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「止まれ!」

「安らかに眠れ。安眠へ導く胞子(スリーピング・スポアー)!」

 キノコの体から紫色の胞子が噴き出し、立ち塞がっていた男にまとわりつく。
 胞子を吸い込んだ男は白目を剥いてその場に倒れた。

「ナイス、キノコ!」

 コグマが親指を立てて白い歯を見せる。

「コグマ、余裕ぶっこいてないでお前も働け」

「キノコが強すぎるからあたしの出番が無いんだよ」

「まあいい。ウシオに頼まれた以上、4階は俺たちで制圧するぞ」

 ウシオの指示でビルの4階に潜入していたキノコとコグマは、キノコの『安眠へ導く胞子(スリーピング・スポアー)』により敵を無効化させ、着実に奥の部屋を目指して足を進めていた。

 3階で遭遇した孝治(こうじ)が仲間に助けを求める連絡をしたということもあり、奥の部屋が近づくにつれて敵の数も増えてきた。
 しかし、キノコの異能力にかかればそんなものは関係ない。

 キノコの異能力は、敵の状態異常を引き起こすことに特化している。
 3階で見せた、敵を一時的に麻痺状態にする『自由を奪う痺れ胞子(ノーミング・スポアー)』。
 そして、先程発動させた『安眠へ導く胞子(スリーピング・スポアー)』。これは相手を強制的に眠らせることができる。

 殴り合いのような打撃による戦闘こそ得意ではないが、そこはコグマが得意としている領域だ。

 キノコとコグマは、お互いの持っていない要素をカバーし合える理想的なペアと言える。

「上、凄いね」

「ああ、護衛クラスの相手とウシオが戦ってるんだろうな」

「あたしたちも早く片付けて合流しないとね」

 5階から伝わってくる振動や激しい衝撃音がキノコとコグマの足を奥の部屋へと急がせる。
 ウシオの実力を知っている2人は、ウシオが負けるとは思っていないが万が一という言葉もある。

 いち早く合流して戦力を固めた方が堀宮の護衛や堀宮本人と出くわした際に上手く立ち回ることができる。

 それならなぜウシオはわざわざ戦力を分散させたのか。
 大きな理由としては堀宮の護衛の人数と戦闘力が読めなかったことにある。堀宮の護衛との戦闘時間が長引けばその分堀宮本人に逃げる時間を与えることになる。

 ウシオは戦力を分散させることで堀宮に辿り着く確率を上げようと考えたのだ。
 結果として玲於奈とスイが折紙を撃破。
 ウシオが朽田を撃破した。

 どちらもギリギリの勝利ではあったが、ウシオの作戦が上手くハマったと言える。

 ここまでは順調そのもの。
 だが、命を奪い合っている戦場でイレギュラーはつきものだ。
 それがここ4階で起きようとしていた。

「いいか? 俺が扉を開けたら敵を眠らせる。コグマは残った敵を蹴散らせ」

「オッケー。体力が有り余ってるからひと暴れするよ」

 コグマが拳と拳を合わせて鼻から息を吐き出した。
 キノコがドアノブに手を掛ける。

安眠へ導く(スリーピング)——!?」

 室内に充満するはずだった紫色の胞子。

「キノコーーーー!!!!」

 扉を開いた瞬間、鋭い牙がキノコを襲った。
 後方に弾き飛ばされたキノコは右肩を押さえて苦痛に顔を歪める。黒のパーカーが裂け、そこから血が流れていた。

「獣化・熊」

 状況を頭で理解するよりも前にコグマが異能力を解放させた。
 体が茶色の毛で覆われ、一回り巨大化。爪も鋭く伸び、見た目はヒグマそのものに変化した。
 獣化したコグマは室内に目を向ける。

「シェシェ、残念だったな。よりにもよって堀宮さんの護衛の中で1番強い俺、金蛇(かなへび)様を引き当てるなんてよ。いや、運が良かったと言うべきか。シェシェ」

 体長4メートルはあろうかという蛇がシュルシュルと舌を出す。
 コグマと同じ獣化の異能力。モデルは蛇だろう。
 そしてこれは恐らく世界最大の毒蛇と呼ばれるキングコブラだ。

 獣化したコグマの体長は2メートルと少し。
 体格差だけでも倍以上はある。
 それに加えてキングコブラには毒がある。噛まれて毒を注入されたら即死と考えていいだろう。

 幸いなことにキノコには毒の耐性があるため、毒で死ぬようなことはないけれど出血が酷い。
 この戦闘にあまり時間は使っていられない。

「うおーーーーーー!」

 コグマが4つの足で地を蹴る。

熊爪(ベアー・クロー)

 金蛇の頭に向かって前足を振り下ろす。
 人身被害のほとんどはこの固い爪による攻撃だ。人間に限らず動物の首の骨なんかも簡単にへし折ってしまうほどの威力を持っている。 

