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 虫の鳴き声が辺りを包む。
 これを煩いと感じるか風情があると感じるかは聴く人の心に余裕があるかどうかで変わってくるのだろう。

 祭りの会場近くはブルーシートで場所取りをしている人達の姿が目立った。
 20時から上がる花火に備えているのだろうが時間までまだ2時間ある。
 出店で食料や酒を買い、友人や家族と語り、日頃のストレスを発散する。
 中には羽目を外して大声を出したり、暴れている人もいるがそういう人種とはなるべく関わらない方がいいだろう。

「神楽坂くん、金魚すくいやらない?」

 狐のお面を頭の横に付け、リンゴ飴を舌先で舐めていた明智が指をさす。

「いいけど取れた金魚はどうするんだ?」

「育ててみようかな」

 簡単に言うが金魚を育てるにしても水槽や水槽の下に敷く砂利、餌代など、明智が思っている以上にプライベートポイントを消費する。
 それにメンテナンスをするにしても何かと手間が掛かる。
 まあ、本人が前向きなら否定する権利はないが。

「千代田はどうする?」

「私もやります」

 屋台の店主にお金を支払い、お椀とポイを受け取る。
 3人で横並びにしゃがみ込み、タライの中を優雅に泳ぐ金魚に狙いを定める。
 黒い出目金もいるが通常の金魚に比べてサイズが大きいため、ポイが破れてしまう可能性が高い。
 狙うなら無難に赤い金魚だろう。

「やった取れた!」

 どうやら明智が金魚をすくったようだ。
 一方の千代田はというとポイを水面に付けてジッと何かを待っていた。

「出目金狙いか?」

「はい、一目惚れしてしまって」

「そうか。オレも狙ってみるか」

 どうせ取れても家で飼う気はない。
 千代田に育てる気があるのかは分からないがその気がないなら明智にあげるかリリースすればいい。

 オレはポイを軽く水面に付けながら出目金をタライの角へと追い込んだ。
 自分が狙われていると理解したのか出目金の動きも素早い。
 ポイが破けないように出目金の真下から一気にすくい上げると、ポイの上でピチピチと跳ねてそのまま水中に逃げてしまった。
 逃げた出目金はスイスイと泳ぎ、千代田のポイの上を通過する。

「ここです」

 千代田はその瞬間を見逃さず、静かにポイをすくいあげ、お椀に出目金を入れた。
 結果的に明智が金魚3匹、千代田が出目金1匹と金魚1匹、オレが0匹だった。

「風花ちゃん、貰っていいの?」

「はい、明智さんが良ければですけど」

「ありがとう! 明日、水槽とか買いに行こうかなっ」

 千代田に育てる気は無かったらしく、明智が計5匹を飼育することに。
 金魚の入った袋を2つ腕から下げて、明智は千代田と楽しそうに水槽を買いに行く予定を立てている。

「あれ? 神楽坂くんと明智さんと千代田さんだ! やっほー」

 浅香がオレたちに気付いて手を振ってきた。
 浅香の隣にはチョコバナナに夢中になっている火野の姿もある。

「みんなもお祭り来てたんだね!」

「明智の誕生日会をしてたんだが、祭りをやってると聞いて夕飯がてらに覗きに来たんだ」

「そうだったんだね。明智さん、誕生日おめでとう!」

「おめでと。金魚いいな」

 火野が興味津々な顔で明智の腕から下がっている金魚を覗き込んだ。

「ありがとう浅香さん、火野さんっ♪」

「お二人はどこかに行った帰りですか?」

 火野の腰に魔剣・紅翼剣(フェニックス)が差さっていることから千代田がそう推測したようだ。
 確かに祭りに来るだけなら魔剣は必要ないからな。

「千炎寺先生と稽古をして来た。今日の稽古はかなりハードだったよ」

 火野が肩を落とし、稽古の壮絶さをジェスチャーでオーバー気味に表現した。

「いのりんがどんどん強くなっていくから見てるこっちも嬉しいよ」

「次の序列戦で戦うのが怖いね」

 次の序列戦の情報はまだ開示されていないが、春のソロ序列戦・夏の集団序列戦と来たら次は秋だろう。
 学院を上げて取り組む文化祭や他校対抗新人戦が終わった後くらいだと予測できる。
 学年末には他学年対抗序列戦が控えていることから年間で序列戦は4〜5回開催される計算だ。

