夢や希望を持って生きなさいと、世間はよく言う。まるで教訓じみた決まり文句みたいに。
 まだここで終わりじゃない。信じて諦めなければ、夢はきっと叶う。
 なんて、そんなのはしょせん理想論だ。うわべだけの無責任な言葉でしかない。その証拠に、実際、夢を叶えることができた人間の数なんてほんの一握りで。大半がどうにもならないような壁に直面して初めて、自分が高望みしていたのだと気付かされる。
 身の丈に合わないものを追ってみじめな思いをするくらいなら、いっそ最初から叶いもしない夢なんて見なきゃいい。どうせ、死んだら最期はみんな同じだろ。
 
「もう、俺、死んでもいいかな……」
 暇を持て余した放課後。
 冴えない高校生の俺、鷹柳悟(たかやなぎさとる)は、まるで仕事に疲れきったサラリーマンのごとく公園のベンチに一人、だらしなくよりかかった。
 秋の空がこんなにもまぶしいのはなぜだろう。もはや、皮肉にすら思えてくる。
「悟さんが死ぬなら、わたしも一緒に死にます!」
「は……?」
 突如、空から降ってきたセリフに、俺は脳天をぶち抜かれた気分だった。それまで周囲を取り巻いていた鬱屈とした空気が、たった一瞬にして吹き飛ぶ。
 驚いて目を開けると、そこには、グリーンがかった、まるで天然石のような瞳が背もたれ側からこちらを覗いていた。
 てか、顔近っ……。
 ふわりと、肩くらいまである少女の陽の光をはらんだような茶色い髪が揺れて、俺の頬をやわくかすめる。洗髪剤か何かだろうか。ほんのかすかに甘い花のような良い香りがした。
「きっと何か、辛いことがあったんですよね!? わかります! 人間なんだから気分が落ちこむ時って、誰にでもありますよ! もしわたしでよかったら、愚痴でもなんでも聞きましょうか!?」
「いや、ちょっと待て待て!」
 お構いなしに迫ってくる少女を制し、慌ててベンチから立ち上がる。
「冗談だっつの! 本気にするなよ!」
 きょとんと目を丸くして、小首を傾げる少女。それから数秒して、冗談だという俺の言葉をやっと飲みこんだのか、彼女――クラスメイトの浅野光(あさのひかり)は、ほっとした安心したような顔で胸元をおさえた。
「なんだ、心臓に悪いこと言わないでください」
「それはこっちのセリフだよ……てか、お前こそなんでここにいんの?」
「帰りのバス乗り過ごしちゃって。一時間後じゃないと来ないので、それまでここで待とうかと」
 彼女は羽織っていた白のカーディガンのポケットからスマホを取り出すと、俺の向かいのベンチに腰を下ろす。ただ座っているだけなのに、なんというか思わず、目が吸い寄せられてしまうような存在感があった。
「どうかしました? さっきからずっとこっち見てますけど。あっ、もしかしてわたしに見惚れてくれちゃってたりします?」
「んなわけあるかっ」
 まぁ実際、こいつの容姿はかなり恵まれている方だとは思う。美人系と可愛い系のちょうど間を取ったような整った顔立ちに、きっと毎日、欠かさず手入れをしているんだろうさらさらの明るい色の髪。背はそこまで高い方ではないが、華奢だからかスタイルもよく見える。
 ただ一つ難点を上げるならば、彼女が少し、いや、だいぶ変わり者だということだろう。
「なぁ、お前も死にたいの?」
「えっ」
 なんでそんなこと聞くんです? とも言わんばかりに、スマホをいじっていた彼女の手が一時停止する。
「さっき自分で言ってたじゃないか。俺が死ぬなら自分も一緒に死ぬって」
 じゃなきゃ、普通は言わないだろう。たかがクラスメイト相手にあんなこと。
「そうでもないですよ。わたし、それなりに今は楽しい人生をエンジョイしてますから」
「楽しいとエンジョイは、ほとんど同じ意味だろ……」
「だいたい通じればいいじゃないですか。会話なんてそんなものですよ」
 ああ、そうだった。浅野は元々、こういう奴なのだ。自由気ままでマイペース。そのくせ、テストでは毎回、学年でトップ3に入るほどの高得点を叩き出してしまう辺り、いわゆるクラスに一人はいるような天才型なんだろう。正直、羨ましい……。
「あの、悟さん」
「な、なんだよ?」
「もしよかったらでいいんですけど、この後、一緒にどこか遊びに行きません?」
「……お前、そりゃ一体、どういう風の吹き回しだよ」
 無論、俺はこいつとそれほどまでに仲が親しいわけじゃない。ただどうしてかいつも事あるごとに付きまとってくるから、適当にあしらっているまでだ。
「やることなくて暇なんですよ」
「だったら他のやつ誘えばいいだろ、俺じゃなくても」
「わたしは悟さんがいいんですよ」
「お前、さてはぼっちだな」
「違いますよ! 多分……」
 多分って……。
 俺なんかを相手に選ぶこいつの気はしれないが、ちょっと自信なさげに肩を落とした彼女を見て、それ以上追及するのはやめておいた。というか、触れてはならないような気がした。
「じゃあ聞くけど、お前はどこに行って何がしたいの?」
「うーん……特にプランはないですね」
「お前なぁ、そっちから誘っておいてそれはないだろ」
「じゃあ、今から近くにあるエッチな感じのホテルにでも二人で行きます? わたし、着替え持ってないですけど」
「なっ……アホかっ! 行くわけねぇだろ!」
「でも、悟さん、今ちょっと目が泳ぎましたよ」
 妖しい笑みを浮かべ、誘惑してくる彼女に、非常に不本意だが俺の心拍数は急激に上がっていた。不可抗力だ……。
「お前、そういうこと言うから、いつも嫌味な女子達に嫌われるんだよ」
「わたしは別に、あなたにさえ嫌われなければそれで……」
 ふっと目をそらした彼女の横顔に、哀愁がただよう。基本的にはポジティブ思考が強く、明るい雰囲気の彼女だが、ごくまれにこういう儚げな表情を見せる時があるのだ。
「そうだったとしても、俺はお前にもっと自分のこと大事にしてほしいんだよ」
 物憂げだった浅野の瞳の奥の瞳孔が一転、大きく開く。ヤベと、自分の失言に気付いた俺は後から焦って口を抑えた。もはや、時すでに遅しだが。
「――優しいんですね」
「え?」
「あっ、ひとりごとなので気にしないでください。それより今から一緒に、カラオケ行きませんか?」
「カ、カラオケ?」
「一回行ってみたかったんですよ。それに高校生が遊ぶ場所の定番って言ったら、カラオケって感じしません?」
「まぁ、それはなんとなくわからなくはないけど……お前、行ったことないのか?」
「なんか勇気出なくて、誰かと一緒じゃないと」
 少し意外だった。彼女ほど図太い神経をしていたら、カラオケくらい一人で堂々と行っていそうなものだが。
「ど、どうでしょう?」
 彼女は未だに手にしていたスマホをぎゅっと握りしめる。まるで俺の反応を伺うような、ちょっとしおらしい目をして。
「カラオケ、ね……まぁ、いいよ、一緒に行くくらいだったら」
「ほ、本当ですか!?」
「なんだよ、その驚きようは。断られると思ってたのか」
「夢じゃないですよね!?」
「夢だと思うなら、ほっぺたつねってやってもいいけど?」
 やれやれと肩をすくめる俺に、浅野はやったと嬉しそうに飛び跳ねる。
 こういう彼女の感情表現が豊かなところを見ていると、どうにも”あいつ”の面影と重ねてしまうところがあった。
「じゃあ、行きましょうか、悟さん!」
 いきなり浅野に腕をつかまれ、何の準備もしていなかった俺は一瞬、ドキッとする。
「どうかしました?」
「いや……なんでも」
 対する浅野は無自覚なのか、目を丸くしてきょとんとしていた。もしこれで無自覚じゃないなら、よっぽどの小悪魔だと思う。

