「いい子なままじゃいられないの。だって、わたしたちは⋯⋯」




 その答えを聞く前に、星宮は僕の前から姿を消してしまった。ただ彼女と一週間行動をともにした僕だけは、なんとなくその答えを知っている気がした。




「忘れてしまう前に、忘れられないほどの思い出にして」




 いつも無茶苦茶なおねがいを浴びせてきては、僕の様子を伺って唇の端をご機嫌そうにあげる彼女の顔を、僕は一生忘れられそうにない。




「じゃあね、あと一分で月にかえらなくちゃいけないんだ」





 出来るなら、行くなと引き留めたかった。塩素の匂いが充満するプールサイド。星宮は、最後までご機嫌そうに目を細めて微笑んでいた。ごめん。と言葉に出来なかった唇から代わりに漏れてしまったのは情けない嗚咽だった。





 狂犬と呼ばれた『僕』とかぐや姫になった『星宮かぐや』のいたプールサイドは今日もきつい塩素の匂いがする。





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 「⋯⋯ねむ」




 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く中、教室へ急ぐ生徒の波に逆らいながら廊下を歩いた。大きな欠伸をしながら校舎横にあるプール棟へと足を運ぶと、入り口に上履きと靴下を放ったままプールサイドに向かう。




 きつい塩素の匂いがするプールサイドに出ると、雲一つない空から真っすぐ降り注いでくる光の強さに思わず目を細めた。眠気を吹き飛ばしてしまいそうな眩しさにため息を吐く。
 





 さんさんと降り注ぐ日差しにこんがりと焼かれていく肌。あまりの暑さにカッターシャツの第二ボタンまであけて、ネクタイを緩めた。髪の毛を軽く揺らす程度に吹いた微かな風は、湿気と暑さを含んでいて、求めていた爽やかさとはかけ離れていた。吐いたばかりのため息さえ、ぬるく温められていく。





 耳をさす蝉の声はもう聞き飽きた。風に揺らされた水面が光を反射して、僕の視界に襲いかかってくる。慌てて日陰に避難しようと、歩を進めると。プールサイドのアスファルトは思いの外熱せられた鉄板のようで、裸足で来てしまった自分を恨みたくなった。足の裏がヒリヒリとするのを我慢して、ゆっくりと慎重に歩く。





 青いプールを横目に深呼吸をすると、今日はひどく塩素の匂いが鼻についた。指先で鼻を摘んでみても、鼻腔に張り付いた塩素の香りが消えることはなかった。





 昼下がりの五限。水泳の授業が行われていない静かなプールサイドは心地よい。開かれた視界に入る空と、微かな水音が息苦しさを軽くしてくれた。





 目指す先は、夏にだけプールサイドの角にたてられる見学者用テント。テントの中は幾分か涼しく、校舎からは死角になっているからサボるのには打ってつけな場所だった。昼食後。遠慮なく襲い掛かってくる睡魔に勝てそうになく、いつものようにひと眠りしようと思っていたのに……。





 僕だけが知っているはずだった秘密基地には、先客がいた。人が来たことを気配で察したのか、テントの端で膝を抱えて座っていた先客が顔をあげる。





「あれ。もしかして、きみもサボり?」





 口を開くや否や首を傾げた先客の少女は、うちの高校の制服である特徴的な白いセーラー服を着ていた。




 直射日光を避けるようにテントの中に逃げ込めば、少女は立ち上がって僕の近くに寄ってきた。同じテントの下に入るに足る人物かを見定めているのか、彼女は無遠慮に僕の頭からつま先までをゆっくりと見てくる。無言故に気恥ずかしさを感じ、僕も同じように彼女をそっと見てみた。




 僕の肩までしかないところから、身長は大体155㎝程度だろうか。首筋から胸元にかけて走ったネイビーのラインと同色のスカーフは皺くちゃで、あまりの暑さにくたびれているみたいに萎れている。テントの中がいくら日陰だからといって、暑いことには変わりはない。うねりひとつない真っすぐな黒髪に隠された背中の大きな襟。眉の上で一直線に切りそろえられた前髪と顎のラインで短く切りそろえられた横髪はどこか……かぐや姫を連想させた。





