—1—
千代田から電話を受けた翌日。
この日は1、2時間目と美術の授業が続く。
美術の授業は、担当の教員から毎回テーマが課され、それに沿った作品を授業時間内に完成させて提出するという流れだ。
今回のテーマは『私の好きなモノ』。
配布されたA3用紙に鉛筆だけで思い思いの好きなモノを描いていく。
部活動で使っているバットやラケットなどの運動用品でもいいし、食べ物から風景まで特に指定はない。
また、授業時間内であれば校舎の外に出てもいいらしい。
今日は天気も良かったため、多くの生徒は気分転換がてらに校庭に足を向けた。
教室に残ったのは極少数。
日に当たることを好まない者や動くことを億劫だと感じている者。それから教室内に書きたいモノがある者など。
オレも明智や西城から誘いを受けたのだが教室に残ることを選んだ。
別に外が嫌いだからというわけではない。
とある人物と話がしたいと思ったからだ。
その人物は教室の後方にある6人掛けのテーブルで1人寂しく鉛筆を走らせていた。
テーブルの中央に楕円型の樹脂製バスケットを置き、その中にはきゅうりやトマトがバランス良く入っている。
当然、野菜は本物ではない。恐らく美術部員が創作した美術品だろう。
「野菜が好きなのか?」
声を掛けられると思っていなかったのか、黒髪短髪の少女——暗空玲於奈は鉛筆を止めてゆっくりと顔を上げた。
「好きというよりかは一時期育てていたことがあるので印象に強く残っていたモノですね。もちろん嫌いじゃありませんけど」
「そうか。実は描くモノに困っていてな。一緒に描いてもいいか?」
「神楽坂くんさえ良ければ構いませんけど、あまりオススメはしませんよ」
そう言って暗空は教室内の生徒に視線を向けた。
オレと暗空が会話をしていたことで自然と注目を集めてしまっていたみたいだ。
「誰が仕組んだかも分からない張り紙を信じる方がどうかしてる。オレは自分の目で見て掴んだ情報しか信じないことにしてるんだ」
オレは暗空の正面の席に腰を下ろした。
昨日の千代田からの電話で明智が暗空の悪口を言っていたという内容の話を聞いたが、オレがその場に居合わせたわけではない。
千代田が嘘を言っているとは思わないが、それと掲示板の件を結びつけるにはまだ早い。
「やっぱり神楽坂くんは神楽坂くんですね」
「どういう意味だ?」
「周囲の状況が変わろうと自分を持っているという意味です」
「なるほどな」
昨日の今日で暗空が授業を欠席する線も考えていたが、話した感じでは暗空に目立った変化はない。
変わってしまったのは同学年の生徒の方で、見ての通り暗空のことをあからさまに避けている。
オレが暗空に声を掛けたことで悪い噂が立つこともあり得るが、そうなったらそうなったときに対処すればいい。
今、優先すべきは張り紙に書かれていたことが事実なのか暗空に探りを入れることだ。
「馬場会長が暗空のことを心配してたぞ」
A3用紙にバスケットと野菜の輪郭をざっくりと書き込んでいく。
目で見たモノをそのまま描いているつもりなのだが、案外難しい。
「生徒会の皆さんにはご迷惑をお掛けする形になってしまい、申し訳ないです。状況が落ち着いたら直接謝罪に伺おうと思います」
「分かった。馬場会長にはオレの方からそれとなく伝えておくがいいか?」
「はい、お願いします」
暗空がこちらに頭を下げる姿を見てオレは思った。
回りくどく探りを入れる必要はないな、と。
オレは誘拐された夏蓮の情報を学院から引き出すという目的を達成するために計画していたことが2つある。
1つ目がコピーのストックを増やすこと。
序列戦や異能力実技の授業を中心にコピーのストックを増やす試みをしているのだが、いずれ限界が来ると思っている。
オレの異能力が公になり、コピーするまでの条件が割れてしまった場合、オレに攻撃を仕掛けてくる生徒は格段に少なくなるはずだからだ。
そうなることも視野に入れてオレはもう1つの策を講じていた。
それは仲間を増やすことだ。
オレが敵としているのは単体ではなく組織だ。
2年生の紫龍や溝端。他にも学院の上層部は確実に絡んでいるとみて間違いないだろう。
そうなったとき、いくらオレでも複数人を同時に相手にするのは難易度が高い。
