「お邪魔しまーす」
高校の近くからバスに10分ほど乗り、しばらく歩いたところに南の家はあった。
広々とした一軒家の二階。デスクとベッドがあるよく整頓された部屋には南の動画でよく見る白い壁があった。
「ここが南の部屋? ……自分の部屋で撮ってたんだ」
「そうそう。部屋、防音になってんだよね」
「へぇ~! いいなぁ。俺の部屋は……散らかってるし、防音とかないし、あんまり撮影できる環境じゃないからすげーうらやましい」
「じゃ、今度からここで撮れば? 学校からもそんなに遠くないし」
「いいの!? 神!」
抱きつこうとしたら、避けられてベッドの上に投げ出された。
布団からは太陽の匂いがする。同じ匂いがする枕を抱えてベッドの上に陣取ると、南は制服のブレザーをハンガーにかけ、淡々とギターのチューニングを始めていた。
「つれねぇな……」
「ほら、ふざけてないで動画撮るぞ。早く撮らないとギターのコード忘れる」
「本当に一週間で三曲も覚えたわけ?」
「当然」
余裕の笑みは相変わらずだったし、「こんなことすらできねぇやついないって」とでも言いたげな口調だった。
俺様キャラで態度も尊大。
なのに、ギターの音色だけはすごく優しいから不思議だった。
きっとそのギャップが受けているんだろうと思いつつも、おれは演奏を始めた南に合わせて練習してきた曲を口ずさむ。
「いいじゃん」
「本当にいい?」
「うん。もう撮ってるから」
「撮ってんのかよ!」
そんなやりとりをしながら、他の二曲も合わせていった。
途中で南がコーラスのパートを歌い出してすごく驚いたが、その色気のある歌声に何か言う気も失せてしまう。
声質が合っているのかハーモニーはすごく綺麗で、正直こうしてずっとギターに合わせて歌っていたいとさえ思うほどだった。
演奏が終わって呆けていると、南が録画の停止ボタンを押しながら訊いた。
「どうだった?」
「うん。……すげぇ、よかったんじゃない?」
「……俺もそう思うよ」
風が通り抜けるみたいに自然な笑みで、そいつは独り言のようにつぶやいた。
目が合って、黙り込む。
言葉以上の何かが通じ合った気がして、「ああ、もうだめだ」と半ば諦めたような気持ちになった。
……俺はこいつのこと、けっこう好きかもしれない。
もちろん、下心とかそういう類の好きじゃないけど、100パーセント友情とも言い切れない……恋みたいな、憧れにも似たそんな感情。
照れ隠しのようにそっぽを向くと、おれはなるべくそっけない口調を心がけて言った。
「じゃ……またやろっか?」
「いいけど。今度は俺が曲決めていい?」
「いいよ。あ、でも、キー高いやつは無理」
「いけるって。歌わせてやる」
「やめろってー」
南がキーボードを取り出してきて、「次はどんな曲にする?」とか「どこまで高いキー出せる?」と声について確かめたり、ネットで曲を探したり。
『音楽が好き』という共通の趣味はお互いの距離をぐんと縮めてくれたようで、おすすめのアーティストや南がどうして弾き語りを始めたのかという話にもなった。
「人とは違う、自分なりの表現がしたくて」
南の言葉は興味を引くのに十分で、それから嫌がる南に作曲ノートを見せてもらったり、作った曲を聞かせてもらったりした。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、気づけば日は暮れて外は真っ暗になっていた。
「っと、もうこんな時間かぁ……早いな」
「帰るの面倒なら、泊まってけば?」
「いいの? ……じゃあ、次はそうしようかな。あらかじめ親に言ってさ」
「いいと思う」
帰りの支度を始めた頃。
おれは南に何か話し忘れていることがあったような気がして、考えを巡らせた。
「どうした? 相野」
「うーん……何か忘れてるような気がしてさ」
「さっき撮った動画なら、いま俺のアカウントにアップしたけど」
「仕事が早すぎる。でも、そうじゃなくて……他に何かなかったっけ?」
「相野のアンチの件とか?」
「そうだ、それっ! すっかり忘れてたけど、お礼が言いたくてさ……。おかげでアンチからのコメント、ほとんどなくなったよ! ありがとな」
動画の撮影が楽しくてすっかり忘れていたけれど、本来の話はこっちだった。
先週、コメント欄でアンチと『きし』のレスバトルを発見して以降、おれを傷つけるような過度な悪口や誹謗中傷は目に見えて減ってきていた。
たまに書き込まれることがあっても、自分を擁護するコメントが書き込まれ、最終的にはいなくなっていく。
「それにしても、どうやってやったんだ? 開示請求とかじゃないんだろ?」
「あの『きし』ってアカウントにDMを送ったんだよ。……粘着気質っぽかったから、アンチとも戦ってくれるんじゃないかと思って、お願いした」
