僕は身体が弱かった。それは生来のもので、身体も大きくはならなかった。
少しの間だけ小学校に通ったが、一度体調を崩して病院に搬送されてからは通学も出来なくなった。
家で殆ど寝たきりの生活をしていた僕にあったのはテレビやゲームだった。両親が将来学校に通えるようになったらと思い、毎日勉強はしていたけれど、元気にはなれなかった。
気が付けば、過ごす場所が家から病院になった。
僕の身体の為に引っ越した郊外の綺麗な川の前にある家が、僕は好きだった。二階建ての二階南側にあった僕の部屋からは、よく綺麗な川の景色が見えた。
だから、病院に入院した時はそれが悲しくて泣いた。
病院は先生も看護師の人も優しかったし、意外とご飯も美味しかった。
でも、父さんや母さんと過ごす時間が減った。
人に感染る病気では無かったけれど、両親は僕がテレビやゲームを好きに見ることが出来るように個室にしてくれていた。最初はそれでよかったけど、徐々に夜が嫌いになっていった。
寂しい。悲しい。
そんな気持ちになるから、夜は嫌だった。そして、そういう時に限って体調は悪くなった。
やがて、寝たきりの時間が増えてきた。指定難病とかなんとかいう病気だからお金は心配しないでと笑っていたけれど、後になってかなり苦しい生活だったんだと知った。
父さんもよく会いに来てくれたけど、母さんは毎日必ず会いに来た。小さな頃は本を読んでくれたり、勉強をみてくれたりした。
大きくなってくると、漫画を買ってくれるようになった。漫画はとても面白くて、すっかり夢中になっていた。
漫画を読んで、漫画の世界に入り込んだような気分になれた。次に小説を読むようになり、気付けば十代が終わる頃になっていた。
まだ、僕は病院にいた。体は痩せてしまい、点滴も増えた。
動けなくなっていく焦燥感は募っていき、夜独りになると涙が出ることも増えた。
食事をして吐くことを繰り返してしまった時は、不安と恐怖で親に当たってしまったこともある。
自分でも本当に酷いことをしたと思い、また後で独りで泣いた。
やがて、二十代も中頃となり、僕は家に戻った。病院を退院したのだ。
だが、良い退院では無かった。
「残念ながら、手の施しようがありません」
そう言われて、父さんが僕の退院を決めたのだ。
もう、僕はベッドから起き上がるのも辛くなっていた。
でも、僕は久し振りに幸せな気分になり、心から笑えた。
僕は帰ってきたんだ。あの、綺麗な川が見える僕の部屋に。
僕の部屋はあの頃のままで、綺麗な川もあの頃のままだった。飽きずに毎日眺め、夕陽を家族で見ては皆で泣いたこともある。
そして、僕は二十五歳になった。
ああ、多分僕はもうすぐ死ぬんだ。
何故か、それが理解できた。
父さんと母さんにお礼を言った。
「ありがとう。毎日話をしてくれて、僕と一緒にいてくれて……こんな、良い部屋をくれて」
そう言って、一緒に見た映画、お気に入りの漫画の話もした。僕はこんなに幸せだった、と。本当に感謝していると伝えたかった。
でも、最後に、僕は心の奥底から溢れる言葉を抑え込むことが出来なかった。
「……外で、思い切り遊びたかったよ。いろんな場所に自分の足で行ってみたかったんだ……」
僕がそう呟いた時、父さんと母さんは泣き崩れてしまった。
ああ、僕はただただ感謝を伝えて、二人に笑顔になってもらいたかったのに、何故、こんなことを言ってしまったのか。
僕はなんでこんなに酷いことを言ってしまったのか。
「ごめんなさい、父さん。母さん」
それが、僕の最期の言葉になってしまった。
目が覚めた時、僕は草原の中にいた。
背の高い稲穂に似た草が周りを囲むように揺れており、意味も分からないまま首を横に倒す。
力を込めずとも、首が軽く動いた。それに驚き、僕はそっと上体を起こしてみる。体は素直に動き、そのまま立ち上がることまで出来た。
自分がどこまでも広がる広大な草原の真ん中にいることを知り、無意識に息を吸う。スムーズな呼吸に、違和感を覚えた。深く吸っても苦しくない。
体を伸ばし、深呼吸をする。苦しくなるどころか、晴れ晴れとして気持ちが良いくらいだ。
「……僕は、一体……」
そう呟き、自分の声がいつもと違うことに気がつく。手を顔の前に挙げると、骨っぽい手が肉付きの良いものに変化していた。腕も太くなっているようだ。袖をめくってみると、筋骨隆々というほどではないが、力強い腕があった。
と、そこで自分が見慣れない服装であることに気がつく。何故かは分からないが、黒いスーツとコートを着ていた。
黒いスーツと、黒いコート。革靴。サラリーマンと言えばそれまでだが、どこかで見たことのある服装だなと思う。
そうか、最後にハマっていた漫画の主人公の格好に似ているのだ。
まさか、僕はその主人公になったのだろうか。そんなことを考えて、思わず笑いが出る。
僕……いや、その主人公に倣うなら、私か。
私が、もしも新たな人生を歩めると言うなら、思い切り好きなように生きたい。何処までも遠くに行きたい。自分の体にも、誰にも邪魔されることなく、好きな場所に行きたい。
ここが何処かは分からない。見渡す限りの草原で、もしかしたら何処まで行っても何も無いのかもしれない。
でも、それでも良い。自由に歩けるなら、仮令餓死してしまうとしても、その瞬間まで動き続けてやる。
「……さぁ、何処に行こうか」
私はそう呟き、歩き出した。大地を踏みしめる感覚に笑みを浮かべながら。
丸一日歩いた頃、遠くに町が見えた。建物はそれほど大きく無いが、小さな水路が縦横無尽に流れており、所々に家よりも大きな巨大な木が生えている。
物見櫓代わりなのか、木々の枝の分かれ目には幾つか小屋のようなものもあった。
建物は全体的に明るい茶色で、良く見ればどれも木製の家のようである。
「外国、みたいだね」
そう呟き、歩く速度を早めた。丸一日歩くのは楽しかったが流石に疲れてきた。それに空腹も感じている。
だがなによりも、あの見知らぬ町を近くで見てみたいという欲求があった。
「す、凄い……! 見たことのない景色だ。まるで、現実じゃないみたいな……!」
言葉にならない感想を口から漏らしながら、それを見上げた。
町の入り口にもあの巨大な木があった。だが、一言巨大といっても限度がある。遠くからでは分からなかったのだ。まさか、一つ一つの建物が三階建てのような大きさだとは思わなかった。階を重ねるごとに広がっており、一階の方が狭いという不思議な形である。
