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 烏間(からすま)中学校の校門を抜けると、放課後ということもあり下校中の生徒から鋭い視線が飛んできた。
 これがガンを飛ばされるというやつだろう。

 他校の生徒がいきなり学校の敷地内に入って来たのだからこちらの意思とは関係なく絡んできそうなものだが、彼らにそういった様子は一切なく、不自然に距離を取り、こちらを睨みつけてくるだけだった。

「うちの生徒が邪魔していると思うのだが、どこにいるかわからないか?」

 七草先輩が臆することなく集団に向かってそう聞くが、当然誰も答えない。
 まるで誰かに手を出すなとでも指示されているみたいで不気味ささえ感じる。

「そうか。わかった」

 終始口を閉じてはいたものの、集団の中の1人が一瞬体育館へと視線を向けた。
 自分の意識とは関係なく体が反応してしまったようだ。

 その視線を七草先輩と僕は見逃さなかった。
 僕たちは男の視線に従い、体育館へと足を進めた。

「おっと、可愛らしい仲間が助けに来てくれたみたいですよ」

 体育館のステージ上に座る小柄な少年が僕たちの姿を見て笑みを浮かべた。
 足を組み、手にはグラスを持っている。まるでどこかの国の王様みたいだ。

 夕方ということもあり、体育館に夕日が差し込みそうなものだが、傍に生えている大きな木が夕日を遮っていた。
 照明はついているが体育館内はどこか薄暗い。

「七草、何で来たんだ」

 すでに喧嘩が行われた後なのか、頬に殴られたような傷が目立つ土浦(つちうら)先輩が膝をついた状態で顔をこちらに向けた。
 その隣には、僕と同級生の浮谷(うきや)や土浦先輩の仲間の姿もある。

