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 噂が拡散されていることを裏付けるように明智に好奇な視線が集まり始めた7月17日金曜日。
 食堂で日替わり定食を注文したオレは千代田と向かい合うようにして席に着いた。
 今日のメニューは豚肉の生姜焼きだ。

「神楽坂くん、いくら計画のためとはいえ明智さんが可哀想じゃないですか?」

 千代田が箸の先でミニトマトを転がしながら窓際に座る明智を心配する。
 丸岡と磯峯が行動に移した2日前、噂にリアリティーを出すために学院での単独行動を申し出た明智。
 初めのうちは心配して声を掛けてくる生徒の姿も見受けられたが明智の素っ気ない対応に次第に孤立する形となった。

「明智本人の希望だ。あくまでも公の場でのアピールに過ぎない。千代田、裏では千代田が明智を支えてやってくれ」

「そ、それはもちろんそのつもりですけど。孤独は寂しいですよ」

 自身がいじめられていた過去がある分、余計に考えてしまうのだろう。
 明智と千代田の間に隠し事は無い。
 明智は今回の計画を全て千代田に話したらしい。
 千代田の性格上、他人に漏らす心配は無いから計画に支障は出ないと見ていい。
 明智の精神ケアにも親友の千代田が適任だ。

「同学年から上級生へ、そして教師まで噂が広がれば計画は次の段階へ移行する。この調子なら後1週間も掛からないはずだ」

「それまでの辛抱ということですか」

 千代田は何とも言えない表情でミニトマトを口に運び、奥歯で噛み潰した。
 全員が精神を擦り減らしながら行動していることを忘れてはならない。

—2—

 食堂を後にしたオレは次の授業の準備をする前に職員室に立ち寄っていた。
 場合によっては話が長くなる可能性もあったため、千代田とは食堂で別れた。
 ノックをして中に入ると複数の教員の視線が飛んでくる。
 その中にオレが探していた鞘師先生の姿があった。
 鞘師先生と目が合い、軽く頭を下げる。

「どうした神楽坂? 何か用か?」

 鞘師先生がオレの名前を呼ぶと興味を示さなかった教師が顔を上げてこちらに視線を向けてきた。
 1学年の序列1位になったことで知名度が上がっているのだろう。

「実は部活に所属しようと思いまして……」

 鞘師先生の背後に意識を向け、あえて話しにくそうな雰囲気を出す。
 別に会話を聞かれて不都合になることは無いが、聞き耳を立てられている空間は居心地が悪い。

「そうか。そういうことなら場所を変えよう。ここは期末テスト前で生徒に見せられない書類も多いからな」

「わかりました」

 意図を汲み取ってくれた鞘師先生が場所の変更を提案してくれた。
 廊下に出て、特に目的も無く第2校舎に向かって足を進める。

「それで何部に入ることにしたんだ?」

「文芸部です」

 ポケットに忍ばせておいた入部届を鞘師先生に渡す。

「ほう、これは予想外だな。本が好きなのか?」

「はい、休日は暇さえあれば読書をして過ごしてます」

「お前なら運動部でも十分活躍できると思うが」

「生徒会と並行となると運動部は文化部よりも拘束されてしまうので。かと言って何もしないまま学生生活を終えるのは勿体無いので趣味でもある文芸部を選びました」

「なるほどな。確かに受け取った。これは私から提出しておこう」

 鞘師先生が入部届を懐に入れた。

「そういえば鞘師先生も学院出身だったんですね」

「どうしてそれを?」

「部室に置いてあった文芸誌の目次に名前があったので」

「そういうことか。もしかして読んだのか?」

「いえ、まだです。文芸誌の参考に今度読まさせて頂きます」

「恥ずかしいからやめて欲しいというのが個人的な願いだが、部の所有物だから止める権利は私には無い、か」

 鞘師先生が諦めたように溜息をつく。
 本気で止められたらオレも読むつもりは無かったが案外そうでも無いようなので次回部室に足を運んだ際にでも目を通してみるとしよう。

「保坂先生も学院出身なんですよね?」

「ああ、懐かしいな」

「2人揃って母校で教師をしていると考えると凄い縁ですね」

「私と保坂は運命共同体みたいなものだからな。昔から何をするにしても一緒だった」

「仲が良いんですね」

「家族よりも強い絆で繋がってると言っても過言ではないな」

 人によっては口に出すのも照れ臭い言葉を普段サバサバした鞘師先生の口から聞くと新鮮な気持ちになるな。

 次の授業を知らせる鐘が鳴り、鞘師先生が腕時計に視線を落とす。

「少し話し過ぎたみたいだな。神楽坂、お前も何かと大変だろうが何かあったら私か保坂を頼れ。できる限り力になることを約束しよう」

「ありがとうございます。『平穏な日々を』がモットーなのでそうならないように気をつけます」

 軽い冗談を交えながらオレと鞘師先生は次の授業の教室に向かった。