虐げられた花嫁は神様と泡沫の愛を誓う

澄んだ空に花が舞う。
粛々と婚儀が執り行なわれたこの良き日。
二十ニ歳になった私は晴れやかな気持ちに、これからの新婚生活が地獄の始まりになるとは、まったく想像もしていなかった――

「不味い」

冷たく一言、突き放すように言われた言葉がグサリと胸を刺す。

「ほんっとに、料理も掃除も手際が悪いったらありゃしない」

旦那様とお義母様が箸と茶碗を投げつける。反論することを許されない私は、畳に手をついて「申し訳ございません」と頭を下げた。

どんなに辛くて苦しくても、助けてくれる人は誰もいない。伴藤(ばんどう)家と結婚したのが運の尽き……。いや、結婚したことで大嫌いな実家から出られた。どちらが良かったのだろう。きっと、どちらでも変わりはしないのだろうな。

「せめて男子を産んでちょうだいね。それくらいならできるでしょう?」

お義母様は吐き捨てるように言うと、機嫌悪く部屋を出ていった。旦那様も私の味方をしてくれることはなく、「男子だからな」と釘を差してからお義母様の後を追った。

残された私は、ただ黙々と後片付けに励む。
毎日がしんどいけれど、もう慣れた。慣れたらいけないような気はしているけれど、そうやって自分に言い聞かせないと、ここでは過ごしていけない。

せめて男子を身籠ることができたなら、何か変わるだろうか。褒められるだろうか。大切にしてもらえるだろうか。

下腹をさする。
今回もまた、だめだった。

旦那様とは部屋が別だ。私は旦那様の妻なのに、まるで伴藤家の使用人のような扱いを受けている。けれど、旦那様の気分次第で寝所に呼ばれ、その時だけは妻のお役目とばかりに必要とされる。

必要とされているだけ、ましだろうか?

コトが終われば私は用済み。あとは無事に男子を身籠ることができたならいいのだけど。

そんな生活を、もう一年続けている。旦那様との行為は、子どもをこさえるだけの作業。元々この結婚に私の意思はなかったし、旦那様もお義母様に言われるがまま。お義父様はお義母様の尻に敷かれ、実質伴藤家はお義母様が牛耳っているのだ。

そして、私は一向に子を身ごもる気配がない。そのことについて、お義母様も旦那様も目に見えて苛立っているのが分かる。

「はぁ……」

体の気怠さを紛らわすため、外に出た。
今夜は月が明るい。

井戸で水を汲んで口を潤すと、火照った体に染み渡っていった。庭に植えられたキキョウが、緩やかな風に煽られて揺れる。

伴藤家はみな寝静まって、しんとしている。月明かりの中、草花を眺めるのが私の癒しだ。この時間だけは唯一私が自由でいられる時間。現実を忘れて、一人心を休めることができる。

――せめて男子を産んでちょうだいね

お義母様の言葉が頭から離れない。
それならば、神頼みでもしようか。

私はそっと屋敷を出て近くの神社へ向かった。
真っ暗な夜道を月明かりのみで進む。神社へ続く石段の両脇にはいくつか灯籠が立ち、ほんのりと淡い光を放っている。石段を登り切ると大きな鳥居が構え、その先に拝殿がある。

ふと、気配がして上を見上げた。鳥居の上に男性が座っている。時折吹く風が、男性の装束の裾を柔らかく揺らした。

その出で立ちはとても美しくて儚い。思わず見惚れてしまうほどだ。けれどすぐに現実を思い出す。

今は深夜でほとんどの人が寝静まっている時刻。こんな時間に神社にいるなんて、怪しいにもほどがある。しかも鳥居の上にだ。盗賊の類だろうか。だとしたら私は逃げるべきなのだけど……。

どうしてか逃げる気にはならなかった。
その光景がどこか神秘的で非現実的に思えたからだ。

(また私は見えて(・・・)しまっているのかしら)

そんなことを思いながら鳥居をくぐった。
少しばかり嫌な気持ちが呼び起こされ、考えないように頭をブンブンと振る。

ここ名月神社は、鳥居の奥に拝殿と本殿がポツンと建っているだけで、あとはまわりを木々に囲まれている、実に殺風景だ。ただ、空気だけはとても澄んでいて、月明かりに照らされた神社全体が不思議な力を宿しているように見えた。