 胸元に刺された小さなピンズと青色の上履きのラインから、少女が同学年だと知る。顔覚えの悪い僕には、彼女に見覚えなんてなかったが……。




 彼女の初対面は、変な奴だった。
 同じ学年なら、僕の噂も知っていて当然なはずなのに。





「ねえ、きみもサボり?」





 悪い子だね、わたし達。なんて、しびれを切らしたのか、僕の返事を聞く前に彼女は勝手に話を進め始めた。それでも無視を決め込んでいれば、スカートが広がらないよう器用に膝を抱えた少女は無遠慮に僕の顔を覗き込んでくる。下からこちらの様子を伺うように。そんな少女の視線にこたえて、重たい瞼をすこしだけ押し上げて彼女を見返せば。綺麗な曲線を描いた二重と黒目がちな瞳に、あやうく吸い込まれそうになった。危ない、危ない。と慌てて瞳から目を逸らして、遠慮しながらも彼女を観察する。





 彼女の肌は陶器よりも白く、夏の日差しにも屈しない白さを誇っていて。小ぶりな割にぷっくりと膨らんだ唇は、紅をさしていなくても血色のいい色をしていて健康的だ。張りのある頬は、あまりの蒸し暑さに桃色に上気していた。




 たぶん、僕がこれまで出会った中で、彼女は一番綺麗な顔をしていた。





「あ。なに~? もしかして、わたしに見惚れちゃった?」





 彼女が一瞬、ニヤリと目を細める。瞳を綺麗な三日月形にしたまま小首を傾げた彼女は、ただ黙ったまま僕の言葉を待っていた。





「⋯⋯いや、さすがに名前も知らない相手に惚れはしないよ。さすがに」





「やだな、冗談だよ。あれ、あれれ……きみ、なんか本当に顔赤くない?」





 今度は突然、下から華奢な腕を伸ばされて思わずその場にのぞけってしまった。油断ならない、まったく。とため息を吐きながら僕はゆっくりと口を開いた。





「⋯⋯赤くないから、ほっといてくれ」





 彼女から顔を背けながら呟く。そんな僕を少女はくすくすと笑った。鈴を転がしたような声が騒々しい。教室では出来ない安眠を確保するために、秘密基地に来たのに。いつもここなら、僕の安眠を妨害するのはうるさい蝉くらいなのに。今日は彼女のせいで、蝉の鳴き声すら気にならないほどだ。




 
このままでは眠るどころか、少女と話せば話すほど目が冴えてきてしまって仕方がなくなりそうだ。





「じゃあ、名前を教えたらわたしに惚れてくれるの?」





 口角をあげた彼女はまた、僕に腕を伸ばしてきていた。懲りないやつ、と彼女を鼻で笑う。腕が伸びてきた方向とは反対に顔を背けて、目だけで少女の手を追いかける。





 手首を少しでも強く掴めば、折れてしまいそうなほどに華奢な腕。僕の半分ほどしかない小さな手のひらが空をかく。その瞬間、あ~あ、とむくれたような、まるで面白くないとでも言いたげな声を上げる。仕方がない、と今度はなにかを決心したのか、彼女自身が僕の目の前まで移動してきた。





