―1― 

「おはよう後輩! 今日も元気出していくぞっ!」

 僕の背中を平手で力強く叩く少女。
 軽快なステップで僕を追い抜いた彼女が数メートル先で振り返り、悪戯な笑みを浮かべる。

 短く切り揃えられた薄緑色の髪が太陽の光を浴びて輝き、水色の双眸が僕の心を鷲掴みにして離さない。

「綺麗だ……って! 毎朝毎朝いきなり叩かないで下さいってば!」

 彼女が美しすぎてついつい見惚れてしまった。

「あはははははっ! 西城(さいじょう)の姿を見るとなぜだかちょっかいを掛けたくなってしまうんだ。悪気はないんだ。許してくれ!」

 コロコロと鈴の音のように笑う彼女が踵を返して校門の前まで走る。
 朝の挨拶運動をするために僕たち生徒会役員は、生徒の誰よりも早く登校しなくてはならないのだ。

「おはよう七草(ななくさ)会長!」

 鞄を下ろし、生徒会役員たちと校門の前に並んでいると、朝練をしに来た野球部の数人から声を掛けられた。

「おはようみんな! 今日も良い天気だな! 水分補給を忘れず、部活動に励んでくれ!」

「うっす!」

「いい返事だ」

 七草由香里(ななくさゆかり)
 川北中学校の頼れる生徒会長。
 不良ばかりで周辺地域からの評判が悪かった川北中学校だったが、七草先輩が生徒会長になってからは良い方向に改善されてきた。

 初めは七草先輩に対しての嫌がらせなんかもあったのだけど、持ち前の明るさでそんな逆風を吹き飛ばした。

 相手が優等生だろうと不良だろうと区別をせず、人懐っこい性格が男女共に受け入れらたことで、日を追うごとに味方が増えている。
 仕事は、誰よりも真面目に取り組み、一切の妥協を許さない。

 「目の前に困っている人がいたら助ける。生徒会長の私が助けなくて一体誰が助けると言うんだ」それが彼女の口癖だった。

 彼女の元気な声と意思の強さが沈み切った川北中学校を活気づけさせるきっかけとなったのだ。

 そんな僕とは真逆のタイプに位置する眩しすぎる先輩の姿を追いかけて、僕は1年生の後期から生徒会に入った。

「うむ、また遅刻か」

 ホームルームまで数分となり、朝の挨拶運動も終わり。
 七草先輩が校門を見つめ、小さくため息をついた。

土浦(つちうら)先輩たちですか。彼らには困ったものです」

 川北中学校が良い方向に変わってきたといっても悩みの種が全て消えた訳では無い。
 3年生の土浦陸(つちうらりく)率いる不良グループが連日問題を起こしているのだ。

 近隣住民から学校にクレームの電話が入ることもしばしばあると聞く。
 生徒会としてもこの問題はなんとかしたいものだが、なかなか話し合いに応じてもらえず、ずるずると今日まできてしまった。

 せめて七草先輩が卒業するまでには解決しておきたい。
 先輩には安心して卒業してもらいたい。それが生徒会役員の総意だった。

―2—

「土浦! 君はもう少し生活態度を見直すべきだ。このままでは進路にも影響が出るぞ」

「うるせーな、七草。お前に言われなくたってわかってんだよ。今更真面目になったところで遅せーだろうが」

「遅いなんてことはない。人にはやり直すチャンスが等しくある。1度や2度の過ちなど今後の人生で取り返せるさ」

 昼休みになり、3年生の教室のフロアを歩いていると、七草先輩と土浦先輩の会話が聞こえてきた。

 どうやら曲がり角の先で話をしているようだ。
 僕は、無意識に足を止めて2人の会話を立ち聞きする形を取ってしまった。

「世の中、お前みたいに綺麗事だけでやっていけるほど器用な人間ばっかりじゃねーんだよ」

「おい土浦!」

 土浦先輩が早足で曲がり角から飛び出してきた。
 僕のことを横目で見ると、何も言わずに階段を駆け下りて行った。

 そのすぐ後、土浦先輩を追いかけてきた七草先輩が曲がり角から顔を見せた。

「後輩、どうしてここにいるんだ?」

「次の時間が音楽なので教室の移動を」

 驚いた表情を浮かべた七草先輩に手にしていたリコーダーを見せる。

「そうか。もしかして、聞いていたのか?」

「はい」

 誤魔化すこともできたが、七草先輩に嘘はつけない。
 僕は素直に頷いた。

「土浦はな、やり直すタイミングを探しているんだ。本人も言っていたが不器用なんだよ。カッとなるとすぐに手が出るのは彼の悪いところだが、それにもきちんとした理由がある」