 「カラオケの機械って、こんな感じなんですね! どうやって使うんですか!?」
「はいはい、今から教えるよ」
 ここはとあるショッピングモール内に併設されているカラオケ店。
 恐らく初めて見るのだろうカラオケの音響機器を前に、浅野はまるで好奇心旺盛な子どもみたいに目を輝かせていた。
 なんとも単純というか、純粋というか。たかがカラオケごときで、こんなにきゃっきゃっできるなんてと、俺はある意味、感心してしまう。
「なるほど、なるほど! ここが音量で、こっちがマイクの調整ですね!」
 一通りの操作方法を教えると、浅野は早速、タッチパネルを操作し始める。流石は学年トップ3に君臨するだけあって、説明の飲みこみが早い。
「そうだ、悟さん! せっかくなので、まずはお手本見せてくださいよ」
「えっ、いや、俺は……」
 両手でマイクを持った浅野が、にこにこしながらそれを俺に向けてくる。きっと彼女に他意はない。でも――ダメなんだ。
「聴き専なんだよ、俺」
 即座に思い付いた嘘を口にする。
 俺は何も最初から一緒に歌うとは、断じて言っていない。だから、この嘘はちゃんと筋が通ってる、はずだ。
「そうなんですか……じゃあ、今日はわたしが悟さんの分まで歌いますね」
 それでも浅野のことだからてっきりもっと詮索してくると思った。けれど、彼女から返ってきた返事は思いのほか、あっけらかんとしていた。
 ともかく、余計なことを突っこまれなくてよかった。このままなんとかやり過ごそう。
Hope Your Smile(ホープ ユア スマイル)
 専用のタブレットで曲の検索をしているらしい彼女の手元を覗きこむと、そこには俺も知っている曲のタイトルが表示されていた。
「お気に入りなんです、わたしの」
「へぇ……」
 Hope Your Smileは、いわゆるボカロ曲だ。全体的にゆったりしたメロディーと、優しい曲調、そっと励ましてくれるような歌詞が特徴的で、そこまで知名度は高くないものの刺さる人には刺さる。
 ――そういや、あいつもよく歌ってたな。
 曲の予約が済むと、浅野はマイクを片手に立ち上がる。イントロが始まって、スクリーンに歌詞が表示されると、彼女は一度、大きく息を吸いこんで、
「コールは任せましたよ、悟さん!」
「お、おう」
 そうして、スクリーンに向き直ったが彼女の独唱が始まったのだが――
「こんなぁ〜、いつかぁぁぁ〜」
 始まって早々、俺はハンマーで頭を殴られた気分だった。
 これはなんというか……まるで息絶える寸前の蚊だな。
「僕わぁ〜、ケホッ……!」
 その時、俺は心の中で確信した。こいつ、音痴だ……それもかなり重度の。
「あっ、歌詞間違えた……」
 あーあ、ダメだな、こりゃ。
 当の本人は至って真剣に歌っているつもりなのかもしれない。しかし、黙って見ていれば彼女はさっきから音程バーをこれでもかというほど外しまくっている上、この有り様だ。
 この曲自体はそこまで難しい方の部類でもないので、恐らくは彼女の歌唱力に問題があるのだろう。ったく、ほんとにしょうがねぇな……。
 一番が終わらない内に、とうとう俺の方が我慢の限界を迎えた。
 ――大丈夫、きっと今日だけなら。
 かすかに震える手に言い聞かせるように、俺はテーブルに置かれていたもう一本のマイクを持って立ち上がる。
「君のー!」
 突然、それも大声で被せるように歌い出した俺に浅野が一瞬、驚いたように動きをとめる。お前、歌わないんじゃなかったのかよとでも問いたげな目だった。
「どうかー!!」
 それでも構わず、俺は歌い続けた。いや、正確には一度、歌い出したら止まらなかった。
 出だしこそ喉が鈍ったものの、だんだんと調子付いてきて、まるで体中の全神経が音と一体化していくような感覚だった。
 ああ、なつかしいな、この感じ……。
 
