「戸倉先輩、お弁当作ってきました」
 翌日の昼休み、購買に向かおうと廊下に出た俺を待ち構えていたのは橋元だった。その手には弁当箱が二つ。
「一緒に食べましょう」
「えー……」
 全く気が乗らない。確かに付き合うとは言ったけどベタベタされるのは嫌だ。
 第一、今時彼氏──という呼び方も不本意だけど──のために弁当作る奴なんているのか? 妙なこと企んでないだろうな。
「何が入ってるか分かんなくて怖いんだけど」
「中身は唐揚げと、卵焼きと……」
「おかずの話じゃねーよ!」
 わざとなのか天然なのか知らないが微妙に話が噛み合わない。こいつと話していると疲れる。
「先輩はいつも購買のパンですよね。確かにおいしいですけど栄養が偏りそうで心配です」
「何で俺の昼飯事情を知ってるんだよ。つーか、いきなり持ってこられても困る」
「でも僕たち、昨日から付き合ってるので……」
「いいから持って帰れよ!」
 イライラしてつい声を荒げたら、橋元は肩をびくりと跳ねさせ、そして悲しそうに眉を下げて俯いた。
「すみませんでした……」
 大声を出したせいか人が集まってきた。
 ……ちょっと待て。これだと俺が下級生をいじめてるみたいじゃないか? 周囲からちらちらと向けられる視線が痛い。このままでは俺の立場が危うい。
「あー……分かった。分かったよ。食うから」
「え……?」
「だからそんな顔するなよ」
 仕方なく弁当箱を受け取ると橋元は一瞬ぽかんとして、すぐに感激のあまり全身を震わせた。怖い。


 何がなんでも一緒に食べたいと言う橋元を断りきれず、二人で屋上へ移動した。こんな寒い時期に屋上で飯を食うのなんて俺たちしかいないが、人前でこいつと過ごすくらいなら俺は寒い方を選ぶ。
 弁当箱を開けると中には唐揚げ、卵焼き、ミニトマト、ブロッコリー、そしてご飯の上に桜でんぶでハートが描かれていた。周りに誰もいなくて良かったと心の底から思った。
「……いただきます」
 期待に満ちた表情で見つめられながら卵焼きを齧ってみる。
「どうですか? おいしいですか?」
「……うーん、まあ……」
 正直そんなにおいしくない。焼きすぎた卵は少しパサパサしていた。
 次に食べた唐揚げは硬くて、ブロッコリーはしなしなだった。多分揚げすぎに茹ですぎだ。
 意気揚々と弁当を持ってきたくらいだから、てっきり料理が得意なのかと思ったけれど、そういうわけじゃないらしい。
「橋元、普段料理するの?」
「いえ、あんまり……。でも戸倉先輩に食べてもらいたくて、頑張って作りました。もしかしてお口に合わなかったですか?」
「いや……何て言うか……」
 ここは素直に微妙だったと言うべきか……。言ってやるのも本人のためかと思い、決心して口を開こうとした瞬間、橋元の両手の指先にいくつか絆創膏が貼られていることに気づいた。
「それ……」
「あっ……、これは、その……転んだんです」
 橋元は慌てて両手を背中の後ろに隠した。転んだなんて絶対に嘘だ。きっと慣れない料理で手を怪我したんだろう。それを見たら何も言えなくなった。

 昼休みの終わりに、どうしてもとせがまれて連絡先を交換してしまった。
 橋元は「合法的に戸倉先輩の連絡先が手に入って良かった」と嬉しそうにしていた。非合法な手段については訊かないでおいた。
 そしてこの日の夜から毎日俺の起床時間と就寝時間にアラートのごとくおはようとお休みのメッセージが届くようになった。怖かった。



