そんなこんなでやってきた楽しみの弁当の時間のことであった。
「もーらいっ!」
ひょいと前から伸びてきた指が、隼人の弁当箱にずぼりと差し込まれた。
何ごと。
隼人は思わず、ぎょっと目をむいた。その間に指は隼人の残しておいたからあげをつまみ、指の主の口の中に放り込んでいた。
「ん〜! へへっ」
からあげ盗人は、咀嚼と笑みに整った顔をくしゃりと揺らした。隼人は失われたからあげに呆然としつつ、目の前の少年の顔と名前を一致させていた。
「こら、ユーヤ」
「んぐ」
後ろから、にゅっと手が伸びてきて、盗人の首に腕をかけ引き寄せた。盗人――ユーヤは、からあげをごくんと飲み込んだ。
「オージ、危ないだろ」
「だからって食べたら駄目だろ」
「だって好きなんだもん、からあげ」
むっとユーヤは油に光る唇を尖らせた。それからちろっと指先と唇を舐める。
「もん、って何キャラだよ!」
「も〜ユーヤは本当自由だね〜」
わいわいと人が集まってくる。隼人の周囲の生徒たちが、にわかに彼らを見つめる。
ユーヤを引き寄せた少年、オージは「全く」と、息をついた。秀麗な顔は、その名の通り王子のようだ。
「目についたもの何でも口に放り込むんだから。それでこないだも、腹壊したろ」
「ぐっ……へーきだって! オージは過保護なんだよっ」
ぷい! とユーヤが顔をそらした。その様子を、彼らは微笑ましく見守る。
しかし、隼人はと言うと、その言葉にむっとしていた。
その流れじゃ、まるで俺んちのからあげが悪いものみたいじゃないか。
とっといてそれはない。
隼人の気持ちは、まんま顔に出ていたらしい。ユーヤを小突くうちの一人が、隼人を見て「ほらー怒ってんじゃん」と、大笑いした。短髪に、大きく開いた口から鋭い犬歯がのぞく。
「ごめんね〜こいつわんぱくだからぁ」
さらにもう一人が、ぐねっと隼人をのぞきこんだ。淡く脱色した長めの髪と泣きぼくろが印象的だ。
「ほら、観念しろ」
「えー、当たりキツっ!?」
頬を掴んでのオージの決め台詞に、ユーヤがおどける。わははは……どっと笑い声が上がり、隼人は憮然となる。
たぶん、返事しなくてもいいよね。
隼人はあたりをつけて、お弁当を再開した。
「やだぁ、すごい怒ってる」
女子の一人が、おののくように口元に手を当てて笑った。
「てゆーか頭すごいよね」
「スズメバチの巣みたい!」
「それー!」
女子たちに大盛り上がりされ、隼人はかっと頬が熱くなった。生まれつき毛量の多いくせっ毛は、隼人の隠れたコンプレックスだった。何でこの人たち、こんなひどいこと言うんだろう? 知り合って間もないのに。さっきの「謝れよユーヤ」な犬歯の男が、隼人の髪に、おそるおそるさわろうとしてすぐ引っ込めた。なんだよ! ちゃんと洗ってるぞ!
さすがにいたたまれなくて、隼人はご飯を食べる手を止めた。それに、一定の満足を得たらしい彼らは、ユーヤを見た。ユーヤは皆の期待を受け、ニコッと笑ってみせる。
「ごめんな? おなかすいてんのに取っちゃってさ! えーっと、誰だか、わかんないけどっ」
どっとひときわ大きな笑い声が立つ。さすがに腹が立った隼人は、持っていた箸を机においた。カタン! と高い音が立つ。
「な、中条だよ! 一ノ瀬悠弥君!」
思ったより大きな声が出てしまった。あたりがしんと静かになる。ユーヤたちはぎょっとしたように固まり、それから明らかに引いた顔を見せた。
「え、俺の名前しってんの?」
「大好きかよ……」
明らかに不審者を見る目に、隼人は引き下がれなくなる。動揺を抑えるために、マイボトルを引き寄せると、ふたを開ける。
「クラスメイトの名前を覚えるのは当然だよ!」
そうして、余裕を持って飲むふりをした。あくまでふりである。本当にのむとむせてしまうから。それでも手は、緊張にぶるぶるふるえたが、どうにかやりきり、ボトルを机の上に置いた。
「えー……キモッ」
「何マジになってんの?」
「ストーカーみたい」
女子が、隼人をさげすみの視線で見つめる。犬歯の男も、「まあまあ」と声をあげる。
「腹減ってんだろ? どう見ても」
「たしかにね~」
彼ら以外からもさざ波のように笑いが起こった。オージが、「ユーヤ」と言うとユーヤは、「あっそ」と笑った。
「なんかごめんな? 友達になれっと思ったんだけど」
そう言って肩をすくめると、きびすを返した。皆も後に続く。
隼人は、自分が間違ったんじゃないかと思った。けれど、追いかけて謝る気にはならなかった。まあいいや、謝ったって聞かないだろう。隼人は思い直し、もくもくと食事を再開した。おなかの底は、冷えたみたいに冷たかった。
それから、隼人の静かな学生生活が変化した。
幸い、いじめになることはなかった。ただ彼らは、隼人をクラスメートとして「気遣う」ことをやめた。
「っせえな、中条!」
騒がしいクラスを一喝するとき、彼らは無言の隼人を怒ったり、
「はやく答えろよ」
「だせー」
授業中、先生の質問に答えられずにいると、笑ったりヤジを飛ばすようになったり、
「からあげ、まじうぜー」
隼人のいる前で、彼らのうちの隼人のあだなで、隼人をディスったりするようになった。
幸か不幸か、彼らに悪気はなかった。ただ、彼らは場を盛り上げたいとき、制圧したいとき、隼人を「使う」のだ。
ただ、残念ながら、隼人は、彼らとは圧倒的にノリの違う男だった。そのため、彼らのそれが理解できない。その上隼人は、彼らの態度にこびることもしなかった。
「うっぜー」
「本当空気読めねえよなっ」
彼らはそのたび、隼人を「つまんねえ奴」とさげすんだ。しかし、使うことをやめはしなかった。
悪意はない。しかし好かれてはいない。
好いていない人間に、どうして構うんだろう?
