学校の屋上は夏の匂いに満ちていた。
初夏の刺すような陽射し。澄んだ青い空にもくもくとした入道雲が浮かんでいる。
制服もブレザーから夏服の半袖に変わった。
暑いのは苦手だけど、クーラーの効いた部屋で陽向と過ごす時間はただただ尊い。
最近ではいっしょに動画を撮ったり、他愛もない話をしたりするほかに、「俺にギターを教えてほしい!」と話す陽向といっしょに楽器の練習もしたりしている。
こんな日を――俺はずっと待ち望んでいたんだ。
何年も前から、ずっと。
昼休みが終わるまではまだ20分ほど時間があった。
手すりに寄りかかって空を見上げていると、屋上のドアが音を立てて開く。
「……来たよ、南」
彼は辺りを気にしながら、おそるおそるこっちに近づいてきた。
「待ってたよ。春日颯太」
屋上に俺以外の人がいないことを確認してようやく落ち着いたのか――陽向の友人である春日は隣に並び、溜めていた息を吐き出した。
「悪かったな。呼び出して」
「……いいよ、べつに。最近知り合った仲でもないんだし」
「相野に見つからなかった?」
「ちゃんと避けて来たから、大丈夫だと思う」
「そっか。ならよかった」
俺はズボンのポケットから、用意していた五千円札を取り出して春日に渡す。
春日は「サンキュ」と短く礼を言ってから、不満げに口を尖らせた。
「……もうちょっとあると思ってたわ」
「ジュースでもおごろうか? 紹介料としては十分だと思うけど」
「知り合いの女子使って、パンケーキの店で写真も撮っただろ」
「ああ、あれはよく撮れてた。……ありがとな」
そう言って半分に折った五千円札をもう一枚渡すと、春日は太陽みたいな笑みを浮かべた。
「これなら満足! ほかにやってほしいこととかあれば何でもやるぜ、インフルエンサーさん」
「……現金なやつ。でも、頼りにしてるよ。本当に」
俺と春日颯太は、じつは小学校のときに1年だけ同じ塾に通っていたことがある。
俺がすぐに転校してしまって、それから連絡も取っていなかったのだけれど……高校に入って陽向のクラスメイトについて調べているときに偶然気がついて、すぐに声をかけた。
この計画自体は、高校入学前からのものだった。
陽向が初めて動画をインターネット上にアップした、中学2年の秋から――。
春日が手すりから身を乗り出し、スマホの画面を指でなぞりながらつぶやいた。
「バズったみたいじゃん。動画」
「おかげさまでね」
「最近、タイムラインがお前とひなたばっかで飽きるわ~」
「コラボ動画が良かったんだろ。あれからも定期的に撮ってるし」
「すっかりコンビ売りって感じじゃね?」
「そう見えてるなら嬉しいな。……俺にはまだまだ陽向が足りないけど」
「強欲だよね、南って。昔からそうだったもん。一度欲しいって思ったら、全部手に入れるまで気が済まないタイプ」
「そうだっけ」
「そうだよ。執着心としつこさだけで生きてるって感じ」
「褒めんなよ」
「褒めてねぇわ」
照れ隠しのように春日の背中を強く叩くと、「落とす気かよ!」と足を蹴られた。
「でも……フツーに疑問なんだけどさ、なんでそんな回りくどいことするの?」
「回りくどいって?」
「どうして、『俺も配信者なんだよね』って自分から声かけに行かなかったのかってこと。わざわざあいつがアンチに困ってるシチュエーションでさ、俺がお前のことを紹介してひなたを誘導するみたいな……なんでそんなことしたのかを訊きたいんだよ」
そう不審げに首を傾げる春日。
こっちこそ、どうしてそんなことを尋ねるのか訊きたいくらいだ。
……自分にとって重要なことなら、より確実な方法を取るのは当然のことだろうに。
「配信者同士だから仲良くなれる、みたいな理屈は俺にはよくわからないな。同じ趣味でも気の合わないやつはいるし。……ただ、もし困ってるときに自分に手を貸してくれるやつがいたら、誰だって『ああ、いい奴だな』とは思うんじゃね?」
「そりゃあ、そうだけど……」
「そっちの方が信頼されやすいし、確実に貸しができる。貸しができれば、次の約束も取りつけやすくなる。一度関係ができれば、そっから仲良くなるのは難しくない」