「つ、疲れた……」
 曲が終わった瞬間、俺は脱力したようにソファーにもたれかかった。
 けれど、まだ胸の中の熱はちっとも冷めていない。それどころか今も心臓が、熱く激しく脈を打っている。それはまるで燃えたぎる炎のようだった。
「浅野、ってお前……なんで泣いてんだよ!?」
 いつの間にか一人で熱唱してしまっていたことを謝ろうと、となりを見てぎょっとする。すっかり途中から聴き役の方に徹していた彼女の頬に、あろうことか一筋の涙が伝っていたから。
「えっ……あっ、すみません。悟さんの歌があんまりにも上手だったので、つい感動しちゃいました」
「お、大げさだろ」
 指摘されて初めて気付いたと言わんばかりに、浅野はその細く色白な指先で自身の目元を拭う。それはとても俺をからかうために演技をしているふうでもなかった。
「ところで悟さん、喉、渇いてません?」
「えっ、ああ……」
 言われてみれば、かれこれ一時間以上は水分補給を怠っていた。
「何か飲み物、頼みましょう。脱水症状は侮れませんから」
「じゃ、じゃあウーロン茶で」
「承知しました!」
 彼女の美形な眉が、しなやかなアーチを作る。すっかりいつもの調子の浅野に戻っていた。

「悟さんの歌、お世辞とか抜きで本当によかったですよ。歌い手さんとか、目指してみたらどうですか!?」
 歌い手……そうピンポイントでくるか。
「ありがとう――ていうか、Hope Your Smileって、結構、マイナー曲だと思ってたけど、お前よく知ってんな」
「たまたま耳にしただけですよ。でも、なんとなく良いなって思って。それからすっかり聴き入っちゃってるんです」
 はぐらかした俺を幸い浅野は不審がることもなく、こちらの振った話に乗ってくれた。
「確かに良い歌詞だとは俺も思うよ」
「わかります! 特に二番のサビの部分が好きなんですよ、わたし!」
「こんな僕でも君の光になれるなら、いつかまた笑い合えるように僕は何度だってこの手で救いに行く。だから、どうかまだ諦めないでいて。ってところか?」
「そうですそうです! 聴いてるとついじんときちゃうんですよねぇ」
 なんとなく良いなと思ったという割には、彼女のHope Your Smileに対する熱意は凄まじかった。このまま後、二時間くらいはゆうに語ってくれるんじゃないかと思うくらい。
 浅野って、こういう曲が好きなのか。てっきり彼女の性格からして、アイドル系とか、アニソンとか、もっと派手でキラキラした流行りの曲を聴いているものだとばかり思っていた。
「お待たせいたしましたー、こちらウーロン茶とクリームソーダになります! ごゆっくりどうぞ!」
 彼女の話がちょうど最高潮に達そうとしたところで、やたらと元気のいい店員が飲み物を持って部屋に入ってくる。
 歌って喉がすっかりカラカラになっていた俺は、テーブルの上に置かれたストローを使うこともなく、ウーロン茶をグラスでがぶ飲みした。
 そんな俺を見て浅野が、「豪快な飲みっぷりですね」と、しとやかに笑う。クラスメイトの前だということをすっかり忘れていた。あいつと一緒の時は、そんなに気にしてなかったんだけどな……。
「悟さん……?」
 まだ半分ほど中身が残ったグラスを持ったまま、微動だにしなくなった俺を妙に思ったんだろう。浅野が眉をひそめ、横から覗きこんできた。
 純粋に歌うことを楽しんでいる自分がいた。これはあいつへの裏切りなんじゃないか、そんな後ろめたさが胸にのしかかる。
「ごめん、俺やっぱり」」
「せっかく来たんですから、もっと歌ってくださいよ」
 言いかけた俺を制するように、浅野の声がさえぎった。まるでその先に続く言葉を、俺に言わせまいとするみたいに。
「大丈夫です! 悟さん、わたしなんかより全然、歌上手でしたし! 何も気にすることなんてないですよ!」
「で、でも、俺は……」
「それにわたし、悟さんの歌がもっと聴きたいです。さっきの歌、本当に素晴らしかったですから!」
 身を乗り出してきた浅野は、なんのちゅうちょもなく俺の肩をがしっとつかんだ。天然石みたいな瞳の奥の、芯の強さというんだろうか、それがどこかあいつに似ていた。
「……わかったよ」
 彼女の揺るぎないまなざしに、俺は気付けば、心を突き動かされていた。
「そこまで言うなら聴かせてやる。お前が飽きたっていうまでたんまりとな」
「ぜひぜひ、お願いします!」
 ぱっと明るい笑顔を見せる彼女。それはまるで季節外れに咲いた、大輪のひまわりみたいだった。