隼人はそれが不可解だった。
「すっげー! 何その頭!」
雨の日にクラスに入ると、ユーヤに爆笑された。とにかくいらいらしている、それがわかる、とがった笑い方だった。
「すっげーでかくなってんじゃん! 何倍?」
そう言って、隼人の頭をはたいた。勢いよく振り下ろされた手は、隼人の髪だけをつぶしていった。ユーヤはそれに更に笑った。
「やべー髪がエグすぎて手、あたんねえしっ!」
自分の手をじっと見ると、また一発振り下ろした。
「何々、」
「朝からご機嫌だねえユーヤ」
ほかの者も集まってくる。犬歯の男と、泣きぼくろの男だ。(それぞれ、ケンとマオと言った)
「お前らもやってみろって! 髪やばすぎて、あたんねーのっ」
「まじ~」
ケンが前に進み出て、手を振りかぶる。そして思い切り打ち下ろした。ばすん、と音を立てて、ケンの手が下におろされる。
「まじだ! おもれ~!」
今度は下から、手の甲で隼人の髪をはたきあげた。これにはさすがに恐怖を覚え、隼人が引こうとするとマオに阻まれる。
「マオもやってみろって」
「えー俺ぇ、潔癖だからあ〜」
ぎゃはは、と自分をはさんで大笑いするケンとマオに、隼人はまったくついていけない。
マオは、隼人の前髪に指をぶすりと突っ込むとぐいっと引っ張った。
「うわあ……」
マオが引いた声を上げるのと、隼人が痛みにうめいたのは同時だった。
「汚っ……、指、とおんねーんだけど」
マオは指を乱暴に引き抜く。ぶちぶちと髪が何本か抜けた。
「うわっ、なすりつけんなよ、マオ」
「だって汚えもん」
「やっといて言うなよな!」
ケンとマオは、隼人を挟んできゃいぎゃいとじゃれ合う。周囲の女子たちは、それを羨ましげに見ていた。隼人は席につきたかった。しかし、ケンもマオもガタイが良くて、身長百六十五、小太りの隼人は動けずにいた。
あんまりさわぐといじめられるかもだし、と弱気な自分を慰める。けれども隼人の内心は悔しさでいっぱいだった。
「どう?」
「いいかも……サビまだ?」
「もう少し。ユーヤ好きだと思った」
ユーヤはというと、騒ぎの火付け人なのに、いつのまにかやってきたオージと曲を聞きあいっこしていた。
「って、置き去りしてるし」
「お前、ほんとそーゆーとこ!」
ビシッ! と、ケンとマオがユーヤにツッコミをいれる。ユーヤは、「はぇ?」と間の抜けた声を上げた。
「なに?」
「お前がいったんだろ? 責任持てって」
「だって、もう終わった話だし」
「はあ〜?」
「ユーヤ、サビきてるぞ」
「えっ、あー! 聞き逃しちゃったじゃん!」
ケンとマオがばらばらとユーヤとオージの元へ向かっていき、それでようやく、隼人は解放された。
悔しい。
できれば泣きたいほど悔しかったが、そんなことをすれば尚のことよくない。隼人は必死に耐えて、頬を痙攣させていた。
「隼人、アニメ見ないか?」
風呂上がりに牛乳を飲んでいると、リビングの父が、隼人を呼んだ。隼人がそちらに向かうと、父はテレビの前で正座していた。にこにこと隣を叩く。隼人はコップ片手に座った。
「今日はリアタイ間に合ったからな〜」
「よかったね。どんなアニメ?」
かわいい絵の女の子が、イケメンの男に皆の前で何か怒られている。どうにも男は脇にいるもう一人の女の子(この子も可愛い)をかばっているらしい。
「『前世は悪役令嬢でしたが今世も悪役令嬢です』って話だよ」
「へー?」
相槌を打ったものの、隼人の頭に疑問符が浮かんでいた。
隼人の疑問に、父はにこにこと説明を始める。オープニングが流れる間、話の内容と、これまでのあらすじを丁寧に教えてくれる。隼人はうんうんと興味深く頷いた。
「なるほど、この女の子は恋人に疑われて、殺されちゃうんだね」
中々しんどい話だなあ。隼人は女の子を悲しい気持ちで見つめる。
「そうだろう。でも、この子が幸せになれるように、神様が生き返らせてくれるんだよ」
「そうなんだ! よかった」
死んじゃったのに、よかったと言っていいのかわからなかったが、隼人はちょっと安心した。
「今度は幸せになってほしいね」
「そうだね」
