おれが彼と出会ったのは、じめじめとした梅雨がうそのように晴れたある日のことだった。きっかけは一本の動画。
昼休み、いつものように教室でショート動画を取っていると、幼なじみの春日颯太が何も言わずに乱入してきた。音楽が止まったあと、文句を言うおれに颯太は「へへっ」と悪びれもせず笑って頬をかく。
「これで、俺もインフルエンサーの仲間入りだなっ! 『ひなたの隣に映ってる友達って誰!? カッコいい~!』ってコメント来たらどうしよ」
「何してくれてんだよ、そうちゃん……。こんなん撮り直しだって」
「え~、いいじゃん! 楽しそうだし、ひなたもよく撮れてるよ」
「俺が盛れてるのは否定しないけどね」
「自慢かよ……はいはいはいはい」
あきれ顔で肩をすくめる颯太の隣で、おれ――相野陽向は撮ったばかりの動画をたしかめると「うん、今日も顔がいい」と自画自賛した。
陽気で赤茶けた髪の制服姿の高校生が、クラスメイトと楽しげに踊っている。
コメント欄はいつも、カッコいいとかわいいが半々くらいだ。去年から本格的に始めた動画投稿だったが、いまや自分の名前でネットを検索すると『現役イケメン高校生インフルエンサー』の17文字がかならず並ぶ。
半年前に小さな芸能事務所にも所属することになり、閲覧数といいねの数は右肩上がり。
これからどうしたいとか、将来のことは何ひとつ考えてはいなかったけれど、好きなように自分のことを発信できているこの状況がいまはすごく楽しかった。
「早くアップしてよー、ひなた」
「わかったってば。ちょっと待ってて」
おれはいくつかのハッシュタグに『今日は友達と』とつけ足して、さっそく動画を投稿する。
すぐにいいねとコメントがつき始めた。
閲覧数が上がっていくのを、まるで口座の預金でも増えていくような気持ちでながめていたのだが、ふとコメント欄に水を差すような文字が並んで息が止まった。
●よく教室でこんな動画撮れるよな
●邪魔そう
●ナルシストすぎてむり
ネガティブなコメントはそのうち颯太にまでも言及するようになって、おれはそっとアプリを閉じる。
「……アンチ?」
「そうだね」
どこまでも深くため息をついて、天井を見上げた。
人気になるにつれてネガティブなコメントが増えるのは、当然といえば当然だ。
その数だって、きっといいコメントの十分の一にも満たないと思う。
それなのに、どうしてこんなに憂鬱な気持ちにさせられるのか……自分でもよくわからなかった。
たぶん、まだ慣れていないだけ。
そのうちきっと、心に矢が刺さるような痛みにも耐性がついていくはず。
(そう思わないと、やってられないしな……)
イスの背もたれに寄りかかりながらもう一度さっきのアプリを開く。
おれはコメント欄にある、いいコメントだけを拾って目を通していった。
「なぁ、ひなたー。事務所ってさ、そういう対策はしてくれねぇの?」
「うーん……まぁ、ある程度はって感じかな。あんまりひどいと開示請求? 的なのしてくれるっぽいけど」
「ふぅん」
「何? なんかあんの」
「……まぁ、お前が興味あったらなんだけどさ。5組の南ってやつ知ってる? 南海斗」
「知らね」
「ちょっと小耳に挟んだんだけど、そいつもインフルエンサーやってるらしいんだよ。弾き語り系の動画とかやってて、バズったらしくてさ」
「へぇ~」
知らなかった。
この学校で、自分以外にもそんなことをやっていた奴がいたなんて……。
「事務所とか入ってなくて個人でやってるみたいだから、そういう対策とか詳しいんじゃね? って思って。気になるなら聞いてみたら?」
颯太の言葉は傷ついたおれの心にもまっすぐ響いた。
さすがは幼稚園からの幼なじみだ。困ったときには頼りになる。
「興味あるわ。教室にいるかな?」
善は急げだ。
さっそく5組に向かおうとするおれに、颯太がいたずらっぽく歯を見せた。
