「あそっ。きちんと自分の言った事、覚えておきなよ」
言い終わると相手の女の子はすっと私の元を離れていく。その言い方に笑いを堪えるのがやっとだった。まるで負け犬の遠吠え。ほら、私の思っていた通り、小心者じゃない。この時はそう思った。
これで終わりになると思ったけれど、そうではなくこれが始まりだったのである。
次の日、学校に行くと下駄箱の中で私の上履きがびしょ濡れになって置かれていた。誰かが意図的に濡らしたのだろう。すぐに昨日の女の顔が思い浮かんだ。けれども何の証拠もなかったし、この程度だったら先生に報告する事も出来なかった。
仕方がなく、濡れたものを無視してそのまま履いて教室へと向かった。靴下に水が染み込んでくるのがとても不快だったけれど、それでもこれで履かなかったら、これをやってきた奴に負けると思ったのである。
それだけでは無かった。教室に入り自分の席に座ると誰かが思いっきり私の机にぶつかってきたのである。あからさまな悪意を感じた意図的なぶつかり方だった。
咄嗟に顔を確認するも昨日の女ではなかった。
事故?なの?それともワザと――。その迷いが私に真実を気付かせるのを遅らせた。
確認して回ろうにも今日はギリギリの登校になってしまった為、そんな時間は無く、すぐに朝礼の時間となり担任教師が教室の中へと入ってきた。いつもは遅いのにどうしてこんな時だけ早いのだろうか。すぐさま号令をかける。
「起立、気をつけ!!礼! 着席!」
いつものように声を出して、お辞儀をして座る。するとすぐさま後ろの奴に椅子の底を思いっきり蹴られる。慌てて振り向くと、後ろの席の奴は何事もなかったかのような表情をしていた。でも、今回ばかりは勘違いでは絶対に無い。
「ちょっと!何するのよ!」
「え?何のこと?」
この後に及んでも惚けてきた。周りの人間も不審そうに私の事を見ているのみである。
「今、蹴ったでしょ?貴女惚けないで!」
「そこ!うるさいぞ!」
先生の声が響いた。注意されてしまった。けれども、丁度良い。
「先生、こいつが私の事を――」
「わたし、知りませーん」
こいつ、まだ言うのか。
「あのね!」
「今うるさいのはお前だ、鳥井。とりあえず座って静かにしろ。そして昼休みにでも職員室に来い」
有無も言わせない雰囲気に私は反論する事が出来ずに、席へと座り直した。すると辺りからくすくすと笑い声が始まった。声の方向を見るとその瞬間に笑い声が止まる。それと同時に今度は別の場所から笑い声が始まった。
この瞬間に気が付いてしまう。敵はあのいけすかない女と後ろの席の奴だけではないという事を。他にも居る。もっと沢山。
私は知らなかった。見えていなかった。あの女と正面向かって戦うのなら負けない。でも相手は一人ではなく、集団だったである。
私はどうする事も出来なかったのである。
それから小さい嫌がらせは毎日続く事になる。朝に上履きが濡れていない日はなくなってしまったし、座っていれば机に思いっきりぶつかって来られて、歩けば肩を当てられた。トイレに入ればドアの上から水を思いっきり掛けられたし、時には教科書が必要な授業の時だけ紛失する事があった。その度に周囲から笑い声が起こった。
靴の中に画鋲を入れたり、机や黒板に悪口を思いっきり書かれるような堂々としたものならまだ良かったのに、何もかも証拠に残らないようなものばかりなのが、何処までも陰湿的であった。だから、無能な担任教師は私が攻撃されている事に気が付かなかった。
見えないように、見つからないように私を攻撃してくる。背筋が凍る思いだった。クラスの潜んでいる敵に怖くなった。誰にも頼れない。
そのうち小さい声で声がデカいだけのバカ女と噂しているのが聞こえてしまい、すぐさま私の事だと分かって嫌になった。
「あんた、アタシの言った事分かった?」
ある放課後、あのいけすかない女が座っている私に再度近づいてこう言ってきた。下から睨んでやったけれど、それでも怯んだ様子はなく、何処までも得意げな様子だった。
掴みかかっても良かったのだけれども、そうする事で周りから笑い声が聞こえてきそうな気がした。そうだ、相手はこいつだけじゃない。集団的なのだ。こいつ一人だけなら対した事はないけれど、集団になったらどうする事も出来ない。