ふたりでしばらく、アニメを見ていた。王子とヒロイン(らしい)が、主人公の女の子に怒っている。女の子もまた、彼らに怒っていた。
「今は、みんなが主人公になれるんだ」
父が言った。アニメの光が、父の優しい横顔を照らしている。
「皆が?」
「父さんのころはね、主人公っていえば、勇者とか、ヒーローとか。そうじゃなくても、どこか主人公らしい子が主流だったんだよ」
「うん」
「でも、人生そうじゃないだろう? 皆それぞれ意見があって、それぞれいいとこや悪いとこがあるんだ」
「うん」
多様性というやつだろうか。父の懐かしげな顔を見ながら思う。父が、「いい時代になったなあ」と言うのを、しみじみと見た。
「そうだね」
隼人は同意する。隼人の頭の中に小説のことが浮かぶ。
父の言うとおりだ。隼人は友達がいないし、ヒーローでもない。
けれど毎日、隼人はノートの中で主人公になっている。勇者にもヒーローにも、お化けにもなれる。
ちょっと父の言うことと違うかもしれないけど、そういうことにした。
「それにな、隼人」
「うん?」
父が優しい目で隼人を見ていた。
「こうして一人で心を養う時間が、けっこう若いときは大切なんだよ」
隼人は牛乳を吹き出しそうになった。
「えっ、何、なんで?」
父の目はあたたかい。
「それにな、好きなことがあるときっかけになるしな」
ははは……笑いながら、父はぽんっと隼人の背を叩いた。
いったい父はどこまで「わかって」いるんだろう。
一気にのぼせ上がりながらも、隼人はニコ! と笑みで返した。
「おい!」
廊下を歩いていると、ケンに立ち塞がられた。まただ。隼人は思う。
ユーヤたちは、最近、隼人が一人きり(もっともいつも一人なのだが、周りに人がいないという意味で)のとき、一人でやってきて、それぞれ口撃をくらわせてくるようにもなってきた。
もういじめの序章に入ってやしないか、隼人もさすがに不安になってきた。とはいえ、実際のところ多対一より一対一のほうが助かってもいた。まだ逃げることができるからである。
「逃〜げ〜んなよ。仲良くしようぜ」
肩を掴まれて、ぐんっと引っ張られる。遠心力で体が大きくふれた。
「なあブ〜タ!」
今のは罵倒だぞ。
流石にむかっ腹が立って、隼人はケンをにらみ上げた。しまった、そう思ったときには遅い。向こうは超がつくほどの瞬発力で、「あ?」と笑みを返してきた。
「んだよブタ。なんか文句あんの?」
間違ってねーじゃんと笑ってくる。隼人は顔をそらした。
「何もないです」
「何で敬語〜? きめ〜!」
ギャハハ、と笑われるが、隼人は反応せず、でっと早歩きをさらに早めた。向こうは余裕のペースでついてくる。早く歩こうが蛇のように動こうが、ずっとついてきて、色々と罵倒してくる。
勘弁してくれ!
とはいえ、ついてくるなとも言えない。同じ教室に向かっているからだ。
音楽室までの道のりは遠かった。何でこの人だけ、自分と同じ選択授業なんだろう。
「なあ、ホンットさあ。お前ユーヤのこと意識してんよな?」
「ん?」
思わず聞き返してしまった。ちょっとブタやデブ、バカとは違う意味の言葉だったからだ。
「意識とはなんですか」
「まじで言ってんの?」
けらけら笑われ、隼人はいっそう不可解になる。
「皆言ってるけど、何でそんな反抗してんの? 張り合ってもユーヤにかなうとこねーよ?」
まずやせろし。そう言ってにししと笑う。
よくわからないが、わかった。つまりケンは、隼人がユーヤを嫌っていると思っているらしい。
そりゃ、好きか嫌いかでいうと嫌いの方だけど、いちいち聞かなくても。と思ったが、そこは友達だ。自分の好きな人を嫌いな人間が許せないのかもしれない。
「いや、俺、一ノ瀬くんのこと意識してませんよ」
だから隼人は、誠実のつもりで答えた。ケンは、「またまた」と笑ってから、目を見開いた。
「はぁ?」
「ただ、一ノ瀬くんのノリについてけなくて、困ってるだけなんです」
「あぁ!?」
急に声を荒らげすごまれ、隼人は「うわっ」とおののいた。
だって他に言いようがない。実際困ってるし。
そこで、ちょうどよく音楽室が見えた。
助かった!