「でも、それって……あんまり自然じゃないよな?」
「自然じゃないから、何? ……俺は陽向にとっての特別になりたいんだよ。お前みたいに友達のポジションが欲しいわけじゃない。世界でいちばん俺のことを好きで、気にかけてて、困ったら真っ先に頼るくらいの……そんな唯一無二の存在になりたいんだ。
陽向ってすげぇきらきらしてて、かわいいだろ? だから俺がそばにいないと無理って思うくらいもっと依存させて、俺の言うことなら何でも聞くようにして、俺の好みに変えていきたい。動画もギターもぜんぶ陽向に近づくために始めたことだし、いつか来るこういう機会のためにずっと頑張ってきた。俺があいつの隣に立つために、どれだけ努力したかなんて……春日にはわかんないだろ」
「いや、わかんないとかじゃなくてさ……ちょっとヤバいよ、お前」
「何が」
「狂気じみてるって。……なぁ。もしかして、あのアンチのアカウントもお前の仕業……?」
「それだけはない。べつの『きし』ってアカウントでネットストーカーしてたのは事実だけど、陽向を傷つけるようなことは絶対にしたくないから」
「なら、いいけどさ……」
そう、気まずそうに目をそらしながら言う。
「そういう執着心って、いつか身を滅ぼすんじゃね」
「忠告どうも。金も渡したし、用は済んだよ。……このこと、陽向に言ったらどうなるかわかってるよな?」
「……わかってるって。俺もあいつに嫌われたくないから、言わないよ」
春日はまだ何か言いたそうにしていたものの、踵を返して屋上のドアに手をかけた。
すぐに階段を下りる音が聞こえてくる――はずだったが、いつまで経っても何の音もしない。妙だと思って振り返ると、そこに思いもよらない姿があった。
「……陽向……」
紙パックのジュースをふたつ持って固まっている。
それだけで、何となく状況を把握した。
昼休みに、どこにもいない自分の姿を探してくれていたんだろう。
身体が芯から熱くなってくる。
陽向が、俺を探してくれていた――。
「ひなた……どこまで、聞いて」
「そうちゃ……南と知り合い……? お金って……何の、はなし」
「教室戻ってていいよ、春日。俺からちゃんと説明しとくから」
そう横やりを入れて、春日を逃がした。
いま適当なことを言われると、あとで面倒になりかねない。
混乱している様子の陽向にかけ寄って、塔屋の壁を背もたれにそっと床に座らせる。
「悪い。探してくれてたんだな」
「や、べつに……それより俺……あの」
「聞いてたの、話」
「ご、ごめん……盗み聞きするつもり、なかったんだけど……俺の名前が聞こえたから……」
「どこから聞いてた?」
「誘導がどう、とかって……あと、ネットの『きし』がお前だって話も……」
こっちを見上げる視線が定まらず、怯えているように見えた。
「……変なこと聞かせて悪かったよ」
「なぁ、お前って……!」
「ちゃんと説明させてほしい」
そう言って、彼の髪をすくように撫でる。
いつものように。……いつもどおりに。
小さくうなずいた陽向のこめかみから汗が滴っているのを眺めながら、俺はゆっくりと話し始めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
わけがわからなかった。
昼休み。クラスで弁当を食べ終わって、南と新しく出した動画のことについて話そうと自販機でジュースを買って部室まで行った。
「あれ、誰もいない……」
普段なら部室でゲームでもしながら、だらだらと昼ごはんを食べているイメージだったので、拍子抜けして今度は教室を探しに行く。
「南、どこ行ったか知らない?」
以前の女子グループに聞いても誰も見ていないらしく、クラスメイトのひとりが「さっき旧校舎で見たよ」と話していたので、いちおう見ておこうと思って屋上まで来てみたのだ。
階段を上がると、話し声が聞こえた。
動画がバズった話と声ですぐ「南だ!」とわかったものの、もうひとつの声にも心当たりがあった。
(なんで、あのふたりが……?)
