「戸倉先輩、一緒に帰りましょう」
 更に翌日の放課後、廊下に出たら橋元が待ち構えていた。昼休みにも会ったばかりだというのに。
「なんだよ急に……お前逆方向なんだろ」
「でもせっかく合法的に一緒に帰れるので」
「言い方がなんか嫌だけど」
「彼氏なら放課後デートするのも普通ですよね?」
 彼氏……放課後デート……頭が痛くなるワードだ。しかしこいつのしつこさを考えると、一度行ってやらないと家までついてくるだろう。仕方ない、さっさと済ませよう。
「行きたいところは?」
「うーん、そうですね……カラオケとかネットカフェとかはどうですか?」
 密室ばっかり提案するな。


 結局ゲーセンに寄った。人目があるところなら法に触れるようなことはしてこないだろう。
 橋元は物珍しそうにクレーンゲームを眺めている。
「僕、ゲームセンターって初めて来ました」
「え、初めて?」
「はい、こういうところは中学までは親に禁止されていたので、怖いイメージがあったんです。でも偏見だったんですね」
 実は橋元は育ちが良かったり、どこぞのお坊ちゃんだったりするのか? 少なくとも世間知らずというか常識から外れていることは言うまでもない。
「あ、あれって先輩の好きな漫画ですよね?」
 橋元が指差した筐体の景品は俺の好きな少年漫画の主人公のフィギュアだった。この際何故好きな漫画を知られているのかは訊かないことにする。
「先輩、これ欲しいですか?」
「まあ……あったら嬉しいかも」
「やってみます!」
 橋元はブレザーの袖を捲った。気合いは十分だが初めての奴が取れるとは思えない。
「絶対取れないって」
「じゃあ取れたらご褒美ください」
「ご褒美って何だよ」
「ふふふ」
「怖いからやめろ」
 止めるのも聞かず、橋元は百円玉を入れた。真剣な表情でアームを操作する横顔を見ていると本当に顔だけは無駄にいいなと思う。
 それから何回か挑戦したが全く取れる気配はない。
「思ったより難しいですね……」
「そりゃそうだろ、そんなに簡単に取れねーよ」
「先輩にプレゼントしたかったです」
「……気持ちだけもらっとく」
 そう言うと橋元は何故か嬉しそうに顔を綻ばせた。

 フィギュアは諦めて、隣のクレープ屋に移動した。
「先輩はいつもいちごクレープですよね」
「……うん」
 もうツッコむ気にもなれない。
 店外のベンチに並んで座り、クレープを頬張る。橋元はチョコバナナクレープだ。
「バナナ好きなの?」
「はい。でも何でも食べますよ。嫌いなものはないです」
「へえ……」
 そういえば、橋元自身についてはあまり訊いたことがない。知っているのは顔と名前とクラス、そして俺のことがやたらと好きということくらいだ。
「橋元って中学の時どんな感じだったんだ?」
 そう尋ねると橋元は目を丸くした。
「戸倉先輩、まさか僕のことを知りたくて仕方ないんですか?」
「そこまでじゃねーよ! ただ、俺のことばっかり知られてて不公平だと思っただけだ」
 そう、一週間だけとはいえ一応付き合っているのだから、対等であるべきだ。橋元は残りのクレープを食べきってから俺に向き直った。
「僕、あんまり友達がいませんでした」
 意外だ。これだけ顔が良ければ人が集まってきそうなのに。やっぱり変人だからか?
「うちの親、結構厳しいんです。誰かの家に遊びに行ったり寄り道したりも駄目だって言われていて……いつも一人でまっすぐ帰ってました」
「なんか大変そうだな」
「その時はそれが当たり前でしたから。それに、高校生になったら少し緩くなったんですよ。だから今は、こうして先輩とデート出来てるんです」
 橋元はにこにこ笑っている。あまりデートと言わないでほしいが、それを言い出せる雰囲気じゃない。
「実は僕、買い食いするのも今日が初めてなんです。戸倉先輩と……好きな人と一緒に来れて良かったです」
「……」
 あんな些細なきっかけで何故ここまで好かれているのか疑問だったけれど、その理由が少しだけ分かったかもしれない。
 さっさと済ませようと考えていたことが申し訳ないような気がしてきた。こいつ、怖いしヤバい奴だけど、悪い奴じゃないのかも……。
 いやいや、なに絆されてるんだよ。落ち着け。俺は考えを振り払うように頭を振った。
「僕、先輩にお願いがあります。次の日曜日、デートしてもらえませんか」
「え……」
 橋元に告白されたのは月曜日。つまり、次の日曜日は恋人期間の最終日だ。
「その日が最後だって、ちゃんと分かってます。だからお願いします」
「……」
 懇願するように言われたら断れず、俺は小さく頷いた。


