次の日。私は息を吸って、吐いて。教室に入った。
 一瞬私のほうに視線がぱっと集中する。アプリのグループラインでさんざんネタにされ、からかわれ、炎上しまくったご本人様登場で、変な笑いを浮かべる男子やら、微妙な顔をする女子やら、混沌とした様子で溢れている。
 うわあ、嫌だなあ。その様子にげんなりとする。その有様はいつものこと過ぎるけれど、久々に思えるのは、最近はずっと葉加瀬くんと一緒にいたからだ。葉加瀬くんといるときだけは、私は誰からもお人形扱いされていなかった。きっと皆、葉加瀬くんのほうに視線が集中してしまっていたから、私を見ている暇がなかったせいだろう。
 その嫌な空気を裂くように、真知子ちゃんと夏姫ちゃんが「成ちゃん!」と声をかけてきて走り寄られてしまった。ふたりには心配かけ過ぎたなと反省する。

「大丈夫。もう終わったから」
「そっか……大変だったよね」

 真知子ちゃんにギューギューと抱き着かれると、なんとなく気まずい思いがする。私は相変わらず人形みたいな見た目だし、ふたりからしてみれば人形じみた女子がやっかみを受けたようにしか見えないからだ。
 本当のことを言うのが必ずしも友情とは思わないけれど、ふたりには心配かけたしなあ。私は口を開いた。

「葉加瀬くんにはね、話聞いてもらってたんだよ」
「ええ……?」
「私、全然誰ともBLトークさせてもらえなかったから、それを聞いてくれてただけなんだよ。そんなんいちいちよそですんなってさんざん怒られたけどね」
「うん?」

 真知子ちゃんは驚いたように私を見てきた。それが悲しい。
 これで真知子ちゃんや夏姫ちゃんにまで避けられたら、さすがに堪えるかもなあ。そう遠い目になっていたら、夏姫ちゃんがおずおずと尋ねてきた。

「もしかして、成ちゃん私たちの話に混ざりたかったの?」
「うん。せっかくの推しカプの話なのに、混ぜてもらえなかったから」
「ご、ごめん!」

 慌てて真知子ちゃんに抱き着かれ直された。ついでに夏姫ちゃんにまでギューギューと抱き締められる。

「ごめん、成ちゃんは嫌がるかとばかり……可愛いし、私たちのトークで穢すもんでもないと思ってた……」
「別にふたりとも悪気なかったのはわかってるから知ってるよぉ。ただ私だってオタクだし腐女子ですぅ。BLトークだってしたいですぅ。あと夏姫ちゃんの小説読みたい」
「読ませるよぉ。成ちゃんが読みたいんだったら二次でも創作でもいくらでも読ませるよぉ」

 三人でギューギューしていたら、教室に入ってきた葉加瀬くんと目が合った。葉加瀬くんは周りに「おはよう」と言いながら通り過ぎていき、私が持たれていた机のほうに近付く。

「そこ、僕の席」
「ご、ごめんね!」

 そしてひと晩考えたけれど。未だに葉加瀬くんへの告白の返事が思いつかないでいた。
 私は困ったまま葉加瀬くんの顔を眺めていたら、葉加瀬くんは私が抱き着かれているのを見て、小さく頷いた。

「なんとか治まってよかったな」
「う、うん。葉加瀬くん。ありがとうね」

 そして真知子ちゃんと夏姫ちゃんは顔を見合わせた。

「成ちゃん。そういえば葉加瀬くんとなんかあったんだよね? 話してくる?」
「昼食! 昼休みにするよ! それは」
「大丈夫? 本当に私たち邪魔してない?」
「してないよぉ」

 そう。昼休みまでに、なんとか回答を考えないと。
 先延ばしにするのは、いくらなんでも失礼過ぎるから。私はそう思いながら、きゅっと自分の手に力を込めて、気合いを入れた。

****

 昼休み、私は急いでコンビニで買ったパンとペットボトルのお茶で昼食を済ませると、慌てていつも落ち合っている屋上前の階段へと早歩きで向かった。
 既に葉加瀬くんはそこに来て、スマホを弄っていた。イヤホンをしていて、ちらりと見える画面は音ゲーの譜面だった。私のしてないソシャゲで遊んでいたみたいだ。多分これはアイドルゲームだ。

「それ面白い?」

 私が尋ねると、一曲クリアした葉加瀬くんはスマホの電源を一旦切って、私のほうに顔を上げた。

「結構難しい。このゲーム、つくってる会社の人が苦しめって言いながら譜面書いてるから、いろいろ無茶苦茶なんだ」
「うわあ……音ゲーはゲーセンの奴くらいしか遊んだことないけど、そんな大変なんだ」
「うん。ときどき叩き過ぎて指の感覚なくなるし。それで橘さん。用は?」
「ええっと……うん」

