喜与はたびたび深夜に名月神社に来るようになった。毎日ではないし、何日か来ないこともざらにあった。それでも来るのは決まって夜が更けたしんとした真夜中だった。

喜与は伴藤家の嫁で、使用人のような扱いを受けている。けれど嫁としての役割も求められ、跡継ぎを生めと重圧をかけられているのだと教えてくれた。

「子ができないと私の居場所はなくなるのです」

「そうか」

「このままできなかったら、追い出されてしまうのかしら?」

「そうなったらここに来ればよい」

「ふふっ、嬉しい」

お互いに、半分冗談で半分本気の言葉だった。
喜与は涙こそこぼさなかったものの、瞳はゆらりと弧を描いて、そして儚く微笑む。辛いのだろうなと思ったが、何もしてやることができない。ただ、一緒に草花を愛で、喜与の話を聞いてやるだけだった。

「月読様といるときが一番楽しいです」

「私もお主の話を聞いているのが楽しい」

「たまには月読様のお話もお聞かせください」

「面白い話など持ち合わせておらぬ」

「面白くなくていいのです」

「ふむ……。では何か聞きたいことはないか? 答えてやろう」

そう伝えれば、喜与はうむむと一生懸命に考え始めた。そして「あっ!」と思い出したように目をくりっとさせた。

「月読様は何の神様ですか?」

「私は夜の神だ」

「夜の神?」

「私はこの神社からこの世の夜を見守っている。私がここから離れると、昼と夜の均衡が崩れるのだ」

「それってものすごく重要な役割ですよね?」

「そうだろうか?」

「そうですよ。だって夜が来るから、人は眠りたいと体を休めることができるのです。ずっと昼だったら働きづめですよ」

「それは喜与が働き者だからだろう」

「では、どこかに行ってみたいと思ったことは?」

「考えたこともなかったな」

本当に、自分の当たり前を少しずつ壊されていく。与えられた役割に疑問を持つこともなかったし、それに歯向かおうなどとも思ったことがなかった。自分に持ち合わせていなかった新しい考えを、喜与に教えられていく。