俺の記憶は1ヶ月ほど前の入試の日まで遡った。
入試、と言っても俺は去年終えている。在校生は全員休み。特に予定はなかったけど平日休み、ということで浮かれていたのか、いつもよりも一時間半くらい早く目が覚めた。朝ご飯を適当に作って食べて、後は散歩しつつ、食材の買い出しにでも行こう、と思って、財布とスマートフォンだけポケットに入れて家の外を出た。どこか寒さの残る三月の空気を味わいながらのんびりと俺は歩いていた。
父さんも母さんも仕事で世界を飛び回っている。最後に帰ってきたのは去年の春。俺の入試の手続きをしに来てくれた。それ以来電話と郵便でしかやり取りしてない。だからほぼ一人暮らし状態。「錬斗だったら一人でも大丈夫よね」と言われて任されてしまっていた。家事も一通り出来るから、まあいいけれど。
「あれ……?」
家から歩いて五分ほどのバス停に彼はいた。紺色のダッフルコートを着て、マスクをした背の高い男の子がいた。どこかの中学の鞄。入試を受けに来たって感じの雰囲気。その子はきょろきょろ辺りを見回していた。随分と困っているというのが分かる。
「どうしたの? 大丈夫?」
いつもの通り、放っておけなくて、俺は声を掛けてしまった。その子は俺に視線を合わせる。随分と不安げなのがマスクを付けていても分かる。
「……あの、ここから寒宮高校(さむみやこうこう)ってどう行けばいいんでしょうか……?」
出した声も不安が詰まっていた。寒宮高校。うちの学校を受験するみたいだ。
「サム高ね。ここから駅までだと歩いて15分くらいなんだけど……」
言いかけて、俺は止まる。俺が出た時間と照らし合わせると、多分今、普段の登校時間を明らかに過ぎている。入試であれば結構やばい時間なんじゃないか、って思って。時間を確認するために、スマートフォンを取り出す。やっぱり、思った通りの時間。
「入試って、何時から?」
「その……」
彼が口にした時刻で俺の顔が引きつった。走ってギリギリ試験開始の電車に間に合うくらい。端的に言えば「やばい」。
俺は思わず彼の手をがっしりと掴んでしまった。普通にゆったり道案内してたら間違いなく間に合わない。
「え?」
「ごめん、超ギリギリ! 急ぐよ! ついてきて!」
俺と彼は駅に向かって走り出した。
走りながら俺は事情を聞いた。ここに来るのは今日が初めて。もともとの彼のおうちは隣の市。中学も随分離れたところにあるそう。けど、親御さんのお仕事の都合で、卒業後はこちらで生活をすることになったことが突然決まったらしい。それで、元々の志望校から変更して、寒宮高校を受験することになったそう。今日も親御さんに学校まで送迎してもらう予定だったけれど、親御さんの都合が突然合わなくなり、乗り継いで来たけれど迷ってしまった、らしい。
「そっか、大変だったな……」
「……はい。なんか、いろいろ、不安で……。友達も、いませんし……」
ちら、と後ろを見る。彼は俯いて、弱音のようにぽつ、と口にした。受験に受かるかどうか、というよりも、頼れる人がいない、みたいな雰囲気。なんだか、見ていられなかった
「大丈夫!」
「え……?」
「俺がいるから安心して! もしウチの学校受かって、困ったことあったら声かけてよ!」
受験前に、受験以外のことで不安になっている姿を見ていられなくて、俺は無責任かもしれないけど、つい、そんな風に言ってしまった。
「……ありがとう、ございます」
言うと彼のマスク越しの表情が少し和らいだ気がした。
そしてなんとか電車が着く前に改札まで辿りつく。コートを着た受験生集団がちらちら見えたから俺はほっとする。
「……あの、ありがとうございました!」
「どういたしまして。試験、頑張って!」
改札を抜けた彼は、ぺこ、とこちらに深くお辞儀して、そして集団に埋もれながらちょうどやってきた電車に乗って高校へと向かった。背の高い彼は
急いでたのもあって、きちんと顔は見てなかったし、お互い名前も聞いていなかった。
――
「ああ、あの時の……!」
受かっていればいいな、と思ったけれど、まさかここで出会えるとは思わなかった。マスク越しだから分からなかったけれども、彼、こんなにイケメンだったのか。ちょっとびっくりした。
「はい、先輩のおかげで無事に入学できました……!」
俺が思い出したことで、神原くんは柔らかく微笑む。その瞬間、記憶の中の彼の姿と神原くんの姿がなんとなく重なった。
「そっかそっか! よかった! 合格おめでとう! 俺、2年1組の久世錬斗。改めてよろしく!」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