私はろくに返答せずに教室から飛び出す事しか出来なった。後ろから笑い声が聞こえた気がした。
もう、自分自身の力ではどうする事も出来ない。学校に居る人達も頼れない。もう親に頼るしかなかった。
早々に走って家に帰ると、リビングに居た母親に事情を全て話した。ものすごく恥ずかしかった。恥ずかしい気持ちで全て赤裸々に話したというのに、母親の反応は私が期待したものと違っていたのである。
「あんた、授業中うるさいんだって?関係ない発言ばっかりしてるって。クラスの人達から苦情が来たって、担任教師から注意の電話来てたよ」
「違っ…!」
いや、違わない。あのクラスの暗い雰囲気が嫌で嫌で、変えたくって。それで私は良かれと思ってやってきたのだ。それなのに、そんな言い方されているなんて。
「あんたが、悪いんじゃないの?」
母親の冷たい眼差しに全身が冷えていくのが分かった。突き放された。
大人達は頼れない事が分かった。そうなると今の私には頼れるものが居ない。完全に孤立していた。背筋どころか、全身が凍り固まったのが分かった。心までも冷えさせるのには充分だった。
見えない攻撃は毎日続いた。
私の取り柄だと思っていた元気もだんだんと削がれていっていく感覚があった。表情が無くなっていき、暗くなっていく。
気がつくと号令の時以外、口を開かない日々が続いている事に気が付いた。何を言っても駄目なのが分かったから余計な事は言わなくなってしまったのである。
静かになって、無害になったというのに、余計な事はしなくなったのに、見えない攻撃が収まる事は無かった。むしろ、エスカレートしたようにも思えた。まるで、今まで勘違いしてうるさくした罪を償っているように。私にならいくら攻撃しても構わないというかのように。
今の私の何がいけないというの?何を変えたらいいの?誰にも迷惑かけてないじゃない?未だに嫌がらせが続いている事が信じられなかった。
その時になって中学の時の選択を悔やんだ。悔やんで悔やんでも悔やみきれない。どうしてあの時、もっと必死になって勉強しなかったのだろう。もう少し頑張って良い進学校に入学していたら虐められるような事もなかったのかもしれない。いや、進学校出なくても、もっと偏差値の低い高校にすれば――。いずれにしてもこの高校なんかに進学しなければ、こんな事にはならなかったに違いない。
もしも――。もしも――。もしも――。様々なあったかもしれない選択肢を思っては実際に選んだ道を思い出して苦しくなる。そう、もしもなんて無い。いくら考えてもその選択肢をもう選ぶことなんて出来ないのだから。
この攻撃がクラス替えを行う一年後まで続くのかと思うと嫌になった。いや、もしかしたらこの高校を卒業するまで続くのだろうか。そんなの耐えられない。三年間が永遠のように思えた。
もう無理だ。耐えられない。
死のう。ふと頭に死がよぎる。急に浮かんできた発想だけれどそれも悪くないと思った。今死ぬのと、頑張って生きて百年先に死ぬのと一体何の違いがあるというのだろうか。無い。地球規模で、宇宙規模で考えたらどちらも一瞬だ。
苦しく嫌だ。もう、死ぬ事しか私にとって救いがないと思った。
次、嫌がらせを受けたら死のう。そう決意した。そう決めると胸に引っかかっていたものがすっと取れるのが分かった。何も考える事を止めた。
それから、数日後。入学してからは二カ月くらいしか経過していなかった日。その日はやってきた。
最後の攻撃は些細な事だったのかもしれない。事故かもしれない。私が売店で飲み物を買おうと鞄から財布を取り出して立ち上がり教室を出て行こうとした時だ。誰かがすれ違い様に肩をぶつけてきたのである。単なる偶然かもしれない。けれど、確実にぶつかったのだ。
小さく笑い声が聞こえる。これは私の事ではなく、単なる雑談中に起こった笑いかもしれない。
でも、それでもうどうでも良くなったのである。私は心の奥底での決め事は必ず実行する。今回の事だって例外なんて無い。
スカートのポケットの中に定期券が入っている事を確認すると、そのまま教室を出て行った。下駄箱で靴を履き替えるとそのまま学校の校門を抜け、最寄りの駅まで真っ直ぐに、だけれども、ゆっくりと歩き始めた。
死のう。もう決めた。誰にも止められない。バイバイ。
最後ぐらい楽しい気持ちでいようと、私は鼻歌を始めたのであった。