良くみると、建物の屋上は隣の建物と殆どくっ付いており、足場のようなものも見受けられる。
「へぇ……! 面白い! 地上も広く使えて、建物の屋上同士をくっ付けることで、建物の上も広く使えるようにしてるのか。そして、あの巨大な木には周囲の建物から橋が……」
ぐるぐると見上げながら歩いていると、不意に気配を感じて立ち止まった。
視線を下げると、目の前には目を細めた美しい青年の姿があった。白いローブのような姿で、頭には金色のリングをはめている。ローブの上から淡い緑色のベルトをしているのだが、どこか中東の衣装のような雰囲気だ。
「……君は、何者だ?」
そう聞かれ、何と答えたら良いか分からずに押し黙ってしまった。
「この国を、害する者か?」
次の問いには、すぐに答えることが出来る。
「違います」
そう答えると、青年は不思議そうに首を傾げる。女と間違えそうな仕草だった。また、青年が艶やかな金色の髪を長く伸ばしていることも原因かと思われる。
と、その時、髪の間から細く尖った耳の先を発見する。
「……耳を見てる? まさか、ここが何処だか分からないのか?」
こちらの視線に気が付いた青年は、面白いものを見つけたような顔になった。その質問にも、正直に答える。
「はい。ここは何処でしょうか……そして、貴方は……?」
尋ねると、青年は静かにこちらを眺め続け、不意に笑みを漏らした。
「この少年は大丈夫だ。まったく悪意が無い。むしろ、透明過ぎるくらいだな」
青年が誰にともなくそう言うと、急に周りに気配が現れた。首を回して周囲を確認すると、驚くべきことに二メートルほど離れた周囲に三人の男の姿があった。皆、青年と同じような金髪の美しい男たちである。
耳も同じように尖っている。
そう思って確認していると、ほかの男たちも口の端を上げた。
「たしかに」
「まさか、エルフを知らないのか?」
そんな言葉を聞きながら、私は最初に話しかけてきた青年に頭を下げる。
「私の名前は、神明春馬といいます。失礼を承知で尋ねますが、この場所は……それと、エルフ、とは……」
聞くと、彼らは揃って顔を見合わせ、頷く。
「この場所はエルフの国、ティアーラ・リンデル・ルク・フィルリアス。そして、この町は通称ハイエルフの里と呼ばれる、エルフの国の最奥部にある町だよ」
「そして、我らはこの町に住むハイエルフだ。まぁ、君たち人間から見れば、エルフとハイエルフの違いなんて分からないだろうがね」
「エルフ……半神半人や半妖精的な存在とも言い伝えられる存在、ですよね?」
そう確認すると、彼らは僅かに目を見開いた。
「……へぇ。何も知らないわけじゃないのか。むしろ、真実に近い。普通、人間は我々を亜人と呼ぶんだよ」
「亜人、ですか」
反芻すると、彼らの中の何人かが眉根を寄せる。
「エルフからすれば、それは侮辱なのだ。亜人とは、人間以外を一括りにした蔑称のようなものだ。最初にそう呼んだ人間が、人間以外の者と我らを下に見たからね。そういう意味でなくとも、亜人と呼ばれるのは好ましくない」
一人がそう言うと、最初に話しかけてきた青年が両手を軽く広げた。
「エルフは半精霊人種であり、ドワーフが半妖精人種、獣人らは魔族の血を引く者達だから、半魔人種とでも言うべきか。そして、ハイエルフはエルフ達の始祖であり、半神人種なのだよ。まぁ、神が直接作った種の生き残りとも言えるかな」
そう言って笑う青年に、私は言葉を失った。嘘を言っているなんてことは無いだろう。
では、本当にそんな多種多様な存在がいる世界に、自分は立っているのか。精霊、妖精、魔族、神……それらは神話の物語でしか無い。
つまり、自分の大好きな物語の住人達だ。
「おや? 何が面白かったのかな? とても、嬉しそうに見えるね?」
そういわれて、無意識に笑っていることに気がついた。
「興味深い話ばかりですから。今聞いた全てを、私は見てみたい。全てに触れ、全てを知りたい。半分神ならば、貴方達は死なないのか? 魔族とは? 神は地上にいるのか? 疑問が次々と頭に湧いてきます」
答えると、彼らは顔を見合わせて笑った。
「君は面白い人間だ。我らも殆ど人間には会ったことが無いが、人間は欲にまみれ、嘘をつき、他者を傷付けて殺してしまうと聞いている。しかし、君は……いや、一つ人間らしいところがあったな。知識欲は、凄そうだね」
そう言って、青年は踵を返す。どうすれば良いか悩んでいると、ほかの者が私の肩に手を置いた。
「ついて来なさい、迷い人よ。貴方の知識欲を満たしてやろう」
この世界は五つの大陸に分かれており、三つの大陸では人間が最大勢力となっている。残りの一つは獣人、最後の一つは様々な種族がおよそ均等に暮らしている。
神が最初に生物を創り出した時は、人間の始祖である半神、ハイエルフ、魔族、妖精がそれぞれ別の大陸に置かれ、各々の文化を築いていった。
推測でしか無いが、これは神が最も優れた種族が何かを知る為の実験のようなものではないかとされた。
ハイエルフは四百年近い寿命がある為、今でも原種が十数名残っている。しかし、魔族、妖精は寿命が二百年ほどの為、原種はまず残っていない。半神は百年と更に短い為、言わずもがなである。
ただ、寿命が短い者の方が人数は増えやすく、今や世界の人口の半分は人間だろう。
ハイエルフと人が混ざった者がエルフであり、寿命は二百年ほどとなったが、かなり人口は増えた。妖精と人が混ざった者がドワーフであり、小人族とも言われる存在となった。寿命は百年程度である。
そして、魔族と人が混ざった者が獣人と呼ばれる存在となり、寿命は百年ほどとなった。
人間は当初からあまり変わらなかったが、神力なるものは完全に失われ魔力も弱くなった。寿命は環境次第で七十年ほどだろう。
ちなみに、魔族と混ざったダークエルフと呼ばれる者もいるが、少数であるとのこと。
人間が最大派閥となって久しく、それ以外の存在を亜人と呼ぶようになったことから、エルフはエルフの国に、ドワーフは山中の鋼の国に、獣人は森の中の緑の国に寄り添うように集結している。
どの種族にも冒険者や行商人などを生業とする者がおり、他国に出る者もいるが、最近は徐々に減ってきているらしい。
当のエルフが最も閉鎖的で、今や殆ど外に出ることはないという。