だから敵組織の戦力に立ち向かえるだけの力を獲得しなくてはならない。
明智や千代田と異能力の自主練習をしているのも、火野の魔剣を取り戻すために協力したのもいずれ訪れる戦いの下準備というわけだ。
もちろん全員が手を貸してくれる保証はどこにもない。
だが、打てる布石は打っておくに越したことはない。
「暗空、単刀直入に聞くが掲示板に書かれていたことは事実か?」
オレは1学年で頭一つ抜けている暗空玲於奈というカードが欲しい。
だから、ここで暗空が退学するようなことになってしまうのは極力避けなくてはならない。
「そうですね」
暗空はオレの顔を見てこちらを試すような笑みを浮かべた。
「仮に事実だとしたら神楽坂くんはどうしますか?」
暗空がA3用紙をテーブルに置いた。
色の無い、白黒の作品が出来上がっていた。
—2—
神楽坂と暗空が美術室で話をしている頃、明智と千代田は西城や浅香や火野たちと一緒に外の風景を描いていた。
グラウンド、校舎、空に浮かぶ雲。
それぞれが好きなモノをA3用紙に描いていく。
「良い天気だねっ。なんだか眠くなってきちゃったよ」
穏やかな風が明智の髪を撫でる。
のんびりとした平和な時間が流れている。
しかし、明智の隣で花のスケッチをしていた千代田は気が気ではなかった。
保健室で見てしまった明智の裏の顔。
どうしても明智の顔を見ると思い出してしまう。
「どうしたの風花ちゃん? 手が止まってるよ」
「ちょ、ちょ、ちょっと上手く描けなかったので描き直そうか迷ってまして」
「えっ、上手に描けてると思うよ。ねぇ、西城くんもそう思うよね?」
明智に意見を求められ、西城が千代田の絵を覗き込む。
「うん、千代田さん上手に描けてると思うよ」
「そ、そうですか?」
「うん、浅香さんと火野さんもそう思うよね?」
「千代田さん、昔から絵を描くのとか好きだったでしょ! 上手すぎだよ!」
「賞とか取れるレベル」
浅香が千代田の絵を絶賛し、火野が頷いた。
「ありがとうございます。このまま描き進めてみます」
明智に声を掛けられたことで咄嗟に言葉を繋いだ千代田もようやく話題が切れたことでほっと胸を撫で下ろした。
1時間目の終わりを知らせるチャイムが鳴り、2時間目が始まるまでの10分間の小休憩。
「西城くん、私と風花ちゃんお手洗いに行ってくるね」
明智がスカートをパンパンと払って立ち上がる。
「うん、分かった」
「えっ、私は」
「行こっ、風花ちゃん♪」
千代田が断る隙を与えず、明智が千代田の手を引いた。
千代田の表情がみるみる曇っていく。
できることなら帰りたい。そう思う千代田だった。
—3—
「ねぇ風花ちゃん、私の勘違いかもしれないけど風花ちゃんに何かしたかな?」
第二校舎の女子トイレの利用率は本校舎に比べて低い。
美術や音楽や書道などの特別授業を受けている生徒や一部の教員しか利用しないからだ。
それを知ってか知らずか明智は千代田を呼び出した。
「い、いえ、何もしてないです」
千代田が明智から目を逸らす。
2人っきりになってから明智の雰囲気がガラッと変わった。
万人受けする笑顔は消え、千代田の表情を読み取ることだけに集中している。
「風花ちゃんってさ、嘘下手だよね。目が泳ぎすぎだよ」
「そ、そんなことは、ない、です」
「昨日もだけど私から逃げようとしてるでしょ?」
明智の圧から逃れるように千代田が個室に追い込まれていく。
明智が個室の鍵を閉めて千代田の退路を完全に断った。
「もしかして、聞いてた?」
威圧的な態度。
明智の貼り付けたような笑顔が千代田の恐怖心を煽る。
「わ、私は、何も知りません」
千代田がそう答えた瞬間、明智の手のひらが千代田の頬を掠めた。
「風花ちゃん、嘘ついてたらタダじゃおかないからね」
壁ドンのような体勢になった明智は千代田に顔を近づけて瞳を見つめた。
一方の千代田はというと恐怖のあまり今にも泣き出してしまいそうだ。
「さっ、休み時間も終わるし、みんなの所に戻ろっかっ♪」
何も無かったかのように明智が個室の鍵を開けた。
人から信用を勝ち取っている人間を敵に回すことほど怖いものはない。
表と裏で顔を使い分けているなら尚更だ。
明智と千代田の友情に生まれた亀裂は次の序列戦まで広がっていくことになる。