「わたし、3年3組の星宮かぐや。これからよろしくね」





 3年3組か……と、この学校の唯一の知り合いであるアホ面を思い浮かべる。腐れ縁兼幼馴染の猿丸もたしか、3組だったはずだ。





 けれど、どれだけ頭を働かせてみても、どうしても星宮がいたことは思い出せなかった。周りに興味がない僕はいつも、そうだ。





「⋯⋯いや、よろしくって。僕は別にきみと仲良くする気はないけど」





「顔見知り記念の握手は嫌?」





「うん。却下」





 呆れながら、手を背中に隠しながら首を振った。断れると思っていなかったのか、残念そうに首を傾げた星宮。





「じゃあ、わたしたちの出会いの記念に写真でも撮る?」





「⋯⋯馬鹿じゃないの? それなら、握手の方がマシ」





「えー、隣のクラスの狂犬くんって、どんな人なのかと思ったら。意外と面倒くさい性格なんだね」






 こちらが否定も肯定もしないでいると、星宮かぐやは突然その場にしゃがみこんでしまった。それから自分の隣の地面を「座れ」と言わんばかりに叩いてきた。





 ぺちぺち、と二回叩いて。意地でも腰を下ろさない僕を一瞥して、すぐに不機嫌そうに頬を膨らます。





「まったく無視するくらいなら、うるさい! とか反論してくれればいいじゃない」





「反論? 面倒くさい、というか眠い」





 眠いのは紛れもない事実だ。むしろなんで人間が一番眠くなるであろう昼下がりに、この星宮かぐやとかいう奴はこんなに元気なのだろうか。不思議でたまらない。まだむくれ続ける彼女の隣に座ってやり、見せつけるように大きく欠伸をしてやる。そんな僕を今度は星宮がふっと鼻で笑ってきた。





「狂犬くん、そんなんだとすぐにおじいちゃんになっちゃいそう」




「つくづく失礼な奴だな⋯⋯。それより、さっきから狂犬、狂犬って知ってるんだ。僕の噂のこと」




 まあね、と息を吐いて。





「だって、きみは有名人だもん」




 なぜか、自信満々とでも言いたげに胸を反らし、歯を見せて笑った星宮。幼さを残した無邪気な笑顔にあてられ、仕方なく口を開く。




「そこまで有名な狂犬の僕を前にしても、君は怖がらないんだね」





 変な奴。ようやく鳴きだした割には随分とうるさい蝉の声と耐えがたい蒸し暑さに負けたのか。頬が緩むのを感じたが、あえて僕は逆らわずに力が抜けたままにしておいた。今日は調子が狂うことばかりだったから、仕方がない。




「⋯⋯わたしも君と同じだから」




「ん? なんか言ったか」




「ううん、なんでもない。それより、狂犬くんって⋯⋯」





 勢いよく首を横に振って艶やかな黒髪をなびかせた星宮が、今度はなにかを言いたげに僕をじっと見つめてきた。ロックオン、と言わんばかりのあまりの視線の強さにおずおずと声を上げる。




「え、なに?」




「なんか、意外と地味だよね。言葉遣いも思ったよりやさしいし。⋯⋯たしかに、無愛想ではあるけど。なんか、思っていたよりも凶悪さが感じられないっていうのかな」




 悪気なく発せられた言葉と膝を抱えた腕の上に顎先を乗せて僕に向けられた視線の真っすぐさに、思わず吐いてしまったため息。失礼な、地味とはなんだ。と文句を言う気概もそがれてしまった。




 星宮の隣はなんだか調子が狂う。ため息ばかり吐いているはずなのに、居心地が悪いわけではない。不思議だ。なにが、どのような風になんて詳しい事は言葉に出来ないが、なんだか星宮の隣だけでは狂犬ではない本来の僕でいても良いような気がした。




「まあ所詮、うわさは噂だったってことだね」



「きみ、意外と雑だね」



「そうかな。ただ出所のわからない噂よりも、実際に会って話して感じたきみの方を信じたいなって思っただけなんだけど」



「⋯⋯へぇ」



「あれ? 意外と心に響かなかった?」



「別に、眠いだけ⋯⋯」




 
 慌てて言葉通りに欠伸をしながら、彼女の言葉を噛み締める。変な奴。噂よりも僕と話して感じたことを信じるなんて、馬鹿みたいだ。そういうものでしょ? と信じて疑わない瞳を僕ははじめて見た。黒く澄んだ瞳に危うく絆されそうになる。ついさっき出会ったばかりの奴の言葉が胸にきた、なんてありえない。おかしいだろう。僕は彼女のことをなにも知らないし、きっと彼女も僕のことをなにも知らない。それに彼女だって、いつか離れていくかもしれない。だから、馬鹿げているんだ。かんたんに僕のことを信じる、とか言葉を口に出すなんて。短く息を吸うと、きつい塩素の匂いがした。




