春馬が慌てる。

「ちょ、ちょっと二人とも。それどころじゃないでしょうが。私が倒すよ?」

 春馬がそう言って魔力を手のひらの上に集中し始めると、二人はギョッとして止めた。

「ご、ごめんね、ハルマ? ほら、結構戦えてるから、もうちょっと様子を見ても大丈夫と思って……」
「馬鹿か、そのファイヤーボールを消せ! 俺が行くから、ハルマはそこでジッとしてろ!」

 謝るソフィアと怒鳴り、走り出すヴァール。二人はあっという間に目の前から消え、トロールの側に移動した。

「シッ」

 息を鋭く吐く音と同時にヴァールの体が霞んだように素早く動く。直後、トロール一体の片足が切断された。
 激しい悲鳴とトロールの巨体が倒れる音と地響きが鳴り響く。

「だ、誰だ!?」

 目だけで振り向き、冒険者らしき五人は突然の乱入者の姿を確認した。
 そこへ、詠唱を終えたソフィアの魔術が発動する。

「ホワールウィンド!」

 美しい声の後に、不可視の風の刃が無数に放たれた。トロールや周囲の木々を切り裂いていく風に、二体のトロールは両手で自らの体を庇うようにして動きを止める。

「今だ!」

 低い男の声を合図に、五人の冒険者は二体のトロールの足を切り裂き、矢を突き立てる。膝が折れて崩れた瞬間、大きな両刃の剣を持つ男が二体のトロールの首を斬ってトドメを刺した。

「っぷはぁ!」

 思い切り息を吐き、全員が地面に座り込む。

「た、助かった……あんた達は……!?」

 苦笑いをしながらそう言って振り向いた男は、ヴァールとソフィアを見て息を呑む。

「あ、あんたは、まさか、ヴァールと『聖弓』の一人、か?」
「嘘だろ? 二人ともAランクじゃないか」

 どよめく冒険者達をざっと見て、ソフィアはさらりと回復魔術を行使する。
 白く淡い光が地面を照らし、その上に座り込んでいた冒険者達は淡く発光しはじめた。

「お、おぉ……!」
「本物だ。癒しの魔術……ソフィアーナか」

 怪我だけでなく、僅かながら体力も回復する魔術を受け、全員が落ち着きを取り戻す。
 そして、一人が後から歩いてくる春馬に気がついた。

「まさか、あいつもAランクか?」
「いや……あ、あいつは、黒い災害の……?」

 誰かが春馬のことを知っていたらしく、冒険者ギルド内でのみ有名な二つ名を口走る。
 途端にギョッとした顔になる残りの四人。
 春馬はそれに苦笑いしながら、声を掛ける。

「皆さん、怪我はもう大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
「助けてくれてありがとう」

 返事はするが、明らかに全員が警戒心を持っていた。その態度に、ヴァールとソフィアが苛立ち始める。
「ハルマが一番に助けようって言ったんだけど?」

 ソフィアが凍てつくような声でそう口にすると、びくりと五人は背筋を伸ばし、こちらを見た。

「そ、そうだったのか」
「それは、悪いことをした……申し訳ない」

 頭を下げる冒険者にヴァールとソフィアが満足そうにするが、春馬は慌てて両手を振る。

「あ、いやいや、こちらこそ。何とかなったかもしれないのに、横から手を出してしまって申し訳ありません。それでは、お互いに旅の途中でしょうから、これで」

 春馬が笑って別れの挨拶をすると、リーダー格らしい男が顔を上げ、胸元からプレートを出した。

「俺たちはそれぞれはCランクだが、パーティーとしてはBランクの『鉄壁』だ。もし、何か必要なことがあればなんでも言ってくれ。この恩は忘れない」

 その言葉に、春馬は嬉しそうに笑って頷いたのだった。



「勿体ない」

 ブツブツと、ヴァールが愚痴る。それにソフィアがうんざりした顔で溜め息を吐いた。

「いい加減にしなさい。セコール。もうずっと言ってるわよ」

 文句を言うと、ヴァールは呆れたような顔になった。

「普通、冒険者が冒険者を助けりゃあ助けられた方のランクで依頼料一回から二回分だ。あいつらはBランクパーティーって言ってたろうが。それなりの謝礼にはなったぞ」

 口を尖らせてそう言うヴァールに、ソフィアが肩を竦める。

「良いのよ、別に。私達に必要なのは旅費と武具や道具の費用くらいでしょう? 後はいざという時のお金くらいかしら」
 そう告げるソフィアの目には曇りが無かった。
「エルフはこれだから……なぁ、ハルマ」

