「菊宮咲梨……ん? 菊宮は欠席か……誰か知ってる奴居るか?」
「え……」
翌日、菊宮さんは学校を休んだ。
放課後すれ違った彼女は、どこか危ない足取りだった。マスクをしていたのは、もしかすると体調が悪かったのかもしれない。
連絡もなく休むということは相当具合が悪いのかと心配になるものの、ただのサボりではないかとも考えてしまう。
わたしにとっては、せいぜい放課後すれ違っただけのクラスメイトだ。派手な見た目の彼女とは、ろくに話したこともなかった。
どちらにせよ、今日の欠席と放課後の目撃情報は関係ない。わたしは菊宮さんを意識の端に追いやり、今日もまた、居場所のない教室で息を潜めながら耐え抜いた。
放課後になり、ようやく息が吸える時間になる。わたしは約束の時間にカウンセリングルームに行き、その日も光見先生との時間を楽しんだ。
わたしの言葉を急かしたり否定しない彼となら、取り留めのない会話も自然と交わせるようになっていた。わたしにとって、この空間が、彼の存在がどれだけ大切なものか改めて感じる。
「あれ……? 先生、そこ、ソファーの下に、何か落ちてます」
「え?」
窓から西日が差し込む頃、ふと見慣れないキラキラとしたものが視界に入る。指差した先、屈んだ先生が拾い上げたのは、小さなピアスだった。校則違反のそれは、昨日すれ違った菊宮さんの耳に煌めいていたものだ。
「おや、本当だね……誰かの落とし物かもしれない。教えてくれてありがとう。後で落とし物箱にでも入れておくよ」
「あ、それ……たぶん菊宮さんのです」
「……菊宮さん?」
「はい。同じクラスで……昨日、わたしの後にカウンセリング受けに来てましたよね? その時落としたのかも……」
何気ない会話も、彼とならスムーズに出来る。ちょうど話題が出来たことに浮き足立っていると、不意に目の前の先生の表情が、温度を失ったように消え失せる。
「……菊宮さんは、昨日ここには来ていないよ」
「え……っ? でも……」
「ああ、もしかしたら、このピアスは僕の妹のものかもしれない」
「妹、さん?」
「うん。鞄かどこかに引っかけてしまったのかも。持って帰って聞いてみるよ」
思わずびくりとしたけれど、先生の冷たい表情は一瞬だけで、見間違いだったのかもしれない。ピアスを白衣のポケットにしまうと、すぐにいつもの優しい顔になり、手元のバインダーの手書きの予約リストを見せてくれる。
「昨日は日辻さんが最後の予約だったからね。……ほら、記録にもないだろう?」
そう言って見せてくれたリストに、確かに菊宮さんの名前はなかった。
わたしが頷くと、先生は悪戯っ子のように人差し指を口許に寄せて、秘密だと合図する。
「ふふ、相談者リストを他の生徒に見せるなんて、プライバシー的にNGだから……今日のことは、二人だけの秘密だよ?」
「……! はいっ」
「さあ、ハーブティーが冷めてしまうよ。美味しく飲んでほしいな」
「あっ、はい。いただきます」
ほんの少しの違和感も疑念も、彼との秘密を得た高揚で埋め尽くされる。妹さんが居ることも初めて知れた。彼のことを知ることで、より距離が近付いた気がする。
その日もわたしは、幸せな気持ちのまま放課後を過ごした。
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