 そして一時間後。
 ぶっ続けで歌って、俺の肺がそろそろ酸欠になろうというところで退室時間になった。
「最高のライブでしたよ、悟さん!」
 どうやら、彼女はご満悦らしい。カラオケを出てからずっと興奮したようにぴょんぴょんしている。まるでうさぎみたいに。
「ライブってなぁ、そこまで大したもんじゃないよ」
「そんなことないです! わたし、今日は悟さんの歌を聴けて、生きててよかったって本気で思ったんですよ!」

 ――オレ達の歌が、いつか誰かの生きる希望になったらいいなって思うんだ。

 生きててよかった。
 そんな彼女の言葉がトリガーになって、俺の記憶の中のあいつの声がよみがえる。
 って、いい加減、未練がましいぞ、俺。
 あいつ――俊太(しゅんた)はもう、この世にはいないのに……。。

「そういや、お前、ずいぶんのんきに見えるけど、バスの時間、大丈夫なのかよ?」
「それならもうたった五分前に出発しましたよ」
「いや、なにやってんだよ!?」
「次のバスがあるので問題ないです。最悪、歩きでも帰れますし。それよりもう少しだけ寄り道していきません? ここのショッピングモール、ゲーセンとか、雑貨屋さんとか、色々、ありますし」
 まるで見計らったようなタイミングだった。俺の腹の虫がぐぅ〜と鳴いたのは。
「す、すまん……」
 どうやら、歌で消費したのは体力だけではないらしい。反射的に腹を抑えた俺のとなりで、浅野が肩を揺らして笑った。
「わたしもちょっとお腹、空いちゃいました。何か食べてきましょうか」
 かっと耳が熱くなる。まったくこんな時まで空気が読めないだなんて、長年、俺の腹に住まう虫はよっぽど無遠慮で図々しい奴なんだろう。

「こ、ここにするのか? 本当に高校生だけで入って平気? 俺、つまみ出されたりしない?」
「ただのカフェですよ。それにここの店員さん、みんなすごくいい人達なのでそんなことは絶対しないと思います」
「そ、そうか……」
 浅野の勧めでやってきたのは、ちょっと大人っぽい雰囲気のするカフェだった。
 同じ階にあるフードコートとはまた少し離れた場所にあって、俺はあまりこういった店に慣れていないだけに、入る前から既に尻ごみしてしまっている。
 浅野はこういう場所、よく来るんだろうか……。でも、だとしたら誰と? なんとなくそれ以上は考えたくなくて、俺は余計な思考を振り払った。

「ご注文が決まりましたら、そちらのベルでお知らせください」
 水入りのグラスとおしぼり、それからメニューを置いて店員が去っていく。未だに緊張のほぐれない俺は、コーヒーのほろ苦い香りが漂う店内をきょろきょろと落ち着きなく見回していた。
「今日はわたしの奢りなので、好きな物食べてくださいね、悟さん」
「えっ、いや、いいよ。飯代くらいは持ってるから」
「いえいえ、わたしに払わせてください。カラオケに付き合ってもらったお礼です」
 有無を言わさぬ内にと、浅野は俺にメニューを差し出してくる。
「ほ、本当にいいのか? 後で請求してきたりしない?」
「悟さんはわたしのことなんだと思ってるんですか……」
 疑り深い俺に、浅野はちょっと不服そうなジト目を向けてきた。
「わ、悪かったよ。じゃあ、今日はお前の言う通りお言葉に甘えさせてもらうからな」
「はい! たくさん食べてください!」
 やたらと気前のいい彼女からメニューを受け取って開くと、真っ先に好物のカレーが目につく。横の吹き出しにも、当店一番人気と小さく書いてあった。
 値段もそんなに高くないし、これにするか。
 注文は浅野がしてくれた。彼女は季節のフルーツケーキと、クリームソーダを頼んでいた。
「そういや、お前、さっきカラオケでもクリームソーダ頼んでなかったか?」
「はい、頼みましたね」
「頼みましたねって……好きなのか? クリームソーダ」
「はい、大好きです!」
「ああ、そう……腹、壊すなよ」
 どうしてだろう。こうも面と向かって大好きなんて言われると、一瞬、ドキッとしてしまう。浅野はただ、クリームソーダが好きなだけだというのに。
 全部、俺の女子に対する耐性がないだけなのか……。

 料理が届くと、俺は試しに一口、適量をスプーンですくって口に運んだ。
「う、美味い。スパイスが効いてて、ピリッとした辛さが舌に残るこの感じと、ゴロッとした角切りの牛肉が絶妙にマッチしてて……」
「あははは、悟さん、なんかグルメリポーターみたいになってますよ。でも、お気に召してくれたようならよかったです」
 部活終わりの運動部さながらに俺は無我夢中でカレーをかきこんだ。まるで部活終わりの運動部さながらのがっつきようだ。
「あれ、浅野って、もしかして左利き?」
 あっという間にカレーライスをぺろりと平らげてしまった俺は、ちゃんとケーキをフォークで一口大に切ってから上品に食べている彼女を見てふと気が付く。
「ああ、よく見てますね。実を言うと、そうなんですよ」
 その言い方だと、俺がまるで浅野のことをガン見していたみたいじゃないか。いや、まぁ実際、その通りだから否定はしないけど。
「嬉しいです、気付いてくれて」
「そんな喜ぶようなことでもないと思うけど」
「喜ぶようなことですよ。だって、高校に入って悟さんが初めてですもん」
 なんて誤解を生むようなセリフを、そんなピュアな笑顔で言われては己の心の汚れた部分を知ってしまう。
「この天然たらしめ……」
 思わず、本音をつぶやいた俺を、彼女はなおもきょとんとして見ているだけだった。