 と、ヴァールが春馬に話を振ると、曖昧な微笑が返ってくる。

「……はいはい。分かったよ、無欲の権化どもめ」

 すっかり拗ねてしまったヴァールを尻目に、ソフィアが馬車の御者席から目を細めて行く先を見る。

「あ、村が見えたわよ」
「なに? おぉ、確かに。よくあんな小さな村見つけたな」

 ソフィアの視力にヴァールが感心する。ヴァールは長い期間独りでギリギリの冒険者生活を送った為、音などによる気配を察知する能力は高い。しかし、狩りのために遥か遠くのものを見通す為に鍛えられたエルフの目はそれを凌ぐ。
 ちなみに、春馬はどちらも常人並である為、二人の会話の後に道の先を見たが、村がどれか判別出来なかった。
 暫くしてようやく村に辿り着き、春馬は目を輝かせる。

「へぇ……! 可愛い村だね!」

 春馬はそう言って、村の全体を眺めた。村は木材を長方形に切ったようなウッドブロックで家々が建てられており、村の周囲は石を積み上げた石垣のようなもので囲まれていた。
 家は全て平屋造りで、数も百は無い。こじんまりとした集落である。
 石垣の一箇所に馬車一台がようやく通れる隙間があり、その左右には太い柱があった。柱にはツルで括り付けられた石扉があり、それが門となっているようだった。
 近付くと、門は内側から開かれ、剣を手にした男二人が現れる。
 その二人は先頭を歩くヴァールに気付き、次に馬車の周りに立つ春馬とソフィアに気がつく。

「……冒険者、ですか?」
「おう。Aランクのヴァールと愉快な仲間達だ」

 と、ヴァールが適当な紹介をすると、村人達は驚いて仰け反った。

「Aランク!? なんと、そのような凄腕の冒険者が、なぜこの村に……」
「いや、通りすがりだ。悪いが、一泊させてもらえたらそれで良い」

 村人達が期待の眼差しを向けたが、ヴァールはにべもなく用はないと告げる。
 すると、村人は残念そうにうな垂れた。

「そうですか。いやしかし、Aランクの冒険者が滞在してくれるのは心強い。出来たら、村で困っている魔獣の退治をしていただけたら良いのだが……」
「Aランクを雇うのはかなり高額だぞ。ゆとりはあるのか?」
「いや、無い……仕方ないな。さぁ、村を案内しましょう。どうぞ、こちらへ」

 村人は苦笑しつつ、村の中へ春馬達を招き入れる。それに春馬は首を傾げてソフィアに尋ねた。

「そんな簡単に村に入れて良いのかな? 門の意味はいったい……」

 そう呟くと、ソフィアは困ったように笑う。

「こういった小さい村での塀の意味は殆どが魔獣と盗賊対策程度ね。騎士団や強力な冒険者が攻めてきたら抵抗は無意味だから、普通は村を捨てて逃げるものよ」

 その説明に「なるほど」と春馬が頷いた。
 村に入ると、それなりの人数がおり、皆が来客者を見た。その中に見知った顔があり、春馬達に手を挙げる。

「おぉ、貴方は! 何故この村に……!」

 そう言って、あのスラヴァで会った親子が歩いてくる。

「ハルマ殿とヴァール殿。いや、本当に会えて嬉しい。よくぞこの村に。歓迎しますぞ」

 男がそう言うと、門番だった村人が声をあげる。

「おぉ、そうか! リースとジイダンが言っていた冒険者達か! これは失礼をした!」
 大声で謝罪する門番に、他の者達も笑顔になる。
「そうか、例の冒険者達か」
「いや、なかなか出来ることではない」

