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 集団序列戦前最後の休日を控えた金曜日。
 6月も終わりに近い今日の最高気温は32度。この調子で行けば無人島は暑さとの戦いにもなりそうだ。

 放課後、トイレでジャージに着替えたオレはローファーからランニングシューズに履き替え、グラウンドにやって来た。

 トラックの中にはウォーミングアップをする陸上部の部員の姿がある。
 男子が6人に女子が5人。
 2人1組で柔軟をしながら前に立つ男の話に耳を傾けている。

「各自アップを済ませたら記録を取ろうと思う。前回の記録を越えられるように気を引き締めて臨むように」

 陸上部部長の溝端(みぞばた)が1日の流れを説明し終えると視線をこちらに向けてきた。

「神楽坂、どうした? 何か用か?」

「陸上部に興味がありまして、見学させて頂くことは可能ですか?」

「そうか。それは全然構わないが。そうだな、糸巻(いとまき)!」

 溝端がアキレス腱を伸ばしていた糸巻を呼び出した。
 緑色の髪にシュッと細身の体型。顔は綺麗に整っていて中性的な雰囲気だ。
 前期中間考査では12位に位置し、先日集団序列戦のグループを敷島(しきしま)と組んだことでも話題に上がった。

「同じ1年生だし、神楽坂と一緒に練習してもらってもいいか?」

「わかりました」

「俺は順番に測定をしてくるからアップを済ませておいてくれ」

 溝端はそう言い残して他の部員の所に歩いて行った。

「よろしく頼む」

「そんなにかしこまらなくていいよ。俺は短距離をしているんだけど、走るのは得意? 苦手?」

「可もなく不可もなくってところだな」

 平均くらいを演じるのがちょうどいいだろう。
 ここで変に目立てば後々面倒臭いことになるのは目に見えている。

「なるほど。まあ苦手じゃないだけマシだな」

 記録の測定に入る前にランニングをしたり、50メートルを流して走ったりして感覚を掴んだ。
 2人で同じメニューをこなしているということもあって糸巻との距離も自然と近くなる。

「糸巻は中学も陸上部だったのか?」

「いや、陸上を始めたのは高校に入ってからだ。溝端先輩に誘われてな」

「そうだったのか」

 2年生にして学院の序列7位の溝端。
 普段は紫龍の影に隠れている印象だったが、後輩を部活に勧誘するくらい活発的な一面もあるみたいだ。

「神楽坂はなんで陸上部の見学をしようと思ったんだ? 俺が言うのもなんだがもうすぐ集団序列戦も始まるし、部活をしている暇はないだろ」

「確かにそうだが、せっかく高校生になったんだ。異能力だけじゃなくて高校生らしいことの1つや2つ、してみてもいいんじゃないかと思ってな」

「そういう考えもあるのか」

 オレの説明に納得した様子の糸巻。
 せっかくの機会だし、こちらから少し踏み込んだ話題を振ってみるか。

「集団序列戦といえば、糸巻は敷島と無名(むめい)とグループを組んだらしいな」

「ああ、もう情報が出回ってるんだな」

「敷島があれだけ目立っていたら噂にもなるだろ」

 特待生の千炎寺を下剋上システムで返り討ちにした衝撃は生徒の中でもかなり大きかったはずだ。

「敷島と話しているところをあまり見かけたことがなかったがどういう経緯でグループを組むことになったんだ?」

 糸巻は1学年の中でも進んで他人と群れるようなタイプではない。
 一方の敷島も我が道を行くといった感じで若干孤立している節がある。
 2人の共通点がまるで見当たらない。

「俺とふさぎが話すようになったのは、ソロ序列戦前の異能力実技の授業で対戦をしてからだな。グループを組む経緯は単純に目的が一致していたからなんだが、他人の事情を俺の口から言うのは反則だと思うから詳しいことは言えない」

「そうか。まあ、人によって色々事情はあるからな。無神経に聞いて悪かった」

「いや、謝ることじゃない」

 目的の一致か。
 グループを組んでいる以上、ある程度信頼関係は築けているに違いない。
 当然の話だが、オレの知らないところで色々動きがあるみたいだな。

 その後、糸巻とグラウンドで汗を流し、他の陸上部の部員とも会話を交わすことができた。
 目標に向かって共に汗を流し、笑い合う。
 正に青春とはこんな日常の一コマのことを言うのだろうな。

—2—

 グループ分け締め切りまで今日を含めて残り4日と迫った6月29日月曜日。
 昨日、一昨日の2日間は無人島で使用する必需品なんかを購入する生徒が多く見られ、寮とショッピングモールを行き来する生徒の姿が目立った。

 無人島で必要な物と言われても下着の替えくらいしか思いつかなかったため、オレは1人で異能力の基礎トレーニングや現在抱えている暗空や明智の問題の洗い出しに時間を費やした。