 金曜日は帰り際に泣かれた。土日は学校が休みで、合法的に俺のことを観察できないから寂しいらしい。怖くてちょっと引いた。
 また翌日の土曜日は一日中メッセージが届いたり電話がかかってきたりした。何故か俺が暇な時にばかり連絡が来た。部屋を隅から隅まで探しても、監視カメラも盗聴器も見つからなかったのが逆に怖かった。

 そして約束の日曜日。橋元たっての希望で向かったのはハリネズミカフェだった。
 橋元はハリネズミを撫でながら幸せそうに微笑んでいる。
「動物好きなんだな」
「はい、前にテレビで見てからずっと来てみたいと思ってたんです。特にハリネズミは戸倉先輩に似ているので」
「そんなの言われたことないけど」
「ほら、この子なんて先輩そっくりじゃないですか?」
 橋元は手のひらの中で眠ってしまったハリネズミを俺に見せてきた。似てる……とは思えない。俺のことどんな風に見えているんだろう。
 俺はハリネズミ用のおやつを買ってみた。自分の手から直接食べてもらえると嬉しくなる。
「可愛いな」
 自然にそうこぼすと、橋元は驚いた表情で俺の顔を見つめてきた。
「先輩、今初めて笑ってくれましたね」
「え……そうか?」
「はい、すごく嬉しいです!」
 俺、笑ってたのか? 無意識だった。
 まあでもこれは別にこいつと過ごすのが楽しいからじゃなくて、ハリネズミが可愛かったからに他ならない。つまりノーカンだ。

 一時間ほどハリネズミと戯れて心が満たされたところで、次は腹を満たしたくなった。橋元はファミレスのメニューをまじまじと眺めた。
「まさか……初めてとか?」
「いえ、何年か前に来たことはあります」
 年単位かよ。やっぱりこいつお坊ちゃんだな。
「橋元、なに食う? 俺のおすすめは包み焼きハンバーグだけど」
「はい、知ってますよ。前にも食べてましたよね」
 前っていつだよ、お前とは来たことないだろ。しかしこの一週間こんなツッコミをし続けた俺にはスルースキルが身についていた。
 結局橋元は俺と同じ包み焼きハンバーグを注文した。アルミホイルを開くと中からたっぷりのデミグラスソースと熱々のハンバーグが顔を覗かせた。
「いただきます」
 一口食べれば肉汁が溢れてきた。いつもの味だ。安定しておいしい。
「おいしいですね」
「だろ? ここのいちごパフェもおいしいんだよ」
「先輩、本当にいちごが好きですよね。可愛いです」
「……バカにしてない?」
「褒めてるんですよ。そういうところが大好きです」
「……」
 いちご好きが可愛いのかどうかはともかく、思わぬところを褒められるのは落ち着かない。なんだか胸の奥がむず痒いというか……今までに味わったことのない感覚だ。
「……パフェも頼もう。奢ってやるから」
「そんな、僕もちゃんと払いますよ」
「いいよ、この前ゲーセンで金使わせちゃったし」
 すると橋元は途端に目を輝かせた。
「ありがとうございます。じゃあ僕は先輩にあーんしてあげますね」
「マジでやめてくれる?」
 それはお礼じゃなくて罰ゲームだ。