千代田から電話を受けた翌日。
この日は1、2時間目と美術の授業が続く。
美術の授業は、担当の教員から毎回テーマが課され、それに沿った作品を授業時間内に完成させて提出するという流れだ。
今回のテーマは『私の好きなモノ』。
配布されたA3用紙に鉛筆だけで思い思いの好きなモノを描いていく。
部活動で使っているバットやラケットなどの運動用品でもいいし、食べ物から風景まで特に指定はない。
また、授業時間内であれば校舎の外に出てもいいらしい。
今日は天気も良かったため、多くの生徒は気分転換がてらに校庭に足を向けた。
教室に残ったのは極少数。
日に当たることを好まない者や動くことを億劫だと感じている者。それから教室内に書きたいモノがある者など。
オレも明智や西城から誘いを受けたのだが教室に残ることを選んだ。
別に外が嫌いだからというわけではない。
とある人物と話がしたいと思ったからだ。
その人物は教室の後方にある6人掛けのテーブルで1人寂しく鉛筆を走らせていた。
テーブルの中央に楕円型の樹脂製バスケットを置き、その中にはきゅうりやトマトがバランス良く入っている。
当然、野菜は本物ではない。恐らく美術部員が創作した美術品だろう。
「野菜が好きなのか?」
声を掛けられると思っていなかったのか、黒髪短髪の少女——暗空玲於奈は鉛筆を止めてゆっくりと顔を上げた。
「好きというよりかは一時期育てていたことがあるので印象に強く残っていたモノですね。もちろん嫌いじゃありませんけど」
「そうか。実は描くモノに困っていてな。一緒に描いてもいいか?」
「神楽坂くんさえ良ければ構いませんけど、あまりオススメはしませんよ」
そう言って暗空は教室内の生徒に視線を向けた。
オレと暗空が会話をしていたことで自然と注目を集めてしまっていたみたいだ。
「誰が仕組んだかも分からない張り紙を信じる方がどうかしてる。オレは自分の目で見て掴んだ情報しか信じないことにしてるんだ」
オレは暗空の正面の席に腰を下ろした。
昨日の千代田からの電話で明智が暗空の悪口を言っていたという内容の話を聞いたが、オレがその場に居合わせたわけではない。
千代田が嘘を言っているとは思わないが、それと掲示板の件を結びつけるにはまだ早い。
「やっぱり神楽坂くんは神楽坂くんですね」
「どういう意味だ?」
「周囲の状況が変わろうと自分を持っているという意味です」
「なるほどな」
昨日の今日で暗空が授業を欠席する線も考えていたが、話した感じでは暗空に目立った変化はない。
変わってしまったのは同学年の生徒の方で、見ての通り暗空のことをあからさまに避けている。
オレが暗空に声を掛けたことで悪い噂が立つこともあり得るが、そうなったらそうなったときに対処すればいい。
今、優先すべきは張り紙に書かれていたことが事実なのか暗空に探りを入れることだ。
「馬場会長が暗空のことを心配してたぞ」
A3用紙にバスケットと野菜の輪郭をざっくりと書き込んでいく。
目で見たモノをそのまま描いているつもりなのだが、案外難しい。
「生徒会の皆さんにはご迷惑をお掛けする形になってしまい、申し訳ないです。状況が落ち着いたら直接謝罪に伺おうと思います」
「分かった。馬場会長にはオレの方からそれとなく伝えておくがいいか?」
「はい、お願いします」
暗空がこちらに頭を下げる姿を見てオレは思った。
回りくどく探りを入れる必要はないな、と。
オレは誘拐された夏蓮の情報を学院から引き出すという目的を達成するために計画していたことが2つある。
1つ目がコピーのストックを増やすこと。
序列戦や異能力実技の授業を中心にコピーのストックを増やす試みをしているのだが、いずれ限界が来ると思っている。
オレの異能力が公になり、コピーするまでの条件が割れてしまった場合、オレに攻撃を仕掛けてくる生徒は格段に少なくなるはずだからだ。
そうなることも視野に入れてオレはもう1つの策を講じていた。
それは仲間を増やすことだ。
オレが敵としているのは単体ではなく組織だ。
2年生の紫龍や溝端。他にも学院の上層部は確実に絡んでいるとみて間違いないだろう。
そうなったとき、いくらオレでも複数人を同時に相手にするのは難易度が高い。