「野球部の堀越(ほりこし)から連絡を受けた。お前が他校に殴り込みに行ったと聞いたが、なるほど。状況は見えた」

 川北中学校の男子生徒が四つん這いになり、ステージ上の少年の椅子となっていた。
 土浦先輩は、仲間を助けるために烏間中学校に乗り込んだのだろう。

「座り心地の悪い椅子だなぁ。ねぇ土浦先輩、ダメな椅子にはお仕置きが必要だと思いませんか?」

 少年がグラスを叩き割り、反対の手にナイフを握る。
 刃先を下に向け、椅子である男子生徒の顔をゆっくりと覗き込んだ。

「待て、待ってくれ!」

 恐怖を感じたのか大声で助けを求める男子生徒。

「揺れるなって言ってるだろうが」

 少年の冷たい声。
 次の瞬間、少年のナイフが男子生徒の太股に深く突き刺さった。

「ぐっ、がああああああああ!!!!」

 男子生徒の痛々しい悲鳴が体育館に響き渡る。

大橋(おおはし)!! 京極(きょうごく)、お前だけは絶対に許さねぇー!」

 土浦先輩が立ち上がり、ステージ上に座る京極目掛けて走り出す。

「別に許してもらおうとは思ってませんよ。ただ、あなたに仲間を殴れますか?」

 その言葉を合図にステージ下に倒れていた土浦先輩の仲間がゾンビのように立ち上がる。
 ゆらりゆらりと動き出し、土浦先輩の行く手を阻むように立ち塞がった。

「お前らどけ! 早く大橋を助けないと死んじまうだろうが!」

「土浦すまん。体が勝手に動いて言うことを聞かないんだ」

 土浦先輩の前に立ちはだかったのは7人の生徒。
 ステージ上には、京極の仲間と思われる烏間中学校の生徒が控えている。

「くそっ! どけ、お前ら! 浮谷もぼさっとしてないで異能力でこいつらを吹き飛ばせ!」

「はい!」

 浮谷が浮遊の異能力で仲間を左右に吹き飛ばす。
 どうやら土浦先輩と浮谷の2人は、体の自由を奪われていないらしい。

「俺の奴隷よ、邪魔者を排除しろ」

 京極の命令に従う土浦先輩の仲間たち。
 言葉による支配。恐らくこれが彼の異能力だろう。

 しかし、だとしたら土浦先輩や浮谷、それに僕と七草先輩が異能力の影響を受けていないことが気になる。

「頼む。どいてくれ!」

 土浦先輩が人の壁を掻き分けて前に進もうとするが、川北中学校の生徒が作り出す厚い壁を突破することはできない。

 逆に彼らが繰り出す容赦ない攻撃を食らってしまう。
 顔や腹を殴られ、足を蹴られる。まるでサンドバッグのようだ。

 一方の土浦先輩は、味方を攻撃することに躊躇いがあるのか手を出していない。

「七草先輩?」

 その光景を黙って見ていた七草先輩の体が僅かに震えていた。

「なんて……なんて卑怯な戦い方なんだ」

 七草先輩の目に怒りの炎が灯る。

「土浦、私も手を貸すぞ!」

 突き飛ばされた土浦先輩を七草先輩が支える。

「戦えるのかよお前が。足だけは引っ張んなよ」

「うるさい。君こそ異能力の1つや2つ発動させたらどうだ。このままでは殴られ損じゃないか」

「うっせーな。俺の異能力は室内じゃ使えねーんだよ」

「そうだったな。それで、ステージ上で偉そうにしている彼は一体何者だ?」

「つい最近転校してきた1年の京極大和(きょうごくやまと)だ。噂で聞いた話だが、前の学校で教師に斬りかかって問題になったらしい。転校してきたその日に烏間中学の頭を潰して実質この学校のナンバー1になった。見ろ。ステージ脇にいるのが元ナンバー1の柳刃仁(やなぎばじん)だ」

 土浦先輩はそう言って、ステージ上の2人に視線を向ける。
 京極が手にしているナイフの先からは大橋先輩の血液が垂れている。

「私が彼らを拘束する。土浦、君はその間に京極を倒せ」

「俺に命令すんな。だが、悪くねー」

「行くぞ!」

 七草先輩が操り人形と化した川北中学校の生徒に向かって細かい粒のような物を複数投げつけた。
 その粒から植物のつるが急速に伸び、生徒の体に絡みつく。

 これが彼女の異能力だ。
 植物の成長をコントロールできる異能力。彼女が投げたのは植物の種だ。
 そして、植物を思うように操ることができるので敵を拘束することに長けている。

 複数の葉やつるが生徒の体に絡みつき、自由を奪う。
 そのスキに土浦先輩がステージへと続く階段を駆け上がる。

柳刃(やなぎば)、そこをどけ」

 烏間中学校の元ナンバー1、黒髪短髪でガタイの良い柳刃が土浦先輩の前に立つ。

「それはできない相談だ。なぜなら俺は俺の意思でここにいる訳じゃないからな」

「なんでお前みたいな男が餓鬼の言いなりになってやがる」

 川北中学校と烏間中学校は幾度となく衝突してきた歴史がある。
 それ故に土浦先輩と柳刃は、敵対関係にありながらもお互いをリスペクトしていたと聞いたことがある。

「餓鬼とは酷いなー。土浦先輩とは2歳しか変わらないじゃないですか」

「うるせぇ! お前は黙ってろ」

 柳刃の背後から茶々を入れてきた京極に対して土浦先輩が怒鳴りつける。

「京極が転校してきたあの日、俺はこいつに決闘を申し込まれた」

 柳刃が親指で背後に座る京極を指す。

「単純な力比べだったら俺の方が上だ。でもな、こいつは相打ち覚悟で突っ込んできたんだ。手にはナイフ。無表情で自分を刺しに来るこいつに俺は初めて恐怖を感じた。土浦、何があってもこいつに恐怖を感じてはダメだ――」

 柳刃の顔が苦痛に歪んだ。
 話している最中、柳刃の背中にナイフが突き刺さったのだ。
 投げたのはもちろん京極しかいない。

「ネタばらしはダメですよ先輩。そんな暇があるなら早く邪魔者を排除してください」

「ぐっ、ぐああああ!」

 背中にナイフが突き刺さったまま柳刃が土浦に体当たりする。
 その衝撃で2人が階段を転げ落ちる。

 先に立ち上がったのは柳刃。
 数歩助走をつけ、土浦先輩を蹴り上げる。土浦先輩はボールが弾むように転がり、体育館の壁に打ち付けられた。

「土浦先輩!」

 浮谷が土浦先輩の元に駆け寄る。

「柳刃、次は女だ」

 京極の言葉を受け、柳刃の次なるターゲットが七草先輩へと移る。
 俊敏な動きで拘束した生徒の元まで移動すると、つるに向かって腕を振り上げた。

 すると、つるが鋭利な刃物で切られたかのように真っ二つに切れてしまった。
 遠くから観察していた僕でさえもわかった。
 彼の異能力は全身を刃物に変化させることができる異能力だ。

