骸骨がある。
オレが訪れたこの遺跡には骸骨が一つだけ存在した。
「なんだ、この匂い……」
学者の母と魔導騎士の父を持つオレにはどちらの才能もあったが、それ故に強い欲もあった。出世欲って奴だ。
出身国であり居住地でもあるクラリオン。クラリオンの国軍である騎士団に入団したオレはまだ下っ端。下級魔導騎士。下級のライセンスを取ったばかり。
まあ十六歳だ。年齢的には妥当。
しかし、騎士団長である父に誓ったのだ。父の団長位はオレが継ぐと。
だからみんなに認められたい。早く上に行きたいと思ってしまった。
成果を出せるものは何かないかと母譲りの学で図書館の本を読み漁り、古い文献の中に現代に生きる人類未踏の遺跡があるのを見つけたのが昨日の事。
調査し報告すれば手柄になる。
夜になるまでに剣と鞘でもある盾を磨き遺跡探索の用意を終え、今朝になってしっかりと赤い林檎色の目を開けて、暗黒色の短髪を整え、動くに支障のないレベルの朝食を摂って出かけたのが午前の事。
飛竜を駆って森に入り探索する事四時間。とうとう見つけた、草葉に埋もれた遺跡。
石造りの小さな神殿に見えるそれに入り、骸骨を見つけたのだ。
直立しているように見えた。が違った。胸のところに巨大な十字架にも見える青黒い剣が刺さっていてそれによって支えられていたのだ。
他には何もなかった。家具も窓も上階も地下も。
だから自然と骸骨に興味は惹かれ、近づくと妙な匂いが鼻についた。
「……違う。剣の方だ」
骸骨からの匂いだと思っていた。けれどどうやら青黒い剣の方からの匂いで。
「文献には“古い時代、神々による吸血鬼狩りがあった”と書かれていたな」
古い文献に古いと書かれていたのだから本当に昔の話なのだろう。吸血鬼など現代にはいない。存在自体空想の中だ。
「牙は――あるけど」
骸骨の歯には四つの尖った歯が。上下に二つずつだ。吸血用の穴も牙にはある。なら吸血鬼は実在したのか? ただの美術品の可能性は?
「実在したのならこの剣でトドメを刺されたのか」
神々による――と言う事は神の剣か? いや神もまた空想の存在だ。
ならば人が栄える前にいた何者か、だろうか? 文献を残したのもそいつかな?
だが人の前になんて聞いた覚えもない……。
心臓が跳ねる。興味と好機に。
自然、手が伸びた。
青黒い剣の握りを――握る。
『抜け!』
「⁉」
誰かの声が響いた。けれど誰もいない。それにグリップから手が離せない!
「なんだ⁉」
切っ先から柄頭まで青黒い剣から何かが腕に昇ってくる。
これは! この匂い! 血だ! そう! 血の匂いだ!
『抜け!』
この剣が青黒いのは血に塗れているからだ。
人の赤とは違う青の血。
青い血は高貴な血と言われているが、なんと恐ろしい声だ。なんと凄まじい威力を放つ血だ。
青いその血が、オレに侵入してくる、意識を盗られる!
「――火よ!」
言霊に応じ炎が手から溢れて剣を包む。
侵入などさせない! この血を! 焼き尽くす!
「オォ!」
火が骸骨に移った。構うか、血と共に灰にしてや――⁉
遺跡の天井が崩れた。ちょっと炎に炙られただけだと言うのに。劣化で脆くなっていたか。
手はまだグリップから離れない。このままでは瓦礫に潰される。
「くそ!」
仕方がない。オレは剣を握らされたまま飛び退る。
剣が――骸骨から抜けてしまった。
途端昇って来ていた血が逆流し、骸骨の中へと入っていく。
青黒く染まる骸骨。血が失われ銀の剣身を煌めかせる剣。
『ありがとう。人間の子』
骸骨が動く。
そうか、ここに来た者を操り剣を抜かせる為に剣に憑りついていたのか。
『羽は生める』
薄花色の光の羽が輝く。吸血鬼の背に。
『受肉までは十八夜と言うところか』
「待て!」
『礼にお前は生かそう。さして脅威でもなし。
さようなら』
去って行く。吸血鬼が。
凄まじき速さで飛び去ってしまった。
オレは……復活させてしまった!