「じゃあ、わたしお支払い行ってくるので。悟さんは先に外で待っててください」
「ああ、うん、ありがとう」
 食事が済むと、俺は浅野より一足先に店から出た。
 すると、ちょうど向かい側に可愛い感じのアクセサリーショップがあるのを発見する。いかにも浅野みたいな女子が好き好んでいそうだなと思う。
 ちらりと浅野の方を確認するが、どうやらカトラリーを運んでいた女性の若い店員がそれを落としてしまったらしく、彼女が拾うのを手伝ってあげていた。
 良いの、外面だけじゃないんだな……。
 様子を見る限り、まだ少し時間がかかりそうだ。
 そうだ――
 そこで俺はある考えに思い至った。

「お待たせしてすみません」
 それから程なくして、何度も女性店員にぺこぺこと頭を下げられながら浅野が店を出てくる。俺からすると、ちょうどジャストタイミングだった。
「ああ、いや、大丈夫。俺も今、会計終わったところだったから」
「お会計? どこか行ってたんですか?」
「どこかって言うよりはすぐ目の前だけど。これ、よかったら浅野にって思って」
「これは……ミサンガ、ですか?」
「うん。その、なんていうか、プレゼント、みたいな?」
 こんなことをするなんて、自分でも本当に柄じゃないと思う。一体全体、今日の俺はどうしてしまったんだか。
「色も浅野に似合いそうだなって思って、ピンクにしたんだけど……ああ、もちろん、気に入らなかったら無理に受け取らなくて全然、いいんだ。これ安物だし」
 なんだか急にまた小っ恥ずかしくなってきて、俺は一度は差し出したミサンガを引っこめる。思い切ったことをしたまではいいものの、だんだん自信がなくなってきた。
「気に入らないなんてことあるわけないじゃないですか。悟さんからプレゼントしてもらえるなんて、わたし今、これ以上ないくらい幸せですよ」
 ゆっくりと彼女の手が伸びてきて、俺が握りしめていたミサンガをそれはとても大事そうに受け取る。
「一生の宝物にしますね」
 それを自身の左手首に巻いた彼女は、にっこりと嬉しそうに微笑んだ。
 トクンと、また一つ俺の胸が小さな音を立てる。不思議だ。彼女のこういうさりげない表情を見ていると、なんだか歯がゆいような、じれったいような、今までに感じたことのない気持ちになる。
 
 ショッピングモールを出る頃、外はもうすっかり日が沈んでいた。ところどころにちらつく建物やら看板やらのネオンライトが、都会の夜の町並みを明るく飾っている。まるでちょっと早いイルミネーションみたいに。
「悟さんのおかげで、今日が人生で一番楽しい日になりました!」
「カラオケ行って、お茶したくらいだろ」
 普段は色々と謎めいたところが多い彼女だけれど、こんなふうに無邪気に笑っている姿はどこにでもいるような普通の女の子のように見えた。

「そういえば、前からずっと思ってたんだけどさ、浅野ってなんで敬語なの?」
 実はずっと疑問だったのだ。彼女は誰彼構わず、俺以外のクラスメイトと話す時も、まるで年上相手に会話するみたいにいつも敬語を使っている。
 俺の投げかけに彼女は少し渋るような反応を見せた。
「ほら、俺達、別に同級生なんだし、なんかよそよそしいっていうか、そんなにかしこまらなくてもいいんじゃないかって」
「そういうわけじゃないんです。これはもう癖みたいなものといいますか……多分、わたしがちょっと人間不信なんだと思います」
「人間不信?」
 まさか彼女の口からそんな言葉が出てくるなんて思わなかった。
「わたしはきっと、自分が傷付くのが怖いんです。だから、知らず知らずの内に人と心の距離みたいなものをとってしまっている――誰とも仲良くなりすぎることがないように」
 最後、浅野の声のトーンがいつものものよりワンオクターブくらい下がって、彼女はどこか思い詰めたような顔を浮かべた。
 ――ああ、まただ。こいつの感情の読めない、けれど、遠い何かを憂えているかのような横顔を見るのは。
 今しがた、沈黙続きの歩道橋の下を荷物を積んだ運送トラックが、轟音を軋ませながら通過していく。すると、彼女はその音でようやく地に足がついたように、
「って、すみません、なんかしんみりさせちゃいましたよね。今のは全部、忘れてください。うわごとみたいなものなので」
「じゃあ、もう一つだけ聞いてもいい?」
「な、なんでしょうか?」
「浅野は俺のことどう思ってるの? 今日のカラオケもそうだけど、もしお前の言ってることが本当なら、どうしてお前はわざわざ自分から俺に関わるようなことをするんだ?」
「それはわたしが、悟さんを尊敬してるからです」
「そ、尊敬?」
 頭の上に特大サイズのハテナを浮かべた俺に浅野は静かにうなずくだけで、それ以上は何も教えてくれなかった。
「バス、来ちゃったみたいなので、わたしそろそろ行きますね。それじゃあまた」
「あ、ああ……気を付けて」
 最後に軽く手を振ると、歩道橋の下のバス停へ彼女は急ぎ足で駆けていく。対する俺はなんだか中途半端なところで話をはぐらかされてしまったようで、まるで胸に小さな突起物でもできたみたいなわだかまりが残った。
 