最近仲良くなった南と、幼なじみの春日颯太。
ふたりが話しているところなんて見たこともないし、友達だという話も聞いたことがない。
静かに耳を傾けていると、どうやらアンチに困っている俺に「5組の南に聞いてみたら?」と勧めたのは、颯太本人の意思じゃなく南の差し金だったらしい。
……いったい、何のために?
颯太にお金を払ってまで、なんでそんなこと?
そのまま話を聞いていると、南がおれに謎の執着をしていること、ネットのとあるアカウントを使ってコメントをしていたことはわかったのだが、聞けば聞くほどわけがわからなくなっていく。
しかも「俺に依存させたい」とか「言うことを聞かせたい」みたいな物騒な言葉が出てきて、余計によくわからなくなった。
冷たい紙パックのジュースと同じくらい汗をかいているのを感じながら、おれは塔屋の壁に寄りかかり、南にされるがまま髪を撫でられていた。
南も、ばつが悪そうに視線をそらしている。
「……本当は、聞かれたくなかった」
ぼそりと言いつつも、ゆっくりとひとつずつ話し始める。
小学生の頃、颯太と同じ塾に1年間だけ通っていたこと。
中学2年の秋に初めてアップされたおれの動画を見て、同じ高校に行こうと思ったこと。
『きし』というアカウントでコメントを送り続けていたこと。
お礼をするからという条件つきで、颯太におれを紹介するよう頼んだこと――。
「……気持ち悪い?」
「いや、わかんない……けど、なんで俺?」
「なんでって……」
南は遠くを見つめていた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ったけど、教室に戻る気分でもない。
「陽向が好きだから。……好きになったから」
「どこが」
「すべてが。楽しそうに踊ってるのも好きだし、歌ってるのも好きだし」
どんな反応をしたらいいのか、よくわからなかった。
気持ち悪いというよりは、得体の知れない感じがする。
「あ、あと……なんで嘘ついたんだよ。アカウントのこと」
「そりゃ、あんなにコメントしてたら気味の悪いストーカーだと思われてるかなって。中学2年からだからもう4年になるし、名前は……チェスでいうところの『騎士』のつもりだったんだよ。傷ついてほしくないって思ってたから、アンチのことはずっと気にしてた。どうにかしたいと思ってたし、それ以上に肯定的なコメントいっぱいしようって思って書き込んでた」
いつもは口数の少ない南が、妙に饒舌だった。
つい数時間前までは俺様クール系の相棒だったはずが、もう本当に同じ人物だとも思えない。
混乱していると、ふいに身体が南の影で覆われた。
壁際に追い詰められ、優しくそっと抱きしめられる。
「なぁ……今日のこと、なんとか忘れらんない?」
「や、さすがに無理でしょ……それは」
軽く抵抗したものの、逃れるのは難しかった。
「仲良くなるために小細工したのは悪かったけど、お前のことがちょっと好きすぎるだけだから」
「好きすぎるだけって言われてもなぁ……」
この場合は、その『好きすぎる』のが問題なのだ。
南は目的のためなら息でも吸って吐くように嘘をつくし、おれが部室に来ることなんて全然知らなかった顔をしてたくせに、裏では颯太に根回しして金を払ってた。
そんなの、友達としては信用のしようがなくて論外だし……とうぜん不愉快だ。
不愉快なはずだった。
(それなのに、どこか嫌いになりきれないのはどうしてなんだろうな……)
楽しかったメッセージのやりとりや、家に行っていっしょに動画を撮ったこと。
ギターを弾いて歌ったこと。
そのすべてが嘘のようにも思えず、困惑する。
ふと回された腕に力が込められ、ぎゅっと強く抱きしめられた。
「なぁ……南の好きって、結局どういう種類の好きなの」
南からの『好き』は十分すぎるほど伝わってくる。
歩みよる雰囲気を感じたのか、南の回答は早かった。