「何故なら、我々は老いぬ身体故、人間に狙われた時期があった。それは数にものを言わせた暴力的なものであり、我々の意思などはそこに介入しない。連れていかれた者は奴隷にされる。長い年月で鍛えられた魔術を使わされるのならまだ良い。ただただ愛玩動物のように飼われたり、場合によっては無意味な拷問すら受けて死んだ者もいたという」
大まかに世界の説明をした後に、青年は悲しげにそう言うと、怒りの篭った目を私に向けた。
「ハルマ。君がもし、我らの内の誰か一人を奴隷として捕まえて売ったなら、一生を買えるだけの富を得るだろう」
そう言われて、私は目を瞬かせる。
「そんなものに興味はありません。むしろ、せっかく独自の文化を作り上げた人々を奴隷にしてしまうなんて……信じられない」
思わず、怒ったような声が口から出た。それに青年は目を細め、頷く。
「そうか。では、今度はこちらから質問をしても良いか?」
そう聞かれ、私は身の上を話した。違う世界にいたこと、死んだと思ったら此処にいたこと。そして、地球では病に臥せり、何も出来ずに死を迎えたこと。
「君の世界とやらに、完全治療薬は無かったのか?」
その質問に、私は無いと答えた。飛行機や船、恐ろしい兵器や宇宙船などまであるのに、どんな病気も治す薬は無い。
すると、彼はある事に興味を持った。
「……宇宙、とは?」
地球や今自分達が丸い惑星の上におり、太陽という星の周囲を十数個の惑星が周回している。
太陽は地球の約百十倍の大きさがあり、重さは三十万倍以上。ちなみに太陽がある銀河には千億の恒星があるとされ、ほかにもそういった銀河が数千億以上存在する。
そんな天体学を話すと、青年の目がキラキラと少年のように輝いた。
「どういうことかな? この今立っている場所が丸くて、その、宇宙という場所を転がっている?」
「いや、浮いているというか……説明が難しいですね」
「我らが飛翔魔術で空を飛んでいるのに近いか?」
「まぁ、そんな感じと思って下さい」
困りながらもそんな説明をすると、青年は暫く考え込み、顔を上げた。
「面白い。君に嘘を吐いている気配は無いし、騙そうという悪意も無い。それに、飛翔魔術で雲の上に行った時、確かに地上は端が丸く見える。それはつまり、君の説明と合致することでもある」
そう言って、指を立てる。
「宇宙。星。他にはあるか?」
「科学とかどうです? 飛行機とかおもしろいと思いますよ」
そう言って解説していくと、青年は異常に良い食いつきを見せた。
「鉄の塊が空を……家屋よりも巨大であると……ドラゴンのようだな。何百人? そんなに運べるのか。それに速度も速いと……ふむ、まっはというのはよく分からんが、どんな生物よりも速いというのは驚愕だな」
静かに感想を言い、何度も物思いに耽る青年。だが、こちらに傾いた上半身が、輝く瞳が、青年の興奮度合いを表現している気がした。
「客観的に見るならば、君の言葉は荒唐無稽だろう。そんな馬鹿なと言われて当然であり、場合によっては罵声も有り得る。しかし、私は信じる」
そう言うと、青年は目を見て、力強く頷く。
「君に嘘を吐いている気配は無い。そして、嘘だとしたらあまりにも細かく作り過ぎている。私の質問に全て答え、矛盾も無い。何より、私は君のことを大いに気に入っている。君が嘘を吐くわけがないと思っているのだ」
恥ずかしげもなくそう言われ、むしろこちらが照れてしまう。
「えぇと、ありがとうございます」
とりあえず信頼への礼をすると、青年は頷いて立ち上がった。
「こちらからも知識を提供したいが、後は魔術くらいしか思い浮かばん。教えてやろう」
青年にそう言われて、思わず目を瞬かせる。
「魔術……私にも使えるものでしょうか」
尋ねると、青年は楽しそうに笑った。
「使えるようになる。私がそうさせるのだ」
そう言って、青年は私を謎の神殿に連れていった。壁と床が光を反射させる銀色の金属で出来ており、壁は高いが屋根は無い。奥には巨大なクリスタルがあり、その周囲には他のエルフ達が立っている。
男のエルフが二人と女のエルフが一人だが、皆が揃って美しい。きちんとそれぞれに個性のある顔立ちなのだが、美を損なう個性ではない。
やはりエルフは美形揃いなんだな。
そう思いながら頭を下げると、三人は青年に顔を向けた。
「ウェルシア様……この場に人間は……」
その中の一人、女のエルフがそう口にして青年を見る。青年、ウェルシアは首を傾けて口を開いた。
「何故だ? そのような規則は無い」
疑問を呈すると、クリスタルの横に立つ背の高いエルフが訴えるようにウェルシアに対して口を開く。
「しかし、この数百年、この場に人間は入ったこともありません」
「それは必要が無かったからだ。そもそもエルフの国に人間は殆ど入れないだろう」
即答で否定され男は押し黙る。続けてもう一人の男が止めようとするが、それも意に介さなかった。
ウェルシアが引かないと分かったら、三人はこちらに目を向けた。
「人間よ。ここはハイエルフとエルフの神聖な地。最も外部を近付けさせてはならぬ場所。申し訳ないが、引き返してもら……」
「ちょっと退け」
女の言葉を遮り、ウェルシアはズンズンと歩を進める。それに気負ったのか、女はこちらを睨みながら一歩退いた。
「こっちだ。これに触ってみろ」
そう言われ、私は三人に頭を下げながら前に出て、クリスタルに手のひらを押し当ててみる。
もうちょっと言い方とか考えてくれたらこんなに険悪にならずに済んだのに。
そんなことを考えていると、クリスタルの中にふわりと赤い煙のようなものが浮かび上がった。
クリスタルの中でもやもやと赤い煙が漂うのを見て、思わず声が出る。不思議な光景だ。
と、三人のエルフ達がそれを見て吹き出すように笑った。
「人間は魔術適性が高くないとは聞くが、これは低過ぎる」
「本来なら流石に火の粉くらいは上がるものだ」
「ウェルシア様も人が悪いですな」
女があざ笑うように言うと、他の二人も続いた。女は先程までの不機嫌さが嘘のように笑顔になると、私に退がるように手振りをし、代わりにクリスタルに手を押し当てた。
すると、クリスタルの中に大きな炎の球が生まれ、轟々と燃え盛り始める。
「おぉ、凄い。手品みたいですね」
思わず、そんな言葉が口から出た。すると女は癇に障ったのか、鋭く睨んでくる。
