【2.拳聖バルカン現る】
その午後、神殿が本当に揺れんばかりの騒ぎが起こった。
「き、来ました! 本当に拳聖――バルカン・ハミルカルが神殿に来ちゃいましたよ!」
「ひいい、SSSランクの武闘家ってどんな化け物なの……?」
「絶対に機嫌損ねたらやばいって……」
スタッフや他の冒険者が口々に動揺し、ざわざわと遠巻きに見つめている。そこへアンナとエマが急いで駆けつけた。
大広間の中央に、一人の男が仁王立ちしていた。
髪は上で短く刈って後ろで辮髪にまとめ、口元にはちょびヒゲ。身長はそれほど高くないが、筋肉の密度と威圧感が凄まじく、一見しただけで他の冒険者と格が違うことが分かる。
装備は軽装だが、両手に「破邪の爪」と呼ばれる伝説級の篭手状の武具を携えており、放たれる闘気は尋常ではない。
周囲の人々は彼に近づこうとはせず、まるでライオンの檻を覗くかのごとく遠巻きにしている。アンナは(怖い……)と一瞬身がすくむが、新人巫女として逃げるわけにはいかない。
「えっと、バルカン・ハミルカルさん……ですよね? 本日は転職のご相談でしょうか?」
勇気を振り絞って声をかけると、男はゆっくりとアンナに視線を下ろす。その瞳には確かな力が宿っているが、どこか静かな寂寥感もにじませている。
「そうだ。俺は冒険者ランクSSS、ジョブは武闘家レベル131……。この拳で魔王軍を殲滅してきた。だが、もう時代が変わったからな。俺も一般職に転職する必要があると聞いた」
アンナは内心「うわ、SSSにレベル100超え……」とビビりつつも、笑顔を保つ。
「は、はい! 私、アンナ・ボーデブルグと申します! こっちはエマ・エスポワールです! 私たちが転職のお手伝いをしますね!」
エマは恭しく一礼。「どうぞよろしくお願いします」
バルカンは一瞬、そのクールで仕事ができそうなエマを見つめる。それに比べてアンナの“ほわほわ幼げ”な雰囲気…対照的な二人組に、少し戸惑っているようにも見えたが、すぐに静かに頷いた。
「よろしく。こんな俺を、本当に転職させられるのか……?」
その言い方にはわずかな挑戦めいた響きもあったが、アンナはめげない。「もちろん、頑張りますよ! まずは相談室でお話を聞かせてください!」
こうして大広間をざわつかせていた拳聖バルカンは、アンナとエマに連れられて奥のカウンセリングルームへと移動する。周囲の喧騒の中、二人の巫女は緊張で胸がはち切れる思いだった。
====================
カウンセリングルームは、白を基調としたシンプルな小部屋で、テーブルと椅子が三脚。壁には神殿の紋章が飾られ、窓から差し込む柔らかな光が部屋を照らしている。
バルカンが椅子に腰を下ろすと、アンナとエマも向かい合うように座る。最初の数秒、微妙な沈黙が漂う。
(どうしよう、どこから話を切り出せば……)
アンナは内心で焦りながらも、気さくに切り出す。
「えっと……まずは、バルカンさんがどういった職業を希望しているか聞かせてもらえますか? 求人リストには農業、工芸、商業、教育、いろいろあるんですが……」
するとバルカンは眉間にしわを寄せ、低い声で答える。
「正直、何が合うのか見当もつかない。戦いが終わった今、俺の拳にどんな価値があるのか……。ずっと自問してきたが、答えは出なかった」
その言葉には重みがあった。エマは静かに頷き、「つまり“何をしたらいいか全然わからない”という状況なんですね」とまとめる。バルカンはわずかに肩を落とす。
「そうだ。もしまだ魔王軍が生きていれば、俺はその拳を振るい続けるだけでよかった。だが、今は世界が平和になり、誰もがモンスターの脅威を忘れつつある。そんな中で俺は……空っぽだ。生きる目的を失ったようなものだ」
言葉こそ淡々としているが、その瞳にはかすかな哀しみが宿っている。アンナの胸はきゅっと締め付けられるような感覚に襲われた。