隼人は、室内に逃げ込んだ。
「うっ!」
丁度、中から出てきた先生とぶつかり、教室外にはじき出される。
「何してる、中条。気をつけなさい」
恰幅のいいジャン先生が、美しいバスで隼人を叱った。
「すみません」
鼻を押さえつつ、隼人は今度こそ中に入る。いそいそと、自分の割り当ての席に座ると、左向こうでケンがこっちを睨んでいるのが見えた。
南無三。
見なかったことにして、隼人は教科書を眺めた。まだ歌われない歌というものは、どうしてこうも心をときめかせるだろう――などと思いながら、楽譜から当てずっぽうで鼻歌を歌う。隣の女子が、怪訝そうな顔をしたのでやめた。
隼人はついで、右向こうを見る。そして、「おっ」と顔を輝かせた。
今日もきまってるなあ。
隼人は龍堂太一を見つめる。二クラス合同の音楽の授業。E組の隼人に対し、彼はF組の生徒だった。
ユーヤを始め、オージやケン、マオなど美形の多いE組ではあるが、彼もまた、一味違った美形である。
なんというか、威風がある。今もひとり、ワイヤレスイヤホンで、何か聞いていて、それだけなのに何か格好よかった。
間違っても、「ひとりでいるのを誤魔化すため」そうしてる、と思われない芯のようなものがうかがえる。
いつ見てもそういうところが、かっこいいと思った。やっぱり男ならああなりたいものだなあ。名前さえ似合っている。自分も名前はかっこいいんだけどな。黒いライオンみたいだ、などと隼人は感心する。
その時、チャイムがなった。
龍堂がイヤホンを外した。
そのとき、ふいにぱちりと目があった。
隼人はとっさに、にこっと笑った。すると、気迫のある眼差しが、わずかに見開かれた。そんな気がしたが、すぐに龍堂の視線は、ゆったりと、違うところへ向かった。
それでも隼人はどきどきしたまま、ずっと笑っていた。
「聞いてくれよ、ユーヤァ!」
授業が終わって、E組に飛び込むなり、ケンが叫んだ。
「からあげがさぁ、ユーヤのことウゼーってよぉ!」
クラスが一瞬、シーンと静まり返った。あとから入った隼人も思わず固まった。
ウザいとは言ってない! そりゃ困るとは言ったけど!
「何それ?」
ユーヤの隣にいた女子(マリヤさんとヒロイさんという)たちが顔をしかめた。ケンはユーヤの前の机をばん! と叩くと身を乗り出して「それがよ」と話し出す。
「何でユーヤに突っかかんだって聞いたんだよぉ! ユーヤいつも輪に入れてやってんのにムカつくだろ! そしたらよぉ、メーワクだって! ウゼーって!」
全てにおいてニュアンスが違う〜!
隼人はコミュニケーションの難しさを痛感していた。これでは自分は好意を無下にする薄情者ではないか。案の定、マオたちも怒りに顔を赤くした。
「何、ソレ!? ぼっちのくせに何様だよっ」
「だからぼっちなんだよ」
「人格ゆがんじゃってる〜」
隼人を横目に睨んでの、口撃である。
これは、弁解すべきか? 隼人は思う。でも、実際困ってもいるしな……迷いつつ話の中心である、ユーヤを見た。
「ユーヤ」
オージがユーヤに声をかけた。優しい労りに満ちた声だった。ユーヤは俯いていた。しかしのぞく頬の色は、蒼白だった。傷ついた、という顔を必死に隠そうとしていた。
これには、隼人は「あっ」と思った。てってと駆け寄る。
「あの」
「んだよデブッ!」
違うよ、という言葉はケンに胸を思い切り突き飛ばされて消えた。「へぶっ」と声を上げ、隼人は後ろの席にぶつかった。
「きゃ!」
「やだー!」
隼人は後ろの席に突っ込んだ。ガターン! と大きな音が立った。幸い無人で、被害は隼人しかなかった。
「最悪〜」
近くにいた女子たちが、心底いやそうな声を上げる中、隼人は「ごめん」と謝り、席を直した。流石にみじめだったし、痛かったが耐えた。
「女子には謝んだなっ」
後ろから軽蔑の声がかかる。隼人が向き直ると、ケンとマオの睨みにぶつかる。マリヤさんもヒロイさんも、軽蔑の目で隼人を見ている。そして、オージが一番、怖い目で隼人を見ていた。
ユーヤとだけ、目が合わなかった。
「誤解だよ。俺、困ってるって言っただけで」
「お前、追い討ちかよ!?」
「やっぱ言ってんじゃん」
「性格わっる」
ケン、マオ、ヒロイさんに責められる。マリヤさんは、「ユーヤくん、気にしちゃ駄目だよ」ととっても優しい声で言った。それには諸事情で、すこし胸が痛かった。
「誤魔化してんじゃねーよ。お前、まじでしめんぞ?」
ケンが、隼人の胸ぐらをつかんだ。隼人にとって人生初のことだった。胸ぐらをつかまれ、凄まれたのは。流石に怯みつつ、何より襟が詰まって息がしづらくて、隼人は黙った。