そして、俺は横抱き体勢から上半身を起こし、座り込むような体勢になる。神原くんはその動きを促すように背中に手を当てて起こしてくれた。先輩風を吹かせたのにちょっと締まりのない再会だったけど、こうして会えたのは嬉しい。
散らばったワークとプリントを集めようとしようとしたら、先に神原くんが颯爽と散らばったワークとプリントを集め、綺麗に重ねて、俺の真横に置いてくれた。
「あ、ありがとう……」
俺が言うと神原くんは綺麗な顔でにこ、と柔らかく笑みを浮かべて、先輩、とふわ、とした声で俺のことを呼ぶ。それこそ、CMでよく流れてくる、イケメンと恋するゲームみたいな雰囲気で。
「先輩は、僕の希望です」
「え?」
「友達もいない、学校も元々行きたかったところとは違う、家族も忙しくて頼ることもなかなか難しい。これからどうしよう、ってなっていた時に、先輩と出会いました。初めてあったばかりの僕を助けてくれる先輩の優しさに心を打たれました。その時、孤独だった僕に光が見えたような気がしたんです……」
「……神原くん」
「その時の先輩は、今でも俺の憧れで、希望で、心の支えなんです。だから、今度は僕が助けたいんです……」
「ありがとう、そんな風に言ってくれるなんて、嬉しいよ」
当たり前のことをしたまでだけど、「俺に憧れて」なんて言ってくれるなんて。ちょっと感動してしまった。
「先輩を」
「ん?」
けれども、それに続いた、先輩を、という言葉で、俺は思わず声を出してしまった。みんなを助けたい、とかではなくて、対象は、俺だけ?
「えっと、その、困っている時に、誰かを助ける、とか、ではなく……」
即座に首を横に振る。
「俺は、先輩のことを、助けたいんです。俺ができる限りのことではあるけれど、先輩のことを助けたいし、優しくしたい。つらい時に優しくしてあげたい。あの時の先輩みたいに」
そして、神原くんは綺麗な顔を俺に向け、そして両手で俺の手を包み込むようにして手を握る。
「先輩。あの日から、ずーっとずっとずっと大好きです。そしてこれからも、ずーっと」
綺麗な顔でそんな台詞を口に出される。少女漫画でしか聞いた事のない台詞。それは、ただ先輩として慕ってる、とかじゃないのが分かった。それこそ、少女漫画のイケメンがヒロインに向けるような視線。
「……」
視界いっぱいに神原くんが映る。俺は、この状況をただ味わうことだけで精一杯だった。
入試、と言っても俺は去年終えている。在校生は全員休み。特に予定はなかったけど平日休み、ということで浮かれていたのか、いつもよりも一時間半くらい早く目が覚めた。朝ご飯を適当に作って食べて、後は散歩しつつ、食材の買い出しにでも行こう、と思って、財布とスマートフォンだけポケットに入れて家の外を出た。どこか寒さの残る三月の空気を味わいながらのんびりと俺は歩いていた。
父さんも母さんも仕事で世界を飛び回っている。最後に帰ってきたのは去年の春。俺の入試の手続きをしに来てくれた。それ以来電話と郵便でしかやり取りしてない。だからほぼ一人暮らし状態。「錬斗だったら一人でも大丈夫よね」と言われて任されてしまっていた。家事も一通り出来るから、まあいいけれど。
「あれ……?」
家から歩いて五分ほどのバス停に彼はいた。紺色のダッフルコートを着て、マスクをした背の高い男の子がいた。どこかの中学の鞄。入試を受けに来たって感じの雰囲気。その子はきょろきょろ辺りを見回していた。随分と困っているというのが分かる。
「どうしたの? 大丈夫?」
いつもの通り、放っておけなくて、俺は声を掛けてしまった。その子は俺に視線を合わせる。随分と不安げなのがマスクを付けていても分かる。
「……あの、ここから寒宮高校(さむみやこうこう)ってどう行けばいいんでしょうか……?」
出した声も不安が詰まっていた。寒宮高校。うちの学校を受験するみたいだ。
「サム高ね。ここから駅までだと歩いて15分くらいなんだけど……」
言いかけて、俺は止まる。俺が出た時間と照らし合わせると、多分今、普段の登校時間を明らかに過ぎている。入試であれば結構やばい時間なんじゃないか、って思って。時間を確認するために、スマートフォンを取り出す。やっぱり、思った通りの時間。
「入試って、何時から?」
「その……」
彼が口にした時刻で俺の顔が引きつった。走ってギリギリ試験開始の電車に間に合うくらい。端的に言えば「やばい」。
俺は思わず彼の手をがっしりと掴んでしまった。普通にゆったり道案内してたら間違いなく間に合わない。
「え?」
「ごめん、超ギリギリ! 急ぐよ! ついてきて!」
俺と彼は駅に向かって走り出した。