「頭からつま先、手の爪の先までぜんぶ俺のものにしたいっていう種類の好き」
「……じゃ、遠慮しとくわ」
抱きしめる力がさらに強くなり、「痛いって!」と声をあげると、さすがに解放された。
「今まで通りでいいんだけどな……。動画撮ったり、うち泊まったり」
「うーん……」
「でも、いいよ。色々とバレちゃったし、もう諦めるわ」
「……うん?」
意外とあっさり引いたな……。
そう思って拍子抜けしたのが悪かった。
ふいに顔が近づいてきたかと思ったら、唇にキスされた。
「……え」
一度離れたと思ったら、さらに深く口づけられる。
パニックに陥って引きはがそうとしたら、とっさに手首をつかまれた。
「んっ……う……」
たっぷり数十秒。好きにもてあそばれて、ようやく自由になった。
深く息を吐いて呼吸を整える。
「……南っ、お前なんてこと……諦めるんじゃなかったのかよ!」
「そろそろ海斗って呼んでほしいんだけど」
「質問に答えろよっ」
こいつの傍若無人っぷりに、さすがのおれも声を荒らげてしまう。
いきなり人のファーストキスまで奪ってくるとは思わなかった。油断した……。
「回りくどく攻めるのを『諦めた』ってだけ。ここからは正攻法で行こうかなって」
「正攻法って……」
「まっすぐ気持ちを伝えていこうってこと。……どうせ陽向、もう詰んでるし」
「詰んでる!? 何が」
「昨日出した動画でも見てみたら?」
おれはポケットからスマートフォンを取り出して、慌てて動画を確認する。
見慣れた画面に見慣れない数字。
再生数……220万!?
かすんでいく目を擦りながら、コメント欄を確認した。
●記事から飛んできました。一生推します!
●海斗、ずっと陽向のファンだったのエモくない?
●『かいひな』デビューおめでとう! 楽しみにしてるね~
デビュー……?
何のことかと思い、もう一度『かいひな』のワードで検索してみる。
冷や汗が背中を伝っていた。嫌な予感に手が震える。
「事務所っ……!!!」
元のネット記事によると、どうやらコラボ動画の好評を受け、おれの所属する事務所と南海斗のあいだでレコード会社との契約が進んでいるらしかった。
(いや……俺、何も聞かされてないんだけどっ……!!)
「ちょっ……待てって、これっ……!」
「放課後、俺も陽向の事務所までいっしょに行くからさ」
「なんでこんなに早くっ……!?」
「そのあと、俺の部屋で祝賀会でもする?」
「海斗っ……!!!」
名前を呼んでようやく目が合ったそいつは、「何だよ」とちょっと嬉しげな顔で言った。
「見ただろ、記事」
「見たけどさぁ……」
急展開すぎて、頭がついていかない。
その場に立ち上がった海斗にあごを持ち上げられ、ついでに両手で頬をはさまれた。
「俺から逃げられるなんて、思わないようにな」
まるで刑でも宣告するような響きなのに、海斗はまるで新しいおもちゃでも見つけた子どものように無邪気に笑っている。
背中をぞくりとした何かが駆けていった。
得体の知れない……恐怖にも似た何か。
「お前、怖いよ……本当に」
「そんな、褒めんなよ」
「まったく褒めてねぇからな」
前途多難すぎて、思わずため息がもれる。
どこで道を間違えたのか……。
よく考えてみたのだが、やっぱり梅雨明けのよく晴れたあの日の出来事がまずかった。
初めてこいつに出会った日。
動画のコメント欄に湧いたアンチについて、部室まで相談しに行った。
おれはまっすぐに差し出されたそいつの手を取りながら、過去をやり直すにはどうしたらいいか、わりと真剣に考えていた。
「アンチに悩んでた件さ、やっぱりお前に相談するんじゃなかったわ……」
初夏の刺すような陽射し。澄んだ青い空にもくもくとした入道雲が浮かんでいる。
制服もブレザーから夏服の半袖に変わった。
暑いのは苦手だけど、クーラーの効いた部屋で陽向と過ごす時間はただただ尊い。