 私は葉加瀬くんの隣に座った。葉加瀬くんは緊張している私と違って、あまりにもいつも通りで拍子抜けする……でもよくよく考えたら、葉加瀬くんは一度告白したことで、ある程度の踏ん切りはついてしまったんだ。対して私は返事をずっと考え続けていたんだから、そりゃメンタルが全然違ってくる。受け身って結構大変だな。
 私はいろいろ考えてから、やっと口を開いた。

「昨日の今日に告白だったしさ。いろいろ考えたけど、やっぱり回答が思いつかなかったんだ」
「そっか。ごめん」
「そこで謝るなよぉ。私が不義理みたいじゃないかぁ……でも義理不義理で返事をするもんでもないしさ。本当にいろいろ考えたよ」
「うん」

 私は頬杖を突いて、足をぶらぶらさせた。棒みたいな足は本当に人形の足みたいで大嫌いだ。

「私、いっつもマスコットとか愛玩人形とかそういう扱いだったから、女の子扱いされたのは、これが初めてだったんだよ。そんな葉加瀬くんがロリコン扱いされたのを見て、私のせいでまた葉加瀬くんがとやかく言われたら嫌かもとも考えた」
「僕、橘さんの見た目で気に入った訳でもないから、そんなこと言われても困るけど」
「そうだよぉ。世の中ルッキズムやめろって言われても結局はそこから逃げられないから面倒なんだよぉ。私だって高校生だぞぉ。私が誰か好きになったら、その相手が皆ロリコン扱いって、それ私に恋愛するな一生そこに座って大人しくしていろみたいで、人形は人形でも呪いの藁人形扱いじゃないかと、何度憤慨したかわかんないよ……話を戻すけどさ、見た目じゃなくって中身でさんざん褒めてくれたの、後にも先にも葉加瀬くんくらいだろうなあと考えたんだよ」
「ええ……」

 それを言うと、葉加瀬くんはなんとも言えない微妙な顔になった。なんでだ。

「……それ、普通に橘さんに対して失礼じゃないか」
「ええ? そこでどうしてそんな反応するの」
「僕はすぐ重箱の隅つっつく嫌な性格しているって自覚あるけどさ、そこで橘さんが『性格悪いから直せ』くらい言うのかなと思ったらさ、なんか妥協しているみたいだから」
「失礼な!? 全然妥協してないよ!? 妥協してるんだったら、ひと晩持ち帰って考えたりしないから!」
「……そっか」
「うん。いろいろ考えたけどさあ。ここで一緒にしゃべってる時間が好きだなあと思ったんだよね」

 私は腐女子だし、なんでもかんでもすぐにBL妄想するから、そのあたりで葉加瀬くんに叱られたりはするけれど。そんな話を聞いてくれるのなんて葉加瀬くんくらいだし。
 葉加瀬くんは葉加瀬くんで、夢男子というなかなか茨の道の趣味のために、同好の人がなかなか見つからず、本当にたまたまSNSで大喧嘩した相手としゃべるくらいしかできなかった人だ。
 互いに趣味の話ひとつ満足にできないのはしんどいよねって、慰め合いながらも、一緒に話をしているのは楽しかった。階段で。ソシャゲしながら。ときどき妄想して。

「……それ、僕じゃなくってもよくないか? ほら、橘さん、友達とはもうBLトークできるんだろ?」
「でも葉加瀬くんの話をまた聞きたいよ。私は葉加瀬くんのおかげで夢妄想についてもちょっとは話がわかるオタクになったけどさ、世の中には夢女子を親の敵のように攻撃する腐女子もいるから、葉加瀬くんの趣味については誰にも言えないもの」
「ん。そっか……とりあえず、今度またコラボカフェ行く?」
「えっ?」

 スマホの電源を入れると、葉加瀬くんは画面を見せてくれた。
 好きなソシャゲのコラボカフェ。近所だとなかなかやらないのに、今回は拡大してうちの地元でも開催してくれると。

「行きたい! 行きます! 行かせてください!」
「うん、わかった。じゃあ行こうか」

 そう言って葉加瀬くんはうっすらと笑った。

 私たちは趣味をひとつ公表するだけで、なんだか変なことになってしまう関係だった。
 好きなことを言えないのは息苦しいし、言っちゃ駄目って空気が気持ち悪かった。その中で、たまたま呼吸しやすい関係をつくることができた。
 それが恋なのかどうかはまだわからないけれど、今はその居心地のいい関係をもう少しだけ一緒に過ごしたい。

<了>