ダメだ。このまま帰れない。いや帰って全て話し討伐隊を?
剣はある。吸血鬼を仕留めたのだろう剣はオレの手の中に。
「……なら」
オレが討つ。
奴を探して、オレが!
だが黙して語らずはダメだ。それは責任逃れに過ぎない。
どれだけ怒られるかは分からないが帰って話し、その上で旅に出よう。
家から追い出されたら一人で。
討伐隊に入れと言われたら隊士の一人として。
「……どっちにしても……」
恐らく独りにはなるだろう。
それを考えると酷く辛い。
けど。
「あああああ!」
乱暴に十字の剣を振るう。八つ当たりで瓦礫に斬りつけた。
斬られた瓦礫は真っ二つに。
「……!」
そうか、吸血鬼の血に包まれていたおかげで劣化せずに切れ味が残っているのか。
「……剣」
全て話したら、剣を没収されないか?
「なら」
剣の事は黙って、吸血鬼復活についてだけうまく話そう。
オレが奴を仕留めるのにこの剣は必要だ。
「……帰ろう」
◇
笑われた。
吸血鬼復活をしかるべき機関に話したのだが、笑われた。
吸血鬼など空想の存在だと。多くの人に信じてはもらえなかった。
ただ。
「本当なんだな、ソラ?」
「はい」
父と母だけは除いて。
「神も吸血鬼もいない。それが常識だ。討伐隊は組まれない。
……どうしたい?」
「……この剣」
椅子の横にかけていた十字の剣を持ち上げる。
それから剣についても両親に話した。信じ、オレの意志をくんでくれると思ったから。
「オレが討つよ」
「……分かった。
お前の騎士団の席は開けておく。
討って戻って来い」
「はい!」
◇
「ソラ、親より早く死ぬのは許さないから」
「うん」
翌日、自分が元々持っていた剣と十字の剣を腰の左側に納め、旅立ちの用意を整えたオレは母に抱きしめられた。
そうして、生きろと言われている。
「行ってらっしゃい。
お帰りを言わせてね」
「うん」
飛竜に跨り、飛ばずにゆっくりと進み出す。
振り返れば母は手を振っていて、父はそんな母の肩を抱いていて。
父が一つ頷いた。オレも頷き返す。
そして――前を向いた。
翼を広げる飛竜。助走から空へと舞い上がる。
今日オレは旅に出る。
吸血鬼を討つまでは帰れぬ旅に。
どんな敵と出会い、どんな人と出会うだろう。
向かうは北。吸血鬼の去って行った方角。
クラリオンを出るのは家族旅行以来か……。
「必ず」
今度の旅は一人旅。
仲間は出来るか? 分からない。
路銀は足りるか? 分からない。
食う寝るにすら困るかも。
けれど。
「必ず帰ってくる」
オレはもう振り返らなかった。
背後を見やればクラリオンの街並みが見えただろう。
しかし見なかった。
クラリオンを見るのは帰ってきた時だ。
だから。
「勝とう」
強くなって、努力を忘れず強くなって、討って帰ってくるぞ。
必ず――!
大空を進む飛竜。それに跨るオレ。
まだ見ぬ冒険と脅威、これらに胸の鼓動を速めて、オレは進――
「止まれ!」
「⁉」
飛竜が止まる。羽ばたけずに、しかし落ちずに。
上に乗っているオレもまた同じく。
周囲の鳥は動いているな。
オレたちだけが魔力に縛られている!
「お前だな、吸血鬼を放ったのは」
「!」
声は、背後から。
誰かがオレのすぐ後ろ、飛竜の尾に乗っている。
「よ~~~~~く聞けよ。
あの神殿はわたしの血統がず~~~~~と守ってきたんだ」
声から察するに女だ。まだまだ若い女の子。
言葉のガラ悪いけど。
「随分と余計な真似してくれたもんだ」
「⁉」
オレの首に刃がかかる。これは巨大な鎌か。紫紺に輝く刃を持つ大鎌。なんて物騒な獲物だ。
「これから喉を解放する。
言葉だけで応じろ」
女がオレの前へと移動する。首にはまだ大鎌が。
視界に入ってきた人物は、やはり女。少女だ。
白金の長い髪を左サイドで結んだ、菫色の目を持つ少女。十四・十五歳くらいだろうか。
「吸血鬼と知っていて放ったのか?」
「まさか」
「腰の剣を寄こせ。『神の遺産』はわたしの管理対象だ」
少女の手が十字の剣に伸びる。
ダメだ。誰が渡すか!