 翌日、午前中のかったるい授業をなんとか乗り切って、俺が一人で昼食を取ろうとしていると、あろうことかそこへ浅野が現れて開口一番にこう言った。
「悟さん、これから一緒にお昼ご飯、食べませんか?」
「えっ」
 俺は面食らった。しかし、当の彼女はまったく気にするそぶりなんて見せずに空いていたとなりの席を陣取って座る。すると、その光景を目にした周囲の男連中が、なにやら騒ぎ始めた。
「お、おい、あれ……」
「いやいや、まさかないだろ。だって、あの鷹柳だぜ?」
「だ、だよな」
 いや、全部、聞こえてんぞ、お前ら。
 注目を集めていることに気付いていないのか、それとも単に気にしていないのか、浅野は絶えずニコニコしている。
「えっ、なになに。光ちゃんと鷹柳って、もしかして付き合ってる感じ?」
 これは一体、どうしたものかと頭を抱えていると、いかにもチャラそうな男子生徒が一人、俺達の間に割って入ってきた。
 興味津々な様子で俺達の顔を交互にうかがっているそいつは、ハーフアップにした金髪と、ジャラジャラのネックレスをいくつもつけた田上(たがみ)だ。派手な見た目で、普段からよく先生達にも注意されている彼のことは、よく目立つので俺もなんとなく覚えていた。
「付き合ってますよ」
 否定の言葉を口にするよりも先に、彼女はさらりと平気な顔でそう言った。
「は、はぁ!?」
 思わず、声が裏返る。田上に至っては目を剥いて固まっている有り様だった。
「それじゃ、わたし達、今からランチタイムするので。行きましょう、悟さん」
 浅野が俺の手を引く。あんまりにもちゅうちょがないので、かえって俺の方が言葉を失ってしまった。

「お、おい……浅野」
 教室を出て、旧校舎へと続くひとけのない廊下を歩く。依然として、彼女の手はまだ繋がれたままだった。
「勝手な真似をしてしまってすみません、悟さん」
「あ、いや、うん、それはわかったんだけど……手はいつになったら離してくれるんだ?」
 あっという声と同時に、彼女の細い手がするりとほどける。
「えーとですねぇ……こ、こういうスキンシップも大事かなって思って!」
 こじつけ感がすごい。第一友達になってまだ精々、半日ちょっとしか経っていないというのに、一緒にお昼を食べようと言い出したり、この距離感の詰め方はなんなんだ。
 見ると、珍しく彼女がちょっと赤面していた。あんまりこういうのにいちいち反応するようなタイプではないと思っていたのだが、意外とそうでもないのか……。
 かくいう俺も、自分の顔がまったく赤くなっていないとは確実に言い切れる保証はないので、ここは無難に話を戻すことにした。
「なんで田上にあんな嘘ついたんだよ?」
「それは……その方が都合が良かったもので」
「都合がよかった?」
「はい、実はわたし、田上くんのことちょっと苦手なんです。入学式の日からもう十回もふってるのに、まだ絡んでくるんですよ、あの人」
「えっ、お前、田上に告白されたことあんの!? それも十回も!?」
 初耳だった。これには俺も驚きを隠せず、思わず後ろにのけぞってこけそうになる。
 にしても、田上の奴もよくやるな……十回断られても折れないなんて。
 田上の諦めの悪さには、もはや、感心すらもを覚えた。

「それであんまりにも通知がうるさいので、ついこの間、連絡先もブロックしてやりましたよ」
「まぁまぁ、田上もきっとやる事なくてお前に構ってほしかったんじゃないのか?」
「誰があんなナルシストなんかに……」
 どうやら浅野の田上に対する不満は相当なものらしい。
 彼女がこれほどまでに田上のことを嫌悪する理由はわからないが、ここまでくると逆に田上のことが不憫に思えてきてしまった。ドンマイ、田上……。

「ここにしましょう」
 ずっとぶつぶつ田上の愚痴を言っている浅野をなだめながらやってきたのは、旧校舎の一番奥にある空き教室だった。当然ながら俺達以外に人はいない。
 そもそも旧校舎の大半が、もうほとんど使われておらず、おんぼろの物置き状態と化しているのだ。中でも特に劣化が進んでいる教室に至っては、錆びついてドアの鍵も機能しなくなっているという。
 とはいえ、勝手に使っていいものなのだろうか。後から文句を言われるのだけは、正直ごめんだ。
「無断で入って平気なのか? バレて怒られたりしない?」
「その時は全部、わたしが責任取ります。だから、大丈夫です!」
 つまるところ、許可は取っていないということだ。責任よりも先に取っておいてほしいものがある。って、こいつに言っても無駄か。
 なぜか得意げな顔でグットサインを向けてくる彼女の能天気さに、俺はやれやれと肩をすくめた。

「お弁当にカレー持ってくる人、初めて見ました。よっぽど好きなんですね」
「い、いいだろ、別に」
 教室に入った俺達は、日当たりがよさそうな窓際の席二つを適当に選んで座った。長年、そのままになっているんだろう机やイスは背もたれや脚がだいぶもろくなっていて、無駄に身長180センチもある俺の図体を支えるのには少々、心もとなかった
「実を言うと、今日は悟さんに一つお願いがあるんです」
「お願い? 俺に?」
「はい」
 カレーの付け合せのゆで卵をを完全に飲みこんでから俺は聞き返す。
「そろそろ木ノ瀬祭(このせさい)が近いじゃないですか」
「ああ、もうそんな時季か」
 木ノ瀬祭とは、俺達の通う木ノ瀬川高校にて、年に一回行われている文化祭のことだ。規模自体はそこまで大きくはないものの、例年、なかなかの盛り上がりを見せるらしい。俺達はまだ一年だから、実際に自分の目で見たことはないが。
 そういや、うちのクラスでも、入学してすぐくらいにクラスムービー撮ったっけ。
「それでわたし、文化祭の実行委員になったんです」
「えっ、マジで? すごいな、それは」
 確か、文化祭実行委員は立候補制だったはずだ。となると、浅野も恐らくは自分から名乗り出たのだろう。
 俺だったら絶対にしない。そもそもそんな大役、俺に務まるわけもないだろうし。
「木ノ瀬祭では毎年、クラスの出し物に加えて一般ステージをやるそうなんです。でも、まだ一つだけ枠が余ってまして。そこで悟さん、よかったらやってみませんか?」
「お、俺が!?」
 急な提案に、俺は飲んでいた水筒のお茶をこぼしそうになる。
「わたし、昨日、カラオケの時に思ったんです。悟さんの歌を、もっとたくさんの人に聞いてほしいって」
 それが冷やかしでないことは、浅野の真剣な目を見ればすぐにわかった。
「……少し、考えさせてくれないか?」
 以前までの俺であればきっと断っていた。けれど、この瞬間、心にかすかな迷いが生じた。