「よせ、支倉」
オージがケンを止めた。オージの目は、ユーヤだけを見つめていたが、一瞬だけ隼人を見た。すごく冷たい――虫にでももう少し優しい目を向ける。
「動画とられて、拡散でもされてみろ。経緯を知らない馬鹿は、どっちを信じる?」
オージの言葉に、ケンは顔色を変える。そして、隼人を離した。
「クソッ」
「大丈夫、気持ちわかってる。本当汚いよね」
悔しげなケンを、マオがなだめる。隼人はゲホゲホとむせこんでいた。そもそも太っていると、上を向きづらいのだ。
「ごめんな、ユーヤァ……」
ケンは湿った声で、ユーヤに身を寄せた。ユーヤは唇を震わせ、しかし「いーって」と笑ってみせた。無理しているのがはっきりとわかる、そんな笑顔だった。
「なんか、薄々感じてたし? ……信じたくなかったし、直接言ってくんねーのはショックだったけどっ」
おどけた明るい声が、どんどんと小さくなる。周囲が、痛ましげにユーヤを見た。
「陰湿だよね」
「ユーヤくん悪くないよ。元気出して!」
隼人はちょっと呆然とそれを見ていた。どうしよう、もう空気が出来上がってしまって、何を言っても野暮になってしまう。かといって、このまま席へ戻るのは違う気がする。隼人が立ち尽くしていると、ユーヤの肩を抱いたオージが、冷然とした視線を向けた。
「消えろよ。ウジ虫」
隼人は唖然とする。と、同時に、数学教師のほしやん先生が、入ってきてしまった。
「ほら、皆席につけ〜」
そこで一同解散となる。ほしやん先生にもう一度せかされ、隼人はぎこぎこと席に戻るしかなかった。
席について、隼人は思った。
はーーーーーーーーー!?
ついでに、教科書も忘れていた。
おかしいよ、やっぱり!
荷物を両手両肩に、隼人が行進していると月歌に引っ張られた。
「隼人、ストップ! お菓子買ってこ〜」
言うなり、無印にinする。
今日は日曜で、終日予定のない弟を気遣った姉による、お出かけイベントだった。隼人は両手両肩に、たくさんの荷物を下げつつ、「お姉ちゃん、俺、わたがしがいい」とついていった。
「バウムと、黒棒と、干し林檎と〜」
月歌は軽快に、買い物かごにお菓子を入れていく。
「お姉ちゃん、富豪だね」
「テスト頑張りましたから♡あとおつかいも頼まれてるの!」
「そっか」
すごいなあ。月歌は頭が良くて努力家で、お小遣い歩合昇給制の中条家で筆頭高給取りだ。隼人はと言うと、可もなく不可もなく、「次こそ昇給」が口癖である。
「隼人も次こそ昇給できるよ」
「うん、期末こそ」
月歌に励まされながら、ついでにハヤトロクのノートも買っていこうかな、などと舌の根も乾かぬ内に思うのであった。
レジを目指し歩いていると、人の波におされて、隼人と月歌が離れた。
前を行っていた月歌が、男にぶつかられた。二人組の男は、チッと舌打ちした。
「すみません」
「ってーなブス」
ひどい罵倒の言葉に、月歌の顔が真っ赤に染まった。隼人はあわてて姉に駆け寄る。
「お姉ちゃん」
二人組がふんと笑う。
「弟はブタかよ」
「『お姉ちゃん』だってよ」
月歌の持っていた買い物かごのお菓子を覗いて、「ダイエットしろよ」と去っていった。
「お姉ちゃん、一人にしてごめん」
「隼人」
月歌の目には、じんわり涙がにじんでいた。
「俺のぶんのお菓子、たくさん買ってくれてありがと!」
隼人は、はっきりとした声で言った。月歌は自分と違って、すらっとしてるけど、あんなこと言われて悔しかったはずだ。皆に聞いてほしかった。
優しい姉を勇気づけるように、隼人は笑う。
「あいつら目おかしいんだよ、前も見てないくらいだし」
「隼人〜」
月歌は泣きそうな顔のまま、笑った。そのことに、隼人がほっとした時だった。
「何だテメエ」
「デブがよお」
さっきの二人組が、戻ってきていた。嘘だろ。隼人は月歌を背にかばう。
「隼人」
「お姉ちゃん、レジの方に逃げて」
隼人は月歌にささやくと、男たちをじっと見すえた。姉を守らなければ。正直、心臓はバクバク鳴っている。けどどこか冷静だった。
大丈夫、ここは店内だし、人もたくさんいる。殴られても酷いことにはならない。
人生二度目の胸ぐらつかみにあいつつ、隼人は腹をくくった。
「隼人!」
月歌が叫んだ。
「姉ちゃん、今だ!」
隼人は万力の力で、持っていた荷物を男に振り上げた。
「誰か……!」
その隙に姉が助けを呼びに走る。それをもう一人の男が追おうとする。
「この卑怯者!」
