そして次の日。俺は少し早めに学校に行った。神原くんと鉢合わせしたらきまずいな。と思って。

「はよー! 久世!」
「おはよう。ほら、飾り、佐山の分まで作ったよ」

 昇降口のところで佐山と会う。そして、佐山に昨日作業をしたものを渡した。

「さんきゅー! 三年の山原先輩のとこに持ってくから! ついでにスケジュール表も取ってくるから!」
「うん……」

 俺は佐山の言葉に頷く。佐山はいつも通り慌ただしく駆けていった。寝不足のせいか、佐山の言っていることをきちんと頭の中では理解出来ていない。
 寝不足でなんだかふわふわする。視界がぼやけている。ここまで寝不足で調子悪くなったこと、あったかな……。どこかおぼつかない足取りで、俺は教室まで向かっていた。随分と遅く歩いていたみたいで、教室に着く頃にはもう佐山が教室に戻っていた。教室が、異様にざわついている。


「おい、久世! どういうことだよ!?」
「え?」

 佐山が戸惑いと怒りを混ぜたような口調で言う。一瞬、何が起こったのか俺は分からなかった。
 けれども、佐山が俺の目の前に見せた紙で、俺は全てを察してしまう。

「あ…………」

 全身の血の気が引いていく感覚が走る。佐山に提示されたのはスポーツ大会の練習の予定表。昨日、スポ大委員の集まりに行くのを忘れていた。うちのクラスの予定が随分と少なくなっていた。
 
「ねえ、うちのクラスの練習時間、少なくない?」
「ほんとだー」

 そして、俺がしたことを理解した瞬間、聞こえてくるざわつきがはっきりと意味を持って聞こえてきた。そして、クラスの視線が俺に突き刺さる。スポ大委員は佐山だったとしても、引き受けてしまったのは俺だから。

「あ、ご、ごめん……。今からスポーツ大会委員の人に、場所、ねじ込めないか聞いてくるから……」
 
 そして俺は逃げるようにして、三階の、三年生の先輩の元まで向かった。今からなんとか練習場所をねじ込めないか、という風に相談しに。「考えておく」とは言われたけれど、あまり前向きな返事ではなかった。

上手く、歩けない。やってしまった。こんな風に無理に引き受けて。こんな、迷惑掛けるなんて。ふらふらとしながら、俺は、四階から、三階に繋がる階段の踊り場で、蹲ってしまった。

 俺、なんのために、頑張ってきたんだろうな。わかんなくなっちゃった。早く教室戻らなきゃ。でも、身体が動かない。ぼんやりする。

――それは先輩にとって大事な無理ですか? 先輩が自分を犠牲にして、引き受けなきゃいけない仕事ですか?

寝不足でどこかふわふわとした頭の中で、神原くんの言葉が頭をよぎった。これは、必要な無理だと思っていたけれど、そうじゃなかったのかもしれない。

「先輩!?」

 耳慣れた、でも随分と焦ったような声が聞こえてきて、俺は顔を上げる。目の前にいたのは神原くんだった。この世の終わりみたいな顔をしている。失敗した俺じゃなくて、どうして神原くんがこんな顔をしてるんだろう、と思うと同時に、神原くんの顔を見て安心して、思わず表情を緩めてしまった。けど、神原くんはこの世の終わりのような表情から変わらない。

「大丈夫ですか!? 先輩!? すごい顔色ですよ!?」
「え……?」

 額に手を当てられる。神原くんは「先輩、熱あります」と言いながら。熱があったのか。このふわふわしたのは寝不足だけじゃなかった。原因が分かって、俺はなんだか安心する。
でも、神原くんは、まだ、この世の終わりみたいな顔をしていた。俺のことなのに。大げさだなあ、と感じながら。でも、なんだか、こうして心配してくれる人、あまりいなかったから、嬉しかった。

 神原くんに連れられ、保健室送りにされ、あれよあれよという間に早退が決まってしまった。結構熱が高かったらしい。時間は今一時間目が始まるちょっと前。一切授業を受けずに帰る。なんで学校に来たのか分からない状態になってしまった。

 ソファの上、俺は座っていた。親が仕事だから、特例で保健室の先生が送ってくれるそう。すぐに帰るからベッドを占領するのは申し訳なくて。

「すみません、先輩をこんな風に、させてしまって……」

 ああ、昨日、無理してでも先輩を引き留めていれば……! と頭を抱えながら神原くんは言う。なんだか申し訳なくなる。

「……いや、俺の方こそ、ごめん」

 俺の昨日の態度はよくなかったし、神原くんの言うことはもっともだ。
神原くんは俺の方に、心配の混ざった視線を向ける。そして、「先輩」と俺のことを呼ぶ。

「……困っている人を見捨てられない、という気持ちは分かります。俺も、先輩のその優しさに救われました。けど、そういう優しさって、先輩の体力とか、気力とか、削ってるようなもんじゃないですか……?」
「……」

 神原くんは子どもに言い諭すように言う。その通りだと思う。無理した結果がこれだ。

「だから、できないこととか、やれないことがあったら、ちゃんと断ることも大事だと思うんです。優先したいことがあったら、ちゃんとはっきり言うことだって大事なことです。先輩が、一番大事です」
「……もし、それで、嫌われたら? 嫌な思いさせたら?」
「嫌われたらそれまでです。そんなことで嫌う人は先輩の人生にはいりません。それでさよならです」

即答する神原くん。随分と思い切った言い方だった。

「大丈夫です。先輩が俺の頼みを断ったとしても、フったとしても、俺は先輩のことが大好きですから」
「……神原くん」
「先輩が嫌だと思ったら、フラれたとしたら、俺はすぐに先輩から離れます。でもずっと好きでいます。死ぬまで」
「死ぬまでって……」

 まだ15とか16とか。そんなんで死ぬまでって……。でも、その言葉は、なんだか嬉しかった。

「……ありがとう。ごめん」

 じわ、と目が熱くなる。こうやって、心配してくれる人、いなかったから。
 そして、神原くんは俺の隣に座る。いつも、弁当を食べている時の近さ。近い、と思っていたけれど、その距離が、今は随分と心地よかった。心がふわふわと温かくなる。

「ちゃんと、自分を大事にしてください」
「………………うん」

 よしよし、とするように俺の事を撫でる。小さな子どもにするようななで方。ここだったら、誰もいないから、こうして、甘えてもいいのかもしれない。弱っているから余計に。俺は、神原くんに身を預けるようにして、彼の肩を借りた。なんだろう。熱のせいではないと思う。ふわふわとした、別の感覚が広がっていた。まるで、恋のような、そんな感覚だった。