* * *

「なぁ、悟! オレと一緒に歌い手活動やってみないか!?」
 始まりは中学二年にあがってすぐのことだった。
 幼なじみの俊太が、ある日、突然、そんな突拍子もない誘いを持ちかけてきたのは。
「歌い手活動? それってまさか、MyTubeとか、にっこり動画とかでよく見るやつ?」
「そうそう! さっすがオレの幼なじみ! よくわかってんじゃん!」
 元々、俺は音楽にさほど興味があったわけではない。ただ、昔から歌うことが好きだった俊太の話に、それこそ幼稚園の頃からいつも付き合わされていたから、それなりに知識はあったというだけ。
「いやいや、無理だろ。俊太はともかく、俺、学校行事以外で人前で歌ったことなんてないし」
「大丈夫大丈夫! 悟、結構、いい声してるし、やってみたら絶対、上手くなるって!」
 てっきり最初は、冗談のつもりで言っているのだと思った。
「この通り! 頼むよ、悟!」
 しかし、なりふり構わず土下座してまで必死で頼みこんでくる俊太に、これはガチなやつなんだと途中で俺も気付いた。
「で、でもなぁ……」
「オレは悟と一緒に歌いたいんだ! じゃなきゃ納得がいかない! 悟は俺の一番の親友だから!」
 すべては俊太のその言葉があったからだった。俺もこいつにいっちょ付きやってやろうと思ったのは。
 散々、渋った後、「しゃーねぇな」と返事をした俺に、俊太はわざらしく「心の友よ〜!」なんて、某アニメキャラみたいなセリフを言いながら暑苦しく肩を抱いてきた。
 最もどちらかというといじられキャラだった俊太は、男子にしては体も小柄でもやしみたいにひょろひょろだったので、乱暴者の某アニメキャラとは性格も外見も似ても似つかなかったが。
 
 それからほとんど一日もしない内に、俺達のユニット名も俊太がぱっと決めてしまった。
 その名も”Twinkles(トウィンクルズ)”。元々、英語で光とか輝きとか、煌めきとかいう意味を持つTwinkle(トウィンクル)を複数形にして、”二つの輝き”という意味合いをこめたらしい。普段は考えることが苦手なくせして、その時だけは真剣だった俊太の横顔は今思い出してもちょっと笑える。
「活動名はどうする? 流石に本名じゃまずいだろ」
「んー、そうだなぁ。オレがしゅんで、悟がさとるんってのはどうだ?」
「急に適当だな!? さっきのセンスはどこいったんだよ!?」
 それにしゅんはまだいいものの、さとるんは問答無用で却下だ。
「えー、いいじゃん。さとるんってなんか可愛いし、響きが」
「やめてくれ……俺に可愛い系は100パー似合わん」
「でも、女子ウケ狙えるかもよ?」
「そもそも興味ねぇし。てか、モテたことないお前が言うな」
「えっ、ひっどぉ! 先生ー! さとるんに悪口言われましたー!」
「悪口じゃねぇ! 後、さとるんって言うなっ!!」
 結論から言うと、俺達の活動名はしゅんとさとるんに決まった。バカ二人が頭をひねったところで、他にピンとくる案が思い付かなかったのだ。とはいえ、今になって思えば、もう少しマシなものがあったんじゃないかとも思うが……。

T(ティー)W(ダブリュー)I(アイ)N(エヌ)K(ケー)L(エル)E(イー)S(エス)! はーい、どうも皆さん、こんにちは! 新歌い手グループTwinklesのリーダー、しゅんと!」
「さとるんでーす、ども」
「カットカット! 一発目の自己紹介動画なんだから、もっとお腹から声出してよ、悟! ていうか、なんでそんなにテンション低いの!?」
「お前の挨拶がにぎやかすぎて、こっちはついていけねぇんだよ……それに俺達、二人だけだし、グループっって呼べるほどの人数じゃなくね?」
「こういうの最初が肝心なんだよ! 後、細かいことは気にしない!」
 次の日から俺達は活動を開始した。主な活動内容は、MyTubeへの動画投稿で、多い時は週に二、三本は動画を投稿していた。それくらい俊太のやる気は凄まじかったのだ。
「悟! 今日アップする動画、学校終わったらオレんちで一緒に見ようぜ!」
 録音に編集作業と、その他もろもろやることは決して少なくなかったように思う。加えて、顔出しは流石にハードルが高いからと、動画で使うイラストも自分達で描いていた。とはいえ、俺は絵心に至っては皆無に等しかったので、ほとんど全部、俊太が描いてくれていた。俊太はバカだけど、器用な奴で勉強以外のことは基本的になんだってよくできた。
「やっぱ、オレ達、才能あるんじゃね!? 一昨日の動画、もう百回以上も再生されてるぞ!」
 今思えば、俺はずっと俊太に頼りっぱなしだった気がする。もちろん、編集作業など、まったく手伝っていなかったわけではないが。それにしたって、俊太の負担の方がずっと大きかったに決まっている。
「あいかわらず悟はノリが悪いなー、ここはもっと素直に喜ぶところだろ!」
 それでも俺が見る俊太は、いつもすごく楽しそうに笑っていて、ましてや弱音なんて一度も聞いたことがなかった。

