「瑠衣!!」

 聞き慣れた声が僕の名前を叫んだかと思ったら、ニジくんが僕を抱き寄せていた。
 あ、ニジくんにハグされている……そう、気付いた瞬間、僕は目の前が滲んで揺らぎ始める。それは熱い雫になって滴り、頬もニジくんの制服のシャツも濡らしていく。

「瑠衣、大丈夫か? ケガは? ヘンな事されてない?」

 ニジくんが僕の顔を覗き込み、真っ青な顔でそう訊ねてくるけれど、僕は首を小さな子どものように横に振るだけしかできない。ただただ怖かったのと、それが一瞬にして、本当にナイトのように現れたニジくんによって救い出されたのが嬉しくて、言葉が出てこなかったのだ。
 4歳のあの事を思い出させるような出来事に、体が凍り付いて動けなかったし、助けも呼べなかった。あのまま、あの二人組にヘンな事されてしまうのかと思って、いっそ死んでしまうのかとも思っていたのに……ニジくんが、助けに来てくれた。

(ニジくんは、本当に僕のナイトなんだ……)

 そのナイトに抱きしめられて、僕は心からホッとしているし、嬉しくて仕方ない。それは、会えなかった間すかすかそわそわしていた気持ちの正体だ。

(僕、ニジくんと一緒にいないと、もうダメなんだ……だって、好きになっちゃっているから……)

 好きだから、自由になれた気がしたのになんか物足りなくて、すかすかしていて、落ち着かなかったんだ。自分からいらないって言ったくせに……なんて矛盾したやつなんだろう、僕は。

「瑠衣? やっぱ何かされた?」
「う、ううん……大丈夫。ありがとう……よく、ここがわかったね」

 ニジくんにはもう何日も会っていなかったのに、どうしてピンポイントで僕に場所を突き止められたんだろう。
 それだけが不思議で首を傾げていると、ニジくんは少しバツが悪そうに苦笑し、ポケットからスマホを取り出して見せる。そこには学校内の地図があって、赤い丸と緑の三角が表示されている。

「ごめん、位置情報アプリ使った」
「え?! それ、僕のスマホにも入ってるの?! いつの間に?!」
「この前起こしに行った時、瑠衣が寝てる隙に、勝手に入れた。俺がいない時になんかあったらとか、この前ああ言われて、もしもう顔を合わせてもらえなくても、どうしても瑠衣がどこにいて、無事なのかだけは把握しておきたくて……」

 ごめん、と言いながらニジくんはうな垂れ、クールビューティーも形無しなくらいにしょ気ている。その様子がちょっとおかしくて笑いそうになる。
 悪いなと思いつつも、どうしても僕のことが気になっていて、ちょっと色々ギリギリな感じな手を使ってでもボクを守ろうとしていた、ニジくんの気持ちが、僕は痛いほど嬉しかった。
 だって僕は、ニジくんが好きだってやっと気付いたから。

「そんなに、僕のこと心配だったの?」
「瑠衣が嫌がってるのに、ってわかってても、でも、俺はやっぱり瑠衣にとってのナイトでいたいから……だから……ごめん、卑怯なことした」
「ニジくん、なんで、そうまでして僕のナイトでいてくれようとするの?」

 ゆるくハグをされたままの格好でそう訊ねると、ニジくんは真っ赤に耳まで染め上げながら少し俯き、それから僕の目を真っすぐに見て答えた。

「なんで瑠衣が俺のことをニジくん、って呼び始めたのか、憶えてる?」
「え? 虹太朗、だからじゃないの?」
「瑠衣が、俺が嫌いな糸目になる目のこと、綺麗だって言ってくれたの、憶えてる? 虹みたいだねって言ってくれたからだよ」

 ニジくんの目は、笑うと虹のように丸くなる。それがきれいだと、小さな頃の僕は言ったらしい。僕のあの事があるまではよく笑っていたのに、あれ以来ほとんど笑わなくなっていたから忘れていたけれど、確かにニジくんの虹は目許の虹だったんだ。
 随分と久々に見た虹は、やわらかく弧を描き、そして、「それと、約束だから」と言った。

「約束?」
「瑠衣のばぁばとの、約束」
「ばぁばとの?」
「瑠衣が4歳の時あんな目に遭って、何もかもが怖くなってた時、瑠衣のばぁばから言われたんだ。“ニジくんが、瑠衣のナイトになってあげて”って。瑠衣は、助け出された時に真っ先に俺のこと呼ぶくらい、頼みにしてるから、って」
「ばぁばが、そう言ったの?」
「うん。だから俺、どんなことをしてでも、瑠衣を守ろう、味方でいようって思ったんだ。たとえ、嫌われても」

 嫌い、と言う言葉に、僕の胸がずきりと痛む。ニジくんとばぁばの想いも知らないで、ただ強がって吐いた言葉が、いまになって胸に刺さる。
 ごめん、ニジくん。そんなつもり全然なかったんだ。素直に、僕にとってニジくんが欠かせないって認められなかっただけなんだ。

「違う、嫌いなんかじゃない!!」
「瑠衣?」
「嫌いなんかじゃない……僕は、ニジくんが好き。ごめんね。あんなひどいこと言っちゃったのに、僕、ニジくんがいないとダメなくらい、ニジくんが好きみたい。だって、ニジくんは誰よりも味方でいてくれるから」
「瑠衣……」

 ニジくんのきれいな顔が歪んで、涙が溢れていく。クールビューティーなんて嘘みたいに、ニジくんの気持ちが溢れて滴っていく。それが全部僕のために流れているんだと思うと、すごく嬉しくて、胸がいっぱいになる。
 だからその想いを伝えるために、僕からニジくんを抱きしめ、そのまま少し背伸びをしてキスをした。初めてでどうやっていいかわからなかったけれど、触れた唇はあたたかだった。

「ニジくん、好き。これからも、僕だけのナイトでいてくれる?」

 ただ気持ちを伝えているだけなのに、僕の目からも涙がまた溢れてきて止まらない。ニジくんがそっとそれを拭いながら微笑み、うなずいて答えた。

「もちろん、喜んで。俺だけのかわいい天使」

 差し出された言葉ごと受け止めるように、僕はニジくんと抱き合い、そしてそのまま口付けた。校舎裏、メイド服のままで足許にはヘンな二人組が転がったままだったけれど、僕はすごくしあわせな気持ちでいっぱいだった。それに何よりも安心できる味方の腕の中にいられることが嬉しくて仕方ない。

「さて、職員室に連絡して、それから教室まで送り届けるよ、瑠衣」
「うん、ありがとう」

 微笑んで見つめ合いながら言葉を交わし、僕らは手を繋いで職員室のある校舎へと歩いて行った。
 校内は相変わらず後夜祭に向けて賑やかで、グランドの方からは大きな音で音楽が流れ始めていた。