 腕そのものを刃物に変化させてつるを切断したのだ。
 このままでは七草先輩に勝ち目はない。

「七草、もういい。逃げろ」

 起き上がった土浦先輩が七草先輩に声を掛ける。
 しかし、七草先輩は逃げるどころか柳刃に向かって一歩、また一歩と足を進めていた。
 その間にも柳刃によって拘束した生徒のつるが次々と切られていく。

「ここで逃げたら一生後悔する。私は私に誇れる生き方をする」

 七草先輩の両方の手から巨大な植物のつるが出現し、鞭となって柳刃に襲い掛かる。
 しかし、異能力の相性は最悪。

 柳刃は自身の腕と足を交互に刃物へと変化させ、華麗な身のこなしでつるを断ち切っていく。
 京極に体を操らているとはいっても元々の運動神経の高さが見て取れる。

「ッ!?」

 柳刃が大きく腕を振ると、七草先輩のつるが全て切られてしまった。

「女、人はいつ恐怖を覚えると思う?」

 柳刃が足を止め、ステージ上の京極が真剣な顔で訊いてきた。

「さあな、私は生まれてから恐怖を感じたことがない。例え、恐怖を感じたとしても私には支えてくれる仲間がいる」

 七草先輩が振り返って僕を見た。
 僕は七草先輩の目を見て頷いた。

 七草先輩の答えは、京極には信頼できる仲間がいるのかと訊いているようにも思えた。

「つまらない答えだ」

 京極は立ち上がり、椅子としていた大橋を蹴り飛ばした。
 恐怖による支配が解けたのか、大橋が倒れて気を失う。

「恐怖とは死を目の前にしたとき、初めて感じるものだ。俺は、俺に対して恐怖を感じた人間を支配することができる。そういう能力を神から授かった。つまりそれはどういうことか? 神はこの俺にこの世を支配しろと言っているんだ」