 感心した様子で集まってきた村人達は、春馬やヴァール、そしてソフィアの側で口々に感謝を伝えた。

「ありがとう!」
「君達のお陰でジイダンが助かった。リースは無事、結婚出来た」

 そんな声がして皆の視線がリースと呼ばれた女性に向いた。そこにはリースと一緒に、若い男の姿があった。男は深く頭を下げると、一歩前に出る。

「僕はこのライサの村の村長の息子、ディルと申します。リースを守っていただき、ジイダンを助けていただき、本当にありがとうございました」

 そんな心からの感謝の言葉に、春馬が笑顔で首を左右に振った。

「いえいえ、こちらはしたいようにしただけですから」

 そう言った直後、ヴァールが春馬の背中を見えないようにツンツンと突つき、ソフィアに手を叩かれていた。
 それに苦笑しながら、春馬は話を続ける。

「そういえば、先程あの方からこの村が何かお困りだと聞いたのですが」

 と、話を切り出した為、ヴァールが目を見開いて何か言おうとし、ソフィアに脇腹を殴られる。
 咳き込む音を聞きながら、春馬はディルに話しかけた。

「もし、私達が何かお手伝いできることがあるなら何でも言ってください。勿論、無償でお手伝いしますよ」

 輝くような笑顔で春馬がそう言うと、村人達は驚きの声を上げた。

 そして、後ろではヴァールが顔を片手で覆って天を仰いでおり、ソフィアがそれを見て声を出して笑った。

「し、しかし、Aランクの冒険者に働いてもらって、流石に無償でとは……」

 ディルが春馬の提案に戸惑っていると、隣に立つリースが口を開く。

「しかし、ディル……申し訳ないけれど、困っているのは確かだし……」

 リースがそう進言すると、一部の村人達がひそひそと影でやり取りを行う。

「……さ、流石に話がうますぎないか……?」
「しかし、本人達が無償でと言ってるんだし……」

 疑いの声が聞こえてきて、ヴァールが舌打ちと共に声のした方向に顔を向ける。

「金を払いたいなら払え。こっちだってこの大善人がバカなこと言わなければ働きたくなんかないんだ」

 そう告げられ、一部の村人達は口を噤んで俯いた。それにまた舌打ちをし、ヴァールが周りを睨みつける。

「Aランク冒険者の俺とソフィアどちらかに依頼すりゃあ最低でも一日金貨二枚だ。Bランクのハルマに依頼しても銀貨五枚は必要だろう。あるか、それだけの金が」

 そう口にすると、村人達は通夜のように押し黙ってしまった。金貨二枚は大きな街で暮らす町民の稼ぎ一年分に匹敵する。
 ライサのような小さな集落の村人が稼ぐのは年間でも銀貨数枚程度である。元々裕福でない村人達に余剰な金銭などなく、村中から資産を掻き集めて銀貨数枚を支払えば間違い無く村は立ち行きいかなくなるだろう。
 こういった村の収入は作物、木や石、狩った獣などである。それらを売って得た金は衣服や護身用の武具、農機具や調理器具などに代わる。そこにゆとりは無い。
 静まり返った村人達を見て、ソフィアがヴァールの脇腹の肉をつまみ上げた。

「あいだーっ!?」
「ヴァール! なんでせっかく歓迎されてたのにそんなこと言うの!? 性格悪いんだから!」
「なんなんだ、お前は!? 俺の脇腹に恨みでもあるのか!? 同じ場所ばっかりやりやがって!」