最近ではいっしょに動画を撮ったり、他愛もない話をしたりするほかに、「俺にギターを教えてほしい!」と話す陽向といっしょに楽器の練習もしたりしている。
こんな日を――俺はずっと待ち望んでいたんだ。
何年も前から、ずっと。
昼休みが終わるまではまだ20分ほど時間があった。
手すりに寄りかかって空を見上げていると、屋上のドアが音を立てて開く。
「……来たよ、南」
彼は辺りを気にしながら、おそるおそるこっちに近づいてきた。
「待ってたよ。春日颯太」
屋上に俺以外の人がいないことを確認してようやく落ち着いたのか――陽向の友人である春日は隣に並び、溜めていた息を吐き出した。
「悪かったな。呼び出して」
「……いいよ、べつに。最近知り合った仲でもないんだし」
「相野に見つからなかった?」
「ちゃんと避けて来たから、大丈夫だと思う」
「そっか。ならよかった」
俺はズボンのポケットから、用意していた五千円札を取り出して春日に渡す。
春日は「サンキュ」と短く礼を言ってから、不満げに口を尖らせた。
「……もうちょっとあると思ってたわ」
「ジュースでもおごろうか? 紹介料としては十分だと思うけど」
「知り合いの女子使って、パンケーキの店で写真も撮っただろ」
「ああ、あれはよく撮れてた。……ありがとな」
そう言って半分に折った五千円札をもう一枚渡すと、春日は太陽みたいな笑みを浮かべた。
「これなら満足! ほかにやってほしいこととかあれば何でもやるぜ、インフルエンサーさん」
「……現金なやつ。でも、頼りにしてるよ。本当に」
俺と春日颯太は、じつは小学校のときに1年だけ同じ塾に通っていたことがある。
俺がすぐに転校してしまって、それから連絡も取っていなかったのだけれど……高校に入って陽向のクラスメイトについて調べているときに偶然気がついて、すぐに声をかけた。
この計画自体は、高校入学前からのものだった。
陽向が初めて動画をインターネット上にアップした、中学2年の秋から――。
春日が手すりから身を乗り出し、スマホの画面を指でなぞりながらつぶやいた。
「バズったみたいじゃん。動画」
「おかげさまでね」
「最近、タイムラインがお前とひなたばっかで飽きるわ~」
「コラボ動画が良かったんだろ。あれからも定期的に撮ってるし」
「すっかりコンビ売りって感じじゃね?」
「そう見えてるなら嬉しいな。……俺にはまだまだ陽向が足りないけど」
「強欲だよね、南って。昔からそうだったもん。一度欲しいって思ったら、全部手に入れるまで気が済まないタイプ」
「そうだっけ」
「そうだよ。執着心としつこさだけで生きてるって感じ」
「褒めんなよ」
「褒めてねぇわ」
照れ隠しのように春日の背中を強く叩くと、「落とす気かよ!」と足を蹴られた。
「でも……フツーに疑問なんだけどさ、なんでそんな回りくどいことするの?」
「回りくどいって?」
「どうして、『俺も配信者なんだよね』って自分から声かけに行かなかったのかってこと。わざわざあいつがアンチに困ってるシチュエーションでさ、俺がお前のことを紹介してひなたを誘導するみたいな……なんでそんなことしたのかを訊きたいんだよ」
そう不審げに首を傾げる春日。
こっちこそ、どうしてそんなことを尋ねるのか訊きたいくらいだ。
……自分にとって重要なことなら、より確実な方法を取るのは当然のことだろうに。
「配信者同士だから仲良くなれる、みたいな理屈は俺にはよくわからないな。同じ趣味でも気の合わないやつはいるし。……ただ、もし困ってるときに自分に手を貸してくれるやつがいたら、誰だって『ああ、いい奴だな』とは思うんじゃね?」
「そりゃあ、そうだけど……」
「そっちの方が信頼されやすいし、確実に貸しができる。貸しができれば、次の約束も取りつけやすくなる。一度関係ができれば、そっから仲良くなるのは難しくない」
「でも、それって……あんまり自然じゃないよな?」
