「ロルフ! ロルフ! いや。死なないで」

 ノア様が、私を呼んでいる。
 大剣を地に突き刺し、膝をつく。立ち上がろうにも足に力が入らない。 
 視界が赤で滲む。額から流れる血が目に入ったのだろう。
 地面に滴る大量の紅。腹から止めどなく溢れる熱い液体は、私の血。

「ロルフ!」

 辺りに倒れる無数の屍。恐らく生きているのは私たち二人のみ。
 ここで足を止めるわけにはいかない。早く、彼女を安全な場所へ。

「……………ノア、さま。宮殿へ、帰りま……」

 ノア様を抱え立ち上がろうとするが、足に上手く力が伝わらずそのまま無様に地面へ倒れる。

「ロルフ。大丈夫、もうすぐ助けがくる」

 視界に広がる銀色。
 美しい銀糸の髪先が私の血で穢されていく。

「……よごれます。離れて、ください」
「いやだ。ロルフと一緒にいるっ!」

 ノア様は頑なに私の側を離れようとしない。変なところで頑固なのが本当に困ったお方だ。

「ロルフ……私との約束、やぶるの?」
「……ノア様」
「ずっと守ってくれるって、いったのに……」

 貴女との約束を違えるはずはない。
 私の意志は揺らぐことはないが、体はどうにもいうことを聞いてくれないのです。

「ロルフ。ロル――」

 彼女の声が遠くなっていく。私は死ぬのだろうか。
 君主を守って死ぬことこそが守護者にとっての誉れ。
 だが、だが。まだ、死ぬわけにはいかない。
 彼女はまだ幼い少女だ。私はノア様が立派になられるまで側に付き従い守ると誓ったのだ。たとえ死んでも、その約束を違えてはいけない――。
 この小さな手を、命をかけても守らなければならない。
 彼女が笑って幸福に過ごす日々を見守りたい。

 誰か。誰でもいい。
 守ってくれ。
 彼女を。私の大切な主人を守ってくれ。

 嗚呼――声が、聞こえる。
 私と同じように、大切な者を守りたいと叫ぶ、声が――。



 俺は月森暁史(あきふみ)。職業専業主夫。妻と二児の子を持つ父だ。
 妻はバリバリのキャリアウーマン。双子を身籠もったとき、彼女は自分のキャリアと子供をどちらを守るべきか迷っていた。
 だから、俺は家庭に入り妻と二人の子供を守ると誓ったんだ。

「今日の晩御飯は何が食べたい?」
「ハンバーグ!」
「ハンバーグ!」

 幼稚園の帰り、娘の(あおい)(あかね)と手を繋いで歩く。
 バスのお迎えに行って、その後三人でスーパーに買い出しに。それが俺たちのルーティーンだった。

「よし、それじゃあチーズたっぷりのハンバーグにするぞ~!」
「おー!」

 三人でスーパーに向かう。
 スマホからは妻からのメッセージ。今日は早く帰れるらしい。

(幸せだなあ)

 こんな平和で満ち足りた日々が本当に幸せだ。
 いつまでもこんな日が続けばいいと思っていた――。
 その時――。

「お父さん!!」

 横断歩道を渡る途中、車が俺たちに向かって突っ込んできた。

(まずい――!)

 世界がスローモーションになる。
 俺が、子供を守らなきゃ。なんとしても、命に代えても、この子たちは守らなきゃ。

『――守りたい者がいるのか』

 突然頭の中に男の声が聞こえた。

『お前も命に代えても守りたい者がいるのか』

 守りたい。この子たちは、俺の命よりも大切な存在だ。

『だが、このままではお前諸共子供も死ぬ』

 そんなのわかってる!でも、どうにかしなきゃいけない!

『私が守ろう。その代わり、頼みがある』

 なんだ。なんでもいい。俺ができることだったら。

『私にも守りたい者がいた。だが、俺の魂は肉体から離れ戻ることができないだから――俺の代わりに、お前に守ってもらいたい』

 そうしたら子供は助かるのか。

『ああ。お前の体は眠りにつくが、その間私がお前の体を守ろう』

 本当か。信じていいのか!?