「オレ達の歌が、いつか誰かの生きる希望になったらいいなって思うんだ」
 ある時、打ち上げがてらに行った先のカラオケで俊太が言っていたのを思い出す。その頃の俺達はまだまだ未熟ではあるものの、少しずつ動画の再生回数を伸ばしていた。とはいえ、しょせん、いっても三桁程度にしか満たない数だったが。
「急になにかっこつけてんだよ、お前。それもいっちょ前にコーヒーなんか頼んじゃってさ。ミルクとガムシロいる?」
「今日はブラックな気分なんだよ! ああ、別に暗いとかけてるわけじゃなくて」
「出た、俊太のしょーもないギャク」
「失礼な! 後、ここ笑うとこだから!」
「アハハ、面白いなぁー」
「めっちゃ棒読み!」
 その後、結局、人生初のブラックコーヒーに文字通り苦い顔をした俊太が、ミルクとガムシロをドボドボ入れるのを目撃したが、俺は言わんこっちゃないと内心で肩をすくめるにとどめておいてやった。
「なんかさ、元気出るんじゃん? 音楽聴くと。だからオレも、いつか自分の歌で落ちこんでる誰かのこと励ましてあげたいんだよね」
 ひょっとしたら俊太は、普通の会話感覚で、なにげなくそう口にしただけだったのかもしれない。でも、確かに、その時の俊太の言葉は、俺の心に強く響くものがあったんだ。

 以来、俺はTwinklesの活動に一段と精を出すようになった。それまではきっとどこか遊び心半分でやっていた部分があったんだと思う。だけど、あの時、俊太が胸に秘めていた想いを知って、それが俺の着火剤になった。

 Twinklesを結成して、もうじき一年が経とうとしていた頃だった。当時、中三になっていた俺は、受験勉強もそっちのけで歌い手活動に没頭していたように思う。
 なんなら俊太と二人、目指せチャンネル登録者100万人なんて高すぎる目標を、悠長に掲げていたほどだ。
 ずっとこのまま、大人になっても俺達はTwinklesとしてやっていく。俊太と二人で、世界中の人に俺達の歌声を届けるんだ。そう思っていたのに……。

 俊太はある日、こつ然と俺の前からいなくなった。
 言ってしまえば、あれは不慮の事故だった。塾からの帰り道、俊太はブレーキとアクセルを踏み間違えた車に轢かれて亡くなった。突っこまれた勢いで、近くのガードレールに頭を強く打ちつけて即死だったらしい。
 俺の知らないところで、俊太は最後、何を言うこともなくこの世を去ったのだ。
 事故の話を聞かされた直後、俺はたった一人、滅びゆく世界に取り残されたような絶望に打ちのめされた。少なくともショックで、しばらくの間、学校にも行けず、ずっと家に閉じこもりっぱなしだった。

 ――俺達が今までやってきたことは、あいつと歌ってきた時間は何だった?

 それからはまるで心にぽっかりと穴が空いてしまったみたいだった。

 当然だが、Twiklesの活動は休止した。というより、もはや、あれは投げ出したというに近い。
 俊太と撮った記念すべき最初の自己紹介動画も、どんなに伸びた歌ってみたも見ていると俊太のことを思い出して余計、辛くなるだけだった。
 しょせん、俊太がいなければ、俺は何にもなれない。いや、ひょっとしたら最初から全部、間違っていたのかもしれないとすら思えた。俺なんかが俊太のとなりに立って歌うなんて。きっと俺がそれまで見ていた景色は、キラキラしすぎていたんだ。
 
* * *

 学校から帰ると、俺はスマホを片手に制服のままベッドに寝転がった。MyTubeを開き、少し迷った末にTwinklesの名前を検索する。
 すると、昔、俺達が投稿した歌ってみた動画がいくつも出てきた。そのまま下にスクロールして、Hope Your Smileの歌ってみたを再生する。
 そりゃ当然、他の有名な歌い手さんと比べたら、俺達は到底その足元にも及ばないだろう。しょせんは中学生のお遊びのようなものだ。
「俊太……」
 途中まで聴いて、俺は動画を止めた。
 もう長いこと、音楽自体、聴いていなかったのに。自分でも無駄なことをしたと思う。
「あれ……いつの間に、コメント来てたのか」
 動画を完全に閉じてしまおうとした直前、コメント欄が目に付く。そこにはたった一件だけ、こんなコメントがよせられていた。

『素敵な歌声ですね。思わず、聴き惚れちゃいました。ぜひ、また聴かせてください!」

 綺麗な朝焼けのイラストのアイコン。アカウント名のところを見ると、アルファベットで@Asahi(あさひ)と表示されていた。
「ぜひ、また聴かせてください、か……」
 最後の一文を声に出して読み上げる。とたん、俺は申し訳ないようなやるせないような複雑な気持ちになった。
 きっと、もう俺がTwinkelsとして動画をあげることは二度とない。
 ――でも、だからって、本当にいいのか? このまま終わって。
「よくねぇ、よな……」
 少なからず今、俺の歌を必要としてくれている人がいる。だったら、せめて俺は彼女の気持ちに応えるべきなんじゃないのか。
「……やってやるよ」
 目を閉じ考えて出した応え。俺の中でずっと止まっていた時計の秒針が、その時、再び動き出したような気がした。