「自然じゃないから、何? ……俺は陽向にとっての特別になりたいんだよ。お前みたいに友達のポジションが欲しいわけじゃない。世界でいちばん俺のことを好きで、気にかけてて、困ったら真っ先に頼るくらいの……そんな唯一無二の存在になりたいんだ。
陽向ってすげぇきらきらしてて、かわいいだろ? だから俺がそばにいないと無理って思うくらいもっと依存させて、俺の言うことなら何でも聞くようにして、俺の好みに変えていきたい。動画もギターもぜんぶ陽向に近づくために始めたことだし、いつか来るこういう機会のためにずっと頑張ってきた。俺があいつの隣に立つために、どれだけ努力したかなんて……春日にはわかんないだろ」
「いや、わかんないとかじゃなくてさ……ちょっとヤバいよ、お前」
「何が」
「狂気じみてるって。……なぁ。もしかして、あのアンチのアカウントもお前の仕業……?」
「それだけはない。べつの『きし』ってアカウントでネットストーカーしてたのは事実だけど、陽向を傷つけるようなことは絶対にしたくないから」
「なら、いいけどさ……」
そう、気まずそうに目をそらしながら言う。
「そういう執着心って、いつか身を滅ぼすんじゃね」
「忠告どうも。金も渡したし、用は済んだよ。……このこと、陽向に言ったらどうなるかわかってるよな?」
「……わかってるって。俺もあいつに嫌われたくないから、言わないよ」
春日はまだ何か言いたそうにしていたものの、踵を返して屋上のドアに手をかけた。
すぐに階段を下りる音が聞こえてくる――はずだったが、いつまで経っても何の音もしない。妙だと思って振り返ると、そこに思いもよらない姿があった。
「……陽向……」
紙パックのジュースをふたつ持って固まっている。
それだけで、何となく状況を把握した。
昼休みに、どこにもいない自分の姿を探してくれていたんだろう。
身体が芯から熱くなってくる。
陽向が、俺を探してくれていた――。
「ひなた……どこまで、聞いて」
「そうちゃ……南と知り合い……? お金って……何の、はなし」
「教室戻ってていいよ、春日。俺からちゃんと説明しとくから」
そう横やりを入れて、春日を逃がした。
いま適当なことを言われると、あとで面倒になりかねない。
混乱している様子の陽向にかけ寄って、塔屋の壁を背もたれにそっと床に座らせる。
「悪い。探してくれてたんだな」
「や、べつに……それより俺……あの」
「聞いてたの、話」
「ご、ごめん……盗み聞きするつもり、なかったんだけど……俺の名前が聞こえたから……」
「どこから聞いてた?」
「誘導がどう、とかって……あと、ネットの『きし』がお前だって話も……」
こっちを見上げる視線が定まらず、怯えているように見えた。
「……変なこと聞かせて悪かったよ」
「なぁ、お前って……!」
「ちゃんと説明させてほしい」
そう言って、彼の髪をすくように撫でる。
いつものように。……いつもどおりに。
小さくうなずいた陽向のこめかみから汗が滴っているのを眺めながら、俺はゆっくりと話し始めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
わけがわからなかった。
昼休み。クラスで弁当を食べ終わって、南と新しく出した動画のことについて話そうと自販機でジュースを買って部室まで行った。
「あれ、誰もいない……」
普段なら部室でゲームでもしながら、だらだらと昼ごはんを食べているイメージだったので、拍子抜けして今度は教室を探しに行く。
「南、どこ行ったか知らない?」
以前の女子グループに聞いても誰も見ていないらしく、クラスメイトのひとりが「さっき旧校舎で見たよ」と話していたので、いちおう見ておこうと思って屋上まで来てみたのだ。
階段を上がると、話し声が聞こえた。
動画がバズった話と声ですぐ「南だ!」とわかったものの、もうひとつの声にも心当たりがあった。
(なんで、あのふたりが……?)