「仕掛けなぞ無い。これが私の魔力量だ。ちなみに、私が得意とするのは風だがな」
そう言うと、女は含みのある笑みを浮かべて一歩下がる。クリスタルの中の炎もあっという間に消えた。
興味深くクリスタルを眺めていると、ウェルシアが不思議そうにこちらを見て口を開く。
「……魔術を知らない口ぶりだったが、魔力の放出方法は知っていたのか?」
「放出方法?」
首を傾げると、三人のエルフが馬鹿にしたように笑いだす。
「そんなことも知らないのか?」
「どこの田舎者だ」
「魔術の基礎など、今や田舎の村でも教えているだろう?」
そんな言葉が投げ掛ける中、ウェルシアは気にもせずに手のひらを上に向けた。
「心臓から血を送るように、熱を伝達するように、水が染み込んでいくように、手の先に向かって念じろ。力はいらん。想像し、念じて、体の中心が温かく感じられれば成功だ。その温かさを、手の先に向かうように意識しろ」
言われたことを実際にやってみる。
意識すると、心臓の鼓動がだんだんとハッキリ聞こえてくるようになる。
温かさはほんのりとだが感じ始めた。
「手の先まで温かくなったら、これに手を当てて炎をイメージする。出来るだけ大きな炎が良い」
そう口にすると、ウェルシアが先にクリスタルに触れた。直後、クリスタルの中で青白い炎が燃え上がる。
轟々と燃え盛る青白い炎は、瞬く間にクリスタルの中を全て満たした。
「お、おぉ……!」
「なんと、見事な……!」
エルフ達が驚愕し、クリスタルの中の炎を見ている。女は何処か悔しそうに眉根を寄せた。
それを横目に、私は自分の手のひらが熱くなってきた感覚に一人頷く。
すると、ウェルシアは一歩離れ、クリスタルを指し示した。
「やってみろ」
そう言われたので手を伸ばすと、他のエルフ達が口の端を上げる。
手のひらがクリスタルに触れると、クリスタルの表面が冷たくて気持ちが良いな、などという思いが頭に浮かぶ。
あ、炎をイメージしないと。
思い出して、私は炎をイメージする。大きければ良いのならば、太陽とかで良いか。地球より遥かに大きな火の玉だ。まぁ、核融合の火だが、問題は無いだろう。
そんなことを思っていると、目の前のクリスタルが白い光に包まれた。
「……っ! 離せ! 離れろ!」
怒鳴り声が聞こえて後ろに下がろうとしたが、遅かった。
激しく発光するクリスタルの外にまで白い炎が溢れ、最後には空に向かって火柱が上がる。
いや、火柱というより、巨大な光線と言った方が良いかもしれない。目を焼くような眩い光の柱が立ち上り、辺りを白く塗りつぶした。
すでに、クリスタルから手を離して距離を取っている。だが、なかなか収まる気配は無い。
数秒してようやく暗くなってきた。目を細く開けて、周りを確認する。
三人のエルフは信じられないものを見るようにクリスタルを見ており、ウェルシアは面白いものを見るような目で私を見ていた。
「……ば、馬鹿な! な、何か仕掛けがあるに違いない!」
「え? 仕掛けがあるんですか?」
エルフの言葉にウェルシアを見ると、笑いながら否定された。
「そんなものは無い。まさしく、君の力だ。私などよりも遥かに上のな」
ウェルシアの言葉に、女が振り返る。
「そんな馬鹿な! ウェルシア様は現在、最も強い魔力を持つ方です! それを上回るなんて!」
感情的に女が叫ぶが、ウェルシアは笑ったままクリスタルを指差した。
「だが、目の前で起きたことが事実だ。私が得意なのは水だが、それでもクリスタルの周りに白い靄を出す程度。あのように溢れ出す魔力などまず有り得ない」
そう告げると、皆が押し黙った。それを見た後でこちらに顔を向けると、ウェルシアが話を続ける。
「ハイエルフは唯一原種が残っていると言ったが、あれは正確では無い。何故なら、最初に子を成した段階で、神から頂いた身体では無い身体になっていっているからだ。つまり、ハイエルフ同士で純粋な血脈が残っているとしても、それは神の造った身体とは大きく違うものとなる」
よく分からないが曖昧に頷いておくと、ウェルシアは空を見上げた。壁に切り取られた長方形の空が見える。
「最初のハイエルフは、このクリスタルから炎や水、風が溢れ出たらしい。だから、この神殿には屋根が無い。中の者が誤って死んでしまわぬように」
ウェルシアはそう言うと、改めてこちらを見た。
「君はどうやら、神が新たに創り出した存在らしい。ならば、君の話した信じられないような話も納得だ。恐らく、神の造った器に耐えられる魂が選別され、君に行き着いたのだろう」
「神に? でも、なんで違う世界から……」
「さて。神の意志など分からぬことばかりだ」
と、二人で考え込むように唸る。そこへ、話を聞いていたエルフ達が口を挟む。
「ちょ、ちょっと待ってください。それでは、この人間がウェルシア様のような原初の存在である、と?」
「いや、より最初の存在であるかと言うならば、私なぞ比べ物にならん。なにせ、本当に原初の存在なのだからな」
ウェルシアがそう答えると、三人は愕然とした顔でこちらを見た。そして、女のエルフが悔しそうに歯嚙みをし、口を開く。
「……申し訳ありません。ウェルシア様。私はやはり納得が出来ません。この目でその力を確かめなければ」
そう告げてこちらに向き直る女に、ウェルシアは呆れたように腕を組み、浅く息を吐く。
「非合理的だ。まだ魔術を使えない状態で戦ってもお前が勝つのは当たり前だ。だが、もし彼が、ハルマが魔術を覚えたなら、私ですら勝てないかもしれん。他の者は言わずもがな、だ」
ウェルシアはそう言って両手を軽く広げた。そういえば、初めて名を呼ばれた気がする。
と、そんなことを考えていると、女は言葉も出せずに手を震わせ、俯いた。いつ襲い掛かってくるのか。そんな気持ちで不安になっていると、女が顔を上げる。
「……帰ります」
だが、ウェルシアの言葉が効いたのか、女はそれだけ言い残して出て行ってしまった。それを見送り、ウェルシアは二人のエルフを振り返る。
「……お前達は残るのか?」
そう聞くと、二人は顎を引いて頷いた。
「どうであれ、我々の使命はこのクリスタルの保護と魔術の補助。使命を投げ出すようなことはいたしません」
「そうか。ならば、ハルマに魔術の手ほどきをするから手伝ってもらおう。まずは適性の高い火の魔術から」