神聖な空気の中、拝殿の前で手を合わせる。

(どうか男子を身籠ることができますように)

固く目を閉じて願いを込めてから、そうっと目を開けた。すると目の前に人が立っており、あまりの驚きに「きゃっ」と悲鳴を上げて尻もちをついてしまった。

「……すまぬ。まさか私の姿が見えるとは思わなかったのでな。驚かせてしまったか」

目の前の人は申し訳なさそうに詫びる。細くしなやかな銀色の髪が、風に揺れた。一見女性のように綺麗で繊細なその人を、私は男性だと思った。ただし、人間ではない別の何かの。

「あ、あの……」

「お主があまりにも熱心に拝んでいたから、気になった」

「は、はあ……」

害はなさそうだけれど、いったいこの人は何者なんだろうか。先ほど鳥居の上にいた人物と同じ、たおやかに揺れる装束を纏っている。鳥居を振り返ればそこには誰もおらず、さっきの人なのだと理解した。

私は幼い頃から、人には見えないものが見える。その見えないものが幽霊なのか悪霊なのか、詳しいことは何も分からないけれど、まわりからは誰もいない空間で誰かと話をしている気味が悪い子だと、避けられ疎まれてきた。

両親でさえ私を気持ち悪いものと扱い、早く家を出したくて堪らなかったようだ。ちょうどうまい具合に伴藤家との縁談の話がまとまり、厄介払いができたとばかりに早々と家を追い出されで今に至る。

「あの、あなたが何者かわかりませんが、鳥居の上に座るのは罰当たりですよ。神様に失礼ではありませんか?」

「なるほど。それは気付かなかった」

彼はうむ、と腕組みをする。
とても悪びているようには見えない。

「……あなたはここで何をしているのですか? 見たところ人間ではなさそうですが。成仏できない幽霊ですか?」

「お主はおかしなことを言う」

彼は楽しそうにくっと微笑む。
私は何も楽しくない。この奇妙な出来事に自ら首を突っ込んでしまったことに、若干後悔の念がわき起こった。無視をしておけばいいものの、いつもこうやって関わりを持ってしまう。だからまわりから気味悪がられるのだ。私の悪い癖だとは思うけれど、どうにも治らないようだ。

「私が幽霊だというのなら、お主はどうするのだ?」

「え? そうですね、残念ながら除霊はできないので、話し相手くらいにしかなれませんが」

「では、話し相手になってもらおう」

そう言うやいなや、私の体は彼によってひょいっと持ち上げられる。

「きゃあっ」

「暴れるな、馬鹿者」

どんどん高くなる視界。彼は私を担いだまま、鳥居の上までふわりと跳んだ。

「バチ当たりです!」

そう叫んだものの、あまりの高さに恐怖で彼にしがみつく。ふわっと甘い香りが鼻をかすめ、少しだけ落ち着きを取り戻した。

「今夜は月も星も綺麗に見える」

彼が見上げる先、夜空にはこぼれんばかりの星が煌めいている。手を伸ばせば届きそう。

「うわぁ、すごい」

「そうであろう」

しばらく私は夜空を見上げていた。こんなに綺麗で吸い込まれそうな夜空がこの世界にあったんだと思うと、胸が苦しくなって涙が溢れそうになる。

「こんな夜更けに何をしに来た? 先ほどは熱心に祈っておったようだが? 女子の独り歩きは危ないぞ」

「男子を身ごもれるように神頼みに来ました」

「子ができぬのか?」

「はい……。神様にお願いしたら、きっと願いを聞いてくださると思って」

「神は万能ではないから、残念ながらお主の願いは聞いてやれぬ」

まるで私の行動を全否定されたような気がして、カッと頭に血が上った。鳥居の上に座るバチ当たり幽霊ごときに神様を悪く言われたくない。

「あなたに何がわかるんですか」

思わず詰め寄る。すると彼は透き通るような長く白い指で、私の頬をするりとなぞる。そして顎をくっと掴んで彼の方を向かされる。視線が交わり、時が止まったような気がした。

「私は幽霊ではない。神だ」

瞬間、星が流れた。
幾重にも重なる煌めきが、夜空を彩る。
こぼれ落ちそうな星々。
息をすることも忘れてしまう。

その神様の名は、月読(ツクヨミ)様といった。