「みんなは夏休みどこかに遊びに行ったの?」

「私と風花ちゃんと神楽坂くんは海に行ったよ! 西城くんも一緒に!」

「いいなー。私はいのりんとプールに行ったりカフェで文芸誌の小説を書いたりしてた」

「私はお盆に実家に帰ってた」

「わ、私は映画館で映画のはしごをしてました」

 女子が複数人集まると自然と女子トークなるものが開かれる。
 オレは会話に耳を傾けつつ、出店に並ぶ人混みを観察していた。
 一般客に混ざって生徒の姿もチラホラと確認できる。
 男女で身を寄せているのは恐らくカップルだろう。
 お祭りと言ったら定番のデートスポットだからな。

 手前から奥へ観察する範囲を伸ばしていると視線の遥か先に銀髪の青年の姿が見えた。
 青年の右手には祭りに似つかわしくない漆黒の剣が握られている。

「おいおい、本気か?」

「!?」

 オレの独り言とほぼ同時に火野の体が反応していた。
 腰に差さっていた紅翼剣(フェニックス)に手を掛け、青年が立つ方向へ高速で振り下ろす。

 刹那、目の前に地獄絵図が広がる。
 屋台が真横に切り裂かれ、店主も客も漏れ無く胴体と足が切断された。
 青年が何の躊躇いもなく、剣を横に薙ぎ、斬撃を飛ばしたのだ。
 放たれた漆黒の斬撃を火野が両断し、左右後方に爆風が襲う。
 ワンテンポ遅れて状況を理解した客の1人が悲鳴を上げた。

「なに、これ……」

 悲惨な光景を前にして明智がそう絞り出した。
 手にしていた金魚の入った袋が地面に落ち、袋から出た金魚が血の海を泳ぐ。

「全員死にたくなければ今すぐ逃げろ。次にああなってるのはオレたちだ」

「か、神楽坂くんはどうするんですか?」

 動こうとしないオレを見て、足を震わせながらも千代田がそう聞いてきた。

「オレと火野はここに残る。あいつが持ってるのは魔剣だ」

「残るって……みんなで早く逃げようよ!」

「ちゆ、ごめん。私は行けない。魔剣所有者としての運命だから」

 すでに覚悟を決めた火野は紅翼剣(フェニックス)に神経を注ぎ、次の一手に備えている。

「ったく、もうすぐ世界が滅ぶかもしれないってーのに随分と呑気なもんだよなぁ」

 銀髪の青年が亡骸となった男が握っていた缶ビールを踏み潰した。
 視線をこちらに移し、ゆっくりと近づいてくる。

「神楽坂くん、もしかしてあの人って」

 青年との距離が近づき、明智も勘づいたみたいだ。

「ああ、天魔咲夜(てんまさくや)で間違いない」

 銀髪の髪に漆黒の魔剣。あれが闇の魔剣・悪魔剣(サタン)だろう。
 年齢はオレたちの5つ上。
 異能力者育成学院の元序列1位だ。

「赤髪、お前が火の魔剣使いだな」

「あなたはどうしてこんなことをするの?」

「死んだ奴らのことか? 魔剣が衝突すれば遅かれ早かれこいつらは巻き込まれて死ぬ。だったら俺が殺したって大差ないだろ」

「許せない」

 火野の怒りに呼応して紅翼剣(フェニックス)に刻まれる2本の縦のラインが輝いた。

「こいつらと同じようになりたくなければ大人しく魔剣を差し出せ」

紅翼剣(フェニックス)は誰にも渡さない」

「そうか。じゃあ死ね」

 天魔が悪魔剣(サタン)を地面に突き刺すと鍔に付いている水晶体が不気味に赤く輝いた。
 悪魔剣(サタン)を中心に闇が広がっていき、闇の中から異形の化物が姿を現した。

深淵から覗く暴食魔(アビス・グラトニー)。この世の全てを喰らい尽くせ」