みんなの前で突き放すようなことを言ったからか、その日以来、ニジくんは僕の前に現れなくなった。一応は。

「瑠衣、今朝もニジくん来てないみたいだけど、何かあったの?」
「べつに。ニジくんももう高三だもの。僕に構ってる暇なんてないんじゃない?」
「まあ、確かにそうねぇ。いままでよくお世話になってきたものねぇ」

 何かお礼した方が良いかしらね、なんて両親は言い始めたけれど、僕は聞こえていないふりをして家を出た。何か話を振られて、まさか大嫌いとかストーカーだとか言ってしまったなんて言えないからだ。

「……ニジくん」
「瑠衣、おはよう」
「……おはよう」

 ニジくんは僕の家には来なくなった。でも毎朝、僕が家を出るのを見計らうようにしてすぐそこの角で待っているようになった。それこそ、電柱の陰に潜むようにしてこっちを見ている。
 じとっとこちらを窺ってくる視線が気になるから、つい足を停めてしまうけれど、挨拶だけはして、それ以上は何も言わない。スッとニジくんの前を通り過ぎ、一人でさっさと駅に向かう。
 ニジくんが、何か言いたげに僕を見ているのも、そっと数メートル後ろをひたひたついて来ているのもまるわかりだけれど、全部無視だ。振り返ってしまったら、きっとまたべったりねっとりついてくるんだろうから。

(ちょっと言いすぎちゃったかも……とは思うけど……でも、ウザかったのは本当だし……)

 何より、いつまでも4歳の時のあの事を気にして僕の傍にい続けるニジくんが、あまりに過保護が過ぎるのも、僕はいい気分ではなかったのだ。僕のナイトだから、とか言いつつも、僕のことを監視するような、行動を制限するようなことをしてくるのが、もういい加減我慢ならなかったのも大きい。

「それなのに、僕のことかわいいとか、天使とか……ばぁばみたいなこと言わないで欲しいんだよな……彼氏でもないくせに……」

 そう呟いた僕の脳内に、ふと、「じゃあ、ニジくんが彼氏になったら、文句はないの?」と囁く声がして、僕は学校に向かっていた足を停める。
 ニジくんが、彼氏なら――それって、僕が好きになるのが男の人含めるってことだよね? もしくは、男の人だけがいい、って言うのか。
 そんな風に、ニジくんのことを考えたことも見たこともない。ニジくんは黙っていればクールビューティーで、生徒会長で、頭も良い。背だって高くて、何気にスポーツもできる。だから、何気にすごくモテていたりするのを、僕は知っている。彼氏だろうと彼女だろうと、きっとうんとたくさん好きになっている人はいるだろう。何も僕がニジくんの隣にいなきゃいけないわけじゃない。
 そう、わかっているのに、なんだかそう考えていてもスッキリしない。ニジくんが残念イケメンのままだからだろうか?

「そうだよ。モテるのに、瑠衣のナイトだ、とか言っちゃうから……残念なんだよ……」

 クールビューティーなのに残念イケメンなニジくん。でもそんな彼が僕のナイトだったのはこの前までの話。いまはもう関係ない。同じ学校に通うだけの、幼馴染だ。
 そのはずなのに、そうなるように僕が望んでいたはずなのに、なんで気持ちがそわそわするんだろう。電車に乗っていても落ち着かないし、つい、右隣を見てしまう。そこにはいつもニジくんが僕をあらゆるものから庇うように立っていたから。

「……違う。ただ慣れないだけだよ。一人で歩くことぐらい、どうってことない」

 ニジくんがいなくても僕はもう平気なんだ。だから、ああ言ってしまったことを悔やんではいない。言い過ぎたかも、とは少しだけ思ってはいるけれど。

(……でも、あれくらい強烈に言わないと、ニジくんには響かなかったかもしれないし……)

 そんなことを考えていたらいつの間にか学校についていて、教室へと向かう。いままでならごく当たり前にニジくんが一緒に来ていたけれど、もちろんいない。それを確認し、僕はひとり教室に入った。


「あ」
「……あ」

 3時間目が終わり、次の授業の化学室への移動途中、ばったりとニジくんに遇った。どうやらニジくんは体育だったらしく、指定の体操服にジャージのハーフパンツ姿。
 いつもならここで、「あとで教室行くから」とか、「次は化学だろ? 気を付けて」とか、何か一言言って、そしてポン、と頭を撫でてくる。昔からずっと、校内で会えばそうしてくる。
 でも今日は、なんだか居た堪れなくて僕の方から目を反らした。「行こう」と、隣にいた田島を促し、早足で去って行く。
 速く角を曲がって、化学室へ行こう。そう思っているだけなのに、なんだか背中や横顔に刺さるような視線を感じる。ねっとりとしていて、絡まるような、熱いを通り越してひやりともする視線。

「……なんだよ、何か言いたいならはっきり言えばいいのに……」

 もの言いたげな視線だけを寄越すなんて、本当にヘビみたい! そうされていると、僕は本当にヘビに睨まれて狙われる子リスにでもなったみたいだ。

「原先輩、お前のことすっげー見てたけど、ケンカでもした?」
「……し、知らない。気のせいじゃない?」

 田島から心配そうに言われるほどに、ニジくんは僕を見ていたけれど、丸呑みされる子リスにはなりたくなかったから、僕は懸命に背を向ける。

「そう言えば根本。本当にメイドやって大丈夫なわけ? あの、生徒会長がまたガン詰めに来たりしない?」

 衣装のことで詰められていたのは実はこの彼だったので、ニジくんの再襲来に怯えているのか、そんなことを確認してくる。あれだけガン詰めされたら、確かに怖いよね……と、同情し、僕はゆるゆると首を振って答える。

「大丈夫。そういうのはもうないから」
「そっかー。て言うかさ、根本って生徒会長と付き合ってたりするんじゃないの?」

 実際のところはどうなの? と、問うように目をむけられたけれど、僕は大きく首を振って否定する。ニジくんはナイトではあったかもしれないけれど、そこに恋愛感情なんてなかったはずだから。
 そう、僕が説明をしたのだけれど、納得した感じではない。寧ろ、なに言っているんだ? みたいな顔をしている。

「彼氏でもないのに、“俺はナイトだ”なんて言わないだろ。ナイトって、あれだろ? おとぎ話の、お姫様を守る~的な。そんなのもう彼氏じゃんか」
「守る、とは言ってたけど……べつに僕はお姫様じゃないし……」

 たとえ、あの誘拐されかけた件があったにしても、もういい加減時効だし、なにより、もう僕は17歳なのだから。いつまでも、4歳のちいさな子どもじゃない。

「そう言えば最近、原先輩弁当持って来ないけど、やっぱなんかあったのか?」
「だから、僕とニジくんはそういうのじゃないんだってば!」

 僕とニジくんのことでヘンな誤解をされていて、弁明するのに必死になる。それでも僕の言うことに半眼な感じだけれど、そういうやり取りが、僕には新鮮に感じられた。だって、こんな風に言葉の応酬みたいなこと、ほとんどしたことなかったから。
 その内に話題は文化祭のメイド執事喫茶の話になって、他愛ない話を授業が始まるまでしていた。ただそれだけが、僕にはすごく楽しい。

(誰かと気軽に話せるのってすごく楽しい! ……でも、なんで何か心許ないんだろう……)

 本当に自由になったはずなのに、僕はどこかすかすかする何かを感じながらも、目を反らしていた。