 幸いなことに暗空の件は落ち着きを見せ始めているが、日に日にやつれている千代田の様子を見るに明智から何かしらのプレッシャーを掛けられていることは明白だろう。

 暗空に恨みを持つ明智。
 この問題を解決しない限り、真に事件を解決したことにはならない。

「失礼します」

 生徒会室に入ると生徒会長の馬場先輩を初め、書記の滝壺(たきつぼ)先輩、会計の橋場(はしば)先輩、副会長の榊原(さかきばら)先輩、庶務の天童(てんどう)先輩が長机を囲っていた。

「全員揃ったな」

 机の上で肘をつき、指を組んでいた馬場会長が口を開いた。
 オレは空いていた入り口近くの席につき、馬場会長の対面に座る暗空に視線を向けた。

 これまで生徒会会議への出席を避けていた暗空だったが、事態が収まりつつある今ここに姿を見せたのは何か理由があるのだろうか。

「暗空の張り紙の件を受けて自粛という形を取っていたが、学院の行事を運営する以上いつまでも自粛しているわけにもいかない。そこで話を前に進めるためにも今日はみんなに集まってもらった。まず、暗空から何か話しておきたいことはあるか?」

「今回は皆さんにご迷惑をおかけする形となってしまい申し訳ございませんでした。生徒会の一員という自覚が足りていなかったからこのような事態を招いてしまったのだと思います」

 暗空が深く頭を下げて謝罪する。

「張り紙に記載されていた内容は事実ではないんだな」

 榊原が暗空の表情を読み取ろうと視線を向けるが暗空の表情は変わらない。

「分かりません」

「分からない、だと」

 榊原の視線が強くなる。

「人は生きているだけで大小はあれど社会に何かしらの影響を与えていると私は考えています。私が存在しているせいで、無意識に誰かを傷つけていたのだとしたら私はそれに気づくことができませんでした」

 暗空なりの考え。
 自分の意図しないところで他人に迷惑をかけていたとしたら自分から気づくことは難しい。
 人は生きている以上、絶対に他人と関わっていかなければならないため、そういった無意識下での衝突も起こり得るだろう。

「確かに暗空の言い分も理解できる」

 生徒会会議の司会進行役の馬場会長が1枚のA4用紙を目の前に掲げた。

「これは掲示板に貼られていた実際の物だ。ここから犯人の特定に繋がればと調べていたのだが、何も手掛かりは出てこなかった。滝壺の方でも事件当日の怪しい人物の目撃情報を探ってもらっていたが今の所めぼしい情報は出てきていない」

「うーん、かなり計画的な犯行ですねー」

 天童が指先から指先に電撃を飛ばしながら唸り声を上げた。
 電撃を飛ばす度にバチバチと弾けるような音が鳴るので普通に怖い。

「会長、どうするんですか? このままでは一生解決しませんよ」

 榊原先輩が馬場会長に指示を仰ぐ。
 何も情報が出てきていない以上、動くに動けないというのが正直な所だろう。

 ここで言うべきかは迷うが、話を切り替えるという意味でも発言してみるか。
 オレは静かに右手を挙げた。

「神楽坂」

 馬場会長に指名され、立ち上がる。
 生徒会全員の視線がオレへと集まった。

「実はとある筋からの情報で掲示板に張り紙をした犯人に心当たりがあります」

「なんでそれを早く言わなかったんだ」

「榊原、そう責めてやるな。神楽坂、何か理由があったんだろ?」

「すみません、確信を持てていない段階で個人の名前を出すことに抵抗があったので」

「まあ、一理あるな」

 前屈みになっていた榊原が姿勢を正した。

「それで、今発言したということは確信に変わったということか?」

「いえ、本人と直接接触する機会はあったのですが、尻尾を掴むことはできませんでした」

「まあ、手の込んだことをしてくる相手だ。そう簡単にはいかないだろうな」

「しかし、個人的にはそろそろ動き出す頃だと思います」

 張り紙以降すっかり大人しくなった犯人の心理を読むと、何か機会を窺っているようにも思える。
 直近で派手に動けることと言えば。

「集団序列戦か」

「そうです。無人島で行われる集団序列戦は、教師からの監視の目も行き届かないので犯人にとって絶好の機会です。暗空に強い恨みを持っているのなら直接狙ってくるはずです」

 馬場会長が人差し指を顎に当てて考える素振りを見せた。

「必ずしも100パーセントがそうだとは言い切れないが、絶対にないとも言い切れないな。神楽坂、万が一に備えて暗空の周囲を警戒してもらってもいいか? もちろん、バトルポイントがかかっている大事な序列戦だ。できる範囲で構わない。近くの教師に助けを求めるのも1つの手としてあるしな」

 馬場会長の真っ直ぐな瞳。
 あの目で頼まれたら断ることなどできない。

「分かりました。可能な限り暗空を護衛します」

 雲行きの怪しかった生徒会会議は、オレの発言をきっかけに動き出した。
 無人島での暗空の護衛と言っても明智の動向を逐一確認していれば事は防げるはずだ。
 それほど難しいことではない。