第2話 こいと旭《あさひ》

 自分がバケモノなのだと思い知らされ、部屋に鍵がかけられるようになって2年が過ぎた。
 窓から外を眺めること、絵を描くこと、本を読むこと、トキに話しかけることくらいしかすることのない私に不思議なお友達が出来たのです。

 それは私の6歳の誕生日の夕食のときのこと。
「お嬢様」
 トキが夕食の乗った台車を押して部屋に入ってきた。
 いつもより豪華で色とりどりのお皿がたくさん目の前に並べられるのを目をぱちくりさせて見守っていた。
「え、え!」
 極めつけは大きな丸いケーキが目の前に置かれてつい立ち上がってしまった。
「わぁ! すごい、なにかのおいわい!?」
「何を仰います。今日はお嬢様の6回目のお誕生日ではないですか」
「そうだったんだ」
「ご存じなかったんですか?」
「ずっとお部屋にいるからかも?」
 トキを困らせたかったわけじゃない。
 けれど、トキが言葉を失っているのを見ると結果的に困らせてしまったようだった。慌てて目の前に並べられたお肉料理を頬張った。


 ケーキの上に乗せられた苺を頬張った時だった。
 トキが真っ赤なリボンが巻かれていた箱を両手で丸太を運ぶように持ってきた。
「旦那様からお誕生日の贈り物です」
「お父様から?」
 わくわくしながら箱を受け取って、するするリボンを解いた。
 箱を開けると中には枕の大きさくらいのクマのぬいぐるみが入っていた。
 赤い毛で、赤い瞳のクマだった。
「クマだ……」
 そして、鏡の飾りがついた首飾りをしていた。
「鏡だ……」
 首飾りの鏡に自分の顔を映してみる。覗き込むように右目、そして左目も映した。
 深い深い鏡面の先に吸い込まれてしまいそうな気分になった時、トキの声で顔をあげた。
「その鏡の中には神様が眠っているそうですよ?」
「かみさま?」
「お嬢様を守って下さるそうです」
「この中に……かみさま……お話出来たりしないかな」
 ぬいぐるみをぎゅうっと抱きしめると程よい弾力で安心する。
 私の匂いに染まっていない真新しい匂いがした。
「この子、なんてなまえ?」
「それはお嬢様がお決めになってよろしいのではないですか?」
「……そお?」
 少し照れ臭い。他のぬいぐるみや人形よりも愛着がわくのはどうしてだろう。
 私と同じで赤いからかな。

「お、おとうさま。いつ来るかな。おおおれいいわないと……おれい、言いたいな」
「最近、お忙しいですからねぇ。今日も夜遅くに戻られるのではないでしょうか」
「そっかぁ」
 トキの言う通り、お父様は最近お仕事がとても忙しいらしく、会いに来てくれない。
 会えない代わりにとトキからお父様から預かったとお洋服、靴、絵本、ぬいぐるみ、地球儀となんでもない日でも贈り物をくれる。部屋の中にはお父様からもらったものが日に日に増えている。
 嬉しくないわけではないけれど、一緒に遊んでくれるだけで、絵本を読んでくれるだけで、一緒に眠ってくれるだけで、少しだけでも笑いかけてくれるだけで、どれか一つだけでもこいには充分なのにと贈り物を見るたびに思ってしまう。


 トキがおやすみなさいと部屋を出て行った後、ベッドの上にお父様からもらったクマのぬいぐるみを置いて向かい合うように座り、挨拶をした。
「は、はじめまして」
 当然返ってこないあいさつでも初めての自己紹介は緊張する。
 ベッドの上で何度か座り直したり、髪を整えたり、寝巻の裾を引っ張ったりする。
「とうじょう、こいです。いちごのケーキが好きです。にんじんはすこしだけ好きじゃないです。本当は走ったりも好き。でも外に出られないから部屋を走ったりベッドの上をとんだりしてるの。秘密ね! ……絵本読むのも好きだけど、本当は読んでほしいの。あとね……こいは嫌いじゃないけど」
 頬の横の髪の毛先を両手で掴んで鼻の下で繋いだ。
「こいの赤は、きっとみんな嫌いな色なの……お父様も嫌な顔する」
 髪で目を隠してぱたんとベッドに倒れながらぬいぐるみに話しかけ続けた。
「名前、何にしようかなあ。お花の名前にしたらかわいいかも。クマさんだけど、こいはウサギさん好きだからウサギさんにしようかな、クマさんなのにウサギさんなんて、ふふふ、へーんなの」
 んふんふと一人で笑っているとどこからか声がした。
「えー、それは困っちゃうよ」
 部屋をぐるりと見渡した。
 私しかいない部屋で首を傾げた。
「だれ?」
 一人だけの部屋で私以外の声がした。
 お父様もトキからも聞いたことのない軽快で優しい声だった。
「はじめまして」
 空中を探し続けて声が聞こえるたびに耳を傾け、声の出所を探していると目の前のぬいぐるみから声がした。驚いて飛び起き、ぬいぐるみを凝視した。
 ぬいぐるみの身体に耳を押し付けるとくすくす笑う声がした。
 声に驚いて飛び起きてぬいぐるみから距離を取ると勢い余って、ベッドから落ちてしまった。
「はじめまして、こい」
 恐る恐る、ベッドの縁から顔を出し様子を伺う。
「おいで、こい」
 そう言われてベッドにゆっくりあがって話しかけてみる。
「は、は、はじめまして。ウサギさん」
「ウサギじゃないよ、旭《あさひ》」
「あさひ?」
「そうそう」
 話したいことが多すぎてうずうずしてしまう。
「こいとあさひ、おともだちになる?」
「お友達かぁ」
「じゃあきょうだいになる?」
「兄妹かぁ」
「じゃあ、なんになる?」
「こいが決めていいよ? その代わり俺のお願いも聞いてほしいな」
「おねがい?」
「こいになにかあったら助けてあげるし、遊んであげる。本だって読んであげるし、一緒に寝てもあげるからさ。こいが大きくなったら俺を連れて行ってほしい場所があるんだ」
「きれいなところ?」
「どうかなぁ、俺は好きだけど……こいは泳げる?」
「泳げない」
「じゃあ、泳げるようになっておいて?」
「わかった」
「ありがとう、こい」

 その日の夜から私の閉ざされた生活が一変した。
 一日中、旭と好きな時に好きなだけお話出来るのが楽しくて仕方がなかった。旭の絵をかいたり、本を読んでもらったり、おままごとをしたり、一緒にお茶をしたり、お昼寝をしたり、冗談を言われて笑ったり、喧嘩もした。
 旭は私の神様であり、友達であり、兄のようだった。