「渡せない!」
「!」
少女の目が大きく開かれる。
十字の剣が発光したから。光がオレを縛っていた魔導を打ち破ったから。
「剣との呼応が完了している⁉」
呼応?
「だけど!」
引かれる大鎌。無論オレの首を落とそうとだ。
しかしオレが瞬時に抜き放った十字の剣が首との間に滑り込みこれを防ぐ。
「キミはなんだ! 何者だ!」
「……わたしはアイカ。隔世遺伝によって僅かに神の遺志を持った『神の残火』の一人だ。
『神の遺産』を使用出来るならお前も同じ。随分と半端な状態のようだがな」
……聞いたは良いもののさっぱり分からん。
「オレがなんだって?」
「……何も知らないのか」
「そっちこそオレたちの事知らないみたいじゃないか。知っていたら『吸血鬼と知っていて』なんて言葉は出ないだろう」
オレたちの常識では吸血鬼は空想生物だったのだから。
「……まあ、ずっと森に引き籠っていたからな」
あ、ちょっと落ち込んだ。悪い事言ったかな?
「聞かせてくれ。キミの持つ大鎌も『神の遺産』とやらか?」
「そうだ」
「『神の残火』とは?」
「まず、人が神によって赤い土から作られた存在だと言う事は?」
「知らん」
「ふん。神に造形された人の中には稀に吸血鬼にかけられた封の綻びを直す為に吸血鬼についての情報を『思い出す』者がいる。
それが『神の残火』。
お前が解いてしまった吸血鬼の封はわたしが直す筈だったんだ」
「あ~……すまん」
「すまんですむか!」
「ちょっ! 乱暴に大鎌振るなよ!」
飛竜が傷ついたらどうすんだ。少なくともオレは落ちるぞ。
「そ、そもそも。なんで神ってのは吸血鬼を封じるだけなんだ? 倒せなかったのか?」
「……吸血鬼も神によって作られた。青い土からだ」
「は? んじゃ自分の造形物にやられたと?」
「確かに造形物だが吸血鬼は『兵器』だ。
昔、世界の平安を望む神々と弱肉強食を望む魔人たちの戦争を終わらせる為神によって作られた兵器。
だけれど吸血鬼は魔人の血を吸い、徐々に魔人の遺志に染まっていった。魔人は消えたが、遺志を持った吸血鬼に神はやられた。
神は優しすぎた。
子である吸血鬼を殺せず廃せず封じるにとどめ、のちの魔導の発展に吸血鬼救済の願いを託す為に人を作り最後の神も消えた」
「……そのツケをオレたちが背負っていると」
「ツケ言うな。
いずれにしても、魔導の発展はまだ途上。
にもかかわらずお前がな」
剣を抜いた――封を解いた、か……。
「だからオレは吸血鬼を討つ旅に出た」
「討てるとでも?」
「出来るかじゃない。行動するかの問題だ」
「……」
大鎌を肩に担ぐ、アイカ。
「……行動……人らしい考えだ」
「キミも人だろう」
「……」
「オレの首を狩りたいなら、オレが敗けた時にしてくれないか?」
「ナンパならお断りだ」
「違うが」
「ついて来いって意味だろう」
「そ――うだけど」
「だいたいお前が敗けるってのは死だ。
狩るまでもない」
……確かに。
「だが……わたし一人で吸血鬼を止める術もなし、か……封じるにしても同じ。
良いだろう、一緒には行ってやる。
ただ討つか封じるかは吸血鬼の行動次第だ」
「魔人の遺志が人を敵と判断するか、か」
弱肉強食が生きているなら、人は狙われる。襲われ喰われ、殺される。
「オレが放ってしまった吸血鬼が仲間の封を解くかも。
急ごう」
「オイ、わたしの後ろに座るな変態」
「なんでだよ」
「お前は前だ。わたしが後ろ」
……まあ、それで安心するなら良いけどさ。
「さ、行こうラグジュ(飛竜の名だ)、旅の再開だ」
思わぬ形で二人+一頭の旅になってしまったが。
どうなる事やら。
オレが訪れたこの遺跡には骸骨が一つだけ存在した。
「なんだ、この匂い……」