「間違っている。そんな考えは断じて間違っている」

「間違いかどうかはお前が決めることじゃない! この世の中、勝った奴が正しいんだ。やれ柳刃!」

 柳刃が腕を刃へと変化させ、七草先輩の前に立つ。
 拘束を解かれた川北中学校の生徒が七草先輩のことを取り押さえようと動きだす。

 七草先輩はそれでも逃げようとはしなかった。彼女の辞書には敵に背を向けるなんて言葉は存在しないのだろう。
 ただ真っ直ぐに。自分が正しいと信じた道を進んで行く。

 だが、このままだと七草先輩は死んでしまう。
 僕の大切な人が死んでしまう。

 そんなのは嫌だ。

 動け、僕。

 いつまで安全な場所から見ているんだ。
 大切な人を守るために戦え。

 でも、僕の異能力では彼女を救えるかどうかはわからない。
 それでも、やるしかない。

 やるしかないんだ。僕がここで行動を起こすことで彼女が助かる確率が少しでも上がるというのなら。

「とどめを刺せ」

「七草先輩、負けるなーーーー!!!!!!」

 振り下ろされる柳刃の腕。
 僕の目にはその光景がスローモーションのように見えていた。

「綺麗だ……」

 七草先輩の体が白い暖かな光に包まれていた。

 僕の異能力は戦闘には向いていない。
 でも、確かに誰かを助けることができた。

「なんだ? 何が起きている?」

 京極もこの光景には驚きを隠せていないみたいだ。

 七草先輩の体から大量の植物のつるが噴き出したのだ。
 振り下ろされた柳刃の腕は、植物のつるによって弾き返された。

 僕の異能力は、僕が応援した相手の異能力そのものを高めるものだ。
 僕の想いが強ければ強いほど、対象者の異能力の威力も数倍、数十倍、数百倍まで膨れ上がる。

 僕が七草先輩のことを想う強い気持ちがこの結果を生み出したのだ。

「マジかよ」

 土浦先輩も開いた口が塞がらないといった様子だ。
 七草先輩の体から噴き出る植物の勢いは収まることを知らず、数秒にして体育館内が植物園のようになってしまった。

「ふざけるな。こんなことがあってたまるか! 柳刃!」

 京極が腕を前に出し、柳刃に指示を出す。

 しかし、もう遅い。

 柳刃は薔薇のつるに身を囚われ、完全に行動不能になっていた。
 全身を刃に変化させれば逃れられないこともないが、もうその気力もないらしい。
 京極も精神が不安定になったことで、柳刃の細かい動きまでは操ることができなくなったのかもしれない。

「京極、よくも大橋をいたぶってくれたな。死んで償え!」

 浮谷の異能力で宙に浮いた土浦先輩が京極の顔面に拳を叩きこんだ。
 殴られた京極は白目を剥き、ピクリとも動かない。

 京極が気を失ったことで柳刃や川北中学校の生徒の支配が解けた。
 これで全てが終わった。

 ように思えたのだが。

「七草先輩!」

 戦いが終わったというのに七草先輩の体からは、植物が噴き出し続けている。
 何かがおかしい。
 七草先輩の正面に回り、思わず言葉を失う。

 七草先輩の目からは涙が零れていた。

 異能力の暴走。

 僕の異能力のせいで七草先輩が自分の異能力をコントロールできなくなってしまったようだ。

 見たこともない、太い木の枝が窓ガラスを突き破る。
 体育館そのものが植物によって締め付けられ、ミシミシと音を立て始めた。

「なんだこれは! 君たち、危ないから早く外に出なさい!!」

 烏間中学校の教師が入り口から声を上げる。
 今さら来たとしても遅すぎる。もっと早く来ていればこんな事態にはなっていなかったかもしれないのに。

 体育館が小刻みに震えている。
 まるで七草先輩が苦しんでいるみたいだ。

 先輩がこうなってしまった原因は僕にある。
 僕がなんとかしなくては。

「土浦先輩! 浮谷! 京極と柳刃を外に運んでくれ!」

「あ、ああ」

 浮谷が薔薇のつるに覆われた柳刃をなんとか引きずり出し、外に運ぶ。
 土浦先輩もステージ上の京極と倒れた大橋先輩を抱えてその後に続いた。
 土浦先輩の仲間たちも肩を取り合って入り口を目指して走る。

「先輩、安心して下さい。僕はいつまでも先輩と一緒にいます」

「馬鹿言え。私のことはいい。西城は早く逃げるんだ」

「ここに来る前、言ったじゃないですか。僕は先輩の力になりたい。先輩を助けたいって。先輩が何て言おうと僕は先輩の傍から離れません」

 僕は七草先輩の手を握った。
 温かくて柔らかい彼女の手。

 僕は先輩(このひと)を守りたい。このとき、心からそう思った。

「先輩」

 僕の想いが届いたのか七草先輩から吹き出す植物の勢いが弱まった。
 やがて、完全にそれは止まる。

「先輩、ここは危険です。今のうちに逃げましょう!」

「そうだな。うっ!?」

 歩き出そうとした七草先輩が頭を抱えてうずくまる。
 あれだけ異能力を使ったのだ、反動が襲って来ても不思議ではない。

「先輩、深呼吸です。ゆっくり吸って、一定のリズムで息を吐いて下さい」

「あ、ああわかった」

 先輩が呼吸を整えようと深呼吸していると、体育館の天井が物凄い音を立てて崩れてきた。
 窓の外に目をやれば、夕日を遮っていた大木が体育館の方向に倒れてきていた。

 不安定な状態を何とか保っていた体育館も衝撃を受けて一気に崩れ出す。
 瓦礫と一緒に先輩の異能力で生み出した無数の植物が降り注ぐ。

「西城、強く生きろ」

「え?」

 七草先輩が僕の胸を押した。
 僕の目の前に大量の植物が降り注ぐ。それは先輩を飲み込んだ。

 先輩の安否を心配したのも束の間、僕は頭部に強い衝撃を受け、意識を失った。