 怒鳴り合う二人にオロオロするリースとジイダン。

「す、すみません……! 我々が疑うようなことを言ってしまい……」
「申し訳ない……恩人になんてことを……」

 困り果てる二人に、春馬が申し訳なさそうに頭を下げる。

「いえ、こちらもすみません。それでは、依頼料として一泊泊めていただけたら有り難いです。食事付きですよ?」

 春馬がそう言って笑うと、二人はパッと笑顔になって喜びの声を上げた。
 白い髭を撫でながら、小柄な老人が顔を挙げる。ライサの村の村長である。村長宅は他の建物の二倍ほどの敷地だった。一番大きな客間で輪になって床に座り、食事を食べている。
 肉を焼いたり、果物を並べたりする程度の簡単なものだったが、外から買い求めた果実酒があり、ヴァールとソフィアはご機嫌である。春馬は仕事が終わるまでは呑みませんといって我慢していた。

「……オーガが出ましたのじゃ」

 村長がそう言うと、ソフィアが唇に人差し指を当てて唸る。

「うーん……オーガかぁ。一体二体ならBランクのソロでも何とか対処可能ね。でも、一般の人では難しいわね」

 と、ソフィアの戦力分析を聞いて頷き、村長は深く深く息を吐いた。

「オーガは、確認した限り十を超えますのじゃ。街の騎士団に頼んでみましたが、まだ被害が出てないことを理由に後回しにされましたのじゃ……しかし、被害が出た時は、この小さな村なぞ壊滅しておりますのじゃ」

 悲しげにそう口にする村長に、ヴァールは面倒くさそうに舌を出す。

「十体以上か。ちょい面倒だな。広い場所で魔術を使うのが楽だが」
「私の出番だね?」

 春馬が目を輝かせると、ヴァールは脊髄反射で否定する。

「馬鹿言え! 周り見たろうが! 草原、森! 被害甚大!」

 怒鳴るヴァールに、ソフィアが柔らかく微笑み、春馬の頭を撫でた。

「大丈夫よ、ハルマ? 全部、ヴァールが討伐してくれるから。さぁ、私達はゆっくりお食事をいただいて待ちましょう?」
「俺だけ働かせる気か、この性悪エルフ」

 不満を言うヴァールだったが、文句を言いながらも背伸びをして立ち上がった。

「まぁ、面倒だが、ハルマが出るより後は楽かもな」

 憎まれ口をわざと叩くと、ヴァールは欠伸をしながら剣を出した。

「場所を言え。ひとっ走り行ってくる」
「は?」

 常識外の一言に、長老が目を瞬かせて疑問符を浮かべる。

「いや、それは悪いよ。もしかしたらオーガはもっといるかもしれないし、それに他の魔獣だって……」

 春馬が言うと、ヴァールは肩を竦めて鼻を鳴らす。

「厳しそうならすぐに戻ってくる。いければ殲滅する。無茶はしない」

 そう言うと、ヴァールはさっさと場所を聞き出し、村を出たのだった。

「行動力の塊のような方ですな」

 長老が感心したように言い、春馬は苦笑する。

「腕は確かです。ご安心を」
「ああ、いや、信頼しておりますとも。ささ、こちらにどうぞ。泊まる場所へ案内します」

 そう言って、長老は自ら二人を案内し、村の外れの一軒家の前に来た。村の出入り口は一つしかないので、正真正銘最奥の建物である。その近くにはちょっと離れた場所にある長老の家だけだ。

 長老は頬を緩め、二人を見た。

「多少の大きな声も、ここなら大丈夫ですじゃ」

 それだけ言い残し、長老は去って行った。春馬が苦笑して隣を見ると、耳の先まで赤くしたソフィアがチラチラと春馬の横顔を見ている。

「……ヴァールが帰ってくるまでいつでも動けるように待機だよ? ほら、もしかしたらヴァールが助けを求めてくるかもしれないし」
「えー? ハルマ、ヴァールを信用してないの? あれで地味に凄いんだよ?」