学者の母と魔導騎士の父を持つオレにはどちらの才能もあったが、それ故に強い欲もあった。出世欲って奴だ。
出身国であり居住地でもあるクラリオン。クラリオンの国軍である騎士団に入団したオレはまだ下っ端。下級魔導騎士。下級のライセンスを取ったばかり。
まあ十六歳だ。年齢的には妥当。
しかし、騎士団長である父に誓ったのだ。父の団長位はオレが継ぐと。
だからみんなに認められたい。早く上に行きたいと思ってしまった。
成果を出せるものは何かないかと母譲りの学で図書館の本を読み漁り、古い文献の中に現代に生きる人類未踏の遺跡があるのを見つけたのが昨日の事。
調査し報告すれば手柄になる。
夜になるまでに剣と鞘でもある盾を磨き遺跡探索の用意を終え、今朝になってしっかりと赤い林檎色の目を開けて、暗黒色の短髪を整え、動くに支障のないレベルの朝食を摂って出かけたのが午前の事。
飛竜を駆って森に入り探索する事四時間。とうとう見つけた、草葉に埋もれた遺跡。
石造りの小さな神殿に見えるそれに入り、骸骨を見つけたのだ。
直立しているように見えた。が違った。胸のところに巨大な十字架にも見える青黒い剣が刺さっていてそれによって支えられていたのだ。
他には何もなかった。家具も窓も上階も地下も。
だから自然と骸骨に興味は惹かれ、近づくと妙な匂いが鼻についた。
「……違う。剣の方だ」
骸骨からの匂いだと思っていた。けれどどうやら青黒い剣の方からの匂いで。
「文献には“古い時代、神々による吸血鬼狩りがあった”と書かれていたな」
古い文献に古いと書かれていたのだから本当に昔の話なのだろう。吸血鬼など現代にはいない。存在自体空想の中だ。
「牙は――あるけど」
骸骨の歯には四つの尖った歯が。上下に二つずつだ。吸血用の穴も牙にはある。なら吸血鬼は実在したのか? ただの美術品の可能性は?
「実在したのならこの剣でトドメを刺されたのか」
神々による――と言う事は神の剣か? いや神もまた空想の存在だ。
ならば人が栄える前にいた何者か、だろうか? 文献を残したのもそいつかな?
だが人の前になんて聞いた覚えもない……。
心臓が跳ねる。興味と好機に。
自然、手が伸びた。
青黒い剣の握りを――握る。
『抜け!』
「⁉」
誰かの声が響いた。けれど誰もいない。それにグリップから手が離せない!
「なんだ⁉」
切っ先から柄頭まで青黒い剣から何かが腕に昇ってくる。
これは! この匂い! 血だ! そう! 血の匂いだ!
『抜け!』
この剣が青黒いのは血に塗れているからだ。
人の赤とは違う青の血。
青い血は高貴な血と言われているが、なんと恐ろしい声だ。なんと凄まじい威力を放つ血だ。
青いその血が、オレに侵入してくる、意識を盗られる!
「――火よ!」
言霊に応じ炎が手から溢れて剣を包む。
侵入などさせない! この血を! 焼き尽くす!
「オォ!」
火が骸骨に移った。構うか、血と共に灰にしてや――⁉
遺跡の天井が崩れた。ちょっと炎に炙られただけだと言うのに。劣化で脆くなっていたか。
手はまだグリップから離れない。このままでは瓦礫に潰される。
「くそ!」
仕方がない。オレは剣を握らされたまま飛び退る。
剣が――骸骨から抜けてしまった。
途端昇って来ていた血が逆流し、骸骨の中へと入っていく。
青黒く染まる骸骨。血が失われ銀の剣身を煌めかせる剣。
『ありがとう。人間の子』
骸骨が動く。
そうか、ここに来た者を操り剣を抜かせる為に剣に憑りついていたのか。
『羽は生める』
薄花色の光の羽が輝く。吸血鬼の背に。
『受肉までは十八夜と言うところか』
「待て!」
『礼にお前は生かそう。さして脅威でもなし。
さようなら』
去って行く。吸血鬼が。
凄まじき速さで飛び去ってしまった。
オレは……復活させてしまった!