隼人は遠心力で、荷物を振り回し、その勢いで男に突進した。
ボンッという音とともに、タックルは成功した。男を倒すまでにはいかないが、足止め成功だ。そう思ったとき、後ろから襟を引っつかまれた。
「ぶひっ」
あっ、と思ったときには張り手を顔のど真ん中に食らわされていた。ぐらりと衝撃に頭が揺れる。痺れた鼻から、ぽたぽたと血が出た。
「なめてんじゃねえぞ」
もう一度、振りかぶられる。今度はグーだった。逃げようにも、タックルした男に、後ろ手を取られていた。連携プレーに、隼人は目を瞑った。これは絶対にモロに当たる――
「――あれ?」
しかし、いつまでも拳が振り下ろされることはなかった。代わりに男の悲鳴が上がる。隼人は目を開けた。
「痛え! 痛え、痛えっ!」
さっきと同じ男と思えないくらい、弱々しい、哀れな声だった。それもそのはず、男の手は、後ろからひねり上げられていた。
「やめろ」
ハスキーな低音が、辺りを支配する。
「龍堂くん」
隼人は思わず口にしていた。その人は、あの龍堂だったのだ。
龍堂は涼しい様子で、片手で男を制圧していた。もう一方の手に、買い物かごを持ったまま。わたがしとバウムとカレー、ジャスミンティーが入っている。何故かそんなことが目に入った。
「て、てめえ!」
隼人を拘束していた男が、龍堂に挑もうとする。隼人はとっさに「わーっ」と男の服をつかんだ。
「離せブタ!」
「離すもんか、人殺しー!」
「はあ!?」
ブンブン揺られながら、隼人は組み付いた。
「こっちです!」
その時、月歌の声と忙しない足音が、こちらに近づいてきた。
男たちの戦意が喪失する。
そのことに安堵を覚えながら、隼人は龍堂から目が離せなかった。
「はあ〜……」
隼人は、自室で鼻を冷やしながら、ため息をついた。
「かっこよかったなあ」
今日の龍堂を思い返す。顔がニコニコと笑むのを止められなかった。
あれから、男たちは警備室に連れて行かれ、事態はすみやかに終息を迎えた。
「ありがとう、龍堂くん」
隼人は龍堂にお礼を言った。龍堂は隼人をちらりと見やると、目で頷き、去っていった。
あまりにもかっこいいだろう。
うーんと隼人は唸る。男ならやっぱりああなりたい! 男の中の男だ。
「決めた! 今年は龍堂くんの話を書こう!」
自分は、龍堂の友達で、ライバルで、お互いを高め合う仲、どうだろうか?
「いい感じ! 龍堂くんは、王子様っていうか、王子! って感じだな……なら、俺は龍堂くんと釣り合う感じで……」
今日の龍堂の勇姿を思い返す。かっこよく月歌を助けてくれた龍堂。小説では、ぜひとも二人で姉を助けたい。
ノートをばたばたと開きながら、考える。その時、ぽんとこの間のアニメのシーンが思い浮かぶ。
「そうだ! 悪役令嬢っていうやつにしよう! お姉ちゃんが悪役令嬢で、王子様に婚約破棄されちゃうんだ!」
そしてそれを、別の王子の龍堂と、月歌の弟の自分が助けるのだ。
「よーし!」
隼人はペンを走らせた。
“
「悪役令嬢、ルカ・ナカジョー! 君との婚約を破棄するっ!」
ウエスト王国の王子、オージ・フジタカが叫んだ。
ルカはかれんな顔を悲しげにうつむかせた。
「君がマリヤをいじめたこと、私は生涯許さない!」
オージの隣では、マリヤ・アベが泣いていた。オージは、マリヤをルカがいじめたと思って、ルカを責めているのだ。
しかしソレは誤解だった。ルカは無実で、マリヤとは悲しいすれ違いがあったのだ。ルカは無実を訴えたかった。けど、それは出来なかった。
疑われた悲しみで胸がいっぱいだったからだ。
だからそのまま、城を後にしたのだ。
”
「うっ……お姉ちゃん、ごめん……今すぐ俺と龍堂くんが助けるからね!」
涙ぐみながら、せっせとペンを走らせる。婚約破棄する王子様をオージにしたのは、見た目のイメージがぴったりなのと、ちょっぴりの私怨だった。
「俺は悪役令嬢の弟なんだから、悪役だよね……なるほど、悪役令息っていうのか!」
スマホで調べ、紹介に付け足した。
「悪役令息かあ。ダークヒーローみたいでかっこいいかも! きっと頭がよくて、美形で、ちょっと人と違うものが見えてるんだ」
自分への設定を爆盛にしつつ、隼人は父の「今は皆が主人公になれるんだ」との言葉を浮かべていた。「うん」と隼人は頷いた。
「今年の俺は、悪役令息だ! そして、別の国の王子の龍堂くんと友達になるんだ!」
今日まで単発のキャラクターになりきっていたが、ここでようやく一年書き通せそうなキャラクターができた。今日から一年間、自分はダークヒーローとなるのだ!