 翌日もまた弁当を持ってこられた。いらないと言っても無駄なことは昨日で学習したので、諦めて屋上へ向かった。今日も寒い。
「今回は自信作です!」
 差し出された弁当箱の中には豚の生姜焼きがみちみちに詰まっていた。そしてご飯には桜でんぶのハート。昨日で味を占めたな。
「戸倉先輩、豚の生姜焼き好きですよね? たくさん食べてくださいね」
「何で俺の好物知ってるんだよ」
「前にSNSに書いてたじゃないですか」
「何で俺のアカウント知ってるんだよ」
「ふふふ」
 笑って誤魔化すな。余計怖いわ。
「……いただきます」
 渋々箸を持ち、彩りの悪い弁当に手をつける。豚肉は硬く、味が薄い。食べられなくはないけれど、おいしいかと言われると……。
「どうですか?」
「うーん……まあ……」
 橋元の指先の絆創膏は昨日よりも増えている。正直には言いづらい……。
「俺はもうちょっと味が濃い方が好きだな」
 言葉を選びに選んで絞り出すと、橋元は大きく頷いた。
「分かりました。戸倉先輩に満足してもらえるように明日からもがんばります」
「いや別にいいから」
「そういうわけにはいきません。一週間だけとはいえ、僕は先輩の彼氏なので!」
 胸を張る橋元の様子を見て、何で付き合うなんて言ってしまったんだろうと後悔した。早く一週間過ぎてほしい。
「そもそも何で俺? 俺たち接点ないだろ」
 昨日一晩考えたけれど、今までに橋元と話した記憶はなかった。俺は部活にも委員会にも入っていないから、下級生と関わること自体がほぼない。すると橋元はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに身を乗り出した。
「接点ならちゃんとありますよ」
「そうだっけ?」
「はい、あれは一年と少し前、まだ僕が中学三年の頃……」
 なんだか長い話になりそうだ。俺は姿勢を正した。
「ある雨の日曜日のことでした。模試を受けるために電車に乗っていたら、ついうとうとしてしまったんです。気づけば降りる駅に着いていて、慌てて降りようとしたら後ろから『傘忘れてるよ』と声をかけてくれた人がいました。まさに青天の霹靂、他人との繋がりが希薄な大都会でこんなに親切な人がいるなんて感激しました。もう一度会いたくて、毎日同じ時間の同じ電車に乗ってその人を探しました。そうしたらついにこの高校の制服を着ている彼を見つけることが出来たんです。そして志望校をギリギリで変更して無事に合格しました。その運命の相手こそが戸倉先輩だったんです!」
「……へえ……」
 相槌を打つ間すらなく、畳み掛けるように語られて俺は圧倒された。ていうか接点ってそれ? そんなことあったっけ? それだけで特定されるの怖すぎない?
「入学してすぐに戸倉先輩を見かけた時には感動で打ち震えました。でも声をかける勇気がなくて、いつも遠くから見つめたりあとをつけたりしてました。楽しそうに笑う顔やご飯を残さずたくさん食べる姿が素敵で、先輩のことを知れば知るほど好きになっていきました」
「今さりげなくあとつけてたって言ったな」
「先輩と同じ空気を吸っているだけで幸せでした。でも先輩は来年で卒業……。勿論大学も同じところに行くつもりですけど、その間は離ればなれになってしまう。そう思ったら居ても立ってもいられなくて、勇気を出して告白したんです」
 一応、橋元の言いたいことは分かった。あとこいつが思っていたよりもヤバい奴だということも分かった。どこに進学するのかは絶対バレないようにしなくては。
「……一週間後には別れること忘れるなよ」
「はい、分かってます。僕、約束は守りますから」
 本当だろうか。信用ならない……。

 話し終えてから微妙な弁当を完食した。食べ物を粗末にするわけにはいかない。
「明日は何がいいですか? ハンバーグ? ミートボール? それともまた唐揚げにしますか?」
「何でもいいよ……」
 やっぱり俺の好物は全部把握されているようだ。部屋にカメラや盗聴器が仕掛けられてないか探そう。
 弁当箱と割り箸をまとめて返そうとして、ふと手を止めた。
「……この割り箸、ちゃんと捨てるんだよな?」
「ふふふ」
「……」
 割り箸は自分で捨てることにした。