『私は約束は違えない。早くしろ、時間がない』

 静止した時間が少しずつ動き出す。車はこちらに迫ってくる。
 迷っている時間はない。

『わかった。貴方が守りたい者を俺が守る。だから、この子たちを助けてくれ!』
『承知した。お前の名前を聞いておこう』

 ――彰史。月森彰史だ。

『アキフミ。私の名前は、ロルフ。ロルフ・ウォーレンだ』

 ――ロルフ。俺の子供を頼んだ

『ノア様を任せたぞ、アキフミ』

 次の瞬間、目の前が真っ白になった。
 体に走る大きな衝撃。耳鳴りが酷くて周囲の音が聞こえない。

「――パパ、パパッ!」

 子供たちの声が聞こえる。泣きながら俺を呼んでいる。

(よかった――助かったんだ――)

 ほっとした。
 泣きじゃくる二人の頭を撫でようとしたけれど、体が動かなかった。

「――――」

 怪我はないか。大丈夫か? 怖い思いさせてごめんな。
 そういいたいのに声が出ない。

「パパ。パパ。死なないで」

 なんて暖かい手だろう。
 小さな手を、守ることができた。パパに悔いはない。

 ありがとうロルフ。約束を守ってくれて。
 でも、ごめん。今度は俺が約束を守るはずなのに、体がいうことを聞かないんだ。

(ごめん、ロルフ――)
 
 俺の意識は暗闇の底に沈んでいった。



「――フ……………ロ……ルフ!」

 女の子が誰かを必死に呼んでいる。
 瞼が開けられる。よかった。これで蒼と茜の顔が見られるぞ!

「ロルフ! よかった。目が覚めた!」

 目を開けると、そこにいたのは銀髪の女の子だった。
 蒼と茜と同じくらいの年の子だろうか。俺を見るなり涙を浮かべて抱きついてきた。

「……っ」

 ずきりと腹に痛みが走る。
 そうか。車に轢かれてただで済むはずないよな。そう思いながら体を確認した。

(…………ん?)

 無骨で傷だらけの手。
 筋肉質な腕。
 あちこちには切り傷のような跡ができている。
 これは、俺の体か?

「ロルフ、よかった。十日も眠っていたのよ」

 彼女は俺をロルフと呼ぶ。
 聞き覚えのある名前。

「ここは……」
「宮殿の医務室よ」

 聞きなれない言葉。中世のような見慣れない景色。
 皆西洋人の顔つきで、その服装は俺がよく見る外国人たちとはあまりにも違う。どちらかといえば、昔の人間のような。

「……………君は、誰だい」

 呟かれた言葉に、女の子は衝撃を受けた顔をして数歩下がった。

「え……ロルフ……まさか、記憶が……」
「ロルフ殿。お目覚めか」

 女の子が動揺している間に白衣を着た初老の男性が入ってくる。
 どうやらお医者さんだろう。

「戦いは一時休戦だ。ノア様を狙う賊も其方が命がけで退けられた。よく無事に帰還された……しばらくはゆっくりと休息を取るといい」

 ノア様? 賊? 休戦? 一体何の話をしているんだ。

「あの……ここは一体……?」

 俺の反応に医者はあんぐりと口を開いた。
 震えながら女の子の顔を見ると、彼女は悲しそうに俯いた。

「怪我のせいで……ロルフが私のこともわからなくなってしまったの……」
「なんと……まさか、記憶に障害が……。そんなことが……あの歴戦の騎士、ロルフが……」
「すみません……鏡を貸していただけますか」

 そう尋ねると、医者は動揺しながらも手鏡を貸してくれた。

「――――」

 そこに映るのは自分では無かった。
 顔に一文字の傷がついた、屈強な戦士。筋肉質で無骨な、まるでファンタジー作品に出てくるような男の人だ。

「お、俺……一体…………」
「あなたはロルフ。私の守護者よ。この国で最強と謳われた英雄なんだから!」

 ロルフ。あの時、頭の中で聞こえた声の主の名前。

「まさか……彼の守りたい人って……」

 目の前にいる、この女の子?
 だとしたら、ロルフ……人選を間違っているかもしれない。
 どうやら俺は、ただの専業主夫から異世界の最強守護者に転生してしまったらしい――。