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 大会前日の4月25日土曜日。
 普段ならまだ寝ているか布団の上で過ごしている時間帯だが、オレは鏡の前で学校に行くための身支度を整えていた。
 ワイシャツのボタンを上まで留め、青のネクタイを締める。

 服装の乱れは心の乱れと言うくらいだからな。
 清潔にしておくに越したことは無い。

「こんなもんか」

 なぜ、せっかくの休日なのに学校に向かうのか。そんなわかりきっていることは今更説明するまでもないだろう。

 今日は明日から始まるソロ序列戦のトーナメント表が張り出されるのだ。
 学院が運営しているウェブサイトにも正午ちょうどに掲載されるようだが、多くの生徒はそれまで待つことができないようで、昨日の内から待ち合わせの約束をするなど、どこかそわそわした様子が目立っていた。

 オレも待ち合わせこそしていないが、昼まで待つことができない中の1人だ。

 ガスの元栓が閉まっていることを確認し、玄関の鍵をかける。
 エレベーターの前まで来ると、ちょうど上から降りてくるところだった。
 平日の朝だと多くの生徒が利用するため、エレベーターの競争率も高い。今日は運が良い。

「あら、おはようございます。神楽坂(かぐらざか)くん」

 エレベーターの扉が開くと、そこには制服姿の暗空玲於奈(あんくうれおな)が立っていた。

「1階でいいですか?」

「ああ」

 エレベーターに乗り込み、暗空のやや後ろにポジションを取る。

「いよいよですね」

 エレベーターが1階で止まるまでの間終始無言でいると、暗空が話し掛けてきた。

「そうだな」

 エレベーターから降りて寮の外に出る。
 暗空の行き先もオレと同じく学校だ。

「どうですか自信の程は?」

「オレにできる精一杯のことはやるつもりだ。だが、その結果どう転ぶかまではわからない」

「神楽坂くんのその徹底ぶりには頭が下がりますね」

 暗空がフフッと楽しそうに笑う。

「先日の千炎寺(せんえんじ)くんとの対決でもそうでしたが、特待生相手に立て続けに良い勝負をされたら私じゃなくても神楽坂くんの本当の実力に気付き始めていると思いますよ。そうじゃくても何か引っかかりができているはずです」

 そういえば千炎寺との対決直後、浅香(あさか)にも驚かれてたっけな。

「あれはマグレだ。避けるのに必死だっただけだ」

「これまでの総当たり戦であの素早い剣撃をかわせたのは神楽坂くんぐらいでしたけどね。まあいいです。大会さえ始まってしまえば全て真実がわかりますから」

「暗空と当たる前に負けるかもしれないけどな」

「そんなつまらないことにはなりませんよ」

 その自信は一体どこから来るのか知りたい。

「おお、集まってるな」

 校舎の壁の前に人だかりができていた。
 オレと暗空は、空くのを待つことに。無理矢理割り込もうなんて真似はしない。どこかの生徒会長みたいになってしまうからな。
 それに暗空は待つことがそれほど苦じゃないと以前言っていた。

「なんだ、どこの変な人かと思ったら神楽坂くんか」

 背後から声を掛けられる。
 振り返ると銀髪蒼眼の少女がオレを見上げていた。

「おい氷堂(ひょうどう)、あまり大きな声で変な人とか言わないでくれ。誤解されるだろ」

「誤解も何も私の部屋で認めてたじゃない」

 フッと鼻を鳴らす氷堂。
 どうやらオレの困っている様子を見て楽しんでいるようだ。
 このままだと暗空にも誤解されかねない。

「暗空、オレが氷堂の家に行ったというのはだな……あれ?」

 そこに暗空の姿はなかった。

「暗空さんならトーナメント表を見に行ったわよ」

「いつの間に」

 トーナメント表の前に集まっていた人も少なくなり、その先頭に暗空の姿があった。
 わざわざ気配を消して行かなくても一言声を掛けてくれればいいものを。

「私たちも見にいきましょう」

「そうだな」

 氷堂と一緒にトーナメント表を確認することに。
 トーナメント表はブロックごとに分かれていて全部で4枚張り出されていた。

 大会には1学年の生徒全員が参加するため、トーナメントの山も凄い数だ。
 会場となるグラウンドABと体育館CDにはそれぞれ38人と39人が振り分けられている。
 組み合わせが悪ければブロックの決勝まで進むだけでも6連勝しなくてはならない。
 全体での優勝を目指すとなると――いいや、それは勝ち進んでから考えればいいか。

「氷堂、見つけたか?」

 Aブロックの端から順に一生懸命指で追っていた氷堂が指を止めた。

「私は体育館Aブロックだったわ。神楽坂くんは?」

「オレの探し方が下手なのかどこかで見落としたのかまだ見つけられてない」

「神楽坂くんの名前ならDブロックにありましたよ」

 すでにトーナメント表を見終えた暗空がこちらに向かって歩いてきた。

「……明日は楽しみにしています」

 暗空はすれ違い様にオレにしか聞こえない声でそう囁いた。

「氷堂さんもブロックは違いますけど、本戦で当たることを楽しみにしてますよ」

 暗空は首だけを曲げてオレの隣にいた氷堂に視線を向ける。
 氷堂は視線を合わせるだけで何も言い返さなかった。
 そういえば2人が話をしている場面に遭遇したことが無いな。ひょっとして仲が悪いのかもしれない。

 暗空は薄く笑い、「お先に失礼します」と軽く礼をして校門の方へ向かった。

「Dブロックか」

 暗空のあの口振りから察するにオレの対戦相手は。
 急いでDブロックのトーナメント表の前まで移動する。

「神楽坂くんと暗空さんが1回戦……」

「そうみたいだな」

「どうするの? まだ体力を温存するつもり?」

 総当たり戦で対戦したことのある氷堂は、オレの本当の実力に気が付いてしまった。
 とは言ってもその実力というものがどれだけのものなのかまでは知らない。

 今回の大会でそれを解放するのかと訊いているのだろう。
 オレの答えは決まっている。どんな事態に直面しても当初立てたプランから変更することはない。
 それがこの学院で確実に序列1位になれる最善の方法だと思える間は。

「時と場合によるな。相手の出方次第でオレの立ち回りも変わってくる」

「そう……神楽坂くんには必要ないと思うけど、私から1つ言えるとしたら特待生の中で1番強いとしたらそれは暗空さんよ」

 氷の異能力を武器に多彩な攻撃を仕掛ける氷堂。
 物体生成の異能力で緋色の刀、緋鉄を顕現させて圧倒的な剣撃を繰り出す千炎寺。

 総当たり戦で暗空が異能力を使うことはなかった。
 それなのに同じ特待生の氷堂が警戒するほどとはな。

「アドバイスには感謝する。せいぜい瞬殺されないように気をつけるさ」

 このときはまだ、オレがソロ序列戦期間中に本気を出すことになるとは思いもしなかった。