「いらっしゃいませー! 2のBはメイド執事喫茶でーす」

 クラスみんなのメイクを担当メンツのお陰で、男女関係なくメイドにも執事にもなれた僕のクラスは、文化祭がオープンしてからかなり盛況だ。
 異性装カフェ自体はそんなに珍しくはないと思うのだけれど、やっぱりメイクも衣装も気合が違うし、調理担当メンツの力作であるスイーツも評判なのだ。
 そして加えて、看板メイドに位置づけられた僕の呼び込みで、店内である教室内はずっと満席になっている。

「すげぇ、B組めっちゃ気合入ってる」
「メイドさんみんな男子ってマジ? もしかして君も?」

 入店した人の8割くらいに聞かれる質問に、僕は100%営業スマイルでうなずき、「もちろん、僕もでーす」なんて言うと、お客さんはものすごく盛り上がってくれる。「写真撮ろう!」とか、「シフトいつ空いてるの?」とか、ナンパまがいなこと言われたりもするけれど、どれもやんわりスルー。
 べつに、ニジくんに何か言われるかもと言うのではなく、単純に数が多すぎていちいち相手にしていられないからだ。

「いらっしゃいませー! こちらどうぞー!」
「はぁい、LOVE注ぎまーす!」

 その代わりに、僕が子リスのようにちょろちょろと良く動き回り、コーヒーとかドリンクに「LOVE注ぎまーす」って感じに手をハートにして注ぐ。そういうファンサ的なことはしているので、それで許してもらおうとみんなで決めていた。
 たいていのお客さんはそれで引き下がってくれるし、「そっかぁ、残念だなぁ」っていうくらいなんだけど……たまに、そうもいかないパターンもある。

「いーじゃん、5分でいいからさ、俺らと回ろうよ」
「いえ、でもシフトあるんで……」
「1カ所だけ! 1カ所だけでいいからさ!」

 もうかれこれ30分ぐらい、外部からのお客さんだと思われるお兄さんたちに捕まっている。オーダーだってコーヒー一杯ずつなのに、「LOVE注いで~」って5回くらいしつこい。他のメイドのクラスメイトに代わってもらおうとしても、「いや、この子が良いんだよ」とか言って、放す気もない。
 スカジャンに伊達メガネの男と、オーバーサイズのスウェットの男が、ニヤニヤと僕を舐めるように見てくる。二人ともニジくんとは違った、ねっとりして気持ち悪い視線を向けてくる。
 田島とかが、「大丈夫?」と、視線を寄越してくれるけれど、それ以上にどうして欲しいとは言いづらく、首を横に振るしかできない。

「ねえねえ、じゃあさ、せめて何ちゃんか教えてよ」
「何ならLINEのアカウントでもいいし!」

 最初こそ愛想よくしていたけれど、悪ノリが過ぎて流石にちょっと限界だ。このままじゃクラスのみんなにも迷惑が掛かってしまう。
 どう対処したものか……と、イライラしながら考えていたら、ベタッと片方のお兄さんの手が僕の手を不意に握りしめて来たのだ。
 その馴れ馴れしさと、何より手触りの気持ち悪さに、「うわっ、キモ……!」と、思わず呟いて振り払ってしまったほどだ。
 その瞬間、へらへらそれまで笑っていたお兄さんたちの顔がサッと冷めていく。軽く睨み上げられ、僕はたじろぎそうになりながらもグッと堪えて睨み返す。

「なんだよ、その眼。客に対する態度かよ」
「そ、そういうのは、セクハラなんで……出て行ってもらえますか」
「ちょっと触っただけじゃんかよ。何マジになってんの?」

 つまんねえ、冷めた、と言いながら、二人連れは席を立ち、不機嫌に教室を出て行った。その間教室内は凍り付いたように静かで、みんなじっと息を潜めていた。
 二人の足音が遠ざかって行って、段々と周りに賑やかさが戻り始め、僕は大きく息を吐きながらしゃがみ込む。

「根本、大丈夫か?」
「あ、田島……うん、何とか……」
「すげーな、根本って見た目によらず、結構やるんだな」

 心配そうに駆け付けてくれた田島の掛けてきた言葉にムッとしていると、田島は苦笑しながら、「だってさぁ、」と言い訳をし始める。

「だって、根本っていつも、あの生徒会長と一緒でさ、あの人いないとダメなんだろうなーって俺、思ってたから」
「そんな人を赤ちゃんみたいに何もできないみたいに言わないでよ」
「うん、だからさ、さっきの根本、カッコ良かった」

 カッコ良かった。言われ慣れていない言葉に頬が熱くなっていく。かわいいとか天使とか、そんな言葉しか言われてこなかった僕にとって、初めてかけられた言葉。そぐわないかもしれないけれど、それでも誇らしくなるくらいに嬉しい。

(一人で出来て嬉しいのに……なんか、やっぱり欠けた感じがする。心がすかすかして、頼りない……)

 もう、4歳の時みたいに、ニジくんにナイトになってもらわなくても大丈夫なはずなのに、いま来ているスカートのレースより頼りない気持ちがする。僕だって、成長しているって思えているはずなのに。
 見晴らしのいい右隣りは、今日も空いたまま。それでも僕は平気なふりをして笑顔を作った。