「クラスまで行けば、誰か知ってるって。行ってらっしゃーい!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
5組のドアを開けると、黒板近くで弁当を食べていた女子グループが急にざわついた。
「ちょっ、有名人じゃん」
「まじか。本物だ」
「……うちのクラスに用事? 相野くん」
三つ編みの大人しそうな彼女がそう聞いてくれて、おれは話を切り出した。
「南海斗くんって、いる?」
「ああ、南くんかぁ……彼ならいつも部室でご飯食べてるよ」
「そっか。ありがと」
そう簡単にお礼を言って去ろうとしたのだけど、そういえば部室っていってもたくさんあるんだよな……。
「ちなみに、彼って何部かわかる?」
「ボードゲーム部だよ」
「ボードゲーム部……!」
意外な名前が出てきた。
そもそもボードゲーム部なんて初めて聞いたし、動画は弾き語り系だというから、てっきり軽音部とか音楽系の部活なんだと思っていた。
「その反応、面白いんだけど。意外だよねわかる」
「部室は別館の三階だよー」
最初に反応していたノリのいい二人組がそう教えてくれ、ぺこりと頭を下げた。
「助かったよ。ありがとう」
弾き語り系のインフルエンサー。ボードゲーム部……。
彼の情報を整理しつつ、旧校舎である別館へと続く道を歩く。
(ついでだから、動画もチェックしておくか……)
人通りの消えた廊下で、彼の動画を検索した。
南海斗。彼も本名で活動しているようだった。
たくさんある弾き語り動画のひとつを再生してみる。
そこにはおれとは違う系統の、どこか色気のあるイケメンがいた。
黒髪が似合うきりっとした顔立ち。
アンニュイな雰囲気のある長めの前髪から、意志の強そうな瞳がのぞいている。
ギターの甘い音色に、すこしハスキーで優しげな声。
(そりゃ、伸びるはずだわ……)
一部の再生数はおれの動画にも匹敵するほどだった。
登録者の数も多く、これを個人でやっているのはものすごいことのような気がする。
三階に上がると、ボードゲーム部はいちばん奥まったところにあった。
部室の中からは何人かの声がする。
初めての場所で緊張したが、おれは覚悟を決めて軽くドアをノックした。
「こんにちは~……」
ドアをそっと開ける。
「……チェックメイト」
「え、まじ? 俺、もしかして詰んだこれ」
菓子パンをくわえたままチェス盤を囲む学生がふたり。
それを見て盛り上がる外野がひとり。
「また負けたじゃん、やっちゃん」
「まだだ……まだ生きる道はあるはず……」
「いや、どう考えたって詰んでると思うけど。……あれ、お客さん?」
さっきの動画と同じ声の主が、甘そうな菓子パンを片手にそう聞いた。
彼――南海斗の対戦相手は何やら唸りながらばりばりと頭をかいているし、もうひとりはちらりとこちらを見たものの、興味なさげにまた盤面に視線を戻してしまった。
気まずくなって、おれはぺこりと頭を下げる。
「すいません、突然……」
「いえ、べつに。……俺は席外すから、死なない道があるかどうかせいぜい考えといてよ」
「いや、お前のその言い方なぁ……」
パンをかじりながら、もごもごと反論する彼を差し置いて南くんは席を立つ。
チェスなんて難しそうなものよくやるなと思うのと同時に、彼のその姿に違和感はなく、むしろとても似合っているような感じがした。
「えっと……」
部室の外まで出てきてくれた彼が、こっちを見下ろしている。
想像した通り、おれより背が15センチくらい高かった。
「陽向に足りないのは身長だけ」。
誰かからもらった心ないコメントを頭の隅に追いやって、おれは口を開いた。
「突然ごめんね。南……海斗くんだよね」
「うん」
「俺、1組の相野陽向。……知ってるかわかんないけど、SNSに動画とかあげてるんだよね。いわゆるインフルエンサーってやつ」
彼は「知ってる」とでも言いたげに、こくりと大きく頷いた。
口数、多くないほうなんだろうか?