 不満そうにそう言われ、ハルマは困ったように笑った。

「それはまぁ、十分に知ってるけどね」



 風が吹き、草花が揺れ、木の枝のしなりで葉が舞った。
 突風が吹いた。
 そう勘違いしてしまうような速度で、ヴァールが地を駆ける。木々は不規則に生えており、所々には根の一部が土の上に露出している。街道から外れた獣道だ。決して、歩きやすい道ではない。
 しかし、そんな道をヴァールは物ともせずに走破していく。するすると滑らかに、それでいて恐ろしい速さで走る灰色の風。
 たまたま前方に現れた小柄な人影は瞬く間に首を刈られた。毛のない、小さなツノがいくつか生えた頭部が地面に転がる。
 こういったゴブリンや狼などを一刀の元に斬り捨てていきながら、ヴァールは目的地へと走った。風に乗って、微かに鼻歌が聞こえてくる。

「たまには昔みたいに一人でやるのも良い。何も考えず、シンプルだ」

 ヴァールは独り言交じりに鼻歌を歌いながら、剣を振るう。
疾駆、剣技、身のこなし。全てが異常な速度であり無駄も無い。それでいて気配を察知する能力が高い為、隙も無い。
 すでに、ヴァールは一人の剣士として完成していた。
 オーガの群れにいち早く気付き、すぐさま臨戦態勢をとる。この場所に到着するまでに要した時間は小一時間程度。本来ならば、森に慣れた現地の者が半日かけて歩いてくる場所である。
 それだけの距離を疾走してきたにも関わらず、ヴァールは休まずに仕事をこなすべく様子を窺った。
 三メートルを越す大きな人影だ。不自然なほどごつごつとした分厚い体は、殆どが筋肉である。赤黒い皮膚は不気味で、頭や肘などの体の一部からは骨が変化したツノが生えていた。
 蛇のように口は大きく裂けており、拳ほどの太い牙がある。
 地獄の鬼のような姿をしたそれこそがオーガであり、ゴブリンやトロールなどと同じく、武器を使うことが出来る厄介な魔獣だ。
 その場にいるオーガ達は、自分達が殺した冒険者や騎士団の大剣を手にしていた。

「剣持ちのオーガが、一、二、三、四……十三匹か。後は、周囲に弱い気配もあるが……」

 そう呟くと、音も無く移動し、邪魔になるかもしれない弱い魔獣を減らしていく。併せて、地形の確認と殲滅プランを練る。
 ヴァールは長く独りで戦っていた経験から、自身の実力を客観的に理解しており、無理はしない。囲まれることの脅威と、個で自らを上回る存在の認知。
 それらもヴァールの強さと生存率を大きく上げていた。
 一匹、二匹とゴブリンを狩り、回り込むようにして群れの端にいる一体のオーガに肉迫。声を上げさせることも無く、首を切り落とした。
 まるで道端の花を刈り取るように、一体、二体と確実に息の根を止める。
 あっという間に五体を倒し、そこでようやくオーガ達が外敵に気が付いた。すぐさま向き直り、オーガ達はヴァールに群がるようにして大剣を振るう。
 錆びに錆びたぼろぼろの大剣だが、オーガの並外れた膂力ならば大木すらへし折る。その大剣が八本。まるで小枝でも振っているかのように尋常じゃない速度で大剣が次々とヴァールに迫る。
 だが、それをヴァールは器用に避けた。近付き過ぎ無いように気を配りながら、間合いに入ったオーガの腕や脚を斬り裂き、隙を見つけた途端に接近して首を斬る。
 気付かれて交戦状態になってからもヴァールの一方的な戦闘は変わらず、すぐさま最後のオーガの首が地面を転がる。
 ヴァールは剣を鋭く降って血振りし、鞣した皮で刃を拭う。

「……やばいな」

 そう呟くと、ヴァールは眉間に皺を寄せて周りを見た。

「討伐証明、入れる袋忘れてきた」

 ヴァールの虚しい呟きは風に流れて消える。



 一方、ヴァール不在のライサの村に、剣や槍を手にした物騒な集団が向かって来ていた。
 一団の先頭には馬に乗った豪華な金色の鎧に身を包む男の姿がある。

「進め、者共! 凶悪な犯罪者はすぐそこだ!」

 アルブレヒトが叫び、剣を天高く掲げた。それに呼応するように後に続く一団が雄叫びをあげる。