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「みんなに大切な話があるの」

 陣内が訪問してから3日。
 私たちは種蒔さんの呼び掛けによって屋敷の1階にある大広間に集められた。
 食事のとき以外にこうしてマザーパラダイスのメンバーが一堂に集まることは極めて珍しい。

「新しい依頼? いや、だとしたらハッチとアイラまで集めるのはおかしいな。てことはついに2人もデビューするのか?」

「あんたバカなの? いい加減空気を読むってことを覚えなさいよね。見てみなさい。スコップよりアイラの方がしっかりしてるわよ」

 キララがスコップの被っていた迷彩柄の帽子のツバをバシッと叩いた。
 その衝撃で帽子がずり落ち、スコップの顔が隠れる。

「スコップ、大切なお話」

 大人しく椅子に座っていたアイラがニコッとスコップに笑みを向けた。
 キララの言う通り、これではどちらが年上かわからない。

「マザー、大切な話って?」

 リーダーであるウシオが場を仕切り直す。

「突然だけど、引っ越しをしようと思うの」

 居住地の移動。
 これ自体は別に驚くことではないけれど、先日の陣内の訪問を受けて引っ越しの決断に踏み切ったとなると、少々厄介なことになる。

 種蒔さんが陣内と交わした15歳まで私たちを育てるという契約に背いたと捉えられる可能性があるからだ。

 種蒔さんの独断で動いたとなれば陣内から報復を受けかねない。
 だが、種蒔さんもいい大人だ。それを理解した上で引っ越す決意を固めたのだろう。

「マザー、引っ越し先に当てがあるのか?」

 壁際に寄り掛かるようにして立っていたキノコが種蒔さんに疑問をぶつける。

「ずっとずっと遠く。自然が豊かで周りに人がいない静かな場所。食べる物は自分たちで育てて、楽しく暮らしていこう」

 生と死が隣り合わせの環境下で生きてきた私にとってそれは理想の場所のように思えた。
 それと同時に闇社会に足を踏み入れてしまっている私たちは察してしまう。
 そんな理想郷などどこにも存在しないということに。

 私たちはこれまで依頼という形で多くの人を裁いてきた。
 裁かれた人には当然家族や仲間がいる。

 私たちはその人たちから一生恨まれ続けながら生きていかなくてはならない。
 中には復讐を誓っている者もいるはずだ。

 そういった人間を全て排除しない限り私たちに真の平和は訪れない。

「あたしはみんなと一緒にいられればそれだけで幸せだけど。みんなは?」

 コグマは引っ越しに前向きなようだ。
 一方で最年少のハッチとアイラは引っ越しと聞いてもいまいちピンと来ていない様子。
 他のメンバーも突然引っ越すと言われてもまだ頭の整理が追いついていないみたいだ。

「みんな、本当に申し訳ないんだけど今すぐにでも引っ越しをしたいと思ってるの。みんな思うところはあると思う。でも、私の最初で最後のわがままだと思って聞いてくれないかな? お願いします」

 種蒔さんが頭を深く下げた。
 普段完璧な種蒔さんがこれだけ真剣に何かを頼む姿は記憶を遡っても思い出せない。

 それゆえ、マザーパラダイスのメンバーも種蒔さんのお願いを受け入れることに決めた。

「わかりました。とはいえ、準備をする時間は欲しいので1時間後でもいいですか?」

「ありがとうウシオ。じゃあ1時間後に屋敷の前に集合にしましょう。みんなもありがとう」

 話し合いが終わり、それぞれが自分の荷物をまとめるべく動き始めようとした刹那、外から物凄い衝撃音が聞こえてきた。

 それと同時に激しい突風が屋敷を襲う。
 窓ガラスがガタガタと音を立て、今にも割れてしまいそうだ。

 私とウシオは外の様子を窺うべく、誰よりも早く窓の前に身を伏せた。

「嘘でしょ」

 信じられないことにマザーパラダイスの敷地と外を隔てる黒門が跡形も無く砕け散っていた。
 頑丈な黒門が木っ端微塵だ。

「ハハッ! 派手に吹っ飛んだなぁ。おいおい隠れてないで出てこいよ。全員この鉄屑みたいにバラバラにしてやるからよォ」

 銀髪の男がこちらに視線を向け、威勢よく叫んでいる。歳は私より5つほど上だろうか。
 男の手には漆黒の剣が握られていた。
 恐らくあの剣で黒門を破壊したのだろう。

「遅かった……」

 種蒔さんが頭を抱え、その場に膝をついた。
 頭を抱える手が震えていて焦点も定まっていない。

 絶望と恐怖。
 この2つが種蒔さんを支配していた。

「ウシオ、後ろにいるのって」

「うん、陣内さんだね」

 男の背後に陣内の姿があった。
 なるほど。全ては陣内の差し金というわけか。

「玲於奈」

「うん」

 ウシオとアイコンタクトを交わした直後、私たちは屋敷の外に飛び出していた。
 あらゆる敵と対峙してきた私の勘がこの少年は危険だと判断した。

 戦わずに逃げるという選択肢もあったが、どうやらこの男から無傷で逃げ切ることは叶わなさそうだ。
 だとしたらマザーパラダイスの最年長である私とウシオが盾となり、みんなが逃げるまでの時間を稼ぐしかない。

「面白ぇ。自分から殺されに来ましたってかぁ?」

咲夜(さくや)、被害は最小限に抑えろ」

「うっせぇーな。んなこと言われなくてもわかってんだよ。でもよぉ、こいつが言うこと聞くかはまた別の話だぜ」

 咲夜が漆黒の剣を天に掲げると、鍔の中央に埋め込まれていた赤い水晶体が強烈な光を放った。
 その輝きを目にした陣内が咲夜との距離を詰める。

「おい、わかってるとは思うが手ェ出すんじゃねーぞ」

「ここまで連れてきたのは私だ。もう好きにしろ」

 陣内が咲夜に背を向けたかと思うと、そのまま去ってしまった。

「おい女、今引けば見なかったことにしてやる。俺の目的はお前たちじゃねぇーからな」

「敵の言うことが信用できるか」

 ウシオが敵意剥き出しの視線を向ける。

「悪くねぇ目だ」

 そう溢した咲夜は私たちの背後、屋敷の中にいる種蒔さんに剣先を向けた。

「こそこそ隠れてねぇーで出てこいよ魔剣所有者。さもないとここにいる全員地獄に落ちるぞ。チッ、無視かよ」

 咲夜の意識が屋敷に向いている間に私は月影(つきかげ)を、ウシオは赤棘(あかのいばら)を生成した。
 月影を斜めに構える。

 プレッシャーで体が強張っている。
 落ち着け私。
 相手はこれまでと違って大人ではない。
 男と女で体格に少し差はあるが、咲夜は細身のため許容範囲だ。

 例えあの武器が強力だからといっても経験値という観点から見れば私もウシオも負けていないはずだ。

 種蒔さんの成長促進の異能力も毎日受けてきた。
 自分に自信を持て。

「力尽くはあんまり好みじゃねぇーが、そっちがその気ならやるしかねぇーよなぁ!」

 咲夜が地面を蹴って突っ込んできた。

 私たちはまだ知らない。
 文字通りこれが地獄の幕開けとなることを。