ウェルシアの言葉を合図に、魔術の修行は始まったのだった。
少しの間だけ小学校に通ったが、一度体調を崩して病院に搬送されてからは通学も出来なくなった。
家で殆ど寝たきりの生活をしていた僕にあったのはテレビやゲームだった。両親が将来学校に通えるようになったらと思い、毎日勉強はしていたけれど、元気にはなれなかった。
気が付けば、過ごす場所が家から病院になった。
僕の身体の為に引っ越した郊外の綺麗な川の前にある家が、僕は好きだった。二階建ての二階南側にあった僕の部屋からは、よく綺麗な川の景色が見えた。
だから、病院に入院した時はそれが悲しくて泣いた。
病院は先生も看護師の人も優しかったし、意外とご飯も美味しかった。
でも、父さんや母さんと過ごす時間が減った。
人に感染る病気では無かったけれど、両親は僕がテレビやゲームを好きに見ることが出来るように個室にしてくれていた。最初はそれでよかったけど、徐々に夜が嫌いになっていった。
寂しい。悲しい。
そんな気持ちになるから、夜は嫌だった。そして、そういう時に限って体調は悪くなった。
やがて、寝たきりの時間が増えてきた。指定難病とかなんとかいう病気だからお金は心配しないでと笑っていたけれど、後になってかなり苦しい生活だったんだと知った。
父さんもよく会いに来てくれたけど、母さんは毎日必ず会いに来た。小さな頃は本を読んでくれたり、勉強をみてくれたりした。
大きくなってくると、漫画を買ってくれるようになった。漫画はとても面白くて、すっかり夢中になっていた。
漫画を読んで、漫画の世界に入り込んだような気分になれた。次に小説を読むようになり、気付けば十代が終わる頃になっていた。
まだ、僕は病院にいた。体は痩せてしまい、点滴も増えた。
動けなくなっていく焦燥感は募っていき、夜独りになると涙が出ることも増えた。
食事をして吐くことを繰り返してしまった時は、不安と恐怖で親に当たってしまったこともある。
自分でも本当に酷いことをしたと思い、また後で独りで泣いた。
やがて、二十代も中頃となり、僕は家に戻った。病院を退院したのだ。
だが、良い退院では無かった。
「残念ながら、手の施しようがありません」
そう言われて、父さんが僕の退院を決めたのだ。
もう、僕はベッドから起き上がるのも辛くなっていた。
でも、僕は久し振りに幸せな気分になり、心から笑えた。
僕は帰ってきたんだ。あの、綺麗な川が見える僕の部屋に。
僕の部屋はあの頃のままで、綺麗な川もあの頃のままだった。飽きずに毎日眺め、夕陽を家族で見ては皆で泣いたこともある。
そして、僕は二十五歳になった。
ああ、多分僕はもうすぐ死ぬんだ。
何故か、それが理解できた。
父さんと母さんにお礼を言った。
「ありがとう。毎日話をしてくれて、僕と一緒にいてくれて……こんな、良い部屋をくれて」
そう言って、一緒に見た映画、お気に入りの漫画の話もした。僕はこんなに幸せだった、と。本当に感謝していると伝えたかった。
でも、最後に、僕は心の奥底から溢れる言葉を抑え込むことが出来なかった。
「……外で、思い切り遊びたかったよ。いろんな場所に自分の足で行ってみたかったんだ……」
僕がそう呟いた時、父さんと母さんは泣き崩れてしまった。
ああ、僕はただただ感謝を伝えて、二人に笑顔になってもらいたかったのに、何故、こんなことを言ってしまったのか。
僕はなんでこんなに酷いことを言ってしまったのか。
「ごめんなさい、父さん。母さん」
それが、僕の最期の言葉になってしまった。
目が覚めた時、僕は草原の中にいた。
背の高い稲穂に似た草が周りを囲むように揺れており、意味も分からないまま首を横に倒す。
力を込めずとも、首が軽く動いた。それに驚き、僕はそっと上体を起こしてみる。体は素直に動き、そのまま立ち上がることまで出来た。
自分がどこまでも広がる広大な草原の真ん中にいることを知り、無意識に息を吸う。スムーズな呼吸に、違和感を覚えた。深く吸っても苦しくない。
体を伸ばし、深呼吸をする。苦しくなるどころか、晴れ晴れとして気持ちが良いくらいだ。
「……僕は、一体……」
そう呟き、自分の声がいつもと違うことに気がつく。手を顔の前に挙げると、骨っぽい手が肉付きの良いものに変化していた。腕も太くなっているようだ。袖をめくってみると、筋骨隆々というほどではないが、力強い腕があった。
と、そこで自分が見慣れない服装であることに気がつく。何故かは分からないが、黒いスーツとコートを着ていた。
黒いスーツと、黒いコート。革靴。サラリーマンと言えばそれまでだが、どこかで見たことのある服装だなと思う。
そうか、最後にハマっていた漫画の主人公の格好に似ているのだ。
まさか、僕はその主人公になったのだろうか。そんなことを考えて、思わず笑いが出る。
僕……いや、その主人公に倣うなら、私か。
私が、もしも新たな人生を歩めると言うなら、思い切り好きなように生きたい。何処までも遠くに行きたい。自分の体にも、誰にも邪魔されることなく、好きな場所に行きたい。
ここが何処かは分からない。見渡す限りの草原で、もしかしたら何処まで行っても何も無いのかもしれない。
でも、それでも良い。自由に歩けるなら、仮令餓死してしまうとしても、その瞬間まで動き続けてやる。
「……さぁ、何処に行こうか」
私はそう呟き、歩き出した。大地を踏みしめる感覚に笑みを浮かべながら。
丸一日歩いた頃、遠くに町が見えた。建物はそれほど大きく無いが、小さな水路が縦横無尽に流れており、所々に家よりも大きな巨大な木が生えている。
物見櫓代わりなのか、木々の枝の分かれ目には幾つか小屋のようなものもあった。
建物は全体的に明るい茶色で、良く見ればどれも木製の家のようである。
「外国、みたいだね」
そう呟き、歩く速度を早めた。丸一日歩くのは楽しかったが流石に疲れてきた。それに空腹も感じている。
だがなによりも、あの見知らぬ町を近くで見てみたいという欲求があった。
「す、凄い……! 見たことのない景色だ。まるで、現実じゃないみたいな……!」
言葉にならない感想を口から漏らしながら、それを見上げた。
町の入り口にもあの巨大な木があった。だが、一言巨大といっても限度がある。遠くからでは分からなかったのだ。まさか、一つ一つの建物が三階建てのような大きさだとは思わなかった。階を重ねるごとに広がっており、一階の方が狭いという不思議な形である。