 金蛇は体を器用にくねらせてコグマの爪から逃れた。
 攻守交代。
 すぐさま金蛇が反撃に転じる。

蛇の噛みつき(スネーク・バイト)

 一瞬で目前まで迫った金蛇の頭を両手で掴むコグマだが、力でやや押し負ける。

「んぐっ、があっ!」

 ジリジリと金蛇の牙が近づき、なんとか地面に押し倒そうとするがとうとう腹部を噛まれてしまった。
 味わったことのない痛みが全身を駆け巡る。
 体から吹き出す大量の汗。

 最早立っていることすらままならない。
 コグマは両膝をガクリと地面についた。

 目は死んでいない。
 しかし、体に力が入らない。

 象をも咬み殺すと言われている猛毒だ。
 まだ意識を保っていられるだけでも驚きだが、コグマは牙を立て、口を大きく開いた。

熊牙(ベアー・ファング)

 コグマの鋭い犬歯が金蛇の体に突き刺さる。

「くあああああ!!」

 これには金蛇も悲痛の声を漏らした。

「熊の分際でふざけるな。蛇の締め付け(スネーク・タイテン)!」

 4メートルの巨体がコグマの体を締め上げる。
 金蛇の体を離さまいと抵抗していたコグマだったが、金蛇の締め付ける力が強すぎて口を開いてしまった。
 コグマの体から骨が締め付けられることで発生する不快音が鳴り響く。

 やがて、コグマの体から生命反応が無くなった。

「シェシェ、熊如きがこの金蛇様に勝てるはずがないんだ。実に呆気ない最後だったな」

 金蛇が死体となったコグマを地面に転がした。
 地面に体を這わせて長い舌を伸ばし、どこから飲み込むかを考える。
 悩んだ末、頭に狙いを定めると一気にかじりついた。

蛇の丸飲み(スネーク・スワロー)

 頭から胴体、足にかけて、たっぷりと時間を掛けながらコグマの体を全て飲み込んだ。

 侵入者の駆除。
 それを成し遂げた金蛇は、ふと初めに突き飛ばしたキノコ頭の少年のことを思い出した。

 毒が回って今頃部屋の外で倒れているはず。
 そう思って視線を扉の外に向けるが、少年の姿はなかった。

「あれ、おかしいな。確かに毒は注入したはず。普通なら動けない。って考えただろ」

「!? いつからそこにいた? いや、その前になぜ生きている?」

 頭を180度回転させた金蛇の目に映ったのは毒で死んだはずのキノコだった。

幻覚と快楽の激毒(ハルスネーション・ポイズネス)。毒はお前の専売特許じゃないってことだ。お前は俺に噛みついたあの瞬間から幻覚を見ていたんだ」

 幻覚が解けてきたのか金蛇は自身の腹部の違和感に気がついた。
 コグマと間違えて机や椅子を複数飲み込んだのか腹の形が四角に変形していた。
 キノコの言うように幻覚を見せられていたのだ。

「クッソが!」

 金蛇が騙されていた怒りでキノコに牙を剥くがもう遅い。

「コグマ」

熊の猛攻(ベアー・ラッシュ)!」

 気配を消していたコグマが金蛇の後ろから飛びかかった。
 爪で頭を切り裂き、皮膚を嚙みちぎる。
 コグマの攻撃は金蛇が動かなくなるまで続いた。

—2—

「殺人ギルドの精鋭部隊。やはり種蒔(たねまき)先生が育て上げた子供たちは出来が違うな」

 誰だ? なんて聞くまでもない。
 キノコとコグマは男が発した声色からこの人物が堀宮大輔だと認識した。

 直属の部下が倒されたというのに怒りを覚えるどころか感心していた。
 数々の悪人を捌いてきた2人だが、この手のタイプの人間とは出会ったことがない。

 キノコやコグマより格上なのは間違いない。
 しかし、強者が放つオーラのようなものを全く感じない。

 意図的にオーラを発さないようにしているのか。
 そうだとしても独特なオーラは無意識に漏れてしまうものだ。

「君たちにとって、1番の敵は何だろう?」

「敵?」

 キノコが眉間にシワを寄せて首を傾げた。

「そう、敵。味方を傷つけようとする誰かかな? それとも罪の無い人を傷つけようとする誰かかな?」

「そんなのどっちも敵でしょ」

「そうだね。僕もそう思うよ」

 頷くことでコグマの答えを受け入れる堀宮。

「ただ僕はね、1番の敵は自分の内側にいると思うんだ。君たちもそうは思わないかい?」

 堀宮が薄い笑みを浮かべる。
 次の瞬間、キノコとコグマは同時に意識を失った。

 2人は知った。
 絶対的強者の前では立っていることさえ許されないと。