最近仲良くなった南と、幼なじみの春日颯太。
ふたりが話しているところなんて見たこともないし、友達だという話も聞いたことがない。
静かに耳を傾けていると、どうやらアンチに困っている俺に「5組の南に聞いてみたら?」と勧めたのは、颯太本人の意思じゃなく南の差し金だったらしい。
……いったい、何のために?
颯太にお金を払ってまで、なんでそんなこと?
そのまま話を聞いていると、南がおれに謎の執着をしていること、ネットのとあるアカウントを使ってコメントをしていたことはわかったのだが、聞けば聞くほどわけがわからなくなっていく。
しかも「俺に依存させたい」とか「言うことを聞かせたい」みたいな物騒な言葉が出てきて、余計によくわからなくなった。
冷たい紙パックのジュースと同じくらい汗をかいているのを感じながら、おれは塔屋の壁に寄りかかり、南にされるがまま髪を撫でられていた。
南も、ばつが悪そうに視線をそらしている。
「……本当は、聞かれたくなかった」
ぼそりと言いつつも、ゆっくりとひとつずつ話し始める。
小学生の頃、颯太と同じ塾に1年間だけ通っていたこと。
中学2年の秋に初めてアップされたおれの動画を見て、同じ高校に行こうと思ったこと。
『きし』というアカウントでコメントを送り続けていたこと。
お礼をするからという条件つきで、颯太におれを紹介するよう頼んだこと――。
「……気持ち悪い?」
「いや、わかんない……けど、なんで俺?」
「なんでって……」
南は遠くを見つめていた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ったけど、教室に戻る気分でもない。
「陽向が好きだから。……好きになったから」
「どこが」
「すべてが。楽しそうに踊ってるのも好きだし、歌ってるのも好きだし」
どんな反応をしたらいいのか、よくわからなかった。
気持ち悪いというよりは、得体の知れない感じがする。
「あ、あと……なんで嘘ついたんだよ。アカウントのこと」
「そりゃ、あんなにコメントしてたら気味の悪いストーカーだと思われてるかなって。中学2年からだからもう4年になるし、名前は……チェスでいうところの『騎士』のつもりだったんだよ。傷ついてほしくないって思ってたから、アンチのことはずっと気にしてた。どうにかしたいと思ってたし、それ以上に肯定的なコメントいっぱいしようって思って書き込んでた」
いつもは口数の少ない南が、妙に饒舌だった。
つい数時間前までは俺様クール系の相棒だったはずが、もう本当に同じ人物だとも思えない。
混乱していると、ふいに身体が南の影で覆われた。
壁際に追い詰められ、優しくそっと抱きしめられる。
「なぁ……今日のこと、なんとか忘れらんない?」
「や、さすがに無理でしょ……それは」
軽く抵抗したものの、逃れるのは難しかった。
「仲良くなるために小細工したのは悪かったけど、お前のことがちょっと好きすぎるだけだから」
「好きすぎるだけって言われてもなぁ……」
この場合は、その『好きすぎる』のが問題なのだ。
南は目的のためなら息でも吸って吐くように嘘をつくし、おれが部室に来ることなんて全然知らなかった顔をしてたくせに、裏では颯太に根回しして金を払ってた。
そんなの、友達としては信用のしようがなくて論外だし……とうぜん不愉快だ。
不愉快なはずだった。
(それなのに、どこか嫌いになりきれないのはどうしてなんだろうな……)
楽しかったメッセージのやりとりや、家に行っていっしょに動画を撮ったこと。
ギターを弾いて歌ったこと。
そのすべてが嘘のようにも思えず、困惑する。
ふと回された腕に力が込められ、ぎゅっと強く抱きしめられた。
「なぁ……南の好きって、結局どういう種類の好きなの」