「理由ですか?」

「ああ、仲間のことを悪く言われたときだけ彼は本気で怒るんだ。自分のことはどう思われたって構わない。ただ、仲間が悪く言われるのは許せないそうだ。まあ、少々度が過ぎるときもあるがな。私は彼が悪い奴だとは思えない」

 七草先輩が生徒会長になる前は、この学校も不良で溢れていた。
 遅刻は当たり前。授業をさぼったり、万引きをしたり、警察のお世話になることも多かった。どうしようもない人間ばかりだった。

 しかし、七草先輩が生徒会長になってから不良の数は減り、やがてそういった存在は腫れ物扱いされるようになった。

 誰かがそうしようと言ったわけではない。
 自然と周りの空気がそうさせたのだ。

 七草先輩の話が本当だとすると、土浦は真っ当な人間に戻りたいと思っているが、周りの空気がそうさせないということになる。

 全くおかしな話だ。

「私は川北中学校の生徒会長だからな。この学校に通う生徒が悩みを抱えているというのならできる限り寄り添っていきたいんだ。西城、私は間違っているか?」

「いいえ。先輩は間違っていません」

「あはははははっ! 後輩、まだ2カ月しか経っていないが、立派になってきたじゃないか。生徒会の心得が身についてきたようだな」

 目の前に困っている人がいたら助ける。
 僕は七草先輩からそれを学んだ。

―3—

 事件が起きたのはその日の放課後。
 生徒会室で書類の整理をしていた僕と七草先輩の元に坊主頭の生徒が訪ねてきたのだ。

「大変だ七草!」

 ひどく慌てた様子の坊主頭の彼。
 七草先輩を呼び捨てにしていたことと、髪型からして野球部の3年生だということが推測できる。

「どうした堀越(ほりこし)、そんなに慌てて」

「どうしたもこうしたもない」

 額に浮かぶ汗、荒い息、焦った表情を見るに堀越と呼ばれた生徒がただ事ではないネタを持ってきたことはわかる。
 それでも、いや、だからこそ七草先輩は落ち着いた態度を崩さない。

 一緒になって慌てていたら話が上手く伝わらない可能性が高い。それを七草先輩は理解している。

「土浦たちが烏間(からすま)中に殴り込みに行くって」

「それは本当か?」

「ああ、直接聞いたから間違いない」

「堀越、なぜわかっていて止めなかった」

「止めようとはしたさ。だが、土浦の奴、怒ってて俺の話なんか聞く耳持たなくてよ。あいつがあんなにキレてるところは初めて見た」

 川北中学校と烏間中学校といえば、長年犬猿の仲にあることで有名だ。
 七草先輩の力で川北中学校の治安が改善され、烏間中学校との接点も消えたとばかり思っていたが、よりにもよって卒業まで半年を切ったこのタイミングで問題を起こしてくるとは。

 まあ、まだ問題が起こったと決まったわけではないが、とんだ迷惑な話だ。

「西城、私がいない間、学校のことは頼む。堀越、君は職員室にいる先生に連絡を」

「おう」

 堀越先輩が急いで生徒会室から出て行った。
 残された僕と七草先輩。

「七草先輩、もしかして烏間中学校に行くんですか?」

「喧嘩はよくないことだ。川北中学校(うち)の生徒が関わっているとわかった以上、私はそれを止めなくてはならない」

「先輩がそこまでする必要はないんじゃないですか? それに厳しいことを言うようですが、先輩の異能力では返り討ちに遭うのが目に見えてます」

「大切なのは助けたいかどうかだ。私は川北中学校の仲間を助けたい。それだけでいいじゃないか」

 もう何を言っても七草先輩の意志が変わることはない。
 それがわかったから僕も決意を固める。

「それなら僕も行きます! 先輩1人で行かせる訳にはいきません」

「ダメだ。後輩、君はここに残るんだ」

「嫌です。僕は先輩の力になりたい。先輩を助けたい。だから何を言われようと先輩について行きます」

 七草先輩の目を見てはっきりと言い切った。

「ったく、勝手にしろ」

 降参だと、七草先輩が溜息を吐いた。

「ついてくるのは勝手だが、1つだけ約束してくれ」

「は、はい」

「絶対に怪我だけはしないでくれ。私の大切な人には後輩、いや、西城、君も入っているんだからな」

 七草先輩が扉を開けて走り出した。
 危なく置いて行かれそうになった僕も生徒会室を飛び出して七草先輩の背中を追う。

 目的地は烏間中学校。

 このときの僕たちは知らなかった。まさか、僕のせいで先輩があんなことになってしまうなんて。

 僕は取り返しのつかないことをしてしまった。戻れることなら戻りたい。