序列主義の異能学院

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 ソロ序列戦の対戦相手発表まで1週間を切った日曜日の早朝。
 オレは千代田(ちよだ)と学校のグラウンドに足を運んでいた。

 オレ、明智(あけち)千代田(ちよだ)の3人で定期的に行っている自主練習も今日で5回目。
 休日は各自で調整するようにと事前に決めていたのだが、昨日の夜9時過ぎ、千代田から個別にメッセージが入った。

『夜遅くにすみません。突然のことですが、神楽坂くんがもしよかったら明日自主練習に付き合って頂きたいのですがいかがでしょうか? 快諾頂けるのであれば時間等は神楽坂くんにお任せします』

 千代田らしい丁寧な言葉遣いでそう書かれていた。
 自主練習は過去に4回開催したが、千代田の方から誘ってきたのはこれが初めてのことだった。
 大会前だから時間の許す限り練習しておきたいという気持ちの表れだろうか。

 最近では切磋琢磨してきた明智(あけち)が著しく成長しているからな。千代田の中で焦りのようなものがあるのかもしれない。

「よし、撃ってきていいぞ」

「は、はい」

 グラウンドにはオレたちの他に人はいない。
 運動部がグラウンドを使用するのは大体が9時以降だ。練習試合など組んでいる場合はもう少し早いらしいのだが、異能力者育成学院は部活動に対してそれほど力を入れているという訳ではないので、練習試合自体が珍しいという。

 これらの情報は上級生とも知り合いが多い明智から仕入れたものだ。コミュニケーション能力が高い人間の所には何もしなくても情報が集まるみたいだ。

「い、いきますよ」

「ああ、いつでもいいぞ」

 千代田が手のひらを広げる。
 すると、手のひらの上に小さな風の渦が発生した。高さ30センチほどの小さな風の渦がグラウンドに散った桜の花びらを巻き上げ、飲み込む。

 千代田の異能力は風を自由自在に操るというもの。
 入学したあの日、千代田は自分の異能力を思うように使いこなせていないと言っていた。

 別に千代田が珍しい訳ではない。自分の異能力を使いこなすということはそもそも難しいことなのだ。
 異能力者育成学院に入学してからというもの、氷堂たち特待生や馬場生徒会長など、実力者ばかりが目立ち、直接目にする機会が多かった。

 自分の実力を思う存分、最大限発揮している彼等の姿を見てしまえばどうしても自分と比べてしまう。
 人間とは他者と自分を比べて生きている生き物なのだ。

 それならば実力者と千代田の違いは何なのか。
 それはイメージの差、イメージの質にある。戦闘中、頭の中で自分の異能力がどのような軌道を描き、どれくらいの威力を持っているのか。明確なイメージを持っている者ほど、戦闘を優位に進めることができる。

 想像力が豊かな人間ほど多彩な攻撃を仕掛けることができるのだ。防御も同じことが言える。

 千代田に足りないことは自分の異能力をもっと知ることだ。

「千代田! 風の軌道を頭の中でイメージするんだ」

「は、はい」

「遠慮はいらないぞ。オレ目掛けて一直線に鋭く撃ってこい」

 千代田がオレの目を見て頷き、手のひらを顔の前まで上げた。
 大きく息を吸い込み、風の渦に息を吹きかける。

 その刹那、激しい突風が突如として吹き荒れた。
 ちょっとしたきっかけで人は変わる。千代田はもっと強くなりたいと自ら一歩前に踏み出した。

 今まで人見知りで常に人の陰に隠れていた千代田が、だ。
 傍から見れば当たり前のこと、気にも留めない小さなこと。しかし、千代田にとっては大きな成長と言える。

 オレは千代田が放った突風を全身で受け止めた。

「……これは」

 一瞬でも気を抜くと地面から足が離れて吹き飛ばされそうになる。
 数秒後、風が止んだタイミングを見計らって顔を上げると、息を全て吐き切った千代田が堂々と立っていた。

—2—

「スポーツドリンクだけどよかったか?」

「は、はい、わざわざありがとうございます」

 自主練習を終えたオレたちは、中庭の休憩スペースにいた。
 自動販売機で買ってきた飲み物をベンチに座っていた千代田に渡す。

 千代田がペットボトルのキャップを開け、一口口をつける。そのまま太股の上にペットボトルを置くと、そのペットボトル一点を見つめて動かなくなった。

 ペットボトルの水滴が太股に落ちてベンチに流れる。
 千代田が何を考えているのかオレにはわからない。

 ただただ時間ばかりが過ぎていく。

「か、神楽坂くん、あの、私の話を少し聞いてもらえませんか?」

「もちろんだ」

 ようやく口を開いた千代田。
 それを拒む理由などない。

「私がこの学院に来た理由についてです」

 千代田が学院に来た理由。それについては聞いたことがなかったな。

「わ、私は神楽坂くんも知っての通り、人見知りで自己表現をすることに苦手意識を持っています。昔からそうなんです。人前に出るのが恥ずかしくて、緊張して、頭が真っ白になっちゃいます。だから無意識に人と接する機会を避けてきました」

 そこまで言うと千代田が視線を前に向けた。

「でもあるとき思ったんです。このままじゃダメだって。きっかけは覚えていません。ただ、今までの自分を変えたいと強く思うようになりました。私は、私は自分を変えるためにこの学院に入学したんです」

 千代田の真っ直ぐとした目がオレの目を捉えた。

「私は変われるでしょうか? 変わっていけるでしょうか? 明智さんを見る度に思うんです。私もこういう風になりたいって。でもそれと同時に不安な気持ちが押し寄せてきて……」

「人と比べたくなる気持ちはわかる。でもな、そんなに焦らなくてもいいんじゃないか? 千代田は千代田のペースでやればいいとオレは思うけどな。入学してからまだ日は浅いが、千代田は確実に変わってきてるぞ」

 前向きに変わりたいという意思が行動によって現れている。
 昨日のメッセージ。今日の自主練習の取り組みを見てもそれを感じた。

「ありがとうございます。神楽坂くんのアドバイス通り、自分のペースで頑張ってみようと思います」

 普段のおどおどとした表情は消え、柔らかい笑顔を見せた。

 中庭に優しい風が吹き、太陽の暖かな光が差し込んだ。