“
「俺は、お姉様の無念を晴らしたい。その為に、君の力が必要だ」
ハヤトは、タイチを見つめた。その目にはしずかに炎が燃えている。
タイチは何も言わなかった。ただ、強い目でうなずくのみ。
それだけで二人は通じ合った。
そうして、ハヤトとタイチの深謀遠慮のたくらみの日々が始まったのだ。
”
「かっこいい!」
隼人は感嘆の声を上げた。ダークヒーロー、楽しいじゃないか。夢中になって書いていた。手も真っ黒だ。そろそろ寝なくちゃいけない。
「龍堂くんと本当に友達になりたいな」
それは無意識の呟きだった。それは、隼人にとって少し意外の願いであった。
「話しかけてみようかな。今日のお礼も言いたいし」
そうしよう。隼人は鼻歌まじりに、ベッドにもぐりこんだ。
翌日、隼人は早起きをして、コンビニに寄った。お気に入りのチョコ菓子と、おせんべいをひとつずつ買うと、用意してきた紙袋に入れた。
「喜んでくれるかな?」
どきどきとわくわくの気持ちがないまぜになっている。ふんふんと鼻歌を歌いながら、隼人は学校に向かった。
いつもより早く着いた学校。校舎の中はしーんとして、どことなく暗かった。
隼人はひとり、廊下を歩く。自分のクラスであるE組の扉に手をかける。話し声が聞こえた。こんな早くに、もう誰か来てるんだ。隼人はさして疑問に思わず、扉を開けた。
「きゃっ」
「うわ!」
高い悲鳴があがったのと、隼人が小さく叫んだのは同時だった。窓際で、オージとマリヤさんが、キスをしていたのだ。
ちょうど扉に背を向けていたマリヤさんは、扉の音で振り返ったらしい。顔を真っ赤にして、オージの胸に隠れた。どうやら、泣いてしまったようだ。
オージは、彼女の背に手をやってあやしていた。隼人はあまりの状況に、体が石のように固まっていたが、そこで我に返った。
「ご、ごめんなさい!」
きびすを返し、去ろうとする。その一瞬、オージの冷たい目とかち合う。
「とことんクズだな。消えろよデバガメ」
うわあああ。
来た道を走り引き返しながら、隼人は心のなかで叫んだ。頭の中でひらがながぐるぐる回っている。
そういえば、オージは生徒会に入っていて、朝が早いんだっけ、とか。
マリヤさん、合わせて早くきてるのか、とか。
色んなことが頭を巡っては消えていく。
実際、教室のことだから、隼人に罪はないのだが、隼人はマリヤさんの真っ赤な泣き顔が、頭から離れなかった。
「どうしよう。恥ずかしい思いさせちゃった」
女の子を泣かせるなんて。隼人はずーんと落ち込んだ。まして、マリヤさんは、隼人にとって、すこし特別な女の子だった。
「阿部海里夜さん、好きです! 僕と付き合ってください!」
中学一年の冬、隼人はマリヤさんに告白した。
マリヤさんは、「優しい子」といえばまず名前の上がる、笑顔の素敵な女の子だった。皆がそうなように、隼人にとっても、憧れの存在だった。
彼女への思いを書き出して、ハヤトロクは始まったのだ。
マリヤさんは夜のお姫様で、隼人は星だった。話すことはできないけど、お姫様の笑顔は遠くの星にも届いてる。そんな気持ちだった。
けど、二学期にマリヤさんと同じ図書委員になって、話す機会が出来た。
「隼人くんって話しやすいね」
「そ、そうかな!」
「うん。私、隼人くんといるとほっとする」
話してみるとマリヤさんはやっぱり素敵な女の子で、隼人は当番の日の図書室が、一番好きな場所になった。
星とお姫様も、毎日お話していた。そして星は、お姫様と同じ、人間になりたいと願うようになった。
そして隼人は、最後の当番の日、勇気を出して、告白をしたのだ。
「ごめんなさい。そういうの考えてなくて……」
マリヤさんは、隼人の告白を断った。いつもどおり、丁寧で優しい口調だった。
けれど、彼女の顔は困惑に満ちていて、隼人は自分が「また」間違ったのだと悟った。
昔から、自分はどこかずれていて、人を困らせてしまうところがあるから。
隼人は「わかった」と笑って頷くしか出来なかった。
それきり、マリヤさんとは疎遠になってしまい、すれ違っても避けられるようになった。
とぼとぼと、廊下を歩く。思い起こされるのはさっきの光景だった。
「阿部さんと、藤貴くん、付き合ってるんだものな。当たり前か……」
マリヤさんと高校二年で、また同じクラスになった。そのときに、マリヤさんは、すでにオージと付き合っていた。