おれはそのまま話を続ける。
「それで……同じクラスの春日ってやつから、南くんも動画やってるって聞いてさ……その、色々と聞いてみたくて」
「そっか」
「放課後とか空いてる? 部活ないときとか、話せたりしない?」
ぐいぐい行って引かれないかなーとは思いつつ、こっちも必死だった。
毎日なんとなく気が沈んでいくのを、どうにかして変えていきたい。
彼はそれほど深く考える様子もなく、「いいよ」と低めのハスキーな声で言った。
「今日は部活ないから、放課後どっかで話そう」
「本当!? 助かる、ありがとう!」
「授業終わったらそっちのクラス行くわ。……あ、いちおう連絡先とか聞いといていい?」
「もちろん!」
さっそくスマホを取り出し、連絡先を交換する。
即答して快諾。「なんていいやつなんだ!」と、このときはそう思っていた。
「じゃ、あとで!!」
別れ際、あまり表情の見えない彼が薄く微笑んでいたのが見えて――。
それがただの純粋な好意だと信じていたし、おれはそう信じたかった。
昼休み、いつものように教室でショート動画を取っていると、幼なじみの春日颯太が何も言わずに乱入してきた。音楽が止まったあと、文句を言うおれに颯太は「へへっ」と悪びれもせず笑って頬をかく。
「これで、俺もインフルエンサーの仲間入りだなっ! 『ひなたの隣に映ってる友達って誰!? カッコいい~!』ってコメント来たらどうしよ」
「何してくれてんだよ、そうちゃん……。こんなん撮り直しだって」
「え~、いいじゃん! 楽しそうだし、ひなたもよく撮れてるよ」
「俺が盛れてるのは否定しないけどね」
「自慢かよ……はいはいはいはい」
あきれ顔で肩をすくめる颯太の隣で、おれ――相野陽向は撮ったばかりの動画をたしかめると「うん、今日も顔がいい」と自画自賛した。
陽気で赤茶けた髪の制服姿の高校生が、クラスメイトと楽しげに踊っている。
コメント欄はいつも、カッコいいとかわいいが半々くらいだ。去年から本格的に始めた動画投稿だったが、いまや自分の名前でネットを検索すると『現役イケメン高校生インフルエンサー』の17文字がかならず並ぶ。
半年前に小さな芸能事務所にも所属することになり、閲覧数といいねの数は右肩上がり。
これからどうしたいとか、将来のことは何ひとつ考えてはいなかったけれど、好きなように自分のことを発信できているこの状況がいまはすごく楽しかった。
「早くアップしてよー、ひなた」
「わかったってば。ちょっと待ってて」
おれはいくつかのハッシュタグに『今日は友達と』とつけ足して、さっそく動画を投稿する。
すぐにいいねとコメントがつき始めた。
閲覧数が上がっていくのを、まるで口座の預金でも増えていくような気持ちでながめていたのだが、ふとコメント欄に水を差すような文字が並んで息が止まった。
●よく教室でこんな動画撮れるよな
●邪魔そう
●ナルシストすぎてむり
ネガティブなコメントはそのうち颯太にまでも言及するようになって、おれはそっとアプリを閉じる。
「……アンチ?」
「そうだね」
どこまでも深くため息をついて、天井を見上げた。
人気になるにつれてネガティブなコメントが増えるのは、当然といえば当然だ。
その数だって、きっといいコメントの十分の一にも満たないと思う。
それなのに、どうしてこんなに憂鬱な気持ちにさせられるのか……自分でもよくわからなかった。
たぶん、まだ慣れていないだけ。
そのうちきっと、心に矢が刺さるような痛みにも耐性がついていくはず。
(そう思わないと、やってられないしな……)
イスの背もたれに寄りかかりながらもう一度さっきのアプリを開く。
おれはコメント欄にある、いいコメントだけを拾って目を通していった。
「なぁ、ひなたー。事務所ってさ、そういう対策はしてくれねぇの?」
「うーん……まぁ、ある程度はって感じかな。あんまりひどいと開示請求? 的なのしてくれるっぽいけど」
「ふぅん」
「何? なんかあんの」
「……まぁ、お前が興味あったらなんだけどさ。5組の南ってやつ知ってる? 南海斗」
「知らね」
「ちょっと小耳に挟んだんだけど、そいつもインフルエンサーやってるらしいんだよ。弾き語り系の動画とかやってて、バズったらしくてさ」
「へぇ~」
知らなかった。
この学校で、自分以外にもそんなことをやっていた奴がいたなんて……。
「事務所とか入ってなくて個人でやってるみたいだから、そういう対策とか詳しいんじゃね? って思って。気になるなら聞いてみたら?」
颯太の言葉は傷ついたおれの心にもまっすぐ響いた。
さすがは幼稚園からの幼なじみだ。困ったときには頼りになる。
「興味あるわ。教室にいるかな?」
善は急げだ。
さっそく5組に向かおうとするおれに、颯太がいたずらっぽく歯を見せた。
「クラスまで行けば、誰か知ってるって。行ってらっしゃーい!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
