「か、神原くん……」
二人がいなくなると、神原くんは、穏やかな、でも少し怒ってるような瞳を俺の方に向ける。
「先輩、僕との約束、忘れてしまったんですか?」
「……ごめん。約束やぶる気はなかったんだけど……」
神原くんに謝罪する。これは明らかに俺が悪い。神原くんと先に約束をしていたのに後から引き受けようとしていたのはよくなかった。それに、自分じゃ断れなくて言わせてしまった申し訳なさある。でも、少しだけほっとしてしまった。俺一人じゃ上手く断れる気がしなかったから。困っている人は助けたい、もあるし、断れない、というのもあったから。多分、神原くんがいなかったら引き受けてしまっていたかもしれない。
「やっぱり先輩は、誰に対しても優しい人なんですね」
「……優しい、って言うよりかは断り切れないだけだと思う」
「それでも、先輩は優しいです。だから、僕は先輩のこと、いっぱい優しくしてあげたい。甘やかしてあげたい。あの日から、そう思ってたんです」
「……神原くん」
綺麗な顔で柔らかく言われる。そして、神原くんが腕の力を緩めて、俺を抱きしめる体勢を解いた。まだ、ドキドキの余韻が残っている。このドキドキは100パーセントが戸惑いで構成されているものではないと思う。
「それじゃあ、外、行きましょうか」
「う、うん……」
俺達は外に向かって階段を降りていく。
「先輩は、誰にでも優しい人で、断れなくって、無理しちゃうっていうのは分かります」
「……。そう、だね……。」
「……でも、ちゃんと断ることも、大事ですからね。さっきの先輩、めちゃくちゃ困ってましたから。人を助けるのも大事ですが、自分のことも大事にしてください。先輩自身が、一番大事です」
「……俺、自身」
「はい。自分のことを、大事にしてください。俺も、先輩のこと、優しくしますので……」
ふわ、と柔らかく笑う神原くん。さっきの余韻も合わせてさらにドキドキしてしまった。困惑、とはなんだか違う感覚だった。
「そういえば、どうして俺があそこにいるのが分かったの?」
「ベンチのそばで待っていたんですが、先輩の教室から昇降口までの距離と到着時間を考えると、今の時間まで来ないのはおかしいな、と思いまして……」
「そ、そっか……」
距離と到着時間、まで考えてるなんて……。いろんな意味ですごいな、と思った。
神原くんはお昼の時もべったり近づいてきて、そして、今日も家まで着いてきてくれた。
「ただいま」
誰もいない家にただいま、と言って帰宅する。小さい時から慣れたこと。広い家に一人。これが俺の日常。父さんは指揮者、母さんはフルート奏者。たまに連絡は来るけど世界を飛び回っている。高校に入ってからさらに忙しくなって、入学式の日に会ったのが最後だ。
「あ……」
スマートフォンから電話の着信音。「母さん」と名前が書かれていた。
「もしもし、錬斗。元気?」
母さんの声。後ろからがやがや聞こえている。多分仕事中なんだと思う。
「あ、うん、母さん。元気だよ?」
「よかったわ……! ごめんね、なかなか帰れなくって」
「ううん、大丈夫」
母さんからの電話の内容は、元気に過ごしてるか、食事はきちんと摂っているか。そんな感じの生存確認電話だった。いつも通り、全てにyesを返す。少し寂しさはあるけれど、わがままを言っても仕方がないから。それまで全てそんな感じで乗り越えてきた。
「錬斗はほんとうにしっかりしてるからねえ。いろいろと苦労掛けちゃうけど、これからも頼むね」
「うん。分かってる。父さんにもよろしく」
通話終了ボタンを押す。ふう、と一つ溜息をついた。親からもこんな感じ。なんかいろんなことを任されてしまっている。まあ、仕方がないな、とは思うけれど。
――先輩は優しいです。だから、僕は先輩のこと、いっぱい優しくしてあげたい。甘やかしてあげたい。あの日から、そう思ってたんです
――自分のことを、大事にしてください。俺も、先輩のこと、優しくしますので
不意に、神原くんの言葉と笑顔を思い出した。頼られる側だったから、こんな風に言われたことは、初めてで。戸惑いと同時に、なんだか不思議な感覚になった。どこか胸が熱くなるような、そんな感覚だった。