「へぇ~」
「まぁ、他にもコメントの削除要請とか色々やったけど、大したことはしてないから」
「いや、すごいよ南。本当にありがとな!」
「べつに」と照れる南の肩をばんばんと叩いてから、拳を突き出す。
南は恥ずかしいのか、拗ねたように口を尖らせながらおれの拳に自分のそれを合わせた。
……褒められ慣れていないんだろうか。
こんな風に照れる南もレアなので、また写真を撮って送ってやりたい気分になる。
「礼とかいらねぇから、またコラボ動画よろ」
「わかってるって! また来週でいい?」
「いい。……駅まで送ってこうか」
「大丈夫。地図アプリもあるし」
「ふぅん」
名残惜しそうに玄関先まで出てきた南に別れを告げ、帰り道を急ぐ。
最寄りの駅から乗った電車の中で、さっきアップしたばかりの南との動画を見た。
自分で言うのもなんだが、歌もギターも最高でよく撮れている。
コメント欄には「同じ学校だったんだ!」とか「このふたり最高じゃない?」といった肯定的な言葉が多く並んでいた。
●ひなたの歌って明るくて好き
●ハモるとこ、すごい気持ちいいよね
●わかる。リピート止まらんし需要しかない
●やっぱ海斗はギター上手いな~
●かいひな最高すぎる
画面をスクロールすると、『かいひな』という単語が何度も目に留まった。
海斗と陽向。略してかいひな。
その単語で検索をしてみると、今回のコラボ動画の他にふたりでパンケーキを食べている写真や動画まで出てきた。
(いつの間に、こんなに撮られてたのか……)
たしかにカメラは向けられていたけど、こんな風に一部始終を撮られているとは思わなかった。一枚の写真に目が留まる。
(これって……)
おれが紙ナプキンで、南の口許を拭っている写真だった。
目を閉じ、されるがままにしている南と「仕方ないなぁ」って表情で顔を近づけているおれ。
『かいひな可愛すぎる』。
そう書かれた写真にも絶賛するコメントがたくさんついていて、おれはそっとアプリを閉じた。
……こういう路線で売るつもりはさらさらなかったけど、南とならそれでもいいかもしれない。
これからもあんな素敵な音楽を届けられるなら、それでも。
「俺も早く動画編集しなきゃな……」
送ってもらったもう二本の動画について「どうやって編集しようか」と考えながら、おれは電車に揺られつつ家路を急いだ。
高校の近くからバスに10分ほど乗り、しばらく歩いたところに南の家はあった。
広々とした一軒家の二階。デスクとベッドがあるよく整頓された部屋には南の動画でよく見る白い壁があった。
「ここが南の部屋? ……自分の部屋で撮ってたんだ」
「そうそう。部屋、防音になってんだよね」
「へぇ~! いいなぁ。俺の部屋は……散らかってるし、防音とかないし、あんまり撮影できる環境じゃないからすげーうらやましい」
「じゃ、今度からここで撮れば? 学校からもそんなに遠くないし」
「いいの!? 神!」
抱きつこうとしたら、避けられてベッドの上に投げ出された。
布団からは太陽の匂いがする。同じ匂いがする枕を抱えてベッドの上に陣取ると、南は制服のブレザーをハンガーにかけ、淡々とギターのチューニングを始めていた。
「つれねぇな……」
「ほら、ふざけてないで動画撮るぞ。早く撮らないとギターのコード忘れる」
「本当に一週間で三曲も覚えたわけ?」
「当然」
余裕の笑みは相変わらずだったし、「こんなことすらできねぇやついないって」とでも言いたげな口調だった。
俺様キャラで態度も尊大。
なのに、ギターの音色だけはすごく優しいから不思議だった。
きっとそのギャップが受けているんだろうと思いつつも、おれは演奏を始めた南に合わせて練習してきた曲を口ずさむ。
「いいじゃん」
「本当にいい?」
「うん。もう撮ってるから」
「撮ってんのかよ!」
そんなやりとりをしながら、他の二曲も合わせていった。
途中で南がコーラスのパートを歌い出してすごく驚いたが、その色気のある歌声に何か言う気も失せてしまう。
声質が合っているのかハーモニーはすごく綺麗で、正直こうしてずっとギターに合わせて歌っていたいとさえ思うほどだった。
演奏が終わって呆けていると、南が録画の停止ボタンを押しながら訊いた。
「どうだった?」
「うん。……すげぇ、よかったんじゃない?」
「……俺もそう思うよ」
風が通り抜けるみたいに自然な笑みで、そいつは独り言のようにつぶやいた。
目が合って、黙り込む。
言葉以上の何かが通じ合った気がして、「ああ、もうだめだ」と半ば諦めたような気持ちになった。
……俺はこいつのこと、けっこう好きかもしれない。
もちろん、下心とかそういう類の好きじゃないけど、100パーセント友情とも言い切れない……恋みたいな、憧れにも似たそんな感情。