5組のドアを開けると、黒板近くで弁当を食べていた女子グループが急にざわついた。
「ちょっ、有名人じゃん」
「まじか。本物だ」
「……うちのクラスに用事? 相野くん」
三つ編みの大人しそうな彼女がそう聞いてくれて、おれは話を切り出した。
「南海斗くんって、いる?」
「ああ、南くんかぁ……彼ならいつも部室でご飯食べてるよ」
「そっか。ありがと」
そう簡単にお礼を言って去ろうとしたのだけど、そういえば部室っていってもたくさんあるんだよな……。
「ちなみに、彼って何部かわかる?」
「ボードゲーム部だよ」
「ボードゲーム部……!」
意外な名前が出てきた。
そもそもボードゲーム部なんて初めて聞いたし、動画は弾き語り系だというから、てっきり軽音部とか音楽系の部活なんだと思っていた。
「その反応、面白いんだけど。意外だよねわかる」
「部室は別館の三階だよー」
最初に反応していたノリのいい二人組がそう教えてくれ、ぺこりと頭を下げた。
「助かったよ。ありがとう」
弾き語り系のインフルエンサー。ボードゲーム部……。
彼の情報を整理しつつ、旧校舎である別館へと続く道を歩く。
(ついでだから、動画もチェックしておくか……)
人通りの消えた廊下で、彼の動画を検索した。
南海斗。彼も本名で活動しているようだった。
たくさんある弾き語り動画のひとつを再生してみる。
そこにはおれとは違う系統の、どこか色気のあるイケメンがいた。
黒髪が似合うきりっとした顔立ち。
アンニュイな雰囲気のある長めの前髪から、意志の強そうな瞳がのぞいている。
ギターの甘い音色に、すこしハスキーで優しげな声。
(そりゃ、伸びるはずだわ……)
一部の再生数はおれの動画にも匹敵するほどだった。
登録者の数も多く、これを個人でやっているのはものすごいことのような気がする。
三階に上がると、ボードゲーム部はいちばん奥まったところにあった。
部室の中からは何人かの声がする。
初めての場所で緊張したが、おれは覚悟を決めて軽くドアをノックした。
「こんにちは~……」
ドアをそっと開ける。
「……チェックメイト」
「え、まじ? 俺、もしかして詰んだこれ」
菓子パンをくわえたままチェス盤を囲む学生がふたり。
それを見て盛り上がる外野がひとり。
「また負けたじゃん、やっちゃん」
「まだだ……まだ生きる道はあるはず……」
「いや、どう考えたって詰んでると思うけど。……あれ、お客さん?」
さっきの動画と同じ声の主が、甘そうな菓子パンを片手にそう聞いた。
彼――南海斗の対戦相手は何やら唸りながらばりばりと頭をかいているし、もうひとりはちらりとこちらを見たものの、興味なさげにまた盤面に視線を戻してしまった。
気まずくなって、おれはぺこりと頭を下げる。
「すいません、突然……」
「いえ、べつに。……俺は席外すから、死なない道があるかどうかせいぜい考えといてよ」
「いや、お前のその言い方なぁ……」
パンをかじりながら、もごもごと反論する彼を差し置いて南くんは席を立つ。
チェスなんて難しそうなものよくやるなと思うのと同時に、彼のその姿に違和感はなく、むしろとても似合っているような感じがした。
「えっと……」
部室の外まで出てきてくれた彼が、こっちを見下ろしている。
想像した通り、おれより背が15センチくらい高かった。
「陽向に足りないのは身長だけ」。
誰かからもらった心ないコメントを頭の隅に追いやって、おれは口を開いた。
「突然ごめんね。南……海斗くんだよね」
「うん」
「俺、1組の相野陽向。……知ってるかわかんないけど、SNSに動画とかあげてるんだよね。いわゆるインフルエンサーってやつ」
彼は「知ってる」とでも言いたげに、こくりと大きく頷いた。
口数、多くないほうなんだろうか?
おれはそのまま話を続ける。
「それで……同じクラスの春日ってやつから、南くんも動画やってるって聞いてさ……その、色々と聞いてみたくて」
「そっか」
「放課後とか空いてる? 部活ないときとか、話せたりしない?」
ぐいぐい行って引かれないかなーとは思いつつ、こっちも必死だった。
毎日なんとなく気が沈んでいくのを、どうにかして変えていきたい。
彼はそれほど深く考える様子もなく、「いいよ」と低めのハスキーな声で言った。
「今日は部活ないから、放課後どっかで話そう」
「本当!? 助かる、ありがとう!」
「授業終わったらそっちのクラス行くわ。……あ、いちおう連絡先とか聞いといていい?」
「もちろん!」
さっそくスマホを取り出し、連絡先を交換する。
即答して快諾。「なんていいやつなんだ!」と、このときはそう思っていた。
「じゃ、あとで!!」
別れ際、あまり表情の見えない彼が薄く微笑んでいたのが見えて――。
それがただの純粋な好意だと信じていたし、おれはそう信じたかった。


