あの後もステージ発表は順調に進み、木ノ瀬祭は無事に大成功を収めた。
「じゃあ先、カラオケで待ってるから!」
 催し物や模擬店を光と二人であちこちまわった後、放課後は一緒に打ち上げがてらカラオケにでも行こうという話になった。そしたら仕事熱心な彼女は「片付けが残ってるので」と言うので、俺が先に席をとって待っていることにした。
「鷹柳」
 体育館へ向かう彼女に、昇降口を出たところで一旦、手を振り合い別れる。すると、それを見ていたのか、門のところに立っていた人影がこっちに近付いてきて、
「田上?」
 彼はバツが悪そうに顔をしかめ、襟足をいじっていた。
 そういや、まだ殴ったこと謝ってなかったな……。
 てっきりそのことで文句でもつけられるのかと思って身構えていたら、彼は突然、俺の前で頭を下げた。
「この前はバカにして悪かった! 鷹柳のステージ発表、見てたんだけどよ。あの歌、聴いた時、なんつうかすげぇ胸がじんとして、とにかくめちゃくちゃよかった!」
 田上の目を見るに、それは冷やかしやからかいなんかではないということは明らかだった。
「頭をあげてくれ、田上」
 少し嬉しくなった俺は、すっと彼に向かって手を差し伸べる。田上は眉をひそめた。
「な、なんだよ、この手」
「これはほらあれだ、戦友の証みたいなもん」
「戦友……?」
 釈然としない顔を浮かべる田上だったが、少しして俺の意中を理解したのか、
「確かに鷹柳の歌はすごかったけど、オレだってまだ完全に負けたわけじゃねぇ。もしちょっとでも隙見せたら、光ちゃんはオレが奪ってくから。覚えとけよな!」
 彼は最後、そんな悪役の去り際みたいなセリフを吐き捨てて、すたこらと行ってしまう。そうして一人その場に、まるで透明人間と握手しているみたいな格好で取り残された俺は、いまいち田上の言葉の意味を理解しかねた。

「そういえば、光ってさ、なんで歌が下手なふりしてたの?」
 ストローをさしたウーロン茶のグラスを片手に、俺はたった今、歌い終わったばかりの彼女に尋ねる。目の前の映像モニターには、堂々の九十五点の数字が表示されていた。
「ふりじゃないですよ、あれ。それにカラオケ行ったことなかったのは本当ですし。ただあの時ばっかりは……緊張して抜けちゃったんです、音が」
 光は小声でそう言った。それもちょっと恥ずかしそうに目を伏せて。
「お前、それでよくステージ発表引き受けたな」
「だって、悟さんが来てくれないから……」
 むっと不機嫌そうな顔をした彼女に、俺は申し訳ないような、いたたまれない気持ちになる。
「そ、それはごめん……色々、悪かったと思ってる。お詫びにクリームソーダもう一杯ご馳走するから、それに免じて今回だけは見逃してくれないかな?」
「もし……それじゃ足りないって言ったら? 悟さんはわたしに何してくれますか?」
「えっ」
 甘く、やけにしおらしい目をする彼女に俺の心臓は高鳴った。
「な、何でもするよ」
 まるで悪女相手にまんまと引っかかったバカな男さながらな俺の答えに、しかしながら彼女はそれを遥かに上回るぶっ飛び発言をした。
「じゃあ、今ここでわたしがキスしてくださいって言ったら?」
「は、はぁ!?」
 ただならぬ彼女の様子に、俺は思わず後ろにのけぞる。
「お前、今日なんか変だぞ。文化祭準備張り切りすぎて、熱でも出したんじゃねぇの?」
「至って平熱ですよ……」
 の割には彼女の顔は、ほんのりと赤らんで見える。
「ほ、本当に大丈夫か?」
 心配になって光の額に手をあてがうと、彼女は「ふぇ!?」と、今まで聞いたこともないような間抜けな声を出した。
「こ、子ども扱いしないでください……本当に大丈夫ですから」
 彼女はそう言って俺の手をそっと払いのけると、ソファーの上に膝を抱えて座った。
「ミサンガって」
 まるで小動物みたいに丸まって、なかなか俺と目線を合わせようとしない彼女がおもむろに口を開く。
「色とつける場所によって意味合いが大きく変わるってこと、悟さんは知ってましたか?」
「そう、なのか? ごめん、渡しておいて全然、知らなかった」
「そうですか……なら、よかったです」
「よかった?」
 意味深な彼女のつぶやきは、どこか安心しているようにさえ思えた。
「恋愛成就――それが利き手につけるピンクのミサンガが持つ意味です」
「えっ」
 それを聞いて俺は思わず、彼女の左手を凝視してしまった。
「いや、でも、お前、前に好きな人いるって」
「悟さんのことに決まってるじゃないですか」
 間髪入れずに言った彼女に、俺はまるで血の巡りが悪くなったみたいに目を見開いたまま思考停止した。
「マ、マジで言ってる?」
「マジです。いくらなんでもこのシチュエーションで嘘つくほど、わたしの意地は悪くないですよ」
 とたん、顔に火がついたみたいに熱くなる。けれど、それはどうやら光も同じようで、ストレートのさらさらの髪の隙間から見える耳が、ことさら赤くなっていた。
「悟さんの、Twiklesの二人の歌が、中学生のわたしを救ってくれてたんです。あの時、悟さんと出会ってなかったらわたし、今頃、冗談抜きで本当に死んでたと思います」
 彼女の口調はふんわりと優しくて、ミサンガを見つめる天然石みたいな瞳はどこか幸せそうにすら見えた。
「なぁ、光、俺と付き合ってくれない?」
「ちょっ……それ今、わたしが言おうとしてたセリフなんですけど!?」
「でも、俺も光のことは前々から好きだったし……こういうのって、男から言った方がかっこいいだろ?」
 俺だってこうしてもう一度、立ち直れたのは間違いなく光がいてくれたおかげだ。
 あの時、彼女が絶対、諦めないと言ってくれたから。
 彼女が必死でその想いをぶつけてくれたから。
 俺も俊太と見た夢を、希望を諦めずに済んだ。
「かっこなんてつけなくても、悟さんは十分、かっこいいですよ。だって、わたしを救ってくれた、”永久不滅のヒーロー”ですから」
 ふっと目を細めて笑んだ彼女に、また胸がときめく。
 そしてそれは、この先もまだ歌い続けていたいと、俺に強く思わせてくれた瞬間だった。