照れ隠しのようにそっぽを向くと、おれはなるべくそっけない口調を心がけて言った。
「じゃ……またやろっか?」
「いいけど。今度は俺が曲決めていい?」
「いいよ。あ、でも、キー高いやつは無理」
「いけるって。歌わせてやる」
「やめろってー」
南がキーボードを取り出してきて、「次はどんな曲にする?」とか「どこまで高いキー出せる?」と声について確かめたり、ネットで曲を探したり。
『音楽が好き』という共通の趣味はお互いの距離をぐんと縮めてくれたようで、おすすめのアーティストや南がどうして弾き語りを始めたのかという話にもなった。
「人とは違う、自分なりの表現がしたくて」
南の言葉は興味を引くのに十分で、それから嫌がる南に作曲ノートを見せてもらったり、作った曲を聞かせてもらったりした。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、気づけば日は暮れて外は真っ暗になっていた。
「っと、もうこんな時間かぁ……早いな」
「帰るの面倒なら、泊まってけば?」
「いいの? ……じゃあ、次はそうしようかな。あらかじめ親に言ってさ」
「いいと思う」
帰りの支度を始めた頃。
おれは南に何か話し忘れていることがあったような気がして、考えを巡らせた。
「どうした? 相野」
「うーん……何か忘れてるような気がしてさ」
「さっき撮った動画なら、いま俺のアカウントにアップしたけど」
「仕事が早すぎる。でも、そうじゃなくて……他に何かなかったっけ?」
「相野のアンチの件とか?」
「そうだ、それっ! すっかり忘れてたけど、お礼が言いたくてさ……。おかげでアンチからのコメント、ほとんどなくなったよ! ありがとな」
動画の撮影が楽しくてすっかり忘れていたけれど、本来の話はこっちだった。
先週、コメント欄でアンチと『きし』のレスバトルを発見して以降、おれを傷つけるような過度な悪口や誹謗中傷は目に見えて減ってきていた。
たまに書き込まれることがあっても、自分を擁護するコメントが書き込まれ、最終的にはいなくなっていく。
「それにしても、どうやってやったんだ? 開示請求とかじゃないんだろ?」
「あの『きし』ってアカウントにDMを送ったんだよ。……粘着気質っぽかったから、アンチとも戦ってくれるんじゃないかと思って、お願いした」
「へぇ~」
「まぁ、他にもコメントの削除要請とか色々やったけど、大したことはしてないから」
「いや、すごいよ南。本当にありがとな!」
「べつに」と照れる南の肩をばんばんと叩いてから、拳を突き出す。
南は恥ずかしいのか、拗ねたように口を尖らせながらおれの拳に自分のそれを合わせた。
……褒められ慣れていないんだろうか。
こんな風に照れる南もレアなので、また写真を撮って送ってやりたい気分になる。
「礼とかいらねぇから、またコラボ動画よろ」
「わかってるって! また来週でいい?」
「いい。……駅まで送ってこうか」
「大丈夫。地図アプリもあるし」
「ふぅん」
名残惜しそうに玄関先まで出てきた南に別れを告げ、帰り道を急ぐ。
最寄りの駅から乗った電車の中で、さっきアップしたばかりの南との動画を見た。
自分で言うのもなんだが、歌もギターも最高でよく撮れている。
コメント欄には「同じ学校だったんだ!」とか「このふたり最高じゃない?」といった肯定的な言葉が多く並んでいた。
●ひなたの歌って明るくて好き
●ハモるとこ、すごい気持ちいいよね
●わかる。リピート止まらんし需要しかない
●やっぱ海斗はギター上手いな~
●かいひな最高すぎる
画面をスクロールすると、『かいひな』という単語が何度も目に留まった。
海斗と陽向。略してかいひな。
その単語で検索をしてみると、今回のコラボ動画の他にふたりでパンケーキを食べている写真や動画まで出てきた。
(いつの間に、こんなに撮られてたのか……)
たしかにカメラは向けられていたけど、こんな風に一部始終を撮られているとは思わなかった。一枚の写真に目が留まる。
(これって……)
おれが紙ナプキンで、南の口許を拭っている写真だった。
目を閉じ、されるがままにしている南と「仕方ないなぁ」って表情で顔を近づけているおれ。
『かいひな可愛すぎる』。
そう書かれた写真にも絶賛するコメントがたくさんついていて、おれはそっとアプリを閉じた。
……こういう路線で売るつもりはさらさらなかったけど、南とならそれでもいいかもしれない。
これからもあんな素敵な音楽を届けられるなら、それでも。
「俺も早く動画編集しなきゃな……」
送ってもらったもう二本の動画について「どうやって編集しようか」と考えながら、おれは電車に揺られつつ家路を急いだ。