良くみると、建物の屋上は隣の建物と殆どくっ付いており、足場のようなものも見受けられる。
「へぇ……! 面白い! 地上も広く使えて、建物の屋上同士をくっ付けることで、建物の上も広く使えるようにしてるのか。そして、あの巨大な木には周囲の建物から橋が……」
ぐるぐると見上げながら歩いていると、不意に気配を感じて立ち止まった。
視線を下げると、目の前には目を細めた美しい青年の姿があった。白いローブのような姿で、頭には金色のリングをはめている。ローブの上から淡い緑色のベルトをしているのだが、どこか中東の衣装のような雰囲気だ。
「……君は、何者だ?」
そう聞かれ、何と答えたら良いか分からずに押し黙ってしまった。
「この国を、害する者か?」
次の問いには、すぐに答えることが出来る。
「違います」
そう答えると、青年は不思議そうに首を傾げる。女と間違えそうな仕草だった。また、青年が艶やかな金色の髪を長く伸ばしていることも原因かと思われる。
と、その時、髪の間から細く尖った耳の先を発見する。
「……耳を見てる? まさか、ここが何処だか分からないのか?」
こちらの視線に気が付いた青年は、面白いものを見つけたような顔になった。その質問にも、正直に答える。
「はい。ここは何処でしょうか……そして、貴方は……?」
尋ねると、青年は静かにこちらを眺め続け、不意に笑みを漏らした。
「この少年は大丈夫だ。まったく悪意が無い。むしろ、透明過ぎるくらいだな」
青年が誰にともなくそう言うと、急に周りに気配が現れた。首を回して周囲を確認すると、驚くべきことに二メートルほど離れた周囲に三人の男の姿があった。皆、青年と同じような金髪の美しい男たちである。
耳も同じように尖っている。
そう思って確認していると、ほかの男たちも口の端を上げた。
「たしかに」
「まさか、エルフを知らないのか?」
そんな言葉を聞きながら、私は最初に話しかけてきた青年に頭を下げる。
「私の名前は、神明春馬といいます。失礼を承知で尋ねますが、この場所は……それと、エルフ、とは……」
聞くと、彼らは揃って顔を見合わせ、頷く。
「この場所はエルフの国、ティアーラ・リンデル・ルク・フィルリアス。そして、この町は通称ハイエルフの里と呼ばれる、エルフの国の最奥部にある町だよ」
「そして、我らはこの町に住むハイエルフだ。まぁ、君たち人間から見れば、エルフとハイエルフの違いなんて分からないだろうがね」
「エルフ……半神半人や半妖精的な存在とも言い伝えられる存在、ですよね?」
そう確認すると、彼らは僅かに目を見開いた。
「……へぇ。何も知らないわけじゃないのか。むしろ、真実に近い。普通、人間は我々を亜人と呼ぶんだよ」
「亜人、ですか」
反芻すると、彼らの中の何人かが眉根を寄せる。
「エルフからすれば、それは侮辱なのだ。亜人とは、人間以外を一括りにした蔑称のようなものだ。最初にそう呼んだ人間が、人間以外の者と我らを下に見たからね。そういう意味でなくとも、亜人と呼ばれるのは好ましくない」
一人がそう言うと、最初に話しかけてきた青年が両手を軽く広げた。
「エルフは半精霊人種であり、ドワーフが半妖精人種、獣人らは魔族の血を引く者達だから、半魔人種とでも言うべきか。そして、ハイエルフはエルフ達の始祖であり、半神人種なのだよ。まぁ、神が直接作った種の生き残りとも言えるかな」
そう言って笑う青年に、私は言葉を失った。嘘を言っているなんてことは無いだろう。
では、本当にそんな多種多様な存在がいる世界に、自分は立っているのか。精霊、妖精、魔族、神……それらは神話の物語でしか無い。
つまり、自分の大好きな物語の住人達だ。
「おや? 何が面白かったのかな? とても、嬉しそうに見えるね?」
そういわれて、無意識に笑っていることに気がついた。
「興味深い話ばかりですから。今聞いた全てを、私は見てみたい。全てに触れ、全てを知りたい。半分神ならば、貴方達は死なないのか? 魔族とは? 神は地上にいるのか? 疑問が次々と頭に湧いてきます」
答えると、彼らは顔を見合わせて笑った。
「君は面白い人間だ。我らも殆ど人間には会ったことが無いが、人間は欲にまみれ、嘘をつき、他者を傷付けて殺してしまうと聞いている。しかし、君は……いや、一つ人間らしいところがあったな。知識欲は、凄そうだね」
そう言って、青年は踵を返す。どうすれば良いか悩んでいると、ほかの者が私の肩に手を置いた。
「ついて来なさい、迷い人よ。貴方の知識欲を満たしてやろう」
この世界は五つの大陸に分かれており、三つの大陸では人間が最大勢力となっている。残りの一つは獣人、最後の一つは様々な種族がおよそ均等に暮らしている。
神が最初に生物を創り出した時は、人間の始祖である半神、ハイエルフ、魔族、妖精がそれぞれ別の大陸に置かれ、各々の文化を築いていった。
推測でしか無いが、これは神が最も優れた種族が何かを知る為の実験のようなものではないかとされた。
ハイエルフは四百年近い寿命がある為、今でも原種が十数名残っている。しかし、魔族、妖精は寿命が二百年ほどの為、原種はまず残っていない。半神は百年と更に短い為、言わずもがなである。
ただ、寿命が短い者の方が人数は増えやすく、今や世界の人口の半分は人間だろう。
ハイエルフと人が混ざった者がエルフであり、寿命は二百年ほどとなったが、かなり人口は増えた。妖精と人が混ざった者がドワーフであり、小人族とも言われる存在となった。寿命は百年程度である。
そして、魔族と人が混ざった者が獣人と呼ばれる存在となり、寿命は百年ほどとなった。
人間は当初からあまり変わらなかったが、神力なるものは完全に失われ魔力も弱くなった。寿命は環境次第で七十年ほどだろう。
ちなみに、魔族と混ざったダークエルフと呼ばれる者もいるが、少数であるとのこと。
人間が最大派閥となって久しく、それ以外の存在を亜人と呼ぶようになったことから、エルフはエルフの国に、ドワーフは山中の鋼の国に、獣人は森の中の緑の国に寄り添うように集結している。
どの種族にも冒険者や行商人などを生業とする者がおり、他国に出る者もいるが、最近は徐々に減ってきているらしい。
当のエルフが最も閉鎖的で、今や殆ど外に出ることはないという。
