翌週、午前8時。の、ちょっと前。
いつもより30分も早く起きてしまい、どうせならと庭の手入れをすることにした。
まんべんなく水を降らしていく。フェンスの薔薇にも忘れず。
ひととおり終えたら、ちょっと息抜き。冷蔵庫から持ってきた最後の紙パックで栄養補給。パッケージにはご丁寧に「AB」と書かれてある。


「甘くておいし」


人間の血は、血液型によって味が異なる。
一押しのAB型は、とにかく甘い。
A型も甘いが酸っぱさもあり、B型はのどごしが良く、O型はほどよい渋味がある。
まあ、人間それぞれの健康状態によって、多少なりとも味が左右されてしまうけれども。

今回のは大当たり。いちごミルクのように甘くて、実にアタシ好みだ。
なのに、なぜだろう。あのときの、濃厚で渋くて、なんとも言えないふしぎな味が、喉の奥に浮かんでは離れなかった。


「あっ! お花!」

「きれーいっ!」

「きゃははっ!」


赤と黒のランドセルを背負った小学生の集団が、家の前を通った。
汚れを知らないピュアな笑い声が、休憩中のアタシに心地よく響く。


「朝から元気だね子どもたち」

「わあ! 吸血鬼様だ!」

「きゅうけつきさまー!」

「おはようございまーす!」

「うん、おはよう」


産まれる前からここに住んでいるアタシたち一族は、子どもたちにとっては町長や校長と変わらない“えらいひと”に過ぎないのだろう。
吸血宅配サービスを利用するようになってから、いちだんと種族の壁はなくなっていったような気がする。
恐怖のかけらもない無邪気さが、なんだかとてもまぶしい。


「薔薇に触っちゃだめだよ。痛いからね」

「はーい!」

「だめだってー」

「きゅうけつきさまありがとお。いってきまあす」

「はい、いってらっしゃい」


小さな小さな子どもたちを見送り、休憩はおしまい。
庭を掃除しがてら、散ってしまった薔薇の花弁を集める。
運よく大きく、きれいな形に育ったけれど、仕方ない。夏に咲く薔薇は、元々散るのが早いのだ。
これじゃあ郵便屋さんには贈れないな。
いまだに生き残る、数少ない満開の薔薇を、そっと撫でた。


「……痛っ」


やば、やっちゃった。

人差し指の腹から、ぷくりと真っ赤な粒があふれてくる。
微弱な電流のような痛みが突き抜ける。
次第に深まる、かぐわしい鉄の匂い。
ぺろりと舌先ですくいとれば。


「まっず」


匂いとはかけ離れた味が、口の中に広がった。
おいしくない、というレベルじゃない。
まずい。
ふつうにまずい。
そんなことはわかっていながら、もったいない精神で、このまずい自分の血を体内に戻していった。

――吸血鬼の数が減少傾向にある。

それもそのはずだ。
吸血鬼の血は、例外なくまずくできているのだから。
おいしいほうに惹かれるのは当然だろう。
だから人間の血が濃くなり、純血は絶えていく。
自然の摂理だ。


「吸血鬼様、お届けに……」


ガタンッ、と物音がしたかと思えば、いつもの赤黒いダンボールが地面に落ちていた。
気づけばもう午前8時。
やってきた郵便屋さんに挨拶をしたが、返答はなく、呆然とこちらを見ていた。


「な……なん……」

「おにいさん……?」

「な、なんで……血が……」

「ああ、これですか。手入れしてたときにやらかしまして」

「……」

「注意してた側なのにだめですね」

「……」


相も変わらず帽子を目深にかぶっていて、顔が見えない。
それでも、アタシの赤らんだ人差し指に、意識が向いていることは伝わってくる。
こんなにも暑いのに、彼はかすかに震えていた。ぐっと下唇を嚙みしめたのがわかった。また棘が刺さったような痛みが、今度は左胸を襲ってくる。

アタシのこと、怖いんでしょう?
血の匂いは、お嫌いでしょう?

それなら、いいよ。
無理、しないで。
もう来なくてもいいのに。


「おにいさ――」


顔を上げた、そのときだった。
突然、グッ、と腕を引き寄せられた。
背中にフェンスがぶつかり、薔薇の葉が舞い散る。セーラー服越しに棘が当たる。

いったい何が。

なんで。

脳内処理が追いつかないまま、目の前を飛んでいく郵便屋さんの帽子を、視線で追いかけた。
はっ、はっ、と浅い息遣いが、鷲掴みにされた手にかかる。
人差し指を沿うように鈍い赤色が滴っていく。

ぽたり。

落ちたのは、彼の汗だった。

ざらりとした感触が、人差し指の表面をなぞる。
ついばむように吸い取られていく。


「……っ」


彼の舌先が、指の腹をくすぐる。
瞬間、垣間見えたのは、鋭利に光るふたつの牙。
めまいがした。
覚えのある、けれど、はじめての感覚。
心臓をもぎゅっと握りつぶされているようだった。


「おにいさ……っ、おにいさんも……」


彼の白く透けた薄い肌は、熱に浮かされ、上にいけばいくほど赤く火照っていた。
ずっと影にひそませていた、その瞳の色と同じように。

アタシは手をつかみ返し、腕を力強く引いた。
我に返り驚く彼をよそに、血管の浮かぶ手の甲に牙を突き立てた。
彼の身体がびくっとのけ反る。

あぁ、やっぱり、まずい味。


「吸血鬼、なんですね」

「ご、ごめ……」

「まずくないですか?」

「……いや、その……」


すっかり理性を取り戻し、逃げようとする彼を、アタシはけっして逃がさない。手をしっかりと拘束した。
指と指を絡めれば、ルビーみたいに赤い眼は丸くなり、だんだんと潤んでいった。


「も、元々……このサービスは、ボクの家が仲間のためにと思って始めた、事業で……」

「はい」

「そ、それで……たまたま、ここで……また会えて……」

「?」

「その……ずっと……お、おさえてて……」

「はあ」

「あ、味とかは……もう、どうでもいい、というか……えっと……えっと……」


正直、話は半分以上わからなかったけれど、わかった。
わかったよ。
だって、彼の手が、目が、表情が――血の味が、雄弁に語ってる。
アタシの心臓が、もう充分だって、言っている。

あぁ、おもしろい。
あぁ、かわいい。

最悪。熱が、感染した。










――ピンポーン。


テレビで月曜日の天気を見ていると、チャイムが鳴った。
8時にはまだ少し早い。
玄関を開けると、


「吸血鬼様、お届けに参りました」


純血の瞳が揺らめく郵便屋さんが待ちかまえていた。
しかし、例の荷物が見当たらない。


「吸血宅配サービス.comで……」

「何を?」

「……え……」

「何を届けに来てくれたんですか、吸血鬼様」


ふわりとかすめる薔薇の香り。
汗と混ざった、血に飢えた獣臭。
一見甘美な匂いは、まるで毒そのもの。

アタシは笑って、彼を家の中へ連れこんだ。




end