中学の時、すごく優しかったマリヤさんが、今自分にすごく冷たいのは、果たしてユーヤへの友情だけなのだろうか。自分の過ちのせいではないのか。そう思うと、またつらいところがある。
隼人はしょんぼりと、鞄の中の紙袋を見下ろした。また、自分は間違うところだったのかもしれない。
「そうだよね。小説で仲良くったって、実際は違うんだ」
龍堂くんも、いきなり話しかけられて、困るかもしれない。隼人はすっかり意気消沈していた。
渡す前に気づいてよかった。
そうして隼人は、始業時間まで、ふらふらと学校中をさまよっていたのだった。
「なあ、なあ〜」
昼休み、教科書をしまっていると、マオが声をかけてきた。マオの目は、三日月状に笑んでおり、奥に嗜虐的な光を宿していた。隼人はそれに気づかず、「何ですか」と警戒もなく答えた。
「きのぉ一緒にいた子、ダレ〜? 彼女?」
よく通る声に、ひとつひとつアクセントをつけて、マオは尋ねる。周りに聞かせているようだった。
案の定、ケンとヒロイさんが、くるりと振り返った。
「え〜、彼女!? からあげに?」
「ありえね〜」
彼らの目も一様に、前と同じ光を宿している。はしゃいだ声だが、キリのように尖っている。
三人に取り囲まれ、隼人は困惑した。
「お姉ちゃんですけど……」
とりあえずこの状況を逃れるべく、事実を告げる。しかし意に反して、ケンとマオはヒートアップした。けらけらと彼らの大笑いが、天井にのぼる。
「なーんだ、やっぱそうかあ〜!」
「つーか『お姉ちゃん』て! シスコンかよ! きめ〜!」
こんなに尖った爆笑とはあるものか。あまりに楽しくなさそうだが、しかし隼人にとって好意的ではないことはわかるため、隼人は身の置き場がなかった。
「つーかマオ、『やっぱり』ってなんだよ」
「だってさあ顔そっくりだったもん」
「え〜!?」
ヒロイさんが、大仰に驚いてみせた。マオは、それに笑顔で応えると、ちらりと隼人を見た。その目がすっと残忍に細められる。
「うん、やせたコイツって感じ」
隼人は、目を見開く。好意的な意味で、言われていないことがわかったからだ。
ケンとヒロイさんは、隼人をちらちら見ながら、「うわ〜」と身を反らした。
「悲惨だな、そりゃ」
「かわいそうかも」
隼人は顔が真っ赤になった。羞恥ではない、怒りだ。
「お姉ちゃんをバカにするな」
考えるまもなく、言葉が出ていた。大きな感情に、声が震えている。
三人にとって、それは意外でもあり、それでいて、望み通りの反応でもあった。ケンの顔が、たのしげに歪む。隼人の顔を覗き込んだ。
「んだよ、お前。自分がいけてると思ってんの?」
ブース。
そう言って、頬をべちべちと叩いてきた。きゃはは……ヒロイさんの笑い声が響いたときには、隼人はケンに飛びかかっていた。
「ふざけんな!」
きゃーっと、どこからともなく、条件反射的な悲鳴が上がる。隼人は腕をぶんぶんと振り回して、ケンを攻撃する。
「うい、うい、効かねえなあ!」
ケンは余裕の表情で、隼人の拳をよけていく。隼人は息が上がってきた。
「もう限界かよ? ブータ!」
ケンがマオに目配せする。マオは、隼人の肩を後ろからつかみ、自分に一度引き寄せ、勢いをつけると、ケンに向けて突き飛ばした。
「うーい」
ケンは受け止め、マオに突き飛ばし返す。
「えーい」
二人で隼人を悠々とパスし合う。ふたりがかりの力に押されて、隼人はなすすべもなかった。ばいんばいんとボールのように、彼らの間を行ったり来たりするしかない。ヒロイさんが、お腹を抱えて笑っているのが目のはしに映った。
「ほら、何か言えよ」
「言いたいこと、あるんでしょ〜?」
ぼんぼんと突き飛ばされて、言葉を継ぐことも難しい。それでも息の許す限り、「姉ちゃんを馬鹿にするな」と叫んだ。
「ハァ?」
「何言ってっかわかんね〜!」
しかし、返ってきたのは、より大きな笑い声だけだった。隼人は悔しさで涙が出た。
なんで自分はこうなのだろう。ハヤトだったら、格好よく助けられるのに。
周囲に飽きが来る前に、ケンとマオは、隼人を教壇に突き飛ばした。周囲は、蜘蛛の子を散らすように、隼人をよけた。
隼人は段の上に倒れ込む。みじめな様子に、ひときわ大きな笑い声が立った。
「あ〜、疲れたっ」
「飯食お〜」
ケンとマオ、ヒロイさんが去っていく中、隼人は教壇にうすくまり、身を抱えていた。