「何故なら、我々は老いぬ身体故、人間に狙われた時期があった。それは数にものを言わせた暴力的なものであり、我々の意思などはそこに介入しない。連れていかれた者は奴隷にされる。長い年月で鍛えられた魔術を使わされるのならまだ良い。ただただ愛玩動物のように飼われたり、場合によっては無意味な拷問すら受けて死んだ者もいたという」
大まかに世界の説明をした後に、青年は悲しげにそう言うと、怒りの篭った目を私に向けた。
「ハルマ。君がもし、我らの内の誰か一人を奴隷として捕まえて売ったなら、一生を買えるだけの富を得るだろう」
そう言われて、私は目を瞬かせる。
「そんなものに興味はありません。むしろ、せっかく独自の文化を作り上げた人々を奴隷にしてしまうなんて……信じられない」
思わず、怒ったような声が口から出た。それに青年は目を細め、頷く。
「そうか。では、今度はこちらから質問をしても良いか?」
そう聞かれ、私は身の上を話した。違う世界にいたこと、死んだと思ったら此処にいたこと。そして、地球では病に臥せり、何も出来ずに死を迎えたこと。
「君の世界とやらに、完全治療薬は無かったのか?」
その質問に、私は無いと答えた。飛行機や船、恐ろしい兵器や宇宙船などまであるのに、どんな病気も治す薬は無い。
すると、彼はある事に興味を持った。
「……宇宙、とは?」
地球や今自分達が丸い惑星の上におり、太陽という星の周囲を十数個の惑星が周回している。
太陽は地球の約百十倍の大きさがあり、重さは三十万倍以上。ちなみに太陽がある銀河には千億の恒星があるとされ、ほかにもそういった銀河が数千億以上存在する。
そんな天体学を話すと、青年の目がキラキラと少年のように輝いた。
「どういうことかな? この今立っている場所が丸くて、その、宇宙という場所を転がっている?」
「いや、浮いているというか……説明が難しいですね」
「我らが飛翔魔術で空を飛んでいるのに近いか?」
「まぁ、そんな感じと思って下さい」
困りながらもそんな説明をすると、青年は暫く考え込み、顔を上げた。
「面白い。君に嘘を吐いている気配は無いし、騙そうという悪意も無い。それに、飛翔魔術で雲の上に行った時、確かに地上は端が丸く見える。それはつまり、君の説明と合致することでもある」
そう言って、指を立てる。
「宇宙。星。他にはあるか?」
「科学とかどうです? 飛行機とかおもしろいと思いますよ」
そう言って解説していくと、青年は異常に良い食いつきを見せた。
「鉄の塊が空を……家屋よりも巨大であると……ドラゴンのようだな。何百人? そんなに運べるのか。それに速度も速いと……ふむ、まっはというのはよく分からんが、どんな生物よりも速いというのは驚愕だな」
静かに感想を言い、何度も物思いに耽る青年。だが、こちらに傾いた上半身が、輝く瞳が、青年の興奮度合いを表現している気がした。
「客観的に見るならば、君の言葉は荒唐無稽だろう。そんな馬鹿なと言われて当然であり、場合によっては罵声も有り得る。しかし、私は信じる」
そう言うと、青年は目を見て、力強く頷く。
「君に嘘を吐いている気配は無い。そして、嘘だとしたらあまりにも細かく作り過ぎている。私の質問に全て答え、矛盾も無い。何より、私は君のことを大いに気に入っている。君が嘘を吐くわけがないと思っているのだ」
恥ずかしげもなくそう言われ、むしろこちらが照れてしまう。
「えぇと、ありがとうございます」
とりあえず信頼への礼をすると、青年は頷いて立ち上がった。
「こちらからも知識を提供したいが、後は魔術くらいしか思い浮かばん。教えてやろう」
青年にそう言われて、思わず目を瞬かせる。
「魔術……私にも使えるものでしょうか」
尋ねると、青年は楽しそうに笑った。
「使えるようになる。私がそうさせるのだ」
そう言って、青年は私を謎の神殿に連れていった。壁と床が光を反射させる銀色の金属で出来ており、壁は高いが屋根は無い。奥には巨大なクリスタルがあり、その周囲には他のエルフ達が立っている。
男のエルフが二人と女のエルフが一人だが、皆が揃って美しい。きちんとそれぞれに個性のある顔立ちなのだが、美を損なう個性ではない。
やはりエルフは美形揃いなんだな。
そう思いながら頭を下げると、三人は青年に顔を向けた。
「ウェルシア様……この場に人間は……」
その中の一人、女のエルフがそう口にして青年を見る。青年、ウェルシアは首を傾けて口を開いた。
「何故だ? そのような規則は無い」
疑問を呈すると、クリスタルの横に立つ背の高いエルフが訴えるようにウェルシアに対して口を開く。
「しかし、この数百年、この場に人間は入ったこともありません」
「それは必要が無かったからだ。そもそもエルフの国に人間は殆ど入れないだろう」
即答で否定され男は押し黙る。続けてもう一人の男が止めようとするが、それも意に介さなかった。
ウェルシアが引かないと分かったら、三人はこちらに目を向けた。
「人間よ。ここはハイエルフとエルフの神聖な地。最も外部を近付けさせてはならぬ場所。申し訳ないが、引き返してもら……」
「ちょっと退け」
女の言葉を遮り、ウェルシアはズンズンと歩を進める。それに気負ったのか、女はこちらを睨みながら一歩退いた。
「こっちだ。これに触ってみろ」
そう言われ、私は三人に頭を下げながら前に出て、クリスタルに手のひらを押し当ててみる。
もうちょっと言い方とか考えてくれたらこんなに険悪にならずに済んだのに。
そんなことを考えていると、クリスタルの中にふわりと赤い煙のようなものが浮かび上がった。
クリスタルの中でもやもやと赤い煙が漂うのを見て、思わず声が出る。不思議な光景だ。
と、三人のエルフ達がそれを見て吹き出すように笑った。
「人間は魔術適性が高くないとは聞くが、これは低過ぎる」
「本来なら流石に火の粉くらいは上がるものだ」
「ウェルシア様も人が悪いですな」
女があざ笑うように言うと、他の二人も続いた。女は先程までの不機嫌さが嘘のように笑顔になると、私に退がるように手振りをし、代わりにクリスタルに手を押し当てた。
すると、クリスタルの中に大きな炎の球が生まれ、轟々と燃え盛り始める。
「おぉ、凄い。手品みたいですね」
思わず、そんな言葉が口から出た。すると女は癇に障ったのか、鋭く睨んでくる。