「バルカンさん……」
「すまん。愚痴のようになってしまったが、事実なんだ。だからこそ、転職が必要なのは理解している。だが、何をどうすればいいのか……」
エマが小さく深呼吸をし、慎重に言葉を選ぶ。
「一般職にも色々あります。警備や護衛、運送業の荷運び、あるいは武術指導なども考えられますが……興味はありませんか?」
「警備や護衛では、結局“戦う仕事”だろう? 時代が平和でも、そういう仕事はあるだろうが……俺が求めるものとは少し違う気がする。武術指導も、俺には向かん。俺は教えるより、自分で極めるほうを好んできたからな」
アンナは「う~ん」と唸りつつ、書類の束をぱらぱらめくる。筋肉を使う仕事はいくらでもあるが、それがバルカンの“心”にマッチするかは別問題。
(この人、ただ身体を動かせればいいってわけじゃない。魂を燃やしていた相手――魔王軍――を失って、完全に居場所を見失ってるんだろうな……)
直感的にそう感じ取ったアンナは、求人票をパラパラとめくり、ある1枚を探し出した。
そして、少しだけ勇気を出して提案した。
「もしよければ、一度“●●”を体験してみませんか? 意外と思われるかもですが、すべてが根気と鍛錬を要する“道を究める仕事”って言えるかもしれませんよ?」
バルカンは眉をひそめる。しかしアンナはそのまま続けた。
「まぁ、合わないと思ったら別の候補もありますし、まずは現場を見てみるのが大事です。今、元冒険者向けに“お試し体験”をやってくれるんですよ。明日、そこで実際にやってみて、感じるものがあれば……」
「……わかった。やるだけやってみよう。何もしないままでは、どうにもならん」
その一言に、アンナは心底ほっとする。エマも「いいスタートね」と口元を緩める。
こうして拳聖バルカンの“お仕事体験”が決まったのだった。
その午後、神殿が本当に揺れんばかりの騒ぎが起こった。
「き、来ました! 本当に拳聖――バルカン・ハミルカルが神殿に来ちゃいましたよ!」
「ひいい、SSSランクの武闘家ってどんな化け物なの……?」
「絶対に機嫌損ねたらやばいって……」
スタッフや他の冒険者が口々に動揺し、ざわざわと遠巻きに見つめている。そこへアンナとエマが急いで駆けつけた。
大広間の中央に、一人の男が仁王立ちしていた。
髪は上で短く刈って後ろで辮髪にまとめ、口元にはちょびヒゲ。身長はそれほど高くないが、筋肉の密度と威圧感が凄まじく、一見しただけで他の冒険者と格が違うことが分かる。
装備は軽装だが、両手に「破邪の爪」と呼ばれる伝説級の篭手状の武具を携えており、放たれる闘気は尋常ではない。
周囲の人々は彼に近づこうとはせず、まるでライオンの檻を覗くかのごとく遠巻きにしている。アンナは(怖い……)と一瞬身がすくむが、新人巫女として逃げるわけにはいかない。
「えっと、バルカン・ハミルカルさん……ですよね? 本日は転職のご相談でしょうか?」
勇気を振り絞って声をかけると、男はゆっくりとアンナに視線を下ろす。その瞳には確かな力が宿っているが、どこか静かな寂寥感もにじませている。
「そうだ。俺は冒険者ランクSSS、ジョブは武闘家レベル131……。この拳で魔王軍を殲滅してきた。だが、もう時代が変わったからな。俺も一般職に転職する必要があると聞いた」
アンナは内心「うわ、SSSにレベル100超え……」とビビりつつも、笑顔を保つ。
「は、はい! 私、アンナ・ボーデブルグと申します! こっちはエマ・エスポワールです! 私たちが転職のお手伝いをしますね!」
エマは恭しく一礼。「どうぞよろしくお願いします」
バルカンは一瞬、そのクールで仕事ができそうなエマを見つめる。それに比べてアンナの“ほわほわ幼げ”な雰囲気…対照的な二人組に、少し戸惑っているようにも見えたが、すぐに静かに頷いた。