 眠気はもうとっくに星宮に吹き飛ばされてしまっていた。だからこの先も少しくらいなら仕方がないから彼女の話に付き合ってあげてもいい、そう思ってしまった。ただ、それだけだ。




「ねえ、狂犬くん」



「ん、なに?」



「これから一週間、わたしの我が儘(わがまま)に付き合ってくれない?」



 
 どういう事?と首を傾げる暇もなく、隣に座っていた星宮が痛いほど視線を向けてくる。突然すぎる申し出に困惑する。内容は聞かずに頷け、なんて無言の圧すら感じられて、首筋に汗が流れ落ちた。




 ただでさえ、蒸し暑いプールサイドの気温が3度一気に上がったような感覚。熱くて、頭が上手く回らない。ぼんやりとした頭の中で、今日出会ったばかりの星宮の笑顔が浮かぶ。わけがわからないまま、彼女のぼやけた輪郭を眺める。その時、星宮がふいに微笑んだ。




「ありがとう、狂犬くんなら答えてくれると思ってたよ」



「え⋯⋯?」



「えって、今、頷いたじゃない⋯⋯ほっぺた真っ赤に染めながら」




「は? 頷いてなんか⋯⋯」




「男に二言は許しません!」





 なんてね、と悪戯っ子さながら軽く舌を出して、くしゃりと微笑んだ星宮。頷いてしまった感覚なんて一切なかったが、すべて夏の暑さのせいにして彼女の我が儘を聞いてみるのもいいかもしれないと思った。どうせ、ただ惰性的に過ごしていても面白さも生きがいも特にない世界だ。断固、星宮の隣が特別居心地が良いとかいうわけではないけれど。受験勉強に精を出している息苦しい教室よりは百倍マシな気がした。




「で、きみの我が儘はなに?」



「なに? 我が儘の内容が気になるの?」




 欲しがりさんなんだから、と茶化してくる星宮にやっぱり答えを間違えたのかもしれないとは思ったが、彼女の言う通り男が二言を言うのは僕が僕を許せなくなりそうでここは一旦話を進めることにした。




「ちゃんと付き合うためには、内容くらい事前に教えてくれたっていいと思うんだけど」




「なんか、狂犬くんって思ってたよりも素直なんだね」




「は? 僕をなんだと思ってたの⋯⋯」




「うーん、黒髪暴力ヤンキー暴走族?」




「うわ。よくそのイメージを持ったまま、普通に話しかけられたな」





 呆れとおかしさが同時に襲ってきて、薄く開いた唇から小さく笑いが漏れる。心底面倒くさいし、眠たくなったら眠っていたい。そう思う反面、星宮のようになんのしがらみもなく僕自身を見つけてくれた人は初めてで、面倒くさくても眠たくても、もう少しだけなら隣にいてもいいかなと思った。それだけ、ただそれだけだった。そこに他意はなかった。




 
「それじゃあ、7日間よろしくね。狂犬くん」



「⋯⋯よろしく。ねえ、一つだけ聞いてもいいか?」



「いいよ、なにが知りたいの?」



「どうして、7日間って決めてるんだ?」





 別に7日後に学校が夏休みに入るわけでも、地球が滅びる予告がされているわけでもないのに。





「あ。もしかして転校するとか?」


「え、しないけど」



「じゃあ、どうして7日後なんだ? きみがリミットをつける意味がよくわからなくて」



「あ、それはね、わたしが18歳になるの」




 思わず、その場で転がりたくなる衝動を抑えてなんとか次の言葉を紡いだ。




「え、7日後に?」



「そう、あとちょうど一週間」



「へぇ、おめで」





 そこまで言った瞬間、突然隣に座っていた彼女が身を乗り出して僕の口を小さな手で塞いできた。駄目、と小さくこぼした星宮が一度短く息を吸ってからゆっくりと口を開く。そんな彼女を横目に、口元を塞ぐ手を押しのけた。




