【5.夜】

 チョーク家の夕食は、大鍋にたっぷりの野菜と肉を煮込んだ「田舎シチュー」と、採れたてジャガイモのグリル、そして生野菜サラダなどが並ぶ。農場のスタッフも交え、賑やかな食卓となった。

 「ほら、バルカンさん、遠慮なく食べなさいな! 今日掘った芋も入ってるからね!」

 チョークの奥さんがニコニコしながら皿を差し出すと、バルカンは一瞬戸惑いながらも受け取る。フォークでシチューをすくって口に運ぶと、心底驚いたような表情を浮かべた。

 「……旨い。素材の味が濃い……」

 「でしょ! うちの畑は"土作り"からこだわってるんだ。甘みと香りが違うんだよ!」

 バルカンはさらにジャガイモグリルを一口かじり、「……こんなにホクホクした芋、初めて食べたかもしれん」としみじみ呟く。

 アンナは「うふふ、初体験づくしですね」と微笑む。「でも、バルカンさんが今日の作業で掘った芋が入ってるって考えたら、ちょっと嬉しくないですか?」

 「自分の手で掘った芋……か。これが命を生み出すってことかもしれん。今まで俺は“命を奪いあい”しかしてこなかったから……変な感じだ」

 その言葉にテーブルのあちこちから「お、おお…」という微妙なリアクション。「壮絶だな…」「命の奪いあい…」などとヒソヒソ囁くスタッフもいるが、バルカンは意に介さず黙々と食事を続けた。

 「バルカンさん、よかったらもっと食べてください!」

 「……ああ、じゃあ遠慮なく……」

 彼がおかわりを要求する姿に、アンナは、バルカンが少しずつ打ち解けていると感じ嬉しくなる。エマも「目に見えて表情が柔らかくなってるわ」と感じ、胸をなでおろした。

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 夕食後、アンナとエマは離れに用意された客間へ通される。畳敷きに近い簡素な床と、ふかふかの寝具が並び、ランプが一つだけ灯る。

 「わあ、なんか落ち着く部屋~」

 アンナはスリッパを脱いで部屋に上がり、藁を編み込んで作ったマットレスをふにふに踏む。エマは鞄を下ろし、「明日はもう少し作業を見学する形になるかもね」とスケジュールを確認している。

 「バルカンさん、ちゃんと寝られるといいけど……。ああいう人、ベッドとか慣れてないかもしれないよね」

 「そうね。なんか野宿のほうが性に合ってるとか言いそうだけど……でも、平和だし、ここはゆっくり休んでくれるんじゃない?」

 二人がそんな話をしていると、「コンコン」と離れの戸をノックする音。アンナが戸を開けると、そこにはバルカンが立っていた。

 「あら、バルカンさん、どうしたんですか?」

 「すまん。さっきチョークから『離れの方に行ってみろ』と言われたんだが……」

 どうやら部屋が分かれていることを知らず、どこで寝ればいいのか迷っていたらしい。結果、チョークの指示でこちらに来たというわけだ。

 「あはは、男性陣の部屋はこの離れの隣ですよ。ここは私とエマの部屋なんで……」

 「そうか。すまん、では失礼した……」

 言って、バルカンは去ろうとしたが、アンナは思わず彼の腕をつかむ。「あ、ちょっと待って。夜風が気持ちいいし、私も少し外に出てみようかな。バルカンさん、よかったら一緒に庭で話しません?」

 バルカンは一瞬「え……」と戸惑いの色を見せるが、やがて静かに頷く。

 「いいだろう。少し外の空気を吸いたかったところだ」

 エマは「いってらっしゃい」と苦笑しながら二人を見送った。

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 農家の裏手には、小さな畑と倉庫、そして広い空があった。夜空には星が瞬き、昼間の喧騒が嘘のような静寂が広がっている。
 アンナとバルカンは、納屋の脇に立ちながら星を見上げる。薄暗いが、月と星明かりのおかげでぼんやり風景が見える。

 「……きれい……星がいっぱい……」

 アンナが素直に感動の声を上げると、バルカンもちらりと視線を向ける。

 「うむ。戦場を駆けていた頃は、夜空をちゃんと見上げる余裕なんてなかったな……」

 その言い方に、アンナは少し興味を惹かれ、「バルカンさんって、魔王軍と戦ってた頃は本当に毎日が修羅場だったんでしょうね……」と切り出す。

 「そうだ。寝る間も惜しんで戦った。街を蹂躙するアンデッドの群れ、空から襲いくるドラゴン……仲間と協力しながら、ひたすら拳を振るい、片っ端から倒す。そんな日々だった」

 バルカンの声は静かだが、そこには重苦しい過去の記憶が宿っている。アンナは「あ……無神経だったかな」と少し後悔しつつも、そのまま耳を傾ける。

 「でも、魔王が倒された今、世界は平和になった。……本来なら、俺も喜ぶべきなんだ。人々が笑顔で安心して暮らせる時代が来た……だけど、気づけば俺は何をすればいいのかわからなくなっていた」

 「バルカンさん……」

 「武の道とは、敵を倒すために研鑽するものだと思っていた。だが、敵がいなくなったら……俺は何のために拳を鍛えればいい? もしかして、何も残らないんじゃないか……そう思うと恐ろしくてな」

 アンナはその言葉に真剣な表情で頷く。

 「それで、転職を決心したんですね。でも、農業を体験してみて、何か感じるものはありましたか?」

 少しの沈黙の後、バルカンはぽつりと言う。

 「正直……悪くなかった。土に触れ、作物を収穫する。確かに地味だが、命を育てる行為なんだと、体で理解した。拳で奪うのではなく、拳で“作る”……そんな生き方があるかもしれないと、少しだけ希望が湧いた」

 アンナは思わず胸が熱くなる。拳の力を「奪う」から「作る」へ――その意識の変化は、彼にとって大きな一歩だろう。

 「もし“農家という道”が自分に合っているとわかったら、神殿でジョブチェンジの儀式を受けてみませんか? もしかしたら破邪の爪もそれにふさわしい姿に変身するかもしれませんよ?」

 「ふっ……それも案外この爪のためにも悪くないかもな……」と腕に装備した爪を眺めて言った。

 二人は星空の下でそんな会話を交わし、自然に笑みがこぼれる。アンナは改めて思った。“拳聖バルカンは怖い人じゃない。むしろ、すごく純粋な人なんだ”と。

 やがて冷たい夜風が頬を撫で、アンナは「そろそろ戻りましょうか」と声をかける。

 「明日も農作業がありますから、ちゃんと休んでくださいね!」

 「ああ、そうだな。ありがとう……」

 「いえいえ、こちらこそ!」

 宿泊先に戻る足取りは、二人ともなんだか軽やかだった。握った拳に今までとは違う温もりを感じながら、バルカンは心の奥底で「明日もやってみよう」と決意を新たにしていた。