言い終わると相手の女の子はすっと私の元を離れていく。その言い方に笑いを堪えるのがやっとだった。まるで負け犬の遠吠え。ほら、私の思っていた通り、小心者じゃない。この時はそう思った。
これで終わりになると思ったけれど、そうではなくこれが始まりだったのである。
次の日、学校に行くと下駄箱の中で私の上履きがびしょ濡れになって置かれていた。誰かが意図的に濡らしたのだろう。すぐに昨日の女の顔が思い浮かんだ。けれども何の証拠もなかったし、この程度だったら先生に報告する事も出来なかった。
仕方がなく、濡れたものを無視してそのまま履いて教室へと向かった。靴下に水が染み込んでくるのがとても不快だったけれど、それでもこれで履かなかったら、これをやってきた奴に負けると思ったのである。
それだけでは無かった。教室に入り自分の席に座ると誰かが思いっきり私の机にぶつかってきたのである。あからさまな悪意を感じた意図的なぶつかり方だった。
咄嗟に顔を確認するも昨日の女ではなかった。
事故?なの?それともワザと――。その迷いが私に真実を気付かせるのを遅らせた。
確認して回ろうにも今日はギリギリの登校になってしまった為、そんな時間は無く、すぐに朝礼の時間となり担任教師が教室の中へと入ってきた。いつもは遅いのにどうしてこんな時だけ早いのだろうか。すぐさま号令をかける。
「起立、気をつけ!!礼! 着席!」
いつものように声を出して、お辞儀をして座る。するとすぐさま後ろの奴に椅子の底を思いっきり蹴られる。慌てて振り向くと、後ろの席の奴は何事もなかったかのような表情をしていた。でも、今回ばかりは勘違いでは絶対に無い。
「ちょっと!何するのよ!」
「え?何のこと?」
この後に及んでも惚けてきた。周りの人間も不審そうに私の事を見ているのみである。
「今、蹴ったでしょ?貴女惚けないで!」
「そこ!うるさいぞ!」
先生の声が響いた。注意されてしまった。けれども、丁度良い。
「先生、こいつが私の事を――」
「わたし、知りませーん」
こいつ、まだ言うのか。
「あのね!」
「今うるさいのはお前だ、鳥井。とりあえず座って静かにしろ。そして昼休みにでも職員室に来い」
有無も言わせない雰囲気に私は反論する事が出来ずに、席へと座り直した。すると辺りからくすくすと笑い声が始まった。声の方向を見るとその瞬間に笑い声が止まる。それと同時に今度は別の場所から笑い声が始まった。
この瞬間に気が付いてしまう。敵はあのいけすかない女と後ろの席の奴だけではないという事を。他にも居る。もっと沢山。
私は知らなかった。見えていなかった。あの女と正面向かって戦うのなら負けない。でも相手は一人ではなく、集団だったである。
私はどうする事も出来なかったのである。
それから小さい嫌がらせは毎日続く事になる。朝に上履きが濡れていない日はなくなってしまったし、座っていれば机に思いっきりぶつかって来られて、歩けば肩を当てられた。トイレに入ればドアの上から水を思いっきり掛けられたし、時には教科書が必要な授業の時だけ紛失する事があった。その度に周囲から笑い声が起こった。
靴の中に画鋲を入れたり、机や黒板に悪口を思いっきり書かれるような堂々としたものならまだ良かったのに、何もかも証拠に残らないようなものばかりなのが、何処までも陰湿的であった。だから、無能な担任教師は私が攻撃されている事に気が付かなかった。
見えないように、見つからないように私を攻撃してくる。背筋が凍る思いだった。クラスの潜んでいる敵に怖くなった。誰にも頼れない。
そのうち小さい声で声がデカいだけのバカ女と噂しているのが聞こえてしまい、すぐさま私の事だと分かって嫌になった。
「あんた、アタシの言った事分かった?」
ある放課後、あのいけすかない女が座っている私に再度近づいてこう言ってきた。下から睨んでやったけれど、それでも怯んだ様子はなく、何処までも得意げな様子だった。
掴みかかっても良かったのだけれども、そうする事で周りから笑い声が聞こえてきそうな気がした。そうだ、相手はこいつだけじゃない。集団的なのだ。こいつ一人だけなら対した事はないけれど、集団になったらどうする事も出来ない。
私はろくに返答せずに教室から飛び出す事しか出来なった。後ろから笑い声が聞こえた気がした。