「狂犬くんにはね、当日にちゃんと祝ってほしいの」



「じゃあ、そう言えば良かったじゃん」



「それは、口を塞ぐんじゃなくてって意味?」



「そう」



「ごめんね。わたし、口より手の方が出やすいのかも」




「はぁ? それ、星宮の方が狂犬じゃん」




 プールサイドの角。容赦なく降り注ぐ日差しから守られるように建てられた見学者用テントの中で、星宮が笑う。出会った時に見せた瞳が嘘かのように弱々しく細められた目元とは対照的に、彼女は歯を見せて笑っていた。前髪が細められた目の上に影を落とす。プールの上を通った風が彼女の髪を揺らす。塩素の匂いに隠れて、微かにシトラスが香った。




「わたしはね、まだ17歳でいたいんだ」



 星宮は消えいりそうな声で、



「ねえ、狂犬くん。あのね、わたしが絶対に忘れられない7日間にしてほしいんだ」




 お願い。と続けて、アスファルトの上に投げ出していた僕の手のひらに、華奢で小さな手のひらを重ねてきた。夏の暑さに浮かされていても、どこかひんやりとした手のひら。透明感のある白さからはどこか生気を感じられず、気が付いたら消えていってしまいそうな不安定さがあった。



 だから、



「約束は⋯⋯できない」



 僕はそう答えた。7日間が終わったら、星宮が、隣に今こうして座っている彼女が、炭酸の泡が弾けるように消えてしまいそうに見えてきて、簡単に頷けなかった。




「だけど、努力はする」



「ふふ、狂犬くんらしいね」



「いや。今日出会ったばかりなんだけど」



「きみに何がわかるの? って顔をあからさまにしないでよ」




 彼女が困ったように小首を傾げて、眉を下げて微笑んだ。プールを取り囲むように生えている木々の上では蝉が鳴いている。




「ありがとう」




 期待してるよ。と軽口をたたいた星宮の瞳は、青く波立ったプールに向けられている。薄く膜が張った瞳が一瞬、太陽光を反射して光ったような気がした。僕は、あえて見なかったふりをする。彼女の口角だけが、笑っていた。




「それじゃあ、あらためてよろしくね」



「ん。ほどほどでよろしく」




 その時、ちょうどよく5限の終わりを告げるチャイムが鳴った。だんだんと遠くの方がさざめき出すのを聞いて立ち上がる。もう帰るの? とこちらを見上げてきた彼女になにも言わずに頷く。校舎から切り離されたプールサイドの角から、太陽の下に一歩踏み出した。テントの中を振り返ると、まだ膝を抱えたままの星宮がゆらりと右手を振った。




「狂犬くん。また明日、この場所で」



 そう言い終わるとすぐに星宮は立てていた膝に額をつけてしまったから。約束だよ、と続けた彼女がどんな表情をしていたのか、僕が確かめる術はなかった。




「気が向いたら、ね」




 そんな星宮のつむじに声をかけた後、彼女に背を向けてプールサイドをゆっくりと歩く。じりじりと足の裏を焼く熱と、眩しい太陽光にため息を吐く。




 テントの下から出た瞬間に、身体中にどっと疲れが襲ってくる。今更思い出したかのようにぶり返してきた眠気に逆らわずに欠伸をしながら、明日から騒がしくなりそうな予感をじっくりと噛み締めた。教室に戻るのもなんだか億劫に感じて。制服のスラックスのポケットに突っ込んだままの財布とスマホだけでも、なにかと事足りるだろうとまっすぐと昇降口に向かった。





 明日に向けてすぐさま家に帰って無性に眠りたい気分になったのは、今日がはじめてだった。