二人がいなくなると、神原くんは、穏やかな、でも少し怒ってるような瞳を俺の方に向ける。
「先輩、僕との約束、忘れてしまったんですか?」
「……ごめん。約束やぶる気はなかったんだけど……」
神原くんに謝罪する。これは明らかに俺が悪い。神原くんと先に約束をしていたのに後から引き受けようとしていたのはよくなかった。それに、自分じゃ断れなくて言わせてしまった申し訳なさある。でも、少しだけほっとしてしまった。俺一人じゃ上手く断れる気がしなかったから。困っている人は助けたい、もあるし、断れない、というのもあったから。多分、神原くんがいなかったら引き受けてしまっていたかもしれない。
「やっぱり先輩は、誰に対しても優しい人なんですね」
「……優しい、って言うよりかは断り切れないだけだと思う」
「それでも、先輩は優しいです。だから、僕は先輩のこと、いっぱい優しくしてあげたい。甘やかしてあげたい。あの日から、そう思ってたんです」
「……神原くん」
綺麗な顔で柔らかく言われる。そして、神原くんが腕の力を緩めて、俺を抱きしめる体勢を解いた。まだ、ドキドキの余韻が残っている。このドキドキは100パーセントが戸惑いで構成されているものではないと思う。
「それじゃあ、外、行きましょうか」
「う、うん……」
俺達は外に向かって階段を降りていく。
「先輩は、誰にでも優しい人で、断れなくって、無理しちゃうっていうのは分かります」
「……。そう、だね……。」
「……でも、ちゃんと断ることも、大事ですからね。さっきの先輩、めちゃくちゃ困ってましたから。人を助けるのも大事ですが、自分のことも大事にしてください。先輩自身が、一番大事です」
「……俺、自身」
「はい。自分のことを、大事にしてください。俺も、先輩のこと、優しくしますので……」
ふわ、と柔らかく笑う神原くん。さっきの余韻も合わせてさらにドキドキしてしまった。困惑、とはなんだか違う感覚だった。
「そういえば、どうして俺があそこにいるのが分かったの?」
「ベンチのそばで待っていたんですが、先輩の教室から昇降口までの距離と到着時間を考えると、今の時間まで来ないのはおかしいな、と思いまして……」
「そ、そっか……」
距離と到着時間、まで考えてるなんて……。いろんな意味ですごいな、と思った。
神原くんはお昼の時もべったり近づいてきて、そして、今日も家まで着いてきてくれた。
「ただいま」
誰もいない家にただいま、と言って帰宅する。小さい時から慣れたこと。広い家に一人。これが俺の日常。父さんは指揮者、母さんはフルート奏者。たまに連絡は来るけど世界を飛び回っている。高校に入ってからさらに忙しくなって、入学式の日に会ったのが最後だ。
「あ……」
スマートフォンから電話の着信音。「母さん」と名前が書かれていた。
「もしもし、錬斗。元気?」
母さんの声。後ろからがやがや聞こえている。多分仕事中なんだと思う。
「あ、うん、母さん。元気だよ?」
「よかったわ……! ごめんね、なかなか帰れなくって」
「ううん、大丈夫」
母さんからの電話の内容は、元気に過ごしてるか、食事はきちんと摂っているか。そんな感じの生存確認電話だった。いつも通り、全てにyesを返す。少し寂しさはあるけれど、わがままを言っても仕方がないから。それまで全てそんな感じで乗り越えてきた。
「錬斗はほんとうにしっかりしてるからねえ。いろいろと苦労掛けちゃうけど、これからも頼むね」
「うん。分かってる。父さんにもよろしく」
通話終了ボタンを押す。ふう、と一つ溜息をついた。親からもこんな感じ。なんかいろんなことを任されてしまっている。まあ、仕方がないな、とは思うけれど。
――先輩は優しいです。だから、僕は先輩のこと、いっぱい優しくしてあげたい。甘やかしてあげたい。あの日から、そう思ってたんです
――自分のことを、大事にしてください。俺も、先輩のこと、優しくしますので
不意に、神原くんの言葉と笑顔を思い出した。頼られる側だったから、こんな風に言われたことは、初めてで。戸惑いと同時に、なんだか不思議な感覚になった。どこか胸が熱くなるような、そんな感覚だった。