南からの『好き』は十分すぎるほど伝わってくる。
歩みよる雰囲気を感じたのか、南の回答は早かった。
「頭からつま先、手の爪の先までぜんぶ俺のものにしたいっていう種類の好き」
「……じゃ、遠慮しとくわ」
抱きしめる力がさらに強くなり、「痛いって!」と声をあげると、さすがに解放された。
「今まで通りでいいんだけどな……。動画撮ったり、うち泊まったり」
「うーん……」
「でも、いいよ。色々とバレちゃったし、もう諦めるわ」
「……うん?」
意外とあっさり引いたな……。
そう思って拍子抜けしたのが悪かった。
ふいに顔が近づいてきたかと思ったら、唇にキスされた。
「……え」
一度離れたと思ったら、さらに深く口づけられる。
パニックに陥って引きはがそうとしたら、とっさに手首をつかまれた。
「んっ……う……」
たっぷり数十秒。好きにもてあそばれて、ようやく自由になった。
深く息を吐いて呼吸を整える。
「……南っ、お前なんてこと……諦めるんじゃなかったのかよ!」
「そろそろ海斗って呼んでほしいんだけど」
「質問に答えろよっ」
こいつの傍若無人っぷりに、さすがのおれも声を荒らげてしまう。
いきなり人のファーストキスまで奪ってくるとは思わなかった。油断した……。
「回りくどく攻めるのを『諦めた』ってだけ。ここからは正攻法で行こうかなって」
「正攻法って……」
「まっすぐ気持ちを伝えていこうってこと。……どうせ陽向、もう詰んでるし」
「詰んでる!? 何が」
「昨日出した動画でも見てみたら?」
おれはポケットからスマートフォンを取り出して、慌てて動画を確認する。
見慣れた画面に見慣れない数字。
再生数……220万!?
かすんでいく目を擦りながら、コメント欄を確認した。
●記事から飛んできました。一生推します!
●海斗、ずっと陽向のファンだったのエモくない?
●『かいひな』デビューおめでとう! 楽しみにしてるね~
デビュー……?
何のことかと思い、もう一度『かいひな』のワードで検索してみる。
冷や汗が背中を伝っていた。嫌な予感に手が震える。
「事務所っ……!!!」
元のネット記事によると、どうやらコラボ動画の好評を受け、おれの所属する事務所と南海斗のあいだでレコード会社との契約が進んでいるらしかった。
(いや……俺、何も聞かされてないんだけどっ……!!)
「ちょっ……待てって、これっ……!」
「放課後、俺も陽向の事務所までいっしょに行くからさ」
「なんでこんなに早くっ……!?」
「そのあと、俺の部屋で祝賀会でもする?」
「海斗っ……!!!」
名前を呼んでようやく目が合ったそいつは、「何だよ」とちょっと嬉しげな顔で言った。
「見ただろ、記事」
「見たけどさぁ……」
急展開すぎて、頭がついていかない。
その場に立ち上がった海斗にあごを持ち上げられ、ついでに両手で頬をはさまれた。
「俺から逃げられるなんて、思わないようにな」
まるで刑でも宣告するような響きなのに、海斗はまるで新しいおもちゃでも見つけた子どものように無邪気に笑っている。
背中をぞくりとした何かが駆けていった。
得体の知れない……恐怖にも似た何か。
「お前、怖いよ……本当に」
「そんな、褒めんなよ」
「まったく褒めてねぇからな」
前途多難すぎて、思わずため息がもれる。
どこで道を間違えたのか……。
よく考えてみたのだが、やっぱり梅雨明けのよく晴れたあの日の出来事がまずかった。
初めてこいつに出会った日。
動画のコメント欄に湧いたアンチについて、部室まで相談しに行った。
おれはまっすぐに差し出されたそいつの手を取りながら、過去をやり直すにはどうしたらいいか、わりと真剣に考えていた。
「アンチに悩んでた件さ、やっぱりお前に相談するんじゃなかったわ……」