ダメだ。このまま帰れない。いや帰って全て話し討伐隊を?
剣はある。吸血鬼を仕留めたのだろう剣はオレの手の中に。
「……なら」
オレが討つ。
奴を探して、オレが!
だが黙して語らずはダメだ。それは責任逃れに過ぎない。
どれだけ怒られるかは分からないが帰って話し、その上で旅に出よう。
家から追い出されたら一人で。
討伐隊に入れと言われたら隊士の一人として。
「……どっちにしても……」
恐らく独りにはなるだろう。
それを考えると酷く辛い。
けど。
「あああああ!」
乱暴に十字の剣を振るう。八つ当たりで瓦礫に斬りつけた。
斬られた瓦礫は真っ二つに。
「……!」
そうか、吸血鬼の血に包まれていたおかげで劣化せずに切れ味が残っているのか。
「……剣」
全て話したら、剣を没収されないか?
「なら」
剣の事は黙って、吸血鬼復活についてだけうまく話そう。
オレが奴を仕留めるのにこの剣は必要だ。
「……帰ろう」
◇
笑われた。
吸血鬼復活をしかるべき機関に話したのだが、笑われた。
吸血鬼など空想の存在だと。多くの人に信じてはもらえなかった。
ただ。
「本当なんだな、ソラ?」
「はい」
父と母だけは除いて。
「神も吸血鬼もいない。それが常識だ。討伐隊は組まれない。
……どうしたい?」
「……この剣」
椅子の横にかけていた十字の剣を持ち上げる。
それから剣についても両親に話した。信じ、オレの意志をくんでくれると思ったから。
「オレが討つよ」
「……分かった。
お前の騎士団の席は開けておく。
討って戻って来い」
「はい!」
◇
「ソラ、親より早く死ぬのは許さないから」
「うん」
翌日、自分が元々持っていた剣と十字の剣を腰の左側に納め、旅立ちの用意を整えたオレは母に抱きしめられた。
そうして、生きろと言われている。
「行ってらっしゃい。
お帰りを言わせてね」
「うん」
飛竜に跨り、飛ばずにゆっくりと進み出す。
振り返れば母は手を振っていて、父はそんな母の肩を抱いていて。
父が一つ頷いた。オレも頷き返す。
そして――前を向いた。
翼を広げる飛竜。助走から空へと舞い上がる。
今日オレは旅に出る。
吸血鬼を討つまでは帰れぬ旅に。
どんな敵と出会い、どんな人と出会うだろう。
向かうは北。吸血鬼の去って行った方角。
クラリオンを出るのは家族旅行以来か……。
「必ず」
今度の旅は一人旅。
仲間は出来るか? 分からない。
路銀は足りるか? 分からない。
食う寝るにすら困るかも。
けれど。
「必ず帰ってくる」
オレはもう振り返らなかった。
背後を見やればクラリオンの街並みが見えただろう。
しかし見なかった。
クラリオンを見るのは帰ってきた時だ。
だから。
「勝とう」
強くなって、努力を忘れず強くなって、討って帰ってくるぞ。
必ず――!
大空を進む飛竜。それに跨るオレ。
まだ見ぬ冒険と脅威、これらに胸の鼓動を速めて、オレは進――
「止まれ!」
「⁉」
飛竜が止まる。羽ばたけずに、しかし落ちずに。
上に乗っているオレもまた同じく。
周囲の鳥は動いているな。
オレたちだけが魔力に縛られている!
「お前だな、吸血鬼を放ったのは」
「!」
声は、背後から。
誰かがオレのすぐ後ろ、飛竜の尾に乗っている。
「よ~~~~~く聞けよ。
あの神殿はわたしの血統がず~~~~~と守ってきたんだ」
声から察するに女だ。まだまだ若い女の子。
言葉のガラ悪いけど。
「随分と余計な真似してくれたもんだ」
「⁉」
オレの首に刃がかかる。これは巨大な鎌か。紫紺に輝く刃を持つ大鎌。なんて物騒な獲物だ。
「これから喉を解放する。
言葉だけで応じろ」
女がオレの前へと移動する。首にはまだ大鎌が。
視界に入ってきた人物は、やはり女。少女だ。
白金の長い髪を左サイドで結んだ、菫色の目を持つ少女。十四・十五歳くらいだろうか。
「吸血鬼と知っていて放ったのか?」
「まさか」
「腰の剣を寄こせ。『神の遺産』はわたしの管理対象だ」
少女の手が十字の剣に伸びる。
ダメだ。誰が渡すか!