 あーん攻撃から逃れつつパフェを食べ終わり、店を出た。橋元は俺だけじゃなく、店員にも「ありがとうございました、ごちそうさまでした」と頭を下げていた。やっぱり俺に対してのヤバさを除けば悪い奴じゃないと思った。
「全部おいしかったですね」
「そうそう、俺はこのくらいの味つけが好きだから、弁当の参考にしてみなよ」
 何気なく言うと橋元は困ったように眉を寄せた。
「先輩、今日が最後ですよ」
「あ……」
 そうか、そうだった。明日からは他人に戻るんだ。あの不器用で微妙な弁当はもう食べられないのか。
 一週間で橋元の料理の腕はほんの少しだけ上がった。まだおいしいとは言い切れないけれど、俺の好みに合わせようとしているのは分かったし、指の絆創膏も減っていた。もう少し上手くなったらおいしいと素直に言おうと思っていたのに……。
「……」
 ……いやいやいや、寂しくなんかない。落ち着け。微妙な弁当より購買のパンの方がいいだろ。
「戸倉先輩、明日からもちゃんとバランス良く食べてくださいね」
「分かってるよ……」
「僕、先輩には健やかに大きく育ってほしいんです」
 保護者か。



 駅までの帰り道、途中にある公園に立ち寄った。ベンチに並んで座り、大きな噴水を眺める。水飛沫が日光を反射してきらきら輝いていた。
「戸倉先輩、今日はすごく楽しかったです。これからの人生、ずっとこの思い出を胸に生きていきますね」
「ああ、うん……」
 相変わらず重い。
「一週間付き合ってくれてありがとうございました」
「……橋元は、明日から今まで通りに戻れるのかよ」
「はい……寂しいですけど、そういう約束なので」
「……」
 この一週間、俺たちがしたことといえば弁当を食べたこと、放課後に寄り道をしたこと、そして今日のデートくらいだ。恋人っぽいことなんてろくにしていない。
 今日が最後だと分かっていながらデートをするのはどんな気持ちだったんだろう。橋元は本当に楽しめたんだろうか。
「あのさ……最後だし、手でも繋ぐ?」
 俺はスニーカーの爪先を見つめながら呟くように言った。やけに緊張していた。
 別に仲良くお手手繋いで歩きたいわけじゃない。でも最後くらい、少しくらいは良いかと思った。
 橋元は大喜びで俺の手を取る──かと思いきや、ゆっくりと首を横に振った。
「いえ、いいです」
「でも、これが最後なのに……」
「今繋いだら、離せなくなってしまいそうなので」
 そう言って笑った橋元の目は寂しそうに俺を見つめていた。



 翌朝からおはようのメッセージが来なくなった。俺は少しだけ寝坊した。
 通学路や校内で時々周りを見回してみたが、橋元の姿はなかった。どうやら俺のあとをつけるのもやめたらしい。先週までのことが夢だったかのように、今まで通りの日常が戻ってきた。
 昼休みになっても弁当を届けに来る奴はおらず、購買でパンを買った。一週間ぶりに食べる焼きそばパンはおいしかったけれど何かが足りない。
「今日はあのイケメン後輩くん来ないんだな」
 友達にそんなことを言われて、何て返せばいいのか分からなかった。
 あいつに付きまとわれて迷惑だったし、一週間経ってやっと解放されたはずだった。それなのに、このモヤモヤは何なんだろう。


 複雑な気持ちを抱え始めて一週間後、下校時に一人で歩く橋元の姿を見かけた。そういえば、中学時代は友達がいなかったと言っていた。今でもいないのか? モテることと友達がいることは別らしい。
 橋元の背中は寂しそうに見えた。また寄り道もしないでまっすぐ帰っているんだろうか。ゲーセンもファミレスも行くことはないんだろうか。
「あーもう、おかしいだろ……!」
 俺は頭を抱えた。あんなに怖くてヤバい奴のことが何でこんなに気になるんだよ!