 午後の3時になって、文化祭のイベント時間が終了を迎えた。
 僕のクラスのメイド執事喫茶は大盛況すぎて、予定時刻より一時間早く全ての商品が売り切れになってしまったほどだ。
 お客さんが帰り始め、あとは後夜祭に向けて片付けを始める。

「結構ゴミ出たねー。校舎裏にもって行けばいいんだっけ?」
「うん。第一校舎の裏だったと思う。僕、持っていくよ」

 そう言って引き受け、僕は大きな袋2つに分けられたゴミを両手に提げて教室を出た。片付けでバタバタしていてメイド服のままだったけれど、ゴミ捨てに行くだけだから構わないだろう。
 文化祭で出たゴミを集めるのは、僕のクラスのある第二校舎から渡り廊下を渡って、更に裏側に回った集積所だったと思う。

「本当なら教室前の廊下を通った方が早いんだけど……そこだと、ニジくんのクラスの前通っちゃうんだよね……」

 あの日以来、ニジくんとは口を聞いていないどころか、会ってもいない。あんなにずっと僕の傍について回ってナイトだなんだと言っていたくせに、まったく姿を目にしなくなっていた。

「こんなにあっさり離れるなんてさ。なーにが、“俺は瑠衣のナイトだ。絶対の味方だ”だよ……あんなにべたべたしてたくせに……」

 ――だけど絶対の味方だ、って言いきれるほど安心できる存在って、世の中にどれくらいいるものなんだろう。当たり前に傍にいて、痴漢とか、陰口とか、そういうのから全部僕を守ってくれる、心を許せる存在って、きっともっと少ない。
 4歳のあの誘拐事件があって、僕は確かに周りに大切にされてきたし、みんな、僕をかわいそうな子って言っていたけど……でも、本当に心配してくれて、守ろうとしてくれたのは……両親や祖母、そして、家族以外ではニジくんだけだった。
 ニジくんは僕を守るとは言いつつも、かわいそうな子、みたいには言わなかったし、そういう風に接したりしなかった。べたべたはするけど、腫れ物扱いしなかったし、何より、怖がっても馬鹿にはしなかったんだ。「だいじょうぶ、俺はここにいるよ」そう言って、ただ隣にいてくれたんだ。

「そんなにあっさり離れないでよ……寂しいじゃん……ニジくん……」

 味方だとわかる存在が感じられないって、なんて寂しくて心許ないんだろう。もう平気だと思っていたのに……全然寂しくて、ダメだ。
 寂しさを感じた途端に、目の前が滲みそうになる。スカートのレースよりも頼りない気持ちが、風に揺れる。いまもしニジくんがいたら、きっと頭を撫でてくれるのに。
 そういうの、ウザいって思っていたはずなのに、そうされたくて仕方ない。もう怒ってないから、また傍にいて欲しい。なんで、そんなことを……?
 ――そんなの、答えは一つに決まっている。経験の少ない僕にだって、わかる。

「……そっか、僕……ニジくんのこと、好きなんだ」

 ようやく気付いた気持ちを胸に、溜め息をつきながらゴミを集積場に投げ入れる。
 とぼとぼと教室へと向かいつつ校舎の角を曲がろうとしたその時、何かから突然肩と腕を捕まれて引き寄せられた。
 え? 何? と思うと同時に、僕の体がぎゅっと緊張で強張っていく。4歳の時のあの時にも感じた、突然の衝撃にも似たそれが、僕の記憶の中の恐怖心を揺さぶる。
 怖い……! と思った時には、僕は口元を抑えられて誰かに羽交い締めにされていた。

「また会ったねぇ、メイドちゃーん」
「一人でゴミ捨てごくろうさーん。えらいねぇ」

 どこか聞き覚えのある声……と思いながら視線を巡らせると、あの、スカジャンとスウェットの二人組が、僕を捕まえていたのだ。
 何でこんな所に?! と、訊ねるより先に、スカジャン男が僕をニヤニヤ見ながらスカートの上から触ってくる。その手つきが本当に気持ち悪くて吐きそうだ。
 二人組は、目配せし合いながら僕を容赦なく羽交い締めして顔を近づけ、低い声で呟く。

「俺ら男もイケるクチなんだよねぇ……」
「ちょっとかわいいからって言っても男だからな。容赦しなくていいよな」

 かわいい子にはお仕置きだよな、なんて言い合いながら、二人は僕のスカートをめくりあげようと手をかけたり、ブラウスの隙間から手を入れたりしようとする。
 気持ち悪い、気持ち悪い、怖い、いやだ、助けて――

「……ニジくん!!」

 大きな手で塞がれ宅地で呟いた声はくぐもっていて、どこにも届くわけがない。わかっているのにそれでも呼んでしまうのは、僕にとって、彼は――
 あの時の恐怖と、いま襲い掛かってくる恐怖で動けなくなっていた僕は、瞬きもできないで震えていた。その視界いっぱいに映し出されるスカジャン男の動きが、あと数センチ、と言う所で止まり、そして崩れていった。
 僕を羽交い絞めしているスウェット男も、驚いたような変な声をあげたと思ったら、次の瞬間、ずるりと崩れて僕を手放していた。二人とも、僕の足許に転がって気絶している。
 何が、起こったんだろう……と、呆然としていると、目の前に、いままで見たこともなく髪の乱れたニジくんが、肩で息をして立っていたのだ。