「渡せない!」
「!」
少女の目が大きく開かれる。
十字の剣が発光したから。光がオレを縛っていた魔導を打ち破ったから。
「剣との呼応が完了している⁉」
呼応?
「だけど!」
引かれる大鎌。無論オレの首を落とそうとだ。
しかしオレが瞬時に抜き放った十字の剣が首との間に滑り込みこれを防ぐ。
「キミはなんだ! 何者だ!」
「……わたしはアイカ。隔世遺伝によって僅かに神の遺志を持った『神の残火』の一人だ。
『神の遺産』を使用出来るならお前も同じ。随分と半端な状態のようだがな」
……聞いたは良いもののさっぱり分からん。
「オレがなんだって?」
「……何も知らないのか」
「そっちこそオレたちの事知らないみたいじゃないか。知っていたら『吸血鬼と知っていて』なんて言葉は出ないだろう」
オレたちの常識では吸血鬼は空想生物だったのだから。
「……まあ、ずっと森に引き籠っていたからな」
あ、ちょっと落ち込んだ。悪い事言ったかな?
「聞かせてくれ。キミの持つ大鎌も『神の遺産』とやらか?」
「そうだ」
「『神の残火』とは?」
「まず、人が神によって赤い土から作られた存在だと言う事は?」
「知らん」
「ふん。神に造形された人の中には稀に吸血鬼にかけられた封の綻びを直す為に吸血鬼についての情報を『思い出す』者がいる。
それが『神の残火』。
お前が解いてしまった吸血鬼の封はわたしが直す筈だったんだ」
「あ~……すまん」
「すまんですむか!」
「ちょっ! 乱暴に大鎌振るなよ!」
飛竜が傷ついたらどうすんだ。少なくともオレは落ちるぞ。
「そ、そもそも。なんで神ってのは吸血鬼を封じるだけなんだ? 倒せなかったのか?」
「……吸血鬼も神によって作られた。青い土からだ」
「は? んじゃ自分の造形物にやられたと?」
「確かに造形物だが吸血鬼は『兵器』だ。
昔、世界の平安を望む神々と弱肉強食を望む魔人たちの戦争を終わらせる為神によって作られた兵器。
だけれど吸血鬼は魔人の血を吸い、徐々に魔人の遺志に染まっていった。魔人は消えたが、遺志を持った吸血鬼に神はやられた。
神は優しすぎた。
子である吸血鬼を殺せず廃せず封じるにとどめ、のちの魔導の発展に吸血鬼救済の願いを託す為に人を作り最後の神も消えた」
「……そのツケをオレたちが背負っていると」
「ツケ言うな。
いずれにしても、魔導の発展はまだ途上。
にもかかわらずお前がな」
剣を抜いた――封を解いた、か……。
「だからオレは吸血鬼を討つ旅に出た」
「討てるとでも?」
「出来るかじゃない。行動するかの問題だ」
「……」
大鎌を肩に担ぐ、アイカ。
「……行動……人らしい考えだ」
「キミも人だろう」
「……」
「オレの首を狩りたいなら、オレが敗けた時にしてくれないか?」
「ナンパならお断りだ」
「違うが」
「ついて来いって意味だろう」
「そ――うだけど」
「だいたいお前が敗けるってのは死だ。
狩るまでもない」
……確かに。
「だが……わたし一人で吸血鬼を止める術もなし、か……封じるにしても同じ。
良いだろう、一緒には行ってやる。
ただ討つか封じるかは吸血鬼の行動次第だ」
「魔人の遺志が人を敵と判断するか、か」
弱肉強食が生きているなら、人は狙われる。襲われ喰われ、殺される。
「オレが放ってしまった吸血鬼が仲間の封を解くかも。
急ごう」
「オイ、わたしの後ろに座るな変態」
「なんでだよ」
「お前は前だ。わたしが後ろ」
……まあ、それで安心するなら良いけどさ。
「さ、行こうラグジュ(飛竜の名だ)、旅の再開だ」
思わぬ形で二人+一頭の旅になってしまったが。
どうなる事やら。