だから敵組織の戦力に立ち向かえるだけの力を獲得しなくてはならない。
明智や千代田と異能力の自主練習をしているのも、火野の魔剣を取り戻すために協力したのもいずれ訪れる戦いの下準備というわけだ。
もちろん全員が手を貸してくれる保証はどこにもない。
だが、打てる布石は打っておくに越したことはない。
「暗空、単刀直入に聞くが掲示板に書かれていたことは事実か?」
オレは1学年で頭一つ抜けている暗空玲於奈というカードが欲しい。
だから、ここで暗空が退学するようなことになってしまうのは極力避けなくてはならない。
「そうですね」
暗空はオレの顔を見てこちらを試すような笑みを浮かべた。
「仮に事実だとしたら神楽坂くんはどうしますか?」
暗空がA3用紙をテーブルに置いた。
色の無い、白黒の作品が出来上がっていた。
—2—
神楽坂と暗空が美術室で話をしている頃、明智と千代田は西城や浅香や火野たちと一緒に外の風景を描いていた。
グラウンド、校舎、空に浮かぶ雲。
それぞれが好きなモノをA3用紙に描いていく。
「良い天気だねっ。なんだか眠くなってきちゃったよ」
穏やかな風が明智の髪を撫でる。
のんびりとした平和な時間が流れている。
しかし、明智の隣で花のスケッチをしていた千代田は気が気ではなかった。
保健室で見てしまった明智の裏の顔。
どうしても明智の顔を見ると思い出してしまう。
「どうしたの風花ちゃん? 手が止まってるよ」
「ちょ、ちょ、ちょっと上手く描けなかったので描き直そうか迷ってまして」
「えっ、上手に描けてると思うよ。ねぇ、西城くんもそう思うよね?」
明智に意見を求められ、西城が千代田の絵を覗き込む。
「うん、千代田さん上手に描けてると思うよ」
「そ、そうですか?」
「うん、浅香さんと火野さんもそう思うよね?」
「千代田さん、昔から絵を描くのとか好きだったでしょ! 上手すぎだよ!」
「賞とか取れるレベル」
浅香が千代田の絵を絶賛し、火野が頷いた。
「ありがとうございます。このまま描き進めてみます」
明智に声を掛けられたことで咄嗟に言葉を繋いだ千代田もようやく話題が切れたことでほっと胸を撫で下ろした。
1時間目の終わりを知らせるチャイムが鳴り、2時間目が始まるまでの10分間の小休憩。
「西城くん、私と風花ちゃんお手洗いに行ってくるね」
明智がスカートをパンパンと払って立ち上がる。
「うん、分かった」
「えっ、私は」
「行こっ、風花ちゃん♪」
千代田が断る隙を与えず、明智が千代田の手を引いた。
千代田の表情がみるみる曇っていく。
できることなら帰りたい。そう思う千代田だった。
—3—
「ねぇ風花ちゃん、私の勘違いかもしれないけど風花ちゃんに何かしたかな?」
第二校舎の女子トイレの利用率は本校舎に比べて低い。
美術や音楽や書道などの特別授業を受けている生徒や一部の教員しか利用しないからだ。
それを知ってか知らずか明智は千代田を呼び出した。
「い、いえ、何もしてないです」
千代田が明智から目を逸らす。
2人っきりになってから明智の雰囲気がガラッと変わった。
万人受けする笑顔は消え、千代田の表情を読み取ることだけに集中している。
「風花ちゃんってさ、嘘下手だよね。目が泳ぎすぎだよ」
「そ、そんなことは、ない、です」
「昨日もだけど私から逃げようとしてるでしょ?」
明智の圧から逃れるように千代田が個室に追い込まれていく。
明智が個室の鍵を閉めて千代田の退路を完全に断った。
「もしかして、聞いてた?」
威圧的な態度。
明智の貼り付けたような笑顔が千代田の恐怖心を煽る。
「わ、私は、何も知りません」
千代田がそう答えた瞬間、明智の手のひらが千代田の頬を掠めた。
「風花ちゃん、嘘ついてたらタダじゃおかないからね」
壁ドンのような体勢になった明智は千代田に顔を近づけて瞳を見つめた。
一方の千代田はというと恐怖のあまり今にも泣き出してしまいそうだ。
「さっ、休み時間も終わるし、みんなの所に戻ろっかっ♪」
何も無かったかのように明智が個室の鍵を開けた。
人から信用を勝ち取っている人間を敵に回すことほど怖いものはない。
表と裏で顔を使い分けているなら尚更だ。
明智と千代田の友情に生まれた亀裂は次の序列戦まで広がっていくことになる。