「仕掛けなぞ無い。これが私の魔力量だ。ちなみに、私が得意とするのは風だがな」
そう言うと、女は含みのある笑みを浮かべて一歩下がる。クリスタルの中の炎もあっという間に消えた。
興味深くクリスタルを眺めていると、ウェルシアが不思議そうにこちらを見て口を開く。
「……魔術を知らない口ぶりだったが、魔力の放出方法は知っていたのか?」
「放出方法?」
首を傾げると、三人のエルフが馬鹿にしたように笑いだす。
「そんなことも知らないのか?」
「どこの田舎者だ」
「魔術の基礎など、今や田舎の村でも教えているだろう?」
そんな言葉が投げ掛ける中、ウェルシアは気にもせずに手のひらを上に向けた。
「心臓から血を送るように、熱を伝達するように、水が染み込んでいくように、手の先に向かって念じろ。力はいらん。想像し、念じて、体の中心が温かく感じられれば成功だ。その温かさを、手の先に向かうように意識しろ」
言われたことを実際にやってみる。
意識すると、心臓の鼓動がだんだんとハッキリ聞こえてくるようになる。
温かさはほんのりとだが感じ始めた。
「手の先まで温かくなったら、これに手を当てて炎をイメージする。出来るだけ大きな炎が良い」
そう口にすると、ウェルシアが先にクリスタルに触れた。直後、クリスタルの中で青白い炎が燃え上がる。
轟々と燃え盛る青白い炎は、瞬く間にクリスタルの中を全て満たした。
「お、おぉ……!」
「なんと、見事な……!」
エルフ達が驚愕し、クリスタルの中の炎を見ている。女は何処か悔しそうに眉根を寄せた。
それを横目に、私は自分の手のひらが熱くなってきた感覚に一人頷く。
すると、ウェルシアは一歩離れ、クリスタルを指し示した。
「やってみろ」
そう言われたので手を伸ばすと、他のエルフ達が口の端を上げる。
手のひらがクリスタルに触れると、クリスタルの表面が冷たくて気持ちが良いな、などという思いが頭に浮かぶ。
あ、炎をイメージしないと。
思い出して、私は炎をイメージする。大きければ良いのならば、太陽とかで良いか。地球より遥かに大きな火の玉だ。まぁ、核融合の火だが、問題は無いだろう。
そんなことを思っていると、目の前のクリスタルが白い光に包まれた。
「……っ! 離せ! 離れろ!」
怒鳴り声が聞こえて後ろに下がろうとしたが、遅かった。
激しく発光するクリスタルの外にまで白い炎が溢れ、最後には空に向かって火柱が上がる。
いや、火柱というより、巨大な光線と言った方が良いかもしれない。目を焼くような眩い光の柱が立ち上り、辺りを白く塗りつぶした。
すでに、クリスタルから手を離して距離を取っている。だが、なかなか収まる気配は無い。
数秒してようやく暗くなってきた。目を細く開けて、周りを確認する。
三人のエルフは信じられないものを見るようにクリスタルを見ており、ウェルシアは面白いものを見るような目で私を見ていた。
「……ば、馬鹿な! な、何か仕掛けがあるに違いない!」
「え? 仕掛けがあるんですか?」
エルフの言葉にウェルシアを見ると、笑いながら否定された。
「そんなものは無い。まさしく、君の力だ。私などよりも遥かに上のな」
ウェルシアの言葉に、女が振り返る。
「そんな馬鹿な! ウェルシア様は現在、最も強い魔力を持つ方です! それを上回るなんて!」
感情的に女が叫ぶが、ウェルシアは笑ったままクリスタルを指差した。
「だが、目の前で起きたことが事実だ。私が得意なのは水だが、それでもクリスタルの周りに白い靄を出す程度。あのように溢れ出す魔力などまず有り得ない」
そう告げると、皆が押し黙った。それを見た後でこちらに顔を向けると、ウェルシアが話を続ける。
「ハイエルフは唯一原種が残っていると言ったが、あれは正確では無い。何故なら、最初に子を成した段階で、神から頂いた身体では無い身体になっていっているからだ。つまり、ハイエルフ同士で純粋な血脈が残っているとしても、それは神の造った身体とは大きく違うものとなる」
よく分からないが曖昧に頷いておくと、ウェルシアは空を見上げた。壁に切り取られた長方形の空が見える。
「最初のハイエルフは、このクリスタルから炎や水、風が溢れ出たらしい。だから、この神殿には屋根が無い。中の者が誤って死んでしまわぬように」
ウェルシアはそう言うと、改めてこちらを見た。
「君はどうやら、神が新たに創り出した存在らしい。ならば、君の話した信じられないような話も納得だ。恐らく、神の造った器に耐えられる魂が選別され、君に行き着いたのだろう」
「神に? でも、なんで違う世界から……」
「さて。神の意志など分からぬことばかりだ」
と、二人で考え込むように唸る。そこへ、話を聞いていたエルフ達が口を挟む。
「ちょ、ちょっと待ってください。それでは、この人間がウェルシア様のような原初の存在である、と?」
「いや、より最初の存在であるかと言うならば、私なぞ比べ物にならん。なにせ、本当に原初の存在なのだからな」
ウェルシアがそう答えると、三人は愕然とした顔でこちらを見た。そして、女のエルフが悔しそうに歯嚙みをし、口を開く。
「……申し訳ありません。ウェルシア様。私はやはり納得が出来ません。この目でその力を確かめなければ」
そう告げてこちらに向き直る女に、ウェルシアは呆れたように腕を組み、浅く息を吐く。
「非合理的だ。まだ魔術を使えない状態で戦ってもお前が勝つのは当たり前だ。だが、もし彼が、ハルマが魔術を覚えたなら、私ですら勝てないかもしれん。他の者は言わずもがな、だ」
ウェルシアはそう言って両手を軽く広げた。そういえば、初めて名を呼ばれた気がする。
と、そんなことを考えていると、女は言葉も出せずに手を震わせ、俯いた。いつ襲い掛かってくるのか。そんな気持ちで不安になっていると、女が顔を上げる。
「……帰ります」
だが、ウェルシアの言葉が効いたのか、女はそれだけ言い残して出て行ってしまった。それを見送り、ウェルシアは二人のエルフを振り返る。
「……お前達は残るのか?」
そう聞くと、二人は顎を引いて頷いた。
「どうであれ、我々の使命はこのクリスタルの保護と魔術の補助。使命を投げ出すようなことはいたしません」
「そうか。ならば、ハルマに魔術の手ほどきをするから手伝ってもらおう。まずは適性の高い火の魔術から」
ウェルシアの言葉を合図に、魔術の修行は始まったのだった。