走りながら俺は事情を聞いた。ここに来るのは今日が初めて。もともとの彼のおうちは隣の市。中学も随分離れたところにあるそう。けど、親御さんのお仕事の都合で、卒業後はこちらで生活をすることになったことが突然決まったらしい。それで、元々の志望校から変更して、寒宮高校を受験することになったそう。今日も親御さんに学校まで送迎してもらう予定だったけれど、親御さんの都合が突然合わなくなり、乗り継いで来たけれど迷ってしまった、らしい。
「そっか、大変だったな……」
「……はい。なんか、いろいろ、不安で……。友達も、いませんし……」
ちら、と後ろを見る。彼は俯いて、弱音のようにぽつ、と口にした。受験に受かるかどうか、というよりも、頼れる人がいない、みたいな雰囲気。なんだか、見ていられなかった
「大丈夫!」
「え……?」
「俺がいるから安心して! もしウチの学校受かって、困ったことあったら声かけてよ!」
受験前に、受験以外のことで不安になっている姿を見ていられなくて、俺は無責任かもしれないけど、つい、そんな風に言ってしまった。
「……ありがとう、ございます」
言うと彼のマスク越しの表情が少し和らいだ気がした。
そしてなんとか電車が着く前に改札まで辿りつく。コートを着た受験生集団がちらちら見えたから俺はほっとする。
「……あの、ありがとうございました!」
「どういたしまして。試験、頑張って!」
改札を抜けた彼は、ぺこ、とこちらに深くお辞儀して、そして集団に埋もれながらちょうどやってきた電車に乗って高校へと向かった。背の高い彼は
急いでたのもあって、きちんと顔は見てなかったし、お互い名前も聞いていなかった。
――
「ああ、あの時の……!」
受かっていればいいな、と思ったけれど、まさかここで出会えるとは思わなかった。マスク越しだから分からなかったけれども、彼、こんなにイケメンだったのか。ちょっとびっくりした。
「はい、先輩のおかげで無事に入学できました……!」
俺が思い出したことで、神原くんは柔らかく微笑む。その瞬間、記憶の中の彼の姿と神原くんの姿がなんとなく重なった。
「そっかそっか! よかった! 合格おめでとう! 俺、2年1組の久世錬斗。改めてよろしく!」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
そして、俺は横抱き体勢から上半身を起こし、座り込むような体勢になる。神原くんはその動きを促すように背中に手を当てて起こしてくれた。先輩風を吹かせたのにちょっと締まりのない再会だったけど、こうして会えたのは嬉しい。
散らばったワークとプリントを集めようとしようとしたら、先に神原くんが颯爽と散らばったワークとプリントを集め、綺麗に重ねて、俺の真横に置いてくれた。
「あ、ありがとう……」
俺が言うと神原くんは綺麗な顔でにこ、と柔らかく笑みを浮かべて、先輩、とふわ、とした声で俺のことを呼ぶ。それこそ、CMでよく流れてくる、イケメンと恋するゲームみたいな雰囲気で。
「先輩は、僕の希望です」
「え?」
「友達もいない、学校も元々行きたかったところとは違う、家族も忙しくて頼ることもなかなか難しい。これからどうしよう、ってなっていた時に、先輩と出会いました。初めてあったばかりの僕を助けてくれる先輩の優しさに心を打たれました。その時、孤独だった僕に光が見えたような気がしたんです……」
「……神原くん」
「その時の先輩は、今でも俺の憧れで、希望で、心の支えなんです。だから、今度は僕が助けたいんです……」
「ありがとう、そんな風に言ってくれるなんて、嬉しいよ」
当たり前のことをしたまでだけど、「俺に憧れて」なんて言ってくれるなんて。ちょっと感動してしまった。
「先輩を」
「ん?」
けれども、それに続いた、先輩を、という言葉で、俺は思わず声を出してしまった。みんなを助けたい、とかではなくて、対象は、俺だけ?
「えっと、その、困っている時に、誰かを助ける、とか、ではなく……」
即座に首を横に振る。
「俺は、先輩のことを、助けたいんです。俺ができる限りのことではあるけれど、先輩のことを助けたいし、優しくしたい。つらい時に優しくしてあげたい。あの時の先輩みたいに」
そして、神原くんは綺麗な顔を俺に向け、そして両手で俺の手を包み込むようにして手を握る。
「先輩。あの日から、ずーっとずっとずっと大好きです。そしてこれからも、ずーっと」
綺麗な顔でそんな台詞を口に出される。少女漫画でしか聞いた事のない台詞。それは、ただ先輩として慕ってる、とかじゃないのが分かった。それこそ、少女漫画のイケメンがヒロインに向けるような視線。
「……」
視界いっぱいに神原くんが映る。俺は、この状況をただ味わうことだけで精一杯だった。