「よろしく。こんな俺を、本当に転職させられるのか……?」
その言い方にはわずかな挑戦めいた響きもあったが、アンナはめげない。「もちろん、頑張りますよ! まずは相談室でお話を聞かせてください!」
こうして大広間をざわつかせていた拳聖バルカンは、アンナとエマに連れられて奥のカウンセリングルームへと移動する。周囲の喧騒の中、二人の巫女は緊張で胸がはち切れる思いだった。
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カウンセリングルームは、白を基調としたシンプルな小部屋で、テーブルと椅子が三脚。壁には神殿の紋章が飾られ、窓から差し込む柔らかな光が部屋を照らしている。
バルカンが椅子に腰を下ろすと、アンナとエマも向かい合うように座る。最初の数秒、微妙な沈黙が漂う。
(どうしよう、どこから話を切り出せば……)
アンナは内心で焦りながらも、気さくに切り出す。
「えっと……まずは、バルカンさんがどういった職業を希望しているか聞かせてもらえますか? 求人リストには農業、工芸、商業、教育、いろいろあるんですが……」
するとバルカンは眉間にしわを寄せ、低い声で答える。
「正直、何が合うのか見当もつかない。戦いが終わった今、俺の拳にどんな価値があるのか……。ずっと自問してきたが、答えは出なかった」
その言葉には重みがあった。エマは静かに頷き、「つまり“何をしたらいいか全然わからない”という状況なんですね」とまとめる。バルカンはわずかに肩を落とす。
「そうだ。もしまだ魔王軍が生きていれば、俺はその拳を振るい続けるだけでよかった。だが、今は世界が平和になり、誰もがモンスターの脅威を忘れつつある。そんな中で俺は……空っぽだ。生きる目的を失ったようなものだ」
言葉こそ淡々としているが、その瞳にはかすかな哀しみが宿っている。アンナの胸はきゅっと締め付けられるような感覚に襲われた。
「バルカンさん……」
「すまん。愚痴のようになってしまったが、事実なんだ。だからこそ、転職が必要なのは理解している。だが、何をどうすればいいのか……」
エマが小さく深呼吸をし、慎重に言葉を選ぶ。
「一般職にも色々あります。警備や護衛、運送業の荷運び、あるいは武術指導なども考えられますが……興味はありませんか?」
「警備や護衛では、結局“戦う仕事”だろう? 時代が平和でも、そういう仕事はあるだろうが……俺が求めるものとは少し違う気がする。武術指導も、俺には向かん。俺は教えるより、自分で極めるほうを好んできたからな」
アンナは「う~ん」と唸りつつ、書類の束をぱらぱらめくる。筋肉を使う仕事はいくらでもあるが、それがバルカンの“心”にマッチするかは別問題。
(この人、ただ身体を動かせればいいってわけじゃない。魂を燃やしていた相手――魔王軍――を失って、完全に居場所を見失ってるんだろうな……)
直感的にそう感じ取ったアンナは、求人票をパラパラとめくり、ある1枚を探し出した。
そして、少しだけ勇気を出して提案した。
「もしよければ、一度“●●”を体験してみませんか? 意外と思われるかもですが、すべてが根気と鍛錬を要する“道を究める仕事”って言えるかもしれませんよ?」
バルカンは眉をひそめる。しかしアンナはそのまま続けた。
「まぁ、合わないと思ったら別の候補もありますし、まずは現場を見てみるのが大事です。今、元冒険者向けに“お試し体験”をやってくれるんですよ。明日、そこで実際にやってみて、感じるものがあれば……」
「……わかった。やるだけやってみよう。何もしないままでは、どうにもならん」
その一言に、アンナは心底ほっとする。エマも「いいスタートね」と口元を緩める。
こうして拳聖バルカンの“お仕事体験”が決まったのだった。