もう、自分自身の力ではどうする事も出来ない。学校に居る人達も頼れない。もう親に頼るしかなかった。
早々に走って家に帰ると、リビングに居た母親に事情を全て話した。ものすごく恥ずかしかった。恥ずかしい気持ちで全て赤裸々に話したというのに、母親の反応は私が期待したものと違っていたのである。
「あんた、授業中うるさいんだって?関係ない発言ばっかりしてるって。クラスの人達から苦情が来たって、担任教師から注意の電話来てたよ」
「違っ…!」
いや、違わない。あのクラスの暗い雰囲気が嫌で嫌で、変えたくって。それで私は良かれと思ってやってきたのだ。それなのに、そんな言い方されているなんて。
「あんたが、悪いんじゃないの?」
母親の冷たい眼差しに全身が冷えていくのが分かった。突き放された。
大人達は頼れない事が分かった。そうなると今の私には頼れるものが居ない。完全に孤立していた。背筋どころか、全身が凍り固まったのが分かった。心までも冷えさせるのには充分だった。
見えない攻撃は毎日続いた。
私の取り柄だと思っていた元気もだんだんと削がれていっていく感覚があった。表情が無くなっていき、暗くなっていく。
気がつくと号令の時以外、口を開かない日々が続いている事に気が付いた。何を言っても駄目なのが分かったから余計な事は言わなくなってしまったのである。
静かになって、無害になったというのに、余計な事はしなくなったのに、見えない攻撃が収まる事は無かった。むしろ、エスカレートしたようにも思えた。まるで、今まで勘違いしてうるさくした罪を償っているように。私にならいくら攻撃しても構わないというかのように。
今の私の何がいけないというの?何を変えたらいいの?誰にも迷惑かけてないじゃない?未だに嫌がらせが続いている事が信じられなかった。
その時になって中学の時の選択を悔やんだ。悔やんで悔やんでも悔やみきれない。どうしてあの時、もっと必死になって勉強しなかったのだろう。もう少し頑張って良い進学校に入学していたら虐められるような事もなかったのかもしれない。いや、進学校出なくても、もっと偏差値の低い高校にすれば――。いずれにしてもこの高校なんかに進学しなければ、こんな事にはならなかったに違いない。
もしも――。もしも――。もしも――。様々なあったかもしれない選択肢を思っては実際に選んだ道を思い出して苦しくなる。そう、もしもなんて無い。いくら考えてもその選択肢をもう選ぶことなんて出来ないのだから。
この攻撃がクラス替えを行う一年後まで続くのかと思うと嫌になった。いや、もしかしたらこの高校を卒業するまで続くのだろうか。そんなの耐えられない。三年間が永遠のように思えた。
もう無理だ。耐えられない。
死のう。ふと頭に死がよぎる。急に浮かんできた発想だけれどそれも悪くないと思った。今死ぬのと、頑張って生きて百年先に死ぬのと一体何の違いがあるというのだろうか。無い。地球規模で、宇宙規模で考えたらどちらも一瞬だ。
苦しく嫌だ。もう、死ぬ事しか私にとって救いがないと思った。
次、嫌がらせを受けたら死のう。そう決意した。そう決めると胸に引っかかっていたものがすっと取れるのが分かった。何も考える事を止めた。
それから、数日後。入学してからは二カ月くらいしか経過していなかった日。その日はやってきた。
最後の攻撃は些細な事だったのかもしれない。事故かもしれない。私が売店で飲み物を買おうと鞄から財布を取り出して立ち上がり教室を出て行こうとした時だ。誰かがすれ違い様に肩をぶつけてきたのである。単なる偶然かもしれない。けれど、確実にぶつかったのだ。
小さく笑い声が聞こえる。これは私の事ではなく、単なる雑談中に起こった笑いかもしれない。
でも、それでもうどうでも良くなったのである。私は心の奥底での決め事は必ず実行する。今回の事だって例外なんて無い。
スカートのポケットの中に定期券が入っている事を確認すると、そのまま教室を出て行った。下駄箱で靴を履き替えるとそのまま学校の校門を抜け、最寄りの駅まで真っ直ぐに、だけれども、ゆっくりと歩き始めた。
死のう。もう決めた。誰にも止められない。バイバイ。
最後ぐらい楽しい気持ちでいようと、私は鼻歌を始めたのであった。

